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87歳の靴磨きばあちゃん③

87歳の靴磨きばあちゃん

21歳で未婚の母となる

 3日間、水だけを飲んで、トランクを探し回った。3日目、空腹に耐えかねて、ふらふらとおでんの屋台に引き寄せられてしまう。屋台の主は40代ぐらいの男性だった。

『ウチは女の子が辞めたばっかりだから、よかったらねえちゃん、うちで働くか』身よりも知り合いもない東京で、中村さんは偶然出会ったこの男性の屋台で働くことになった。

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 やがて2人は男女の仲になる。中村さんは子供を身ごもった。「でも彼には妻子があったのよ。私はずっと独身だと思っていたのに」中村さんは内縁関係のまゝ子供を産まざるを得なかった。

21歳で中村さんは男の子の母親になった。

わずか2年前、ヤマハで働いて、堅実な人生を歩んでいたころからは想像出来ない人生の変わり様である。一度だけ、妊娠中に中村さんは、浜松の実家へ戻ったことがある。

「でも父が激怒して、家の中に上げて貰えなかった。母だけが心配して『いつでも戻っておいで』と言ってくれたけど。

内縁の夫は正妻に追い出される形で、中村さん親子と同居するようになった。

しかし酒量が次第に増え、体をむしばまれて行く。

子どもが1歳を過ぎたころ、夫はあっけなく病死してしまった。

正式な妻でなかった中村さんは夫の遺産を受け取ることもできず、幼子を抱えたまま中村さんはたった1人で生きて行くしかなかった。

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 直ぐにできる仕事として、中村さんは行商を選んだ。山のような野菜や生活用品を背負って1軒1軒売り歩く行商人たちがまだたくさんいた時代である。

「子供を背負って行商に行くと、同情して買ってくれる人がたくさんいてね。荷物を全部買ってくれる奥さまもいたわ。東京に出てきて初めて人の優しさに触れることができたね」

しかし生活は楽にならず、重い荷物を背負って歩く行商の仕事は体にこたえた。誰でもいい。誰かに頼りたい――。 続く

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