原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「コロナ5類移行」に対する医療現場の多難な実態

2023年04月30日 | 医学・医療・介護
 (冒頭写真は、2023.04.28付朝日新聞記事「『インフル並み医療』多難」より転載したもの。)


 本日のエッセイは、昨日公開した「『コロナ第9波』は大規模化の恐れがあるようだ…』の続編となるが。


 2023.04.28付朝日新聞記事より、以下に一部を引用しよう。

 新型コロナウィルスの5類移行後、政府が目的としている外来・入院の医療機関の数について、朝日新聞が47都道府県の知事に達成できるか見通しを聞いたところ、「達成できる見込み」との回答は5割超にとどまり、「わからない」との回答が4割前後に上った。 次の「第9波」は「第8波」より大きくなる恐れが指摘されているが、医療機関との調整に苦慮する自治体が目立った。
 専門家は「5類に移行しても新型コロナは感染力が強く、高齢者や免疫が弱い人が重症化しやすい病気であることには変わりはない」と警告する。(途中大幅略)
 某病院では、「院内でクラスターが発生した場合の影響はなお大きく、職員に今まで以上に手袋やガウンの装着を徹底するよう指示した。」「コロナ対応には人手がかかり、職員を確保できない」など入院対応に難色を示す病院もあったという。
 5類移行後は診療報酬の特例加算が削減されるなど医療機関への支援も細る。 「国の求めだからと言って、これまで受け入れなかったところすべてに(コロナ患者を)受け入れを求めるのは、難しい。」(途中大幅略)
 5類移行後、医師にはコロナ感染やその疑いのみを理由に診療を拒めない「応召義務」が適用される。 国はコロナ対応をする医療機関の拡大につなげたい考えだが、某自治体の担当者は、「感染したくないという高齢医師には『義務だから』というだけでは、反発されかねない。どう使えるかも気を使う」と話す。

 (以下略すが、以上朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 冒頭の図を見ると。
 「コロナ5類移行後の外来・入院体制について、政府目標をいずれ達成できるか」 なる問いに対する47都道府県の回答が示されているが。

 「× できない見込み」に関しては、さすがに島根県の一つにとどまっているが。
 「△ わからない」との回答も少なくないようだ。

 参考だが、原左都子の出身県である「徳島県」は過疎県であるにもかかわらず、「〇〇」(できる見込み)と回答している点が興味深い。
 その理由として、私が推測するに。 かの県は国立大学医学部(我が卒業学部だが)の設置が過疎県である割には早かった故ではなかろうか?
 私が卒業して後に既に40数年の年月が流れているが、我が通学時代から医学部は県内の基幹病院としての役割を中心として、充実した内部体制が執られていた記憶がある。(私事で失礼致しました。)


 私見だが。
  
 それにしても、今回の政府発表の「5月8日からの『コロナ5類移行』はあまりにも乱暴かつ無責任では無かろうか??
 
 「インフル並み医療」と政府は簡単に言うが。
 「新型コロナ」と「インフルエンザ」を同一視するなど、乱暴かつ無知な対応であるとしか言いようが無い。
 
 インフルエンザが辿った歴史は、医学・医療上既に数十年以上の歴史を辿っていると私は捉えているが。
 それでも尚、新型が次から次へと発生している現状であり。 現在実施している「インフルエンザワクチン」の“有効性”や“安全性”が如何程なのかが完璧に網羅出来ている訳も無いのだ。
 それ故に、この私は今までの人生に於いてインフルエンザワクチン接種をただの一度も受けた事が無いのだが… (インフルエンザに実際罹患して高熱を出し苦しんだ経験は複数回あり、それで一部の免疫を獲得できているかもしれない、と自己診断しています。)
 
 まあそれは個人の自由にさせてもらうとしても。


 上記朝日新聞記事内にも書かれている通り。

 インフルエンザと新型コロナを一緒くたにするなる、医療関係者としては信じがたい政府の早過ぎた過ちを、どうにかしたくもなる。😱 😷 


 とにもかくにも、自分の命を守るのは最終的には個々人の責任と私は捉える。
 それを自らが肝に銘じつつ、国民の皆様にもこの連休を過ごして欲しいものだし。

 その後も引き続き政府から課せられた“無謀とも言える”「コロナ5類移行」を乗り切っていただきたいものでもある。
 

「コロナ第9波」は大規模化の恐れがあるようだ…

2023年04月29日 | 医学・医療・介護
 政府・厚労省は、“5月8日からの新型コロナの5類移行” を発表したが。

 どうやら、「コロナ第9波」が今後大規模化する恐れがあるとの専門筋からの見解があるようだ…😱 


 2023.04.20付朝日新聞より「『第9波』、大規模化の可能性 専門家有志」と題する記事を、以下に要約しよう。
 
 厚労省に新型コロナウィルス対策を助言する専門家筋の有志は19日、今後起こり得る「第9波」は、「第8波」より大規模となる可能性がある、との見解を示した。 海外と比べて人口に占める感染者の割合が低いため、コロナの5類移行後も、高齢者を中心に死者が継続して発生する可能性もあると指摘した。
 流行の規模が縮小している英国と日本の状況を比較したところ、献血者の自然感染により抗体の保有率が英国は86%だったが、日本は42%にとどまっていた。 感染者の割合が低いことから、日本は第9波も第8波より大規模になる可能性が残されているとした。
 また、日本は75歳以上の後期高齢者の人口規模が大きいため、今後ワクチン接種率が現状から上がらないまま、対策緩和後の感染レベルが欧米と同じくらいになると、死者が他国と比べて多い状況が続く可能性があるとした。
 
 (以上、朝日新聞記事より引用したもの。)



 我が家にも、義母と亭主の「コロナワクチン接種券」が既に届けられた。
 
 義母の接種券が「第6回」になっている事実に驚かされた。
 既にそんなに多くの回数を、義母は接種したことになる。
 にもかかわらず、義母は今年の冬に「高齢者施設内感染」の被害を被っている。 ただしワクチン接種の効果があったのか??、義母のコロナ感染は幸い軽症で済んでいる。 

 片や我が亭主宛にも、一昨日「コロナワクチン接種券」が届いた。
 亭主は、つい最近まで「第6回コロナワクチン接種は受けない」と言っていたのだが、第9波の感染が大規模になるとの報道を見聞して後は、どうやら接種に行く方針に切り替えたらしい。

 かく言う私だが。
 私の場合、第3回の「モデルナ社製コロナワクチン接種」に於いて、2日連続39℃超の高熱被害に遭っているため。 第4回以降は接種を見送る方針を採用した。
 去年の秋頃その方針を変えて、やはり接種することに自己決定したのだが。 運悪く(運良く??)左膝骨折入院と重なったため、その後コロナワクチン接種をする機会が無く、現在に至っている。

 いま現在の我が区での集団接種に於いては、どうやら「ファイザー製」ワクチンを使用するようだ。
 これがもし「モデルナ製」だった場合、あの悪夢の“2日連続39℃超の高熱被害”の難を逃れるべく、接種は回避したであろうが…
 現在のところ、未だに接種の是非の結論を出ていない。
 (参考ですが、私のように途中から接種を中断している場合、手元に届いている最新の接種券を持参すれば自治体接種会場にて接種が可能です。 我がエッセイ集ファンの方から質問がありましたので、この場でお答えしておきます。)


 それにしても、私が呆れ果てるのは。

 政府(厚労省)の突然過ぎる「新型コロナ5類移行」への踏み切り発表措置だ。

 国内では未だにコロナ死者が減少しているとは言えない状況下にあろう。
 今尚、コロナ後遺症で苦しむ国民も少なくない現状でもある。

 しかも、時は5月の連休時期。
 おそらく政府の「新型コロナ5類移行」への踏み切り発表を、単純に「行楽を謳歌しても大丈夫!」と真に受けた国民たちが、行楽地に大勢繰り出すことだろう。
 
 怖いのは、その後だろう…
 今回の専門家筋の「第9波大規模化」の予測とは、それら国民の連休中の行動を予想してのものであるとも推測できるが。

 原左都子自身は、今後も「コロナ感染」を避けるべく対策を練りつつ行動する予定でいるが。

 どうか国民の皆様も 我が身を守るべく冷静な判断の下に、連休を過ごされますように…
 

日本人は「大学」に一体何を求めているのか??

2023年04月28日 | 教育・学校
 この原左都子は、好き好んで大学(院)2つへ入学し、卒業(修了)している。

 その一つ目は、高卒直後に入学した過疎地郷里の国立大学医学部であり、もう一つは30歳時に自らの意思で再入学した首都圏の老舗公立大学(及び院)だ。

 最初に入学したのが医学部だった事実が、後々私にその行動を起こさせたとも言えよう。
 とにかく、医学(医療)分野の学業・研究とは、後々の食い扶持となるものだ。
 そのお蔭で、30歳直前期には安心して2度目の大学(及び院)にて6年間学問に励める資産が蓄積されていた。(参考ですが、30歳時点で首都圏に一人暮らし用のマンションも自力で購入しました。)

 何故そのような行動を選択したのかを説明するならば。
 とにかく結婚願望など全くなく、学問意欲に燃えていた故だ!
 2度目の大学(及び院)が文系(結果として「経営法学修士」を取得)だったために、大学の春夏長期休暇を利用して医学専門業務に励んだり、平日の夜はラウンジコンパニオンとして短時間で高給を稼いだりもした。
 と書くと、「学問はいつやった??」との疑問質問が届くかもしれないが、とにかく時間があれば学問に励んだ。 例えば、大学の授業の空き時間には必ず自習室や図書館へ行って、ガリガリ勉強したし。 長期休暇中の仕事の昼休みには、昼食をそそくさと食した後は時間を惜しむがごとく学業に励んだりした。

 私の場合は一つ目の大学が医学部であったことが効を奏して、高給の仕事の求人がごまんとあった事実に助けられた。(上記の如く、30歳独身時に自己資金でのマンション購入も叶った。)
 故に、安心して2度目の学業に励むことが可能だったとも言えよう。



 さて、2023.04.241付朝日新聞夕刊記事「取材考記」の記事は、オピニオン編集部 池田伸いち(“いち”の漢字が変換不能です、悪しからず)氏による「国際順位よりも大学教育の機会広く提供を」だった。
 以下に、一部を要約引用しよう。

 国連事務次長や国連大学の学長として日本に10年暮らしたカナダ人のデイビッド・マローンさbbがこの春公職から引退した。 職業人として最後の時期を過ごしたこの国に、ぜひ伝えたいことがあるというので離日前に話しを聞いた。
 日本の大学、文科省そして政治家が大学ランキングに執着しているのは危険だという警告だった。
 政府は「10年間で100位以内に10校」という目標を掲げてきた。 某大学ランキングでは、東京大学が39位、京都大学68位。両校とも10年前より順位をおとしている。 (中略)
 マローンさんは、大事なのはランキングではないと力説する。 ランキングでほかの大学に抜かれ続けていることは、大きな問題ではないという。 日本人が大学に何を求めているのかが分からなくなっているのではないか」と目を開いた。
 経済成長が至上課題だった時代ではもはやない。 財政も厳しく、人口も減少する中で、ランキングの順位に政治家や官僚がいくら血道を上げても、効果は限定的だろうとマローンさんは予測する。
 アジアでも欧州でも、各国が大学改革に取り組んでいる。 日本が世界の中でどのような存在になりたいのか、そのためにはどのような教育が必要なのか。 そういった国民的な議論抜きには、世界の中でこれまでの日本の立場の維持はできなくなる、と心配していた。 (中略)
 「そもそも学ぶとはどういうことだろうといったことを悩むことこそ大切なんです。」と語る。 (中略)
 大学の順位にこだわるよりも、学びの機会を広く提供するいことが重要だ。

 (以下略すが、以上朝日新聞「取材考記」より一部を引用したもの。)


 
 最後に、原左都子の私見で締めくくろう。

 まったくもって、カナダ人のマローンさんがおっしゃる通りであろう。

 この私自身が何故、2度大学(及び院)へ通って学んだのかと言えば。
 決して自身の「順位」にこだわっていた訳ではなく、とにかく学問をやりたかったからに他ならない。
 我が2度目の大学(及び院)時代は、食い扶持を稼ぎながらの“修行”のため、それはそれは多忙を極めていた。 ただ、その頃の“修行”が現在の“強さ・図太さ”との我が人格を創り上げてくれた感覚がある。
 しかも、私は確実に「“経営法学修士”の学位」との形ある履歴を自身で掴み取った。
 2度目の大学(院)にて築き上げた我が学業経験は、医学部にて学んだ経験に加えて、この私に一生に渡る“心的安定感”のようなものを与えてくれているとも言えよう。

 既に高齢者域に達している我が身だが。
 過去のそのような「学業経験」を今後も最大限活かしつつ、自信を持ってこの世を生き抜きたいと欲している。
 

大学病院医師の3割が「過労死ライン」の厳しい現実…

2023年04月26日 | 医学・医療・介護
 この原左都子も、昨年10月に路上で激しく転び「左膝複雑骨折」等々で歩行不能となり大病院へ救急搬送された経験がある。

 その際に 大病院に於ける救急医療の実態をまざまざと見てきたため、大病院の医師達が「過労死ライン」に置かれている事実が実感として掴めている。


 あの救急搬送の日の事は、一生忘れることも無いが。
 とにかく左膝がガクガク状態で歩行困難となったため、自宅(参考だが、転んだ場所から自宅までは“火事場の馬鹿力”で一人で帰ったのだが😲) 、家に帰って亭主の顔を見るなり一歩たりとての歩行が困難である事実を悟り、救急搬送を依頼した。)

 救急隊員の方と救急車内で転んだ時の状況等を説明していた際に。 顎も強打し脳震盪を起こしたせいで一部の記憶が飛んでいる事実が判明した。
 何と言っても人間にとっては脳の異常が一番大きな打撃であり、それに合わせて隊員氏が搬送先の病院を選択し、自宅より多少遠くなったが「脳神経科」のある大病院へ搬送して下さった。

 その大病院の救急搬送受付が大混雑の様子で、救急車に乗ったまま かなりの時間待たされた。
 やっと救急受付外来を通過し、運び込まれた救急患者専用病棟が大混雑だった事実を未だに忘れもしない。

  混雑した病棟内で、私に用意されたベッドは入口の直ぐ近くだったのだが。
 まずは看護師氏が来てくれて、とりあえずは「全身のCT撮影をする」との説明だったが、それの実施までに何時間待たされたか!! 

 とにかく、救急搬送を家からお願いしたのが午後6時過ぎだっただろうか?
 病院に到着した後の時間経過はまったく不明だが、その日救急病棟にて諸処置をして、骨折が一箇所だったためにすぐの入院ではなく、一旦自宅に戻ってもらうとのことで。
 家に戻ったのが夜中の2時半頃だったため、病院での救急措置に約8時間半程費やした事実となる。


 その8時間半の内訳とは、CT検査、一般検査の採血、心電図、それに医師の問診、コルセット装着や簡単な松葉杖練習、等々だっただろうか? 医学措置自体は全部で1時間も要しなかったため、あとの7時間半ずっと待ち時間だった訳だ。

 
 私の場合は医学関係者でもあるため、医学措置や医療関係者の動きが気になる。
 それらの観察をしていると、意外と退屈はしないのだが。

 それにしても、8時間半内の医師先生たちの動きの“凄まじさ”を忘れることは無い。
 救急部屋に50人程の救急搬送患者がいただろうか?
 それら皆を診察して回っている何名かの医師先生(比較的若い世代の医師が多かった)の業務の様子を観察していると、傍で見ている方が疲れる程の激務だった。 それにもかかわらず、疲れた顔一つも見せず業務に当たられている様子に脱帽だったものだ。



 話題を変えて、2023.04.22付朝日新聞記事「大学病院医師 3割『過労死ライン』 1,5万人、年960時間超の残業見込み」より、以下に一部を引用しよう。

 2024年度から医師の働き方改革が始まるのを前に、全国医学部長病院会議が全国の81大学病院の医師の勤務実態を調査し、公表した。 現状では、約3割が「過労死ライン」を超える時間外労働となることがわかった。 (中略)
 調査は、文科省の委託事業として昨年実施。 大学病院に医師の勤務実態の把握状況などを聞いた。 その結果、約3割にあたる最大1万5千人で、24年度の時間外労働が年960時間を上回る見込みとなった。 過労死ラインとされる「月80時間」を超える水準で、すべての大学病院が特例の適用を求める申請を予定しているという。
 医師の多くは、大学病院以外でも週数日勤務するなど地域医療を担っている。 一方、労働時間の実態把握は十分ではなく、長時間勤務が状態化していた。

 (以下略すが、以上朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 半年程前に、まさに大病院の救急搬送病棟にてその「医師の過労死ラインを超える水準」で働いている医師の皆さんの姿を直に見てきた身として。

 あの医師達の超過労状態をどうにかせねば、我が国の救急搬送現場を含む臨床医療現場が破綻するのではないか!?! なる危機感を私も抱く。

 とは言えども、他の職場の如くの「仕事の効率化」なる対策が適用しにくい現実が医療現場にはあるであろう。

 いま現在は、パラメディカル職員体制も充実して来てはいるが。
 それでも尚、医療現場を中心に担う医師の負担の程が今後ますます増大していくであろう事実を思うに。

 実に切実な課題であるなあ、としか元医学関係者として結論付けられないのが悲しくもある… 😰 


郷里の実母からの愚かな悪態電話に開いた口が塞がらない…

2023年04月25日 | 人間関係
 昨夜8時前頃の事だ。

 日曜日の夜のテレビ番組を楽しんでいたところ、スマホ電話が鳴る。
 電話の発信者は、現在第8腰椎圧迫骨折にて病院に入院中の実母だった。

 参考だが、実母入院から2週間程が経過し、今では看護師氏のお手伝いの下に自室のトイレまで車椅子で行って、トイレを済ませることが叶っていると実母から見聞している。


 さて、電話に出てみると。
 いきなり、実母が声を荒げて喧嘩を売って来るではないか!
 (参考だが、こやつ、私と叔母のさっちゃん⦅実母の妹⦆に対しては、一番お世話になっている相手であるにもかかわらず、平然と悪態を突く癖が元々ある。 例えば、米国の姉になど何も言えずいつもへーこらしているにもかかわらず。 これを私なりに分析するに、実母にとって扱い易い相手にはすぐに喧嘩を売りかける癖があると言えよう。 “扱い易い”人とは一般的に“人がいい”場合が多い。 私は決して“人が良く”は無いのだが、米国の姉と比較すると人間が出来ているのであろう。😛  さっちゃんという人物は、確かに稀にみる程に“人間が出来ている!!)

 その電話の内容とは。
 実母に依頼されて入院中に着る下着類を、この私が数多く大手通販社より発注して病室まで送付したのだが。
 その内容が気に入らない! とのことだ。
 例えば、「作務衣はサイズが小さい!」 (母の指定通りにLLサイズを送ったのだが、どうやら小さかったらしい。)
 シャツは「5枚と言ったのに、何で4枚しか届かないのか!?!」 (これに関しては、在庫が4枚しかなかったため、別便で後程1枚が届くように手配した旨を携帯のSMSにて知らせてあるのに、どうやらそれを見る能力が無いのか??)
 その他、2点程の苦情電話だった。

 
 私は電話の最初から怒り心頭だ!!😡 

 我が母とのかかわりを簡単に説明するならば、私は20代前半期に郷里も親も捨てて単身上京している身だ。 その後母は、私が一人住まいのマンションを単独購入した30歳になるまで、ただの一度も上京することは無かった。
 米国の姉の処へは何度か行っているのに、何故東京の私の処へは来ないその理由を母に確認したことがあるのだが。
 それに対する実母の回答は、「次女のあなたは何の心配も無いから行く必要が無い」だった。 まったくもってその通りなのだが、それにしてもかなり世にも珍しい母親であろう。
 こちらとしても、親を捨てて上京した心意気で日々生活し頑張っていたため、何ら不都合も無かったのだが。


 しっかり者とは、ものが言い易いのだろうか???
 まあ、しっかり者も様々だろうが、実母から見て取れるのは、さっちゃんと私には一貫して“甘え切っている”との態度だ。

 それにしても、昨夜の電話には心底腹が立った。
 まずは(礼を言え!) と誰しも思って許されるであろう。
 にもかかわらず、実母の電話では開口一番から喧嘩を売ってきている!

 そこで心底腹が立った私が、実母を説諭することと相成った。
 「まずは、宅配のお礼を言いなさい! 今回のあなたからの依頼は下着類の種類と数が多かったから、すべてをパソコンで探して入力し発注し終わるまで結構な時間を要した。 それを分かって喧嘩を売っているのか!? それから、通販とはサイズのずれ等が発生するのはやむを得ない話だ。 それを、娘の私を責めてどうなる!?!  そもそも、骨折して入院する事態となることなど、高齢域に達している身にして予想できたはずだ。 その準備を普段暇な時にでもしておけばよかったのに、何もせずに着の身着のままで入院して娘の私を責めるなど、お門違いだ! 今後は、そんなわがままは聞かないよ! ナンタラカンタラ… 」


 実に、“感謝知らず” とは我が実母のことだとつくづく思う。

 その後連絡が無くて、清々しているのだが。
 しばらくしたら、また「何某かを送れ!」と平然と命令調で言ってくるのだろうか??

 今思い起しても ほとほと嫌気がさす、我が実母の醜態事件だった…