日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
87歳の靴磨きばあちゃん④
87歳の靴磨きばあちゃん
④
運命の残酷
*
そんな時、一人の男性と知り合った。浅草の靴職人だった。やがて二人はひかれあって結婚する。
「こんどこそ、籍も入った正真正銘の結婚よ。これで人並みの生活が出来ると思ったわ」
二人の間には女の子も生まれてつつましいながらも、幸せな生活が続くはずだった。
だが運命は残酷だった。新しい夫は酒乱だったのだ。酒に酔うと妻子に手をあげた。まだ赤子だった長女を畳に投げつけることがたびたび起こった。
耐えかねて、中村さんは離婚を切り出した。すると夫はますます荒れ、ある日、家を飛び出すと、そのまま戻らなかった。
「離婚しようにも、相手の居場所が分からないから、離婚のしようもないじゃない。宙ぶらりんのまゝ清掃の仕事をして、二人の子供を食べさせていたの」
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そんなある日、運命的な出会いがあった。子供を公園で遊ばせていると、酒に酔ったホームレスが絡んできたのである。おびえる母子。すると杖を突いた男性が近づいてきてホームレスの前に立ちはだかった。
「やめたまえ」
毅然とした男性に気圧(きお)されたのか、ホームレスは退散した。
紳士然としたその男性に中村さんは一遍に恋に落ちてしまった。
男性もたくましく生きる中村さんにひかれたのだろう。二人は結婚を誓い合う仲になった。
「でも私は戸籍上結婚しているわけでしょ。裁判をして籍を抜くのに1年近くかかってしまったの」
中村さんが28歳の時、二人は晴れて正式な夫婦になる事が出来た。
男性は幼いころ小児まひにかかり、足が不自由になったという。大学を出て経理の仕事をしてきたが、中村さんと知り合った頃は、体を壊し、仕事もままならなかった。
二人の間には次々と3人の子供が生まれた。
夫は家庭的で優しい人だったが、一家8人の生活は中村さんの肩に掛かっていた。
中村さんは夫と義母に子供を預け、リヤカーを引いて果物の路上販売を始めた。
『当時秋葉原にあった青果市場で果物を仕入れて、銀座や新橋で売り歩くの。荷物は100キロ近くになったわ。朝早く家を出て、帰ってくるのは日付がとっくに変わってから。
子供の顔なんか寝顔しか見たことがない。だから、うちの末娘は義母のことを本当のお母さんだと思っていたくらいなのよ』
そんな生活を10年も続けただろうか。
19歳で上京した純真な田舎娘は、40歳になり、
肌は真っ黒に日焼けして、たくましい一家の大黒柱になっていた。続く