原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再掲載 「日常と非日常の狭間で」

2024年08月11日 | 自己実現
 パリオリンピックも本日最終日を迎え。
 今現在、私が座っているパソコンの後ろのテレビが、最終種目である女子マラソンを放映している。

 (個人的な意見で恐縮だが)、その女子マラソンの解説者が著名な日本の某元マラソンランナーなのだが。
 あの人、どうしてこれほど喋り倒したいのだろうか!?!
 ランナーに対する「調査力」を誇りたいのだろうが、この原左都子など、「ちょっと黙れよ!! アンタのくだらない喋りを聞きたくてマラソンレースを見てるんじゃないよ!! レースに集中させてくれよ!!!」と、ついに今さっきテレビのスイッチをブチ切った!! 😠 😡 




 という事で、それでは本日のエッセイ執筆に入ろう。

 冒頭表題の通り、本日のエッセイテーマは 2020.01.06に公開した「日常と非日常の狭間で」と題するバックナンバーの再掲載である。

 それでは、以下に当該バックナンバーの一部を再掲載させていただこう。

 私は、今朝方“しんどい”夢を見た。
 (“しんどい”には、関西弁で「くたびれる」「難儀だ」等々の意味合いがある。)
 この“しんどい”夢は今に始まったことではなく、長期連休明けに決まって見る夢である。
 今年の年末年始休暇は娘が9連休だったこともあるが、それに合わせた生活パターンを年末の小旅行後7日間続けたせいもあり、この夢が久々に再現したのであろう。

 それでは、その夢の再現に入ろう。

 私はどうやら、2度目に入学した大学生のようだ。
 本日は長期休み明けで、大学へ行かねばならない。 ところが一体私が何処の大学生だったかを忘却している。 それよりも困惑するのは、長期休暇中の課題を何らこなしていない。 原点に戻って、今年の学費すら支払っていないのでは!??  あれ、私って既に出席不足で退学になっていやしないか??  
 それよりも、大学の学生鞄を無くしてしまっている!  やむを得ない、いつも使用しているハンドバックでいいだろう。  いや、これじゃテキスト類が一切入らない。   
 ちょっと待ってくれよ。 今日は何曜日だ??  時間割も分からなければ、私が本日行かねばならない教室はどの建物の何階だっただろう?  いや、たとえ行ったとて、何の課題の予習もしていないし、皆より遅れをとっている。 授業中に恥を晒すだけだ…
 今一度原点に戻って、大学が一体何処に存在するんだ…

 この妄想が、とめどなく夢内で暴走する…… 途中少し目を覚ました気もするが、また夢に戻り…  これの繰り返しだ。

 実際朝目を覚ました直後トイレに行く途中も、脳内の何%かは “本日大学へ行かねば…” の感覚が残ってしまっている…
 やっとこの夢から解放されるのは、着替えを終えて娘の朝食準備に入る頃だ。
 
 ここからこの夢の分析に入るが。
 この夢、私に特異的に発生する現象ではなかろうか?
 何分、我が人生に於いて実際2度も大学(大学院も含め)生活経験をこなして来ている身だ。
 特に2度目の大学(大学院)は、受験準備期より卒業・修了まで、学業はもちろんのこと授業料負担と生活のための労働等のすべてを自己責任下に於いて実現させた、超過酷な“ミッション”だったと言えよう。

 このミッションをポッシブル化する日常とは、それはそれは大変な日々だった。
 あれを30代前半期より後半期にかけて単独でこなした我が人生経験があるからこそ、強靱かつ確固とした自己を築けて現在に至っている自負がある。

 これが現在の我が身にとって“誉れ”であるはずなのに…
 何故、夢内では悪い部分ばかりが増強されて“悪夢”となってしまうのか?

 その理由は自分でも分析出来ているつもりだ。
 結果としては、私にとって“サクセスストーリー”であるけれど、その道程とは実際過酷そのものだった故であろう。
 一応弁解しておくが、私は至って優秀な学生であり出席不足などとは無縁の学生であり順当に進学し卒業(修了)が叶っている。  加えて、決して学費の不払いなど一切無く、当時それを支払った上で自分の生活を満足に過ごせる生活資金も十分に稼いでいた。

 それなのに何故、今に至ってこの種の(悪夢)にうなされねばならないのだろう??

 2度目の学業を全う出来た「達成感」よりも、当時の生活の「超多忙感」の方こそが我が脳裏に潜在意識として鮮明に刻み込まれている故であろうか??

 どちらであるにせよ、現実の私の脳裏には「達成感」が勝っていればそれで良いと結論付けられそうだ。  
 そう考えて、何年かに一度見る“悪夢”の事など忘れ去ろう!! 

 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーの一部を再掲載したもの。)



 上記エッセイを執筆・公開したのが2020.01の事のようだが。

 そうすると、それから未だ4年半程の年月しか経過していない計算となる。
 この私は当時既に60代半ば頃のことだ。

 2024年の今現在とその頃との間に、家庭内環境に於いて大きく変化した事象があることに気付いた。
 それは我が一人娘が、2年少し前に “家を出て独り立ちした” との事実だ。

 やはり、この要因が一番大きかったのかもしれない。

 娘が同居していた時代には、この私は日々全力で(本気でホントです! とにかく娘受験時代以降は、教育者でもあった母親の私が全力にてそのバックアップを施したものだ! その後娘が就職した後も、どうしても娘の職場での頑張り様が気になって仕方が無かった。 時には娘の帰りが真夜中の12時以降になることもあったが、夕食を温めた後は食卓の娘の横に座って、「何で今日は遅かったの? 何か失敗でもした??」等々と尋ねねば、私自身が寝られない程のストレスを母として抱えていたことを思い起す。

 そんなことを繰り返したからこそ、娘は親元(特に“母”)から離れて一人立ちせんと決意したのだろうと。
 今になっては気付くことができる愚かな母である私だが…😱 😭 


 そんなことを思い起している今。

 上に記した「パリ五輪女子マラソン」中継にてしゃべくりまくっている某元マラソン選手である女性の“要らぬしゃべり” と。
 我が過去に娘に対して施した“要らぬ気遣い”に、共通項がある事実を嫌でも認識させられる… 


 更には、 娘が独り立ちしてくれた後2年余りが経過した今、初めて。
 我が心的状態において、自分自身の(超多忙を乗り越えて努力・精進した)学生時代の切羽詰まった夢を見なくなっている事実に気づかされる。

 このままの心理状態で、今後年老いていけることに期待しよう。
 

先月 4人目を出産された貴女、私も偉い,凄い!!と思います。

2024年08月09日 | 自己実現
 冒頭表題の女性が4人目を出産した時のご年齢と、この原左都子が一人目(と言うより元々子供は一人と決めていて、後にも先にも一人しか出産していないが。)を産んだ時の年齢が “38歳” と偶然一致している。

 
 早速、2024.08.04付朝日新聞「声」欄より、38歳 居酒屋経営 女性による「4人目出産 私は偉くなんかない」と題する投稿を、以下に引用しよう。

 先月、4人目を出産した。 ぎりぎりまで働いていると、お客様からよく「4人はすごいね」「表彰もんだね」と声を掛けられた。 そうやって応援して頂けるのはありがたいが、少し違和感があった。
 私は環境に恵まれていて、産みたいから産んでいるだけだ。 世の少子化問題に一石を投じようと思っている訳ではない。 世の中には仕事に生き甲斐を見出す人もいれば、一人の子どもをじっくり育てることに生き甲斐を見出す人もいるだろう。 みんな自分が選んだ道でいきいき生きることが一番素晴らしいと思っている。
 少子化が問題だ、と言われ続けると、子どもを産むことが偉いという価値観になる気がするが、それは違う。  産むか否かはその人の価値には何ら関係がないはずだ。 だから、私が子どもを4人産んだからといって特別ほめれられることでもない。
 経済的、身体的に生みづらくて悩む方への支援という意味での少子化対策は必要だろう。 だが、それぞれが選択を尊重された末の少子化なら、何の問題もあるだろうか。 心から「それなら、社会の方を合わせて行こうよ!」と言いたい。

 (以上、朝日新聞「声欄」投書より全文を引用したもの。)



 原左都子の感想を述べよう。

 居酒屋経営の4人目出産直後のKIさん。

 貴女の投稿内容が素晴らしくて、何だか貴女が経営されている居酒屋まで今すぐ駆けつけて、討論というよりも「子どもを産むことの価値観」をテーマにして一杯やりたくなりましたよ!!

 それにしても、KIさんは凄まじいまでのパワーの持ち主でいらっしゃいますね!!
 4人目ご出産直後と思しい状況下で、このような新聞投稿を簡単にされるそのパワフルさに拍手です!


 
 それに引き換え、この私…

 38歳時の初産が“超難産”だったことを、今更ながら思い起す…

 いえいえそれまでは(医学者としての)自己診断ではごく普通の妊婦で、出産直前まで買い物等々に一人で遠方まで歩いて出かける程の行動的な妊婦だったのに。
 出産直前期に、突如として我が身に襲い掛かった「破水」。
 その後は主治医の判断で大病院への救急搬送の上、 緊急帝王切開手術と相成った。

 一人娘が「仮死状態」でこの世に生まれ出ねばならない最悪の環境下での誕生だった…

 (その後の記述は、既にバックナンバーにても公開済みのため反復は避けます。)


 そんな我が一人娘も その後は立派に大学卒業して就職し、今現在は自身の選択で都内某所に一人暮らしを営みつつ自分の専門を活かし働いている。
 とにかく真面目で働き者の娘として成長してくれていることこそが、最大の親孝行だと私は嬉しく思っている。


 38歳にて4人目を出産された居酒屋経営の女性の方に、心より申し上げたい。

 そのお立場にして、「それぞれが選択を尊重された末の少子化なら、何の問題があるだろうか。」とのお言葉を。

 この私も心強く受け止めさせていただきつつ。

 38歳(今から30年程前の当時は、まさに稀なる高齢初産でした!)にて緊急帝王切開の末に超難儀してこの世に 仮死産にてやっとこさ産んだ我が最愛の一人娘の未来を。
 今後も末永く見守っていきたいものです!!
 

再掲載 「(2020.03)公開エッセイ、私としては何年かぶりの“会心作”だったつもりが…」

2024年08月08日 | 自己実現
 本日のエッセイも、2020.03公開のバックナンバーより再掲載させていただく。


 今一度、(2020.03.08)公開エッセイの核心部分を以下に振り替えらせていただこう。

 朝日新聞2020.03.03付「争論・ネットが社会を分断」と題する記事から私論を導くこととしよう。

 朝日新聞記事より、前書き部分を引用すると。

 インターネットは多様な意見が交わされ、相互理解を深める「公共圏」になると期待されていた。 だが今は、社会を分断する原因になっているとの批判が強まっている。 ネットの言論について実証研究を重ねる2名の大学教授に話を聞いた。
  ・ 分断の原因はネットか?
  ・ 分断の中心は?
  ・ ネットは社会の「鏡」か?

 (以上、記事の前書き部分を引用したもの。)

 一旦私論だが、一体ネット上の如何なる媒体を捉えて、朝日新聞は上記提案を成しているのだろう?

 私が日頃ネット上で馴染んでいるのは、当該「ブログ」との媒体と、SNSのひとつ「Facebook」のみだ。  そのうち、現在Facebookは単にブログ記事を転載しているに過ぎず、友達付き合いやその発展系の議論は一切成していない状態だ。

 そんなネット環境下での我が印象とは。
 「ネットが社会を分断」????  そんな大それた力(ちから)が現在のネットにあるとは到底思えない。
 一昔前、私がブログを開設した頃のネットは、大いに風紀が乱れていた。
 記事をアップすると同時に押し寄せるエロコメントやトラックバックの数々…。 ネット画面を開けば、エロ写真やエロ情報が氾濫し。
 少し偏りがあるエッセイを公開すると、怒濤のごとく押し寄せる誹謗中傷ご意見。

 そんな中、真面目に議論するコメントも沢山頂いた我がブログだった。
 その頃こそが、我が「原左都子エッセ集」“華の時代”だったものと懐かしく振り返るが…。

 その後ブログ世界は、一見“道徳心旺盛”に進化(後退?)を遂げたと私は分析する。
 確かに、一見“平和かつ無難”に生まれ変わった印象はある。

 ただ、そこには既に「議論」の余地など皆無だ。
 皆さんブログ内容を綺麗にまとめ、それに対する反応もすべてが挨拶程度のさりげない内容に始終するに至っている。
 それに従わないと、すぐさまバッシング行動に出るブログもある様子だ。 ほんの少しでも反論意見を記入しようものならば、門前払いあるいは無視に徹する行動に出るブログに接した経験がある。 (もちろん、こちらとてそんなブロガーは願い下げなのだが。)
 それほどまでに自己の安泰を守ろうとするブログとの媒体に、まさかまさか、「社会を分断する力」が宿る訳もなかろう。
 
 この朝日新聞記事に対し私と同類のご意見を述べられている大学教授氏のご見解の一部を紹介しよう。

 いまのネット空間は、確かに分断しているように「見えます」。 それは、少数派が積極的にネットで意見を発信する一方で、中庸派はネットの議論にはほとんど参加しない「サイレントマジョリティー」になっているからです。 (中略)
 その要因として、ネットには新聞や雑誌、テレビに比べ、人々を穏健化させる働きがあると考えられます。 
 (以下略すが、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)

 原左都子の私論だが。
 まさに上記大学教授氏がおっしゃる通りの記述を、私もブログ上の人間関係に於いて経験する機会が現在多い。
 実に“サイレントマジョリティー派”で満たされている現在のブログ世界であるとも言えよう。

 (以上、昨日⦅2020.03》公開エッセイ「ネットが社会を分断?? ネットにそんな大それた力は無い。」より一部を引用したもの。)

 ここからは言い訳になるが、私としては昨日当該バックナンバーを公開した時点から、その反応の“乏しさ”を予想していたとも振り返る。
 確かに時代は、めくるめく移り変わっているのだろう。
 ブログを公開することにより大勢のブロガーが、ご自身の“穏健生活”を目指そうと、誰からもそれを責められる訳もなかろう。
 ここは、“オピニオンエッセイブログ”を13年にも及ぶ年月に渡り公開し続けている原左都子こそが、今後進むべき道程を修正するべきか??
 (そんなことあるわけもなく…。)

 我が若き頃より培って来た信念をこの先変更出来るはずもなし!! との原点に立ち戻り。
 今までのスタンスで我がエッセイブログを公開し続ける事こそが、我が進むべき道! との結論に至るのは必然だ。

 (以上、「原左都子エッセイ集」2020公開バックナンバーの核心部分を再掲載したもの。)




 2024.08現在に話を戻そう。

 今現在、私の後ろのテレビ画面が、2024パリ五輪の「女子やり投げ」競技にて日本の北口榛花選手が決勝に残った映像を写し出している。

 これを見ながらの執筆だと集中力が途切れるため、一旦テレビを消してエッセイ執筆に戻ろう。

 上記再掲載文の最初の記述、「今やインターネットが社会を分断する原因になっている」との指摘に対して。
 私論として、一体ネット上の如何なる媒体を捉えて、朝日新聞は上記提案を成しているのだろう?  との回答として、原左都子は以下のように述べている。
 そんなネット環境下での我が印象とは。
 「ネットが社会を分断」????  そんな大それた力(ちから)が現在のネットにあるとは到底思えない。
 一昔前、私がブログを開設した頃のネットは、大いに風紀が乱れていた。
 記事をアップすると同時に押し寄せるエロコメントやトラックバックの数々…。 ネット画面を開けば、エロ写真やエロ情報が氾濫し。
 少し偏りがあるエッセイを公開すると、怒濤のごとく押し寄せる誹謗中傷ご意見。
 (後は略すが、上記我が記述をお読み下されば幸いです。)


 
 今春(2024.05) に出席した同窓会会場にて、私は当該「原左都子エッセイ集」の名刺(かなり前に自身で作成したもの)を参加者全員(8名程の少人数だったが)に配布した。
 その我が行動の反応が何ら無い現状だ。

 時を遡って、当該「原左都子エッセイ集」公開初期頃(2008年頃だっただろうか?)にも同窓会会場にて「別の名刺」を参加者全員に配布した。 
 その際には、少なかったものの反応があった。 
 とにかく「原左都子エッセイ集」公開初期頃であり、未だエッセイ本数が少なかったにもかかわらず、わざわざお読み下さった同窓生のお一人から貴重なプラスの御意見を頂戴したものだ。

 あれから17年程の年月が流れ、我が「原左都子エッセイ集」エッセイ本数が(自分でも分からない程の)膨大な数になっている今。
 上述の如く、反応が無いのが当然の時代へと変遷しているようだ。


 いえいえ、考えようによれば。
 ブログを取り巻く環境の「自由度」が上がっているとも解釈できよう!

 読む人がいようがいまいが。
 とにかく、原左都子自身の体内から「本日も自己オピニオンエッセイを書くぞ!!!」なるエネルギーが燃焼・放出し続ける限り。

 今後も私は末永く、パソコンに向かって日々エッセイ執筆に励む所存です!


左都子も昔は「左利き」 ー vol.2 ー

2024年08月06日 | 自己実現
 (冒頭写真は、2024.08.03付朝日新聞「書評」ページ   ピエール・ミシェル・ベラトラン著 「左利きの歴史 ヨーロッパ世界における迫害と賞賛」に対する美術評論家・多摩美術大学教授 椹木野衣氏による書評・「長く続いた偏見 その源泉と今」より転載したもの。)



 久々に、朝日新聞「書評」ページよりエッセイ題材を得よう。

 早速、椹木野衣氏による書評を、以下に要約引用しよう。

 わたしは左利きではないが、昔から憧れがあった。 ロックギタリスト・ジミ・ヘンドリックスは左利きだったが、右利き用のギターをそのまま抱えて、誰にも真似のできない演奏をした。 美術の世界に目を向ければ、レオナルドダヴィンチをはじめ、著名な巨匠たちが左利きで、ルネサンスに戻れば、あの「天才」ミケランジェロも矯正された左利きだったらしい。
 ところが、西洋社会で左手は長く嫌悪の対象とされてきた。 「あらゆる名誉、あらゆる特権、あらゆる高尚さは右手に属し、あらゆる卑俗な任務、あらゆる下劣さは左手に属する」というのだ。 古代ギリシャの美の規範「ミロのヴィーナス」さえ、右利き故に美しいと唱えられた歴史がある。
 著者は、その源泉と悪を峻別するキリスト教世界特有の二元論に見る。(中略)
 幼い頃、利き手の強制に理不尽を感じた人は少なくないはずだ。 それもまた「迫害」の歴史の一端ではなかったか。 けれども著者は、このような左利きへの偏見が、ついぞ宗教裁判やナチズムのような宗教的・民族的・政治的帰属をめぐる大規模な迫害にまで発展しなかったことに着目する。
 さらに左利きは「障害」でもない。 むしろ「美意識」の問題なのだ。 だからこそ右利きの優遇は、ユニバーサルデザインが唱えられるいまの社会でも根深く残っている。
 
 (以上、朝日新聞「書評」ページより一部を要約引用したもの。)



 原左都子の私事に入ろう。

 本エッセ集バックナンバーにて幾度か述べているが、私め原左都子は生まれ持って「左利き」だったようだ。
 後々母親が、「〇子(私のこと)は、放っておいたらすべての事を左手でしていた」と私に何度か告げたことがある。

 ならば、どうにか対策を打てばよかったようなものだが。 とにかく、我が両親は子どもの教育には100%、一切合切何らの関心も無かった部類の人種だ。😭 

 私の左利きを最初に指摘したのは、幼稚園教諭だったと振り返る。
 そうだとして 当時はその課題に対して個人指導を施すでもなく、単に「あなたは左利きで困った子ねえ…」と蔑むだけだった記憶がある…😷 

 我が記憶において、特に困惑したのは「ハサミ使い」だ。 あれはそもそも右利き用に作られていて(私の子ども時代の話です。現在では「左利き用はさみ」が必ずや販売されています!)左利き人間にとって、ものが切れる代物では無かった…  そんなこと幼稚園教諭をはじめ誰も知らないし、気が付くことも無い時代で、この私は幼稚園ではとにかく「不器用な子」とレッテルを貼られていたことであろう。

 余談だが、その事実を覆す事件が幼稚園時代に起こった! 
 ある日の事、我が4歳時に幼稚園内で「知能試験」が実施されたのだが。 おそらく左手で解答したであろう我が「知能試験結果」が“ IQ168”。 当時の幼稚園の歴代最高記録を打ち立てたのだ!! これでやっと、私は自分自身の能力に於ける名誉挽回が叶ったのではなかろうか!?!

 その後の私の記憶としては。
 上記引用文中にもある通り、当時は「左利きは必ずや右利きに治すべき!!」なる鉄則が蔓延っている時代背景であり。 この私も小学校入学までに幼稚園内で、その特訓をされたのだろう。
 何分、学習能力の優れている???!?私故に、その矯正が辛かった記憶は無いのだが。  とにかく、小学校入学までには「右手」を使用する機会を増やすことが叶ったとのいきさつだった。

 (ところが面白い事には、初めて体験することに関してはやはり必ず「左手」で実行したものだ。 例えば 小3の時に「かぎ針編み」を経験したが、自然と左手で編んだものだ。)

 その後を語ると。
 現在に至っては左手が決して利き手ではなく、握力等も右手の方が勝っている。

  結果としては、「両手共々不器用な人生」を歩まされてしまっている感覚が今尚過るのだが… 😭 
 

 もしも、我が両親に彼らなりの子育てに関する確固とした教育方針があったならば…

 この私は、元々の利き手である左手を活かすことはもちろんのこと。
 右手共々有効活用しつつ、もっとずっと自分が活躍できる世界を広げることが叶ったような気もする。


 今更ながら、何らの教育方針も能力も無かった両親を恨んでも仕方が無いが。

 今の時代は、「左利き」等々の類まれな個々人が持って生まれた能力を活かす方向に世の中が転換出来ている事実に、安堵する。
 

元五輪競泳メダリスト・松田丈志氏による「パリ五輪・競泳メダル1個」批判

2024年08月05日 | 自己実現
 冒頭から、早速表題に関する松田丈志氏による「パリ五輪・競泳メダル1個」批判に関するネット上の情報を、以下に引用しよう。


   日本競泳陣のメダルは松下選手の銀メダル(男子400個メ)1個という結果に終わった。 1996年アトランタ五輪はメダルゼロだったが、その時以来の少ない数字となった。
 私(松田氏)としては「ゼロもあり得る」と思っていただけに、1個という結果にも驚きは無く、これが今の実力だと思っている。  原因を何かひとつに絞るのは難しい。 若手の育成、選手たちの経験。 チームとしての結束力もより強める必要があると感じた。 結果だけを客観的に見れば、落ちるところまで落ちたというイメージだが、ここからははい上がるだけだ。 
  男子に限っていえば世界の勢力図が変わりつつある。 米国、オーストラリアの2大大国が個人種目でそれぞれ金メダル1個に終わり、代わって欧州勢の活躍が目立った。 なぜ強くなったのか― 多くの国が密集する地域で、選手たちは日常的に国の誇りを背負い他国の選手たちと競い合う環境ができ上がっている。 東京五輪前、コロナ禍で世界中のスポーツがストップする中でも、各国が協力して欧州選手権開催を実現させるほど、国の誇りをぶつけ合うレースを重要視している。 
 4年後のロス五輪でのメダル獲得を見据えれば、選手たちには日の丸を背負ったレース経験を増やすことだろう。 国際大会への出場、海外でのトレーニングは必ずプラスになる。 積極的に海外に飛び出し、国を背負うというものが何かを感じながら、復活へ励んでほしい。 国のために頑張ってくれとは思わないが、国際舞台で国を背負って戦う事ほど楽しい事はないと思っている。(北京、ロンドン、リオ五輪3大会連続メダリスト)



 原左都子の私見に入ろう。

 確かに、北島康介選手がアテネ五輪や北京五輪時に競泳にて活躍していた時代の日本競泳選手団のメダルの採り様は、凄まじいものがあった!!

 その後時代が流れ。
 池江璃花子選手のリオ五輪??の際の、活躍ぶりも我が印象に残っている。
 未だ10代の若さにして、恵まれた体型と共に研ぎ澄まされた水泳能力が凄まじいものがあり、一人で幾つものメダルをゲットしたと記憶している。(記憶に誤りがありましたらお詫びします。)
 ところが、東京五輪時には「白血病」を患われ…
 それにもかかわらず、「白血病」を克服されつつの、今回の「パリ五輪」出場だった。
 メダルには縁が無かったものの、池江氏なりの五輪の達成感は得られたのではなかろうか??

 
 競泳に限らず、(体型的に恵まれているとは言えない)日本選手が特別得意としているスポーツ種目とは元々限られるのではあるまいか??


 今回、日本男子団体が金メダルを取った「フェンシング」など、私に言わせてもらうに、我が国日本に何らかの似た競技があるような 無いような感覚だ。

 そこに目を付けた、「フェンシング競技で“金メダルを狙おう”」との発案者の目の付け所こそが素晴らしいのではなかろうか???


 
 原左都子本人は、世間が「日本がメダルを取った!!」と大騒ぎする程には、特段日本のメダル数には昔からさほどの興味がない人間だ。
 (自身の特定の何処かへの所属意識に欠ける人種と表現するべきか???)

 それ故に、国家間の争いであるオリンピックとの存在自体にも、さほどの思い入れが無い人種である。

 
 今後は、どうだろうか。
 国家間の争いの如くの五輪をプラスに受け入れ喜び応援する人種が世界に蔓延っている以上、五輪を国家間の争いに位置付けるべきだろうが。

 そうではない人間にとっては、五輪放送の在り方を大幅に変更するとの方策も一案であるかも?!?

 えっ。そうなると、誰も五輪に興味が無くなるよ。って?????