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コロナワクチン・闇に葬られた警告・か・き

コロナワクチン・闇に葬られた警告  か・き

 

  接種当日、翌日、翌々日は仕事を休んだ孝幸氏だった。

「日曜日は微熱や倦怠感があったみたいなのですが、仕事に出て、夕方には母にも電話しているんです。“ワクチンを打ったからようやく9月半ばには実家に帰れるよ”と言った話をしたようです。その時腕の痛みがあって、疲労感もあってすごくだるいとは言っていたようです」

 31日の朝も倦怠感を訴えていたというが、

「兄は7時過ぎには仕事のために家を出て,その後、兄の奥さんも仕事へ。それで奥さんが午後6時半に帰ってきたら兄がソファーの上で冷たくなっていた。奥さんは何とか兄をソファーから降ろし、心臓マッサージをしながら119番に電話をしたそうです」

 司法解剖の結果、死因は急性心機能不全とされた。

 「兄の死後、自治体に情報公開請求をしたんです。すると公開された書類の中に、兄と同じ時期に同じ地域で同じ生産ロットのワクチンを打った52歳の男性がこれまた心疾患で亡くなったという事が書いてありました。

 それを見て私もワクチンの危険性を訴えなければならないと思い、

『コロナワクチン被害者駆け込み寺』の活動に参加するようになりました」            続く

 

 コロナワクチン・闇に葬られた警告

「死のロット」がある

 厚労省がHP上で公開しているワクチン接種後の死亡として報告された事例の一覧を見ると、孝幸氏と同じロットのワクチンを打って死亡した人は全国で9人いたことが分かそる。そのち65歳以上の高齢者は二人だけで、一番若い人は23歳の男性となっている。また本誌で以前にご紹介した宮城県の須田正太郎さん=(36)=当時が亡くなったケースでも、同じロットで複数の死者が出ている。

  全国で7人。そのうち、一番若いのは、13歳の男性である。一方、死亡例の全く報告されていないロットも複数ある。「コロナワクチンはmRNA を脂質の膜で包んだ粒子ですが、その粒子に含まれるmRNAの量にはバラつきが生じることが解っています」と先の小島氏は言う。

 「以前、EMA(欧州医薬品庁)から流出したデータをもとにイギリスの医学誌『BMJ』(ブリテイッシュ・メディカル・ジャーナル) がワクチンに含まれるmRNAの量のバラつきについて報じたことがありました。

 EMAは“品質については問題ない”と弁明しましたが、BMJは“如何にしてEMAが懸念を払拭したのかは不明”として透明性の確保を訴えていました」

  「死のロット」とそうではないロットが存在するとなるとなんとも無気味だが先の福島氏はこう主張する。

 「いまコロナワクチンを打った人に、死亡者も含め、すでに多くの健康被害が出ている。早急に診療ガイドラインを作成、診療体制を確立して、更に分子病理メカニズムの研究を促進しなければなりません。そのため接種時期やロット番号を記した『ワクチン接種手帳』を持つようにするべきだと思います」

 既に『大薬害になっている』と指摘する声も上がっているが、政府がワクチン接種推進の姿勢を見直す様子は全くない。

  それどころか『全国旅行支援』などは、いまだに、ワクチン接種済証の提示が利用条件の一つとなっている。“お上”がワクチン接種の中止など何も考えていないことの証左であろう。

『ワクチンの境界――権力と倫理の力学』の著者で神戸大学大学院経営学研究科教授の園部克彦氏の話。

旅行支援のワクチン接種要件は完全に差別です。こんな制度はすぐにやめなければいけません。ワクチンを打ったらコロナに罹らないというならまだしも、当初言われていた感染予防効果は期待外れで、今は重症化予防効果なんて言われている。にもかかわらず旅行者支援制度の要件にワクチン接種が書かれているのは別の強い意図を感じます

 繰り返しになるが、大事なのは『知る』ことだ。

現実を知れば、大本営発表の『聞こえ方』もおのずと違ったことになる筈だ。この(2月16日)号終わり

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コロナワクチン・闇に葬られた警告 お

コロナワクチン・闇に葬られた警告

 「兄は名前の通り、親孝行で家族思いの人でした。奥さんとの二人暮らしで子供はいません。仕事はフランチャイズ加盟店のオーナーとして清掃請負業やっていました。いたって健康で通院歴も服用している薬もありませんでした」

 3人きょうだいで吉田さんが一番下、孝幸氏は二番目。一番上の兄は独身で福井県にある実家で88歳の母親と同居している。「コロナ前は私と真ん中の兄(孝幸氏)で交互に2週間に一度くらいのペースで実家に帰り、母の世話をしていました。しかし、コロナ後は実家に県外ナンバーの車が停まっていると近所の目もあるし、コロナになるのも怖いから“来てくれるな”ということになりました。それが21年3月ごろの話です」

  吉田さんが振り返る。「ワクチン接種が始まって直ぐの21年6月、私はワクチンに懐疑的だったので、調べて見たら接種後死亡者が300人以上も出ていた。

  それで母にも兄にも接種の危険性を伝えていたのですが、母はやはりコロナに感染するのが怖いというのと、街でコロナが出たら執拗に感染者捜しをするような状況もあり、7月に2回目の接種を済ませました」

  コロナ前のように母親に会いたいという思いが強かった孝幸氏は、一般枠が始まるとすぐに接種を申し込んだという。

「8月31日に兄の奥さんから電話がかかってきてすぐ駆け付けたところ

  コロナ前のように母親に会いたいという思いが強かった孝幸氏は、一般枠が始まるとすぐに接種を申し込んだという。

 「8月31日に兄の奥さんから電話がかかってきてすぐ駆け付けたところ、もう救急車も警察車両も来ていて、リビイングのソファーの下に冷たくなった兄が倒れていました。家の中を探したら、8月26日(木)付のワクチン接種券が見つかりました。続く

 

 

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