真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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日本軍の私的制裁の種類や理由

2019年12月28日 | 国際・政治

 明治維新を成し遂げた薩摩・長州(薩長)が、自らに都合よく解釈した歴史観は、「薩長史観」と呼ばれます。そして、それは薩長が勝者として歴史を創作しているという批判的意味で使われているように思いますが、大事なことは、明治以来の日本の歴史教育は、概ねこの薩長史観に基づいて行われてきたという事実ではないかと思います。

 戦後の歴史教育も戦前と変わらず、「薩長=官軍=開明派」「旧幕府=賊軍=守旧派」という単純な図式で色分けされ、開明的な薩長だからこそ、新しい日本をつくりあげることができた、というように描かれていると思います。
 でも、もともと尊王攘夷をかかげて幕府を倒した薩長が、その後一転、領土拡張(大陸侵略)政策をとったこと、神話に基づく天皇支配の正当性を国民に押し付け皇国日本をつくって、天皇の軍隊である日本軍兵士に降伏を許さなかったこと、したがって、捕虜となることも許さなかったことなどは、日本にとってきわめて重大な過ちだったのではないかと思います。
 先の大戦で、日本軍が多数の中国人捕虜を虐殺したり、情報を得るために一般住民まで拷問したりしたということは、そこに源泉があるように思うのです。

日本軍閥の祖」といわれる山縣有朋は、日清戦争当時、すでに、
敵国側の俘虜の扱いは極めて残忍の性を有す。決して敵の生擒(セイキン)する所となる可からず。寧ろ潔く一死を遂げ、以て日本男児の気象を示し、日本男児の名誉を全うせよ
と、後の「戦陣訓」を先取りしたようなことを言っています。

 その戦陣訓には、「第三 軍紀」に
皇軍軍紀の神髄は、畏(カシコク)くも大元帥陛下に対し奉る絶対随順の崇高なる精神に存す。
 上下斉(ヒト)しく統帥の尊厳なる所以を感銘し、上は大権の承行を謹厳にし、下は謹んで服従の至誠を致すべし。尽忠の赤誠相結び、脈絡一貫、全軍一令の下に寸毫紊るるなきは、是戦捷必須の要件にして、又実に治安確保の要道たり。特に戦陣は、服従の精神実践の極地を発揮すき處とす。死生困苦の間に處し、命令一下欣然として死地に投じ、黙々として獻身服行の実を挙ぐるもの、実に我が軍人精神の精華なり
とあり、「第八 名を惜しむ」に、あの有名な
恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈愈(イヨイヨ)奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ
という一節があります。

 また、何度も取り上げていますが、1882年(明治15年)に明治天皇が陸海軍の軍人に下賜したという「軍人勅諭」は、徳目として「忠節」、「礼儀」、「武勇」、「信義」、「質素」の五つをあげ、その「忠節」に関して、下記のように記しています。
一 軍人は忠節を盡すを本分とすへし凡(オヨソ)生を我國に稟(ウ)くるもの誰かは國に報ゆるの心なかるへき况(マ)して軍人たらん者は此心の固(カタ)からては物の用に立ち得へしとも思はれす軍人にして報國の心堅固(ケンコ)ならさるは如何程(イカホド)技藝に熟し學術に長するも猶偶人(グウジン)にひとしかるへし其隊伍も整ひ節制も正くとも忠節を存せさる軍隊は事に臨みて烏合の衆に同(オナジ)かるへし抑(ソモソモ)國家を保護し國權を維持するは兵力に在れは兵力の消長(セウチョウ)は是國運の盛衰なることを辨(ワキマ)へ世論(セイロン)に惑はす政治に拘らす只々一途に己か本分の忠節を守り義は山嶽(サンガク)よりも重く死は鴻毛(コウモウ)よりも輕しと覺悟せよ其操(ミサヲ)を破りて不覺を取り汚名を受くるなかれ

 日本軍の大部分の兵士は、こうした考え方によって、自らの行動はもちろん、自らの生死さえ自ら決めることができない異常な精神状態に追い込まれていたということではないかと思います。
 だから日本軍は、厳正さを維持するために、軍規を犯した者を厳罰に処するしかなかっのではないでしょうか。

 日本の陸海軍は、1929年にジュネーヴで締結された「俘虜の待遇に関する条約」、いわゆるジュネーヴ条約の批准に反対しました。吉田裕教授によると、海軍は、
本条約の俘虜に関する処罰の規定は帝国軍人以上に俘虜を優遇しあるを以て海軍懲罰令、海軍刑法、海軍軍法会議法、海軍監獄令等諸法規の改正を要することとなるも右は軍紀維持を目的とする各法規の主旨に徴し不可なり”(「極東国際軍事裁判速記録」第261号
という理由をあげたといいます。軍紀維持のために、ジュネーヴ条約の批准は受け入れられないというわけです。だから、日本の軍隊は、軍紀が厳しくなければもたない軍隊だったということではないかと思います。それが、日本軍の内務班で広く行われたという私的制裁とも深く関わっていたのではないでしょうか。

 俘虜の処遇や俘虜の考え方に、日本軍の人命軽視、人権無視の体質が象徴的にあらわれているように思うのですが、それが、下記に抜粋したような日本軍の私的制裁とも深くつながっていたのだろうと、私は思うのです。

 先日、日本大学アメリカンフットボール部反則タックル問題で警視庁に告訴された監督とコーチが、選手への指示が認められなかったとして「嫌疑不十分」により不起訴処分となったことが報じられました。反則行為をした選手本人が、以前、会見で深々と頭を下げて謝罪したにもかかわらずです。あの謝罪が偽りであったとは私には思えません。真実はわかりませんが、何か戦前から受け継いでいる悪弊がいまだに残っているような気がしてなりません。いろいろなスポーツの団体や組織で、パワハラや体罰が報道されたびに、そんな気がするのです。

 下記は「日本陸軍 兵営の生活」藤田昌雄(光人社)から抜粋しました。
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④内務班の問題
 内務班での教育は「内務班長」と「二年兵」たちが、新兵である「初年兵」に対して教育を行うことになっているが、実際の場合は洗濯や装具手入れなどをはじめとして「二年兵」の身辺の世話を「初年兵」が行うことになるため、「初年兵」自身の自己の時間が欠如することから、結果として自己の被服の洗濯ができなかったり、毎日の入浴が不可能なケースも多く、また「教育」や「学科」の名称での理不尽な私的制裁も多々行われた。
 このほかにも内務班内で物品を紛失した時に、物品の定数を合わせるために他の内務班より盗んできて定数を合わせる、いわゆる「員数合わせ」が一般的に兵営内で行われていた。

⑤私的制裁
 陸軍では私的制裁は禁止されていたが、多くの内務班で教育・指導の名目で初年兵は二年兵より公然と私的制裁を受けるケースがほとんどであった。
 私的制裁の種類には「ビンタ」「花魁(オイラン)」「魚の絵」「チャンチュー」「安全装置」「自転車」「せみ」「鶯の谷渡」「洗矢(アライヤ)見習士官」「三八歩兵銃殿」「カンカン踊り」「最敬礼」「整頓崩し」等があるほか、班全体で「無視」を行うなどの精神的な制裁もあった。
 これらの制裁は各部隊によって大小の差異はあるが、P139表に代表的な私的制裁のスタイルを列記する。(表をもとに、下記に書き出しました)

 私的制裁一覧
〇ビンタ
 一番スタンダードな私的制裁の方法であり、平手で頬を殴るのが一般的であるが、時として拳を用いる「鉄拳制裁」や、エスカレートすると「帯革」や「上靴」を用いるケースもある。
 また、初年兵同士を向かい合わせて、お互いにビンタを行わせる「対抗ビンタ」もあり、二列横隊に並んだ初年兵に対して「前列一歩前へ、回れ右。後列足を開け。奥歯をかみしめろ。前列。前の者を殴れ」等の号令がかけられ、対抗ビンタが行われた。

〇花魁
 内務班の銃架から小銃を1~2挺外した個所を遊郭の飾り窓と見立てて、罰を受ける初年兵が遊女役となり、廊下を通る二年兵を客と見立てて「兵隊さん、寄ってらっしゃい」等と声をかけさせる制裁

〇魚の絵
 枕覆(枕カバー)が汚れている場合に、汚れを落とす洗濯と、魚が水をもとめることをかけて枕覆にチョークで魚(金魚)の絵が描かれることがあり、落とすのに苦労するほか、この枕覆を頭部に被ったり胸に懸けたりして他の内務班に挨拶に行かされる場合もある。

〇チャンチュー
 右手の人差指で鼻の頭をはじく制裁であり、一気に飲むと鼻にくるアルコール度数が高い「チャンチュー」と呼ばれている「支那酒」に由来している。

〇安全装置
 小銃の安全装置を動かす要領で、安全装置に見立てた相手の鼻の頭に右手の掌を強く押しつけて左右に動かす制裁。

〇自転車
 並べた机の間に腕で身体を支えて、自転車をこぐ動作をさせる制裁であり、二年兵からは「上り坂」「下り坂」等の注文が付けられ、自転車をこぐ速度が指示される。
 時として片手での敬礼や、手放し運転等の理不尽な注文をつけられることもある。

〇蝉
 初年兵を蝉に見立てて、内務班の柱に登らせて「ミーン、ミーン」等と蝉の鳴き声を出させる制裁。

〇鶯の谷渡り
 並べた寝台の下を初年兵に潜らせて、最後の寝台から顔を出させて「ホーホケキョ」と鶯の鳴き声を出させる制裁

〇洗矢見習士官
 小銃手入れ用の「洗矢」を軍服上着の剣釣に引っ掛けて、帯剣した見習士官の真似をさせて、各内務班を練り歩かせる制裁

〇三八式歩兵銃殿
 小銃の手入れが不十分な場合に行われる制裁であり、小銃に対して詫びを入れさせながら長時間にわたり捧銃(ササゲツツ)を行なわせる。

〇カンカン踊り
 炊事場で行われる制裁であり、返納した食器類が汚い場合に飯櫃(メシビツ)や汁桶を頭に被らせてカンカン踊りを行わせる。

〇最敬礼
 同じく炊事場で行われる制裁であり、返納した食器類が汚い場合に、調理のために切り落とした魚の頭などに最敬礼を行わせる。

〇整頓崩し
 内務班の初年兵の装具類の整理・整頓が悪い場合に、積んである被服・装備類を崩して内務班中にまき散らす制裁
 その惨状から「台風」「台風通過」等とよばれる場合もある。

 

 私的制裁の原因の多くは「二年兵が初年兵に対して義憤を感じて行なう」ケースが多く、このほかに「自分が過去に加えられたため」「二年兵ぶって行う」「叱責を受けた場合」「進級に遅れたため」「他人の制裁に同調する場合」等がある。
 私的制裁の行われやすい時間は、「夕食後等、班長が自室に戻った後」「日夕点呼後」「消灯後」が多く、行われやすい場所は「内務班」を筆頭に「倉庫の裏」「洗濯場」「物干」「炊事場」「中隊の自習室や空室」「教練実施中」等であり、多くの内務班では「私的制裁」を「学科」等の呼称で呼んでいた。
 これら私的制裁の原因と詳しい内容をまとめると右表のようになる。(表をもとに、下記に書き出しました)

私的制裁原因一覧
二年兵が初年兵に対して義憤を感じて行なう
〇初年兵が二年兵に礼儀を失した場合   ・敬礼を忘れる     
                    ・物の言い方が乱暴な場合                           
                    ・態度が不遜な場合
                    ・二年兵の注意を聴かない場合


〇初年兵が自己の任務を完全に遂行しない ・怠慢に失する場合
 場合                 ・横暴な場合           
                    ・上官の注意を守らない場合               
                    ・内務の実行が不確実な場合
                    ・武器・被服・装具の手入れが不十分な場合                   
                    ・諸規定の実施が不確実な場合


〇自分が過去に加えられたため      ・自分が初年兵の時に制裁を受けたために、自分やらなければ損であるという考えから私的制裁を行うケース


〇二年兵ぶって行う           ・ただ単に二年兵ぶって、漫然と初年兵に私的制裁を加えるケース


〇叱責を受けた場合           ・上官より叱責された場合に、腹立ちまぎれに初年兵に当たり散らすケース
                    ・上官より叱責された原因を、初年兵のために怒られたと曲解して私的制裁を加えるケース


〇進級に遅れたため           ・進級に遅れた私憤を初年兵に持っていくケース


〇他人の制裁に同調する場合       ・他人の制裁を見て、自分も参加するケース
          


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