真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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イスラエルの入植活動は国際法に違反

2024年07月31日 | 国際・政治

 下記の「新・現在アフリカ入門 人々が変える大陸」勝俣誠(岩波新書)からの抜粋文にあるように、南アフリカの白人政権によるアパルトヘイトが国連総会で、「人道に対する罪」とされたのは、1973年のことです。それから20年あまり後の1994年、南ア全人種の参加する議会選挙で、ANC(アフリカ民族会議)が大勝し、ネルソン・マンデラが大統領に就任して、やっと南アのアパルトヘイトは終わります。

 そして、現在早急に解決されるべき問題は、イスラエルによるパレスチナ人に対する「人道に対する罪」です。先日、やっと国際司法裁判所(ICJ)が、”イスラエルによるパレスチナ自治区の占領および入植活動は国際法に違反であり、可能な限り早期に明け渡すべき”、との勧告的意見を出しました。当然の勧告であり、人種差別や隔離政策をやってはいけないということは、子どもにでもわかることだと思います。

 アメリカを中心とする西側諸国は、ロシアを侵略国とし、プーチン大統領を悪魔の如き独裁者として描き出して、逮捕状を出すまでに至っていますが、パレスチナ人の土地を奪い、抵抗するパレスチナ人を数え切れないほど殺害し、「ハマス殲滅」を掲げつつ、実は「パレスチナ人殲滅」の作戦を進めるイスラエこそ侵略国であり、ナチス・ドイツとかわらない残虐な国だと思います。

 「アラブとイスラエル パレスチナ問題の構図」(講談社現代新書)で高橋和彦氏が書いてたように、”ユダヤ人をドイツ社会から排除するというナチスの発想は、ユダヤ人を集めてユダヤ人だけの国を打ち立てるというシオニズムの目標と相通ずるものがあった。シオニズムを裏返すとナチズムになる” というのは鋭いとらえ方であり、ユダヤ人である世界的科学者、アイシュタインも、イスラエル建国初期のデイル・ヤシーン村の村民皆殺しに怒り、「その組織、手法、政治哲学、社会的訴えにおいてナチスやファシスト党と酷似している」と批判したことを忘れることができません。

 でも、そうした残虐な人殺しをなくすことができないのは、自らの利益のために法を無視して行動しつつ、それを正当化したり、不都合な事実を隠蔽したり、嘘をついたり、不当な権力を行使したりする人たちがいるからであり、また、主要メディアが政治的問題に関する客観的事実を報じず、公平な報道をしないからだと思います。

 

 朝日新聞は、先日、”ハリス新風、沸き立つ民主”と題する記事を掲載しましたが、そのなかに、”ロイター通信の世論調査では、ハリス氏が支持率で、44%で、トランプ氏の42%を上回った”とありました。世論調査には、トランプ氏有利のものもあるのに、なぜ、ハリス氏有利のものだけを取り上げるのか、と思いました。
  米エマーソン大学と議会専門紙ザ・ヒルが25日公表した世論調査によると、トランプ氏とハリス氏の支持率はアリゾナ州でそれぞれ49%と44%、ジョージア州で48%と46%、ミシガン州で46%と45%、ペンシルベニア州で48%と46%と、激戦州のうち4州でトランプ氏がリード。ウィスコンシン州では両氏が47%で並んだというのです。
 さらに、ロスアンジェルス・タイムズには、下記のような記事がありました。”423日現在、登録有権者の39%がハリスに好意的な意見を持ち、55%が好ましくない意見を持っており、…”というのです。移民問題の取組みなどで、あまり人気がなかったようなのです。
”What does America think of Kamala Harris?
By Matt Stiles, Ryan Murphy and Vanessa Martínez
Last updated April 23, 2024
Note to readers
This story will no longer be updated. For the latest on the vice president, check out Covering Kamala Harris.
The Times is tracking the latest national opinion polls to help gauge how voters view Vice President Kamala Harris. A California native, Harris is the first female, Black, and South Asian American to serve as the nation’s second in command.
As of April 23, 39% of registered voters had a favorable opinion of Harris and 55% had an unfavorable opinion — a net rating of -16 percentage points, according to a Times average. This page will update as new poll”

 また、ハリス氏は今まで副大統領であった人であり、「新風」というような存在ではないような気がしますし、民主党が沸き立つような要素もあまりないように思います。

 一方、トランプ氏に関する報道はイメージダウンにつながるような内容ばかりで、なぜ根強い支持があるのかというようなことに関する、突っ込んだ記事はほとんど目にしませんでした。トランプ氏は、前回の米大統領選における敗北を受け入れず、選挙結果を覆そうと画策して、支持者に呼びかけ議会襲撃事件を起した犯人であり、不倫の口止め料問題や事業記録の改ざん問題などをかかえる犯罪者であるとして、くり返し民主主義の敵であるかのように報じてきたと思います。大統領選前の報道としては、不公平だと思います。
 トランプ氏の言動には、確かにいろいろな問題があるように思いますが、バイデン大統領やハリス氏に拮抗する支持がある大統領候補であることを忘れてはならないと思います。

  過去をふり返ると、アメリカ国内のみならず、国際社会でも、さまざまな嘘やプロパガンダが、決定的な事件や戦争に結びついてきたと思います。
現在、世界中で、パレスチナ自治区ガザに対するイスラエルの攻撃に批判の声が高まっています。だから、アメリカは懸命に対応しているように思います。
 例えば、ブリンケン米国務長官が、国際社会でイスラエルやアメリカに対する批判的な声が拡大すると、イスラエルを訪れ、ネタニヤフ首相らと会談し、「ガザ最南部ラファへの侵攻に反対する」考えを示したり、ヘルツォグ大統領と会談し、「停戦を今すぐ実現させたいと強く望む」と主張したり、また、アメリカ政府が、自ら人道支援物資の搬に取り組んだりしました。さらに、人道支援物資を運んでいたトラックを襲撃したイスラエルの組織に制裁を科したりもしました。
 でも、こうした対応は、アメリカ政府の基本方針とは関係なく、世論操作のためのものであろう、と私は思わざるを得ません。なぜなら、アメリカは、現在に至るまで、イスラエルのさまざまな国際法違反や人権侵害には目をつぶってきたからです。   また、国際刑事裁判所(ICCが、戦争犯罪などの容疑で逮捕状を請求しているのに、米議会の上下両院合同会議で演説し、「イスラエルはガザの民間人を守っている」、「ガザで拘束されている人質の解放に向け集中的な取り組みを積極的に行っている」、「米国とイスラエルは団結しなければならない」などと主張したネタニヤフ首相に、多数の議員が大きな拍手を送っているからです。  ネタニヤフ首相は、パレスチナ自治区ガザでのイスラエルの軍事作戦に対する批判や抗議を一蹴しつつ、作戦継続を主張し、米国の兵器供給をはじめとするイスラエル支援強化を訴えましたが、そんなネタニヤフ首相に拍手を送るとともに、アメリカ下院は、イスラエル支援に263億ドルを投じる予算案を可決しているのです(日本円にしておよそ4兆円余り)。 だから、アメリカの基本方針は、イスラエルのアパルトヘイト(「人道に対する罪」)の現実的な解決ではなく、ハマス殲滅を意図するイスラエルの支援なのだと思います。   朝日新聞は、724日、米大統領選で民主党の候補指名獲得が確実視されるカマラ・ハリス副大統領が、パレスチナ自治区ガザで続くイスラエルとイスラム主義組織ハマスの戦闘を巡り、「あまりに多くの罪のないパレスチナ人が殺されている。明らかに人道的な大惨事だ」と、パレスチナ寄りの発言をしたことを伝えましたが、こうした報道も、大統領選を睨んだ世論操作で、アメリカ政府の方針には決してならない、と私は思います。アメリカのイスラエル支援は、カマラ・ハリス個人の判断で変わるようなものではないと思うのです。   また先日、イスラエル当局が、”イスラエル占領下のゴラン高原にあるサッカー場で27日、ロケット砲が着弾し、12人の子供や若者が殺害され、数十人が負傷した”、と発表しました。 イスラエル国防軍(IDF)によると、”レバノンに拠点を置くイスラム教シーア派組織ヒズボラが発射したロケット砲が、ドゥルズ派の多く住むマジダル・シャムス村のサッカー場に着弾した”というのですが、 これまでの戦闘をふり返ると、イスラエルのこの主張を、そのまま信じることは危険だと思います。ヒズボラは否定しているからです。  イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は、ヒズボラが「重い代償を払う」ことになると報復を約束したということですが、ゴラン高原のマジダル・シャムスの犠牲者の遺族は、イスラエルのガラクタ・ドームから落下したミサイルが民間人を殺害したとして、スモトリッチを含むイスラエル政府大臣らを葬儀場から追い出したという情報もあります。確かめる必要があると思います。 国際社会で孤立しつつあるイスラエルが、自らを正当化するためにやった可能性を考慮すべきだと思います。  The Cradleは、下記のような記事を掲載しました。ワシントン(アメリカ政府)が、イスラエルのレバノンへの戦線拡大に全面支援(full backing)をネタニヤフに約束したというような内容です。 Washington gives Netanyahu ‘full backing’ to expand war on Lebanon: Report Hebrew media reports that the army is urging Tel Aviv that ‘now is the right time’ for escalation against Hezbollah and Lebanon 

 下記は、「新・現在アフリカ入門 人々が変える大陸」勝俣誠(岩波新書)から「4章 ポスト・アパルトヘイトの今」の「2 アパルトヘイトをどうなくしたのか」を抜萃しました。

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                  4章 ポスト・アパルトヘイトの今

                  2 アパルトヘイトをどうなくしたのか

 

 世界の中の反アパルトヘイト運動

 1973年、国連総会において「人道に対する罪」とされたアパルトヘイトは、アフリカ現在史に刻まれる負の歴史であるが、この体制はどうしてなくすことができたのか。

 筆者は、この国を90年代初めまで訪ねたことがなかったが、70年代、アパルトヘイト体制最盛期の頃、日本で何人かの南アフリカの専門家にアバルトヘイトはなぜなくならないのかと聞いたことがあった。

 ある専門家は、この体制は強固に組織されており、そう簡単には崩壊しない、反対するよりも、体制内で住宅建設など黒人の生活を改善する努力をする方が現実ではないかと筆者に忠告した。また、ある専門家は、南アフリカは冷戦下ではインド洋と大西洋をのぞむ地政学的に重要な国で、ハイテクノロジーに不可欠な希少金属もあり、西側は安易にこの国を見放すことはできないとした。いずれの識者も、本心ではこの差別政策は良くないと考えていたが、だからといって具体的かつ明確な差別撤廃を提示することはなかった。

 それに対して、世界各地で、市民や国レベルでの反アパルトヘイトの動きが起こり、とりわけ80年代に入って活発化した。欧米では、南アフリカ産のオレンジやレモン、アップルジュースなどのボイコット運動が始まった。南アフリカの白人大農場主が、安い黒人の労働力を使って作るこれらの柑橘類などの輸出による収入は、人種隔離政策維持のために必要とされる治安関連支出を支えている、というのがその理由であった。

 

 その他、市民によるさまざまな南ア製品ボイコット運動や欧米日政府による投資、貿易、スポーツ交流などの制限措置が取られたが、86年に強力な制裁措置を打ち出した米国を除き、多くの政府は必ずしも積極的でなかった。しかし、アパルトヘイト下の特権維持層には自分たちの国の仕組みは国際的に評価されていないことを、圧倒的多数の黒人層には、国際社会は黒人たちの権利回復の側についているというメッセージを伝える事には成功したと言えよう。

 また、アフリカ諸国も、黒人側の大義を支持し、しばしば多大な犠牲さえもいとわなかった。実際、これらの諸国の独立自体が、ヨーロッパの植民地支配から脱却するという意味をもっていた中で、この人種差別体制に賛成する国は一カ国もなかった。しかし、具体的に南アフリカのアパルトヘイト勢力を支援するとなると、消極的な政府、積極的な政府と、その具体的支援には温度差があった。

 

 南部アメリカの連帯

 なかでも南アフリカの反アパルトヘイト組織をもっとも熱心に支援したのは、第二章で言及した同じく白人中心の国づくりを進めていたジンバブエにおいて、黒人による解放運動を支援するために発足した「フロントライン諸国」と呼ばれた南部アフリカ諸国であった。南アフリカと国境接するモザンビーク、ボツワナ、そして1980年に独立したジンバブエ、さらに、国境は接しないタンザニアと75年に独立したアンゴラの五カ国である。これら各国には、ANCPACの事務所や基地が置かれ、タンザニアでは軍事ゲリラの訓練センターさえ設置された。南アメリカの白人政府は、これらの事務所や基地対する破壊活動や空爆さえもためらわなかった。

 また、七年間に及ぶ独立戦争をへて、62年に独立したアルジェリアやエジプト、エチオピアなどは、ネルソン・マンデラなどの反アパルトヘイト運動家を資金面や組織づくりの面で支援した。たとえばアルジェリアは独立戦争の時からマンデラを支援し、軍事訓練も提供した。

 だが、アパルトヘイト廃絶に対して、何よりも決定的役割を果たしたのは、南アフリカ国内での黒人を中心とする実に多様な反政府運動であった。

 この廃絶への道のりを他のアフリカ諸国の独立性へのプロセスと比較する時、この国は新しい国づくりにおいて実に広範な人々を巻き込んでいったことがわかる。その意味では、変革へ向けての民主主義の実践の広がりと質、および内戦という究極の暴力を回避したという二つの点が注目に値する。  

 政府が打ち出す体制の維持・強化政策の対象となる黒人層は、ある時は国外に亡命していたANCなどの呼びかけに応じて、またある時は、若者を中心として生活苦から家賃の支払いを拒否するといった形で、団結していった。

 

 一方で、79年に黒人の労働組合の結成が認可されて以来、鉱山部門で働く黒人労働者を中心とする労働組合も、経済闘争だけでなく、大規模な反政府ゼネラルストライキを繰り返していた。82年、南ア政府は、高まる反アパルトヘイト運動を懐柔し分断するために、従来の白人のみの国会に加えて、カラードとインド人向けの人種別議会を設置しようとして三院制導入のための新憲法を制定しようとした。この動きに対し、83年に結成された連合組織は国外のANCと協調して、この新議会選挙を多くのカラードやインド人にボイコットさせることに成功した。

 そして忘れてはならないのがキリスト教会の存在である。この国に最初に入植したオランダ系東インド会社と共に持ち込まれたオランダ改革派教会は、アパルトヘイト体制を正当化したアフリカーナを支援していた。当初は、黒人白人共に礼拝を行っていたが、19世紀半ばから、人種別教会に分離していった。しかし、80年代に入り、この差別は聖書の教えに背くのではないかという見直しが本格的に行なわれた。85年、キリスト者は解放への戦いに参加するべきでないと示唆する「カイロス文書」が南アフリカの白人と黒人双方の聖職者によって発表され、採択された。これは南アフリカ版「解放の神学」(1960年代中南米のカトリック司祭を中心にキリスト教を社会的実践を通じて深めようとした神学アプローチ)ともいえる。カイロスとはギリシャ語で、「今こそ」ないし「チャンス」の意味で、信仰による目前の不正義と戦う義務を訴える文章であった。2009年末に、エルサレムの聖職者がパレスチナ自治区を分離壁によって分断するイスラエル国家のアパルトヘイト型差別をなくすべきとする「パレスチナ・カイロス文書」を発表したのもこの南アの先例に啓発されたものと考えられる。

  反アパルトヘイト運動の主要メンバーのなかには、「反アパルトヘイト国内市民団体民主戦線連合(UDF)」の議長を引き受けたカラードのアラン・ブサックやソウェト(South West Townshipの略 SOWETO)生れフランク・チカネなどの宗教界のリーダーがいた。そして84年に、ノーベル平和賞を受賞した英国国教会のデズモンド・ツツ大司教も、南アに対する経済制裁を明確に呼びかけ、90年代初頭の新生南アフリカに向けての政府とANCとの間の交渉役として大きな貢献をした。

 

 内戦をどう避けたのか

 1990年、国民党のフレデリック・デクラーク大統領が27年間獄中にあったネルソン・マンデラを釈放し、それまで非合法化されていたANCPAC、南アフリカ共産党などの政治団体を合法化したことによって、交渉によるアパルトヘイト廃絶への道筋が一気に開かれた。以来、幾度となく交渉の危機をへて、94年、全人種の参加する議会選挙が実施された。この選挙戦は基本的に、二つの世界をどう一つの国としてまとめ上げていくかというシナリオをめぐって戦われたと言っても過言ではないだろう。

 この過程で、もっぱらエスニシティのみに基盤を置こうとしてきたアフカーナーの民族主義者による保守党(CP、選挙をボイコット)、黒人政党のPAC、当初ボイコットを表明していたが選挙直前に参加したインカタ自由党などは、南ア人の支持を充分に得られるず、政治的に少数派へと追いやられた。

 選挙は実質的には、全ての南ア人の政党であることを前面に出したANCと、国民党との戦いとなった。国民党は、人種融合を建前としながらも、アパルトヘイト体制故に実現した白人の既得権は守るという、きわめて両立が困難な課題を背負った。他方、ANCは、反アパルトヘイト運動の長い経験のもとで編み出された組織力を背景に、大企業の資産と大都市所有を中心とした白人の特権にはすぐには手をつけないが、黒人を中心とする圧倒的貧困層の生活向上は必ずや実現したいという、やはり苦難に満ちた妥協路線を選んだ。

 選挙結果は、48年以来アパルトヘイト政策を実施してきた与党国民党が得票20.4%ANC62.6%と、ANCの大勝となった。同時に行われた九つの州選挙でも、ANCは七つの州で首位となり、残りの二州(西ケープ州、クワズールー・ナタール州)のみは、国民党がそれぞれ首位を占めた。

 もっとも、ANCのこの地滑り的勝利は選挙前から十分に予想されていた。内外の南ア関係者が懸念していたのは、むしろ、全人種選挙に向けての各勢力の枠組み交渉過程において、早くもさまざまな暴力事件が発生していたことが示唆していたように、選挙そのものが平和に行われるかどうかであった。すなわち、選挙の結果如何というよりも、選挙という手続きがまがりなりにも「成功」したことこそが世界の称賛の対象となったと言える。

 

 黒人が白人を解放した?

 内戦を避けてとにかく選挙を行ない、すべての南アの人々の平和共存のチャンスを作ること。これがアパルトヘイトの維持に見切りをつけた南アの人々の広範な願であった。とりわけ、アパルトヘイト廃絶を復讐の論理に従わせてはならないと人種間の和解を強く訴えた新生南ア初代大統領マンデラ

の果たした役割は、いくら強調しても強調しすぎることはないであろう。

 マンデラ政権発足直後のインタビューで、なぜ国民統一政府を決意したかという問いに対し、マンデラ大統領は、その経緯を次のように明快に語っている。

「これには、私達が監獄にいた時の経験にまでさかのぼる長い歴史があります。私たちがロベン島(アパルトヘイト下で政治犯を収容した監獄島)に着いた時、アフリカーナの看守の間で論争がありました。ある看守は、こいつら(政治犯)は手荒く扱ってやれば、白人の優越性を受け入れざる得なくなる、と言いました。また、別の看守はやつら(政治犯)が勝った時、自分たちに対する報復のための政権が生まれないようにと考えてやつらを扱ってやらなければならない、と主張しました。私たちとしては、看守に対して話しかけ、私たちを人間として扱うように説得するポリシーを採用しました。これは、私たちの持つ最強の武器の一つは対話であることを教えてくれる教訓です」(ファイナンシャルタイムズ』紙、1994718日)。

 すでに見てきたようにアフリカ現代史を振り返れば、ヨーロッパ人の大量移住型の植民地支配からの脱却には、しばしば内戦に近い形態を伴ってきた。50年代白人入植者の土地収奪に、武力によって抵抗し、最近の研究では、数10万の死者を出したと推定されるケニアのマウマウ戦争、数十万の死者を伴った50年から60年代初頭にかけてのアルジェリア戦争、1980年、数十万人の白人による人種差別政策に武力対決し独立にこぎ着けた南アの隣国ジンバブエの独立戦争……。いずれも肥沃で住みやすい土地に居座った白人の特権を自ら放棄させることは容易ではないことを示している。

 新生南アが移住型植民地を脱植民地化していく際の土地問題と言う、もっとも困難な課題を当面先送りし、ともかく多大の犠牲者を出すことなく新国家体制に移行できたことは、アフリカ現代史に興味深い出来事として刻まれるであろう。

 

コメント
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