原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「白蓮には興味がない」 との宇田川女史発言に同感!

2014年07月31日 | 時事論評
 日々高視聴率を記録している NHK連続テレビ小説「花子とアン」も、残すところ後2ヶ月、いよいよ終盤期に入る。

 本日の場面では関東大震災に突入し、今後の物語の舞台が大きく方向転換しそうな気配である。


 ところで原左都子は、現在放送中の連続テレビ小説「花子とアン」を好意的に捉えて“いない”事に関してバックナンバーで紹介している。
 その内容を少し振り返ってみよう。
 甲府の貧しい小作農家に生まれた主人公 花 が「神童」であるとのドラマ設定であるが、裕福な子女が通う東京の著名女学院に、給付生として入学出来た事実の描き方が粗雑過ぎる事を私は指摘した。 私の視点からは如何に好意的に考察しようが、残念ながら花には「神童性」が感じられないのだ。 
 その後も 花 は特段の努力もせずして、時は乙女期へと移行する。 どうやら、花とは(当時のレベルで)英語力のみには長けた乙女に成長しているようだが、これまたその成長過程の描き方が貧弱極まりない。
 そうこうしているうちに、女子学院への転校生として華族出身の“葉山蓮子”が物語に登場した。
 仲間由紀恵氏演じる、その役柄の濃厚さに衝撃を受けた視聴者が多かった事であろう。 それ故にこのドラマは未だかつて高視聴率を挙げていると私は理解している。 


 ここで少し、ドラマ名 葉山蓮子(後の加納蓮子)に関する補足説明をしよう。

 葉山(加納)蓮子氏とは、実在の人物である。
 ウィキペディア情報を頼り、以下にその人物像の一端を紹介しよう。
 柳原 白蓮(やなぎわら びゃくれん、1885年(明治18年)10月15日 - 1967年(昭和42年)2月22日)は、大正から昭和時代にかけての歌人。本名は宮崎子(みやざきあきこ)、旧姓:柳原(やなぎわら)。大正三美人の1人。白蓮事件で知られる。  父は柳原前光伯爵。 母は前光の妾のひとりで、柳橋の芸妓となっていた没落士族の娘[1]奥津りょう。
 大正天皇の生母である柳原愛子の姪で、大正天皇の従妹にあたる。

 NHKドラマ「花子とアン」内でも、過去に実在した柳原白蓮氏の生き様をほぼ忠実に、葉山(加納)蓮子として描いていると、私も理解している。


 片や主人公である村岡花子の描き方に関しては、物語終盤に差し掛かろうとしている現在、未だ主人公の存在感の無さに辟易とさせられている。
 これ、どうしたのだろう??  HNKはドラマ終盤に入って尚、白蓮を出すことにより「花子とアン」の視聴率が稼げることを虎視眈々と狙っているとしか考えようがない。
 あるいは、主人公の妹役 かよ を利用して視聴率を稼ぐとの魂胆か??
 いずれにせよ、主人公である 花(本人曰く花子)の生き様の描写力に欠けている事は確かだ。
 (もしかしたら、亭主役の男優がそもそも肉体派であることが災いしているのだろうか?? 申し訳ないが、原左都子自身もあの男優が体を張って映画に出演したらしき“肉体映像”を垣間見て以降、げんなり感が否めないのだが…) 


 ところで私は、登場人物の一人である宇田川満代氏との当時の“売れっ子”女流作家がドラマ内で発した見解に、いたく同感させられたものだ。

 この宇田川満代氏に関する情報を、ネットより得たので少し紹介しよう。
 花子とたった1歳違いの明治27年生まれで北川千代という児童文学作家がいた。 三輪田高等女学校在学中『少女世界』『少女の友』に投稿を重ねデビューするという経歴を持つ。 その後児童雑誌『赤い鳥』で作品を発表する。
 村岡花子が交流があったのは宇野千代であるが、童話でデビューというならばむしろこちらの北川千代の方が近いものはある。 昭和4(1929)年の市川房枝の婦人参政権運動を支持する女流文学者たちの署名に北川千代は花子と共に名を連ねていた。 北川千代の顔は山田真歩(宇田川満代役)と相当に似ている。
 (無断転載をお詫び申し上げます。

 この宇田川満代女史(あくまでも「花子とアン」内登場人物の名前に過ぎないが。)が、雑誌編集担当氏より「白蓮に関する小説を書いて欲しい!」とドラマ内で嘆願された直後に、言い放った言葉がある。

 「申し訳ないけど、私は白蓮には興味がないの。」

 その後その雑誌担当者が「それでは自分が書きます!」と言い返した後、宇田川満代が「好きにすれば。」と応えた事が原左都子として実に印象的だ。
 


 最後に原左都子の私論を展開しよう。

 実は私本人も宇田川満代氏同様に、白蓮の生き方にはさほど興味がなくなりつつあるのが現実である。
 「花子とアン」のドラマ物語は“作り物語”としては一応面白く日々欠かさず見ている身にして、白蓮の生き方には日々失望する連続である…

 時代の趨勢とはいえ、何故白蓮は石炭王である加納家に嫁いだのか。 そして白蓮は加納氏の財力を利用して自らが書き留めた「白蓮歌集」を出版した。  しかも加納伝助氏の財力のみを頼りに、青二才の学生との「駆け落ち」が叶ったのも歪み無き事実だ…
 その後の白蓮の実情とは駆け落ち青年との間に子供を設けたものの、その後も世の陰で青二才学生に身を委ねるばかりで、何ら自分らしい自己主張も自己実現もないまま、子供と共に陰の人生を歩み続けるはめとなる。
 

 そんな蓮子氏の「他力本願」駆け落ちは(史上でも事実叶ったらしいが)、今の時代、これを物語としてドラマ化にするには、誰も羨まない、もはや形骸化した恋愛形態ではなかろうか…。

 これをNHKが史実に忠実に基づくのではなく、現在にも通用するストーリー展開に改ざんする事に、私は期待したいものだ。

 それよりも何よりも、主人公である 花 の存在感の無さを、今後如何にNHKが描き直して物語の結末を迎えるつもりなのか、一視聴者として少しは期待申し上げたいものだ。 

小保方氏はもはや不正疑惑から逃れられない

2014年07月29日 | 時事論評
 7月27日夜9時からNHK総合テレビにて放送された NHKスペシャル 「調査報告STAP細胞“不正の深層に迫る 疑惑の論文を徹底検証」 を、元科学者の端くれの私は当然ながら視聴した。

 全体的な印象としては特段のトピックス的話題はなかったものの、さすがにテレビ報道番組だけあって、よくぞこの場面を撮影出来たものだとのサプライズ感は十分に得られた。


 報道内容の一部を、私論を交えつつ以下に振り返ってみよう。 (ただし我が簡易メモと記憶のみに頼るため、内容に誤りがある恐れが否めない点をあらかじめお詫びしておく。)

 小保方晴子氏が、現山梨大学生命環境学部附属ライフサイエンス実験施設長・教授、理化学研究所客員主管研究員であられる 若山照彦氏 と知り合ったのは、2010年夏の事だったらしい。
 その時、若山氏はハーバード大学研究室帰り直後の小保方氏を、(私論だが)“ただそれだけの理由で何の根拠もなく”「優秀な研究者」とみなしたようだ。 そして(後で思えば不正だらけの)STAP研究以外には何らの実績もない小保方氏との若造研究者に、自分の研究室の隣に個室研究室を与えた。

 その個室研究室映像をNHKテレビで実際に見て、私は実に驚いた。
 この「小保方個室」こそが、STAP不正騒動の着火点、諸悪の根源ではなかったかとの思いと共に…。

 私事を語ると、元科学者の端くれである私も個室研究室や実験室での作業経験が過去に於いて多々ある。 一つの実験・研究プロジェクト課題を達成するに当たり、ある一定期間個室実験室内で一人で研究に励む事は官民問わずよくある事だ。
 ただその場合重要なのは、プロジェクト目標に向けての計画進捗度合いや達成度の確認、一人で実施した実験内容に関するプロジェクト内での検証作業である。 そのため、例えば1日に一度はプロジェクトメンバーが集結してその状況を確認、話し合う場が設けられたものだ。
 さて、若山氏と小保方氏の間ではそのような会合の機会があったのだろうか?   NHK映像で見た閑散とした風景の理研内個室に於いて、もしや未だ若き小保方氏は科学者として未熟な身にして、日々ただただ孤立感を深めていったのではなかろうか…


 「STAP細胞は存在するか?」
 この絶対的命題に関するNHKの取材及び映像も的を射ていたと、私は評価する。

 NHKはこれに関して100名を超える科学者達を取材したようだ。 
 その取材力の賜物として、NHKは小保方研究室内で見つかった「ES細胞容器」の出どころを突き止めたようだ。 ここでは詳細記述は避けるが、理研所属研究員によるその出どころの証言は信憑性が高いと私も評価する。

 あるいは、小保方ネイチャー論文に関する科学者達の検証場面の映像も、大いなる信憑性があると私は支持する。
 小保方ネイチャー論文に関しては、一般発表によるとその一部のみに「捏造」「改ざん」があったと結論付けられているが、その実7割を超える画像に不正があるとの指摘を、NHKが科学者達の検証場面の映像と共に紹介した事実を私は評価したい。


 NHKの取材は、小保方晴子氏を大々的に取り上げ世に売り込んだとも言える笹井氏にも及んでいた。
 笹井氏なる人物こそが、若き小保方氏を利用して自らの利益(例えば将来の「ノーベル賞」受賞等)を得ようと企んだ張本人ではなかろうかと、私も以前より感づいていた。
 
 NHKの取材によると、笹井氏とはES細胞分野で名を挙げている科学者にして“マルチタレント性”があるとの事だ。
 そこで小保方STAP研究にその“力量”を発揮して、ネイチャー論文として仕立て上げ、自分こそが「STAP特許」でも取ってその後「ノーベル賞」に発展させれば、今後国家からの理研への膨大な資金援助にもつながると企んだとの原左都子の理解でもある。

 
 理研神戸センターの重要人物である、笹井芳樹氏に関するウィキペディア情報の一部を以下に紹介しよう。
 笹井 芳樹(1962年)は日本の医学者、研究者。京都大学博士。 神経系の初期発生の遺伝子・細胞レベルの研究者として知られる。世界で初めてES細胞による網膜の分化誘導に成功し、立体的な網膜を生成することにも成功した。
 京都大学助教授、教授、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(Center for Developmental Biology)グループディレクター、同 副センター長を歴任。受賞実績多数。2014年のSTAP研究不正事件では、様々な責任が追究されている。
 (以上、ウィキペディアより一部を引用。)

 NHK報道によると、笹井氏とは国家から「プロジェクトマネー」が取れる類まれな人物として、理研神戸センター(CDB)長である竹内氏らも大いなる期待を寄せられているらしい。
 理研神戸センター長の立場としては、今後も事件解決を先送りして、神戸センターの存続を望みたいとのNHKの報道だが…。

 世論を知るすべもなく、何だかもの悲しい結論を理研神戸センター(CDB)は求めているようだが……


 ただ未だ若き小保方晴子氏の未来を見つめた場合、ご本人よりの「科学者としての未熟さ」故の失態との訴えこそが正しい結論と受け止めて済む話なのだろうか??
 小保方氏の科学者としての資質(の無さ)に関しては、現在まで誰からも適切な指導を受けていない氏のその実態を、理研からまんまと利用された事は間違いないであろう。

 そうであるならば尚更、もしも今一度小保方氏が本来あるべく「科学者」として人生を出直したいのであれば、ここはきっぱりと「理研」を自主退職して欲しいものだ。
 いつまでも科学素人弁護士氏に頼っていたとて、らちが明かないであろうに……

 そして忌々しいまでの理研騒動に巻き込まれない新天地で、ご自身の科学力を今一度一から磨き直しては如何なのか!?

見つめ見つめられてこその人間関係

2014年07月27日 | 人間関係
 他者との関係づくりに於いて、その最初のきっかけとなるのはお互いの「アイコンタクト」ではなかろうか。

 私など、このアイコンタクトに多くの意味合いを見い出しつつ、他者との人間関係に於けるその後の更なる充実を図ってきている人間と自覚している。


 例えば、つい先だっても義母所有不動産関連所用でとある場所へ出かけた。 この場へ出かけるのは3度目の事であり、私達に対応してくれる相手方2名ともお互いに認識済みの関係だ。

 主たる相手方である片方の人物との関係に於いては双方のアイコンタクトが上手く機能しているようで、会話もスムーズに運ぶ。  ところが従たる相手方氏は、どうやらアイコンタクト自体が苦手な様子だ。
 その辺を客観力がある私として気配りしつつも、ビジネス上の人間関係に於いては、お互いに物事をテンポよく進めねばならない任務も背負っているであろう。 結局はアイコンタクトが叶う主たる人物との間で取引を進めざるを得ない。
 結果としてそれが苦手な同席人物は無視しての取引成立だったのだが、何だか後味が悪い感覚でその場を去らざるを得なかったものだ。

 ここで一旦、私の結論を述べよう。
 特に商取引等ビジネスの場面に於いては、ビジネスマンとして相手方との間にまずは「アイコンタクト」を実行出来る事など必須・最低条件であろう。 これが苦手で、その後の取引談話が進展するはずもない事をわきまえて職業選択をするべきではなかろうか。


 今回のエッセイを綴るきっかけを得たのは、「原左都子エッセイ集」バックナンバー検索元の足跡による。
 どうやら昨日、本エッセイ集 2008年11月8日 “旅行”カテゴリーに公開した「見つめるインド人」なるバックナンバーをご覧になられた方々が少なからず存在するようだ。

 そこで、そのバックナンバー内容の一部を以下に紹介しよう。
 
 インドは、(6年前の時点では)日本人を含む黄色人種系の観光客が少ないようだ。 私が今までに訪れた世界の国々の中で、一番日本人を見かけない国だったように感じる。  そのため物珍しいのか、インド人からの注目度が高い。 どこへ行っても大勢のインド人の大きな黒い瞳に見つめられる。 好奇心が強く純粋で素直な国民性なのかもしれないが、インドの皆さんは遠慮のない視線を投げかけてくる。
 私など、こういう現地の人とのふれあいが旅行の大きな楽しみのひとつであるため、注がれた視線にいつもすかさず微笑み返すのだが、相手もとてもいい顔で微笑み返してくれる。(ただし微笑みを返してくれるのは中流階級以上のインド人だ。 下流階級の人々は決して微笑まない。 最低限の衣食住に精一杯で微笑む余裕などないのが現状なのであろう。)
 子どもはもっと好奇心旺盛で、積極的に声をかけてくる。 「ナマステ!(ヒンズー語で“こんにちは”」「ハロー!」などなどと。 それに喜んで応じると、すぐになついてくる。至ってフレンドリーだ。 例えば、アグラの観光地“ファテープル・シクリー”で出会った、遠足か校外学習か何かで現地に来ていたプライベートスクールの小学生達は、目敏く日本人の私を見つけると、駆け寄って来て「ハロー!」と言って握手を求めてくる。 私が微笑みながら快く応じていると、引率の先生と思しき人や周囲にいた観光中のインド人の大人までが駆けつけてきて握手を求めてくる。 まるで売れっ子タレント並みの大人気者にでもなった気分の私である♪♪  その後、小学生(及び大人観光客も含めた)グループはずっと私の回りを取り囲みつつ付いてきて、皆が話しかけてきたりスキンシップを求めてきたり、とにかく何とも可愛らしい。 私が写真を撮ろうとすると皆が喜んで我先にとカメラの前に立ち、この写真(上記バックナンバー掲載写真を参照下さい。)のような満面の笑みを振りまいてくれる。 お陰でこの観光地を出るまで、この小学生たちとの楽しい一時を共有させてもらえた。
 (以上、当エッセイ集 「旅行記」より一部を引用。)


 ところが実に悲しい事には、現在東南アジア方面を訪れる日本人観光客にとって (インドを含めた)アジア圏の人々から観光客である自分を“凝視される事実”が迷惑、あるいは不可解らしいのだ……

 これには驚かされるばかりだ。

 何故に日本人観光客は、せっかく訪れた諸国現地の人達に「見つめられた」後、見つめ返して「笑顔」で対応出来ないのか?
 あるいは、「ハロー」でも何でもいいから一声かけてコミュニケーションを持とうと志さないのか!?
 それをせずして迷惑がっていては、相手方から「不審な人物」と疑われても致し方ないであろう…

 お盆の海外旅行混雑時期も迫っているが、今年海外へ出かける予定がある人々には何のための海外旅行実施なのか、少し考えて欲しいものだ。
 たとえ語学が苦手でも、現地の人から笑顔をもらったならばすかさず「笑顔」で返して欲しい。
 それを実行する事により、必ずや訪れた諸国に対するさらなる興味や認識が深まる展開となる事と、私自身の経験からお伝えしたい。

飲食店は顧客の「席」案内を甘く見てはならない

2014年07月25日 | 時事論評
 最近私が昼食や夕食等でよく利用する自宅近くのレストランがある。

 それは、全国何処にでもあるいわゆるファミリー向けチェーン展開レストランなのであるが、何故その店舗が原左都子のお気に入りなのかと言うと、私にとって外食するに当たり絶対外せない“ある条件”が必ずや満たされる故である。

 その“外せない条件”とは案内される座席である。  これには執拗なまでのこだわりがある私だ。

 当該レストランを仮に「Jレストラン」と表現して、話を進めよう。

 まず、「Jレストラン」は全国チェーン展開レストランの例外ではなく、個々の座席自体が広いのに加えて店内すべての座席をゆったりと配置している。
 しかも実際に座席に着席して気付くのだが、顧客が座って視野内に入る隣接した座席間との距離間隔において少しずつ位置をずらす事により、出来るだけ他の顧客との視覚的聴覚的距離を置くべく座席配置を工夫していると私は感じるのだ。

 しかももっと評価できるのは、必ずや店員氏が案内した座席を顧客が着席した後に「このお席でよろしいでしょうか?」と尋ねてくれる点だ。 これを未だ座っていない状態で尋ねられても意味がない。 一旦座席に着席した後でなければ気付かぬ隣席の鬱陶しさが必ず存在するものだ。
 ところが他のほとんどの飲食店の過ちとは、顧客が未だ着席していない状態でこれを尋ねる事にある。 今少し顧客の心理を尊重してくれるならば、一旦座った後にこれを確認して欲しいものだ。  

 このレストランの座席対応が気に入って以来もう何度も訪れているのだが、隣席の顧客の鬱陶しさに厳しい原左都子にして、未だかつて心地よく食事が出来る事に感謝申し上げている。


 2年程前の事だっただろうか。
 東京メトロ副都心線が開通した後、渋谷駅にヒカリエなる巨大ビルが完成した直後の話だ。
 大学生の娘と渋谷まで(おそらく文化村までクラシックバレエ公演を観に行った帰りに)、せっかくだからヒカリエで食事をして帰ろうとそのビルの飲食街を訪れた。
 イタリアン好きな娘が「このお店がいい」と言うのでそこに入店したところ、娘世代の若者達でごった返している。
 その直後、店員氏に案内された席の劣悪さに私は仰天した!  隣席とはほぼ同席状態の間近さ。 これがもし格安で美味しい料理を振る舞っている店舗ならばまだしも許せるが、(場所代もあろうが)いっぱしの料金設定だ。  要するに、単に一時の若者渋谷志向を利用して“ぼったくろう”との店舗の意図感が否めない。  「申し訳ありませんが、ここでは我々は食事は出来ませんので帰らせて頂きます。」なる私の訴えは、若き女子店員氏にとって初めての経験だっただろうか。 困惑した若者の表情を今も覚えている…。 
 それでも一応娘からのヒカリエで食事をしたいとの意向に従って、比較的空いている別レストランを訪れた。 ところがここも隣席が同席状態の近さ…。 隣席の客が案内された後は、娘の声よりも隣の声の方が大きい座席でよくぞまあ、若者達は食事をしたいと思うものだとの不可思議感の下、そそくさと店舗を去った。  その食事代金の高額ぶりに驚かされつつ、その後娘もヒカリエへ行きたいとの希望がまったく消え失せたようだ…


 ただ「居酒屋」に限って考察するならば、若かりし頃より現在に至って尚頻繁に「居酒屋」を愛好している飲兵衛の私である。
 「居酒屋」が混雑している状況下では店舗全体が飲兵衛どもによる轟音の渦中と陥るため、相対的に周囲の様子が気にならないものだ。  
 私同様、飲兵衛の皆さんにとっても同じ思いであるからこそ、「居酒屋」とは時代を超越し形態を変貌しつつ長きに渡り発展を遂げているものとも考察可能だ。

 
 それにしても、飲食店開業を志向する業者及び個人営業者の目的や意志の方向は千差万別であろう。
 料理人であるご主人の得意な分野の料理を振る舞いたい。 あるいは、親の店を継ぎたい。 はたまた企業の立場としてテナントに飲食店を出店したい、等々、飲食店が開業する目的とは多種多様であることには間違いない。

 それでも私は、種々雑多な顧客をターゲットとしている各種飲食店に於いて、おそらく今の時代は顧客の“席案内”こそが店舗の存続に於ける「命とり」ともなる危険性を孕んでいるとの私論を展開したい思いだ。

 さすがに最近は、飲食店側の業務上の都合で強引に「こちらのお席にどうぞ!」と身勝手に案内する店舗は減った気がする。 何処の店舗でも、一応「こちらのお席でよろしいですか?」なる声掛けが聞けることを前進と受け止めたい。


 せっかくの腕の良い料理人氏が作ったご馳走を、混雑した座席で人の喧騒に邪魔されつつ胃を傷めつつ食するよりも、顧客である自分が好む良い席でゆったりと頂きたいものだ。

 えっ? それにはお前こそがもっと金を払えって?! 
 う~~~ん、そうではなくて、たとえ庶民が身近に通えるレストランだって、ちょっとした座席の工夫次第で心地よい食事タイムが堪能できるよ!と言いたかったのが、今回の「原左都子エッセイ集」の趣旨なんだけど…。

“色の後からものが見える”

2014年07月23日 | 芸術
 (写真左は、ラウル・デュフィ作「オーケストラ」、右は同「オペラ座」。 国内美術館で買い求めた絵葉書より転載したもの。 画像不鮮明で恐縮ですが…)

 当エッセイ集2012.10.10バックナンバー 「原左都子プロフィール」内に、私は以下の記述をしている。
 お気に入りのアート :  アンリ・マチス、 ラウル・デュフィ、 ……

 実は、私は以前より人知れず画家ラウル・デュフィのファンである。 

 ファンとは言えども何分芸術にはズブの素人である私にとって、デュフィという画家を十分に理解した上でそう言っている訳ではない。 ただ単に、その色遣いや筆のタッチ等を直感的に好むだけの話である。

 私が一番最初にデュフィにはまったのは、今から遡ること9年前の2005年に東京で開催されたフィリップスコレクションを、おそらく上野の何処かの美術館へ未だ11歳の娘と一緒に観に行ったのがきっかけだ。
 その時に展示されていたのが冒頭写真の右側 「オペラ座 」である。 東京開催フィリップスコレクション目玉の一つが、本邦初公開のこの作品だったと記憶している。
 当時クラシックバレエをたしなんでいた我が娘だが、娘が通うバレエ教室がパリオペラ座バレエスタイルを採用していた。 普段の練習着等もパリオペラ座直輸入ものを教室が取り寄せて生徒達に使用させていたため、娘本人もオペラ座には興味津々だったようだ。
 さほど混雑していない美術館会場内で、デュフィ作「オペラ座」の前には人だかりが出来ていた事を記憶している。 予想に反して小さいサイズの作品であり、列に並び順番待ちをして観賞したものだ。
 ピンク色を好む私にとって、この作品は実に美しかった。 (実はピンクではなく、専門家の間ではこの作品は「赤」主体と表現されているようだが)  特にオペラ座の中2階、中3階、中4階当たりの座席のピンク色が私の目にはとても綺麗で、一生に一度はあの席に座ってバレエを観賞してみたい思いに駆られたものだ。  (参考のため、その後年月が流れ娘が高校の修学旅行でパリを訪れることとなり、自由行動時間に娘は迷いなくパリオペラ座を見学に行ったようだ。)


 ここで、ウィキペディアを頼り、画家ラウル・デュフィに関して少し紹介しよう。

 ラウル・デュフィ(Raoul Dufy, 1877年6月3日 - 1953年3月23日)は、野獣派に分類される19世紀末から20世紀前半のフランスの画家。「色彩の魔術師」20世紀のフランスのパリを代表するフランス近代絵画家。 
 アンリ・マティスに感銘を受け、彼らとともに野獣派(フォーヴィスム)の一員に数えられるが、その作風は他のフォーヴたちと違った独自の世界を築いている。 デュフィの陽気な透明感のある色彩と、リズム感のある線描の油絵と水彩絵は画面から音楽が聞こえるような感覚をもたらし、画題は多くの場合、音楽や海、馬や薔薇をモチーフとしてヨットのシーンやフランスのリビエラのきらめく眺め、シックな関係者と音楽のイベントを描く。 また本の挿絵、舞台美術、多くの織物のテキスタイルデザイン、莫大な数のタペストリー、陶器の装飾、『VOGUE』表紙などを手がけ多くのファッショナブルでカラフルな作品を残している。 
 1938年 パリ電気供給会社の社長の依頼で、パリ万国博覧会電気館の装飾に人気の叙事詩をフレスコ画の巨大壁画「電気の精」として描く。イラストレーターと兼アーティストとしての評判を得る。
 (以上、ウィキペディアより引用。)


 今回このエッセイを綴るきっかけを得たのは、7月20日にNHK Eテレにて放送された「日曜美術館」を見た事による。
 「色彩の魔術師デュフィ …」と題された番組のゲストは、日比野克彦氏であられた。
 この日比野氏の解説が何ともソフィスティケートされた内容で、私は1時間に渡りラウル・デュフィの世界に引き込まれた。

 その中でも、私の脳裏に一番刻み込まれたのは今回のエッセイ表題に掲げた 「“色の後からものが見える”人物」 との、日比野氏が発したラウル・デュフィなる画家に関するフレーズである。

 咄嗟にこの言葉を聞いて、それが何を意味しているのかが理解出来る人間は恐らく少数なのではなかろうか。
 ところが、実は私は、我が娘幼少期から現在までを通じてこの事象を実際に幾度も経験しているため、容易に理解可能だったのだ。

 それでは、我が娘が持って生まれている“特異性”の一部を以下に披露しよう。
 何分、産まれ持っての事情を抱えている我が娘だ。 発語は遅いし運動能力の開花も遅れている中、親として気付く“特異性”があった。
 人より遅く歩き始めた娘をよく散歩に連れ出したのだが、未だ発語のない娘が東武東上線の電車を指さして「ワイン」と言う。 最初何を言ったのか理解できなかったが、我々の前を通り過ぎる電車に塗られたラインカラーが娘の言う通り「ワイン色」である事に気付かない私ではなかった。 電車が走る事象よりも、この子は「色」に着目したものと、初めて我が娘の特異性に気付かされた事件だった。

 その後、家庭内でも娘の“色表現”は続く。
 電話が鳴ると「クロ、クロ」と騒ぐし(参考のため当時の我が家の電話は黒色だった)、花の名前が言えない段階から「赤」「黄色」「ピンク」などの色彩表現力は鋭かったようだ。

 極めつけは、娘の発語が多少出て来た時点(恐らく2歳半頃)地下鉄(現在の東京メトロ有楽町線だが)に幾度か乗せた後の出来事だ。  娘が地下鉄駅に着く都度繰り返す。「次は白」「次はピンク」「次は灰色」「次は虹色」等々と…。 これに関しても母である私は娘が意図する思いを十分に理解した上で、親馬鹿ながら娘の色彩記憶力に脱帽させられたものだ。 (私自身も、新富町駅がピンク色、江戸川橋駅が娘が言うところの虹色程度は記憶しているが…
 地下鉄とは道中が真っ暗闇である。 そんな電車に乗せられた幼き娘の関心事とは、次に着く駅の「壁の色」だったとの事だ。 それにしてもよくぞまあ、地下鉄有楽町線内のすべての駅の壁色を記憶しているとは、我が子ながら“天才”素質があると驚かされたものである。

 現在20歳を過ぎた我が娘は、今尚、ものを“色”で表現する特質性から完全に抜け出ていないのが困りものだ。 例えば「お母さん、そのピンク取って!」 「お父さんが茶色を持って出かけたよ。」等々…。
 娘が持つ特質を十分理解している母であるが故に、これが家族内で成り立ってしまうところが弱点なのか?!?


 そんな娘の“色特異性”こそを芸術方面で活かそうと過去に於いて策略した親としての思いは、当の昔に挫折している。

 それでも今後娘が社会に旅立つに当たり、「色彩の魔術師」ラウル・デュフィを参考にして、娘が持つ色彩感覚の特異性の一面を尊重してやるべきなのか!?

 (庶民の立場にして既にそうではないとの結論に達していますので、皆様ご心配なきように…)

女性優遇より男女問わず有能な人材こそ登用せよ!

2014年07月21日 | 時事論評
 国家や経済界上層部の人事面での発想とは、何故これ程までに単細胞なのだろう。

 過去から現在に至って、国家及び民間企業の上層部が結論付けている “女性の数だけ増加させればそれが女性の活躍を示す指標になる” との短絡的思考には、いつもいつもウンザリさせられ続けてばかりだ…。

 もちろん原左都子自身も、有能な女性が国家や企業の上層部で活躍する事を決して否定する訳ではない。
 むしろ我が現在に至るまでの医学分野民間企業や教育業界等での職業経験を通じて、有能な女性上司に出会った経験があり、その種の人物とは必ずやこの世に存在する実態にも触れてきている。


 冒頭より「有能」に関する私論を述べよう。

 人は何を持って、人を「有能」と判断するのか?  あるいはするべきか??

 これに関しては、私が過去に「経営法学修士」を取得した大学及び大学院にて学んだ知識を少しだけ紹介しよう。
 それを記述するに当たり、「原左都子エッセイ集」開設直後の2007年11月9日公開 「組織論におけるパワー概念」 なるエッセイの一部を以下に要約させていただこう。

 組織論に「パワー」という概念がある。
 この場合の「パワー」とは、個人ないし集団が相互に行使するあらゆる種類の影響を意味する。 Max Weber は、「パワーとは行為者が社会関係の中で抵抗を排除してでも、それが依拠する基盤が何であれ自己の意思を貫徹する立場にある可能性である。」と定義している。 Blau は、このWeber の定義を拡張して「パワーとは、定期的に与える報酬を差し止める形態をとろうと、罰の形態をとうろと、脅かすことで抵抗を排除してでも人々あるいは集団がその意思を他者に強いる能力である。」としている。
 「パワー」を一種の心理的力として、個人間の相互作用におけるその潜在性の側面を強調する立場もある。 French=Raven は「パワーとは与えられたシステム内で集団ないし他人に影響を与える潜在的な能力である。」と定義する。  「パワー」の定義は多様であるがこれらの定義に一致していることは、パワー現象は二人あるいはそれ以上の人々の相互作用という複数の状況のみに生起することであり、社会的行為者間の関係においてのみ意味のある概念であるとしていることである。
 上記のFrench=Raven は、潜在力としての「パワー」を“報償的パワー”、“強制的パワー”、“正当的パワー”、“同一的パワー”、“専門的パワー”の5類型に細分化した。この「パワーの5類型」は経営組織論上の学説としては認められていないようだが、興味深い考え方であるのでここで紹介しよう。
   (以下、中略)
 さて、皆さんはいかなる「パワー」をお持ちでしょうか?  あなたがお持ちのその「パワー」が周囲に影響を及ぼし、世界をも動かしているのかもしれませんね。
 (以上、「原左都子エッセイ集」開設初期のバックナンバーより一部を引用)


 私論に戻ろう。

 各種組織に於いて一体誰を「有能」と認識判断し、その人物を職場の上位に位置付けるのか?
 その判断に際して、上記の組織論こそが一つの基礎となり得るのではなかろうか?

 「あの人は素晴らしい」 「あの人の下でなら私は安心して働ける」 等々と僕(しもべ)から訴えたところで、その見解自体が多様性に満ち満ち千差万別である事だろう。

 片や「有能」と位置付けられ組織上部に君臨した人物側が、それが負担になる事も重々あり得る。
 事例が悪いかもしれないが、一時公立小中学校で民間校長を募った時代がある。 この制度により校長に任命された人物が長年に渡り公立学校長を全うされたとの話を私は聞いた事が無い。
 一時あれ程まで世間を騒がせた“杉並区立和田中学”の校長であられた(東大卒元リクルート㈱出身の)藤原氏とて、公立学校長として世を騒がせた後にすぐさま現場を去り、その後のご活躍の程を今や見聞する事はない……


 経団連が7月14日、(国内巨大企業である)役員企業47社に女性登用計画をまとめたところ、約6割の27社が「女性管理職を2020年までに3倍にする」等の回答を得たとのことだ。
 ただ女性の役員を増やすにあたって男性も含めた働き方や意識を変えないと、経団連の目標達成に向けた企業の本質度は問えないであろう。(以上、朝日新聞記事より一部を引用。)


 最後に、原左都子の私論で締めくくろう。

 国家や経済界に於いて、過去から現在に至る過程で幾度となくその上部に「女性登用」が持ち上げられて来たと認識している。
 現在に至って尚、その根拠なき貧弱な「女性登用」手法に依存するのは何故なのか?

 国政が諸外国事例を参照するとの手段は、過去に於いても実施されてきた“陳腐な政策”に過ぎないであろう。
 ここは国政や経団連も今一度経営学に於ける初歩の「リーダーシップ論」でも学び直して、単なる一時の女性優遇でない、真の女性活性化政策に期待したいものだ。

学校のお勉強だけして脳が活性化するはずもない

2014年07月18日 | 教育・学校
 少し前の話になるが、NHK昼の番組「スタジオパークからこんにちは」のゲストとして、医師でありタレントでもあられる 西川史子氏 が出演しておられた。

 その西川氏が出演された生番組の冒頭で、「私は離婚したばかりで大打撃を受けている」云々のお話をされた事に関しては、「原左都子エッセイ集」4本前のバックナンバー 「離婚って、そんなに辛い事象かなあ??」 に於いても記述した。


 さて今回の我がエッセイは、西川史子氏が番組内でもう一つのテーマとされた「自分が過去に母親から受けた教育」談義から引用させていただく事とする。

 その前に、原左都子が抱く“西川史子氏”なる女性に関する印象を述べさせて頂こう。
 (民放番組をほとんど見ない私にとって西川氏を拝見するのは今回が3度目程度の認識で、身勝手にもその人物評価を記載させていただく失礼を、まずはお断りしておかねばならないであろう。 その上での印象に過ぎないが…)

 この女性、自己顕示欲が強いのに加えて、(得体の知れない)自信に天然質で満ち溢れておられる人物なのではなかろうか。
 ただ原左都子の私論としては、それこそが彼女が持って生まれ、かつ自らが更に育成して来た「武器」とも考察するのだ。


 それでは西川氏による母親氏より受けた幼少時よりの教育を、我が記憶に頼り以下に紹介しよう。

 父は元々整形外科医だが、嫁いだ母は単なる主婦だった。 そんな母はどうしても子どもを医師にしたかったようだ。 ところが長男は素直で軟弱気質。 次に生まれた女である私の反発力に期待したようだ。
 そんな気丈な私を「医師にしよう!」と志した母の日々の教育は徹底していた。
 学校では「学科勉強のみ頑張るように。」 「あなたの能力ですべての科目を頑張っていては、将来医師にはなれない。」「体育の時間は全力疾走しないで余力を残す努力をせよ。」「家庭科の裁縫などは我が家のお抱え家庭教師に任せるから、その分学科勉強に励め。」 「音楽とて同様だ。決して大声で歌など歌わず口パクでごまかし、次の算数の時間に全力を発揮せよ。」
 そんな母親氏の指示に素直に従った結果、西川氏は聖マリアンナ医科大学を経て、医師免許を取得し現在に至っているとの談話だった。

 ここで再び私論を少し述べよう。
 原左都子も元々医学部出身(私の場合はパラメディカル分野だが)であるから、「医師免許」を取得するまでの苦労の程は傍目で見て十分図り知っている。 確かに(例え大学間の格差があろうと)、医師免許を取得するに至る過程は医学部入学後6年間にも及び、厳しい専門学問や数々の実習等を経過し得ないとクリアできない資格である事を承知している。
 西川史子氏はその厳しい過程を通過したとの歴史があるが故に、タレント活動が下火になった今現在に及んで尚、自己顕示欲が強靭であり、また得体の知れない自信に満ち溢れる事が可能なのであろう。


 それでは西川史子氏の母親氏が実施したとの、「学校のお勉強(学科学習)にのみ特化した学習指導」に関する記述、及びそれに対する私論に入ろう。

 実は私が小中高生だった時代は、庶民にとってこれぞ“正規”の学習形態だった。
 「もはや戦後ではない」なる戦後まもない時代にこの世に生を受けた私の小学生時代とは、とにかく「学科勉強」が出来る子供がもてはやされるとの、歪んだ時代背景だったものだ。 
 その影響で「図工」「音楽」などに於いても“お勉強ができる子”が真っ先に取り上げられ、その子達が作成したものが賞に輝いていたのが事実だ。 その恩恵を受けて私が描いた絵が「市長賞」に輝いたり、音楽分野に於いてはいつも学芸会の主役級に取り上げられた事を記憶している。(音楽に関しては好きでやっていたから嬉しかったものの、図工など大嫌いで、嫌々描いた絵が何で「市長賞」なの?と私自身納得いかなかったものだ。)

 その現象を一番喜んでいたのが我が母であった。 「我が家の娘たちが学校のお勉強が出来るお陰で、親として鼻が高い!」 その種の歪んだ優越感を持ち続ける人生を歩むしか方策が取れなかったのが、我が母としての一番の失敗だったと私は結論付けている。 
 そんな母が高齢者となった今尚、長年の歴史を経て私にいつまでも言い続ける事がある。
 「私は自分が産んだ娘二人が学校で優秀だったし、二人共有名大学(あくまでも地元ではね…)に進学しその後素晴らしく社会に羽ばたいてくれた事に一生嬉しい思いをしてるけど、貴方が産んだ子供は今どうなの? 米国在住の長女の息子は優秀だと聞いてるよ。」
 これに対し、「学校のお勉強が出来た事だけが子供のその後の人生ではない! もしも万一、我が娘が就職にありつけなくとも、私にとっては一生可愛い我が子だよ!」と母に何度も説諭しているにもかかわらず、執拗にまで孫である我が娘の就職の行く先を憂慮する母に痛めつけられる現状だ…… 


 最後に私論でまとめよう。

 西川史子氏の場合、医師免許取得者にしてミスコンに出場してみたりタレントとして毒舌吐いたりと、得体の知れない自信を武器として強靭な生き様を描きつつこの世を生き抜いておられる“類まれな”人物であろう。
 氏の母上が何を欲していたかに関しては不明なれど、おそらく現在の西川氏が“医師以外の分野”で少なからずの収入を上げ活躍されている実態にご満足なのではなかろうか??
 その意味で、西川史子氏の母親氏の教育は成功したと評価できよう。

 そうではなく、一般市民がこれを真似ようとて容易ではない事を伝えておきたい。

 学校のお勉強のみ子供にさせて、今時、脳が活性化するはずもないのだ。
 そこは各ご家庭の判断で、我が子の特性を見抜いて欲しいものだ。 

可愛い子どもの声が「騒音」となる場合もあり得る

2014年07月16日 | 時事論評
 少し前の朝日新聞「声」欄に、 「子供の声は騒音ではなく癒し」 と題する高齢者男性よりの投稿があった。

 朝日新聞「声」欄は現在無段転載を禁止しているため、原文よりの引用要約ではなく、あくまでも原左都子の記憶のみに頼ってその投書内容を以下に紹介しよう。

 近所に幼稚園や保育所等の児童施設が建設されると子供の声等の「騒音」が発生するため、地域住民より反対運動が起こる場合もあるようだ。 これがどうも解せない。 我が家の隣にも小さい子供達が住んでいて時には大声で泣いたり喧嘩をしたりの元気ぶりだが、その音声は私にとっては「癒し」であり微笑ましくもある。
 世には少子化問題もあれば、高齢者の老後を若き世代に支えてもらわねばならない事情もある。 子供達の声を利己的に「騒音」と位置付けて排除するのではなく、少しは肝要になれないものか。
 (以上、朝日新聞「声」欄投書を、原左都子の記憶に頼り公開したもの。)


 一旦、私論に入ろう。

 子供の声等に関する騒音問題を取り上げるに当たり、如何なる立場や観点からそれを問題視するかの視点こそがまずは検証されるべきであろう。
 朝日新聞投稿者の場合、あくまでもご自身の知り合いである近所の子供達の声を「癒し」と捉えられている。 片や、近隣に幼稚園等が建設される事案の場合、その「集団性」や騒音被害を受ける住民との「無関係性」こそが議論の要点となろう。
 第二の課題として、この投書者の議論が「少子化問題」や「老後の社会制度」にまで飛躍してしまっている事態を私は大いに懸念する。


 次に、原左都子の私事を述べよう。

 現在の我が家も公立小学校から目と鼻の先の位置にあり、日々小学校からの「騒音」に悩まされている立場だ。 我が娘が過去に於いて3年程お世話になった小学校でもあり、物申すのは控えるべきと理性では判断しつつ、実際問題日々の「騒音」のけたたましさには辟易とさせられている現状だ。 
 元々私自身が学校嫌いである事にも端を発しているが、日々授業開始のチャイム音や校内放送の音声を聞かされ続けると、(何でこんな場所に住居を買い求めたのか?!?)との自責の念にすら駆られる始末だ…
 これが運動会やプール指導時期ともなると、それが屋外で実施されるが故の物凄い騒音に苛まれるのだ。 それを耐えろ!と言われるならば窓を閉め切るしか手立てが打てない。 今時のような真夏の時期はエアコンに頼るためそれが可能だが、それ以外の時期には騒音を許容するしか方策が模索出来ない状態だ…

 ついでに言うなら、どういう訳か我が家の集合住宅の前が入居当初より複数“私立幼稚園バス”のバス停ともなっている。 恐らく安全性に基づいて“バス停”場所の判断が下されたのであろうが、これが日々大騒音事態だ! 
 毎朝毎朝9時頃より30間程、幼稚園児達の大騒ぎ音声に苛まれる。 集合住宅前に公道があるのだが、この道を通行する車両が少ない事を親達が安堵しているのか、幼稚園児達を公道で遊ばせつつ日々親達は自分達の会話に夢中だ。 たまに車が来ると「あっ、危ないから気を付けて!」なる声をかけるものの、公道を我が子の遊び場とする事自体を禁止する親がいない事に辟易とさせられる日々だ。  ここは元教育者でもある私が現地に出向いて、親達こそを説諭したい思いに駆られる。  ただ、そんな事をしたところで“おかしなおばさん”の異名を取るだけの結末となる事など承知の上で、諦めているのだが… 


 私自身の我が子に対する「騒音」教育は厳しかったものだ。

 上記のごとく「騒音」には手厳しい立場の親である。 我が子は元々“静か”な部類の子供なのだが、それでも公共場面に連れていくと幼少時は訳が分からず騒ぐこともあった。 
 ある時、子供もOKのオーケストラ講演会に参加した時だ。 まさか普段静かな我が子が公演中に声を上げないであろうと予想していたのに、娘にとっては慣れない場で言葉を発してしまった。 それに咄嗟に反応した前席の女性から「シーー!」と叱責された我が親子は、すぐさま退席しロビーに戻った。
 それに驚いた我が娘に私は今一度、「声を出してはいけない場面がある」事を出来るだけ優しく丁寧に説明したものだ。
 コンサート会場での子供の騒音などは稀な事例であろう。 だが、もしも親の立場で我が子に対して幼い時期より「騒音教育」が可能ならば事は簡単であろうし、世の中がもっと静かに機能するのではないかとの期待もある。


 朝日新聞「声」欄投稿者氏の投稿内容に於けるもう一つの誤り箇所を指摘しておこう。
  
 それは「世には少子化問題もあれば、高齢者の老後を若き世代に支えてもらわねばならない事情もある」との記述だ。
 これに関して原左都子は以前より反発心を抱き続けている。

 そうではなく、現在までの国政が正常に機能していさえすれば、社会保障問題など世代を超越して「正の循環」を繰り返しているはずなのだ。
 それを叶えられずに世代を超えて国民皆に負担をかけ続けている国政の責任こそを問うべきだ! 

良好な人間関係を築く基本とは「知恵」と「マナー」

2014年07月14日 | 人間関係
 朝日新聞よりの引用が続くが、7月12日別刷「be」“悩みのるつぼ”の回答者であられる三輪明宏氏のご回答内容に100%賛同申し上げるため、今回のエッセイ表題は三輪氏の回答より引用させて頂いた。

 それでは早速、40代女性よりの 「年上の人とうまくいきません」 なる相談内容を以下に要約して紹介しよう。

 三輪明宏氏が大好きだ。 言葉が上品で優しくて素敵だ。 どうか三輪さん教えて下さい。
 私の悩みは職場と近所との人間関係である。 私は人と接するのが苦手だが、特にいつも失敗するのが年上の女性との関係である。  パートの仕事上でも、どうも上司である女性に対して尊敬出来ないと判断すると自分の心を閉ざしてしまうようだ。 他の従業員は上手く上司のハートをつかんでいるにもかかわらず、私には不可能だったためその仕事は辞めた。
 近所の60ぐらいの人にも旅行帰り手土産を持っていかなかった事で、私は仲間外れにされている。
 頭の片隅には、「出来れば(人間関係を)上手くやりたい」との思いは常にあるが、相手に魅力を感じないと億劫になってしまう。 どうすればよいか?
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”相談より、要約して引用。)

 一旦、原左都子の私論に入ろう。

 何と申しましょうか。 この相談を読んで私の脳裏に真っ先に過ったのは、相談者ご本人の“歪み切った”心理状態でしかない。
 この相談者が如何なる人生を歩み、如何なる社会的業績を上げて来られかに関しては全く不明であるものの、どうやら現時点ではパート勤務を失業し、近隣関係も上手く機能していない状況であるようだ。
 それはそうとして、相談女性が何処の地域にお住いなのかがこの相談に於いて大いなるネックとなりそうにも考察する。 例えば地方過疎地にお住まいの場合、今尚その地域では特に高齢者間の人間関係が濃厚に機能している事であろう。 その中で疎外感を感じているとするならば、事は重大であるのかもしれない。


 ここで、原左都子の私事を語らせて頂こう。

 私の場合、この相談者とは対極の人格を築きつつ生きているようだ。
 年上女性に対して私は「甘え上手」と表現するべきか、とにかく年上の女性達から大事に思って頂いて、末永くお付き合いが続行する経験を幾度も積んできている。

 私自身の人生に於ける「腹心の友」(“尊敬するべき先輩”と表現するべきだが)に関して語るならば、2名の年上女性が挙げられるかもしれない。

 その一人は、新卒で上京し就職した民間企業の直属の女性上司氏である。 この方からは出会って30数年経過した後に至って「原左都子エッセイ集」へコメントを頂いているし、現在尚毎年年賀状にてのお付き合いを続行中だ。
 そしてもう一人の「腹心の友」にも職場にて知り合った。 お互いに(適齢期を過ぎた)独身同志との立場が一番の理由で意気投合し、職場帰りには必ず彼女の自宅や居酒屋等で夕食を共にした。 ところが実に無念ながら、その彼女が60代にしてくも膜下出血にて突然死したとの連絡を受けた時には、我が今後の人生の一分野における生き様を喪失した感覚に囚われる程の衝撃を感じたものだ…

 今となっては我が人世に於ける「腹心の友」を亡くし寂しい現状の私だ。
 それでも現在尚年上の女性対応は得意分野であり、都心にしてご近所の高齢女性達とのお付き合いが上手く機能している。


 それでは、今回の“悩みのるつぼ”回答者であられる 三輪明宏氏の回答を以下に要約して紹介しよう。
 
 その前に少しだけ我が見解を述べる。
 今回の相談のように、相談者より「回答者氏のファンです!」「〇〇氏にこそ、我が相談に応えて欲しい。」なる要望がある場合、相談者に“迎合”するかのような回答が回答者氏より展開する事を、私は幾度か経験し辟易としていた。
 ところが三輪氏よりの回答は全く違った。 あくまでも相談者の落ち度を厳しく指摘する内容だった事に、心より賛同するのだ。 

 以下に、三輪氏よりの「ほほ笑みの練習をしましょう」と題する相談解答を要約しよう。
 相談者の貴方自身が如何なる人物かどうか、掛け値なしに採点してみて下さい。 この世は天国ではなく、全人格的に優れた菩薩様がいるわけではない。 職場の同僚が上司に気に入られたとかの次元の低い事でうろたえたり、一喜一憂したりすることが馬鹿馬鹿しくなるはずだ。 
 この相談者に限らず、生活上の知恵やマナーについての教育を、日本人全体が受けねばならない状態に追い込まれている。 世界各国で、後ろ姿を見ても微笑んでいる感じがする人を嫌いな人はいない。 微笑んでいる人を放っておきませんよ、誰も。
 (以上、三輪明宏氏よりの“悩みのるつぼ”相談内容の一部を要約して引用。) 


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 この相談者の“勘違いぶり”が甚だしい事に関しては、国内如何なる地方に住んでいるにもかかわらずバッシング対象となろう。 年上の相手が尊敬できないと判断すると自分の心を閉ざす? 一体どのような人生経験に基づき、人物評価を下しているのか?
 その回答とは三輪氏が上記回答内で指摘された通りだ。

 現在の我が国に於いて、国家政策ないし教育行政の歪み現象故か? 三輪氏がおっしゃる通りの人民生活上の「知恵」や「マナー」が欠如した事態を私自身も憂えている。 
 人間関係の希薄化現象が世界規模でもたらした社会全体の退化故に、人が“微笑まなく”なっている現象を、日本のみではなく諸外国でも経験させられる次第だ。

 この現象に追い打ちをかけるような“人から微笑みを奪う”がごとくの安倍政権の「集団的自衛権」閣議決定。
 
 それにも関わらず昨日滋賀県知事選に於いて自民政権が敗北した事実を、今後の国民の“微笑み返し”のきっかけの一つと捉えたいものだ。

朝日新聞 パズル「推理」 2014.7.12編

2014年07月13日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞昨日の別刷「be」に掲載されたパズル「推理」に原左都子が解答したもの。 解答後紙面を一旦捨て去ったものの、今回の課題が“レベル5”だったのを勘案し、ゴミ箱から取り出し掲載したため、皺くちゃであることをお詫び申し上げます。


 実は私は、朝日新聞が毎週土曜日別刷「be」に掲載しているパズルの中で、今回表題に掲げた「推理」パズルも愛好している。

 「絵むすび」に関してはバックナンバーにてその解答を再三公開してきているが、「推理」解答を公開するのは今回が初めてである。


 私にとって“二の次”に位置付けている「推理」解答を公開するに至った理由とは、今回の課題が何と!「レベル5」との最高位だった事実に触発されたからだ。
 朝日新聞パズル「推理」に於いて「レベル5」課題が出題されたのは、私の記憶によると今回が初めての事だったのではあるまいか。  せっかく朝日新聞が「レベル5」の「推理」課題を読者に課してくれたことに、一朝日新聞読者の原左都子が応えない訳もない。


 そんな思いで解答した結果が、冒頭の写真である。

 これがどうした事か、何と簡単ではないか!
 実は普段、「推理」の文章問題にはたとえ「レベル3」であれ手こずる事もあった私だ。
 ところが今回の「レベル5」は算数分野からの出題だった故に私にとって解答が簡単だったのかもしれない。
 設問を読解しつつ、足し算・引き算、数の大小比較を繰り返すと直ぐに解答可能な出題だった。
 おそらく算数や数学が得意な小中学生にも、簡単に解答可能な設問だった事であろう。


 文末に、原左都子の私論を述べよう。

 上記朝日新聞「be」パズル課題を毎週こなすだけでも、下手な塾になど通って貴重な時間を無駄に費やすよりずっと脳の活性化が叶うのではないかと、子供さんを持つご家庭に指南申し上げたい思いだ。

 ただその際には親も一緒にパズルを解いて成長発達途上の我が子に付きあい、時間を共有する事こそが肝心要である事には間違いないであろう。

離婚って、そんなに辛い事象かなあ??

2014年07月11日 | 人間関係
 つい先だってのNHK昼の番組「スタジオパークからこんにちは」のゲストは 西川史子氏 であられた。

 実は、原左都子はこの人物に関してさほど認識していない。
 医師免許取得者であるにもかかわらず、テレビタレントとして特に“民放で言いたい放題の発言”等々でご活躍との事だけは心得ている。


 その西川氏がゲストとして出演されたNHK生放送を通じて、開口一番「現在離婚後の痛手を背負っている…」云々とおっしゃるではないか。
 それを受けて司会者側の女優 戸田恵子氏が、「私などバツ2ですが、そんな事何ともないですよ。」と返答したのが印象的だ。

 ここで、原左都子の意地悪視点が頭をもたげる。
 ははあ、西川史子氏とは現在テレビ業界での出番を失いつつあるのではなかろうか?  そうした場合、現在の自分にとって利用価値があるのが4月に離婚したとのプライベート事象だ。 これを売り物にして、もう少しテレビ業界で収入を得たいものだ… 
 何と言っても自分自身が医師免許を取得しているとはいえ、元々専門分野だった整形外科分野は既に挫折している。 整形外科医である父も癌に倒れてしまった。 ここは医師免許を持つ私がテレビ業界タレントとしてのみの貧弱な身で、うつつを抜かしている訳にはいかない。 美容皮膚科医に分野を変更してでも、勤務医として家庭を支えねばならない。  
 それにしてもせっかく玉の輿に乗ったはずの結婚が、ここで破局を迎えるとは想定外だった… 何でこんな結末になったの? 
 (以上、先だってのスタジオパーク ゲストであった西川史子氏のトークから、原左都子の裏心理を交えて一部をアレンジして引用したもの。)


 さてここで、原左都子自身の私事を公開しよう。
 (既に時効が成立しているとの解釈で公開するが)、実は我が夫婦も遠い過去の時代に別居に至った時期がある。(別居と表現したが、実は亭主側からの要望で「離婚届け」を役所に提出している。)

 その時の感想を述べるならば、別居後よりも別居に至る前過程の方がよほど私にとっては辛かったものだ。
 未だ娘は義務教育課程の中学1年生。 そんな娘に対する親としての責任を放棄してまで何故相手が離婚したいかの理由に同意し兼ねる事態だった。 それでも、亭主が提示した「離婚条件」が意外と美味しい内容だった事に同意して、我が夫婦の離婚は成り立った。

 亭主が去った後も、娘を持つ母親としての日々の任務は続く。 
 それでも元々晩婚だった私にとっては、亭主がいない家庭とは日々の家事労働が極端に短縮されるし、何と開放的なのだろう! と感激の連続だったものだ。
 ところが、そんな我が感激の日は長くは続かない。 単身で家を出た亭主より「家に戻りたい」との切実な訴えが届く日は直ぐに訪れた。   自宅を出てわずか2週間が経過しないうちに、亭主から「家に帰りたい」との切実な訴えメールが日々我がパソコンに届くはめとなった。
 それに対して、私側も頑張った。  「私と娘の戸籍を汚しておきながら、たったの2週間で我が家に帰りたいとの要望を受け付けられるはずもない!  私側もあなたと一旦離婚した事により、自治体から一人親支援資金を受け取れる段取りとなっている。 それを受け取った3ヶ月後頃に、あなたとの復縁を考慮するからそれまで独り身で耐えなさい!」
 その要望に沿った亭主は離婚後3か月の後に我が家に帰って来て、その後戸籍上も復縁と相成ったものだ…。

 いやはや、原左都子過去の失態をこの場で公開して誠に恐縮である。


 ただ、そのような経験があるからこそ、上記西川史子氏の離婚騒動に関して思う事があるのだ。

 西川氏の場合、離婚相手との間に「子供」を設けていなかったのであろう。
 そして、おそらく「スタジオパーク」番組内で2度の離婚経歴がある事を披露した戸田恵子氏も、同じく相手男性の間に子供を設けていなかったのであろう。

 そうだよなあ。 結局夫婦間に子供がいない場合、離再婚を勝手に好き放題繰り返せば済む話であろう。
 ところが一旦夫婦間で子供を設けた場合は、「離婚」の意味合いも大きく違ってくる事と理解する。


 まあそれにしても、先だっての西川史子氏ゲスト出演NHK「スタジオパーク」は、西川氏が離婚仕立ての相手方男性の立場にも思いが及んでいるのかとの、一視聴者に過ぎない庶民の私が懸念するほどの西川氏側擁護に偏った内容だった。

 決して西川史子氏側からは「相手こそが悪い」との見解は出なかったものの、西川氏がタレントであられる事実を勘案すると、まるで今回の西川氏離婚に関して離婚相手側こそが悪人であるとの印象を抱かせる内容だった事態を憂慮する私だ。

白いご飯にのっけるお菜も蓋が開かねば食せない

2014年07月09日 | 時事論評
 7月5日朝日新聞別刷「be」“RANKING”のテーマは、「白いご飯にのっけたいもの」だった。

 そのランキング結果を以下に紹介しよう。

  1位  生卵        2位  辛子めんたいこ     3位  のり(乾燥のり)
  4位  納豆        5位  ふりかけ        6位  梅干し
  7位  のりのつくだ煮   8位  たらこ         9位  ちりめんさんしょう
 10位  とろろ      11位  さけフレーク     12位  しらす
   (以下略)

 何処のご家庭にも白いご飯のお伴である常備菜として、冷蔵庫内や食品棚等に保存されているであろう食材の数々が、ズラリとランクインしている。


 このコラム記事を見た私の脳裏に真っ先に蘇ったのが、4月中旬の骨折直後の“悲惨な状況”である。 

 自宅ベランダで転び負傷し、左鎖骨鎖骨骨折(全治2ヶ月)右手首骨折(全治1ヶ月)の診断が下ったのは今から遡ることおよそ3か月前の4月半ばの事である。
 医師の指示として「絶対安静」と宣言されたところで、一応一家の主婦(この言葉は嫌いだが)の立場にして安静になどしていられるはずもない。 料理嫌いな私とて最低限可愛い娘の朝食準備ぐらいは母である私の責務との使命感は強い。  骨折中にも激痛に耐えつつ、娘が起床するまでに何とかテーブルの上に形のみの朝食を繕い続けた。 (参考のため、定年退職後の亭主に関しては起床時間が一定していないため、自主朝食制度を採用している。)

 日々の私自身の朝食行動に関して記すと、まず一家の先陣を切って朝起きる。(これが朝に滅法弱い私にとっては死ぬ程辛いのだが…) そして大学へ通っている娘の朝ご飯の準備をするのと並行して、私自身は“ビュッフェ形式”で台所で朝食を採る。
 上記“ビュッフェ形式”について説明するならば、要するに娘に出す朝食の残り物や白いご飯のお菜を頼り、娘が起きてくる前に台所に立ったままでそそくさと朝食を済ませるとの事だ。

 ところが骨折直後は、いつもなら白いご飯のお菜として食している常備菜数々の蓋が“開かない!”
 (それ以前の問題として、布団から起き上がる動作も命がけなら、トイレに入っても紙を手に巻き取れないし、パンツもまともに上げられない。  死に物狂いでそれをこなして台所に立ったとて、食器棚や冷蔵庫を開ける動作もままならない。)
 それでも我が命を持たせるためには、とにかく「食わねば!」と決死の覚悟で摂食行動に挑んだものだ。


 両腕骨折被害に遭う事とは、食事との何でもない動作すら難儀な事態に陥るものと一番に思い知らされたのが、我が起床間際の“ビュッフェ”朝食時の無念さだった。 

 例えば朝日新聞調査1位に君臨した「生卵」。  両腕骨折状態で左手は当初腰までしか上がらず右腕は箸を持つのがやっと状態で、卵を割る動作すら叶わず断念した。
 3位に位置付けている「のり」。  やはり特に右手首の細かい作業が不能なため、これを包んでいる袋の封も切れない。
 私が一番好んでいる6位の「梅干し」。 郷里の母が毎年漬けて送ってくれてはいるが、そのタッパーを開けるには程遠く断念…。
 7位の「のりのつくだ煮」に関しても、市販品のビンの蓋が開けられない始末…。
 ずっと飛ばして、11位の「さけフレーク」も上記と同様の利用で蓋が開けられない…。

 そうだとしても、早朝に未だ睡眠中の家族を起こすとの迷惑など掛けたくはない。 何とか白いご飯のお菜となる食材はないものかと台所内を探索し、私はそれを冷蔵庫内に発見したのだ!

 それは “マヨネーズ” だった!

 現在市販されているマヨネーズとは蓋が二段構造になっていて、上の蓋をプチッと片手で開けると少量のマヨネースが出る仕組みとなっている。 これを骨折した右腕で持ち上げ、前日の晩娘が焚いて冷蔵庫で保存してくれている御茶碗一杯のご飯をレンジでチンして、マヨネーズをかけて食する決断をした。
 何だか泣く泣く苦し紛れの決断だったとはいえ、この判断で骨折直後の我が朝食が叶った事実こそを、「マヨネーズ様様」と感謝申し上げたい思いだった。

 もう一例を挙げると、醤油も痛い右手で何とか白いご飯の上に垂らすことが叶ったため、それも利用した。

 片や御茶碗が鎖骨骨折左手で持ち上がらないため、台所の調理台に置いた状態。 右手もお箸やスプーンを持つのがやっとこさ状態で口の位置まで手首でねじる動作が不能なため、「マヨネーズ飯犬食い」状態がその後2週間ほど続いた。

 その間、我が家族に「できたら常備菜の蓋を軽く閉めて欲しい」との要求は提示した。

 ところが、自分自身が“不自由な身”になってみないとその辛さが理解できないのであろう事態に直ぐに直面させられる…
 次の日起きてみても、やはり常備菜の蓋は固く閉めらているではないか!
 「私が昨日言ったことを覚えいる?」 と日々尋ねてみれば、若き娘からは「覚えているよ!」との返答が来るものの、亭主からはくる日も来る日も「あっ、忘れていた…。ごめん。」との返答に、体が健全な人には身体的弱者の苦悩など一生理解し得ないものと改めて悟る始末だ…

 そして白いご飯をレンジでチンしたものにマヨネーズと醤油をかける私の「犬食い」朝飯は、その後もしばらく続くはめとなった…。


 お陰様で私の骨折後の予後は比較的良好で、現在では右手首関節に多少の後遺症を残すのみとなっている。
 昨日整形外科医を受診したところ、右手首の後遺症も(私のリハビリ努力によれば)日々快方に向かうであろうとの担当医の診察結果だ。

 それにしても日本人にとっての朝食に於いて、白いご飯にお菜をのせる事は欠かせない習慣であろう。

 ある日そのお菜の蓋が開けられない日が訪れる事態とは、大袈裟に表現するならば、安倍政権による「集団的自衛権」が与党内で身勝手に合意され発令されようとしている事と同等の危機感が漂う程の恐怖心を国民に及ぼす惨劇ではあるまいか!?
 今現在国民からの支持率を大幅に下げようとしている安倍政権も、今一度頭を柔らかくして、国民から放出している「集団的自衛権」行使絶対反対意見に耳を傾けられないものなのか!?
 国民からの反対世論に配慮して、安倍政権は少しは「蓋をゆるめられない」のだろうか。  悲しいかな、それが不能な事態にまで与党政権は「蓋を固く閉めた」まま、現在がんじがらめ状態なのか…?

 私自身にとって両腕骨折とは突然の予期せぬ事故であった。
 そんな不自由な現状を経験してみて、理不尽な要求を国家政権より突然課される事実こそが如何に辛いのかを、我が身にして人生世観が揺らぐ程に学ぶ思いだ。

 そんな我が思いを、今回のエッセイで少しだけ公開した。

高齢者“らしさ”って、一体何?

2014年07月06日 | 自己実現
 昨日(7月5日)の朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”の相談は、原左都子に言わせて頂くと、一見“理想的な”老後生活を送られている一婦人の「恋愛」に関するご様子が紙面で公開された内容だった。


 それでは、早速「この年で恥ずかしながら」と題する70代女性よりの相談内容を以下に要約して紹介しよう。
 70歳に足を踏み入れた女性だが、5年前に夫に先立たれ一人暮らし。 2人の息子も家庭を持ち、孫もいる。 貞淑な妻として近所付き合いも円満、友達にも恵まれている。 半年ぐらい前に趣味の会で会った同じく一人暮らしの同年代の男性と茶飲み友達期間を経た後、現在は帰りにホテルに誘われる仲に至っている。 お恥ずかしい話だが最高の満足感にまでは至らずとも、とても幸せな気持ちで相性もいい。
 もちろん、この男性との関係は誰にも話せないし、いつか誰かにバレてしまいそうな不安もある。 何よりも、この年齢でこんな事を続けておかしいんじゃないかとの後ろめたさもある。 相手からはプレゼントも届くし、一泊旅行に連れて行って下さる事もある。 このままではお断りする事ができなくなるようで日夜心配だが、これでいいのか。
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”相談内容より一部を要約引用したもの。)


 一旦、原左都子の私論に入ろう。

 ははあ、この70歳になったばかりのご婦人は、現在何処かの殿方に愛され体を求められている“幸福感”を、何れかの手段によって何処かへ公開したかったものと推測する。
 ところが、まさか周囲のご近所や友人に公開するのは気が引ける。 まさかまさか、息子や孫達にもこんな話を持ち掛けられる訳もない。  そうだ! 新聞投稿でもして我が幸せ感を公開しよう。 それにはこれを「悩み」に位置付けるのが手っ取り早い。 そのためには高齢者であるとの我が身を利用して「自責の念」を持ち出すといいだろう。
 (以上は、原左都子が70代投書女性の裏心理を推測した内容に過ぎないが。)


 今回の“悩みのるつぼ”相談者であられる 経済学者 金子勝氏はとても優しい人物のようだ。
 以下に、金子氏による回答内容の一部を紹介しよう。
 相談女性は「この年齢で」と言いますが、70歳を超えてから恋愛をするのは恥ずかしいことでしょうか。 今は平均寿命が短かった時代とは違います。 高齢者が「老人らしく」生きて行かねばならなかった時代は既に終わっています。  「失楽園」で有名な作家渡辺淳一氏は以下のように述べている。「若くなりたければまず恋愛をすること。 これこそが他の如何なる若返りより薬よりも有効だ。」
 金子氏私論の結論とは、「好きな人が出来て心ときめき、貴方の生きるエネルギーに火が付いたのです。 幸いお子さん達にも迷惑をかける事のないあなたは、何はばかることなく、現在の恋愛関係を楽しまれては如何でしょうか。
 (以上、“悩みのるつぼ”回答より一部を引用。)


 再度、原左都子の私論に入ろう。

 どうやら私は作家の渡辺淳一氏や経済学者の金子勝氏よりも、現在の庶民高齢者の「恋愛」に関してずっと詳しいようだ。

 以下に我が身近な人物の実体験に基づき、上記“悩みのるつぼ”70歳恋愛中女性のその後の事態に関して、原左都子から“悩みのるつぼ”へ再び相談を持ち掛ける内容を想定して記述しよう。

 私ども、70歳の年齢でとある男性と恋愛をした女性です。 恋愛当初は相手方男性と上手くいっていたのですが、合う回数が重なるにつれ双方の関係がギクシャクし始めると同時に違和感を抱いております。 当初相手は我々のセックスに関して最高の満足に至らなくていいと言っていたにもかかわらず、やはり年老いた女の私に対し不満感を訴え始めました。 しかも、相手はどうしても私と同居して自分の世話をして欲しいとも言い始める始末です。 そんなことが私に実行できるすべもありません。 私の方は、立派に育った息子達や孫たちとまみえながら余生を送りたい思いです。
 私にとって現在に至っては恋愛相手が大きなお荷物状態なのですが、今後如何なる方策を採ればいいのでしょうか??
 (以上、原左都子の推測に頼ってその後の女性よりの悩みの相談を提案したもの。) 

 “老いらくの恋”の顛末とは所詮こんなものだろう。
 高齢者達の恋愛とは、高齢であるが故の数多くの“しがらみ”を抱えて成り立っていると私は推測する。
 恋愛初期段階で上手くいっている時期は「花」だろうが、若き世代間の恋愛同様、その段階が進むにつれお互いに越えねばならないハードルが待ち構えているのが実情ではなかろうか。
 それでも、若き世代間ではいくらでも恋愛のやり直しがきくであろう。 ところが、これが一旦高齢者同士の恋愛ともなれば、そのハードルの大きさを慮った場合「やり直し」との言葉が死語として私の心に響くのだ…。

 それでも尚、高齢域に達して「この人と添い遂げたい!」なる感情を相手に対して抱けたならば、短い期間でも相手と会いまみえそれを堪能すれば済む話だ。

 ただ私論としては、高齢者とは“体関係”ではなく“高齢者なりの恋愛形態”を楽しめる方が関係が長続きするのではないか、なる若輩者にしての今後の展望を抱いているのだが…


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 私など今尚若気の至り範疇人物であり、「ヤングジェネレーション」に位置していると自分自身では判断している。
 それでも、家族という“しがらみ”を抱えている自分の立場を十分に客観視出来てもいる。
 そんな現状ではあるが冒頭の朝日新聞相談者のように、突然見知らぬ相手と恋愛関係に陥る場面も何となく想像可能でもある。
 ただ私の場合は未だ家族と言う“しがらみ”がある故に、とりあえずその“しがらみ”を優先して生きる事が得策である事など計算済みだ。


 それでも高齢域に近づきつつある私は、「高齢者らしさ、って何?」と時々問いたく思う事がある。

 いろんな高齢者が存在していいだろう。
 ただ、自分の生き様には出来得る限り自分自身で生涯責任を持つことを信条にしたいものだ。
 その覚悟が出来ていて初めて、何歳に至ろうが恋愛にうつつを抜かす事が許されるのではあるまいか。

下村大臣が発した「女性議員は議場の花」発言もセクハラだよ。

2014年07月04日 | 時事論評
  東京都議会の本会議で6月18日、みんなの党会派の塩村文夏議員(35歳らしい)が、女性の妊娠・出産を巡る都の支援体制について一般質問をしていた際に、男性の声で「早く結婚しろよ」「子供もいないのに」などのヤジが飛んだ。 同会派は、議員席からだったとして「公の場でセクハラ発言を受けた」と反発。 発言議員を特定し、注意するよう議会運営委員会に申し入れた。
 (以上、ネット情報より引用。)

 上記事件が発覚して以来、日本国内のみならずこの事件が世界中に波及した模様だ。

 以下に、上記事件の顛末に関してネットから得た情報を紹介しよう。
 東京都議会で塩村文夏(あやか)都議(35)が「早く結婚した方がいい」とヤジを浴びた問題で、朝日新聞とテレビ朝日が当時の音声を分析し、複数議員が立て続けにヤジを飛ばしていたことを報じた。
 18日の都議会では、晩婚化対策を質問した塩村都議に鈴木章浩都議(自民会派を離脱)が「早く結婚した方がいい」とヤジを飛ばした。塩村都議が苦笑した後、「自分が産んでから」「がんばれよ」とヤジが続いて聞かれた。
 (引き続きネット情報より引用。)


 この問題が原左都子の私論と行き違うかのように、現在未だ各方面で議論が交錯している事実に違和感を抱く私だ。

 私自身が、決して女性蔑視の立場である訳もない。 そして、私本人がこの世に女性として生を受けている事実にも感謝している。

 ところが、何故私がこの「事件」に関して違和感を抱かされるのかに関して説明しよう。

 上記都議会“みんなの党”塩村氏は“一応”都議の身分を選挙で得てその議会に登板しているとの解釈でいいだろう。 
 その議会の場で「女性の妊娠・出産」を巡る支援体制を塩村氏は熱弁していたらしい。 その途中で如何なるヤジが飛ぼうとて、ご本人の主義主張を議会で述べる事を優先するべきだったと私は判断するのだ。
 そんな場で「おまえこそ、結婚して子供を産め!」なる暴力的なヤジが飛んだとて、「うるさいよ、お前ら! とにかく私の議論を聞いて下さい!」と返して済んだ事態ではなかろうか??
 その場で何故塩村氏は泣き崩れるの??  そんな塩村氏の軟弱対応こそが同じ女性である私には受入れ難いのだが…

 この問題が世界規模でバッシングされ始めた後、ヤジを飛ばした都議会自民党議員が処罰される事態と相成った。


 原左都子の私論に入ろう。

 一般社会に於けるセクハラと、国家や自治体議員間で投げかけられたセクハラとは、分けて考察されるべきではあるまいか。

 一旦、市民から選挙で選出されるに至った女性議員達から、今更議会内でセクハラに遭ったと訴えられても、私はその女性議員のキャパを疑うばかりだ。
 「えっ。そんな事が辛くて何で議員に立候補したの?」 「えっ。そんな馬鹿げたヤジなど一蹴出来る実力があるからこそ、貴方は庶民女性の味方代表として議員に成ろうと志したのじゃなかったの??」

 地方議員として立候補した立場で、何で今更男性低能周辺議員にろくでもないヤジを飛ばされた事態を泣いて済ませようとしてるんだ!!
 誰が東京都議会議員としてあなたを選出したと思ってるの??  私は貴方の事は露知らないが、貴方の都議会議員としての任務こそ貫徹しなさいよ!

 原左都子としては、そう言い放ちたい思いだ!


 ところがこの問題は、未だ世界規模で“発展”を続けているようだ。
 
 本日昼間のNHKニュースにて、下村大臣が発した「失言」を私は聞き逃していない。
 その失言を以下に紹介しよう。
 「女性議員とは議会に於いては『議場の花』である。 そんな「花」である女性議員に対するセクハラ発言は慎むべきだ。」

 この下村氏の発言こそが、「セクハラ」発言と私は結論付ける。
 女性議員は「議場の花」?? へえ~~。 自民党閣僚の中では若手と認識していた下村氏とて、女性議員に「女性」であることを期待していた事実がこの発言で実証されたとも言えよう。

 女性に「花」であることを期待して許されるのは、私的場面に限られるのではなかろうか。
 私自身の感覚や周囲との付き合い実態に於いても、女である我が身に「花」を期待されるのは個人的付き合いに限定されると表現可能だ。 
 
 まさかまさか国会や地方議会内で男性議員が、女性議員に「女」であることを期待していないと信じたい。
 女性議員どもも議場で「女」であることを期待される以前の問題として、もっと議員としてしっかりとしたポリシーを持てよ! と再度言いたい思いだが…

 が、もしかしたらその様な場面で尚、悲しいかな男性議員が女性議員に「女」であって欲しい事を期待したが故の今回の“都議会との狭い世界内”でのヤジ不祥事と結論付ける私だ。

小保方氏って、未だ理研から給与貰ってたの??

2014年07月02日 | 時事論評
 そうだとすると、許し難き話だ。

 数々の捏造に満ち溢れた「STAPネイチャー論文」のすべてが取り下げとなり、早期に理研から「懲戒免職」の辞令が下りると思っていたのに、理研側より何らの発表もない状態が続いている。

 小保方氏に関して言うならば、あれだけの捏造・改ざんの数々をご自身の論文内で世に提示しておきながら、今更「科学者として未熟でした…」などとうそぶいていられる訳もないだろうに……。  関係各方面から論文捏造の責任を問われている真っ只中、小保方氏は民事のみならず「刑事責任」を問われても不思議ではない事態に陥っていると私は解釈している。
 にもかかわらず、もしも理研が国民の血税から小保方氏に未だ給与を支払い続けているとすれば、これは国民側としては到底許し難い忌々しき事態だ。


 と言うのも、本日(7月2日)小保方氏が神戸市にある理研発生・再生科学総合研究センターに“出勤”したとのニュースである。
 以下にそのニュースに関して、ネット情報より引用して紹介しよう。
 STAP細胞論文問題で理化学研究所の小保方晴子研究ユニットリーダーが2日、STAP細胞が存在するかどうかの検証実験に参加するため、理研発生・再生科学総合研究センターに出勤した。
 小保方氏が報道陣の前に姿を見せたのは4月9日の記者会見以来、約3カ月ぶり。小保方氏の参加で、検証実験が本格化する。 理研は7月1日~11月30日までの5カ月間、実験をビデオで記録するなど透明性を確保した上で、小保方氏が検証実験に参加すると6月30日に明らかにしていた。 初日の7月1日は「健康状態が良くない」として出勤を見送っていた。
 (以上、ネット情報より引用。)


 一旦、原左都子の私論に入ろう。

 何故、理研側が本日小保方氏を理研に招き検証実験に参加させたのかの理由など、私にはお見通しである。
 理研側はSTAP論文疑惑が発覚した当初より、「小保方氏本人は検証には同席させない!」意向を貫く意思を発表し続けていた。  ところが、どうしたことか“科学ド素人”自民党政権文科省下村大臣が「理研は小保方氏も検証に参加させるべき」などとホザき始めたのだ。 
 要するに安倍政権下の大目玉 成長戦略の最大武器「アベノミクス(アホノミクスとの異名もあるが)」の一環として国内では名立たる(?)研究所である「理研」を特別扱いして巨額の血税をブチ込む政策を公表していた。 これをどうしても実行に移したい安倍総理の意志に従い、下村大臣が素人考えでホザいた発言が「小保方氏も検証に参加させるべき」である。

 国民の税金で成り立っている「理研」側とて、政権からのこんな美味しい話に好意的に反応しない訳もない。
 たかが貧弱存在である一研究者小保方一人の扱いなどどうでもいいが、独立行政法人「理研」の立場としては、今後政権が巨額の税金を投入してくれると言うなら、それに従った方が得策に決まっているのだ。
 そして「理研」は今後も更なる政府よりの巨額税金投入をあてにして、小保方氏をSTAP細胞検証のため理研に“出勤”させるに至ったのだ。


 遡るが、上記STAP不祥事に関して朝日新聞6月20日記事に、理研再生研センター長によるインタビューが公開されていたためそれを以下に要約して紹介しよう。
 
 その理研センター長が発したという題名からして特異的である。 「STAP有無 結論まだ早い」
 まずは、この題名に関する原左都子の私論を述べる。
 上記理研センター長とは、小保方氏が所属している神戸理研の長であるようだ。 その立場からはもっともな見解であろう。 まさか自ら率いてきた研究所が解体されてはとんでもない。少なくとも「再生」の機会を与えてくれたら… との一抹の希望感覚は理解できる。

 別問題として「STAP有無 結論まだ早い」に関する私論も述べよう。 
 これに関する私論としては、STAP細胞が実際存在する事は確率的には0とは言わないが、“至って低い”と結論付けたい。 その理由としては、小保方氏がネイチャー論文に於いて数々の捏造を披露している事態に加え、小保方研究室内で既にES細胞容器が発見されている故だ。 これに関する小保方氏の弁明力が弱過ぎる。
 そのような弱き立場に於いて、もしも今だに小保方氏を筆頭として神戸理研周囲研究者達がSTAP細胞実存を信じるならば、今後は血税投入ではなく是非とも「自費」にてその探求研究を実施して欲しいものと、一国民として結論付けたいのだ。


 元医学関係者である原左都子自身が一時ではあるが「理研」に身を置いていた時期がある故に、“あの研究所体質レベルの(低さの)程”を少し把握できる部分がある。

 その感覚で物申すならば、実態のない世界的「トピックス」等風評に依存して名を売ろうとする“似非科学者”に国家政権が依存する事など、ご法度である事態は私が言うまでもない。
 とにもかくにも国家には今後将来のお国の発展のため、自らの実力一本で未来の科学を支えていける真の実力ある科学者の育成を望みたいものだ!