原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

事業仕分け“パフォーマンス”にうんざり…

2010年10月30日 | 時事論評
 もういい加減“非公開”で粛々と実施したらどうなの、と言いたくなるのが新政権発足直後からの唯一の“ウリ”である「事業仕分け」だ。

 
 そもそも「事業“仕分け”」とはその響きが仰々しい割には、万人に分かりにくい造語である。

 新政権が言うところの「事業仕分け」の正確な意味をウィキペディアから引用すると、国家予算の見直しにおいて、国民への透明性を確保しながら予算執行の現場の実態を踏まえ、そもそも事業が必要か否かを判断し財源の捻出を図るとともに、政策、制度、組織等について今後の課題を摘出するもの、とのことである。

 民主党政権は昨年9月の政権交代時に、マニフェストにおいて「子ども手当て」等の“カネのバラ撒き”公約を掲げたことに関しては皆さんも記憶に新しいであろう。
 それを実現するためには多大な財源を捻出せねばならない。 片や当時、同時に民主党は増税もせず国債発行も控えてこれを実現すると公約していた。(ところが既に、菅総理は今夏の参院選においてマニフェストに反し早まって消費税増税を失言し“ねじれ国会”の結末となったのだが…)
 要するに、増税もせず国債も発行せずして民主党が如何にマニフェスト実行の財源を捻出するのかというと、それこそがこの「事業仕分け」であるという政権の論理なのである。

 そして財源捻出のための国家予算の見直しにあたって、上記のごとく「国民への透明性を確保」することも政権は掲げた。
 その“透明性”の手段として「事業仕分け」は公開にて行うこととし、マスメディアと一部の“民間有識者”とやらを仕分け会場へ呼び出しすことに相成ったのである。


 昨年11月に開催された第一弾事業仕分けに借り出された民主党議員の一人が元グラドルそしてタレント出身の蓮舫参院議員だった訳だ。
 その時、一仕分け人の立場である蓮舫氏が事の詳細もよく心得ずして安易に「1番じゃなければいけない理由があるんですか。2番じゃダメなんでしょうか。」と発した一言だけがメディアに大袈裟に取り上げられたがために“にわか民主党広告塔”となってしまい、その後この人が今年7月の参院選において東京地方区で大量得票を得たことに関しては、当ブログの3本前の蓮舫氏関連のバックナンバーにおいても取り上げている。

 メディア力とは実に怖いもので、政権の事業仕分けを大袈裟に取り上げているテレビを見ている子どもでも蓮舫氏のことは知っているようだ。
 我が16歳の娘も言うのだが、「事業仕分けと言えば若い子は皆 蓮舫さん というイメージのようだよ。」
 ………   

 この種の、深い思慮なき一国民に表面だけもてはやされる現象故に自分が民主党議員として大臣まで上り詰めた成り行きを知ってか知らずか、蓮舫氏自身もこれに関して一応悩んでいる様子である。
 朝日新聞の本日(10月30日)の記事によると、今や行政刷新相に上り詰めた蓮舫氏は昨年11月の第一弾仕分け時から多少悩んでいたらしい。 自分が発した「2番じゃダメですか」に関してノーベル賞受賞者から「歴史という法廷に立つ覚悟があるか」等の反論を一斉に浴びた時、蓮舫氏は自宅に引きこもったらしいのだ。

 原左都子に言わせてもらうと、それならば何故に蓮舫氏は“生き恥”を晒してまでも民主党の広告塔を続行するのかということである。
 この10月にも記者会見の質問に応えて「(強い女ではなく)逆に弱いと言えないから結構つらい」云々の弱音を吐いたらしいのだが、これも自分が大臣として生き残るためのパフォーマンス発言だとしたら、この人の政治家としてのポリシーとは一体どこにあるのだろう??

 以上は、昨年からの政権の「事業仕分け」とは蓮舫氏なくして語れないほどに一般市民をメディア報道漬けしているのではないかと察するため、原左都子にとってはさして興味もない蓮舫氏をあえて取り上げたまでのことである。


 それにしてもだ。
 もうそろそろ民主党政権の財政捻出手段である「事業仕分け」を非公開で実施してもよい頃ではないのか。

 国民誰しも無駄な財源を切り捨てて欲しい思いは前政権時代から共通の思いであろう。
 新政権のパフォーマンスを政権の都合のよい部分だけマスメディアで取り上げてもらったからと言って、所詮そのごく一部分しか報道されていない実態は既に国民にはお見通しの事実である。
 例えば昨年11月の蓮舫氏による「2番じゃダメなんですか」の軽はずみ発言にしても、その言葉が独り歩きしてしまっているばかりで、結局基礎研究部門の財源が切り捨てられたのかどうかの結論さえ原左都子はよく知らないのだ。

 だからこそ民主党政権の“歪んだ宣伝”媒体でしかない「事業仕分け」の公開には、一国民としてもうほとほと“うんざり”なのである。 もしもこれの公開のためにさらなる財源を無駄に消費しているとすればとんでもない浪費であり、まさにすぐさま行政刷新会議自体を「事業仕分け」対象として欲しいものである。

 この「事業仕分け」をメディアに公開することの弊害も大いにあろう。
 (蓮舫氏のごとく)もしも民主党議員が自らの選挙活動のために、この事業仕分けがマスメディアに報道されていることをまんまと利用して自己演出しているとしたら、それは巷のタレントと同レベル状態を抜け出せていないだけのことであるぞ!


 新政権は思い切って「事業仕分け」の公開はやめて非公開にしてはいかがか?
 “公開”とは言えどもマスメディアの報道とは結局蓮舫氏の発言通りの“視聴率を稼げる情報しか発信していない”ことが今のメディアの実態であるし、そんな“低俗なじゃれごと”を政権たる者がまんまと選挙対策に利用するべきでは決してないのだ。


 今後は「事業仕分け」の結論のみをメディアに公開して、その信憑性の是非を国民に問うてはいかがなものなのか?
 もうそろそろ、新政権とてそれくらいの進化を遂げてもよい時期であろう。
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センター試験難易度2分割案に異議申す!

2010年10月26日 | 教育・学校
 昨日(10月25日)のテレビ新聞等の報道によると、現在多くの大学受験者を対象として毎年1月に全国一斉に実施されている「大学入試センター試験」を、2016年度より難易度別に2種類に分割するとのことである。


 たまたま前日の24日の日曜日に、現在高2の我が娘が某予備校主催の“センター模試”に初挑戦してきたばかりである。

 実は私自身が大学受験に挑んだウン十年前の高3時は、センター試験はおろか共通一次試験も未だ実施されていない時代だった。 当時(国立受験の場合)は国立一期、二期時代であり、3月に受験する大学へ直接出向き各大学が独自に課す一発勝負の試験に臨んだものである。 (参考のため、30歳を目前に原左都子が再び受験した公立大学は“特別選抜”枠でチャレンジした故に、この時もセンター試験は受験していない。)
 そのため現在娘の“お抱え家庭教師”として君臨している私とて、残念ながら“センター試験”に関する我が実感としての情報は持ち合わせていないのだ。
 娘がセンター模試受験に際し「科目内での詳細の選択はいつどう登録すればいいの?」「自己採点とのことだけど問題用紙に自分の答に印を付けておくの?」等々あれこれと確認するのだが、こればかりは残念ながら推測でしか答えようがない原左都子なのである。


 今回の独立行政法人「大学入試センター」が呈示したセンター試験難易度2分割の趣旨とは、“大学全入時代”対策にあるようだ。
 えり好みしさえしなければ誰でも全員が大学へ入れる全入時代がすぐそこに到来している今、受験生の学力の多様化に対応するべくセンター試験にも2段階の難易度を設け、大学のレベルに応じたセンター試験を受験生に課そうとすることに今回の2分割の目的があるらしい。
 現段階で想定されているのは、主に国公立大学(一部の私大も含む)の志願者向けの試験と、その他私立大向けの基礎科目型に分ける案とのことである。


 ここで一旦、私論に入ろう。

 今回のセンター試験難易度2分割案が、誰でもいいから受験生を入学させて何としてでも大学の定員を満たしたいと欲する“名のみの形骸大学”をゆくゆくは自然淘汰させることが目的であるのならば、その意義もあるのではないかと原左都子は捉える。

 ところがそうは簡単ではない問題点も存在するようだ。
 現在のセンター試験とは概ね平均点を60点と設定して作成されているらしい。 元高校教師でもある私としてはこの平均点の設定は妥当であると捉える。 ところが実際のセンター試験の結果とは、科目間格差もあるようだがどうやら学力2分化傾向にあり、その科目の学力がない受験生からは問題が難しいという指摘もあるらしい。
 そういう実態であるならば私論としては2分化した下方である底辺の受験者を大学が切り捨てればそれで済む話とも思えるのだが、受験者の中には得意分野の科目では高得点を上げる者も多く、大学の学科の特性によってはその種の学生を獲得したいという思惑も存在するようだ。

 この受験生の科目間得点格差要因として、現在の高校に於ける必修科目の比率が減っているという実態的背景が大いに影響しているとのことである。
 元々国立理系を志望していた私に言わせてもらうと、私が高校生だったウン十年前にも私立大学受験者とは“3科目”受験が一般的だったものだ。 国立理系志望の場合7科目受験が標準であるためヒーヒー悲鳴を上げて勉強している私の傍らで、例えば私立文系志望者など高2から国英と社会1科目の勉強だけすればよく、余裕で恋愛など楽しんで悠長に過ごしていた記憶が今尚私の脳裏にあるのだ。
 歴史的背景としては、その後私立大学も入学者の受験3科目以外の低学力を解消するべく国公立と共にセンター試験に参加するようになったのだろうと私は考察するのだが。(私立の現状をよく知らないで書いていますが違いますか??)   ところが結局は今の高校も昔と似たり寄ったりのようで、バリバリ名立たる受験高と言えども科目自由選択制の拡大により必修科目が少なくなり、科目全般に渡る学力がないまま高校を卒業し大学へ進学する生徒が量産されている現状のようだ。


 再び私論になるが、それにしても今回の“センター試験難易度2分割案”は安直過ぎると言わざるを得ない。

 やはり大学の存在命題とは、今後世を担って立つ若者のためにもあくまでも「学問を教授する学府」であるべきだ。 そのためにはセンター試験2分割案など出す以前に解決すべき課題として、難易度が低くても誰でも合格できる大学など自然淘汰の上に抹消していくことが先決問題であると原左都子は直言したい!
 
 そういう意味において、今後共大学を「学問の府」として存在させようとする発想が今回のセンター試験2分割案にはまったく欠けていると判断せざるを得ない。 (大学とは名のみの)形骸化している低レベル大学に迎合するが故に、現状の子ども達の学力低下に拍車をかけている場合ではないことに教育行政も少しは思いを馳せよう。
 対中国問題、とどまることを知らない円高問題等々…  これらを解決できる学問的バックグラウンドのある次世代を担う若者を今こそ本気で育てずして、この国は一体この先何処へ彷徨うつもりなのか!?? 


 理系、文系、芸術系… その他いずれの分野の学問を子ども達が大学において目指そうとて“高卒程度”の一通りの学習能力なくして学問が全うできるはずもない。 
 そのための根本的な発想を構築するべく、独立行政法人「大学入試センター」は文科省と共に義務教育にまで遡ってその教育のあり方につき対話を繰り返しつつ出直した方がよかろう。
 少子化時代における大学の正常な存続を語る前提として、大学を志す対象者である受験者の“高卒程度の学力”とは如何なるレベルなのかにつき、原点に引き戻って議論がなされるべきである。

 その議論が成就して後に、「大学入試センター試験」の改革に着手しても決して遅くないと原左都子は異議申し立てしたいのだ。 
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“達成感欲求”が強過ぎると命を縮めるかも?

2010年10月23日 | 医学・医療・介護
 朝日新聞10月20日の天声人語の書き出しは 「あらゆる欲望の中で、一番の長生きは食欲らしい」 であった。
 まさに「食」とは生命持続にとって不可欠の根源であり、“食欲”と“長生き”の間には大いなる相関関係があろう。


 一方人間の場合、精神面での生命持続の根源とは物事に対する「達成欲」ではなかろうか?
 原左都子の場合、この「達成欲」すなわち “達成感を得ようとする欲求” が特別強い人間であるように自己分析している。 達成したいと欲する対象事象の大小にかかわらず、自分が定めた目標レベルに到達することを目指しつつ日々生を営んでいると言っても過言ではない。

 例えば、現在の私にとってはこの「原左都子エッセイ集」とてその一つの対象事象である。 一記事一記事に自分なりの“達成目標”があり、その基準(あくまでも自分自身の内面での基準であるが)をクリアするべく執筆に励む日々である。 そのため、自己満足の範囲内ながらも執筆後はいつも達成欲が満たされたことによる爽快感に酔うことが出来るのである。
              
 スポーツジムへ行っても同様である。 今現在の目標はランニング30分なのであるがこれが達成できたらミーハー素人ノリではあるが5kmマラソンにでもチャレンジしてみたく思っている。
 もちろん“お抱え家庭教師”として我が子の大学受験対策も決して日々怠ってはいない。
 (現在少し滞っているのが「原左都子エッセイ集」へのコメント返答であるかもしれない。 常連読者の方々にはすっかり甘えさせていただきまして申し訳ございません。  必ずやご返答申し上げます…)


 ところが、この「達成欲」も度が過ぎると寿命を縮める足かせ要因ともなってしまいそうだ。

 実は原左都子が先週受けたホルター24時間心電図検査において、それを懸念する結果が出てしまったのである。 
 若干の不整脈や心電図の基線の乱れが検出されたものの、これに関しては今すぐ心臓病に直結する程の悪性のものではなく経過観察でよいとの結果であった。
 私の場合特異的なのは、“頻脈” である。 ただ、これについても10代前半の頃より何十年に渡って検診において指摘され続けていることであるし、また“頻脈”とは体の異常と言うよりも“緊張状態”など精神的産物の要素が強いため、特段気にするでもなく今に至っている私なのだ。
 要するに若い頃から「達成欲」が強かった私は常に物事に集中する時間が長く、いつも自分の心臓に緊張状態を強いる結果となっていると分析できるのである。

 そんな私の言い分を聞きつつ、医師の方も私のバックグラウンドを重々認めながらも、「それにしても重労働をしている訳でもないのに、24時間ほとんど休む暇もない程の心臓の頻脈状態は捨て置けない」とのコメントである。
 私にとってホルター心電図検査は今回が初体験であり、そのデータを私も医師と一緒に全部見させてもらったのであるが、確かに私の心臓は“寝ても起きても”せっせかせっせか働き過ぎているのだ。 (ちなみに就寝時にも心拍数が多いのは、不眠症気味で夢をよく見るためだと私は説明したのだが…)

 そして医師は言う。「もちろんこの頻脈状態はあなたの性格を含めた人格でもあるのでしょう。ですが、いつもいつも心臓にこれ程の負担をかけているとすると、単刀直入に言えば短命になる恐れもあります。 あなたの人格のみではない頻脈の要素がもしもあるならばそれを取り除く事が先決問題でから、一応考えられる検査をしてみましょう。」
 あくまでも「この頻脈は私の人格のせいです!」と主張する私を振り切って、医師はとりあえず甲状腺機能検査をするとのことで、やむを得ずそれに付き合うことにした私である。
 (その結果は来週出るのだが、元医学関係者の私の診断では私は甲状腺機能亢進症ではないことは明らかとも言えるが…  さて?)


 まあ、それにしても確かにこの医師がおっしゃる通り、心臓とは一生において脈を打つ回数がある程度定められているものである。 (他の例を挙げると、一生において女性が排卵する卵子の数がある程度定められているようにね。)
 もちろん人間の体とは個人差が大きい事は否めないが、その個人差とて“ある程度”の範囲内であることは皆さんも既にご存知の通りである。 未だかつて150歳以上生きた人が世界に記録されていないがごとく……
 そうなると、原左都子が長生きするためにはこの医師の指示に従って“頻脈”の原因を突き止められるならばそうした方がいいというとりあえずの結論となるのである。

 ただし、私の場合はやはり“達成欲”が強いという人格面で心臓の“頻脈”を煽っていることは明らかである。
 もしも今回の甲状腺検査で異常が出ない場合、医師から「もう少しのんびり過ごしましょう」などとアドバイスされるのであろうか???

 これはかえって難しい課題だなあ~~。
 長年ずっと「達成欲」を頼りに自分を活性化してきている我が身にとって、たとえ心臓がバクバク脈打とうが「少しのんびりしなさい」などとのアドバイスは本心で辛い思いである。 と言うよりも“のんびり”を演ずることにかえってストレスを感じて、さらに頻脈を煽りそうな気がする。

 そもそも我が子を自立させた暁の我が寿命は多少短くてもよいと心得ているのだが、その後も生き長らえるのであれば“のんびり”などせずして、是非共今まで通りあくせくと自分なりの“達成感”を享受しつつこの世を堪能したいものである。  
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蓮舫さん、今後の身の振り方を再確認せよ。

2010年10月21日 | 時事論評
 民主党女性国会議員関連の記事が続くが、今回は昨年秋の事業仕分けにおいて“目立つ発言”をしたという理由のみで現在特命担当(行政刷新担当)大臣にまで上り詰めている 蓮舫氏 を取り上げよう。

 大学在学中に某メーカーのキャンペーンガールとしてデビューし、その後グラドル出身タレントとして活躍した蓮舫氏とはどうやら元々思い切りのよい気質の持ち主であられるようだ。 芸能界という生き残りが厳しい世界の中で、グラドル時代から文字通り“裸一貫”の大胆グラビア写真で名を揚げて来られた経歴については、原左都子もネット情報により心得ている。


 国民の皆さんも既にご存知の通り、この蓮舫氏が政権大臣の立場にありながら先だってよりくだらないことで“お騒がせ”醜態を国民に晒している。
 何でも国権の最高機関である国会内でファッション誌の取材に応じ、高額のブランド服を身に付けて写真撮影を繰り広げたらしいのである。 この蓮舫氏の“不祥事”が、国会規則違反であるかどうかに関して参議院議長等と蓮舫氏の間で現在に至ってまだ論議を引きずっているようである。

 そもそもブランドには何の興味もない原左都子にとっては、今回の“蓮舫氏事件”の真相などくだらなさ過ぎてどうでもよい話題である。
 それにしても不可解なのは、政権が対中国問題や円高問題等々超難題を抱え危機に瀕しているこの時期に、何故に政権トップが期待して大臣にまで任命した蓮舫氏がこのような“軽薄お騒がせ行動”を披露したのかという点である。 
 ご本人の弁明によると、これは立派な議員活動の一環であるらしい。 「ギャルからOLのお姉さんまで全員が立ち止まる政治家というのは私しかいない。」と高らかに自負している様子をファッション誌の中で語っているそうなのだ。
 
 “事業仕分け人”として官僚相手に「2位じゃダメなんですか?」と食ってかかっただけのことをマスメディアが大袈裟に取り上げ報道したことがきっかけで、その後大臣にまで任命され、7月の参院選においても東京地方区において桁違いダントツ1位当選し(てしまっ)た蓮舫氏は、どうやら自分こそが国民の英雄であると勘違いするに至っているようだ。


 原左都子が思うに、蓮舫氏が今担っている特命担当(行政刷新担当)大臣とは要するに「事業仕分け」を担当する大臣なのであろう。(よく知らずして書いていますが違いますか?) 
 昨秋より新政権が展開しているがごとく、マスメディアを仕分け会場に呼びつけてまるで“ショー”のようなパフォーマンスを繰り広げ、この影像を国民に公開することが目的の部門なのであろう。(なんせ、新政権は当初のマニフェスト実現のための歳費削減を今尚使命として背負っているしね。 だから“ほらほら、こんなに歳費削減の努力をしてるよ!”と国民にアピールしたいがために新設した部署なんだよね?) 
 それ故に、蓮舫氏のごとくの政治ド素人議員でも元タレント歴があるからこそメディア公開の“事業仕分け”でその演技力を発揮でき、大臣にまで上り詰めることとなったのであろう。

 この蓮舫氏に対する政権内部の評価は、真面目で努力家とのことであるようなのだ。 それはちょっと分からないでもない。 あの細身の体でいつも真剣そうな表情を保ち、報道の取材に失言がないよう配慮しつつ言葉少なに応じている姿は見て取れる。
 ただ残念ながらメディアの取材に対する受け答えから判断するに、どうも政治家(ましてや政権の大臣)としてのポリシーが未だに何一つないのだ。 それもやむを得ないであろう。 上記のごとく政権発足後間もないうちに“事業仕分け人”として発した一言がメディアに大きく取り上げられたがためにやわら大臣として任命され多忙となり、その後一国会議員として専門力を身につけるべく精進する時間がまったく取れない状態と察するのだ。


 その挙句の果てが今回の“国会ブランドファッション撮影”の不祥事だったのではなかろうか。
 
 大臣にまで上り詰めて(しまって)いる蓮舫氏としては、政治家としての専門力がない自分も他の大臣のごとく何らかの形で政権に貢献したいと志したのではあるまいか?、と原左都子は推測するのだ。
 少なくとも蓮舫氏の場合、自身に政治分野の学術的専門能力が一切ないことぐらいは自覚できているのだろう。  要するに自分は政権トップから“広告塔”の役割を期待されていることは承知しており、自分に課せられている使命とはあくまでも政権政党である民主党の選挙対策面で活躍することであり、それこそが自らの大臣としての存在価値と捉えているのではなかろうか。
 そんな蓮舫氏の“焦り”が表出したのが、今回の“国会ブランドファッション撮影”騒動だったように察するのである。


 上記の原左都子の推測が当たっているとすれば、蓮舫氏の今回の撮影騒動は気の毒な思いである。
 もしも蓮舫氏が昨秋の事業仕分けにおいて目立っていさえしなければ、にわか大臣になど任命されず、今後蓮舫氏が国会議員として真に成長できるべく精進の時間が取れたのかもしれない。

 蓮舫氏に関しては民主党から来春の都知事選に出馬させるなどとの、鳩山前総理の突拍子もない提案が出ているようでもある。 いつまでたっても“セレブぼけ”の鳩山氏には総理辞任時の自らの約束通りとっとと政界から引退してもらうとしても、だ。 
 民主党にとって至って都合のよい“美味しい広告塔”として、まるで若い頃に芸能界でタレントだった時と同じく民主党長老どもに好き放題使い回される立場の現在の蓮舫氏の人格のあり方を思うと、いたたまれない思いの原左都子である…。 
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柔道ではなく国会議員を辞めるべきだ

2010年10月19日 | 時事論評
 これはもちろん、先だっての10月15日に柔道界からの引退を表明した民主党参院議員谷亮子氏の話である。


 いや、もしも谷亮子氏が国会議員になっていなかったとしても、現役の柔道選手としてはもうそろそろ引退の潮時ではあっただろう。
 過去のオリンピック柔道選手選考において、国内大会で勝利した若手ではなくベテラン谷選手が出場できるべく優遇措置が取られたことがあるが、あの頃から既に柔道界の不透明さが露呈しており、そんな灰色柔道界において谷選手は近年孤高の存在であることを余儀なくされていたようだ。

 それにしても、だ。 
 谷亮子氏が柔道界に長年君臨し貢献し続けてきた歴史とは凄まじいものがある。 天性の才能に加えて努力また努力を重ね、オリンピックでは2つの連続金メダルと銀メダル2個を取得、それから15歳という若さで世界選手権に初出場し銅メダルを獲得したのを皮切りに7度の優勝を勝ち取る等々、この人が柔道選手として達成し続けた輝ける記録は国民栄誉賞レベルの前人未到の快挙であろう。


 そもそも名立たる柔道界のスーパースターを小沢氏は何故に参院選に引っ張り出して、つまらない一国会議員になどに擁立しようとしたのか? それは民主党の票取り目的に他ならないのだが、慣れない世界で“人寄せパンダ”として選挙戦を先頭切って闘わされ、参院議員当選後も民主党の看板代わりに利用され続けている谷亮子氏を見るにつけ、忍びない思いの原左都子である。
 国民の間に名前さえ売れていれば何の能力やバックグラウンドがない“アホ”でも当選する国会議員になど好き好んで成り下がらずとて、柔道界のスーパースター谷亮子氏には今後いくらでもその専門力を活かせる活躍の場が保障されていたはずである。

 同じくオリンピックマラソンで金メダルを取得している高橋尚子氏は、7月の参院選への立候補依頼を辞退したとの報道を見聞している。
 高橋尚子氏に関しては、金メダルを取得して以降の現役選手時代にオリンピック出場にこだわるあまりに自滅への道を辿り、本来の彼女らしさを見失ってしまい失望させられる云々の趣旨のバックナンバーを原左都子は綴っている。(よろしければ2008年3月記「高橋尚子と荒川静香」をご覧下さい。)
 その後もしばらく現役選手にこだわるが故に煮え切らない様子を国民に露呈しつつも、結局は現役をきっぱりと引退するに至った高橋尚子氏であるようだ。 現在はマラソンの解説者や国民へのマラソン普及イベント等の指導者として充実している様子を報道で垣間見ては、専門のマラソン分野で水を得た魚のごとく活き活きと活躍する高橋氏の様子に安堵する原左都子である。


 高橋尚子氏よりも長年に渡り数段輝ける記録を柔道において残していると判断できる谷亮子氏が、何故に(どう考えても自身の専門とは程遠い)参院選出馬依頼になど応じてしまったのか、その柔道専門力がもったいなくてならない私なのだ。
 その背景には、上記のごとく柔道界において孤高の存在と化してしまった自身の立場に悩んでいた現状があるようだ。 全日本柔道連盟は、出産や現在の議員としての公務のために大会に出場しない谷氏を切り捨てる対応をした。 この措置は当然の判断であろうと国民感情としても柔道連盟に同意するのだが、そんな柔道連盟の自分への対応に対し疎外感を募らせた谷氏が、悲しいかな小沢氏の政界への誘いに安易に応じてしまったのだとの報道もある…。


 今回の谷氏の柔道界引退に関して、政権内外の女性議員からの種々のコメント報道がある。
 例えば民主党議員女性は、「子育てをしながらの議員活動は大変なのに、柔道も加えて3つの役割を成し遂げようとした谷さんの気持ちは本物だった」と当然ながら肯定的立場に立っているのだが、 (気持ちだけ本物でも、いつまでも人寄せパンダ的立場の仕事しかなく国会議員としての実力が伴わなけりゃ議員としての価値はないでしょ。)
               
 自民党の片山さつき氏は、「柔道を続けると言ったから選挙期間中にメディアが大きく取り上げた。選挙対策としか思えない。本人は現役を続けられると信じていたのかもしれないが、だとすれば立候補を誘った小沢さんが悪い」と言うのだが、 (メディアがどう取り上げようが国民は元々谷氏擁立が選挙対策であることは重々分かっていた。小沢氏が悪い事もとっくに承知している。 それよりも、谷氏が今後国会議員であり続けたいのならば、選挙対策ではない歳費特権に見合う実質的働きをしてもらうことの方が先決問題だ。)


 人間が職業人としてこの世を生きていくためには、自身の「専門力」で勝負することが一番生き延び易いのではないかと原左都子は心得る。 それだからこそ、谷亮子氏が35年間の年月をかけて培ってきた世界でも類稀な“柔道”という分野のスーパースター的実績を、何故に今捨て去るのかと残念でならないのだ。
 いや、捨て去るのではなく国会議員の立場でそれを再度開花させたいと谷氏は反論されるかもしれない。

 だが、(小沢ガールズを含めて他のちょこっとだけ名が知れてる程度の国会議員など、どうせ一期で議員生命が終わりだろうから二の次でよいとしても) 柔道界で世界の頂点に上り詰めた谷氏にだけは国会議員の使命を甘く考えないで欲しい思いである。
 今のあなたは「今後の日本のスポーツ全体の振興や環境を整えることも大きなテーマであり、そこで力を発揮したいという気持ちが大きくなった」ことを柔道引退理由として表明しているようだが、その言葉には一国民としてはどうしても自身に対し冷酷になった柔道界からの逃避心の陰が否めないのだ。

 
 国民の皆さん、ここでちょっと考えて欲しい。  たとえ小沢氏と言えども大リーグで活躍中のイチロー選手を参院議員に立候補させ“人寄せパンダ”を演じさせる恥をかかせたであろうか??  これが“ヤワラちゃん”なら許されるという発想とは如何なものだろう???

 老婆心ながらも原左都子個人的には、表題通り国会議員こそ早めに引退して今後も柔道世界にエネルギーを注ぐ人生の方が、谷亮子氏ご本人にとって本意であられ、尚一層輝き続けられるように思えてならないのだが… 
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