私は毎日、朝日新聞を読んでいるのですが、国際政治に関する記事に辟易しています。「DS」は陰謀論だといわれますが、私は、朝日新聞が、完全に「DS」の影響下に入ってしまったように感じるのです。
戦争や国家間の紛争、諍いに関しては、必ず両方の主張を聴き、主要メディアの報道だけではなく、いろいろなところから情報を得て、考え、判断を下すことが大事だと思います。それは、傷害事件などの裁判で、被害者の主張だけで判決が下されることがないのと同じだと思います。
でも、主要メディアに登場する学者や研究者が、そういう当たり前の手続きを踏まずに、自らの主張を展開しているようなので、主要メディアや主要メディアに登場する学者や研究者が、みな「DS」の影響下に入ってしまったように、私には思えるのです。
例えば、kla.tv の下記の動画は、フェイクだと断定できるのでしょうか。警察官を射殺し、労働組合会館に火を放ち、行政府や警察署を襲撃した「マイダン革命」が「尊厳の革命」と言われるのはなぜでしょうか。
朝日新聞は、9月24日、「百年 未来への歴史 序章 瀬戸際の時代」と題し、ジョンズ・ポプキンス大学のハル・ブランズ教授、遠藤乾東京大学教授、篠原初枝早稲田大学教授という三人の国際情勢に関する分析や考察を掲載しました。
ハル・ブランズ教授の考察は、「衰退懸念、攻撃的になる修正主義国家」と題されていましたが、既存の国際秩序に挑戦する修正主義勢力が武力行使をするのは、”将来に自信がある時ではなく、自国の力に限界に達し、衰退し始めていると懸念し始めたときだ”ということで、”中国のこの先10年間の行動を懸念する”というのです。
そして、こうした状況を乗り切るには『決意』と『自制』の両方が必要で、”『決意』とは、侵略には非常に厳しい制裁を加え、迅速に行動し、台湾侵攻や台湾への海上封鎖は成功しないと習近平氏を説得することだ”というのです。
私は、 中国が”既存の国際秩序に挑戦する修正主義勢力”で、”武力行使”をする可能性があるのは、”将来に自信がある時ではなく、自国の力に限界に達し、衰退し始めていると懸念し始めたときだ”というのは、現在のアメリカにこそ当てはまることだと思います。
既存の国際秩序を維持すると、世界中でアメリカ離れがどんどん進み、アメリカの衰退を止めることができないことは、国際情勢を見れば、専門家でなくとも分かることではないかと思います。
遠藤乾東京大学教授の考察は、「中間層の焦燥 極右になびく穏健保守」と題されていましたが、”今の情勢と戦間期の類似点は何ですか”との佐藤武嗣氏の問いに、”一つはロシアのウクライナ侵攻のように、現状変更を求める勢力が武力を使って、実力行使を始めていること”と答えています。
もし、ロシアのウクライナ侵攻にアメリカが何の関わりもなく、ロシアの領土拡張が目的であったら、遠藤教授の考察が高く評価されるのはわかる気がします。でも、下記の抜粋文にあるような事実を踏まえれば、現状変更必要としている勢力は、むしろアメリカで、アメリカのロシアに対する経済制裁や軍事的圧力をきちんと考慮しない考察は、国際社会を欺瞞するものだと思います。
篠原初枝早稲田大学教授の考察は、「連盟の教訓 国連は大国の離脱回避を」と題されていましたが、
”ロシアによるウクライナ侵攻が始まった時、私はすぐに満州事変(1931年)を思い浮かべた。国際秩序に責任を持つ大国が武力行使によって国境線を変えようとした”とありました。やはり、下記の抜粋文にあるような事実やロシアに対するアメリカの圧力を考慮されていないように思いました。ロシアのウクライナ侵攻は、満州事変と同一視できるような単なる領土の拡張が目的ではないと思います。事実に基づかない考察は、意味がなく、読者を欺瞞するものだと思いました。
大事なのは事実だと思います。でも、現実は、多くの学者や研究者が、西側諸国の主要メディアの報道に基づき、虚偽をベースとする「作り話」をもとにして、国際情勢を語っているように思うのです。そして、主要メディアは、そうした学者や研究者の主張ばかりを取り上げているように思うのです。
下記は、前回に続いて「ウクライナ動乱 ソ連解体から露ウ戦争まで」松里公孝(ちくま新書1739)から抜萃したものですが、ユーロマイダン革命が、ヤヌコビッチ政権転覆の謀略だったと受け止めざるを得ない事実の数々を見逃すことができません。こうした事実に対する上記学者の意見を聞いてみたいものだと思います。
例えば、
”虐殺の翌日、最高会議は恩赦法を採択した。この法は、革命参加者の刑事捜査を禁止し、それまでの捜査で得られた個人情報を破棄する事を命じた。”
とありますが、なぜですか、と。
また、
”ユーロマイダン政権は、多くの犠牲者を出した研究所通りの街路樹を伐採させ、幼木に植え替えた。”
とありますが、なぜですか、と。不都合な証拠を消すためではないのですかと。
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第二章 ユーロマイダン革命とその後
3 ユーロマイダン革命
2月18日「平和攻勢」
ユーロマイダン革命が始まると、マイダン派は「2004年憲法への回帰」を唐突に政府への要求に含めた。2月18日、議会内野党が2004年憲法への回帰を最高会議で提案する予定だった。これを支援するために、マイダン派は最高会議「平和攻勢」と称するデモを行った。この日だけで、デモ隊と警察隊双方に合わせて20名以上の死者が出たとされる。マイダン派も銃器を用い、警察官五名が射殺された。そのうち三名がクリミアから派遣された警察官だったことが、クリミアの政情に大きく影響することになる。
翌19日は、労働組合会館が火災に見舞われたことを除けば、マイダン周辺で大きな事件はなかった。しかし、リヴィウ州などでマイダン派が州行政府、特務機関、警察署などを襲撃、多数の武器を入手したこの事件が、翌日、警察隊が小銃を支給されて使用を許可される原因になった。
2月20日、朝9時頃から、マイダン派約3000人が隊列を組み、研究所通りに向けて警察隊を押し戻した。ここで警察隊がマイダン派を銃撃し、多数の死者が出たとされる。まさにこの銃撃が、ヤヌコビッチ政権を崩壊させ、ユーロマイダン政権を生んだのである。
マイダン派の犠牲は何人であったか。当初、77人と発表されたが、やがて約百人へと上方修正された。ゼレンスキー政権の成立後、ヤヌコビッチ政権において法務大臣だったエレナ・ルカシュは、マイダン政権が革命犠牲者の数を多く見せるために、衝突とは関係ない同時期の事故死者や病死者を加算したことを指摘した。ゼレンスキー政権も再調査の結果として、2月20日の犠牲者を47名と発表した(2023年)。
ルカシュの証言後、野党系テレビ局が、水増し犠牲者の一人とされた女性の出身村を取材した。革命英雄ということで、国から手厚い死後手当をもらっているため、親は、娘の死因は2月20日の事件ではなかったとは認めない。手当で家を改修したため、村民からは白い目で見られている。
撃ったのは誰だったのか。これには二説があり、①警察隊の銃撃によりデモ隊から死者・負傷者が出たという説、②ウクライナ・ホテルなどマイダン側が管理していた建物から、第三者部隊が、デモ参加者、警官を無差別に撃ったという説がある。
①は、当然ながら、革命後のウクライナの政府、検察、司法の説である(ただし、検察は当初は第三者部隊の介入を認めていた)。②は、イワン・カチャノフスキ・オタワ大学教授が2014年以来一貫して主張している説である。
②が正しいとすると、ユーロマイダン革命中最大の悲劇・英雄劇とされているものは、実はマイダン側の自作自演だったということになる。ユーロマイダン革命に好意を持つ研究者はカチャノフスキの研究を批判するよりも黙殺している。前出の左派系のイシチェンコは肯定的な評価である。カチャノフスキの研究に対する優れた学術的論標として、アルバータ大学のデデイヴィド・マーブルスの文章を参照されたい(https://euromaidanpress.com/2014/10/23/the-snipers-massacre-in-kyiv-katchanovski-marples/)。虐殺の翌日、最高会議は恩赦法を採択した。この法は、革命参加者の刑事捜査を禁止し、それまでの捜査で得られた個人情報を破棄する事を命じた。のち、野党は、衝突の片方だけを恩赦するのは不当ではないか、恩赦するのであれば、警察官も恩赦すべきではないかと批判した。
カチャノフスキによれば、この恩赦法に基づいて、事件当初はインターネット上に溢れていた事件現場のビデオ映像が消去され、弾道分析に有益な、弾を受けた盾やヘルメット、犠牲者の司法解剖結果の一部などが破棄された。そもそも弾丸が保存されていれば、警察隊が使用を許可されていたカラシニコフ小銃の弾かどうかはすぐにわかり、また線条痕を調べれば誰が撃ったかもわかるはずである。
ユーロマイダン政権は、多くの犠牲者を出した研究所通りの街路樹を伐採させ、幼木に植え替えた。2019年8月、私は研究所通りで、2014年の伐採を免れた老木(五本に一本くらいである)をつぶさに観察したが、弾痕を見つけることができなかった。弾を受けた木だけを選んで伐採したと推察するのは行きすぎだろうか。
実際、弾道分析は重要である。デモ参加者が研究所通りにバリケードを築いていた警察隊から撃たれたのであれば、弾は正面から地面に平行に体に入るはずである。ウクライナ・ホテルなどマイダン側が管理していた建物から狙撃されたのなら、背面または側面、しかも斜め上から体に入るはずである。カチャノフスキは後者の例が支配的と主張する。これは、幸いにして消去を免れたユーチューブ上の事件映像と合致している。そもそも被害者たちはウクライナ・ホテルをさして「あそこから撃っている」と叫んでいたのである。
2017年、スナイパー虐殺の実行者を自認するグルジアの元軍人、特務機関員がイタリアのインターネットメディアに出演して証言した。そのビデオはいま(2023年4月)でもユーチューブ上で見ることができる(https://www.youtube.com/watch?v=wRINF16TBHO)。内容のセンシティブさに鑑みて、機械的に要約すれば次の通り
①自分たちは2003年薔薇革命に参加した。統一国民運動(サーカシヴィリ党)のオフィスに約25人の元軍人・特務機関員が呼ばれ、マムカ・マムラシヴィリ(サーカシヴィリ政権下の国防大臣顧問、のちグルジア人部隊の司令官としてドンバス戦争に参戦)から、ウクライナで薔薇革命と同じことが起こっているから、助けに行かなければならないと説得された。
②偽造パスポートを使って入国した。ウクライナ側の指導者はセルヒーパシンスキー(オレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行下で大統領府長官、そののち最高会議員)だった。指揮者の中には元アメリカ軍人もいた。実行者の中にはリトアニア人もいた。
③最初、自分たちの任務は、警察隊を撃って彼らがデモ隊を撃つよう仕向けることだと思っていたが、ウクライナ・ホテルの現場では、カオスを起こすために誰でも無差別に撃てと命じられた。
④報酬は前金が1000ドル、実行後に5000ドルであった。
言うまでもないことだが、こうした暴露情報はすぐに信じてはならない。むしろウクライナ政府に近いメディアがどう反論したかが重要である。しかし、管見では反論は「証言者たちの身分証明書の英語のスペルに間違いがある」、「サーカシヴィリ政権は2013から14年にはすでに倒れていたのに、命令などできるはずがない」「番組製作者は親露的な人物である」といった優れないものであった。
虐殺から間もなく、当時のエストニア外相とEU外務上級代表の電話会話がリークされた。エストニア外相は、デモ隊の犠牲者と警官の犠牲者から摘出された弾丸が同一であると検視官から聞いた。だから新政権は調査を真面目にしないのではないか、やったのはヤヌコビッチではなくて、いま新政権を構成している人々ではないかと話したのである。
もし2月20日虐殺が自作自演であるとすれば、それは革命参加者にとって最大の屈辱であるから、2月20日虐殺の疑惑徹底究明というのは、当時は(真面目な)革命参加者の要求であった。ロイターが報道したように、犠牲者の遺族の中には、警官を冤罪で罰してもも犠牲者浮かばれないので、真犯人を捕まえて欲しいという声もあった。
もし、2月20日虐殺が革命側の自作自演だったと証明されていれば、マイダン政権がその後存続できたどうか疑問である。なぜ真相解明の声が国の内外で下火になったかというと、ロシアがクリミアを併合したせいだと思う。「ウクライナの政権の言い分を疑うことは、プーチンの擁護である」という、今日まで続くマスコミや知識人の自主規制が始まったのである。
2019年の大統領選挙において、ユーロマイダン革命に付随する諸事件の見直しは、ゼレンスキー候補の政策の一部であった。前述の、ルカシェンコ元法相の暴露にも示されるように、ゼレンスキー政権発足当初には、マイダン革命を見直そうとする清新な雰囲気があった。たとえば、2014年2月18日の地域党オフィスにおける職員殺人事件の捜査が始まった。
しかし、このような新しい流れは、ゼレンスキー政権がポロシェンコ踏襲に立場を変えるにつれ、立ち消えてしまったのである。
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