水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

コメディー連載小説 里山家横の公園にいた捨て猫 ③<40>

2015年04月03日 00時00分00秒 | #小説

 カメラマンは木邑(きむら)監督の指示のもと、アップでみぃ~ちゃんの背中を何度もテークを入れて撮っている。テークとは同じ場面の繰り返し撮りや取り直し撮りを意味する専門用語だ。例えば、このシーン[場面]はテーク24のカット5である。カットとはシーンの中の短い瞬間の映像画面を意味する。カットが重ねられてシーンとなり、シーンが重ねられて、この[吾輩は猫である]という映画作品が完成する訳だ。
「駄目駄目! 緩慢(かんまん)に動く丸い脊中のアップだからな…もう一度!」
「はい…」
 木邑監督のダメだしが続き、少しカメラマンも、しょぼくなっていた。小次郎は、どぉ~でもいいでしょ、僕らの背中の動きなど…と思えたが、実はそうではなかった。あとからアフレコで入れたモノローグ[独白]での語りでは、
━ 三毛子は正月だから首輪の新しいのをして行儀よく椽側(えんがわ)に坐っている。その背中の丸さ加減が言うに言われんほど美しい。曲線の美を尽している。尻尾(しっぽ)の曲がり加減、足の折り具合、物憂(ものう)げに耳をちょいちょい振る景色なども到底(とうてい)形容が出来ん ━
 と、映像を見ながら読んだのだ。このとき、木邑監督が指示して何度も撮り直された意味が小次郎に、ようやく理解出来たのである。三毛子役のみぃ~ちゃんの背中の丸さ加減の美しいことといったら筆舌(ひつぜつ)に尽くしがたかった。口にするとおりなのだから、小次郎も感情移入ができ、熱を入れて読んだ。
「少し違うが、まあ、いいだろう…」
「はい! OKですっ!!」
 木邑監督に続き、セカンドの助監督が叫んだ。

※ ━  ━ の部分は、夏目漱石作 吾輩は猫である の原文である。


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