真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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「日本国紀」が歴史書?NO1

2019年11月04日 | 国際・政治

 「日本国紀」の表紙には、どういうわけか著者名の下に小さな赤い文字で「The History of Japan 」とあります。それが、私は適切ではないように思います。「The Historical tale of Japan」というような表現であればわからなくもないのですが…。

日本国紀」の「序にかえて」に、下記のような文章があります。

日本ほど素晴らしい歴史を持っている国はありません。
 もちろん世界中の国の人々が自分の国について同じように思っていることでしょう。それでも敢えて、日本ほど素晴らしい歴史を持っている国はないと、私は断言します。
 ・・・
 ところが、第二次大戦により、日本は木っ端微塵にされました。三百万人以上の尊い命が失われ、国力は世界最貧国ともいえる状況にまで落ちました。しかし、そこから世界が驚倒するほどの復興を見せます。それどころか、戦後の日本は世界の平和に貢献し、多くの発展途上国を援助します。
 これが日本です。私たちの国です。
 ヒストリーという言葉はストーリーと同じ語源とされています。つまり歴史とは「物語」なのです。本書は日本人の物語、いや私たちの壮大な物語なのです。

 この文章の言葉通り、「日本国紀」は「歴史書」すなわち「The History of Japan 」ではなく、百田尚樹氏の思いを込めた受け止め方によって歴史をとらえ、創作された日本の歴史「物語」すなわち「The Historical tale of Japan」であると思うのです。

 学問は一般的に、自然科学、社会科学、人文科学の三つに分類されのではないかと思いますが、歴史学はその中の社会科学の分野に入り、客観性が求められる学問であると思います。だから歴史は、客観的な根拠をもとに、論理的な考察によって、他者を納得させられる文章で書かれなければならないと思うのです。また、歴史研究は、すでに先人から受け継いものがあり、その研究を深化・発展させることが課題であると思います。そして、それが可能なのは、新たな史料が発見されたり、今まで知られていなかった事実が判明したりした場合、あるいは、より深い論理的考察がなされた場合だと思います。でも、「日本国紀」は、そうした歴史学のあゆみや方法論・研究法をきちんと踏まえて書かれているいるようには思えません。
 通常、歴史書は、重要な断定に関しては、その根拠となる文献史料や関係者の証言、他の歴史家の記述などを引いたり、それらを「註」などで示したりして書かれています。読む人が、その根拠を確認し、検証できるように書かれているのだと思います。でも、「日本国紀」は、そうした書き方をしていません。また、教科書風の日本通史としても、あり得ない記述が多々あり、問題があると思います。だから、そういう意味でも「日本国紀」は、百田尚樹氏創作の日本の歴史「物語」であり、「The History of Japan 」としては、客観性に欠けていると思います。

 とはいえ、「日本国紀」には、近隣諸国との関係改善を考える上で、見逃すことのできない記述が多くあります。そのいくつか拾い出しておきたいと思います。

第九章 世界に打って出る日本」の「韓国併合」に下記のような文章があります。
日本は日露戦争後、大韓帝国を保護国(外交処理を代わりに行う国)とし、漢城に統監府を置き、初代総督に伊藤博文が就いた。この時日本が大韓帝国を保護国とするにあたって、世界の了承を取り付けている。

 韓国に根強い抵抗があったこと、また、アメリカが韓国における日本の支配権を承認し、日本がアメリカのフィリピン支配権を承認するというようなかたちの取り引きがなされた結果、韓国が日本の保護国になったといえることなどに触れず、「世界の了承を取り付けている」と表現するはいかがなものかと思います。韓国における根強い抵抗の実態など、当事国に関する記述がほとんどないのも気になります。日本による韓国保護国化の一面だけを通史風に記述すれば、認識を誤ることになると思います。
 また、続いて下記のような文章があります。

日本は大韓帝国を近代化によって独り立ちさせようとし、そうなった暁には保護を解くつもりでいた。日本国内の一部には韓国を併合しようという意見もあったが、併合反対の意見が多数を占めていた。これには「朝鮮人を日本人にするのは日本人の劣化につながる」という差別的な意識もあったが、一番の理由は「併合することによって必要になる莫大な費用が工面できない」ということだった。日本は欧米諸国のような収奪型の植民地政策を行うつもりはなく、朝鮮半島は東南アジアのように資源が豊富ではなかっただけに、併合によるメリットがなかったのだ。統監の伊藤博文自身が併合には反対の立場を取っていた。

日本国紀」には、”保護を解くつもりでいた”とか、”欧米諸国のような収奪型の植民地政策を行うつもりはなく”とかいような表現がたびたび出て来ますが、直接関わっていない人間が、そうした表現をすることは、歴史書としては適切ではないと思います。歴史書であれば、議論のあるこうした問題に関しては、会議録や関係者の証言、あるいは、その他の文献史料に語らせる必要があるのではないかと思うのです。また、日本通史だからそうした表現をするというのであれば、多くの人の認識をより確かなものにするために、丁寧に、その根拠を註などで明らかにする必要があると思います。
 続いて、下記のような文章もあります。

繰り返すが、韓国併合は武力を用いて行われたものでもなければ、大韓帝国政府の意向を無視して強引に行われたものでもない。あくまで両政府の合意のもとでなされ、当時の国際社会が歓迎したことだったのである。もちろん、朝鮮人の中には併合に反対する者もいたが、そのことをもって併合が非合法だなどとはいえない。”

 この文章は、日本による韓国併合を正当化する目的を以て書かれており、韓国併合がどのような過程で進んでいったのかを明らかにしていないことから、やはり日本通史や一般歴史書の文章といえるようなものではないと、私は思います。韓国併合条約に至るまでに、日朝間には江華島事件や済物浦条約、甲申政変、朝鮮王宮(景福宮)占領事件、閔妃事件(明成皇后殺害事件)、日韓議定書、第1次日韓協約、第2次日韓協約、ハーグ密使事件、第3次日韓協約締結など、重大な事件や国家間の取り決めがくり返されたこと、そして、反対する人たちを処罰し、処刑し、圧力を加えながら、外交権、司法権をはじめ、様々な権限を日本に集中させて、抵抗できない状況にしていたことを抜きに、”韓国併合は武力を用いて行われたものでもなければ、大韓帝国政府の意向を無視して強引に行われたものでもない”などと言うことは、併合を総合的にとらえておらず、日本の歴史認識を誤らせると思います。
 
 日本による朝鮮植民地化の実態は、カイロ宣言の言葉にもあらわれているのではないでしょうか。カイロ宣言には、下記のようにあります。

右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ
日本国ハ又暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ
前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈(ヤガ)テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス
 
 百田尚樹氏は、日本が”収奪型の植民地政策”を行うつもりのなかったと書いていますが、カイロ宣言には、日本の中韓に対する行為について、”奪取とか盗取(原文:seized or occupied)”また、”暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル(原文:stolen by violence and greed)”とか”朝鮮ノ人民ノ奴隷状態(原文:the enslavement of the people of Korea)”とかいう言葉が使われているのです。なぜ、そういう言葉が使われることになったのかということも考えた上で、併合をとらえる必要があるのではないかと思います。

第十章 大正から昭和へ」の「関東大震災」にも見逃すことのできない、下記のような記述があります。

なお、この震災直後、流言飛語やデマが原因で日本人自警団が多数の朝鮮人を虐殺したといわれているが、この話には虚偽が含まれている。一部の朝鮮人が殺人・暴行・放火・略奪を行ったことは事実である(警察記録もあり、新聞記事になった事件も非常に多い。ただし記事の中にはデマもあった)。中には震災に乗じたテロリストグループによる犯行もあった。

 こうした記述も問題があると思います。警察記録や新聞記事がどのようなものか、また、どのような虚偽が含まれているのか、具体的に明らかにして書くべきだと思います。議論のある問題について、読む人が検証することのできない記述は、歴史書の記述とは言えないのではないかと思います。
 また、多数の朝鮮人が虐殺されることになった要因として、東京に戒厳令が公布されたり、当時の内務省警保局長が、各地方長官に宛てて、下記のような電文を送ったことが大きいのではないかと思います(「船橋送信。所関係文書」)。そうしたことにも言及しなければ、朝鮮人虐殺に関する正しい理解は難しいと思います。また、埼玉県の町村長宛て通達も、朝鮮人虐殺の実態をつかむために見逃すことができないものだと思いますが、「日本国紀」にはそうした文書史料に関する記述がなく、歴史書としては、問題があると思います。 

朕大正12年勅令第398号の施行に関する任を裁可し、茲に之を公布せしむ。
  御名御璽
  摂  政  名
   大正12年9月2日 
                             内閣総理大臣伯爵  内田 康哉
                             陸 軍 大 臣     山梨 半造 
 勅令第399号
 大正12年勅令第399号に依り、左の区域に戒厳令第9条及第14条の規定を適用す、但し同条中司令官の職務は東京衛戍司令官之を行ふ。
 東京市、荏原郡、豊多摩郡、北豊島郡、南足立郡、南葛飾郡、
    附則
 本令は、公布の日より之を施行す。〔震災関係法全集〕 
ーーーーーーー
   各 地 方 長 官 宛                         内務省警保局長    
 東京附近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし現に東京市内に於て爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。既に東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に、各地に於て充分周密なる視察を加へ、鮮人の行動に対しは厳密なる取締を加へられたし。 
ーーーーーーー
  埼玉県通達文
 東京に於ける震災に乗じ暴行を為したる不逞鮮人多数が川口方面より或は本県に入り来るやも知れず、又其間過激思想を有する徒之に和し以て彼等の目的を達成せんとする趣聞き及び漸次其毒手を揮はんとする虞有之候就ては此際警察力微弱であるから町村当局者は在郷軍人会、消防手、青年団員等と一致協力して其警戒に任じ一朝有事の場合には速やかに適当の方策を講ずるやう至急相当手配相成度き旨其筋の来牒により此段移牒に及び候也。
ーーーーーーー
 公的機関が虐殺を煽った側面があることを踏まえて、当時の関係者の証言や報道記事、目撃者の証言等を合わせ総合的に考察した記述がなされなければならないと思います。現在も議論の続いている問題を、客観的根拠を示さず、検証もできない文章で記述することは、問題があると思うのです。また、関東大震災当事の「テロリストグループ」という言葉も説明が必要だと思います。


 

 

 

 

 

 

 


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