原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

子ども達よ、“新型コロナ騒動”収束まで、どうやって学ぼうか?

2020年04月30日 | 教育・学校
 連休明けまでの「全国緊急事態宣言」後の“延長”調整が未だ国民に発表される段階に至っていないが。


 本エッセイ集に於いて既に取り上げた「学校9月始業制」導入(原左都子自身は基本的に導入反対派であることは述べているが。)に関して、現在有識者(??)達の間で喧々囂々と意見交換がなされ始めている様子だ。


 その中で、我が思考に近い見解を先程ネット上にて発見したため、以下にそれを引用しよう。
 (参考だが、豊田真由子氏ご本人については、“良き印象”を抱かせて頂いていない事をあらかじめ明記しておく。)

  豊田真由子氏、9月始業は「課題を先送りにしてるに過ぎない」反対姿勢示す

     元衆議院議員の豊田真由子氏が30日、テレビ放送内で、にわかに論議が高まってきた学校9月始業制について、「課題を先送りにしているに過ぎない」と反対の姿勢を示した。                                           
 番組では9月始業について、全国知事会でも話し合われたことなどを議論。 コメンテーターとして出演した豊田氏は、9月始業は「すごく一番深刻な問題にふたをして、課題を先送りにしているに過ぎない」とバッサリ。                                           
 その理由について「9月に始めれば、学力格差を正せるというのは私は全く違うと思っていて」と切り出し、すでに国内でも私学の一部などはオンライン授業などを行っていることを挙げ「諸外国では当たり前のように双方向オンライン授業、課題を出してチェックしてっていうように、通常と同じレベルではないにしろ、毎日毎日子供は学習してます。進んじゃってます」とコメント。                                           
 勉強を進めている生徒と、進めていない生徒との差について、9月始業にした場合「こっちが進んでいるから、じゃあなしにして、こっからやらせようととは、ますます差が開くだけ」と、すでに勉強していた子と、していない子の差はなくならないと指摘。                                           
 9月始業を話し合うよりも「実際、今できることを、可能なことを最大限やることに注力すべきであって、9月にすれば解決するというのは違う」と、オンライン授業の整備など、他にするべきことがある強い口調で訴えていた。
 (以上、ネット情報より引用したもの。)



 本エッセイ集数本前のバックナンバーにて、この問題に関連する原左都子の私事を語っているため、その部分を以下に引用させていただこう。

 我が家など娘幼少時より、母親の私がサリバンをずっとやり遂げている家庭である。
 そんな我が家に於いては、たとえ学校が休校になろうが何らの影響も無いどころか、むしろ中途半端に学校へ行かせるよりも、このサリバンに娘の教育を全面的に任せて貰えたほうがよほど手っ取り早いのに…と、嘆くこともよくあった。 (もちろん、集団生活を経験させ社会性を身につけさせるとの意味合いで、学校との場が役立ったとも言えるのだが。 反面、いじめに遭い転校を余儀なくされる等々、大変な思いをさせられ続けたものだ…) 
 (以上、バックナンバーより一部を引用したもの。)

 我が娘の場合、生まれ持っての事情により私が「サリバン」をせずして成り立たない家庭だった、との特異的要件もあろう。
 実際、大変な思いをして来ている。 
 特に娘の年齢が低い頃程、私が「サリバン業」に費やす時間と労力負担が大きかった。   ただ、我が長き学業経験や教職経験及び医学専門職経験が大いに活きたものだ。 その意味で我が家は“恵まれて”いたとも言えるだろう。
 たとえ学校が休校になろうが何らの影響も無いどころか、むしろ娘を中途半端に学校へ行かせるよりも、このサリバンに娘の教育を全面的に任せて貰えた方がよほど手っ取り早いのに…と、嘆くこともよくあった。

 そんな我が家がもしも“新型コロナウィルス騒動”に巻き込まれ休校に直面したとしても、何ら不都合も無いどころか、娘とのマンツーマン教育が悠然と叶った気さえする。 
 もしも突如と「9月始業制」を告げられたとすれば、我が家にとっては半年間のサリバン業が“二度手間”でしかなく、大いなる迷惑感のみが募った事だろう。

 
 ただ、現に「休校」を課せられている児童・生徒達及びその家庭が被っている“不安感”の程は計り知れないのが世の実情であろう。
 上記引用情報内にも記されている通り、「コロナ騒動によりもたらされた教育格差拡大の是正」の問題は見過ごせない。  今後の子ども達の学力差の程が末恐ろしいまでに拡大してしまっている事実は想像可能だ。


 そうだとして、最後に原左都子の私論だが。

 だからと言って突如と「学校9月始業制」に持ち込むには、医学的側面からの考察が完全に抜け落ちている点も指摘したい。

 「学校9月始業制」支持論者達とは、“新型コロナウィルス騒動”が9月までに「収束(終息)」に至っていると信じてのご発言なのだろうか?
 そうであるのならば、「8月までにコロナ完全収束」の根拠を明瞭に提示して欲しいものだ!

 我が私論としては、決してその結論には至らない。 むしろ、2020東京五輪の来年夏開催も危ぶまれるのではないか?? と悲観する立場だ。
 もしも我が推測が当たった場合、今年の「9月学校始業」が更に休校を余儀なくされないとも限らない。
 その危険性にまで配慮が及んだ場合、必然的に今年の「学校9月始業制」論理は破綻に至るのではなかろうか??

「原左都子エッセイ集」 ー恋愛・男女関係カテゴリー  より一部を抜粋

2020年04月29日 | 恋愛・男女関係
 つい先程、ネット上のサイトで我が「原左都子エッセイ集」 恋愛・男女カテゴリーが丸ごと取り上げられているのを発見した。


 そのサイトへ入って、私自身が当該ページを覗いてみた。


 その中から我が目にとまった一部分を、以下に抜粋させていただこう。


 恋愛カテゴリーの一エッセイにも複数のコメントを頂戴した。
 その中から“アラ還”とご自身がおっしゃる当時の我がエッセイ集ご常連コメンテイター K氏よりのコメントと、それに対する私からの返信を以下に紹介しよう。

 アラ還も夢を見る (K氏) 2009-08-26 03:53:28
 いいエッセイだなあ、鉄路を歩く少年達の背を見ている様な感覚で読ませていただきました。 長い長い青春の恋愛小説を読んだ気持ちです。 自己中のギラギラした酒とバラと女の夢しか見なかったのが、還暦を過ぎる頃から、妙に醒めた、しかして平穏な心持で自分を頭の上から見ている様な夢を見る様になりました。 きっと窓から爽やかな風が入ってきていたのかもしれませんね。 ダンス・パーティの梯子の女に乾杯!
 
 Kさん、素敵なコメントをありがとうございます。 (原左都子) 2009-08-26 10:38:55
 今回の記事は久々に綴った我が“過去恋”がらみのエッセイでした。
 選挙が近く周辺の雑音が鬱陶しいのに加えて、我が子の夏休みが終わりに近づき宿題の手伝いもまだ山と抱え、雑念の多い落ち着かない不本意な日々を送っている私にとって、昨夜の夢は一時の心の余裕をもたらしてくれたような潤いのひとときでした。 
 真夜中の涼しい風が運んでくれた思わぬ贈り物に感謝です。
 ダンパ(ダンスパーティ)って、趣味が大きく分かれる分野のため、付き合ってくれる人と絶対に行きたくない人が極端に別れてしまいます。 特に若かりし恋人達にとってのこの趣味の相違は、恋愛継続の岐路であったようです。
 もっとも学生主催のダンパとは、所詮は“ナンパ”のために存在するパーティだったものですが…。
 Kさんも還暦を過ぎられて尚、さわやかな夜風の下で素敵な夢を見られますように。


 今現在振り返るに、この恋愛もまさに「恋の結実と別離の狭間」を彷徨った恋愛だったことを、今更ながらに思い知らされる。
 
 何故、私は恋愛に於いてその“失敗”を何度も繰り返したのだろうか?
 その回答とは。  私の恋愛とはいつも“真面目さに欠けている”と言うのか、相手に対して“無責任”であることに端を発していたような気もしてきた。
 その頃既に20代前半期、「結婚」を意識しても不思議ではない年代であるにもかかわらず。  そもそも“結婚願望”に欠落していた私は、当時上京して就職することこそを揺るぎない第一目標に掲げていた。 それを必ずや実行に移すであろうとの思いは相手の心理内にもあったことだろう。 
 要するに上京後も長く続いた独身時代を通して、「恋の結実と別離の狭間」を彷徨い続ける我が恋愛に於ける変癖とは、私の内面に確固と存在していた“結婚願望欠落意識”に源を発していたと分析出来そうに思えて来た。


 ところであの頃いつも「原左都子エッセイ集」に粋で“こなれた”コメントを頂戴していたK氏だが。 当時未だ“アラ還”であられたとのことは、現在まだ70歳そこそこのご年齢ではなかろうか?? 物理学研究者であられたと記憶させて頂いているが。 
 私自身が既に60代半ばに達しようとしている身にして、意外と若い方だったのか? と再認識させていただいた。  もしお元気でしたら、是非また「原左都子エッセイ集」をお訪ね下さいますように。


 我が「原左都子エッセイ集」開設初期から数年間は、数多くの学際的、文学的なコメントが押し寄せ、日々“感激もの”だった。
 2020年4月の今、時は確実に流れたことを思い知らされる……
 

プレイバック ウィーン2019.07 ー 2 ー

2020年04月28日 | 旅行・グルメ
 (冒頭写真は、昨夏のウィーン旅行ハイライトだった「モーツアルト・コンサート」会場のウィーン国立歌劇場とその周辺。 
 ハイライトだった割りには、“演奏一流・観客四流” 状態でかなりがっかりさせられた事については、バックナンバー旅行記にて述べている。)



 本日は、昨夏 2019.7に娘と二人で出かけた「ウィーン個人旅行」プレイバック版「第二弾」の写真を、我が「ウィーン旅行アルバム」より公開させていただこう。

 (既に何度も述べているが、昨年11月に旧パソコンを壊滅的に故障させ、その内部データのすべてを失っている。  そのため、この「ウィーン旅行アルバム」のみしかウィーン旅行を語れる手立ては無い。)


     
      (ウィーン国立歌劇場周辺の写真。 モーツアルト気取りの男性はコンサートチケット販売促進活動中。 我々にも近づいて来たが、既にチケット購入済みであることを伝えると離れて行った。


     


     



     



     



     



     



     
      シェーンブルン宮殿内庭園


     



 Big Job をやり遂げた後とは、達成感と共にしばらくは“倦怠感”に苛まれるものでもある。
 そんな我が“倦怠感”を 2019.08.31付バックナンバー「惑いの夏に秋を待ち侘びて」に於いて綴っているため、最後にそれを引用しよう。


 今年の夏出かけたウィーン個人旅行が7月上旬と夏未だ早い時期だったせいか。
 その後の夏が嫌になる程長かった事…。

 けだるい今夏の猛暑の日々を何とか身体と心を奮い立たせつつ、自分の心を誤魔化して過ごしてきた感がある。

 ウィーン旅行までは、嫌でも多忙かつ充実した日々だった。

 今年の夏は娘の仕事の都合でどうしてもその時期にしか休暇がとれず、しかも日本が3連休時のため旅行代金が割高だったにもかかわらず、早期のウィーン旅行決行だった。

 帰国後すぐに日本では猛暑が襲い掛かり、そのまま8月末を迎える形となってしまった。

 こんなうだる暑さの中にも何とか私なりの達成感を得ようと、果敢にもランニング練習に出かけたりもした。 (普段の夏は、熱中症予防のため猛暑時にはランニングを控えているのだが。)

 他の手段を思いつかない程に、我が脳内活動が低下していたとも言えよう。

 ランニング練習がそんな我が精神を、確かに奮い立たせてくれた。
 昨日もランニングに出かけたのだが、お陰で本日は少し頭が冴え、私らしさの欠片を自分で感じる事が可能だ。

 何だかんだと言いながらも、早いもので明日から9月。

 秋になると、私はまた一つ年齢を重ねる。

 少しは、大人になろうか?

 それとも、このまま少女のハートを貫こうか??
 
  (以上、バックナンバーより引用したもの。)


 
 最後に、話題を“新型コロナウィルス渦中”の現在に移すならば。

 そんな“心の機微”すら味わう事が叶わない、この厳しい現状…
 “人間らしく生きる” との本来の日常を少しでも早く取り戻したいものだ。

 せめても過去のBig Job でも思い起こしつつ、何とか私らしさを維持しよう。 


国内でもやっと“新型コロナワクチン”開発か?

2020年04月27日 | 医学・医療・介護
 今夜深夜より当該gooが またもや! 自社サービス拡大のためにメンテナンスを実施するとの予告を承知している。


 どうやら、明日午前中まではそのためにgoo編集画面が閉ざされるようだ。


 それに先立ち、先程見たネット情報を公開しておこうと志した。


 早速、以下にその情報を引用しよう。

塩野義薬、新型コロナの予防ワクチン開発を正式決定
2020/04/27 15:30
 塩野義製薬は27日、新型コロナウイルス感染症に対する予防ワクチンの開発を正式に決定したと発表した。
同社は14日に、公的機関やアカデミア、パートナー企業と連携し、治療薬の創製、ワクチンの開発、抗体検査キットの提供に向けた取り組みを進めていると発表していた。
ワクチンの開発については、塩野義のグループ会社であるUMNファーマが、国立研究開発法人日本医療研究開発機構が支援する研究開発課題である「新型コロナウイルス感染症のワクチン開発に関する研究」に3月から参画しており、UMNファーマの有する組み換えタンパク抗原の作製を進めている。
今回、このワクチンの開発を新型コロナウイルス感染症治療薬の創製と並ぶ最優先プロジェクトの一つに位置付け、速やかな非臨床および臨床試験への移行と、1000万人規模の提供を可能とするスケールアップ検討に着手できるよう、取り組みを加速することを決めた。現時点では、年内の臨床試験開始に向け、厚生労働省や独立行政法人医薬品医療機器総合機構、国立感染症研究所などと協議・相談を進めているという。


 私見だが。
 
 塩野義製薬とは私が過去に某医学関連企業に勤務していた頃より、新薬開発や新医学検査開発に於ける“ライバル企業”の位置づけにあったと記憶している。
  
 おそらく私が過去に所属していた民間企業も既にその分野の医学検査や新薬・ワクチン開発に勤しんでいることだろう。


 明日から当該gooが半日もの長き時間帯に及び 「編集画面」を閉鎖するとの情報を得て、この話題を急いで記させて頂いた。

 (gooの編集画面が自由に使用出来るようになった後に、追加文書を書かせて頂きたく考えております。)

家庭環境に問題がある子ども達のケアこそが重要

2020年04月27日 | 教育・学校
 「学校の始業を9月に仕切り直してほしい」。

 巷では、こんな意見も出始めているようだ。



 我が家は、娘が3年生3学期に転校した公立小学校と目と鼻の先の距離にある。
 いつもならチャイムや校内放送がうるさい環境下なのだが、3月以降校舎は“もぬけの殻”状態だ。
 それは正直言って嬉しい反面、はやり子ども達の事が気がかりだ。
 日々一体何をして暮らしているのだろう? 
 少し前までは街や公園で子ども達をよく見かけたが、自宅自粛の教育が強化された今、綺麗さっぱり子ども達の姿を見なくなった。

 5月6日までの国家や地方自治体の「自粛指導」も気がかりだ。
 その先の方針に関しては、5月6日のその日に発表する意向のようだが…😲 


 今朝方ネット上で見つけた情報の一部を、以下に引用しよう。

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で小刻みに休校が延長されている学校現場から、そんな声(冒頭に記した“学校始業9月案)が漏れ始めた。 背景には学校再開時の感染リスクへの懸念、その場しのぎに見える対応への不信感もあるようだ。国際的には「9月入学」が主流だが、この時期の急な制度転換が現実的に可能なのか-。 
 休校の約2カ月分を取り戻すため授業は“詰め込み”になる。 生徒が密接する対話学習はなし。 前を向いて黙々と給食を食べさせ、休み時間は友達とも近づき過ぎないよう口酸っぱく注意しなければならない。 
  マスクや消毒液は現場でそろえるしかない。 教室には校内放送には使えないブラウン管テレビしかない。 「こんな状態の学校に来させて、次の学年に送り出していいものか」。 いったん収束しても再び感染が広がる懸念がある以上、「いっそのこと欧米諸国と同じ9月始業に改めていいのではないか」と思える。 
 福岡県立高校の男性教員(30)は再開が不透明な中での授業の準備、授業参観や運動会のシミュレーションに徒労感を覚える。 「無駄になるかもと思いながらやっている。仕事ってそういうものなのかもしれないけど…」。 休校が延びるたびに計画は練り直し。 「国が率先して9月始業と決めてくれた方が、急ピッチでオンライン学習の準備に注力できるのに」と話す。 
 9月入学は、大学を軸に過去にも議論されてきた。 文部科学省は2008年、学校教育法の改正施行規則で入学時期を学長判断で決められるようにした。13年には文科省が有識者会議を設け、留学や長期インターンシップにつながるという利点をまとめている。 
 16年度には国公私立大の4割近くが4月以外の入学制度を設けたが、60万人以上いる大学全体の入学者に対し、4月以外の入学は約3千人、その約8割は留学生だった。 
 新型コロナの影響による休校長期化に伴って9月入学・始業を求める声が出始めていることについて、萩生田光一文科相は24日の記者会見で「さまざまなところで声が上がっているのは承知している」「あらゆることを想定しながら対応したい」と述べた。 
 一方、元文科省官僚の寺脇研さんは厳しい見方を示す。 「企業の採用にも影響するし、導入するにも大議論が必要。夢のような話をする時ではない」。 学校は再開時に即応できる準備をしておくことが重要であり、現時点で優先すべきなのは困難な家庭環境にある子どもたちのケアだと指摘。 「心と体は大丈夫なのか。確認方法も含めて考えてほしい」と強調した。 

 (以上、ネット情報より一部を引用したもの。)


 私見に入ろう。

 上記ネット情報の最後の部分、寺脇研氏のご意見が正論ではなかろうか?
 “コロナ混乱”に便乗して突如“付け焼き刃”的に「9月新学期制」を採用するなど、無謀にも程があるというものだろう。😵 
 確かに、現在の政府の“新型コロナ対策”は“行き当たりばったり的であり、深い思慮の上で国民を指導しているとは到底思えない。
 安倍氏の突発的な発想ばかりが先走りして、それに国民皆が翻弄されている現状と表現するべきだろう。
 
 私事を語ると。
 我が家など娘幼少時より、母親の私がサリバンをずっとやり遂げている家庭である。
 そんな我が家に於いては、たとえ学校が休校になろうが何らの影響も無いどころか、むしろ中途半端に学校へ行かせるよりも、このサリバンに娘の教育を全面的に任せて貰えたほうがよほど手っ取り早いのに…と、嘆くこともよくあった。 (もちろん、集団生活を経験させ社会性を身につけさせるとの意味合いで、学校との場が役立ったとも言えるのだが。 反面、いじめに遭い転校を余儀なくされる等々、大変な思いをさせられ続けたものだ…)

 ただ、上記一番最後の寺内研氏のご意見は、もっともだろう。
 現時点で優先すべきなのは困難な家庭環境にある子どもたちのケアだと指摘。 「心と体は大丈夫なのか。確認方法も含めて考えてほしい」とのご記述。
 おっしゃるとおりだ。
 そして我が家の事例などはおそらく少数派に過ぎず、この世は困難な家庭環境にある子ども達で溢れていると言って過言でない事であろう。

 学校の先生達よ、今は政府や自治体の中途半端な指導に翻弄され、身動きがとりにくい環境下で混乱を来たすしか方策がとれない状況なのであろうが。
 ここは突如と「9月新学期制」案を持ち出すことなく、どうか、困難な家庭環境にある子ども達に主眼を置きつつ、そのフォローを最優先で行って欲しいものだ。