原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

突然始まる “チャットでの問い合わせ” にびっくり!

2017年03月31日 | 時事論評
 私の場合、ネット利用はこの「原左都子エッセイ集」が中心と言えよう。

 それに伴い、エッセイを綴るに当たり情報収集のためネット検索する事は日々多いし、あるいはエッセイ集をFacebookマイページにリンクしてFacebook上でコメントを頂いたりもする。

 もちろん今の時代背景に於いて、この私も各種検索やネット通販等もよく利用している事には間違いない。

 そんな私が、「チャット」と聞いてそれが何か答えよ。 と問われたならば、「ネット上で出会った相手とリアルタイムで画面上で文章交換をすること」程度の解答は可能だ。

 過去に於いて某ブログコミュニティ会員だった時代に、我がエッセイ集読者の方々とその「チャット」らしきやり取りをした経験が幾度があった。
 近年では、SNSのFacebook上にて文章のやり取りをする機会もある。


 チャットとのかかわり歴がその程度の少なさの私にして、つい最近驚くべき事態がパソコン画面上で発生したのだ。  それも一日に2度立て続けに!


 まず一つ目。

 今年の1月にauが「auお客様サポート」画面を一新した様子だ。
 我が家は一家3名でau顧客となり家族割等々を利用しているのだが、携帯電話(つい最近娘がスマホに買い替えた)と固定電話、そしてインターネット接続をすべてセットでau(KDDI)と契約している。
 その請求書確認を毎月私が担当し、パソコン画面より閲覧している。 ところがauによる画面一新に伴い、いつものID及びパスワードにてログインを試みても、どうしても不能状態が続くのだ。

 口座引き落としに先立ちパソコン画面で請求書を確認したいのに、それが不能状態となり、私は突然のauの画面一新に不信感すら抱き始めていた。
 これはどう考えても腑に落ちない。 KDDIの魂胆とは、あえてパソコン画面から請求書を閲覧不能にしてガラケー使用者を是が非でも全員スマホに買替させ、スマホからパケットに繋げさせようと狙っているのではないのか??  あるいは、請求書を閲覧不能にして、湯水のごとくパケット料金を稼ごうとの悪知恵か???

 幾日も何度もau画面ログインをトライしていたつい先だっての事だ。
 やはりログインが不能となり、私が何らかの箇所をクリックした。(おそらく、ログイン不能に関する問い合わせか何かの項目をクリックしたのだろう。)
 そうしたところ、突然パソコン画面の端っこに「今回お客様の問い合わせに〇〇(具体的な担当者らしき愛称)がお応えします」と表示された。 まさか、これがチャットとはその時は気が付かない私が更に画面をいじくっていると、再び同様の画面が表示されるではないか。
 もしかしたら、これチャットか?? と慌てつつ、相手からの「何かお問い合わせでしょうか?」なる書き込みの下に、我が質問事項を長々と入力していると、すかざず「お問い合わせにお答えしますので、何なりとお書き下さい」なる文言が表示される。  私が長文の質問を入力し終わると、「ご丁寧にご質問をありがとうございます」なる返答が来る。 
 
 参考のため、私の場合キーボードはブラインドタッチにて超高速打ち派のため長文でも短時間で難なく入力可能なのだが、もしも低速でしか入力不能な顧客に対しても、その問いに応えられるのだろうか? なる懸念点を抱いていると。
 画面下の方に「ただいま、担当者が入力中です」なる説明書きが出る。 なるほど、相手が入力中の様子が分かるシステムにチャットも進化しているんだ。 などと妙に感動していると。
 最終的にauチャット担当者氏が、我がチャット質問にきちんと答えて下さったのだ!
 これには、感激だ! お陰で、私は今後共にパソコンにて「auお客様サポート」にログイン出来、毎月請求金額を確認可能となった。  最後にそのお礼と共に😊マークを担当者氏に送信すると、ご丁寧な挨拶を頂戴した。


 そして、2つ目。

 偶然同じ日の夕方の出来事だ。
 今度は、ネット通販大手某企業の「ギフト券」の使い方にパソコン画面上で戸惑っていたところ。
 またもやパソコン画面の端っこにチャット画面が現れた。 午前中にauで体験した直後のため、もう手慣れたものだ。
 早速我が要求をチャット画面に入力すると、すかさずギフト券の使用方法に関してチャットにて指南があった。 その指示に従い、私は無事に「ギフト券」を使う買い物が出来た。


 ここでウィキペディアより、「チャット」に関する情報の一部を要約して紹介しよう。

 チャット (chat) とは、インターネットを含むコンピュータネットワーク上のデータ通信回線を利用したリアルタイムコミュニケーションのこと。 chatは英語での雑談のことであり、ネットワーク上のチャットも雑談同様に会話を楽しむための手段である。
 かつてはリアルタイムで参加者が文字入力を通して行うコミュニケーションがチャットと同義であったが、ブロードバンドが普及したことにより文字だけではなくさまざまな情報を送れるようになったため、チャットの種類も増えている傾向にある。
 チャットと呼ばれる物はいくらか種類がある。それぞれの違いはコミュニケーションの手段に何を使うかである。
 チャットの場合、常にリアルタイムで進行しているため、数文字〜数十文字程度の文章を書き込んで進行することがほとんどだが、それでもなお文章入力のキー入力が間に合わずに話が進んでしまうこともしばしばである。 特に10名を越える参加者が居るチャットでは、発言が間に合わずに他人の発言で返答を返したい相手の発言が画面上から消えてしまう(これをチャット用語で「流れる」という)ことも有るため、幾つかの簡略的な表現で、会話を行うことも多い。
 (以上、ウィキペディア情報よりごく一部を引用したもの。)


 最後に、私論に入ろう。

 なるほどねえ。
 チャットに於いては、やはり文字の打ち込み能力差による弊害が大きな課題となる事を改めて実感させられる。
 その現象を若者達は「流れる」と表現するようだが、その「流れる」事態をカバーするために、若者間で“略語”が主流となってしまった現世の歪んだ歴史が浮き彫りになりそうだ。

 私論だが、それならば何もネット上で会話せずとも生身の人間同士で会合して、思う存分話しあってはどうなのだろう? と言いたい気分にもなるが……

 そう言いつつ既に高齢域に達しようとしているこの私も、今回初めて営利企業相手に「チャット問い合わせ」を利用した身にして、電話よりもマシかな。 なる情けないばかりの印象を受けたのが事実だ。
 こと、顧客より営利企業への問い合わせに際して現在各社が展開している0120コールセンター対応について物申すならば、“お粗末”な事この上ない!! と日々実感させられ憤っている私だ。

 そうすると、むしろチャットによる対応の方が上出来感すら抱かされる気分にもなる。
 
 そんなこんなで、今後の顧客対応にチャット利用は有効かもしれないと考え綴った今回の我がエッセイだ。

高齢殿方達よ、なぜ他人の子を叱ってくれない!?

2017年03月28日 | 人間関係
 巷の学校が春休みに入っている。


 先だって、いつも通っている自宅近くの公立体育館併設スポーツジムへ行った時の事だ。

 私のジムでのスケジュールとは、まず最初に軽くストレッチとダンスエクササイズをした後、体育館内上階部のトレーニング走路にて5㎞のランニング練習に入る。 その後、ジムへ戻りマシンを使用して筋トレに励むとの段取りだ。

 このトレーニング走路だが、一周が172mと短く、またその幅も1,5mに満たない程に狭い。 故に、複数の人間が同時にこの走路を走る場合、前の人を追い抜くのがやっとの状態だ。
 参考だが、体育館1階部分はバドミントンと卓球の球技場となっていて、それぞれが半分づつ使用している。

 学校が長期休暇に入ると同時に、いつも体育館内は子供達で賑わい始める。
 特に、親に連れられて(?)体育館1階の球技場にてバドミントンや卓球を楽しみに来る子供達が多い様子だ。 体育館は吹き抜けで上階の走路より、その風景が眺められる構造になっている。

 さて、そうなるといつも困惑するのが、1階から上階のランニング走路へ“遊びに”やって来る子供達が出没する事だ。
 いえ、子供達の皆が皆走路で遊ぶ訳ではなく、特に中高生の中には真面目にランニング練習をし始めたりする子もいる。
 一方で、特に小学生程の小さい子供達は、例えば私が走るのを「抜く」事が楽しみのようで、私が通り過ぎては全速力で走って抜き去っては喜び、また少し休んで抜き去っては皆で「やったー!」とばかりにはしゃいだりしている。
 これとて、同方向へ走ってくれるならばまだしも許容範囲だ。 中には狭い走路を全速力で逆走してくる子供がいるのだ。  特にコーナーでは、その姿が見えないため衝突との大きな危険を孕む。


 ある時、あまりにも危険なためランニング練習を中断し、逆走少女軍団をつかまえて説教したことがある。 
 「ここは“トレーニング走路”と言って、ランニングやウォーキングの練習をする人達がトレーニングをする場なの。 皆真剣にその練習に励んでいるのよ。 ここで貴方達に遊ばれては危険性があるし迷惑なのよ。 貴方達が本気でランニング練習をしたいのならば、決して逆走せずに真面目に練習しなさい。」云々…
 これに対し、3名中2名の少女は、私の“指導”にうなずきながら遊びを止めようとした。 ところが残り1名の少女の顔つきから、私は明らかな反発心を感じ取った。 そしてどうやら“反発少女”こそがリーダー格だった様子で、残り2名は私に申し訳なさそうな顔をしながらも、結局反発少女の意向に従い“遊び”を続行した。  やむを得ない。 私がランニング練習を中断せねば、怪我をさせてしまったりしたら大人の私の責任が問われる、と考え身を引いた。
 おそらく小学3,4年生位の年代の少女達だったが、教員経験がある私にして他人の子を𠮟ることの困難さを改めて実感させられた事件だった。

 この時、他の観点から残念に思った事がある。
 走路には複数の高齢男性達が、私同様にランニングやウォーキングに励んでいた。(このジムは公立体育館併設という事実によるのか利用者のほとんどが高齢者なのだが。)
 にもかかわらず誰一人として走路で遊ぶ少女達を叱る人がいないばかりか、私が少女達に説教している現場を見て見ぬふりを貫くのだ。 せめて少し応援でもしてくれたならば、私ももう少し強い態度で接する事ができたのに…  と、その高齢者男性達の“他人行儀ぶり”に失望させられたものだ。 そして、練習不能と判断したら(我関せず。)と言わんばかりにさっさと走路から去っていく姿にもがっかりさせられた。


 つい先だっても、同様の事件がトレーニング走路にて発生した。

 今回トレーニング走路にやって来たのは、中学生男女軍団と小学生男子軍団の2グループだ。 どうやらそれぞれがバドミントンと卓球を1階で楽しんでいる途中、それに飽きて(?)走路まで“遊び”に来た様子だ。
 今回の場合、悪質と私が判断したのは、決して走路にて走るではなく、それぞれのグループが走路の真ん中に陣取り、バドミントンの練習を始めたり、卓球の球を転がして遊び始めたことだ。
 これじゃあランニング練習など出来やしない。 よし、私が説教するか!、と思い始めた時、上記の事例が脳裏を過った。 (いや待て、今回の相手は中学生と男児だ。暴力を振るわれないとも限らない。 周囲には高齢男性が複数いるし、何も“か弱き女性”の私が説教役を受けて立たずとて、今回のように子供達の遊び方が悪質な場合は、さすがに高齢男性の誰かが叱ってくれるだろう。)
 ところがその期待も虚しく、誰一人として子供達を叱る高齢男性が現れない。 そして、子供達をよけながらランニングやウォーキング練習を続けているではないか! 

 何故その行動を高齢男性達が取るのか、私とて理解出来ないではない。 
 一番の理由とは、“事なかれ主義” によるものなのだろう。 誰しも、たかが自主的トレーニング中に他人の子供を叱るとの行動に出て、反動等の危険に晒されたくないのだろう。

 あるいは、もしかしたら「子供達にも走路で遊ぶ権利がある」と考える高齢者がいるのかもしれない。
 実は私の脳裏の片隅にもその考えが無くはない。 
 ただどう考察しても、その子供達の行為が危険に晒される確率が高いのは事実だ。 いくら高齢者が子ども達をよけて狭い走路を走ったり歩いたとしても、不意打ちが多い子供達の行動パターンを考慮すると、衝突事故の危険性は孕んでいる。 そうした場合、やはり大人が子供達を危険から守るためにも、説教なる働きかけは必要かと私は考えるのだが。


 古き良き時代には、ご近所に必ずや「雷親父」や「頑固親父」が存在して、悪さをする子供達を大声で一括していたものだ。
 それですべてが収まっていた時代は、もはやノスタルジーなのか?
 人間関係の希薄化が急激に進んだ今の時代、子供達を叱れない大人が世に量産されてしまっている。

 せめて、この世を長く生き抜かれ様々な経験を積んでおられる高齢者の殿方達にお願いしたい。
 もしも私のような“か弱き”女性が見知らぬ子供達を説教している場面に出くわしたなら、“我関せず”と無視をして通り過ぎずに、その成り行きを見守る程度の余裕を持って頂けないだろうか?

安倍政権側の「政治の私物化」を断じて許してはならない!

2017年03月26日 | 時事論評
 昨日午前中のニュース報道に寄れば。

 安倍晋三首相夫人の昭恵氏は3月24日午後、北九州市で講演した。 昭恵氏は学校法人「森友学園」への国有地売却問題で関与が取り沙汰されていることに触れ、「多くの方に騒がれることになってしまい、自分の甘さがあったのかなと反省している」と語った。 会場からの励ましの拍手に涙ぐむ場面もあった。
 講演は報道陣に非公開で行われた。 出席者によると、昭恵氏は自身について、「本当に私は普通の主婦、普通の女性だ」と強調。「主人と私と、一生懸命この国のために働いていることをぜひご理解いただければ」と訴えた。
 (以上、ネット情報より引用したもの。)

 3月24日と言えば、籠池氏に対する国会証人喚問が実施された翌日の事だ。

 何ですって?? 今回の証人喚問の渦中人物である安倍昭恵氏が、その翌日に公費で北九州にまで秘書連れて、何とまあ“尻軽”にも自分の支持者達に“お涙頂戴”講演に行ったのだって?!?

 原左都子としては、アンビリーバブな事態だ。
 しかも自身は「私は普通の主婦、普通の女性」の位置付けにしつつ、これまたぬけぬけと、「主人と私が一生懸命この国のために働いていることを国民は理解せよ」だと?!!
 支離滅裂の論理に呆れるのに加えて、これだけ世論が森友学園不祥事に大騒ぎしている最中に反省の色の欠片もない事実に驚かされる。
 昭恵さん、貴女は「私人」と私は捉えている。 故に、貴方に “国のために働く” 事を元より一切期待していないし、国費から“秘書”を5名も付けている事実を即刻廃止せよ!、と私は何度も訴えている。
 今一度言うが、ご亭主や貴方の側近に言われるがままに行動するのではなく、少し落ち着いて自分の頭で物事を考える時間を設けてはどうなのか。 


 一方、昭恵氏と籠池氏婦人の間で交わされたメールの数々が既に世間に公開されている。

 その一例を以下に紹介すると。
 「森友学園」事件をめぐり、安倍総理大臣の夫人の昭恵氏と森友学園の籠池理事長の妻とのメールのやり取りが公表された。  今月16日分として昭恵氏が「100万円の記憶がないのですが」と送り、籠池氏が、おととし、昭恵氏から受け取ったとしている100万円の寄付金をめぐるやり取りと見られる。
 それによると、大阪・豊中市の国有地が学校法人「森友学園」に鑑定価格より低く売却されたことが国会で取り上げられた先月中旬に、昭恵氏は、「この度のことはどうなっているのか、ご説明もなくマスコミから追いかけられて戸惑っております」としている。
 これに対して、籠池氏の妻は、「お電話をおかけしてはご迷惑になりますでしょうか」などとしたうえで、翌日には「いたらないことばかりで大変申し訳ございません」などとしている。
 先月21日には、昭恵氏が「なぜ売却価格を非公開にしてしまったのですか。やはり怪しまれるようなことはしないほうがよかったのかなあとは思います」というメールを送っている。
 これに対し、籠池氏の妻は「公開しなかったのは、土壌汚染や廃棄物のある土地で開校しようとしていると、悪評をたてられたら困るのでしませんでした」として、国有地の売却価格が、当初、非公開にされていたことをめぐって交わしたやりとりと見られる。
 その後、安倍総理大臣が先月24日の衆議院予算委員会で、昭恵夫人が開校が計画されていた小学校の名誉校長を辞任することを明らかにし、その翌日(25日)、籠池氏の妻が「国会議員が来て自民党を守るために、昭恵さんの写真を外してほしいといわれました」としている。
 これに対し、昭恵氏は「私が関わったということは、裏で何かがあるのではと疑われないように、細心の注意を払わなくてはならないということだったのでしょう」。
 さらに籠池氏の妻は、24日の衆議院予算委員会で、安倍総理大臣が籠池氏のことを「しつこい」などと答弁したことについて、「今国会のテープをきかせていただきました。しつこいとは安倍総理には失望しました。主人は悪者ですね」。
 これに対して昭恵氏は、「人の受け取り方はそれぞれですね。 籠池先生のお役割もわかったような気がします。お辛いでしょうが、頑張って下さい。ありがとうございます」と返信し、籠池氏の妻は、その翌日に、「あきえさん辛くなんかありません。安倍総理を信頼していた主人は国会でしつこい方なんかいわれても動じない」などと返している。
 さらに先月28日に昭恵氏が、「私は講演の謝礼を頂いた記憶がなく、いただいていたのなら教えて頂けますでしょうか」、「籠池園長の熱意は信じています。本当に記憶から飛んでしまって、他の講演等は全て振込みか、銀行に入れて税理士事務所に管理してもらっているのですみません」などとしている。
 そして今月8日に、籠池氏の妻が、建設を進めていた小学校の認可をめぐって、「土を運ぶ費用等認可をいただくには3億5000万足りません。あきえさんも協力して下さい」などと送り、昭恵氏は「祈ります」と返信している。
 籠池氏が野党4党と自宅で面会した先週16日分として、籠池氏の妻が、「大事な民衆をきりすてるのは許せない。国会にでます」などと送っている。
 これに対して昭恵氏は、「私もどうしていいかわかりません。神様はどこに導こうとしているのか。とにかく祈っています」などとしたうえで、「100万円の記憶がないのですが」と送っている。
 (以上、昭恵氏と籠池夫人とのメールやりとりの一部をネット情報より引用したもの。)


 これを如何に読みこなすのかは、おそらく見る側の立場により結論が大きく食い違うのだろう。

 当該メールやり取りに関する原左都子の私論を記すならば。

 籠池夫人側が比較的率直にご自身の感情も交えつつ、昭恵氏と交流せんとしているのに対し…、
 昭恵氏側の態度が途中から大きく変貌し、他力本願に発言を自重しているのが読み取れる。
 
 特に昭恵氏の、「私が関わったということは、裏で何かがあるのではと疑われないように、細心の注意を払わなくてはならないということだったのでしょう」。 のくだりなど、昭恵氏自らがご亭主である安倍首相を筆頭とする政権がらみの連中が当該事件にかかわっている事実を認めたもの、とも受け取れる。

 あるいは2月28日に昭恵氏から、「私は講演の謝礼を頂いた記憶がなく、いただいていたのなら教えて頂けますでしょうか。籠池園長の熱意は信じています。本当に記憶から飛んでしまって、他の講演等は全て振込みか、銀行に入れて税理士事務所に管理してもらっているのですみません」などとした後に。
 籠池氏夫人が、「大事な民衆をきりすてるのは許せない。国会にでます」などとメールを送ったのに対し、昭恵氏は「私もどうしていいかわかりません。 神様はどこに導こうとしているのか。とにかく祈っています。100万円の記憶がないのですが」と送っている。

 このメールのやり取りこそが、原左都子は大いに気になるのだ。
 私論だが、昭恵氏がもしも真に金銭授受をしていないのならば、それを籠池氏のご亭主に強く「私は一切の金銭授受を貴方達ご夫婦としていない!」と直言すれば済む話のはずだ。
 にもかかわらず、あくまでも昭恵氏はいつまでもちまちまと籠池氏奥方相手にメールを送り、「記憶がない」なる不明瞭な言葉まで持ち出している始末。
 しかもしかも安倍政権側は今回の事件に関し、野党側からの安倍昭恵氏証人喚問要求を断固として断り続けている。 軟弱な昭恵氏が証人喚問の場で自己の非を認める危険性があるからに他ならないため、と私は理解しているのだが。 
 そうではなく、真に安倍政権側が蓮池氏側と一切の金銭授受をしていないのならば、この際野党からの昭恵氏証人喚問に応じる事こそが、一番の方策と私は指南申し上げたい程だ。
  繰り返すが、結局それを断固としてしないのは政権自ら金銭授受を認めたもの、と国民は受け止めてよいという事だろう。


 現在、学校法人「森友学園」への国有地売却問題で、与党は、証人喚問された学園の籠池氏の証言について、真偽の検証を進めている。
 虚偽と判断した場合は偽証罪での告発も視野に入れる。 国会の告発には重い責任が伴うため、全会一致で決めるのが通例だが、野党は籠池氏の証言をもとに政権への追及を強めており、実現のハードルは高い。
 自民党は「籠池氏はかなりのウソつき」(高村正彦副総裁)として、議院証言法に基づく偽証罪(懲役3月以上10年以下)での告発の検討に着手。早期の事態収拾を図りたい考えだ。 告発するには、喚問を行った委員会での「3分の2以上の多数」が必要。 籠池氏を喚問した衆参両院の予算委員会のうち、衆院予算委は与党だけで3分の2以上を満たしているが、記録が残る1976年以降の12人はすべて全会一致だったという先例がある。このため、「野党が納得できる虚偽証言でなければ、告発は難しい」(自民党中堅)との見方がある。
 民進党内では「密室での寄付などは水掛け論になり、反証しにくい」(幹部)と告発に慎重な意見が多い。真相解明のため、昭恵氏の証人喚問を求めている。
 森友学園を巡っては、籠池氏夫妻が国有地取得に絡んで鴻池祥肇・元防災相に賄賂を渡そうとしたとして贈賄(申し込み)容疑で大阪地検特捜部に告発状が出されている。
 (以上、本日公開されていたネット情報より引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 蓮池氏ご自身に関しては、教育論自体の時代錯誤及び学校設立に際する資金ぐりの過ち等々、元教育者でもある私としても反論したい事項が山々あるのが事実だ。

 ただ、今回の蓮池氏国会証人喚問劇を視聴した立場の一国民として、もっと大きな勢力による劣悪に歪んだ事態にこそ驚愕させられる。
 それこそが、表題に掲げた安倍政権による「政治の私物化」に他ならない。 (このフレーズは、本日昼のNHKニュース内で社民党福島議員が発言された言葉を引用させて頂いた。)

 この事態を国民が許し続ける(あるいは放置し続ける)ならば、この国がまさに「安倍独裁国家」に成り下がる危険性さえ孕む事実を、一人でも多くの国民の皆様に気付いて欲しいのが本音だ。

 もしも蓮池氏が偽証罪に問われる事になれば、国家と国民が結託して蓮池氏一人を悪者に仕立て上げたとの意味で申し訳ない思いすらある。
 今回の「蓮池氏証人喚問」とは、安倍政権による「政治の私物化」危機に国民皆が対抗するまたとは無いチャンス!と捉え、微力ながらも我が「原左都子エッセイ集」にて再三取り上げたという訳だ。

そもそも昭恵氏が名誉校長を引き受けたのが諸悪の根源だ!

2017年03月24日 | 時事論評
 今回のエッセイは、昨日3月23日午前・午後に渡り衆参両議員2部構成で実施された「森友学園蓮池理事長に対する証人喚問」の速報の形となる。


 今朝パソコンを開いたところ、昨日の証人喚問に於いて蓮池氏が答弁した内容に関する安倍昭恵氏よりの反論が掲載されていた。
 そのネット情報の解説と共に、昭恵氏ご自身がFacebook上に公開された反論文章全文を以下に紹介しよう。

 安倍晋三首相の昭恵夫人は3月23日夜、衆参両院の予算委員会で同日、大阪市の学校法人「森友学園」の籠池泰典氏に対する証人喚問が行われたのを受けて、自身のフェイスブック(FB)に「私は、籠池さんに100万円の寄付金をお渡ししたことも、講演料を頂いたこともありません」と投稿し、重ねて否定した。
 籠池氏が喚問で、昭恵夫人が27年9月5日に講演に訪れた際、「私と2人きりの状態で『安倍晋三からです』と封筒に入った100万円をくださった」と主張していることについても反論。「私は、講演などの際に、秘書に席を外してほしいというようなことは言いませんし、そのようなことは行いません。この日も、そのようなことを行っていない旨、秘書2名にも確認しました」と書き込んだ。

 昭恵夫人がFBに投稿したコメントは次の通り

 本日の国会における籠池さんの証言に関して、私からコメントさせていただきます。
 (1)寄付金と講演料について
 私は、籠池さんに100万円の寄付金をお渡ししたことも、講演料を頂いたこともありません。この点について、籠池夫人と今年2月から何度もメールのやりとりをさせていただきましたが、寄付金があったですとか、講演料を受け取ったというご指摘はありませんでした。私からも、その旨の記憶がないことをはっきりとお伝えしております。
 本日、籠池さんは、平成27年9月5日に塚本幼稚園を訪問した際、私が、秘書に「席を外すように言った」とおっしゃいました。しかしながら、私は、講演などの際に、秘書に席を外してほしいというようなことは言いませんし、そのようなことは行いません。この日も、そのようなことを行っていない旨、秘書2名にも確認しました。
 また、「講演の控室として利用していた園長室」とのお話がありましたが、その控室は「玉座の間」であったと思います。内装がとても特徴的でしたので、控室としてこの部屋を利用させていただいたことは、秘書も記憶しており、事実と異なります。
 (2)携帯への電話について
 次に、籠池さんから、定期借地契約について何らか、私の「携帯へ電話」をいただき、「留守電だったのでメッセージを残した」とのお話がありました。籠池さんから何度か短いメッセージをいただいた記憶はありますが、土地の契約に関して、10年かどうかといった具体的な内容については、まったくお聞きしていません。
 籠池さん側から、秘書に対して書面でお問い合わせいただいた件については、それについて回答する旨、当該秘書から報告をもらったことは覚えています。その時、籠池さん側に対し、要望に「沿うことはできない」と、お断りの回答をする内容であったと記憶しています。その内容について、私は関与しておりません。
 以上、コメントさせて頂きます。
 平成29年3月23日
      安倍昭恵  
 (以上、ネット情報より引用したもの。)


 昨日実施された当該証人喚問のすべてを、私は午前午後に渡りテレビにて視聴した。

 我が私論として言いたい事は山々あれど、本日のエッセイでは、昨日の蓮池氏の関する証人喚問が“何を目的として実施されたのか"に的を絞って私論を述べたい。

 午前中に質問に立った自民党参院議員もその“喚問の目的論”を繰り返していた。
 当該自民党議員曰く、「今回の喚問のポイントは、蓮池氏がカネもその資質も一切無いのに小学校を設立しようとした事こそが諸悪の根源」と結論付けた。(表現面で多少の違いはあれども、自民党議員が言いたかったことは概ねそういう事だろう。)

 ところが、原左都子の私論は全く異なる。
 今回の蓮池氏証人喚問の第一義とは、「安倍首相及び昭恵夫人を筆頭とした国会自民党議員や大阪府等々、政権や地方自治体権力が今回の蓮池氏による森友学園小学校創設にかかわり積極的に裏工作等をした事実を明かす事」にあるとの考えに揺るぎが無い。

 その観点で昨日の喚問劇を注視したのだが、午前午後を問わず自民党及び公明党議員よりの喚問質問内容の腹立たしい事、この上ない!
 特に午後質問に立った自民党衆議院議員の質問たるや、途中から質問ではなくなり、ご自身の感情論に特化してしまった。 これ、むしろ自民党としては墓穴を掘ったのではなかろうか。 証人喚問と言えども、質問者にも礼儀が要求されるであろうに。

 その自民党衆院議員氏は、殊更蓮池氏が安倍昭恵氏から受け取ったと言う100万円の寄付金のみにこだわり、自分勝手にその事実が無い事を前提として蓮池氏に事細かな質問をしていた。
 例えば、「受け取った100万円を振り込んだ振込用紙が古い。本当は受け取って無いですよねえ~。事実を言わねばあなたは偽証罪に問われますよ~~。」等々と蓮池氏を責めるのだが、その発言の仕方が嫌味たらしい事、この上ないのだ。 証人喚問の質問に際してもある程度のマナーが必要ではないかと、聞いている一国民として苛苛させられた。


 さて、その昭恵氏が蓮池氏に渡したという100万円の寄付金、及び昭恵氏が名誉校長を引き受けた時に蓮池氏が支払ったとされる謝礼 に関する原左都子の私論を述べよう。

 私としては、それらの“金銭授受”に関しては今回の証人喚問に際し二の次の議題でよいのではないかと考える派だ。

 それよりも優先して議論するべきは、何故安倍昭恵氏が当該開設予定の小学校の名誉校長を引き受けるに至ったのか(その背後裏側の事情も含めた)の事実ではなかろうか?
 昨日の蓮池氏の答弁によれば、昭恵氏が名誉校長を引き受けていた時期は5ヶ月間との“短い期間”であり、その後辞退されたとの事だ。
 私に言わせてもらうと、5ヶ月間とは十分に長い。 てっきり2,3日で自らの過ちに気付きさっさと辞退したものと想像していたからだ。
 で、その間昭恵氏は「名誉校長」として何某かの業務をしていたのか? 蓮池氏は何らかの「口きき」でもしてもらっていたのか?  なる質問もあったが、それに対して蓮池氏は「開校に際して様々な相談をしていた」と回答を濁したように記憶している。

 一国の総理夫人が一私立小学校の「名誉校長」を引き受けるという事は、要するにそういう事だろう。 つまり政府が一私立学校に何らかの“口利き”をするためと、大方の国民に勘繰られてもやむを得ないという事だ。
 その事態に昭恵氏は想像が付かなかったのか? あるいは、「私は総理夫人だぞ! それくらいの権力はあるのさ。」と愚かにも威張りたかったのか??  まったくもって、よくぞまあそのような危険な行為に出たものだ、と呆れ果てるしかない。


 蓮池氏証人喚問の前日に、野田佳彦・民進党幹事長も以下のように述べておられる。

 (学校法人「森友学園」=大阪市=をめぐり)総理経験者として、どうしても分からないことがあるんですね。(安倍晋三首相が最終的に断ったとはいえ、同学園の幼稚園での講演が決まっていた件について)総理大臣が一幼稚園の講演に行こうと思うはずがないんです。ありえない。これ本当、不思議ですよ。地元の親しい幼稚園だって、行きませんよ。  二つ目。ファーストレディー、総理夫人に5人も秘書がいた。これも信じられない。やはり、特殊なんですね、このことが。それだけ、深い関係の方のために、誰かが何かをやったんじゃないかということは、韓国の大統領が辞めたのと同じじゃないか。
 (何某かのパーティーのあいさつで、野田氏が述べた内容を引用したもの。)


 蓮池氏に対する証人喚問は、今後も続くようだ。

 安倍昭恵さん、貴女は「自分は蓮池氏との金銭授受をしていない!」、と主張する事に現在躍起になっておられるようだ。  だが、その大本は(たとえ周囲にそそのかされたとはいえ)ご自身が得体の知れない学園の「名誉校長」を引き受けるとの呆れた行動を取り、種を撒いてしまったが故の話だ。

 国民とて、大迷惑な話だ。
 単に蓮池氏ご本人が軽率カネ無し人間で結果として学園開設がままならなかったにせよ、貴方がこの学園に名誉校長として絡んでさえいなければ、これだけ国家を上げて国民を巻き込んで大騒ぎする必然性もなかったはずだ。

 以前も本エッセイ集にて記述したが、安倍昭恵さん。 一国の総理夫人として今後如何なる身の振り方をするべきか、今回の事件に懲りて是非とも再考して頂きたいものだ。

他者への依存心が老化を加速させる

2017年03月20日 | 自己実現
 ここ数年、何処へ行っても(身内高齢者を含め)お年寄り達と縁がある私だが、彼ら(彼女ら)ご高齢者の皆さんを観察したり会合したりする日々の中、思う事がある。


 先だって公園で行きずりの92歳のご婦人と出会い、一緒に一時ダンスを踊り立ち話をした話題をエッセイに綴った。

 公園ダンス歴が既に7,8年になる私だが、行きずりの関係で話しかけて下さるのは大抵がお年寄りだ。
 小学生くらいまでの子供達も、私がダンスを踊っているのを見ると興味深そうに立ち止まったりはするが、話しかけてくることはまずない。 その他の世代はチラリと視線を投げてくることはあれど、決して近づいては来ないし、大方は見ないふりをして去って行く。

 そうそう。 ある時犬を連れて散歩中の中年女性とお話をした事がある。
 この時の状況を述べると、ダンスをしている私を女性が連れていた犬が立ち止まってじっと見るのだ。(同様のシチュエーションはよくあるが、大抵は 飼い主が “こら、見るな!” と言わんばかりに犬の首のロープを無理やり引っ張って連れ去って行く。) 
 ところが、その女性は違った。 犬の“意思”を尊重し一緒に立ち止まったのだ。 それに気が付いた私はダンスをやめ女性と犬の所へ行って挨拶した後、犬のすぐそばに座って私に注目してくれた犬の頭を撫でた。 その行動で犬が私に懐いてくれ何とも可愛いので、「こんなに懐いてくれるのですね。可愛いですね!」と本心を述べると、「もしかしたら犬を飼われていますか? 犬の匂いに惹かれたりするようです。」と女性。 「いえ、飼っていませんが、こんなに可愛いならば飼いたくなりますね!」  などと話していると、女性が「ダンスのお邪魔をしてごめんなさい。」とおっしゃるので、「こちらこそ、可愛いご愛犬に懐いて頂きありがとうございました。」と挨拶した。 その後も犬は、私の方を何度も振り返りつつ散歩道を去って行った。


 あっと、話題がついつい横道に外れ、我が公園での“行きずりの出会い物語”になってしまったようだ。

 ここで、今回のテーマに戻そう。

 上記、公園でダンスを一緒に踊った92歳のご婦人を “Aさん” としよう。
 このAさん、元々明るく人見知りをしないタイプのようだ。 おそらく、日々散歩中に出会った人達との会話を楽しんでおられる事だろう。
 加えて、私がAさんに感心させられた一番の理由は、お亡くなりになったご亭主の話題に一切触れなかった事だ。 私が察するに、ご亭主が亡くなってからさほどの年月が経過していないと推測出来るにもかかわらず…。

 これに比し、例えば昨年のイタリア個人旅行中に出会った日本人団体旅行客の女性高齢者(78歳との事だったが)など、イタリアでの我々母娘との一期一会の出会い中に、亡くなったご亭主の介護の様子を事細かく話されるのだ。 
 海外旅行にまで出て、何故異国のこの地で出会った見知らぬ他人にご自身のご亭主の話題を中心に設定するのか??、と聞いてあげながら辟易とさせられたものだ。 おそらく同国人ならばご自身の辛さを理解してもらえると期待し、心の内を打ち明けたのだろう。
 この78歳のご婦人は、「主人が亡くなった今、私にとって旅行こそが楽しみ!」 とおっしゃるのだが。 そうであるならば尚更、亡くなったご亭主の介護の辛さを旅先で行きずりの人に聞いてもらうとの手段を取るご自身の心理状態こそに決着を付けない内は、その辛さからいつまでも解放されないのではなかろうか??、と無情にも感じざるを得なかった……。

 確かに、高齢域に達して一人残される配偶者のその後の生き様とは、先に他界するご亭主(奥方)の年齢により大きく左右されるのかもしれない。

 上記イタリア旅行中に知り合った女性の場合、未だ78歳。 おそらくもっとご亭主と共に生きて行かれようと志されていたのだろう。
 片や、92歳のAさん。 男性の平均寿命を鑑みると、ご亭主はあらかじめ予想可能なご年齢にての他界だったのかと推測可能だ。 それ故に、ご自身が92歳に至ってあれ程にお元気で、今現在も公園内を散歩しつつ私にまでお声を掛けて下さったのかと嬉しく思う。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 現在、高齢者有料介護施設へ入居中の我が身内高齢者2名(義母及び実母)の保証人を任されている関係で、必然的に普段より高齢者に関心が向くのは現在の我が宿命であるとして。

 そのお陰の長所として、私は世間で知り合う高齢者の皆様に対し“興味が持てるようになった”と自己分析するのだ。

 ただ、この世の誰が高齢者に興味を持つんだ!? というのが世間一般の本音ではなかろうか。
 高齢者対策と政権をはじめ各種公的機関が大騒ぎしている割には、特に核家族の若い世代程、そんなの他人事と考え無関心でいる事に間違いないだろう。
 下手をすると、身内高齢者より如何に高額年金を巻き上げるか?? にまで若い世代家族内での魂胆が及んでは、刑事事件にまで発展しそうだ。

 高齢者にとっては、身内に身を斬られそうな今の厳しい世の中である事に間違いないだろう。
 そんな逆境の下、高齢者自身こそが老齢初期段階から身内をはじめとする他者に依存することなく、いつまでも主体性を持ち自力で生き抜くことこそが身を助けるものと、私は信じるのだが…