真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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すべての個人情報を差し出すのか?

2024年07月07日 | 国際・政治

 さまざまなところでモラハラや企業従業員のモラルの低下が問題になっています。私は、それは長期にわたる自民党政権の悪政の結果ではないかと思っています。

 先日、朝日新聞は、川崎重工業が海上自衛隊の潜水艦乗組員らに対し、下請け企業との架空取引で捻出した裏金で物品を購入したり接待したりしていた事実を報じました。20年も前からのようだといいます。またか、と思いました。

 政治家や大手企業の不正は、途絶えることがありません。改善の兆しがないばかりでなく、年々悪化しているように思います。発覚しなければ何をやってもよい、というような状況になってきていると思うのです。

 だから、情報処理サービスなどを手掛けるイセトー(京都市)がランサムウエア(身代金要求型ウイルス)に感染し、およそ150万件の個人情報が流出したというようなことも、これから増えるのではないかと心配です。

 

 にもかかわらず、河野太郎デジタル相は、マイナンバーカードを、健康保険証やお薬手帳、診察券や、運転免許証、外国人在留カード、公金受取口座などと一体化する方針を強引に進めています。しばらく前には、マイナンバーカードと健康保険証の一体化に向けた取り組みを前倒しするために、「保険証を廃止する」方針を示しました。私は、とんでもないことだと思いました。また、マイナンバーカードの健康保険証としての利用登録公金受け取り口座の登録でポイントを付与するなどというのも、いかがなものかと思いました。そんなことまでして、計画を進める理由はいったい何か、と思ったのです。

 また、国家が国民の個人情報すべてを一括して握ることには、モラルの低下が著しい時代だけに、大きな不安があります。権力やマイナカードの関係者がカードの個人情報を恣意的に利用する不安があると思います。また、ランサムウエア(身代金要求型ウイルス)に感染した場合、どういうことが起きるのかもよくわかりません。

 さらに、国民皆保険制度の日本で保険証を廃止し、マイナカードと一体化するという方針は、事実上マイナカード取得を強制することだと思います。当初、カードの取得は「任意」とうことだったと思います。だからマイナカードは本人が申請し、受領することになっていると思います。河野デジタル相が、マイナカードを扱う現場の実態や保険証を使い続けたいという人たちの思いを理解して進めているとはとても思えません。だから、今までの保険証を廃止し、マイナカードに諸情報を一体化させる計画を進めようとすることには、何か別の目的や意図があるのではないかと疑います。

 全国民が所持することになるカードに関わる企業にとっては、きわめて大きな永続的仕事でしょうし、莫大な利益がともなうと思います。だから、計画を進める政治家と企業の関係も気になるのです。

 しばらく前にもとりあげましたが、アメリカ国家安全保障局 (NSA) および中央情報局 (CIA) の元局員、エドワード・スノーデンは、NSAによる国際的監視網(PRISM)の実在を、告発しました。

 また、「スノーデン 監視大国日本を語る」エドワード・スノーデン、国谷裕子、ジョセフ・ケナタッチ、スティーブン・シャピロ、井桁大介、出口かおり、自由人権協会監修(集英社新書)では、スノーデンが、インタビューのなかで、次のようなことを語ったことが明らかにされています。

 

 国谷裕子 ─ アメリカはマルウェアを作動させて日本のインフラを大混乱に陥れることができるというのは本当のことでしょうか。

 スノーデン ─ 答えはもちろんイエスです。

 

 さらに、2017年、日本関連の秘密文書が新たに暴露されたということですが、そこには大量監視システムXKEYSCORE(エックスキースコア)が、アメリカ政府から日本政府に譲渡されていることが記されていたといいます。

 だとすれば、もはや日本には、プライバシーなど存在しないということではないかと思います。きちんと議論すべきで、黙殺してよいということではないと思います。

 そんな状況のなかで、さらにマイナカードによる全国民の諸情報の一体化を進めことは、合意なく一方的に進めてよいことではないと思います。

 アメリカ兵が少女に暴行した罪で今年3月に起訴された事件は、政府から県へ情報提供がされなかったといいますが、その他にも隠蔽された犯罪があったといいます。米軍をかばい、沖縄県民の人権を蔑ろにする政府のもとで、マイナカードによる諸情報の一体化を進めることには、慎重であるべきだとと思います。

 

 下記の「日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る」青山透子(河出書房新社)の抜萃文のなかに、日航高木社長の「そうしたら私は殺される」という言葉が出てきます。重大な意味を持つ言葉だと思います。日本人は、その意味を深く考え、法治国家日本のモラルの立て直しに生かす必要があると思います。

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                第二章 新たに浮かび上がるあの日の証言

               1 遺族となった吉備素子氏の体験と記憶。

 2011826日(金)は、午前中の晴天から急激な雲に覆われて、恐ろしいほどの強い雨と稲妻が鉛色の空にピカピカと不気味な光を放っていた。

 吉備素子氏(現在74歳)が出版社の会議室に入った直後のことだったため、無事に東京駅から神保町まで雨に打たれることはなく来られてほっとしたのを覚えている。そのとき録音された会話の合間に雷鳴が響きわたり入ってる。それはまるで天からの520名の怒りに満ちた相槌のごとくであった。

 小柄な吉備さんは股関節脱臼で少々足が不自由になり、左手に杖を右手にステッキバックを引いていらした。夫の吉備雅男さん(当時45歳)は塩野義製薬次長として出張中に事故に遭遇した。私の本を読み進めているうちに、その中で記述された学生が持つ疑問と自分のいくつかの疑問が一致し、すっきりと解消されたという。そして即、出版社に連絡を入れたのです、ということだった。

 私が日本航空にいた人間だということで、笑顔で逆に気を遣ってくださりながら、この一言から始まった。

「私ら子どもたちも整備から来たという日航の世話役のKさんには、本当にお世話になりました。子どもたちもkさんのお陰で救われた、といっています。顔を真っ赤にしながら、寝ないでお世話をしていただいた、とてもよい方でした。でも世話係で遺族が喜んでくれるような本当に良い人、そういう人は会社では不利になったみたいで、その後あちこち飛ばされる、と聞いていたから気の毒でねえ。もう日航に戻っていいよ、って遠慮してこっちから言ったぐらいです」

 整備出身の世話役ということであれば、まさに事故原因に直結する部署だから、よほど気を配ったのだろう。遺族の方から感謝という言葉を頂くと私も嬉しかった。ただ、遺族のために尽くすのが当然の世話役の仕事である。それが親身になってくれる人ほど社内で不利になるとはなんということだろうか。まるで逆ではないかと唖然とせざるを得なかった。それも実際に多くの事例があったと聞いている。この期におよんで組織の利益を優勝させてきたということだ。当然のことながら、この社風は後の倒産にもつながったのだろう。

 

 ・・・

 

 吉備さんは、遺体安置所で部分遺体となった夫の身元確認をしながら、その一部を荼毘に付して、夫の社葬、日航の合同葬と日々過ぎてゆく。会社の書類が入ったカバンはほぼ無傷のまま見つかった。 928日に大阪にて49日の法要、929日に藤岡市光徳寺でも同じく49日の法要が行われた。日航の女性社員18名を含んだ社員百名で法要や藤岡の体育館清掃を手伝った。105日、藤岡市民体育館にて施主を黒澤丈夫村長として、身元不明者のご遺体出棺式、1022日大阪城ホールにて大阪地区追悼慰霊祭、1024日、日比谷公会堂にて東京地区追悼慰霊祭が行われた。

 そんな慌ただしい日々の中、吉備さんは日航本社(建て替え前の東京ビル、千代田区丸の内二ノ七ノ三)に一人で高木社長を訪ねている。そのいきさつについて話をしてもらった。半官半民の日本航空では、歴代の社長はすべて経済界や運輸省からの天下りであった。その中、高木氏は日航生え抜きの社長である。

9月ごろに遺族に対して日航の方から、身元不明の部分遺体や炭化が著しいもの、骨粉など10月中にすべてを荼毘に付すとの連絡があってね。検死の困難さも見ていたから、それも仕方がない、やむを得んなあと思っていたけど、104日に群馬入りしたら、血液検査を頼んでいた主人の足と思われる右大腿部の大きなものまで、荼毘にされていて、アッ無くなっているって驚いたんです。事前の連絡とちがう。ひどいって、私は警察ともめだした。世話役が間に入って、警察と掛け合ってくれたけど、日航は警察の検死現場に入るなと言われたのを見ていたしね。現場責任者の日航重役の人も『僕らは何もできない』と、私らと一緒に泣いて、泣いて……。でも、泣いていたって、こんな状態で10月中に全部荼毘に付すのはいかん、あなたらができんのならば、直接、高木社長に会いに行きましょう。本社に行きましょう、と言って東京に行ったんです。その時について来んでもええ、と言ったのに、何やら女性的な雰囲気の世話役の人が『ふいふい』言いながら(内股で歩いて)ついて来た。吉備さんって男性的ですねえ、って」

日航本社の社長室に通されて、高木社長と実際に会って話をすると、山中の墜落現場にも行っていない、黒焦げの遺体も見てない、彼はまったく現場を見ていない様子だった。

 そこで「あのような状態で、遺体を荼毘に付しては520名が浮かばれない。私と一緒に中曽根首相のところに行って直訴しましょう。あんたの命をかけても首相官邸に行ってください、そう言ったんです。そしたら、急に高木さんはブルブルと震え出して『そうしたら私は殺される』そない言うて殺されるってね。何って思ったら、隣に座っていた女性的な世話役も震え上がっている。なんで? と思った。一緒になってフルフルしている。本当に怯えていた。殺されるって、命かけての意味わからんのか、おかしい、これはもうどうしようもない状態だった」と語る。

 高木社長が首相官邸に行ったら殺されると怯えていたということは、一体どういうことなんだろうか。この時すでに後部圧力隔壁の修理ミスということで97日にボーイング社より手落ちがあったと報道されている。日航だけのせいではないと事故原因もはっきりしたはずである。それなのに中曽根氏のところに行ったら殺されるとは穏やかではない言動だ。ましてや日航の社長として事故についてまず詫びるのが先ではないか。この振る舞いは、遺族を前にして恥かしい失態だと片付けるだけであまりにもお粗末である。

 もしかすると町田副社長が遺族に叫んだ『北朝鮮のミサイル』をネタに中曽根氏から、「正直に何かしゃべったら恐ろしい人が来るよ」とでも聞かされて、脅されていたのだろうか。今でこそ、新型の弾道ミサイル実験として、時おり日本政府の都合にタイミングを合わせたように、日本海に飛んできている状態であるが、1985年当時に北朝鮮から領空侵犯して相模湾まで入ってピンポイントで日航機を撃ち落とすほどの技術があるはずもない。当時、そんな高度な技術があれば、いまさら実験などしているわけがない。例えば、1983年の大韓航空機爆破事件のように、北海道より北のルートでソ連(当時)にやられたというなら話は別だが、単に北朝鮮の怖い人、という話にひっかかったかかとすると、当時の社員としてはあまりに情けない。しかしながら、普通に話ができないほど怯えている高木社長を目の当たりにして、吉備さんは気丈に言った。

「それなら私の一人で行きます、って、そう言ったら、二人とも、えっ、 て顔を見合わせて。そうしたらしかたがないから、政府に対して口が利ける人、日航の社員の中で、公家さんかなんか出身の人が付いていくからって。その公家さんは私を先導して一緒にタクシーに乗って行ったんです。だけど、私は首相官邸に行くって言ってるのに、知らないまに着いたのが運輸省だった。東京の地理に不案内だったから、結局運輸省に連れて行かれた。会議室のようなところに通されて、そこである程度権限を持った人が出てきたと思う。

 その男の人に『あんな遺体の扱い方ではいけない、遺族は納得しませんよ。身元を確認してない人も多いのに、すぐ荼毘に付すとは、裁判でも何でもしますよ』って言ったら、その人は『僕は東大の法科を出ている。法学部出身者です』と、やれるもんならやってみろ、といった顔つきで言い返してきた。そこで『ほんなら話は早い、わかってるならなおさら』と私も言った。逆にぎょっとしたような呆れた顔してはったね。『何か問題があるの? 法的に問題ありませんよ。まったく問題ない』ってすぐに答えた」

 日航の大株主で監督責任もある運輸省の官僚であるならば、東大云々といった話を出すよりも、まず遺族の気持ちを汲み、哀悼の意を持って誠心誠意接するのが当たり前ではないか。なぜすぐに自分たちの身を守ることを前面に出して防衛姿勢をとるのだろうか。事故原因に関しても10月の時点では全てが明らかになってないし、事故調査報告もまだまとまってない。「まだ今は詳細に調査中ですが、全力を挙げて対処します」というように当たり前の受け答えがまったくできていないではないか。

 それとも女性が一人で乗り込んできていることへの男女差別的偏見が先に立ったのだろうか。または必死に何かを隠そうとしていたのかもしれない。その真意はわからないが、いずれにしても高圧的で通常の人間の受け答えとは思えない振る舞いに遺族として怒りがこみ上げて当然だろう。

 

 さらに吉備さんは、運輸省の官僚にまだ身元確認が終わってない遺体をさっさと荼毘に付そうとしている姿勢について意見を述べたという。

「それじゃ、今の遺体の管理はどうですか? 私の夫のように保存して検査を依頼していてもさっさと荼毘に付されたり、遺体を取り違えたりしている。そんな警察の失態を話し始めたら、『それはいかん、わかりました』と青い顔して。『そういうことでしたら、善処します』と。今から私が群馬に帰るというと、『急いで何とかする』という話でした」

 この遺体取り違えに対しては、極めてまともな判断がなされたといえる。

 群馬に戻る、と急に命令があったのか、警察は突如全部の遺体を写真に撮っていたそうである。荼毘に付す日は延期されることになり、12月まで冷凍保存することになった。

 1220日、施主を上野村とする身元不明のご遺体出棺式が群馬県スポーツセンターで行われ、1221日には群馬会館にて収骨供養、光徳寺での仮安置ご遺骨とともに上野村役場に仮安置された。

吉備さんは、12月に入っても連日、夫の部分遺体を探し続け、最後にようやく足首を見つけ出した。  

 保存されていた身元不明の遺体を荼毘に付すという日の前日、警察の中にも吉備さんの行動をわかってくれる人もいて、真夜中まで待っていてくれたそうである。吉備さんは全部の遺体を両手でさわって、「見つけてあげることができなくてごめんなさい」と、おわびをしながら、最後のお別れをしたという。

 そこで私はあえて「事故原因を追及したら戦争になる」という話について聞いたことがあるかを尋ねた。

「それはねえ、警察で河村んと10月中に荼毘に付すという話をしていたら急に『戦争になる』という言葉が飛び出てきた。え? なんで? おかしいでしょう。私の父も戦死しているから、私も幼い時に朝鮮半島から屍乗り越えてきた引揚者で、ようやく生きて帰国した。そういう話なのかなと思ったけど」

 確かにボーイング社が修理ミスを認めているのだから、いまさら何も戦争にはならない。事故原因の話と戦争の話が一緒になるのは筋が通らない。

 河村一男氏といえば、群馬県警察本部長で日航機事故対策本部長を務め、1224日の事故対策本部の解散まで135日間にもわたり前例のない過酷な状況の下、捜査の総指揮を執った方である。責任感が強い人らしいが、事故原因の圧力隔壁説以外の説を荒唐無稽と断言していた。その人が、圧力隔壁だと言いながら、事故原因を追究すると戦争になると言うのはどういうことなのだろうか。米ボーイング社も日航もすべて認めているではないか。戦争になる要素など一つもなく、まったく辻褄が合わないではないか。この河村氏は警察を退職し、再就職をして大阪に行き、その後神戸に住いを構えた。この再就職先から吉備さんに電話がかかってきたという。その内容とは……

「私のこと、新聞や本とか名前が出ると、電話がかかってきてね。私を監視するためにわざわざ大阪に来たんやっていうてね。ずっと見てるぞという感じの話しぶりでした。あれえ? まったく不思議なこと。事故はきちんと解明されていると信じ込んでいるからね。監視はなんで? 高木社長に会いに行ったり、運輸省に一人で乗り込んだりしたからやろうか? 今思えば、そんな程度の問題とは違うやろ。きっと政府から何か言われてたんだろうなって。私らは国を信じ切っているからね。でも本当は違うんやなあって、そう思ったわ」

 警察を辞めたからといって、元群馬県警察本部長として立派な事故関連の本も書かれて人が、再就職したとはいえ、監視をほのめかすとはどういうことか。まず、監視そのものが通常では考えられない行為である。平成22年前後の話というから、すでに事故経緯が明確にわかっており、本人も他の説を荒唐無稽と否定しているにもかかわらず、アメリカと戦争になる、という話はまったく意味が通じない。それにしても時々電話がかかってきたというが、なぜ遺族である吉備さんを監視する必要があったのだろうか、元警察官部だった人がとるべき態度ではない。実におかしな言動だ。吉備さんの話が続いた。

「とにかく、おかしな話はたくさんあって、遺族もみんな連携してるわけではないのでね。日航の世話役の中でも、Oさんのように表向きはいい人なんやけど裏ではねえ。実際はあることないこと私らの悪口を言う人もいて……。それぞれが陰で何言われたかわからない。遺族間で、相手と組まないように散々吹き込まれている。横のつながりがいまだに持てないんですよ。日航はいまだに私たち被災者と呼ぶし、主人は(山で)遭難したままだから、何ぼ言っても直さない。私らは遺族でしょう。被災者やない。これも政府から日航が言われたのかなあ、わからへんけど」

 ・・・

 

 

 

 


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