真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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阿南陸相の自決と皇国日本

2020年05月24日 | 国際・政治

 昭和20年8月9日深夜、皇居の地下防空壕・御文庫附属室で、天皇の臨席を奏請したといういわゆる「御前に於ける最高戦争指導会議」すなわち「御前会議」が開かれました。それは、ソ連軍が満州に侵出し、長崎に原爆が投下され、国内外の戦争被害が急拡大している時のことです。
 論題は、ポツダム宣言を受諾して終戦するか、受諾を拒否してより多くの条件が認められるまで抗戦するか、ということでしたが、この日本の運命を左右する話の内容で、明治維新以来の皇国日本の姿が見えるような気がします。

 出席したのは、鈴木貫太郎首相、東郷茂徳外相、阿南惟幾陸相、米内光政海相、梅津美治郎参謀総長、豊田副武軍令部総長と、鈴木首相の意向で加わったと言われる枢密院議長の平沼騏一郎の七人で、陪席員が、迫水閣書記官長、池田綜合計画局長、吉積陸軍省軍務局長、保科海軍省軍務局長であったといいます。

 このうち鈴木首相、東郷外相、米内海相が終戦派で、阿南陸相、梅津参謀総長、豊田軍令部総長が抗戦派だったということです。
 「終戦秘史」下村海南(講談社学術文庫)に、その話し合いの経過が、下記のように簡単にまとめられています。

東郷外相はポツダム宣言無条件受諾のほかなき旨をのべた。
 阿南陸相は本土来襲を機として大打撃を与うべし、ただし提案せる条件でまとまり、終戦可能ならば賛成なりと述べ、
 米内海相は外相説に賛成し、
 平沼枢相は四十分にわたり各員へくさぐさの質問をつづけし後、外相の説に賛成の旨をのべる。
 梅津、豊田両総長は陸相の説により死中活、玉砕の決意をくりかえす。
 首相は依然として自己の意見を述べない、決をとる代りに、
 議をつくすことすでに数時間に及べど議決せず、しかも事態はもはや一刻の遷延も許さず。まことに異例でおそれ多きことながら、聖断を拝して本会議の結論としたしたく存じます。
 と言上した。首相の自席にもどるをまち、陛下が聖断を下すこととなった。平和と腹をきめられている陛下。八ヵ年侍従長として奉待したる鈴木貫太郎、また親しくかつては組閣の大命を拝し、次いでは小磯内閣に副総理の思召しを伝えられし米内光政の心持とぴったり意見の合致せる陛下は、まず外相の意見に賛成の旨をのべられ、ここに和平の終止符が打たれたのであった。その要旨は、
 大東亜戦は予定と実際とその間に大きな相違がある。
 本土決戦といっても防備のみるべきものがない。
 このままでは日本民族も日本も亡びてしまう。国民を思い、軍隊を思い、戦死者や遺族をしのべば断腸の思いである。
 しかし忍び難きを忍び、万世のため平和の道を開きたい。
 自分一身のことや皇室のことなど心配しなくてもよい。
 以上はただその要旨をあげただけであるが、大東亜戦は予定と実際との間に相違があるといわれし内容には、
 九十九里浜の防備について、参謀総長の話したところと侍従武官の視察せるところと、非常な差があり、予定の十分の一もできていない。また決戦師団の装備についても、装備は本年の六月に完成するという報告をうけていたが、侍従武官査閲の結果では、今日に至るも装備はまったくできていない。かくのごとき状況にて本土決戦とならば、日本国民の多くは死ななければならない。いかにして日本国を後世に伝えうるのか。
 という、今までにまったくためしのない隠忍沈黙の型を破った陛下自らの思いのままを直言されたのであった。満場ただ嗚咽の声のみである。首相は立った、会議は終わりました。ただ今の思召を拝し、会議の結論といたしますといった。聖断とはいわない。思召を拝して会議の決議とし、第二回の会議は閉じられたのである。首相の車は官邸へ急いだ。時計の針は、はや八月十日午前三時を指している。…”   
 
 その後、日本は
七月二十六日付三国共同宣言ニアゲラレタル条件中ニハ天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スル要求ヲ包含シ居ラザルコトノ諒解ノ下ニ日本政府ハ共同宣言ヲ受諾ス
 と、ポツダム宣言に条件をつけて、受諾を伝えたのです。でも、この条件は、徳富蘇峰の下記の主張のように、明らかにそれまでの皇国日本の考え方と根本的に異なるものであったと思います。

且つ皇室の存続は彼等が許可するとしても、至尊(シソン)の主権には彼等は容喙せずとしても、日本国は至尊の統治し給う所でなくして、外国兵が屯在し、その総督たるマッカーサーが統治する事であるからして、至尊の主権も、至尊の御地位も、全くマッカーサーの下に置かせ参らす事になっている。主権は認めたというも、その主権自身は、米国の一軍人マッカーサーが、米、英、ソ、支の兵を率いて、日本に屯在し、その男の下に置かるるということになれば、恐れながら、陛下の主権は、全く紙上の空文であって、実際の主権は、マッカーサーに在りといわねばならぬ。それを以て、果して国体の擁護が出来たと言うか。皇室の尊厳が保たれたと言うか。洵(モコト)に以て驚き入りたる次第といわねばならぬ。

 だから、
 ”本土を最後の決戦場として戦うに於いては、地の利あり人の和あり死中活を求め得べく、若し事志と違う(コトココロザシトタガウ)ときは日本民族は一億玉砕し、その民族の名を青史に止むることこそ本懐であると存じます
 と徹底抗戦を主張した阿南惟幾陸相が、明治維新以来の皇国日本の考え方を主張したのだと思います。でも、いわゆる「聖断」に抗することはできず、宮城事件で決起した将校の”軽挙妄動”を抑える側に回りました。そして、自らの考え方を貫いて自決したのです。
 下記の抜粋文に、自決前、阿南陸相が井田中佐に声をかけた様子が、
「おれは死ぬがよいか」
  という。言下に井田は
「まことに結構でござります。私どももあとより参ります」
 と書かれていますが、この会話が皇国日本の軍人の考え方であったのだと思います。
 
 また、遺書に関して
「一死以奉謝大罪」と書きつづけてあった遺書の終わりへ、
「神州不滅を確信しつつ」と書き足した。辞世は、
  大君の深き恵みに浴みし身は言い残すべき片言もなし
 とあります。

  そして、阿南惟幾は五体を清め、”侍従武官時代に拝領せし下着を身につけ、”皇居へむけ拝礼し”腹を切ったのです。野蛮だとは思いますが、「君はずかしめらるれば臣死す」という皇国日本の軍人の死に方なのだと思います。
 

 ふり返れば、藤田東湖や吉田松陰の思想に共鳴した幕末の尊王攘夷急進派が、倒幕によって明治維新を成し遂げつくりあげたのは、「建国神話」を基にした天皇親政の「皇国(スメラミクニ)」でした。そして1882年、明治天皇によって陸海軍の軍人に「陸海軍軍人に賜はりたる敕諭」(軍人勅諭)下賜され、1889年には「大日本帝国憲法」が制定され、さらには1890年に「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)が発表されて、
我等臣民は、西洋諸国に於ける所謂人民と全くその本性を異にしてゐる。君民の関係は、君主と対立する人民とか、人民先づあつて、その人民の発展のため幸福のために、君主を定めるといふが如き関係ではない
 という世界にたった一つの国ができあがったのです。それは、藤田東湖の「神州誰カ君臨ス、万古天皇ヲ仰グ」という考え方そのもので、日本は諸外国と違って「神州」であるとされたのです。 
 また、江戸時代後期の思想家、佐藤信淵の著書『宇内混同秘策(ウダイコンドウヒサク)』には、「皇大御国(スメラオオミクニ)は大地の最初に成(ナ)れる国にして世界万国の根本なり。故に能く根本を経緯するときは、則ち全世界悉く郡県と為すべく、万国の君長皆臣僕と為すべし」とありましたが、日本は「神州」であるが故に、領土を拡大し、近隣諸国を支配すべきであるという考え方に発展したのではないかと思います。それは、吉田松陰の著書「幽囚録」の「自序」に「皇国は四方に君臨し、天日の嗣の永く天壌と極りなきもの…」でも読み取れると思います。
 そして、「幽囚録」には 具体的に下記のようにも書いていたのです。

”日升(ノボ)らざれば則ち昃(カタム)き、月盈(ミ)たざれば則ち虧(カ)け、国隆(サカ)んならざれば則ち替(オトロ)ふ。故に善く国を保つものは(タダ)に其の有る所を失ふことなきのみならず、又其の無き所を増すことあり。今急に武備を修め、艦略ぼ具はり礮(ホウ)略ぼ足らば、則ち宜しく蝦夷を開墾して諸侯を封建し、間(スキ)に乗じて加摸察加(カムチャッカ)・隩都加(オホーツク)を奪ひ、琉球に諭し、朝覲(チョウキン)会同すること内諸侯と(ヒト)しからしめ、朝鮮を責めて質を納(イ)れ貢を奉ること古の盛時の如くなら占め、北は満州の地を割(サ)き、南は台湾・呂栄(ルソン)の諸島を収め、漸に進取の勢いを示すべし。然る後に民を愛し士を養ひ、愼みて邊圉(ヘンギョ)を守らば、則ち善く国を保つと謂ふべし。然らずして群夷争聚の中に坐し、能く足を挙げ手を揺(ウゴカ)すことなく、而も国の替へざるもの、其れ幾(イクバ)くなるか。

 また、吉田松陰の「士規七則」には、

一、凡ソ皇国ニ生レテハ、宜シク吾宇内(ウダイ)ニ尊キ所以ヲ知ルベシ。蓋シ皇朝ハ万葉一統ニシテ、世々禄位(ヨヨロクイ)ヲ襲(ツ)ギ、人君ハ民ヲ養ヒテ、以テ祖業ヲ続ギタマフ。臣民ハ君ニ忠ニシテ、以テ父ノ志ヲ継グ。君臣一体、忠孝一致、唯吾国ヲ然リトナス。
一、士ノ道ハ、義ヨリ大ナルハナク、義ハ勇因リテ行ハレ、勇ハ義ニヨリテ長ズ。

というようなことも書かれています。人命よりも”君臣一体”の「」が大事であるというわけです。明治維新以来の日本は、こうした考え方で戦争を続けたのだと思います。

 だから、ポツダム宣言の受諾は、皇国日本の事実上の崩壊を意味するはずだと思います。天皇やいわゆる「終戦派」の考え方は、人権や人命を尊重する西欧の考え方を取り入れたもので、新しい日本をスタートさせるものだったと思いますが、明治維新以来の皇国日本の考え方とは、根本的に異なるものだったと思います。

 にもかかわらず、ポツダム宣言の受諾後、そうした事実を認め、謝罪したり、反省したり、懺悔したりする発言や文章はもちろん、皇国日本の考え方の修正に関しても、昭和二十一年一月一日に”官報号外”として出された天皇の詔書、いわゆるの「人間宣言」の
”…朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。…”(官報號外 昭和21年1月1日 詔書 〔人間宣言〕国会図書館)
というもの以外は、ほとんど目にしません。
 そればかりでなく、敗戦に至る野蛮で残酷な戦争の反省や謝罪をすることなく、再び戦後の日本で活躍した戦争指導者が多数あったこと、そして、今なおそうした戦争指導者たちの流れをくむ人たちが活躍し、「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知して戴く、そのために我々が頑張って来た」などと発言する首相が存在したこと、また、吉田松陰を「先生」として尊敬する人が、現在日本の首相であることなどを見逃すことができません。
 ポツダム宣言の受諾は、狡猾な支配者たちが、日本国民を都合よく統治するため、また、日本軍を他の国の軍隊よりも強い軍隊にするため、天皇をうまく利用していることを露わにしたのではないでしょうか。

 下記は「終戦秘史」下村海南(講談社学術文庫)から抜粋しました。
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                    第三十四章 阿南陸相の自決

下 死出の杯
 霞ヶ関と三宅坂から赤坂見付上へそれぞれ一線を引き、その底線にはドイツ大使館にとなり陸軍省の敷地がある。元の陸相官邸と道路をへだて、陸軍大臣副官の役宅であったささやかな一階建ての家が、今は陸相の官邸になっていた。
 時は八月の十四日、その夜はことのほかむし暑い。サイレンの音は断続して聞える。熊谷、前橋はじめ関東の都市は空襲に見まわれていたころである。時刻ははやあくる十五日の午前一時半になっている。桜田の濠をへだてて筆者等一行は二重橋内近衛屯所にて剣つき銃の兵隊さんに囲まれ、小さい部屋にすし詰めにされ無言の行を強いられていた頃である。阿南陸相の義弟、軍務局軍務課内政班長の竹下正彦中佐は官邸戸口のベルを押す。護衛の憲兵や女中たちはよいところへ見えたとばかり主人の居間へ案内する。床はのべられ白い蚊帳がつられてある。その奥で陸相は机によりて筆をとっている。中佐の方へふり向いて、いつにないとがめるような語調で
「今頃何しに来た?」
「……」
 竹下はだまっていると、いつもの温顔にもどった陸相は語をつづけた。
「よく来た、まあはいれ、竹下……いよいよ今夜かねての覚悟にもとづき自刃する……」
「閣下の御覚悟は御もっとも千万です。このほどから竹下も予感しておりました。その時期も今夜か明夜かと思うておりました。けっしてお止めいたしませぬ」
「お前も同感か……そうか予感していたか?」
「このほどポツダム宣言受諾に伴う訓示の折りに、いつも我々はというところを、諸君はどこまでも御国のために力のかぎりつくさねばならぬといわれた。その時ハッキリ御覚悟のほどが私の胸にこたえました。
「そうか……そりゃよかった、おれはじゃまされはせぬかと気にしていたのだが、そりゃよかった、よいところへ来てくれた。……机のわきに膳がある、徳利もいっしょに持ってきて……さあ、今夜は大いに飲みかつ大いに語ろう」
 すっかり上機嫌になる。二人はサァ一杯一杯と、かたみにしげく杯をとりかわしはじめた。かれはもともと相当な左利きであったが、満州事変以来その身戦線にあると否とを問わず、もはや酒に親しむべき時にあらずと、ふっつり酒杯を手にしなかった。その阿南は今自決を前にし最後の別杯をあげる。さすがに酔いが廻ってきた陸相を見て気になった竹下は、
「ひさしぶりに飲むと酔いがまわりますよ」
「そうだ……。久しぶりの酒で血のめぐりはよくねる、出血が多くなるから、たしかに死ねるね……」
「しかし、あまり飲みすぎ仕損じてはまずいですから……」
「そうさ……ピストルとか青酸加里だと始末はよいが、ハラキリとなると仕損じなしとはいえない。もししくじったらよろしく始末してくれ。だが、おれも剣道五段だ、腕はたしかだ、安心してくれ」
 杯をおき、筆を手にした陸相は、「一死以奉謝大罪」と書きつづけてあった遺書の終わりへ、
「神州不滅を確信しつつ」と書き足した。辞世は、
  大君の深き恵みに浴みし身は言い残すべき片言もなし
とある。
「これは戦地に出る時いつもの俺の心境だよ、そこでこれはおれの身だしなみだが、今夜は風呂にはいって五体を清めてある。自決の時にはかつて侍従武官時代に拝領せし下着を身につける。これはお上のお体につけられた品だから……それから畳の上は武人の死場所でない。さりとて外へ出ては見張りに妨げられるから、縁側で皇居の方を向いてやる」
 阿南惟幾は座を立った。衣を脱いで恩賜の下着と着かえた。その上へ勲章を全部佩用(ハイヨウ)せる軍服を重ねてみて、
「竹下どうだ、堂々たるものであろう」
「お見事です」
 期せずして両人はぴったり抱き合った。今生の別れと、阿南と義弟のかたみに抱きしめた手はなかなかはなれない。やがて軍服をぬいで、
「竹下……あとでおれの亡がらへかけてくれ」
「承知しました」
 その時、軍服のポケットから、十八年武漢作戦に戦死せる亡き子惟晟(コレアキラ)の写真を見た時、竹下は思わず顔を伏せた。明治天皇に殉じて自決した時にも、乃木将軍は旅順で戦死した二人の亡き子の写真を懐中にされていたと聞いている。夜は次第にふけて、はや午前三時を過ぎたらしい。竹下中佐が陸相に顔を合わせた時から胸にたたんでいたのは、今夜は畑中少佐等一党がてんでできない相談だが、近衛の古賀参謀と手をつないで兵をあげ、聖旨をひるがえし終戦の詔勅の放送をとりやめようと猪突する気配であった。今はそんなことを企てても森近衛師団長は断乎として動かないから、頭から問題にならない。しかし止むに止まれぬ血気の勇にはやり、同士の忠告にも耳をかさなかった。今陸相に事情を報告すれば陸相としてはだまっておけない。まのあたり陸相はまさしく死すべき時と処を得つつある。この際この時、阿南惟幾の自決は戦局収拾のための大きなヒットである。陸相の決意自決を妨げてはならぬと、今まで口にせずにおったのであるが、いつまでもそのまま胸に収めかねて、そうした気配のあるという情報を話すと、阿南は従容として、「ナァニ東部軍は立はしないよ」とただ一言もらした。この時井田中佐は陸相官邸をたずねて来た。会わぬと面会を断ったが、竹下中佐の取りなしで部屋へ通される。陸相の白装束の仕度を見て、ハッと井田は面を上げ、陸相の顔を見守ると陸相は、
「おれは死ぬがよいか」
 という。言下に井田は
「まことに結構でござります。私どももあとより参ります」
「ナニッ」
 陸相の平手は、井田の横ほおをピシャリピシャリピシャリと三つつづけて打った。
「おれは今陸軍の責を負うて自決するのだ、お前たちこそあとへ残って時局を収拾し、日本の再建に力をいたさねばならぬ。すぐ行け……」
 なにを馬鹿なといわぬばかりにしかり飛ばす。ハイと一言うけ答えた井田中佐は、官邸をあとに陸軍省にかけつけた。
 その時である、森近衛師団長が射殺されたという電話がはいる。
「おおそうか……森がたおれたか……今夜の御わびもいっしょにする」
 陸相は眼をつぶって皇居へむけ拝礼した。「ただ今大城戸憲兵司令官が参りました」という取次がある。もう時刻は四時をすぎている。
「竹下、お前司令官にあってくれ」
 と竹下を応接間へやったあとで、刀は陸相の腹へさされたのであった。そこへ林陸相秘書官は近衛師団暴動の件につき陸相に至急登省ありたき旨を竹下中佐に伝え、さらに奥の間にはいる、陸相ははや割腹している。またまた折りかえしいそぎ竹下中佐へ知らせる。一同かけつける。陸相はすでにのどを切りつつあった。
「介添えいたしましょうか?」
「無用、あちらへ行け」
 のどは静脈だけ切れてあってまだ息が通っている。医師がかけつける。カンフルをといったが故人の志にあらずととりやめる。義弟竹下中正彦うやうやしく介添し、三度陸相の死をたしかめ、陸軍省より引きつづく電話にせき立てられ、官邸をあとに市ヶ谷へかけつけた。
 陸軍省では井田中佐は竹下中佐にいっしょに陸相に殉死しようとくどくせまる。竹下は君は陸相の最後のことばを忘れたのか、死んではならぬといっても承知しない。井田中佐には酒井少佐が尾行してあなたが死ぬならまず自分を殺してからとばかりに、ぴったり井田中佐に付ききりになって一日また一日そばをはなれない。都下から地方から一味の青年将校は相次いで市ヶ谷へかけつける。いつのまにか自ら死せんとする人たちが、これら馳せ参じた人たちをなだめる役にまわることとなった。
 かくのごとくして無血終戦に大きな役割を演じた阿南陸相は自決した。十五日の朝陸相のなきがらの前に私は次の一首を供えた
 抜くはやすく納むるはかたき剣太刀身に引きあてて世を去りぬ君は

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