先日、朝日新聞は、「(ガザ戦闘1年 新中東危機)渦巻く不信、イスラエルが進めた排除の論理」と題する日本女子大・臼杵陽教授のインタビュー記事を掲載しました。アメリカ帰りの学者や研究者と違って、武力行使を続けるイスラエル対する厳しい見方がなされていると思いました。いくつかピックアップします。
”イスラエルのユダヤ人の間には、自分たちの生命も保障されないような相手と交渉することは無意味だ。パレスチナ人は信用できない」という感覚が広がった。ユダヤ人社会の生活空間の中に、パレスチナ人が入って来る事を極度に恐れ、その異質なものを排除したいという想いが強くなっていった ”
”今回の軍事作戦の徹底ぶりを見ると、もはやガザのパレスチナ人は元の住んでいた場所に戻れるかわからないような状態だ。ネタニヤフ政権は、パレスチナ人を全面的に排除することがイスラエルの安全にとって最善の方法だと考えているのではないかと思わざるを得ない”
記者 ”ネタニヤフ首相は7月の米議会演説で「文明と野蛮の衝突」と主張しました。シャロン元首相の「対テロ戦争」の路線を継承しているのでしょうか。
臼杵教授 ”そうだと思う。「対テロ戦争」の根底には、相手がテロリストだろうと民間人だろうと区別しないという部分がある。今回のガザの攻撃でも、空爆すれば当然、民間人だって命を落とす。「対テロ戦争」と言いながら、結局やってることは見せしめ的なパレスチナ人の集団殺戮という形になっている。イスラエルのパレスチナ支配が続く限り、イスラエル側からすれば、テロリストが無数に生まれてくる。もう攻撃相手を絞れないということなのかもしれない。ユダヤ人社会の中で上から下までパレスチナ人が入っていることを許容しない排除の論理が一貫してきていると感じる”
”仮に独立したパレスチナ国家ができたとしても、問題の解決は難しいと思う”
でも、残念ながら、なぜイスラエルが法や国際社会の声を無視して、排除の論理でパレスチナ人の殺戮をくり返すのかということの考察は、充分なされていない、と私は思いました。
両国の歴史を抜きに、現在のパレスチナの問題は語れないと思います。パレスチナ人とユダヤ人の対立の発端ともいえるイギリスの二枚舌外交や、イスラエル建国、また、建国以降のアメリカを中心とする欧米のイスラエルに対する姿勢(イスラエルの違法行為や犯罪行為には目をつぶる姿勢)が、現在の「テロ国家」ともいえる攻撃的なイスラエルの存在につながっているのだ、と私は思います。
現在も、「対テロ戦争」の論理で、民間人が死ぬことを厭わず攻撃を続けるイスラエルに対するアメリカの支援は続いています。イスラエル軍の攻撃は、「ジェノサイド」だと言われ、法に反し正当化できないことなのに、アメリカは、平然と支援を続けています。そのことが大きな問題だと思います。
10月5日の「ガザ戦闘1年 新中東危機」には、国内諜報機関シンベト元幹部、リオル・アッカーマン氏に対するインタビュー記事が出ていました。そのなかに見過ごすことのできない指摘がありました。
「ハマスのガザ支配、ネタニヤフ氏が望んだ」というのです。そしてそれは、ヨルダン川西岸の自治政府の主流派組織「ファタハ」が「ガザ」に戻ってしまうと”「パレスチナ国家」の樹立の問題に対処しなければならないからだ”、というのです。
1947年の国連総会決議181号(パレスチナ分割決議)に端を発し、1974年に国連が提案した「二国家解決」や、1993年の「オスロ合意」を、イスラエルは守る気がなかったということだと思います。
今まで何度か、リクードの政治家やイスラエルの軍人が、「私たちは、二本足で歩く獣と戦っている」というような差別発言をしていますが、イスラエルのユダヤ人支配層は、当初から、パレスチナ人と共存する気がなかったといってもよいのではないかと思います。
だから、過去の歴史、また政権を担う政党の政治家や軍人の発言、そして現実にイスラエルがパレスチナにやっていることを総合的に捉えると、イスラエルのガザ攻撃は、「ハマス殲滅」ではなく、それを口実に、「パレスチナ人殲滅(国外追い出しを含む)」を目的にしているのだと思います。それは、「パレスチナ人はみんなハマスだ」というようなユダヤ人の発言にもあらわれていると思います。そして、それがナチストによるユダヤ人虐殺同様、シオニストによる民族浄化(ethnic cleansing)であり、国際社会は放置してはいけないことだと私は思うのです。
アメリカはイスラエルの違法行為や犯罪行為止める力を持っているのに、止めません。イスラエル建国以来、アメリカを中心とする欧米諸国はイスラエルの違法行為や犯罪行為には目をつぶり、黙認してきたと思います。
下記は、english.pravda に出ていたロシアの主張です。私も、欧米主導の世界は終わりにして欲しいと思います。
Futile and completely pro-Western UN should end its existence
Russia protests against the future that UN prepares for it
World » Americas
The UN is a completely pro-Western, worthless and detached from reality organization. Reforming it is not enough — the UN should be pushed aside to form an alternative based on BRICS.(https://english.pravda.ru/world/160739-russia-un-future-pact/)
無益で完全に親欧米的な国連は、その存在を終わらせるべきだ
国連が準備する未来に対して、ロシアが抗議
世界 » アメリカ大陸
国連は、完全に親欧米で、価値がなく、現実からかけ離れた組織だ。それを改革するだけでは十分ではなく、国連はBRICSに基づく代替案を形成するために脇に追いやられるべきです。(機械翻訳)
下記は、「ダイヤモンドと死の商人 イスラエルの世界戦略 ユダヤ人Ⅱ」広河隆一・パレスチナユダヤ人問題研究会編(三友社出版)からの抜萃文ですが、現在のイスラエルという国の違法行為や犯罪行為は、建国以来続いていることが分かります。次のような記述があるのです。
”1983年には、イスラエルから船積みされた60トンの兵器類が、南ア政府の支援を受けているアンゴラの反政府勢力アンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)に引渡されたことが知られている。公式にはこの兵器は、ザイールに向けて輸送されることになっていた”
”しかし、イスラエルは、(国際社会が認めていない)ホームランドの傀儡政権と貿易関係を持つだけでなく、そこで詐欺まがいの「経済開発」をしたいという欲求を隠そうともしてない。イスラエルと台湾は、ホームランドの一つシスケイにおける二大投資国であり、その地域はなぜか「ニュー香港」と呼ばれている”
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第二部。イスラエルの世界戦略
二つのアパルトヘイト国家──南ア
軍事協力
南ア共和国に対する兵器売却の停止を決めた国連安全保障理事会の決議ののち、イスラエル─南ア間の軍事協力は当然停止されるべきであった。しかし、イスラエルは、この協力関係を弱めることなく継続した。
こうした両者間の関係を全体として見るなら、イスラエルは情報、技術的専門的知識、西側兵器市場へのコネクションを提供し、南アフリカ共和国は鉄と資本、労働力を供給しているといえる。
この二国の兵器生産量を評価するのは難しい。1980年代はじめ、南アは兵器輸出額を年間1億3000万ドルにまで拡大しようと計画したが、その手始めは、対南ア兵器禁輸の国連安全保障理事会決議を犯して、イスラエルの協力のもとにひそかに最新の155ミリ砲システムをアメリカから輸入することであった。このシステムはさらに、イスラエル─南アの共同プロジェクトによって、通常爆弾と核弾頭双方の発射用に改良され試験が行われた。
【軍事情報および軍事技術の提供】イスラエルの情報機関モサドは、国家安全保障レベルで南アを援助しており、南ア側からの信用を獲得する上で大いに役立っている。イスラエルがアフリカ各地から事実上排除される以前に、モサドはその情報を、コートジボアール、中央アフリカ共和国、ダホメ(現ベニン)、カメルーン、リベリア、セネガル、トーゴ、タンザニア、ウガンダ、エチオピア、ナイジェリア、ソマリア、モーリタニアに広げていた。またガーナ、ウガンダ、ザイールでは、モサドは秘密警察の訓練を行っていたが、同様のことは南アの「ホームランド」(後述)でも行われていると考えられる。
イスラエルの軍および農業省は「ホームランド」内の「青年運動」の育成を、シオニストの「入植運動」の経験にもとづいて援助している。このために「ナハル運動」と呼ばれるグループがイスラエルで組織されており、このグループから農業指導者と民兵訓練要員が南に送られている。この協力への見返りは、南アのサイモンズタウン近郊にあるシルバーマイン・レーダー基地の情報の、イスラエルへの提供である。
さらに南ア政府は、イスラエルをモデルとして、国境の重要拠点防衛監視システム「鉄の輪」を構築する決定を、1978年に行っている。この警備棒網の目的は、反アバルトヘイト軍事組織であるアフリカ民族会議(ANC)のゲリラが、国境を越えて侵入することを防止しようとするものである。
このためにイスラエル製の兵器やシステムが導入され、電流フェンス、夜間監視装置、レーダーおよび赤外線探知機、グランド・ソナー(探知マイク網)、有刺鉄線、対人地雷などが敷設された。また、これらのシステムの設置及び監視の為に、イスラエル人専門家50人が継続的に派遣されている。【アンゴラ・モザンビーク攻撃の支援】
イスラエルはまた、南アフリカ共和国によるアンゴラなどブラックアフリカ諸国に対する攻撃にも加担していると考えられる。
1981年には、イスラエル国防相アリエル・シャロンは、南ア軍とともにナミビアのアンゴラ国境沿いの地域に10日間滞在しており、また南アのシオニスト組織の指導者たちはナミビアにおける作戦地域への視察旅行に招かれている。
1983年には、イスラエルから船積みされた60トンの兵器類が、南ア政府の支援を受けているアンゴラの反政府勢力アンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)に引渡されたことが知られている。公式にはこの兵器は、ザイールに向けて輸送されることになっていた。
【兵器の製造・開発における協力】南ア軍の使用している戦車は、イスコール社を通じて南アからイスラエルに提供された鉄を使用して、イスラエルで新型の装甲へと改修されている。この改修は何年にもわたって継続して行われており、すでに150両が改修を済ませている。イスラエル製のメルカバ戦車も南ア産の鉄を使っているが、これもまた南へ輸出されるのではないかと考えられている。
イスラエル─南ア間の兵器の共同開発の動きは、かなり以前から始まっていた。1967年には、戦闘機の共同生産に関する討議がすでに始まっており、1973年の10月戦争ののちには、南アで組み立てられたミラージュ戦闘機をイスラエル空軍が使っていたことが確認されている。そしてまたこの戦争で最初に撃墜されたイスラエルのパイロットは、南アから来ていた人間だったことも明らかになっている。
1980年、イスラエル国防相エツェル・ワイツマンはプレトリアを訪問し、ラビ戦闘機の開発についての協力を話し合っている。未確認の情報によれば。この年南アは、イスラエル製の戦闘機36機を、4億3000万ドルで購入したとされている。さらに南アはナミビアで、イスラエル製のアラバ輸送機の試験的導入を行っており、また無人偵察機の引渡しも、イスラエルから受けている。この無人偵察機のうちの一機は、1983年にモザンビーク上空で撃墜された。
海軍関係の兵器について見てみよう。南ア海軍はイスラエルの支援で再編成が行われ、高速ミサイル哨戒艇中心の装備に転換されている。これにともなって南アは、イスラエルで開発されたレシェフ級哨戒艇のライセンス供与を受け、この型の艇を生産している。またディボラ級哨戒艇六隻をイスラエルから購入している。
【軍レベルでの共同計画】イスラエル・南アの軍相互の協力関係も深まっており、それは共同訓練やイスラエルによる南ア兵員の教育を通じて、戦略研究のレベルにまで及んでいる。南ア軍は、イスラエルの機動攻撃戦略を高く評価している。
この二つの植民国家は、ともに以前から住んでいた住民からの敵対に直面し、また敵対する他の国家に囲まれている。そして二国は相互に補完する物質的技術的な需要と供給の関係を持っている。二国間の核兵器共同開発計画では、南アがウラン実験施設を提供し、イスラエルが技術を提供するという形が成立していることに、その典型を見ることができよう。
【人的資源の交流】 イスラエルの元外相アバ・エバンによれば、イスラエルには1万4000人の南ア国民が住んでおり、2万5000人のイスラエル国民が南アに住んでいるといわれる。
1976年5月時点で、イスラエル軍事顧問団が南アの全ての部隊を訓練し、また国境警備の専門家として活動していた。こうした軍事顧問団は、対ゲリラ作戦の指導のほか、占領地ナミビアとローデシア(ゲンジンバブエ)では現場の作戦指導にもあたっていた。同じ時期に南ア軍兵員数百人がイスラエルで訓練を受けていたが、このような訓練は現在でも行われていると考えられる。
イスラエルのシオニスト組織は、南アできわめて活発に行動している。彼らの目的は、イスラエルのためのロビー活動や、イスラエル軍の現役および予備役要員の募集などである。たとえば、「イスラエル・カウンシル」は南アのシオニスト連盟と密接な関係を持っているが、近年も元空挺部隊員シモン・カハネを南ア派遣し、そこでユダヤ人ボランティアをイスラエルに送る活動を行っていた。こうしたボランティアは、イスラエル兵の代わりとして、薬莢の回収、戦車の修理、あるいは食堂での調理や給仕など、後方の管理・保守・雑務部門で働いている。期間は六ヶ月である。
こういったボランティアの利用計画は、1982年のイスラエルによるレバノン侵攻以後始まったが、17歳から65歳までの3500人のユダヤ人がアメリカ、フランスなどから集められたといわれる。南アのユダヤ人たちは、こうしたボランティアのうちでも最も忠誠心のあるシオニストであると、高く評価されている。
「ホームランド」へのコミット
いわゆる「ホームランド」と呼ばれる地域には、南アの黒人が押し込められているが、これは世界のどの国にも(イスラエルにさえも)承認されていない。しかし、イスラエルは、ホームランドの傀儡政権と貿易関係を持つだけでなく、そこで詐欺まがいの「経済開発」をしたいという欲求を隠そうともしてない。イスラエルと台湾は、ホームランドの一つシスケイにおける二大投資国であり、その地域はなぜか「ニュー香港」と呼ばれている。
最近のイスラエルとホームランドの準外交的接触をあげておけば、1983年5月のトランスケイ、シスケイ、ボブタツワナの高官によるイスラエル訪問、ジョンギランガの「元首」による2週間のイスラエル公式訪問、1983年8月のシスケイの「大統領」セベによる非公式訪問がある。1983年11月にはベンダの「大統領」ムフェフェが訪問している。
一方イスラエル閣僚のヨラン・アルドールは、1984年3月にシスケを訪問し、その後ホームランドに投資を行った。
1980年のはじめには、2000人ほどのイスラエル人がボプタツワナで機械技術のエルディアや、医師など20の職種に進出し、さらにイスラエルの企業がボプタツワナのテレビ放送施設を造るための契約をしている。また60人のイスラエル人が、シスケイの秘密警察を訓練しているが、この秘密警察は、アフリカ民族会議(ANC)に対抗するための組織で、南アの日刊紙【ディスパッチ】でさえ、84年にひどく下劣な組織であると書いている。
1985年12月12日付の現地紙『タイムズ』によれば、シスケイ「大統領」の「警備と経済活動に関する直属のアドバイザーはイスラエル人である」。85年7月には200人のイスラエル人がシスケイにいた。
しかしながら1983年末頃、イスラエル政府はあからさまな南アとの関係の拡大に対しては当惑の色を見せるようになった。当時イスラエル政府は、ブラック・アフリカ諸国からの承認を受けるために、再度これらの諸国への働きかけを強めていたからである。
結論
イスラエルと南アの同盟は、南アと他の国との関係に比べてきわめて異質なものであるが、イスラエルでは、その特別な同盟は公然と認知されており、重要だと考えられるに至っている。
1977年以来、南アフリカ共和国はイスラエルのほとんどの人々の意識の中で、それ以前より大きくはっきりしたものとして存在している。「善良なイスラエル国民」の中で、南アは行ったことのある国、行ってみたい国、知り合いが楽しんで来た国、そして行けば金になる国として話題にされている。
イスラエルによって南アの白人少数派は、圧倒的な公然たる支持を満喫している。
しかし、イスラエルの政策は、南アの進歩的ユダヤ人の活動を妨げているという事実も見落としてはならない。南アでは反アパルトヘイトの活動で勾留されている白人の半分がユダヤ人なのである。
1986年1月、アメリカの黒人公民権運動のリーダーだった故M・L・キング牧師の誕生日がアメリカ国民の祝日となり、盛大な式典が催された。しかし、その式典出席者の中に、およそこの日に不似合いな人物の姿があったことは、あまり知られていない。「もう一つのアパルトヘイトの国」イスラエルのイツハック・ミール氏である。最近のアメリカの黒人運動にとって、真に批判すべき相手が誰であるかを見きわめることはかなり難しいのかもしれない。しかし、P・ポタ大統領だけがアパルトヘイトの責任者であるわけではないことを、決して忘れてほしくないのである
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