原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「アニバーサリー 1(鮫のごとく)」 に頂いたコメント群

2017年02月28日 | 自己実現
 数本前に公開した 「『原左都子エッセイ集』のコメント欄を閉鎖した理由」 と題するエッセイに於いて、私は当エッセイ集コメント欄を当面閉鎖するとの結論に至っている。

 ところが、実は未だに「コメント欄」の今後の扱いをどうするかに関し、悩みに悩んでいるのが正直な気持ちだ。

 あれから我がエッセイ集を開いてはコメント受付をしていた頃のバックナンバーを読み返し、これ程コメント欄が充実している(いた)ブログも珍しいのではなかろうか、なる郷愁に駆られるのだ。


 そんな中、開設1年目に公開した上記表題のエッセイが目に留まった。
 このエッセイは、まさに開設1周年記念の形で綴ったものだが、その時点で既にコメント対応等々に関して悩んでいる我が姿が描かれていて、我ながら興味深いものがある。

 そこで、今回は当該エッセイ本文の一部、及びコメント欄に頂戴したコメント全文を反復させて頂く事としよう。

 本日(2008年9月6日)で、本ブログ「原左都子エッセイ集」がちょうど1周年を迎える。
 そこで今回のエッセイでは、私の1年間のブログ生活を振り返り、今後の展望をすることにしよう。
       (  途中大幅略   )
 “鮫”とは泳ぎを休んだら死んでしまう魚であるため泳ぎ続けて生きてゆく動物、という話はよく聞くが、私にもその習性があることを以前より自覚している。 ただし子どもを持つ親の身である現在は、私が「私」としてその習性を表に出せる機会が激減し、慢性的な欲求不満を抱えざるを得ない現状ではあるのだが…。   休みなど一切要らない、ずっと何かをしていないと落ち着かない感覚がこの私にも本能的にあることを、私は今尚認めている。 私が独身を長く続けて休む暇もなくあれやこれやと試行錯誤をしたのは、その習性を持つためと再確認した。
 さて私のブログに話を移すが、私はこのブログを“ひとつの趣味”として捉えていることに関しては当ブログでも何度か記述しているが、たとえ趣味とはいえ何事にも半端なことが許されない私の性分として、ブログに関しても“鮫的習性”が陰を潜めていることに私自身が気付いている。
 私のブログの趣旨は“自己のオピニオンの公開”にあるのだが、その公開性に関して頭を悩ませる機会が増えてきた。 ご覧のように本ブログは記事に関するコメントを広く受付け、それに対して必ず返答をして更なる議論を展開するという形をとり、ブログの公開性を全うしようとしている訳である。この作業の日々の精神的、時間的な負担が正直なところ尋常ではないのだ。
 常に“鮫的習性”を発揮し続ける私としては、この作業を難なくこなしているかのごとくの外見を創出してはいるが、その舞台裏では夜も寝られず悩み込むこともよくあり、日常生活に差し障ることさえある。 そこにはブログに振り回されてしまっている私が存在するのだ。 こうなると、単なる趣味とは言えなくなってしまう。   あくまでも生活の中の一趣味の位置づけとして何とか自分なりに整合性を採りたいと、現在思案中なのである。
 とは言え、コメントやメッセージという形で記事に対する直接的な反応を頂くことはやはりうれしいものだ。 もしもコメントやメッセージを一切頂けなくなった時に、果たして私は“一人芝居”で1日置きに2000字を綴り続けられるのか自信はない。 そのように考えると、やはり皆様から頂くコメントやメッセージに支えられて私のブログは成り立っていることが裏付けられるのである。
 悩みながらも、皆様からのコメント、メッセージという確かな反応に支えられつつ、やはり私は今後もひとつの趣味であるブログを“鮫のごとく”綴り続けていくのであろう。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を再掲載したもの。)


 引き続き長くなるが、当該エッセイに頂戴したコメント群全文を、以下に紹介しよう。
 コメンテイターの皆様には無断にての再掲載である事実を、お詫び申し上げます。


個性とマイペース (愛煙家)

2008-09-06 11:48:55

こんにちは

1周年おめでとうございます。

>果たして私は“一人芝居”で1日置きに2000字を綴り続けられるのか自信はない。そのように考えると、やはり皆様から頂くコメントやメッセージに支えられて私のブログは成り立っていることが裏付けられるのである。

本日のコメントは
原さんの更新内容に相応しくない可能性がありますので、削除対象と感じたら削除をお願いします。

目的を持ってブログ更新してきたんですね。
ブログに必要なのは個性とマイペースだけでいいんじゃないでしょうか?

私はコメント欄自粛中です。
音楽アップ以外でも例外更新もしますし
それでもそれなりに楽しんでいます。

余談
私が初ブログで失敗したのは
注目されて当たり前のブログでした。
3ヶ月で98.5kgから75kgにするダイエットの記録ブログでした。あっという間にランキング1位になり
記録だけのブログのつもりがダイエット終了後に「ブログをやめるんですか?」と質問されやめるつもりが続けてしまってランキングを意識したブログをやるようになってしまいました。
ブロガーとダイエッターのどちらを優先するのが正しいのか困った時期がありましたね。
結果的にダイエットが成功しただけだったという結果が待っていたような気がします。
マイペースでいいんじゃないですか?


愛煙家さん、コメント依存症気味の私です… (原左都子)

2008-09-06 12:32:51

そもそも私がブログを始めたきっかけとなったのは、自費出版なのです。
自費出版を目指し文書作成画面でエッセイを少し綴っていたのですが、自費出版は200万円もかかるし、たかだか身内や知人に配るだけだし…、と考えていたところ、ブログならば無料で綴れることに気付いて開設したといういきさつです。
最初は元々の知り合いしか訪問してもらえない日々が続きました。でも、エッセイを綴りたい思いに支えられ、無邪気に楽しんでいました。
あっという間にどんどん読者が増え、コメントの返答に悲鳴を上げる程コメントが寄せられるようになってきました。
私にとってコメントが来ることが当たり前的な感覚に陥り始めた私はこれでよいのかと悩みました。(バックナンバー「硝子細工の心」を参照下さい。)
それに、多数のコメントの中には正直言いまして歓迎できないものも混ざっています。これには人知れず心を痛めております。それでもブログの公開性の使命を優先し、返答は必ずします。
きっとコメントが来なくなっても“一人芝居”で綴れるような気も本当はしています。
多方面においてポリシーのある人間であることを自負していますので、綴りたい事が山ほどあるからです。
でも、やっぱりコメントを頂くことはうれしいです。1周年記念に、そんな私の思いを愛煙家さんをはじめ皆様に、日頃の感謝を込めてこの記事でお伝えしたかったのです。


人生は「あて舵」 (issei)

2008-09-06 14:07:15

初めまして!
ブログ開設1周年おめでとうございます。
ちょうど私も1周年になります。更新シンドローム(?)で悩んだ時機もありましたが何とか1年が経過しました。
 「愛煙家」さんのコメントは理解できなくはありません。原さんの竹を割ったような性格と語り口にはたくさんのファンがおられると思います。しかし、完璧と言える人などいないと思います。行き過ぎた場合などは「コメント」を良く租借して必要があれば軌道を修正するのは当たり前だと考えます。そうでなければ単なる「独りよがり」の文章になってしまいます。進歩と言うのはそういうことだと思います。
 今後も投稿を楽しみにしています。負担にならない程度に頑張って下さい。



祝・1周年記念 (まるにじこ)

2008-09-06 14:23:51

原左都子さん、ブログ開設1周年おめでとうございます!

「一日置きに2000字投稿」されるのはなかなか一趣味だけでは留められない重要な存在だと思います。

私の場合は原さんの足下にもおよびませんブログで、しかもとっても不定期投稿ですので気づけば2週間も放ったらかしであったりもします。
しかしながら自分勝手なもので、投稿すればあの方とこの方には見ていただけて何かしらコメントくださるかしら*と一人勝手に思い込み投稿送信ボタンを押しています。
ブログを書いて何かしらコメントをいただけたり、アクセス数をみて「ニヤリ」とする自分にもう「ブログ依存症」だわ!とハッとしますが、楽しいのでやめられません。

私も来月で1周年になるのですが(子育てブログの方)、最初は同じく仕事をしながらや小さい子供さんを子育て中のママ友達に見てもらえてコミュニケーション出来れば!って思うところから始めたのですが、今はママ友はあまりいなくて、大先輩の方達に温かく見守っていただいている感じです。
でも最初の趣旨と多少ズレはせよ、見に来ていただいている方には感謝しつつ加え、意識もしてブログを作っております。

原左都子さんのブログへ来られる方達は、私も含めて(なかなか毎回はオジャマできてませんが;)原さんのポリシーある手記を理解されて楽しみで来られていると思います。
コメントはなかなか文章力もいりますので私なんかは後で「ア、なんか上手く伝えられてないかも・・」なんて送信ボタンを押してから思ったりもするんですが・・。
こんなコメント下手な私でもまた時々は原さんのブログへもオジャマしたいって思っています。

どうぞ、これからも原左都子さん流のエッセイブログを綴り続けてくださる事を願っております。

いつも拙いコメントですが、懲りずにまた訪れます!



isseiさん、コメントの返答は私にとりまして大仕事です。 (原左都子)

2008-09-06 14:57:50

isseiさん、お初にお目にかかります。
以前より私どものブログをご訪問いただいていたようで、大変光栄に存じます。コメントを頂戴し、1周年のお祝いまで頂戴し誠にありがとうございます。
私のブログの場合、本文の執筆よりもむしろ頂いたコメントへの返答の方が大仕事です。
様々なコメントを頂戴します。必ず返答申し上げるのが私どもの公約ですので、その公約を実行しております。
私は決して竹を割った性格ではありません。思い悩んで熟慮した上で、自分自身のバックグラウンドを元に培ってきたポリシーに基づくオピニオンを吟味しつつ綴っております。
そんな本文に対する異論、反論も多く頂戴致します。なるほどと思えるご意見もあれば、どうしても受け入れ難いご意見もあります。たとえ後者の場合でも、相手に失礼にならないように婉曲に自分のオピニオンを再度伝えさせていただく場合もあります。
本文を熟読していただいていない「独りよがり」のコメントに対してもそうです。この辺はキャパシティの見せ所でもありますので、返答内容を十分に吟味した上であえて少し論点をはずしたりしながら、相手に失礼にならないように返答させていただいております。
苦労をしつつも、それでもコメントを頂けることは本当にうれしいことと思います。時間を割いて記事をお読み下さり、コメントという確かな反応を頂けることに、今後共感謝しつつ精進して参りたいと思います。


まるにじこさん、いつもご丁寧にありがとうございます。 (原左都子)

2008-09-06 15:17:56

私の方こそ、ご無沙汰しがちで申し訳ないですのに、何だか今回まるにじこさんがお越し下さるような感覚を持っていた私です。図々しくて本当にごめんなさい。
お祝いを頂いて、とてもうれしいです。まるにじこさんとのブログ上でのお付き合いは実は長いんですよね!お互いのブログ開設後間もない頃からですよね。
少し間があって、クリスマスにまるにじこさんがメッセージを下さったでしょ。あの時もとてもうれしかったんです。
そして、また少しご無沙汰の間にha~ちゃんが大きくなられているのに私が驚いて短いメッセージを書かせていただきました。それから、ちょくちょくブログ上でお会いしていますよね。
こんなに長いお付き合いがあるのは、私の場合実は数少ないのです。沢山コメントを頂ける割には、どうしてもオピニオンのすれ違いで、去っていかれる方も多いのが実情です。私のブログの性質上、やむを得ないと考えております。
まるにじこさんのブログが年配の方に暖かく見守られているというのは、納得できます。まるにじこさんのお母様ぶりが好感度が高いためだと思います。ha~ちゃんはどうなったかな?と私もついつい思いますので。(その割りにはご無沙汰してしまっていますが…)
まるにじこさん、今後共よろしくお願い致しますね。
私もご無沙汰しつつもまた立ち寄らせていただきます。


アニバーサリ1 (江古田のヨッシー)

2008-09-06 16:59:30

心よりお祝い申し上げます。
私もネット暦は長いのですが、
続けて書いているのは
昨年6月ころからで
あまり変わりませんが
貴女の読者の数はすごいですね
私のブログの場合は相当マニアックでないと
続けて読んでくれないのかもしれませんが

「ラカジュアホール」での
市村さんの演技のように(オカマ役でした)
恥らいなく、堕ちることもなく
頑張って、2周年を迎えて
その後、貴女の2周年をお祝いしたいと
思います。
Happy birthday to your brog


ヨッシーさん、恥じらいなく、堕ちることもなく… (原左都子)

2008-09-06 21:46:31

ヨッシーさん、すばらしい言葉をありがとうございます。
“恥らいなく、堕ちることもなく…”
とても素敵な表現ですね。私はすっかり気に入ってしまいました。
ヨッシーさんは、映画、ミュージカル、音楽、etc…
その辺の世界に大変詳しい方ですので、当然、市村正親氏にも詳しいことでしょう。
今度ヨッシーさんの世界を少しご伝授いただきたい思いもします。
私の場合、“恥じらい”はもはや失っているように思うのですが、たまには“堕ちて”みたい思いもあります…。
はかない夢ですね…。
2周年に向かって精進します!
引き続き、ご訪問下さいますように。


こんばんは (pukarin)

2008-09-06 22:57:34

隔日の更新で2000文字一周年ですか、凄い精神力ですね、敬服します。

私にとってのブログは自分の中のガス抜きという位置づけなのでマメに更新しようというつもりはサラサラないのですが、ヤレと言われてもできることではありませんね。

本文中の“鮫的習性”…私も方向は違えど、習性は同類のようですね。(笑)

今の私は鮫というよりはコマですが(笑)

とにかく動いていなければ自分が倒れてしまう、しかし、他のコマと接触することはできるだけ避けようとする。

別に臆病なのではなく、イヤ、やはり臆病なのかな?

自分の(敵と見なした)他者に対する獰猛さや冷酷さと、その結果他者に対してプレゼントしてしまったパーソナルでオーダーメイドの地獄…なんてものに自分で自分がホトホト嫌になって(正直、自分が怖くなって)、全部整理して引きこもってしまったんだから、やはり臆病なんでしょう。

だから、現在の可能な限り他者との接触を避けて独りで回り続けている“コマ人間”は私にとっては最も平和で幸せな生き方ですね(笑)

独りよがりと言われれば確かにそのとおりですが、独りよがり大いに結構!

“右見て左見て出過ぎぬように”よりもよっぽど自分らしく生きて行けますからね。

少なくとも、独りよがりで体に爆弾巻き付けて人ごみの中でスイッチ押すほどイッちまってなければ…

“地には平和を(マホメット)”…歴史の皮肉ですか。

文章がバラバラになってしまいましたね(笑)勘弁してください。



Unknown (ロング)

2008-09-07 07:48:51

一周年お目でとうございます。

鮫的習性があるとは言え、一日おきに2000字の文章を書くって、たやすいことではないと思います。

しかも原さんの場合、軸がぶれない自分なりの主張を常に展開されておられます。

いやはや、脱帽です。

でもあまり投稿することが義務になりますと、精神的ストレスにもなりかねませんので、その点はご注意くださいませ!


pukarinさん、鮫のごとく、コマのごとく… (原左都子)

2008-09-07 10:13:50

pukarinさん、ようこそいらっしゃいました。初コメントをありがとうございます。
パーソナルでオーダーメイドの地獄をどなたかにプレゼントされたのですね。そして、ご自身を嫌になられてコマに姿を変えて回り続けていらっしゃる…。
pukarinさんは、なかなかユニークな人生を歩んでいらっしゃいますね。
パーソナルでオーダーメイドの地獄。もしかしたら私も誰かにプレゼントしたかもしれないし、されたかもしれないように思います。そういうドロドロの世界、すったもんだの経験ってある意味でプラスの経験とも言え、自分の人生を豊かにしてくれるようにも思います。
2000文字、1周年と申しましても、私の場合、ネタとオピニオンの趣旨さえ決まれば、書くことに関しましてはスムーズです。こだわっておりますのは、とにかく自分がノリノリで書けて達成感があるということです。そういう観点でいつもネタ探しをするのですが、これがなかなか見つからないこともありまして、それが一番の苦労です。精神的に滅入っている時は駄目ですね。頭がどっぷり閉塞的です。一度に5、6個ネタがひらめくこともありますが、そういう時は2週間は楽できます。
現在の一番の苦労(楽しみでもあるのですが)は、コメントの返答です。ただし、本文で述べました通りコメント等の直接的な反応は大変うれしいことですので、感謝しつつ返答に励みます。
pukarinさん、鮫のごとく、コマのごとく、お互いに綴り続けましょうね。
また、是非お越し下さいますように!


ロングさん、こちらこそ脱帽です。 (原左都子)

2008-09-07 10:27:53

ロングさん、1周年祝いをありがとうございます。
ロングさんのブログの場合、写真とオピニオンとの2本立てでいらっしゃいますが、毎日更新でこれを難なくこなされているのには本当に脱帽です。
しかも、写真がプロ級でいらっしゃいます。お仕事を続けられながら、出張もこなされながら、写真を撮る時間も編集する時間も必要でしょう。
私など、下手な写真を1枚載せるだけでもモタモタしてしまい時間を費やします。
私の場合、自身の記事の投稿に関しましてはときどきネタが見つからなくて困る程度なのですが、コメントの返答の方が一仕事です。
それでも、コメントを頂けるのは本当にうれしいですので、今後共是非コメントをいただけますように。


一周年ですか。おめでとう御座います (csh)

2008-09-07 22:40:17

足跡から訪問してきました。文章表現力は注目ですね。小生のを見られてどうでした?
毎日書くことは3年半継続中です。私事を写真とともに気楽に書いています。平均読者数が今1300名近くありますがコメントは殆どありません。コメントは確かに嬉しいものですが小生は重要視していません。
でも、あるとき商社がコメントくれて近々ネットショップをブログに連携させる事となりました。来月頃かな?
表面には出しませんロゴくらいは出そうと思っています。また時間がありましたら覘いて見てください。
初老のブロガーより!


cshさん、先程ブログを拝見しました。 (原左都子)

2008-09-08 07:49:20

cshさん、本ブログをご訪問下さり、1周年のお祝いを頂戴しまして誠にありがとうございます。
先程cshさんのブログを拝見致しました。中国の旅行記を綴っていらっしゃっいましたね。
私の場合は、ブログに対するコメントやメッセージを最重要視しております。
ランキングに関しましては、種々雑多なブログをごっちゃ混ぜにしてランキングすることに意味がないと捉えておりまして元より興味がありませんし、アクセス数に関しましては、数値のみではどのような読み方をされているのか等の実態が掴めませんので、私にとりましてはあくまで参考程度です。
ブログはたかだかネットという1メディア上の存在ではあれ公開性をその使命としておりますので、その公開性において自己責任を持つべきと考えつつ綴っております。その責任の一端がコメント、メッセージ等を受付け分析し、返答をさせていただくことと私は捉えております。
よろしければ、またご訪問下さいますように。


1周年おめでとうございます! (ゆりか)

2008-09-08 23:01:30

私はまだ都子さんのブログを知って間もないですが
文章力とか表現力、相手に対する配慮など
様々な点ですごいなあ えらいなあと関心し、
また書いてある内容なども時折自分と似たような考えだったりして嬉しく思ったり、共感できる部分が多いので楽しくいつも読ませていただいてます。

私がブログをやってるのはただ誰かと繋がっていたい、楽しくやれればいいや程度なので、
ポリシーも何もありませんが^^;

やはり初めて間もない私でも いろんな人が居るんだなと思わざるを得ないような事もあり、
何でそんな風になるのかとイライラしてしまうこともありましたが、自分とは合わないんだな、と開き直って気にしないようにする事にしましたが、
これだけやっていたら先のコメントなどでも
返答されてたように本当に眠れなくなっちゃうくらい悩む事も多かったんじゃないかなぁと想像すると
それでもこれだけ続けてて凄いと思います!

リアルに支障のない程度で頑張ってくださいね
あらためて、おめでとうございます!


ゆりかさんと、確かに共通点があります。 (原左都子)

2008-09-09 08:54:20

ゆりかさん、1周年祝いをいただきありがとうございあます。とてもうれしく思います。
ゆりかさんからは、もう数回のコメントを頂戴しました。
私もゆりかさんからいただくコメントを拝見しつつ、生き方や考え方に共通点がある女性と捉えさせていただいております。おそらく私よりもお若い世代と推測させていただいておりますが、世代を超えて通じるものがあるのはうれしいことと感じさせていただけます。
本当に夜眠れないほど悩む事もあります。たかだかブログこごときにそんなに心労を溜めずとも、と考え直したりしつつ自己コントロールをしているのですが、これもたかがネット上とはいえ人との繋がり、人との縁であり、この縁を何とかプラスに転化しようと努力しております。
ゆりかさん、引き続きお訪ね下さいね!


1周年おめでとう (梅)

2008-09-09 23:01:23

すごいペースのブログですね。

コメントしようと思っていると、新しいテーマが書かれて
頭が追いついていきません。

賞味期限になってからだと、ついついコメントせずになり
ロム専になっています。

継続は力なり!
疲れないようにがんばってくださいね。


梅さん、ご無沙汰でした! (原左都子)

2008-09-10 08:07:25

梅さん、ブログ1周年のお祝いをありがとうございます。
もう私のブログのことなどすっかり忘れ去られていると思っていましたら、まだ読んで下さっていたのですね! 感激です。
何せ私の場合、子どもに多少手がかかることもありまして(梅さんは私の子どもの事情を少しご存知のことと思いますが)普段は子ども最優先の生活が続いています。(現在中3で十分に成長してくれておりますが。)
そのため現在は定職には就かず、“私らしさ”をブログにて表現しているという訳ですが、皆様からコメントを頂けるお陰で“鮫のごとく”のブログ生活となっております。
ブログも長くなってきますと、ネット上の人とのお付き合い等において精神的疲れが出てきたりするものですが、まだまだ継続します!


彗星接近 (kuisin)

2008-09-10 22:04:02

ども、kuisinです。
遅くなりましてすみません!一周年おめでとうございます!

私は彗星です。一際輝きを増して多くの耳目を惹き付ける事もあれば、遠ざかって見えなくなる事もある。
今は・・・見えなくなってますね(笑) 肉眼での確認は知人だけになってしまいました。
gooという夜空を天体望遠鏡で覗き込み、そうして一万人に一人くらいが存在に気づく箒星ですが、それでも誰かの心に軌跡を残せたらいいなぁとは思います。・・・が、時期が時期だけにかなり精神が揺れてます・・・。

原さんは太陽と月ですね。片方だけじゃなくて、時折別の顔を覗かせる。声を高らかに公開する時もあれば、実はこんな面もある・・・と静かな影を湛えた時もある。

二周年はさらに凄い事になりそうですね!
彗星はその時に接近できているか分かりませんが(笑)
これからも変わらぬ応援を送ります!


kuisinさん、私も彗星になって宇宙に旅に出たいような… (原左都子)

2008-09-11 11:40:25

彗星になって宇宙を旅しているkuisinさん、1周年祝いに太陽系まで来て下さってありがとうございます。
新人賞に向けての執筆の方はいかがですか?
太陽と月、そんな確固とした存在でありたいとは思いつつ、あり損ないながらオピニオンやたまにはプライベートな過去をちょっとづつ小出しに、とにかく継続を目標に綴り続ける私です。
ブログも1年続けておりますと、ブログそのものよりも、ブログに付随するネット上の人との関係面で心理状態が揺れ動きますね。
kuisinさんのように、一度ブログから離れて彗星にでもなって宇宙に旅に出たい心境にもなります。
彗星になって自由に旅しているkuisinさんが、何だか羨ましいですよ。
でもきっと揺れ動く心理状態のまま、このまま綴り続けて2周年を迎えることになるように思います。
kuisinさん、また、たまには太陽系に接近して下さいね!
 
 (以上、10000字を超過してしまったが、当エッセイに頂戴したコメント群全文を再掲載したもの。)



 最後に、原左都子の私見でまとめよう。

 上記バックナンバー公開より既に8年半の年月が経過した今尚、我がブログ(エッセイ集)に対する思いにさほどの変化が無い事に気付かされる。
 
 例えば、「きっとコメントが来なくなっても“一人芝居”で綴れるような気も本当はしています。 多方面においてポリシーのある人間であることを自負していますので、綴りたい事が山ほどあるからです。」 なる記述など、コメント欄を閉鎖している現在、それを地で行っているとも言えよう。

 一つ特筆させて頂きたい事がある。
 上記コメント欄の「isseiさん」とおっしゃるコメンテイター氏は、コメント欄閉鎖の後もFacebook上に場を変え、その後現在1600本に近づく我が全エッセイを読破頂きコメントをお寄せ下さった方だ。
 残念ながら1年半程前に、ご高齢を理由に「原左都子エッセイ集」コメント欄からの“引退”を表明され去り行かれた。
 isseiさん、もしこのエッセイをご覧でしたらお伝えしたいのですが、我が「原左都子エッセイ集」はisseiさんのご存在無くしてここまで続行できなかったと感謝申し上げて余りあります。
 お元気でしたら、またのご訪問を心よりお待ちしております。


 まあ当分は 「原左都子エッセイ集」コメント欄の扱いに関し、私自身が悩み続けるののも良き経験かと思えて来た。

いつの間にやら “頼られる” 人間を強要されていた…

2017年02月27日 | 人間関係
 朝日新聞一昨日2月25日 別刷「be」 between のテーマは 「甘えられる人はいますか?」 だった。

 これ、今の私にとって人から聞かれて一番辛い質問だ。
 何故かと言えば、それが周囲に一人もいない事実こそが現在の私にとって一番の悩みであるためだ。
 いえいえ、決して「孤独」という訳ではない。
 私に甘えたい(頼りたい、と表現するのが適切だが。)人間は家族を中心に複数存在する。


 たとえば、今朝も郷里の実母より電話が入った。
 3月2日から実母の高齢者施設を訪問する予定となっているが、その時に「何を持参して欲しい。到着したら何をして欲しい。……」云々の依頼内容だ。 「うん。前にも聞いているし、既に準備出来ているよ。」と私が応えると母は安心した様子だ。 
 その留守中一人で自宅で暮らさざるを得ない亭主からも、「〇子(私の事)は2日の何時に出発だっけ? 帰りは何時頃になる?」とこれまた繰り返しの質問。 それに応えて、「2日は午前中の出発だし、帰りの日の帰宅時間は夜11時を過ぎるよ。 その分の食費を渡しておくから、一人でちゃんと食事するのよ。」とまるで子供に言い聞かせるように指導せねばならない。
 今回は、娘が職場の有給休暇を取れるとの事で同行するため、娘の心配は不要だ。 「郷里の施設のお婆ちゃんの世話は私がするから、貴方はせっかくの旅行なんだから自分が好きな場所を観光して楽しみなさい。」と促しても、どうやら私と一緒に行動したい様子だ…
 まったくもって軟弱家族を抱えると、短期間旅行に出るのも大変であることを、いつもの事ながら実感させられる。


 私自身はそもそも「人に甘える」人格だったと振り返る。

 特に幼少時代より子供の頃は、とにかくスキンシップを愛好する子どもだった。 家族等々周囲の誰にも自然ともたれかかったり手を繋いだりしていた記憶がある。
 それを家族に注意されたりした。 「〇子が直ぐにもたれかかって来て、重い」などと。 
 あるいは友達の女の子達と手を繋ぐのも好きで、それを小学校高学年までしていた記憶がある。 ある時友人から「女同士で手を繋ぐと変な関係と思われるからやめた方がいいよ」と指摘された時には、(確かにそうだなあ)と悟ったものだ。

 時は流れ大人になり、上京して仕事や学問に励み職場の長に任命されても、私は「人に甘える」との手段により自身の心の平穏を保ちつつ、自己実現を繰り返して来た感覚がある。
 周囲に“甘えさせてくれる”人材を集める事が得意技だった気もする。 そういう人物(そのほとんどが男性)と仲良くなる事に長けていたと言うのか… 
 まさにそのお陰をもって、我が“長き華の独身栄光の時代”を謳歌出来たのであろう。


 時代そのものが変遷して、私も年齢を重ねた。
 我が栄光の時代は当の昔に過ぎ去った事は自覚しているものの、何故生来的に「甘え上手」な私が「人に頼られる」身とならねばならぬのか、不可思議に思ったりもする今日この頃だ。

 そんな折に、冒頭の朝日新聞記事を見た。
 ここで、「甘えられる人がいるか?」の回答結果を発表するならば。  「はい」が56%、「いいえ」が44% との結果だ。
 おおー、意外と「いいえ」も多いじゃないか!と身勝手に安堵しつつ、その詳細を記載しよう。

 「はい」と回答した人物のほとんどが誰に甘えているのかと言えば、「夫・妻」との結論だ! (おそらく回答者に高齢者が多いのだろう。)
 私など「本気かよ!?」と言いたいところだし、これ、高齢者ご夫婦にとってはその後に「孤独」の危険性が燦然と待ち構えているのではなかろうかと、危惧感すら抱く。

 片や、「いいえ」と回答した人達の回答内容は多彩だ。
 「(甘える相手に)迷惑を掛けると思い、引いてしまう。」
 「気安い関係になれない。」
 「自立していたい。」 
 「借りはつくりたくない。」 
 「甘え方がわからない。」
 
 そんな「いいえ」の人々に尋ねた「本当は、誰かに甘えたいか?」なる質問の回答とは。
 「はい」が45%。  「いいえ」が55%。


 最後に、原左都子の私事及び私論でまとめよう。

 今回の朝日新聞の質問回答に関しては、一貫して「いいえ」と応えたい。
 特に今現在の私は、上記「いいえ」回答内の、「(甘える相手に)迷惑を掛けると思い引いてしまう。」「自立していたい。」 「借りはつくりたくない。」 に同意する。

 「(人と)気安い関係になれない」に関しても、その思いも重々伝わる。 ただ私の場合は今置かれている自身の立場上、むしろ「(この人とは)気安い関係になってはならない」なる否定的感情が優先する場合が多いのかもしれない。 
 「甘え方がわからない」に関しては、むしろ「甘え方自体は分かっちゃいるが(この相手には)遠慮するべき」なる冷静さを優先するのは当然の事だろう。 

 それにしても、人と人との関係が何とも希薄化してしまった我が国の現状だ。 いや、それは国際レベルで同様だろう。
 これ程までに国際規模でテロが勃発する時代と化し、国内に於いてもストーカー殺害事件等々人と人が傷つけ合う事件が多発している現状下に置いて、他者に安易に甘えている場合ではない事も明らかだ。

 そんな逆境下に於いて、一番の身内である「夫・妻」こそが最高に甘えられる相手!?、と結論付けた朝日新聞記事の信憑性もあろうかと考えたいが、その生活範囲や思考の狭さに寂しさや“歪み”すら感じるのは私だけだろうか…。

 ただ、これぞ朝日新聞読者が高齢化している事実を証明したようなものとも言えるよなあ。

左都子コレクション -コースター編-

2017年02月26日 | 芸術
 gooブログ ジャンルに 「コレクション」 との項目があるのを見て思いついた。


 そうだ、原左都子が今までに収集した「コレクション」を我がエッセイ集にて公開させて頂こう!

 
 と言う割には “少女趣味レベル”というのか、単に取るに足りない“安物”をあちこちで集め暇な時に眺めては自己満足に浸っているだけの話だが…
 適当なカテゴリーが思いつかずとりあえず「芸術」に分類したが、決してそれ程大したものを収集した訳ではなく、単にガラクタのオンパレードだ。 


 その第一編として思い出したのが、「コースター」だ。

 旅に出ると、国内外を問わず何処の売店にても土産物として販売されている コースター。
 小さくて軽く荷物の場所を取らないのが利点で、これを買い求める習慣が付いたと言えよう。

 あるいは、居酒屋やレストランでもお洒落なコースターをテーブルに出してくれる。 これらのうち、綺麗に使用したものを自宅に持ち帰ったりもする。



 上記写真に羅列した我がコレクションの「コースター」に関して、短い説明を加えさせて頂こう。

 下段右側。 
 これはインド製なのだが、何故か国内で買い求めたコースター。 石膏の中にキラキラ光る何かを固めた作品で何度使用しても水の浸透が無く、今現在私の一番のお気に入り。 日頃頻繁に使用している。

 下段左側。
 数年前のソウル旅行にてお土産店で購入した。 韓国伝統の綺麗な絵が描かれている。

 下から2段目右側。
 これぞ我が過去のインド旅行にて大理石工房へ案内されたが、そこで作成された作品の一つ。
 これはお土産にしては重かったものの、大理石内に貝細工を施すその現場を見学した思い出に購入した。

 下から2段目の真ん中。
 今から30数年前のヨーロッパ旅行の際、ロンドンにて買い求めた「時計模様のコースター」。 これはケース入りの作品で重かったが、記念に持ち帰った。

 下から2段目の左側。
 これはつい最近(とは言っても2年前になるか)、娘と横浜を訪れた際に「横浜人形の家」売店にて見つけた、タイル(?)に横浜の景色が描かれたコースター。 結構高額だったが、その美しさに魅かれて2枚購入した。

 上から2段目の右側。
 これは としまえん(都内の遊園地だが) 近くの雑貨店にて発見した木製のコースター。 花火を描いた作品のようだ。

 上から2段目の真ん中。
 このコースターの記憶は新しいなあ。 昨夏、台北を訪れた際に台北戯曲のステージを観賞した後にミュージアムショップにて購入した大型コースター。

 上から2段目の左側。
 あっと、すみません。 手前みそですが、これ、我が実母の手作りコースター。 
 (実母の悪口ばかりホザいている我がエッセイ集だが)、かつては実母に手芸をさせると、右に出る者がいない程の腕の持ち主だったことは褒めたい。 そんな母が私がメダカを飼っていると聞き、メダカ飼育用の瓶の下に敷くために作ってくれた毛糸手編みのコースターだ。

 最上段の中央は、30数年前のヨーロッパ旅行の際パリで購入したコースター。 
 その右側は、100円ショップもの。
 左側は、居酒屋等々で出された使用済みコースターの数々。



 本日は、原左都子のくだらない“安物”コレクションにお付き合い頂きまして、誠に恐縮でした。

身内高齢者の “死に際” 対応を如何に成すべきか?

2017年02月25日 | 時事論評
 先週末、私は義母が入居中の高齢者有料介護施設へ家族と共に出かけた。


 今回の施設訪問の目的は、義母担当のケアマネジャー氏と向こう半年間の介護計画詳細を話合い、ケアマネ氏が作成した「施設サービス計画書」に合意の記名捺印をするためだ。

 以前にも記載したが、義母入居の高齢者施設はおそらく国内でも最高レベルの介護ランクを誇っているのではないかと推察する。(その分、入居費用も高額だが。) 入居者一人ひとりに担当ケアマネ氏が付き、保証人と半年に一度合意をした「計画書」に基づき、懇切丁寧な介護が施設でなされる段取りとなっている。  そして有事の問題が発生した際(昨年の漏水事故等々)には、必ずやケアマネ氏より保証人宅に電話が入り個別解決するとのシステムとなっている。

 しかも有り難いのは、必ずや保証人の意向を第一義として尊重してくれる点だ。
 あらかじめ介護の事細かい部分まで保証人の希望を聞いて下さり、それに沿った介護計画を立案したものを提示の上、合意に向けた話し合いとなる。


 そんな中、今回は今までになかった内容の課題がケアマネ氏より提示された。
 それは、表題に掲げた入居者の「死に際対応」に関してだ。

 義母の場合、現在まだ決して“差し迫った状況”下にはないのだが、突然体調を崩し悪化する場合も想定して(そういう入居者も少なからず存在するとの事)のご提案だ。
 当介護施設に於いては入居者の「終末期の看取り」まで実行して下さるのだそうだが、それが差し迫った際に、保証人始め家族が如何なる対応を欲しているかを確認しておきたいとのご意向だ。

 例えば義母も「尊厳死協会」に入会し、延命措置は取らない旨を義母自身も我々に告げている。
 ところが義母同様に当該教会に入会している事を承知している高齢者の家族であれ、いざとの場面に直面すると、「延命措置をお願いします!」と施設へ泣きつく家族が少なくないとの事だ。
 その事態を避けるために、とりあえず現在の意向を承知しておきたいとのケアマネ氏のご提示は重々理解可能だ。

 その最終解答を施すのは、当然ながら義母の実の息子である亭主であろう。
 それは承知の上で、私が(いつものように)しゃしゃり出て、ケアマネ氏相手に自分の考えを発言させてもらった。


 その我が発言内容に類似したバックナンバー(2016.7.21公開 「男って基本的に皆“マザコンなのか!??」)が存在するため、以下に一部を反復させて頂こう。

 朝日新聞7月16日別刷「be」 “悩みのるつぼ” にて、60代男性よりの “希少な” 相談を発見した。  「亡き母の介護で悔いが残ります」 なる題名のその相談を、以下に要約して紹介しよう。
 60代半ばの男性だが、2年前に母を84歳で亡くした。 病院で、これでもかというほどの延命治療を続けた末、母は最期の一言も発せられず、自分も今までの母への感謝の言葉さえも伝えられず、亡くなってしまった。   思えばまだ母が九州の田舎で何とか生活していた頃、腰の曲がった様子を見ていながら、2ヶ月に1度数日の帰省だけで母の面倒を見てきたつもりだった。 それが、母にとって本当の介護になってなかった。 「離職してでも、何をさて置いても母のそばにいてやるべきだった」などと、2年経っても自責の念に苛まれている。 母は本当は「帰ってきてくれんね!」と言いたかったのだろう。 それを東京で生活している息子に言い出せなかった。  法事で実家に帰る度に無性に悔しさ、無念さが募り、母の遺影に向かい「母さん!ごめんな!」と謝り続けている。 
 月1回心理カウンセリングを受けると気が楽になるが、その翌日から後悔の日々だ。 こんな母への後悔の念はいつまで続くのか。 どんなきっかけがあれば立ち直れるのか? この愚かなバカ息子に生きるためのアドバイスが欲しい。
 (以上、朝日新聞 “悩みのるつぼ” 相談より要約引用したもの。)
 一旦、原左都子の私事及び私論に入ろう。
 確かに自分の親が高齢にて亡くなった直後の子どもの立場から、この相談と似たような言葉を聞く事はある。 例えば「生前は空気のような存在だったが、実際親に死なれてみると結構損失感なる痛手はある」等々…
 ただ私自身の経験・記憶によれば、それは概して「死亡直後ないし半年程」の感想なのではあるまいか?
 この私とて、その経験をしている。  我が父親が60代の若さで突然死を迎えた当初、確かに一時は喪失感を抱いたものだ。 ところが、後で思えばその「喪失感」は一過性だった事に自らすぐさま気付いた。 その後は、むしろ「葬儀など簡略化してもらわないと、遠方から駆けつけねばならない親族は大きな迷惑だ!」と実母に指導を繰り返している程の親不孝者だ。
 これには私なりの理由がある。 実母が盛大な葬儀を執り行ったがため、私は親戚一同や地域住民対応に一人で苦慮させられた。 ホテルへ泊まると言っている弔問客を母の意向で自宅へ招いたがため、その世話のすべてが私に任せられた。 娘がサリバンの私にべったりくっついている状態で娘の“発達遅れの”醜態を弔問客に晒す訳にもいかず、私は1週間一睡も出来ないまま疲労困憊して東京へ戻らざるを得なかった。 その後私は体調を大幅に崩し帯状疱疹を患い、元の健康体に戻るまで時間を要したものだ。 その何年か後に、実母に対し「葬儀は簡素に。 生きている者の安泰こそが守られるべき!」と指導し続けている。)
 もしかしたら朝日新聞相談男性とは、東京にて“寂しい人生”を余儀なくされているのではあるまいか?
 それ故に当男性の人生に於いて、いつまでもいつまでも「実母」の存在が絶大であるように想像してしまう。
 男性が母上生前に成した「親孝行ぶり」は十分過ぎる程評価に値しよう。 「これ程までかと思う程の延命治療」を施したり、2ヶ月に一度のペースで実母の介護のために東京から九州の実家に戻ったり…。
 高齢者介護とは、相談男性が言うような介護者・被介護者間の関係が “濃厚” であれば事が済むというよりも、双方が話し合いを持ちつつ、お互いに気持ちのよい関係を紡げる事が第一義ではなかろうか。
 それでも、どうしても被介護人本人が高齢に至る程その意思表明力が極度に低下するのも困りものであるのは、私も日々実感しているが…。
 ただそれであれ、被介護者及び介護者双方の人権が当然ながら尊重されつつ、介護論理が成立するべきだろう。  その観点より考察するに朝日新聞相談者男性は、厳しい指摘をするなら60代に至るまで “マザコン” 人生を歩んでしまったのではなかろうか?
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を反復したもの。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。
  
 高齢者に対する現在の「延命措置」のあり方も問われるべきだろう。

 ただ私が感じるに、上記朝日新聞相談者のごとく、出来る限りの延命措置を施す事が真に“死にゆく人”の人権を保障する手段であるのかどうか疑問だ。
 むしろ、その行為に残される家族のエゴすら私は感じてしまう…

 それが“愛情”であるならば、被介護者である高齢家族存命のうち(もっと言うならば本人の認知力がしっかりしているうち)に大袈裟にまで表現してあげるべきではなかろうか?  私など両母、特に義母に対するその愛情演技力の程は凄い! と自己評価しているのだが。 )
 それを怠りながら、死に際に急きょ予定を変更して「延命措置をしてくれ!」と介護施設(や医療施設)へ訴え出る家族達の現場での “迷惑度合い” を察して余りある。

 さてさて、我が亭主は義母の“死に際”に至って、一体如何なる決断をするのだろうか?
 私とは全く異なる人生を歩み人生観を育てて来ている人物のため、未だに読めないでいる……

ご自身の理想体重を長年維持したい方への簡単アドバイス

2017年02月23日 | 医学・医療・介護
 3日程前のNHK昼の番組「スタジオパーク」のゲストは、元宝塚トップスターの和央ようか(わお ようか)氏だった。


 原左都子も歌・ダンス共々下手の横好きながらも長年愛好し続け、日頃よりジムやカラオケや自宅で歌って踊る日々だ。  昨日もカラオケ店へ行って、歌い踊りまくって来たぞー!  
 参考だが、私の場合カラオケ店へ行くと、案内された部屋の机を片付け踊れるスペースを作る作業にまず取り掛かる。 そして決して椅子に座ることなく、必ずやマイク片手に楽曲に合わせ自分でテキトーな振付をしながら制限時間一杯歌って踊るのだ。 
 加えてこれまた参考だが、歌とは自宅で小さい声で歌っていたのでは何らの練習にならないと、過去に素人ロックバンドボーカルを経験した身として考える。 バック演奏と共に大声量で歌ってこそ上達に繋がると信じ、定期的にカラオケ店にて虎視眈々と実行している。
 

 そんな私だが、クラシックバレエ公演へはよく足を運ぶものの、残念ながら「宝塚歌劇団」には縁が無い。
 故に和央ようか氏に関しても、その名は知れどもご本人をじっくりと拝見するのはNHK「スタジオパーク」が初めてだった。
 
 これが、何とも会話内容に茶目っ気のあるチャーミングな女性だ。 見た目30代前後かと拝察したら、どうやら現在49歳であられるようだ。
 そのご年齢にしては、抜群にスタイルの素晴らしい事! 身長174㎝の長身スリム体型は我が理想体型(私の場合、身長165㎝と伸び悩んだが… 170㎝欲しかったなあ…)だが、長年厳しい宝塚のレッスンに耐え抜かれたスリムながらも筋肉質のそのボディに羨望感を抱かされる。


 その和央ようか氏が、番組冒頭で司会者より「どうしたらそのスリム体型を長年保てるのですか?」なる質問を受けた。
 和央氏のご回答の程が、原左都子が長年実行している“体重維持”手段とピタリと一致していたのに驚かされた!

 和央氏の回答とは、  「一日に何度も体重計に乗るのです。」
 すかさず女性司会者が、「食後は1~2キロ増えるでしょ?」  和央氏応えて、「その通りです。 それがレッスン等々の活動により何処まで減るかが肝心です。 必ずや減ります。 それを体重計で確認しつつの日々です。」

 
 いやはや、驚かされた。
 私は決して元宝塚トップスターの道程を歩んではいないが、我が体重維持の一番の秘訣も一貫して「体重計に頻繁に乗る」事なのだ。

 これをスタートしたのは、上京後だ。 上京してすぐに我が必須アイテムとして「体重計」を購入し、朝晩は必ず体重測定を実施した。(昼間は仕事等に励んでいたため、どうしても朝晩しか計測出来ない身だった。)
 若い頃は、その体重の変動を日々グラフに記録したりもした。 このデータは今尚保存してあるのだが、これが自身の「排卵周期確認」にも役立った。 私の場合、排卵直前頃より体重が増え始め若干の体調不良を毎月引き起こした後、生理直前期より体重が減り始めて生理後最低体重となり身体が楽になるとの月間体重変化を繰り返す事が判明した。 
 そのデータ管理は体重維持目的ならず、我が独身時代の体調管理に於いて様々な意味で大いに役立った。 例えば、多少体調が悪いのは排卵周期のせいであり特段病気ではない、などと自己診断しつつ仕事を頑張れたものだ。


 昨年夏に永久不滅ポイントを利用して「体組織計」を自宅まで届けて貰ったことは、バックナンバーにて記載した記憶がある。
 今まで利用していた「体重計」から「体組織計」測定に移行した事実が、我が体重管理を大きく変遷させることと相成っている。

 「体組織計」の一番の利点とは、体重を小数点以下1位まで測定可能なことだ。(現在のデジタル体重計もほとんど同様だろうが。) これが一日に何度も体重を測りたい私にとって大いに役立つ。

 上記の和央ようか氏がおっしゃるところの、食後の体重変化等々、自身の行動毎に体重が上下動する事実をまず実体験可能だ。  これこそ、体重維持の一番の重要点と考察するのだ。 
 (参考だが、体組織計は「体脂肪率」や「内臓脂肪」「体内水分率」「基礎代謝値」等々も自動測定してくれるようだ。 ただ、これらはあくまでも参考データであり、その測定結果がいつも「やせ過ぎ」「標準」の範疇にある私の場合、たまに確認すれば十分と捉えている。)

 やはり、一番に確認するべきは、「体重」であろう。
 この体重を日々小数点以下1位まで数回測定してこそ、自身の体重管理に大いに役立つとの思いを「体組織計」が届いて以降、実感している私だ。


 えっ、5㎏減量したい??

 申し訳ないですが、その域にまで発展してしまっているメタボ人種の方には今回の我がエッセイは残念ながら無意味でしょう。 
 少なくとも、現在の体重を今後も維持したい皆様には、「日々何度も体重計に乗り、自分の体重をいつも把握する」なる手段は簡単であり、自己健康維持目的に於いても大いに役立つと指南させて頂こう。