原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

郷里の旧友Aさんからの50年ぶりの電話

2021年05月31日 | 人間関係
 昨日午後3時頃、「原左都子エッセイ集」昨日公開のジュリー関連エッセイを書き始めた時のことだ。


 我が家の固定電話が未知の電話番号を告げる。
 それに出てみると、聞きなれない女性の声が「〇子さんはご在宅ですか?」と尋ねる。  「はい、私ですが。」

 この後が大サプライズだった。
 電話主は、我が郷里の子供時代の旧友女性(‘Aさん”としよう)だった。
 あまりの驚きをそのまま電話口で表現すると、その後の話がこれまた面白い!
 Aさん曰く、「突然の電話で驚かれたかもしれませんが。 実はS子さん(私のこと)が送ってくれた同窓会欠席葉書に添付されていた写真がこちら界隈で話題となっています。 皆がS子さんは現在“芸能活動”をされているのでは?と噂して騒いでいます。」
 (ちなみに、当該写真は当gooブログ内左欄フォトチャンネルに公開している。)

 (はいはい、心当たりはあります。)と私が内心思いつつ、
 「もしかしたらその写真とは、音楽スタジオで撮影したものじゃないですか? あれは、近年フルート演奏練習を音楽スタジオにて再開した時に自撮りした写真です。 それはともかくAさんとは50年ぶりの会話ですよ!」
 とこちらこそが驚き果てると、Aさんもそれに追随して…

 その後電話での会話は30分以上続いただろうか、Aさんとの間で“その後50年の歴史対談”が展開した。

 このAさんとの馴れ初めは、私がAさんの住む地へ引っ越して幼稚園を転園しようとした4歳の時のことだった。
 我が叔母とAさんの叔母が仲良しだった関係で、その叔母に連れられてAさんが我が家へやってきた。 そして「〇ちゃんとAが同い年のようなので、これから仲良くして下さいね。」とご親切に申し出て下さったのだ。

 それからというもの、Aさんと私の仲良し関係は日々続いた。
 幼稚園、小学校を通り越し、中学生になっても二人は仲良しだった。 それこそ、私がフォーリーブスのファンだというとAさんもすっかり同調して二人でキャーキャー騒いだり、とにかく何をするのもどこへ行くのも一緒だった。
 ブラスバンド部へも一緒に入部し、私はフルート、Aさんはクラリネット奏者となり日々練習に励んだ後は。 帰り路にお好み焼きを食べに行ったり夏はかき氷を楽しんだりと。 1日たりとて離れることもなくいつも一緒に行動した。

 高校進学を控える年齢になり、お互いの進む道が異なり始めて後に多少の不仲に陥ったりしたものの…
 高校生になって以降もAさんはギターを抱えて我が家を訪れ、一緒に歌を歌って一時を過ごしたりもした。

 昨日のAさんの話によれば、2人が大学生(Aさんは地元の女子短大へ進学した)になり、我が家が少し遠い場所へ転居して以降、音信不通になったとの説明だった。

 Aさんは、聡明かつ器用(ピアノ等々楽器演奏が得意でいつも上手に演奏していた)。 加えて身体能力に恵まれ、かけっこではいつも一番、小1の時から跳び箱8段を軽く飛び越える逸材だった。
 
 おそらく恵まれた諸能力を活かして仕事に励まれていることだろうと想像していたら、まさにその通りで60過ぎて尚地元にて社会活躍し、最近やっと退職したとのことだった。
 こちらも我が50年の歴史を語らせてもらい、お互いに賞賛しあった後に。


 私が提案した。
 「今はコロナ禍で動きが取れないが、これが収束したら必ず郷里へ行って真っ先にAちゃんに会いたい。」

 Aさんもそれに応えて、「Sちゃんて写真によると今でもスリムなようだね。 私は太っちゃってみっともないんたけど、Sちゃんに会うまでにシェイプアップしておくね。」


 コロナ禍後の楽しみがまた一つ増える喜びをもたらしてくれた、昨日の突然の郷里旧友からの 50年ぶりの電話だった。 😊  
 

“男がピカピカのキザでいられた” 時代

2021年05月30日 | 音楽
 (冒頭写真は、ユーチューブより録画した歌手・沢田研二氏が歌う「カサブランカダンディ」の映像。  上の写真は曲名最初の「カ」が抜けましたこと、お詫びします。)


         
 今回のエッセイ執筆のきっかけを得たのは、上記写真の朝日新聞昨日付け記事「自分を貫く無二の表現者」と題する、沢田研二氏のランキング特集である。

 私自身は特段、沢田研二(ジュリー)ファンではなかった。

 中高生時代にミーハーだった私も、当時男子アイドルに躍起になったものだが。 私の好みとしては、一貫して“可愛い系”男子アイドルに心が傾いた。
 具体例を挙げると、フォーリーブス、伊丹幸雄…  
 (フォーリーブスは皆さんもご存じだろうが、伊丹幸雄に関しては「青い麦」一発屋で消え去ったため、ご記憶にない方が多いことと想像する。)
 両者の共通項としては、とにかく“お顔”が実に可愛らしかった😍 のが特徴だ。

 それに比しジュリーはその対局をいくがごとく、とにかく美男子だった。
 
 今回の朝日新聞ジュリーランキング10曲は、もちろんすべて十分に知っているしよく聞いて歌った。
 その朝日新聞のランキング10内楽曲の中で、我が印象に一番鮮烈に残っているのが、表題の「カサブランカダンディ」である。
 この楽曲は、ジュリーがザ・タイガースから独り立ちして年数が経って後のシングル曲でなかっただろうか?
 
 ♪  ボギー、ボギー、あんたの時代はよかった
   男がピカピカのキザでいられた
   ボギー、ボギー、あんたの時代はよかった
   男がピカピカのキザでいられた~~~~    ♪

 歌もよかったし、ジュリーの振り付け演技力の完成度も高く、実にエンターテイメント性の高いヒット曲だった。
 この曲が当時ディスコで流れると必ずステージへ行って、皆で両手を挙げて踊りつつ歌ったものだ。


 昨夜ユーチューブにて当該曲を聴くついでに、画像撮影したものを以下に紹介しよう。
         

         

         

         

         

         


                               



 さて次に、ネット上で当該「カサブランカ・ダンディ」に関する‘優れた”論評を発見したため、その一部を以下に紹介させていただこう。

 こんにちは。平成生まれの昭和好き、さにーと申します。
斜めにかぶったハット、耳には花を差し、ウイスキーの瓶を片手に、それを口に運び天に噴き出す姿。こんなキザでスカした演出がサマになるアーティストは、昨今とおして一体どれだけいるでしょうか。
リリースされてから40年の時を経て、私もその姿に魅せられた一人です。初めて沢田研二さんがこの曲を歌う映像を見たときの衝撃・・・あれを一生忘れることはできないでしょう。(できることなら、もう一度ジュリーを知らない頃に戻って、あの衝撃をもう一度味わいたい)
『カサブランカ・ダンディ』は、そんなジュリーの曲の中で、私の大好きな一曲です。
暴力的にも感じる歌詞のインパクトやパフォーマンスにつられて、よく歌詞の意味を考えたことがなかったという方もいると思いますので、あらためてここで考えていきたいと思います。 (中略)
まず、歌の入りが強烈。「女の頬をはりたおして」なんて今の時代に歌ったら、世間様からなんと言われるか。でも、世間から見ても沢田研二自身がこの歌詞がサマになる存在だったのかもしれません。たしかに、ジュリーにだったらひっぱたかれてもいい。むしろひっぱたいてくれ。
『パントマイムを演じていたよ』のパントマイムとは、「身ぶりや表情で表現する無言劇で、まるでないものがあるかのように見えるように見せる芸」のこと。2人にとって幸せな頃を思い出すあのフレーズが流れて来ても、ことばも交わさず、まるで聞こえていないかのようにやり過ごそうとしている様子です。
歌詞の「ボギー」って誰?
そして、サビであるこのフレーズを聴いて「ボギーって誰だろう?」と思った方もいるでしょう。ボギーというのは、1940〜1950年代を象徴する名優、ハンフリー・ボガートのニックネーム。曲名の由来にもなっている『カサブランカ』という映画の主演を務めました。「君の瞳に乾杯」というフレーズが、この映画によって有名になっています。ハンフリー・ボガートは映画の中で数々の名言を残しているのですが、そのどれもが非常にキザ!今の時代からすれば「クッサ〜」とも言われそうなレベル。歯が浮くセリフってやつです。
しかし当時はそれが「クサい」とは言われることはなく、人々の心を熱中させた時代でした。キザなことを言ってもカッコよくいられた時代、ということです。
主人公の男は、まず女との関係がうまくいっていない。今でいうDVもしちゃってる。でも、女め!ざまあねえな!と思ってるわけではなく、むしろなんか傷ついている気がします。そして、『ボギーの時代なら良かったなあ』とすこし自嘲気味になっているように感じます。ボギーの時代の、いったいなにに憧れているというのか。
2番に続きます。
カサブランカ・ダンディの歌詞(2番)
本当に注目したいのは歌詞の真意。
男と女は、もう修復不可能な関係
その次の歌詞で、1番の『苦しい顔できかないふりして』に続き、『辛い芝居を続けていたよ』と出てきます。
だって、「もう身体を重ねることしかすることはない」って言ってんですよ。それなのに辛いとか、もうそれ、男と女は破綻しているってことじゃないのか。
もう、話し合いを重ねたって、あの頃は良かったなあと懐古したところで、どうにもならない。だけど離れられないってことなんじゃないのか。。
そして、そんな恋人芝居だって本当は、したくなかった。でも離れられないから、破綻していることは承知の上でそうしつづけるしかない。マジかよ。悲しいけど、そういうことなんじゃないかと思います。
ようは……男のもっともおそれている「別れ」から目をそらし続けるには、もう、そんなことくらいしかできないのです。他の方法が男にはわからないし、女が何を訴えてこようと(『しゃべり過ぎる女の口を』)、もうこの不器用すぎる男にはどうしようもできないのです。
だから『さめたキスでふさぎながら』という歌詞も、「男がもう女に冷めている」という意味ではなく、破綻しかけている関係を修復することもできない中ではそうするしかなかったんじゃないかな。
お互いの愛を確かめるのがキスだとすれば、この二人は今にも消えそうな細い糸をたぐりよせることでかろうじて繋がっているだけの関係を続けるための「キスするしか方法がわからなかった」のキス。お互いに求めあっていても交わらない、一方通行どうしの愛を守るためのもの。それがさめたキスなんではないかと。。
もう何も言うんじゃねえというか、頼むからやめてくれってのに近い感情なんではないでしょうか。
男は、女をまだ愛してるけど、幸せになるための愛し方がわからない。今やっていることも恋人芝居でありパントマイムだとわかっていて、続けることしかできないのです。
だから、彼が本当に恐れていることが起こるのを遠ざけるかのように、あるいは来るとわかっている上で先のばしにするために、いまは聴かないふり、見ないふりをする。
もうさ、あほだよね。苦しいわ。。どこで歯車が狂ってしまったんでしょうか。取り返しがつかなくなる前に、何かできなかったんでしょうか。もうね。。
やっぱりこの不器用な男にはそれしかできないのですね。
そして、ここで出てくるのがボギー
ボギーの時代は「やせがまん」をすること自体もサマになる、男がキザでいられた時代。ひとつの恋が終わってしまっても、意地を張って女の前では涙も見せずに別れていくような姿とか、ボギーならサマになったんじゃないかな。
男もそんな粋でありたいと思う一方、そうはなれない自分がいる。
せめてボギーの時代だったら、俺のこのしんどい芝居も絵になったのかなあ。今じゃただただかっこ悪いだけの男だ。サビの歌詞は、そういう意味だと思っています。
それに本当は「時代のせいではない」と男は気づいてたんじゃないでしょうか。男は純粋に、ボギーのようにカッコつけながらもまっすぐに人を愛せる人になりたかったのかもしれません。
もしそうなら、こんなやり方じゃない方法で女を愛していけたかもしれないのに、と。

 (以上、ネット上で発見した ‘’平成生まれの昭和好き、さにー” さんの記述を引用させていただいたもの。)


 さにーさんの分析の程が素晴らしいため、あえて原左都子が付け加えることもないのだが。(さにーさん、もしも著作権法に触れるようでしたら対処致しますのでご連絡下さい。)


 既に述べた通り、私は特にジュリーファンではなかったものの。
 
 やはりジュリー(沢田研二氏)の“エンターテインメント力”の素晴らしさは、今後世紀を超えて生き残るであろうと。

 今再び「カサブランカ・ダンディ」映像を拝見して、感動と共に実感する。


私は高校生時代を “死んで” 過ごした…

2021年05月29日 | 自己実現
 私が入学した高校とは、出身県内一の歴史がある名門高校だったのだが。

 
 この高校へ進学せんとした一番の理由は、(自分で言うのもなんだが)中学の学業成績が優勝だったことがきっかけだ。

 ただこの高校は元女学校だったがために、当時は女子生徒が多数との特異性があった。 それも“良家の令嬢”が多数との噂もあった。
 (その後高校総合選抜制度が開始し、その特徴は消え去ったようだ。)

 我が希望としては、男女がまんべんなく学ぶ場を選択したかった。
 そこで、私は1ランク低い高校を第一希望としたいと親どもに申し出たところ。 「そんなバカはいないよ。 学業成績を十分に満たしているのにあえてランク下の高校を選択するなどありえない。」と取り付く島もない。

 
 そうこうして無事受験に合格し、入学前の“学校説明会”に出席した時のことだ。

 体育館内に集合しているのは、まさに“良家の子女”っぽいおりこうさん風の女子がほとんど。 一応共学のため男子もちらほらいるにはいるが、言っちゃ悪いが(何で男子の身にしてあえてこんな女ばかりの高校を選んだんだよ。 気持ち悪いなあ~~)と落胆しつつ…
 早くも“後悔先に立たず”の心境に陥ってしまい、入学式を迎えるのが憂鬱だったものだ。😩 

 その入学前の予感が的中したまま、我が高校生活が開始した。
 ただまあ1年次などは私自身が未だ幼いこともあり、仲良くなった学友とキャピキャピしたりもした。
 何分生徒の100%が進学するバリバリの受験校のため、勉強にも精を出すのだが。

 高2の半ば頃から、どうも精神的不安定感に襲われ始めた。 入学当初は成績優秀だった私の成績がどんどんと落ち始める…
 それに輪をかけるように我が阿保親どもが、「姉が県外の大学へ入学したから、妹のあなたは家に残りなさい。 理系・文系は好きにしてよいから地元の国立〇〇大学を目指して受験勉強を頑張りなさい。」とホザき始め…

 その時の心境を思い起すに、何の未来もなくなったかの感覚に陥ったものだ…
  我が精神不安定感がどんどん増強していく。(時代背景的に精神医学が未だ発達していなかったこともあるが。) 特に我が阿保親どもが我が異常に気付くはずもなく、過食症気味になった私をむしろ喜んで、(今好意的に思えば、あれは阿呆親なりの私への応援の仕方だったのだろうが)沢山の食べ物を私に与え続ける。 我が体重が一気に10㎏程増えたりもしたが、その増え方が“病的”であることにも愚かな親どもは気付かない。  
 正直言って、高3以降はまったく勉強に手が付かなかったと言って過言でない。
 ただ高2半ば頃まで勉強を頑張った“貯金”がものを言って、私は親の期待通りに地元国立大学への入学が決定したのは幸いだった。

 しかも後で思えば、元々理系志望だった私が「医学部(臨床検査技師コース)」を選択したのが大正解だ!
 単身上京後はその医学の道で我が身を立てつつ自分なりの資産も増強しながら、面白おかしい人生を主体的に存分エンジョイして現在に至っている。



 我が過去の記述が長引いたが。

 本日の朝日新聞「悩みのるつぼ」は、20代男性による「高校の苦い思い出で自己嫌悪に」と題する相談だった。

 いやはや上記人生を歩んだ我が身と重なるため、一体どうしたのかと興味深く相談内容を読ませていただいた。

 その内容を手っ取り早く紹介すると。
 元高校野球児だった相談者が、高2の冬に大けがをしたらしい。 ちょうど受験勉強が本格する時期で焦りはじめ。 結果として「野球」にも「勉強」にも身が入らなくなり…  挙句の果てには、第一志望大学合格は叶わず…
 との内容のようだ。


 さて、今回の‘悩みのるつぼ”回答者は 歌手・俳優の美輪明宏氏なのだが。
 その「あなたは『青春時代の真ん中』にいます」と題する回答内容の一部を、以下に引用しよう。

 相談者が置かれている今は‘袋小路”のようですが、青春時代とはみんなそういうものです。
 小学生の頃から一直線で何でもうまくいく人は、ほんの一握り。(中略)
 どこの大学が上などと、誰が決めるのでしょう?
 今一度冷静に考えればわかると思うが。 
 「青春時代は道に迷っているばかり…」という森田公一氏の歌を聞けば、相談者の貴方はまさにまだまだ 「青春時代の真ん中」にいることがわかるでしょう。

 (以上、美輪明宏氏の相談に対する回答の一部を要約引用したもの。)



 最後に、原左都子の私見に入ろう。

 まさに今回の相談者男子学生は、途中怪我に苦しんだとは言えども、野球の歴史とかかわったとの大いなる経験値をお持ちだ。
 更には第一志望ではなかったとはいえ、現在大学にて学業にも励まれている。
 なんの不服があるというのだろう。
 今現在、成しているそのあなたの努力を今後も続行するならば。 
 貴方の未来は明るいことを美輪明宏氏同様に、この原左都子も保証申し上げたい。


コープデリ 配達車 トミカ・ミニカーシリーズ

2021年05月28日 | 雑記
  (冒頭写真は、先だってコープデリより届いた トミカ・ミニカーシリーズ コープデリ配達車。)



 「原左都子コレクション・ミニカーシリーズ」の中でも、今回のコレクションは異色であろう。
 毎週のコープデリ配達にて集めたポイント交換により、このミニカーをゲットした。
     
         


         
 ちゃんと後ろのドアが開閉可能で、小さい荷物なら収納できる構造になっています。


 
 我が家とコープデリとのお付き合いは以前の住居の頃より続いているが、初期契約して以降、既に20数年の年月が流れているだろうか。

 数ある食品宅配業者の中で、やはり最大手のコープデリこそが一番品数豊富で使い勝手が良い印象があり、ずっと長続きしてきた。


 ところが。
 昨年“コロナ禍”が昨年勃発して以降、大きく様相が変わってしまっている。

 外出を避ける市民が多くなり、特に食品宅配業者が大活況の様子だ。
 その最大手であるコープデリにも新客が押し寄せた様子で、昨年春頃から初夏にかけては食品欠品が相次いだ。

 その時期を乗り越えやっと落ち着きを見せたのも束の間、またもやこの春には食品仕分けシステムのエラーとやらで、商品が一つも届かない週もあった。
 特に重い荷物(米、酒類、液体洗剤等々)は、我が細腕でスーパーから持ち帰るのは大作業だ!

 それに耐えて自力で頑張ったところ、次なる難局が訪れてしまった。

 今度は宅配時間を変更する、と言ってきた。
 それも顧客からの時間指定は不能、コープ側が決定した曜日・時間の配達スケジュールに従え! とのお達しだ。

 納得がいなかい私が2度に渡りコープの配達人に折衝したところ、「配達人としては業務が目いっぱいで、どうしようもない状況下にある。 コープ側の指定日・時間に従って欲しい。」とのご返答。

 「それでは、留守の場合は留守配でお願いします。」との結論に至ったものの…
 私としては‘手渡し”の方がずっとラクだ。 留守配にすると後の容器の片付け等々の余分な作業が発生するし、夏場など冷凍品が解凍してしまう恐れもある。

 もういっそコープデリをやめて他社に変更しようか。 とも考えたが、やはり最大手のコープデリの食品はじめ商品のラインアップがダントツだ。

 と思いつつ、日にちが過ぎ去り。
 来週の火曜日から好まない時間帯の配達が始まる。 それも、初回は一体何時の配達になるやら予想不能とのことなのだ。
 やむを得ない。 来週の火曜日は外出を取りやめてコープデリの配達車を待つしかない。

 こんなことでストレスを溜めたくもないが、食材とは日常生活上最優先にするべき買い物である。

 イライラしつつだが、コープデリ配達車さんの到着を来週以降も待っていますよ。😫 


認知症者の金融資産が金融機関により凍結されてしまう??

2021年05月27日 | 時事論評
 我が家も義母、実母2名が現在高齢者介護施設暮らしの身であり、両人の介護保証人を我が家が担当している。


 実母は高齢域に達して多少の思考力等の低下はみられるものの、未だに認知症状は無いと言えよう。 (血は争えないもので、私に似て性格は相変わらず悪いものの…)😱 
 義母の方はかなり以前より認知症状が現れているが、比較的元気に暮らしている。

 両人が介護施設に入居する以前より、我々夫婦から口酸っぱく指導したことがある。
 それは、金融資産のすべて(とは言えども解約が困難な保険に関してはそのままだが。)を「普通預金」に移しておくように、との指導だ。
 両人とも素直にそれに従い、金融機関から高利の商品を勧められても断固として断り「普通預金」にすべて移し替えてくれている。


 実母に関しては未だ認知症状が無いのが幸いして、未だに自己資産のすべてを本人が自己管理している。

 片や義母の方は、長女の(膵臓癌による)死後はその弟である我が亭主がすべての金融資産を預かり、嫁である私が手元で保管・管理中である。
 これが功を奏して、例えば義母所有賃貸不動産物件の大規模修繕等々、多額出費の際にもスムーズに資金投入が叶い、保証人である我々世代の身銭を切らずに済んでいる。



 さて、本日2021.05.27付朝日新聞記事内に「母が死ぬのを待てというのか 認知症の人の金融資産凍結相次ぐ」と題する記事を見つけた。
 早速、以下に一部を引用しよう。

 認知症の人の金融資産が凍結されてしまい、親族と金融機関がトラブルになるケースが相次いでいる。 介護費などに充てられず、親族が借金に追い込まれることもある。 金融庁が業界に改善を求めているが対応は道半ばだ。
 某女性(48歳)は母の介護でお金が必要なため投資信託の解約を申し出ると、金融機関担当者は「本人の意思が確認できれば」と言った。 でも電話の受話器を渡した母親は笑うだけ。 認知症場が進行し受け答えができない状態だった。
 民法では意思能力の無い状態での取引は「無効」とされる。 このため、金融機関は顧客が認知症と知れば、口座を凍結して取引を停止することが多い。(中略)
 認知症の人は2025年に約700万人になると推定され、30年には金融資産の1割りの215兆円を持つとの試算もある。
 金融機関は上記トラブル対策として「成人後見人制度」を紹介するが、費用がネックで利用は低調。 
 事態を重くみた金融庁は昨年、金融機関に対策指針をつくるよう要請。 それを受け全銀協は2月、預金については医療費や生活費など本人の利益に沿う支払では親族の引き出しを認める初の方針を策定した。
 ただ、これらは一部の金融機関の動きにとどまり、保険や証券など金融商品を扱う業界を統一する指針はまだない。

 (以上、朝日新聞本日の記事より要約引用したもの。)



 最後に、私事及び私見に入ろう。

 上記朝日新聞に目を通して思うには。

 (要約文中では詳細金額部分を割愛したが)、失礼ながら、そもそも何百万程度の子供でも貯金できそうな大した金額でもない自己資産を、何故‘‘投資”になどに回してしまうのか??、と呆れてしまう話でもある。
 そんな‘はした金”、元々出し入れの自由度が高い銀行の普通預金に入れておけば済んだはずなのに…。 (高齢者の皆様、投資を扱う金融機関の言葉巧みな営業には是非とも騙されませんように!)

 その意味では、我が家の高齢者親族への(金融資産のすべてを「普通預金」に移しておくように、との「指導」は的を射ていたといえよう。

 
 それにしても、我が家の場合も未だ解約不能の義母・実母共々「保険(生命保険)」の扱いに於ける金融機関対応が残されている。 
 (何で年寄りどもは「保険」がお好きなのだろう?? 我が家では「がん保険」には夫婦で加入しているものの、特に元医療関係者の私は他の保険には全く興味が無いのだが。)
 まあこれらに関しては、義母・実母ご両人が他界して後に保険会社と折衝しても何とかなるか、とも考察しているが。