原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

私が115歳まで生きられたら…

2018年09月18日 | 自己実現
 私が115歳まで生きられたなら、後52年も人生をエンジョイ出来るじゃないか!?!

 ただ、みんな死んでるだろうなあ。

 例えば、当該「原左都子エッセイ集」読者皆様のほとんどが私より人生先輩の方々だ。 皆さんこの世からいなくなっているのかもしれないが、それでも私は日々エッセイ集を綴り公開しているだろうか?
 (そもそも存在自体に信憑性無きブログなるネット媒体が、この世に未だ生き残っている訳もない事だろうし…)

 介護の手が掛かった義母や実母は当の昔にこの世を去り、亭主が亡くなってからも30年程が経過しているのかな?
 一人娘が70代後半期。 まだ生きているだろうが、サリバンの私が未だ娘に手を焼いているとすればこんな幸運は無い。


 我が寿命が115歳まであったとして、希望としては静かに暮らしていたい。
 たとえメディアからの高齢者インタビューがあろうが、それを断れる理性を温存しておきたい。

 集団生活を一貫して拒否したい私は施設入居の意思は今現在からまったく無いが、役所が独りで放っておいてはくれず、少なくともデイケア等の世話になっているのだろうか? あるいは訪問ヘルパー氏が定期的に自宅へ介護に訪れる事になるのか?
 それとも自力財力があれば、在宅医と在宅看護師のお世話になっているとすれば、これ幸いだ。

 歩いてもいたい。
 遠出する程の体力は無いとしても、115歳にして最低限歩ける力は鍛えておきたい。

 食事に関しては、その頃には「宅食システム」が目覚ましい発展を遂げていることだろう。 それを利用しつつ、食生活を楽しみたい。
 大好物の「酒」も欠かせないなあ。

 贅沢を言うならば、「お洒落」の趣味も続行したい。
 そのためには、決して我が実母のごとく一生に於いて“腰を曲げて”はならない。 現在続行中のランニング練習とジム通いは無理としても、歩ける足で日々少々の散歩も楽しみたい。 日々体組織計に一日何度も乗る習慣もずっと続行し、年齢にかかわりなく我が理想体型を保っていよう。


 と、ここまで115歳まで生き抜く我が夢物語を語らせて頂いたが。

 そのように記してくると、まんざら「夢物語」ではないかもしれないなる将来像が描ける気もする。

 極論かもしれないが、概して「早死」する人種とは、そもそもご自身の老後の生き方を描くなどとの「主体性」が先天的に欠落しているとの共通項があるのではなかろうか。
 実例を挙げると、我が義母にせよ実母にせよ現在80代後半にして未だ生存している故に決して「早死」をしている訳ではない。
 ただ両人を介護していて気付くのは、何らの自らの「主体性」が無い事実だ。 
 我が実母など定年まで職場で働いたにもかかわらず、定年退職後に遠くに住む私に告げたのが「老後はよろしく頼む」だった…   未だ60歳の若さでのこの発言、当時から私は違和感を抱いていた。
 そして義母。 こちらも、嫁である私に会う都度、「〇子さん、私の老後をよろしくね。」だった。
 一昨日公開したエッセイ内で述べたが、義母は事ある毎に私相手に「不眠症で辛いの」から始まり、「足が痛い」「鬱症状があるようだ」「主人(義父のことだが)がボケて困っているの」等々の電話の連続だった。

 実母・義母両人の共通点とは、おそらく「年老いては子に従え」だったのであろう。

 ただ私に言わせて貰うならば、その格言を実行する人種とはそもそも「主体性」無く生きて来てしまったことを証明しているようなものではなかろうか?

 
 昨日は敬老の日だった。

 テレビ等メディア映像で私が視聴したのが、現在日本で最高齢との115歳の田中カ子氏の報道だ。
 1903年〈明治36年〉1月2日 生まれ、現在115福岡県福岡市東区の女性である。

 この女性の映像をテレビで見て、私は感動した。
 田中氏は一人でシルバーカーを押しつつ誰の補助も受けずに映像に登場した。
 その後も一人で質疑に対応出来る聴力も判断力もお持ちの様子だ。
 少し頭のふらつきはあるものの、115歳にして明瞭脳内機能を維持されている事実に感銘を受けた。

 現在は施設入居中との事実は、私よりもずっと「協調性」も温存されているとの事実であろう。

 この田中カ子氏を一生に渡り見習えないにせよ、私の老後も田中氏に準じたいとつくづく思えた昨日「敬老の日」メディア映像だった。 

絵むすび (朝日新聞2018.09.15編)

2018年09月15日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞2018.09.15 パズル「絵むすび」に原左都子が解答したもの。)




 後程、解説を追記します。


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 それでは、解答解説を追記させていただきます。


 私事ですが、私ども8月終盤に娘を引き連れて米国西海岸方面へ個人旅行に出かけて来ました。
 (もしよろしければ左欄フォトチャンネルなどをクリックされて、その写真をご一見いただけましたならば幸甚です。)

 各方面で苦労の多い旅程だったのですが…。
 後で思えば難儀した旅程思い出深いものでもありまして、帰国後2週間以上が経過した今尚 “旅ロス” に苛まれている次第です。


 そんな折、本日の朝日新聞パズル課題が「絵むすび」。

 これに取り組む気力があるのやら…  と不安感を抱えつつの解答でした。

 ところが、さすがに長年培ってきた技能(と表現するべきか??)とは“冴え”を失っていない?事実が自分ながら感動ものでした。

 “難易度4”の「四角四面」を一見して、ある程度の方向性が見出せました。
 それでは、解答解説を以下に記載します。


 まず注目するべきは、「四角四面」外側の中途半端な位置にある「ラケット」と「カクテル」だろう。

 そのうち「ラケット」を上回りにグルっと回してみた。 これが大正解!との予感の後。 
 次なるターゲットは、やはり外側の中途半端な位置の「カクテル」だ。 これを「ラケット」をよけながら結んだ時点で、今回の我が「絵むすび」パズルは成功だ!

 「ロッキングチェア」を「栗」を避けて結んだ後の解説は、おそらく私同様に「絵むすび」解答技能を向上されているファンの皆様にも不要である事だろう。


 今回の「絵結び」解答は昼飯時の食卓で実施したのだが。
 それを横で見ていた我が亭主が尋ねるには、「この朝日新聞のパズルって、子どもに人気なのかなあ?」 そう問われても私自身、実態を把握出来ていないのだが…

 ただ我が推測によれば、おそらく今時の子供達とはスマホ等でのネットゲームに夢中の事であろう。 親がよほどの朝日新聞ファンでもない限り、こんな新聞パズルなどに接することすら無いのではなかろうか?

 そう推測した私が「おそらくこの解答解説をいつもネット上で見て下さる方々とは、貴方(我が亭主の事だが)と同類の定年退職後のご年配層の皆様だと察しているよ。」と応えておいた。

 
 もしそうでは無い方々にもご覧頂けているとすれば私どもと致しましては実に嬉しい事実ですし、日頃の「絵むすび」閲覧に改めて感謝申し上げます。 

“看板”に守られ続ける生き方に明るい未来はあるか?

2018年09月13日 | 自己実現
 米国西海岸旅行を挟んで、ここ1ヶ月間程まともなエッセイを公開していない気がする。


 大幅に文章力が低下し、本日は久しぶりに「エッセイ」と言える代物が書けるか否か不安感もあるがとにかくチャレンジしてみよう。

 ところで帰国後、私は腰痛を主たる要因とした体調不良と怪我に苛まれている。

 このうち怪我の方だが、 先週左足の小指を骨折した。
 原因は何てことはない。 涼しい日が続く東京だが、比較的暑い夜にリビングの扇風機を付けた。 この扇風機とぶら下がり健康器具の間を通ろうとして、左足先を力いっぱい健康器具にぶつけたのだ。
 まさに自己責任。 家族の誰にも言えず、一人で耐えつつ回復を待っている。 いや、足の指骨折は我が人生に於いて、おそらく数回経験している。 自分で患部を固定し、1ヶ月痛いのを耐えて大きめの靴を履けば何とかなるものだ。 そりゃ、痛いよ。 ただ、腰痛と比べるとたかが足の小指一本の痛さなど大したことはない。 

 それから昨日のことだが、昼飯準備中に包丁で右手中指を切った。 布巾を取ろうとしてその下にあった包丁に気付かず、思い切り刃を握ってしまったのだ。
 かなり深い傷のようで、血がタラタラ流れ出た。  これも自分でバンドエイド5枚でテーピングして止血し、普通に暮らしている。
 今現在が一番大変!  何故ならば、キーボードブラインドタッチが不自由だからだ。
 こんちくしょう! このテーピング中指、どうにかならないものか!? とイラ付きながらの執筆だ。 (今、テーピングをもぎ取って、バンドエイド1枚にした。)


 さて、本題に入ろう。

 表題に関してだが、この文言は現在NHKにて放映中の連ドラ「半分、青い」の主人公すずめのドラマ内の発言より引用したものである。

 このドラマ、一体どうしたんだ!?と呆れる程に“駄作”感がある。 特に豊川悦治氏演ずる漫画家あきかぜはおりが出演しなくなってから、私的には見るに忍びなくなった。

 いつものごとく、大した努力もせずして主人公が成功を収める、とのありきたりの昼ドラストーリーにもウンザリさせられ続けて来たが…。
 今回のこのドラマどうしたんだ!?? と繰り返したい程に主人公の生きざまの描き方に一貫性が無い。 すずめは何をしても失敗ばかり。 ついでに、いつまでも律との関係にこだわり続けるそのシナリオ、どうにかならないものか!?と腹立たしくすらなる。

 そんな中、主人公すずめが律に対して指摘したのが、表題の通り「律は“看板”に守られた生き方しか出来ない人間だ!」の捨て台詞だった。
 確かに、律の生き様とはすずめが言う通り「看板に守られて」来ている。 西北大学(早稲田の事だろうが)の卒業。
 (ここで一旦私論だが、早稲田に“看板として我が身を一生守ってくれる”ほどのブランド力があるのかどうか、私は判断不能の立場だが。  参考だが、我が亭主がまさにその早稲田で早稲田高等学院から大学院博士課程、その後ポスドク期までお世話になったようだ。 その後ずっと年月が経過して後、亭主は私の世話になる人生だ……
 ドラマの律はその後京大大学院へ進学し、一流企業(これもすずめ曰く“看板”らしいが)にてロボット開発に携わったとのドラマ展開だ。

 この“決めゼリフ”を幼馴染のすずめから言われてしまった律は、当然ながら怒り心頭だ!
 ただ、結果としてはロボット研究現場から遠ざかり、今となっては管理職としてつまらない仕事をまかされている律は退職を決意してフリーの身となるとの、現在のドラマストーリーだ。


 ここで私事に入ったとて、大したことはないのだが…

 私の場合そもそも過疎県の出身であるし、“看板”と言える程の価値あるものを背負った試しも無い。  (ただ我が高校の出身者など、卒業後数十年が経過した今だに、その“ブランド力”を誇っている人々が多いのに驚かされる。)
 二度経験している大学及び大学院とて、特段“看板”にする程の誉れもなく。 職業経験に於いても、同様だし…。 
 と言う訳で、私の場合はどう転んでも“看板を背負って生きて来ていない人種”に分類してもらえるであろう。


 それをラッキーとして発言させてもらえるならば。

 自分の“看板”とは自分自身が作り上げてこそ真の価値が伴うものではなかろうか?

 その意味でドラマの律の場合も、幼馴染のすずめに「貴方は看板に守られてしか生きられない人種だ!」とけちょんけちょんに暴言吐かれたとて、何も仕事を退職する必然性は無かったはずだ! 
 えっ、何だって。
 すずめと共に、二人で新たな起業をしたかったのだって?
 
 このドラマ、後2週間少しで終焉を迎えるのだが、まさかその二人の起業が成功を遂げるなどとのヘボい結末を用意していないよねえ!??
 そうだとしたら、まさにウンザリだよ。

 
 私の希望としては、すずめと律は是非とも別々の人生を歩むとのシナリオでドラマを終焉して欲しいものだ。
 それぞれの鞘に戻り、二人が実直に生きる姿を、私は見たい。

私も絶対的に 「鉛筆」 派!!

2018年08月08日 | 自己実現
 (写真は、今現在私が現役で使用している鉛筆 及び新品で保管している鉛筆・色鉛筆の数々。)


 毎週水曜日の午後は、音楽スタジオでフルートを吹くスケジュールとなっているのだが…
 あいにく台風13号が関東上陸を狙い撃ちしているとの情報だったため、昨夜スタジオ予約を見送った。
 ところがこの台風13号、時速15kmとノロノロぶり。 未だ上陸せず、雨も降ったりやんだり…
 これならば本日午後スタジオへ行けたのに! と悔しいところだ。
 
 まあ、しょうがない。
 気を取り直して、お気軽に綴れるエッセイでも記してお茶を濁す事としよう。


 ずっと前のNHKBSテレビ番組「美の壺」のテーマが“鉛筆”だったのだが、それを視聴した時からこのエッセイテーマを温存していた。

 
 表題には「私も絶対的に鉛筆派!」と銘打ったが。

 より正確に言えば、普段の筆記は絶対的に「パソコンキーボード派」だ。
 20代後半頃より仕事上、業務用ワープロ(富士通oasisの立派な業務用ワープロだったが)に馴染み、それ以降しばらくワープロ派だった。

 28歳時に英文タイピング技能検定2級を取得した。
 これに関しては、本エッセイ集バックナンバーにても複数回既述しているが。 
 当時医学関係の仕事に携わっていた私だが、時代の波に先駆けて業務のシステム化が施され、そのワークシート出力のプログラミング担当を私が率先して申し出た。
 FORTRANはキーボード入力字数が少なめのため、さほどの苦痛はないのだが。 これがCOBOLとなると、物凄い字数のプログラムを入力せねばならない。 これにほとほと嫌気がさした私は、すぐさま英文タイプにてブラインドタッチをマスターする事を目指したのだ。 そしてしばらくして英文タイプ2級を取得したとのいきさつだ。

 この技能は、後々までも私に恩恵を与え続けてくれている。
 高校教諭時代、商業科の授業の中に「ワープロ」があった(当時は未だワープロ時代だったのだが)。 我が専攻は経営法学であり「商業法規」や「商業経済」が主たる受持ち科目だったが、英文タイプ2級を取得している関係で「ワープロ」の授業も「私にやらせて下さい!」と自主的に申し出た。
 これがワープロ初心者の生徒に受けること、この上ない!  教員である私がブラインドタッチでキーボードを高速打ちするパフォーマンスを披露すると、皆がまるで“曲芸”でも見たかのように「私(ボク)も早くそうなりたい!!」と授業への意欲を示してくれるのだ!
 その後すぐに「パソコン時代」へと移ろいだ。 おそらくワープロ検定に合格した生徒達もそのブライドタッチ技能を活かし、社会で活躍していることだろう。


 この我が“キーボード高速打ち能力”が、その後私自身の直筆力に暗いシワ寄せを招いてもいる。
 20代後半期より既に30数年の年月、キーボードにて筆記を依存してしまっている私の手が、「直筆」に馴染まなくなってしまっているようなのだ。

 どうやらキーボード高速打ち速度に対応して、直筆の場合も我が手が高速に動こうとする感覚があるのだ。
 これを誰に相談しても、“そんなの気のせいだ”等々の不毛な回答しか返って来ない。
 もう嫌気がさして、誰にも相談などするもんか! との域に達しているのだが……


 そんな「直筆」苦手の我が一番の応援者が、鉛筆だ!

 鉛筆こそは、私を裏切らない。
 我が高速直筆に対応してくれるキャパが鉛筆にこそあることに感激の日々だ。 
 要するに高速直筆をしようとしても、それ程に書面上をスムーズに移動しないのが鉛筆の特徴ではなかろうか?  特にB以上の柔らかい材質の鉛筆がそれを、私に日々叶えてくれている。
 片やボールペンなど悲惨だ。 紙面を滑り過ぎて、ミミズが這った字しか書けない…… 

 元々“左利き”との事情もあるだろうか?? 一旦右手が「直筆」から遠ざかった後のブランクが30数年と長いため、今更ながら右手での直筆が苦手なのかもしれない… 
 あるいは4年前に右手首を骨折した後遺症かもしれない、と少し考えたりもする。?? 
 それ程に我が右手での「直筆」は悲惨であり、深刻でもある。


 最後に、冒頭写真の鉛筆群の説明をしよう。

 下中央が現在私が使用中の鉛筆群。
 パソコンキーボード筆記中心の私にして、何故これ程の量の鉛筆が必要かを解説するならば。
 おそらく、原左都子は皆様の想像を超越して世の事象を筆記(メモ)する習性があるものと結論付けられよう。 これらの鉛筆(色鉛筆も含め)とメモ用紙を家中の至る場所に配置し、いつ何時も筆記(メモ)体制に入れるように常備している。

 写真下両横は、色鉛筆。 
 これに関しては、娘が一時美術方面を目指していた時期に娘に買い与えたもの。

 写真上段は、新品の鉛筆群だが。
 一時フランチャイズ学習教室を開業した事実を、過去のエッセイにて公開している。 その時に我が教室に訪れるであろう生徒用に購入した備品の一部だが。 当時50本購入して、既に私一人で半分以上消費している。

 上段右は、過去に娘に買い与えて残った鉛筆を保存したものに過ぎない。 
 小中学生とは、何故かシャープペンシルが好きだねえ。
 あんな書きにくいものが筆記具として存在している事こそが、摩訶不思議な私だが…… 


 と言う訳で原左都子自身は、絶対的に「パソコンキーボード派」を一生賭けて貫きたい…。
 
 今尚重要案件で相手がボールペンを私に手渡し、これでここにサインして下さい、と言われると!
 実際ミミズしか書けない身にして、本気で困惑するのが実情なのだが……  

Let's speak English!

2018年08月07日 | 自己実現
Hello! How are you? I'm fine,thank you.

I have a plan to travel to West Corst of the U.S.A. on late August with my daughter.
And I have to blush up ability of my English conversation.

English was my strong field of subjects on every schools, at junior and senior high school and Universities.
Especially, fields of reading and writing in English, I got excellent points on schools and Universities.

My ages of English education in Japan, they didn't extend listening and speaking on school. So I was originally poor in English listening and speaking.
Afterwards of school age, I tried to blush up my English listening and speaking ability by traveling or studying abroad.


But time went by.
I'm old enough to study English conversation now.

And I bought an English conversation book for beginners!

This book is very easy to me.
I practice English conversation by this book and try to blush up my English conversation's ability.


Today, by this book I introduce pages of "On the Plane".


"Where"s my seat?" "It's down this aisle to your right."

"Can I move there?" "Yes, you can."

"Excuse me. Let me out,please." "Sure."

"Can I recline my seat?" "Please wait a moment."

"Any Japanese papers?" "Yes, we have these"

"Arrive on time?" " It's a little ahead of schedule."

   and so on ……




 Thank you so much for your reading today's my easy English essay.


I'm sure to continue blushing up my English conversation's ability till the U.S.A. travel!

絵むすび  (朝日新聞2018.07.07編)

2018年07月07日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞2018.07.07付 パズル “絵むすび” に原左都子が解答したもの。)


 朝日新聞“絵むすび”ファンの皆様、お待たせ致しました!


 とりあえず、解答のみを公開させていただきます。


 午後のルーチンワークが終了し次第、以下に解説を記載させていただく予定でおりますので、今しばらくお待ち下さいますように。 


  
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 「絵むすび」解説に入る前に。

 遅くなりましたが、大雨特別警報発令地方の皆様、豪雨お見舞い申し上げます。

 くれぐれも身の安全を第一義として、行動されますように。

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 こんなところで「絵むすび」に関して“自画自賛”だが。
 「絵むすび」解答歴10年以上(??)ともなると、既に「絵むすびマイスター」域に達したかとの感覚すらあるのだ。

 本日の「絵むすび」解答など、1分で解答投了した。
 新聞を開き「絵むすび」課題を一覧しただけで、すべての線が我が目には見える思いだった。


 それでは、今回の「絵むすび」解説を以下に記載しよう。

 まず注目するべきは、左上の「ほうずき」だろう。 これは下に線を降ろすしか方策が無いため、とりあえず、まっすぐ下に降ろそう。

 次に目を付けるのは「植木鉢」ではなかろうか?  左上をぐるりと回して結んでしまっても、他のアイテムの邪魔とならないはずだ。

 そうすると、近くにある「ウインナー」も「植木鉢」の周囲をぐるっと結んでしまえそうだ。

 その次に私が注目したのは、「帽子」だ。 これを「ほうずき」の上を回して四角四面のマスの上部を通してしまうと、後残るのは「テニスボール」と「窓」のみだ。

 ここからが下まで降ろした「ほうずき」と両者との駆け引きとなろう。 まず、「窓」を最短距離で結んでみた。
 そして、残ったマス空間を「テニスボール」と「ほうずき」を “道の譲り合い精神” を発揮しつつ通すと、完成だ。



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 私が住んでいる東京では、本日は “梅雨のもどり” のような天候だが、雨が降るでもなく比較的凌ぎやすい気温でもある。

 そんな日和の中パズルになど興じて、「大雨特別警報発令地域」の皆様には誠に申し訳ない思いである事を、最後に今一度付け加えさせて頂こう。
 

パズル 「推理」 ー 朝日新聞 2018.06.23編 ー

2018年06月24日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞2018.06.24 付パズル「推理」に原左都子が解答したもの。)



 朝日新聞 パズル「推理」ファンの皆様、お待たせ致しました。


 今回の「推理」課題は “難易度3”にしては、多少解答に手こずりませんでしたか?

 問題文を単純に読んだだけでは、課題欄に入れられる〇✖が少数に限定され、空欄が多く残ってしまいましたよね?

 この私も問題を何度も読み返しながら、登場人物の更なる相互関係を探ってみました。


 例えば、高松さんの正解数が「佐藤さんより2問多い」との発言や、原田さんの「自分の正解数は社会の問題が得意な人と2問差」などを総合的に交錯させつつ整合性を取る作業を今一度繰り返しました。

 あるいは、小林さんの「僕の正解数は、スポーツの問題が得意な人より多かった」も交えて、最初に全員の解答数を探り当てることに成功しました。


 その後も「得意な問題」欄に於ける 〇✖ の付け間違いのポカミスを発見する始末… 
 この“根性ある”原左都子にして「途中棄権」で解答を断念しようかと弱気になりつつも、気持ちを切り替え、最終的に解答を完成させました。

 それでも、15分程で解答を“投了”できました! 



 最後に、表題とはまったく無関係の余談をこんな場所で披露させて頂いて恐縮だが。

 少し前に現実世界の知り合いの方から、「『原左都子エッセイ集』の執筆にどれ程の時間を要しているか?」なる質問を頂戴した。

 それに応えて、「短い時で約1時間。 長い時は3時間程を要する」旨の返答をした。

 それをお聞き下さった知り合いの方が、「やはり、それ程の“長い時間”を要するのですね」と応えられたのが私にとってはプラスマイナス両面で印象的だった。


 その回答の追加をこの場で記載させて頂くならば。

 本記事のごとく、「絵むすび」や「推理」解答記事の場合、もっと短時間にて公開可能だ。
 もちろん、パズル解答時間も所要時間に含めると多少のバラ付きがある。 それでも、時間的観点から言うならば、この種の記事公開は私にとっては “楽(ラク)”な作業であることには間違いない。

 特に「絵むすび」の場合、難易度が高い程にアクセス数が多大となるのだが、そもそも“オピニオンエッセイ公開”を主軸としている我がエッセイ集に於いて、「こんな手段で楽(ラク)してアクセスを稼いで何らかの意味があるのだろうか??」 なる、自己矛盾感覚に襲われたりもする。


 話題を原点に戻させていただくならば、繰り返すが我がエッセイ集はテンプレート表題冒頭にも掲げている通り 「自己のオピニオン公開」を主軸として公開することをスローガンとして掲げている。
 その基本趣旨に関しては、我が心中に於いて今尚何らの変化も無い。

 ただ2007年のブログ開設後11年近くが経過しようとしている今現在、この我が“ラクしてアクセスを集める事態”に関し、今後如何に対処するべきか迷ったりもするのだ。

 “軟弱化”の一途など何が何でも辿りたくない!! との我がポリシーとの逆行現象に、今後私は如何に立ち向かっていけばよいのか??

 なる、課題を突き付けられている思いを抱かされるのが、この種の「パズル解答」エッセイを綴り公開する一瞬である事実を、少し語らせて頂いたのだが……

「成功者」と「普通の人」との間に境界線はあるか?

2018年06月23日 | 自己実現
 人間、長年生きていると、誰が「成功者」で誰が「普通の人」かなる “線引き” 感覚が希薄になるものではなかろうか? 
 
 “人間道”60何年かを歩んで来ているこの原左都子だが、この分野やあの分野では「成功感」を勝ち取れた!、と実感出来るような成功体験を刻めた自負がある。
 それは私のみならず、ある程度人生経験を積んだ人皆に共通する感覚ではなかろうか?


 さて、本日2018.066.23 付朝日新聞 別刷「be」の“悩みのるつぼ”は、「成功者の不幸を願ってしまう」と題する50代女性からの相談だった。

 早速、以下に要約して引用しよう。
 50代女性だが、うまくいっている人を見ると「彼らが失敗して不幸になったところをみたい」と考えてしまう傾向がある。 幼いころからそうだった。 自分が幸福な時ですら、そういう気持ちが沸き上がってくる。 性根が腐っているのだと思う。 ここ3年程は(周囲に)不幸な出来事が次々と起こり、余計に人の不幸をみたいという気持ちが加速したような気がする。
 たとえば、将棋の藤井聡太七段や、大リーグの大谷翔平選手らの華々しい活躍に触れたりすると、ただただ気分が悪くなる。 彼らだって努力して苦しいことだってあっただろう、それは頭では理解できている。 しかし、理屈ではなく本能的に「落ちぶれてしまえばいいのに!」との気持ちを抑えることができない。
 こんなふうに思っていたら自分だって不幸になるだろうし、得することはないからやめたい。 人の幸せを一緒に喜べる人間になるには、どうすればよいか。
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”より相談内容を要約引用したもの。)


 一旦、原左都子の私見に入ろう。

 この相談女性が現在50代との事以外のバックグラウンドが相談内容からは読み取れないため、如何なる回答をなすべきかとの判断が困難なのだが… 

 ここで極論を言わせていただくならば、少し“異常性”すら感じてしまう相談内容と捉えられるのではあるまいか?
 と言うのは、“嫉妬心”(おそらく相談女性が抱える苦悩の根源はそういう事であろう)の吐き出し相手が、将棋の藤井氏や大リーグの大谷氏にまで及んでいる事実に驚かされる故だ。

 いや~~。 この原左都子など藤井聡太くん(などと呼ばせて頂く失礼をお許し下さいませ)も大リーグの大谷翔平くん(同上)も可愛くてしょうがない存在だ。
 日々メディア上で彼らの活躍に触れる都度、こんな可愛い男子達が世紀の活躍を続けている事態が嬉しくて嬉しくて、テレビ画面を通して勝手に応援し続けている。

 えっ、朝日新聞相談者50代女性は、これらの可愛らしい天才男子達にまで“嫉妬心”が燃えたぎるのですって!?!
 そんな歪んだ嫉妬心を若輩の彼らに抱いてしまうとの、貴方が50年培ってきた「異常性」こそが怖い思いだ。


 今回の“悩みのるつぼ”回答者は、評論家の岡田斗司夫氏であるのだが…


 その回答内容を完全無視させて頂き、我がアドバイスを最後に述べよう。

 おそらく、現在50代相談女性に決定的に欠落しているのは、人生に於ける「経験値」であろうと結論付ける。
 それでも、現在50代との若さであるとのこと。 少しでも若い50代に自分の精神面のメンテナンスを実行しておいた方が良いのではないかと私は考える。
 彼女が現在抱えている周辺環境が分かりにくいのがネックだが、少なくとも朝日新聞“悩みのるつぼ”に相談を持ち掛けるとの行動を起こしたのならば、その朝日新聞を日々熟読する事から人生を再開するのも良き手段だろう。

 この私も、20代半ばに当時“売れ残り”と後指を指され始めた頃より、職場の昼休み時間帯には、そそくさと一人昼食を終えた後の昼食時間を、朝日新聞熟読タイムに充てたのだ。

 これぞ、その後の我が人生を支えたとも表現出来る!
 たとえ女であろうが、一旦 “社会性”を獲得したならば、その後の人生が面白いこと間違いない。
 まさに思考・行動範囲や人的出会い範囲が急激に拡大するし、自分がその後進むべく道程の幅が増大することを保障する。
  

 もしも朝日新聞相談者である50代女性に現在その余裕があるのならば、是非ともお勧めしたいのが新聞熟読である。

 ご自身の実力次第で自らの世間や社会が大幅に増大すると同時に、今後の自身の「成功体験」も拡大する事を私が確約して差し上げたいものだ。

孫の存在って、そんなに嬉しいものなのか?!??

2018年05月29日 | 自己実現
 結論から書くが、正直に言って私は本心で「孫」は要らない。
 決して、“負け惜しみ”で言っているのではない。

 そもそも、子どもすら要らなかった(より正確に言えば、いてもいなくてもよいと思っていた)人間だ。 いやもちろん産んだ我が子は可愛いし、一生に渡り“喜んで”娘と共に二人三脚で生きていくつもりだ。


 今回のエッセイは、前回のエッセイの続編の形となろうか。

 早速以下に、前回エッセイの結論部分のみを振り返らせて頂こう。

 郷里実母からの電話の話題は、すぐさま米国の孫の快挙に戻ってしまった。
 それを私がもう一度聞いてやった後。 「〇〇くんは凄い。私の誇りだ!」と実母からの電話は締めくくられた。
 そんなにも孫の快挙とは、高齢者にとって「誇り」となるものなのか??  いえいえ、ご自身が直接孫の世話をしている立場ならば、その孫の快挙を喜ぶ心理も分からなくはないが…
 実母の場合、米国の孫に対しては実質面でも金銭的にも何らの支援もしていない。 しかも、その母親である実姉からは「葬式にも帰らない!」と直言されている身にして、何故、実母がこれ程までに孫の快挙を喜ぶのか!??
 実質問題、自分の血を受け継いでいる(だからこそ孫は優秀だ!と信じたい)との理由しか、私には見つからないのだが……
 おそらく「孫」とは一生に渡り縁が無いであろう私にとっては、空虚感漂う実母からの本日の電話だった。
 (以上、前回の本エッセイ 結論部分のみを引用したもの。)


 前回のエッセイを記した後に、私は実母の “孫が成した快挙への異常なまでの執着” の深層心理を探ってみた。

 それに先立ち、何故実母が米国の孫の快挙に対して “異常なまでに執着している” と私が感じるのか?、の課題から考察してみよう。

 実母は自ら米国へ出向き孫が幼少の頃に短期間たった2度のみ会ったきり、その後はただの一度も面会していない。 長女である私の姉が日本を毛嫌いしている関係で、一度足りとて息子を連れて帰国しない故だ。
 それを実母が心底寂しがっていたため、むしろ私から提案したことがある。 「姉は放っておくとして、〇くん(米国の甥のこと)がある程度大きくなれば一人で日本に来れるだろうから、貴方から〇くんにお願いして〇くん一人で来日してもらったら?」
 実母も「それはいい考えだね!」と応えつつも、結局実現せずして〇くんは大学卒業して社会人となる訳だ。  これは私の想像だが、〇くん側も特段日本に来たくも無ければ、実母に会いたいとの希望が希薄と想像する。

 要するに、孫の〇くんへの実母の思いは明らかに “片思い” だ。
 むしろ実母は姉に“愚痴の吐き捨て場所”として都合よく利用されているだけの存在であり、おそらく姉は実母に背後で〇くんを一生会わせないように操っているとも考えられる。

 今となっては私が米国の姉一族と何らの接触も無い事を重々承知している立場ながら、実母は突然私に電話を寄越し、「貴方も〇くんの“叔母なんだから”喜べ!」とも発言したのだ。
 と言われてもねえ…。 
 前エッセイにて公開した通り、当該人物にただの一度も会った事も連絡を貰った事も無い私相手に、「快挙を喜べ!」と強制する方こそが “異常” であることは自明の理ではなかろうか?!


 我が母は、どうも昔から「血縁」に対するこだわりが強かったように考察する。

 我々姉妹が幼い頃より、母自身の出身家系の方が「優秀」である事を我々相手に誇っていた。
 その過ちに先に気付いたのは姉だ。 幼き頃に姉が私に告げるに「母はああ言うけど私はそうは思わない。 父系も優れているし、実際我々は父系の祖母にお世話になっている。 母の言う事をすべて信じてはいけない。」
 姉にそう言われて、私も我に返ったものだ。 ただ未だ幼き時代故に、当時の風習としてはやはり「母」に頼るのが必然的だっただろう。
 ここまで記して、実姉の「日本嫌い」のルーツが見える思いだ。
 要するに、実姉の「日本嫌い」のルーツとは“実母嫌い”に遡れるのかもしれない。
 
 それにしても実姉は今尚高齢者施設入居の実母に電話を寄越し、米国暮らしでの「愚痴」を言いたい放題の様子だ。
 それももしかしたら、血縁にばかりこだわり実質我々姉妹を育ててくれた父系祖母への感謝の欠片も無い実母への“復讐行動”なのかとも思えて来た!


 最後に、私論で締めくくろう。

 孫ねえ。
 私自身は本気で要らない。
 (ここで極秘に記すが、我が娘にはどうやら先天的に“恋愛感情”が欠落している様子でもある事実を近年私が認識しての判断でもある……。 この記述は娘の名誉にかけて、本エッセイ公開後の反応如何によっては即刻削除する予定。)

 そもそも私自身は、我が母親の「絶対血縁志向」の歪んだ成育歴により(?)若き頃から結婚願望も希薄ならば、実際孫は要らない人種である事には間違いない。
 それを「悪」と非難する人種が、今の時代背景に於いて増殖していない事実を味方に付けたい私でもある。

 ただ残念な事にはこのご時世に於いて、最近“子宝発言”自民党年寄り議員が出没したねえ。
 安倍政権とは、どこまで馬鹿を晒せば気が済むのだろう……

絵むすび  (朝日新聞2018.05.19編)

2018年05月19日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞2018.05.19 付別刷「be」 パズル“絵むすび”に 原左都子が解答したもの。)



 朝日新聞「絵むすび」ファンの皆様、お待たせ“しません”でした!


 今回の「絵むすび」は久々の “難易度4” でしたが。
 つい先程、NHK連続ドラマ昼の再放送を視聴しつつ解答に臨んたところ、わずか3分で解答が叶いました。


 これから洗濯もの取入れ等々ルーチンワークをこなした後程、以下に解答解説を付け加えさせていただきますので、しばらくお待ち下さいますように。 


 
 それでは、解答解説に入りましょう。

 とは言えども朝日新聞「絵むすび」解答遍歴が既に5年に及ぶ原左都子にして、決して確固たる解答法則を確立している訳ではなく、実は“偶然性”に依存している部分が大きいのが事実だ。

 まあそれでも、さすが5年来「絵むすび」解答を定期的に続行していると、その解法に関して“コツ”のような感覚は見い出せているのかもしれない。


 四角四面(いつもこの表現を好んで用いる私だが)の中での闘い……。 
 実際問題「絵むすび」解答とは、真面目腐って堅苦しい人種が好んで取り組む生業ではなかろうか?? と我が身を振り返ったりもするのだが…

 そんな窮屈な囲いの中で悪戦苦闘せねばならない「絵むすび」である訳だが。


 今回の課題の場合、まずは四角四面の3隅が空欄になっている事実こそに一番に着目するべきだろう。
 この3隅を、どのアイテムを通過させるかがキーポイントとなろう。

 私が一番に着目したのは、「ブーツ」だ。 (前回の我が西城秀樹氏訃報に関するエッセイにても「ブーツ」の文字が躍ったものだが…
 その「ブーツ」を、天邪鬼の私はとりあえず下回りで回してみた。 そうしたところ、左上部のマスが余ってしまう事実に気付いた。

 そこで次なる施策として「ブーツ」を上左回りで回したところ、すべてのアイテムの行き先がほぼ決定したのだ。

 更なる我が解答の“コツ”発想とは、もしかしたら近く同士で位置する「グローブ」こそが一番遠回りを遂げるのではないか!なる結論だった。 (大リーグエンゼルスの大谷翔平選手も大活躍の事だし!!)
 そこまで出題者が時事問題にこだわった上での今回の「絵むすび」出題なのか否かに関しては、私には図り知れないが…。

 更に次なる課題として「グローブ」遠回しを実行したところ、まさに他のアイテムが進むべき道筋がすんなりと開けたのだ!

 そして、わずか3分にての「投了」だった。
 (あっとっと。 これは藤井聡太氏が昨夜達成した7段昇格の快挙でしたね!)



 いやはや、大リーグにて大活躍中の大谷選手にも、将棋界で7段昇格最少年記録を打ち立てた藤井7段にも、今後共輝かしい活躍を期待したいものですね!
 絵むすびファンの皆さんも、そう思われるでしょ!! 


“背もたれ付き椅子” が欲しい。

2018年05月03日 | 自己実現
 (写真は、昨年末頃公開のバックナンバーエッセイにても掲載したが、現在フルート自主練習のために通っている防音音楽スタジオの一室。)


 昨日は、私にとって「凶」の一日だったようだ。

 その2つ目の「凶」に関しては、午前中に公開したエッセイにて既に述べさせていただいた。
 それは郷里実母からの真夜中電話騒動の件だが、この「凶」が結果として私にもたらしたのは肉体的な体力消耗で済んだためにまだしも幸いだった。


 それに比し、昨日午後に経験した「凶」事件は精神的痛手を私にもたらし、今尚我が心を煩わせている。


 早速、昨日午後に発生した「凶」事件に関して述べさせていただこう。

 昨日私は、いつものようにフルート自主練習実施のために防音音楽スタジオを訪れた。
 2本前のエッセイ内に記載した“大部屋スタジオ”での練習が叶うのは稀な事であろう。 特に連休中はロックバンド中心スタジオは若きロッカー達で賑わっていて当然だ。

 という訳で、昨日私はいつもの「ピアノ室」(上記写真を参照下さい。)にてのフルート自主練習と相成った。 それ自体に関しては何ら問題はない。
 ところが昨日「ピアノ室」を訪れてみると、部屋の様相がすっかり変わっていた。 ピアノは定位置に存在するのだが、その他の機種(録音機等々が置かれていた)が撤去され、良く言えば部屋がスッキリしている。

 さて、フルート練習を開始しようとしてやっと気付いたのは、今まで私が練習のために腰かけていた「背もたれ付き椅子」も撤去されていた事実だ。
 ここで参考だが、(先だって私が“斬り捨てた”)フルート講師氏の授業でも椅子は利用せず、立ったままの練習だった。 ただ講師先生は高齢の私に気遣ってくれ、「疲れたらソファーで少し休んで下さい」との声掛けをして下さったりもした。
 要するに素人が吹奏楽器練習をする場合、“立ったまま”の方が断然音が綺麗に出し易いのだ。

 一方、私が音楽スタジオにて自主練習をする場合、絶対的に「背もたれ付き椅子」に依存していた。 途中で敢えて立って吹いたりもするが、大方は「背もたれ付き椅子」に頼っての練習だった。

 そこで私はスタジオ受付に出向き、「以前置いてあった背もたれ付き椅子が無くなっているが、あれが欲しい」旨を正直に申し出た。
 そうしたところイケメンスタッフから返された回答とは、「ピアノ室での練習は、今後ピアノの椅子を利用して頂く事と変更しました。 ただ今回はお客様の申し出に従いまして、スタッフが利用している椅子をお貸しします。」との事だ。
 それを私自身が「ピアノ室」に運び入れ、フルート練習したものの…。

 スタジオ予約時間終了後、間髪入れず椅子を貸してくれたイケメンスタッフが「ピアノ室」を訪れて椅子を回収すると共に。 「今後は“折り畳み椅子”の配備を検討します。」とのご回答だ。
 正直言って、“折り畳み椅子”と“背もたれ付き椅子”とのフルート練習時の座り心地はまったく異なる事実に関し、私はすぐさま想像が付いた。
 ただ、そこまで改善策を提案してくれているイケメンスタッフに、それ以上の要望を出せるすべもない。

 今後の「ピアノ室」での練習スタイルが大幅に異なる事態を懸念しつつ、出口ロビーに行ってみると。
 大勢の若者ロッカー達が大騒ぎ状態だ…


 高齢域に達してフルート練習を再開しようなどとのとてつもない発想が出てしまった私こそが、そもそも間違っていたのか??
 それと並行して、若き世代のイケメンスタッフに“椅子が無くなっている”事態を訴えた時点で、私はこのスタジオにてフルート自主練する事を自ら困難にしてしまったのか!??

 帰り道、様々な今後のフルート練習に関するマイナーな思いが高齢域に達している我が脳裏を交錯したものだ。
 いやもちろん、当該音楽スタジオは総合的に判断してお気に入りのため、とりあえずは“折り畳み椅子”にて自主練習を続行する予定だ。
 ただ、「今後、折り畳み椅子でフルート吹くのか……」なる懸念は拭い去れない。

 
 本日は「憲法記念日」にして、私なりに語りたい話題も無きにしもあらずだったのだが…
 昨日我が身に降りかかった2件の「高齢者」関連「凶」事件を公開する事態になりましたこと、お詫び致します。

そろそろ、ガラケーをスマホに切り替えるべきか…

2018年04月24日 | 自己実現
 最近(というより、既に2,3年前からだが)、電車に乗って鞄からガラケーを取り出すのが恥ずかしくて躊躇してしまう。

 都会の電車事情をご存知の方々は周知されているだろうが、満員電車の中で人々が手に持っているのは99,9%がスマホだ。
 今となっては私よりもかなり年配と思しきお年寄りですら、鞄から取り出すのはスマホだ…
 そんな中、実年齢よりもずっと若く見える(?? 1人で勝手に言ってろって?!?)私が、とてもじゃないが鞄からガラケーを取り出せない…

 いえいえ私の場合、ネット使用は全面的にパソコンに依存している。
 写真機能に関しては、いつもカメラ(昨年わざわざ購入した比較的高性能のデジカメ)を鞄に入れているし、それで外出時は特段不便も無く過ごせている。

 要するに外出時に使用したいのは、メール機能のみだ。
 これとて現在仕事に従事している訳でもなく、重要事項の緊急連絡の必要性はほぼ無い。 まあ、待ち合わせ時間に遅れそうな時にメール連絡を入れる程度だが。 それをするために電車の中でガラケーを取り出すのに躊躇するとの話だが。


 負け惜しみで言う訳ではないが。
 私は庶民であることには間違いないが、決してスマホ購入及び月々の支払いが出来ない程貧乏してもいない。
 それでは何故、いまだかつてガラケーをスマホに買い替えないのか??

 その第一の理由は、ネットに翻弄され過ぎている現在社会への反抗・警鐘とでも表現するべきだろうか?
 現在の私にとってはパソコン利用により十分にネット利用も叶っているし、何も敢えて外出時にスマホに依存してまでネット依存せんとの発想が無い。
 それが証拠に、特に旅行中には私は決してネット接続しない主義を貫いている。 ガラケーメールにての必要連絡のみで十分だ。 むしろ旅行中にガラケーに重要性・緊急性の乏しいメールが届いたりすると、興ざめの気分に陥れら迷惑な気分にもなる。
 
 もう一つの理由は、我が亭主も私以上にガラケー派であることだ。
 私同様にパソコンネット派の亭主は私よりも徹底していて、外出時にガラケーを携帯しない主義だ。(何のために“携帯電話”と名付けられているのか、少しは考えて欲しいものだが。)
 そんな亭主は、我が苦悩が理解できないようだ。 電車内でガラケーを鞄から取り出すのが恥ずかしいなる苦悩が。 「そんなもの持って行かなきゃ済むだろう」と返されるのが関の山だ。
 で、そんな亭主がスマホに関して語るのはいつも、「電車内で皆がスマホをいじっているが、そのほとんどがゲーマーだよ。 あれをして皆時間を潰しているよ。」
 まあその実態である事は私も想像が付いているが、亭主が外出時にガラケーを携帯しない事実には私が困惑させられる。 「今日は重要な連絡があるかもしれないから、ガラケーを持って出て!」と私側からの“指導”を要するためだ。 その指導には素直に従ってはくれるものの…。
 

 ここで話題を変えて、朝日新聞「声」欄より77歳女性よりの投稿を要約して紹介しよう。
 世の中、便利便利といろんなものが変わっていくが、それでいいのだろうかと考える。 私にとって一番身近な問題は携帯電話のことだ。 ガラケーを使って同年代の友人とメール交換や電話のやりとりを楽しんでいた。  
 ところが、「母さんはこれが便利だよ」と娘からスマホを渡された。 使ってみると通話のやり取りすらなかなか理解出来ない。 間違えてボタンを押すのも怖い。 
 やはり、ガラケーが使いやすい。 世の中がスマホに移り変わって以降、友人もスマホを使いこなせず、メールのやりとりがすっかり疎遠になってしまった。
 (以上、朝日新聞「声」欄より一部を引用したもの。)


 最後に、私論に入ろう。
  
 直ぐ上に紹介したシニア女性投稿者は、メール仲間に恵まれておられるとの事。 私にとっては羨ましい限りだ。 それならば、せっかくの娘さんのスマホ提案を断固と断りガラケーに戻せば済む話ではなかろうか。
 それにしても、高齢者相手にスマホを奨励する若き世代にも、少しは高齢者が置かれている身体面での不具合の程にも思いが至って欲しいものだ。

 この私に話を戻すと。
 私の場合、上記高齢女性のごとく、身体的事由によるスマホ出遅れ派ではなかろうと自己分析している。
 おそらく遅ればせながらでも、近い将来にはスマホに移行するのであろう。

 ただ実際問題、日々パソコンによりネット交流にかかわっている身として、スマホ移行への不安感も大きい。
 その一番の不安が、文字入力だ。 私の場合、20代に英文タイプ2級を取得している関係でキーボード入力がブラインドタッチによる超高速だ。 それにスマホが対応出来るのだろうか??  そうでなければ、我がネット生活は結局キーボード入力可能なパソコンに依存するしかないのだろう。

 それに私の場合、上記77歳の朝日新聞投稿女性と比較して、メールにての友達付き合いなど無いに等しいのが現実でもあるし…。

 まあそんな私にとっても、スマホに切り替えるメリットは少しはありそうな気もしないでもないのだが。
 結局、自宅から離れた場でも「原左都子エッセイ集」への反応を確認出来る、ってことかな?
 ただ今の私にとっては、さほどの反応も無い我がエッセイ集のチェックは、自宅のパソコンからで十分だしねえ……
 

マラソン大会、後何年出場出来るだろう

2018年04月15日 | 自己実現
 (写真は、昨日2018.04.14 出場した「東京都北区赤羽マラソン」5kmの部にて完走し、発行してもらった記録証と参加賞の大会オリジナルタオル。)


 まず冒頭から、バックナンバーの内容を訂正させていただこう。

2018.03.28 バックナンバー「東京都北区への春の小旅 -赤羽バス乗場ミステリー編-」にて、私は赤羽駅西口バス乗り場に何故か「5番乗場がない! 探せど探せどない!!」 なる記載をした。

 これ、根本的に私の“勘違い”だったことが昨日判明した。
 まず、私が帰路に乗車するべきバス系統「赤31」の乗り場は、西口ではなく「東口」だったのだ。 冷静に考えればそうであるはずだ。 行きは東口で下車したのに、帰りが西口であるはずもなかった。 (参考だが、都会のターミナル駅のバス乗場とバス降場は遠く離れている場合が多く、乗場イコール降場ではないことがままある。)
 それにしても確かに分かりにくいのは、東口の“5番乗場”も駅前バスターミナルより離れた場所にある点だ。 3月に赤羽を訪れた際にも駅前「東口バス乗場」の確認もした。一見して駅前には“4番乗場”までしか無かったのも事実だ。
 さすがに昨日は、東口から少し歩いて“5番乗場”を初めて発見出来、無事に帰宅が叶った。 


 という訳で、3月に東京都北区まで何の目的で小旅に出たのかの回答とは、「東京都北区赤羽マラソン」大会会場の偵察に行ったのに他ならない。

 下見に行っておいて大正解だった事を昨日実感だ!
 とにかく赤羽駅から会場が遠い事! 大会パンフレットには駅から徒歩15分とあるが、会場が荒川河川敷のためか、到着してから受付までの距離が感覚的にとてつもなく長く感じられるのだ。
 大会会場のランニングコースの一部を歩きつつ受付へ向かうのだが、実際荒川河川敷に到着後受付までのその距離が1,5km程あろう。 正確には赤羽駅から会場受付まで「30分程」と、パンフレットに記載するべきではなかろうか?


 とにもかくにもマラソン大会は開始した。

 今回のレース、河川敷を2度折り返すコースなのだが、あれ、速度が遅い出場者にとっては“遅いのがバレバレ”だ。 (なんだよアイツ、まだこんな所をトボトボ走ってるのか???)などとの足の速いランナーからの蔑んだ視線をひしひしと感じつつ、劣等感に苛まれながらのレース運びだ。

 加えて途中で河川敷から堤防に上ってまた下りるなる“難所”もあり、高齢出場者にとってはかなり厳しい試練のコースでもある。 いや高齢者のみならず、特に下り坂では足を傷めやすいのか、ベテランらしきランナーが敢えて歩いている様子も見た!

 で、結果だが…。
 最低限「完走」は果たせたため、とりあえず自分を褒めよう。
 上記写真をよ~~~くご覧いただけると、部門別の順位が記載されている。 その中で特筆するべきは、「女性60~64歳」部門の我が順位が 1位 であることだ!  ただ、もっとよ~~~く見て頂くと、出場者も1名…
 ただこれ、またもや自分を褒めたいのだが、恐らくこのレースは高齢者、特に女性には厳しいコースであり出場を敬遠しているものと思われる。 
 よくぞまあ、果敢にもこのレースに出場したものだ。 ただ、今回のみでこのレース出場は取り止めようかなあ、と現在将来展望しているところでもある。 


 我が現時点での希望としては、70歳過ぎても80歳過ぎても、定期的にランニング大会に出場出来るべく日々ランニング練習を続行したい思いは強い。

 ただ1年、また1年と年齢を重ねるごとに、自分の身体との相談と相成るのだろう。


 最後に私の嗜好による我がままだが、今後は会場にプロカメラマンがいて、ランニング中の頑張っている姿を撮影してくれる大会に出場したいものだ。
 娘の成長と共に、ここのところ一人での大会出場が続いているが、そうすると自分が写真を撮っても、ただの一枚も自分の雄姿を撮影してもらえないのだ。 高額販売でもよいから、是非共後で写真が買い求められる大会への出場を今後は目指そう!

 まあ、そんな希望があるうちは、今後もこの私はいそいそとランニング大会に出場し続けるということだろう。

いっそ、“自分は不幸だ!”とやけくそになってみたら!??

2018年04月03日 | 自己実現
 久しぶりに、エッセイ題材を朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”より引用しよう。


 先だっての3月31日「悩みのるつぼ」は、40代女性からの「幸せなはずなのにむなしい」と題する相談だった。
 早速、以下に要約引用しよう。

 40代の既婚女性、会社員。 子供はいない。 主人はやさしく、職場での人間関係も恵まれている。 経済的に裕福ではないが、体も健康。 要は幸せと頭では分かっているが、空虚だ。
 母を看取り、死を身近に感じるようになった。 人生も中盤にさしかかり、残された日々を懸命に生きようと思うが、子宝にも恵まれず、これといった趣味も無く、ただ漫然と過ごす日々にどうしようもない苛立ちを感じてしまう。
 若い頃の夢だった文筆業に再度挑戦しようと脚本や小説のコンクールに応募したが、ある程度の段階までは審査は通過するものの、受賞には至らない。 焦りや、これまで努力してこなかったことへの後悔で、自分はもう価値のない人間だとまで思い詰めてしまうこともしばしば。
 これまで怠惰に過ごしてきたわけではない。 お金に苦労をしたことを考えれば、今の生活は本当に恵まれている。 主人にも友人にも感謝している。 でも、今後の人生に希望を見いだせず、もう死んでもいいや、と思ってしまう自分が嫌だ。
 こんな甘ったれた考えを捨てられない私を、どうか叱って下さい。
 (以上、“悩みのるつぼ”相談内容を要約引用したもの。)

 
 ここで、私見に入ろう。

 貴女(相談者)が「叱れ!」と言うならば、この原左都子こそがその要望に応えようではないか!

 まず、貴女は自分が思っている程に“幸せ”ではなさそうだなあ。 自分が“幸せだと思いたい”だけの人物のようだ。(この課題は後に考察対象とするとして。)

 えっ? 文筆家になりたいんですって??  貴女が書いた文章など、まったく読ませてもらいたいと思えないのだけど…。  そもそも何か、決定的に勘違いしているよね。 
 文筆したいのなら何もコンクールになど応募せずとて、この原左都子のように、とりあえず手軽に着手可能な「ブログ」利用が最短の道程だと奨励するよ。 
 自分の内面から湧き出て来る熱い思いを、キーボードを“ぶち叩き”つつ書いて書いて書きまくればよい。 実にスッキリする瞬間だよ。  それに世間からの閲覧・メッセージ等々反応が届けられたりするとの予期せぬおまけもついて来るとのサプライズもある。 何故それをしないのかなあ。
 ただ私が想像するに、貴女って本当に“モノ書き”をやりたい人ではないね。 単に「受賞」を狙い、それが叶う事 イコール 自分の成功 と勘違いし切っていると私は分析する。

 基本的に「自分自身で自分の人生を楽しむ」という生業を、未だ経験していない人物のようでもある。
 若くして母上を看取った事実は確かに辛かったのだろう。 子宝に恵まれなかった事態も貴女にとっては不運だったのであろう。 

 それにしてもその若さで、「主人はやさしい」だの、「職場の人間関係も恵まれている」だの、「生活には困らない」だのと、一生懸命に自己肯定せんとしているその姿が、私には哀れにすら映る。
 40代なんて、世間では未だ“婚活”中の人も少なくないだろうし、将来の夢を今一度描く時期ではなかろうか。
 今置かれている自分の立場を自己肯定して「幸せ」を自分の心理と裏腹に無理やり烙印するよりも、貴女が今やるべき事とは何なのだろう。

 貴女と一番身近な存在であるご主人に関してだが。
 貴女には「やさしい」との事実は相談内容から理解したが、日々のご主人との交流の程は如何なのだろう?
 もしかしたら、貴女はご主人にすら“深入り”出来ない人物なのではなかろうか?
 
 あるいは「友人にも感謝している」なる文言も相談内に存在するが、本来「友」とは、その間柄が親密になる程に“感謝”するべく対象ではないように私は捉える。
 本来の「友」とは、お互いに切磋琢磨しながら軋轢を乗り越えつつ成長し合う関係を目指そうとする間柄ではなかろうか。

 しかも、相談者の相談文面に「自己矛盾」も感じざるを得ない。

 その一つは「お金」に関する記述に於いてだが、何故それほどまでに自身の現在の「経済力」の程を相談の前面に出さねばならないのだろう?
 今の経済生活に真に満足しているのならばそれで済む話だ。 何故ことさら過去の貧困時と現在を比較対象として「現在は恵まれている」事実を強調したいのだろう。 これぞ、貴女の「心」の貧弱さを暴露しているに過ぎないと私は判断してしまう。
 要するに貴女という人物とは未だ自己確立出来ずして、あくまでも他力本願的思想を脱却出来ていないという事ではなかろうか?


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 今回の“悩みのるつぼ”相談者は、経済学者の金子勝氏だった。
 その回答表題のみを紹介するならば。  「『何かができる』と信じること」。

 まさにその通りだろう。
 この相談女性に一番欠落しているのは、自分にも「何かが出来る!」との強い意志だと私も結論付けたい。
 ただ、そのための道程は相談女性にとってまだまだ厳しいものがあろう。
 
 とりあえず一番身近な存在であろうご主人と、もっと会話をしてみては如何だろうか? 
 いつまでもご亭主が貴方に「やさしい」などとの関係は、この天邪鬼の私の視点からは“まやかし”“勘違い”でしかあり得ない。 

 あるいはまったく逆バージョンからの発想だが、表題のごとく「自分は不幸だ!」と一度やけくそになってみる事により、ご自身の生き様を原点から見つめ直すのは如何だろうか?
 そうする事により、今後は貴女こそが一番近しいご主人に対して「やさしい」人になれるやもしれない。 それぞ、貴女の再出発点ではなかろうか?

 いやはや、それは海千山千で世を渡り通しているこの原左都子ならではの名案(迷案)であり、純真そうな相談女性には所詮無理な提案だっただろうか?!??

絵むすび  (朝日新聞2018.03.24編)

2018年03月24日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞2018.03.24付“パズル「絵むすび」に原左都子の娘が解答したもの。)



 朝日新聞「絵むすび」ファンの皆様、お待たせ致しました。


 本日の「絵むすび」解答は、多忙な原左都子に代わり娘が解答してくれました。


 難易度3にしては、難易度が高かったですね!


 昼飯時に私自身も5分間程解答にチャレンジしたのですが、どうしても解答が叶わず、その後本日仕事が休みで自宅にいた娘にバトンタッチしました。



  先程編集画面をみますと、朝日新聞「絵むすび」ファンの皆様よりのアクセスが殺到している様子ですので、とりあえず今回は我が娘の解答のみを公開させて頂きます。