日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
中曾根康弘 2
総理大臣菅 義偉の大罪
権力者と取り巻き
中曾根康弘
2
そんな中曾根には『爺殺し』の一面があり、自民党に在って親中国の立場を貫いた清廉の政治家、松村謙三や黒幕のご意見番、四元義隆にかわいがられた。
しかし、四元の居るところと居ないところとでは態度が全く違うと芸者に批判されていた。
「私、あの人、大っ嫌い」と鼻っ柱の強い芸者が中曾根に聞こえよがしに言う。中曾根が知らんぷりをしていると、「聞こえないふりをするところがもっと嫌い」と追撃されたとか。
中曾根に関わって、中曽根より1歳年下の作家、小島直記に速達で絶交状を叩きつけられたことがある。
私が書いた次の部分が小島の逆鱗に触れたのだ。
「戦争にいかなかった人や行っても悲惨な目に遭わなかったものほどタカ派になる。
『経営者の戦争体験』の取材をしていて、大和投資顧問会長の坂田慎太郎の話になるほどと思った。坂田は学徒出陣で兵隊にとられ、入隊して『主計になる試験を受けたいものは前へ』と言われて、前へ出たら、下士官から猛烈な勢いで殴られた。主計というのは、つまり、経理係であり、前戦に出なくて済む。我が中曾根クンは、その海軍主計少佐だった」
これに対して小島は、中曾根の弁護をするつもりはないが、自分も海軍主計少尉だったので、『主計』そのものについての浅い切り方を許せない、と激昂してきた。本来ならば、同期の戦死者に代わってあなたをブン殴るところだという。
それを受け取って私は、
問題の拙著『佐高 信の斬人斬書』徳間文庫の別のページの「若い人がもの知らずにアレコレ言うのを恫喝したら批評精神は死ぬ」という木下恵介(完全大吉名👈永人)の言葉をただ読み返すだけです、と返事を書いた。
小島がどんなに怒ろうとも、私は中曽根について
『主計に逃げた』という印象を消せなかった。
中曾根自身が『政治と人生』(講談社)で、海軍短期現役補修学生制度(いわゆる単現)に言及し、
「陸軍に行くと一等兵から始めて上等兵の靴を磨かなくてはならないが、海軍の主計科は経理学校に入ると同時に中尉である」と書いているからである。
二等兵だった同い年の田中角栄は反戦護憲を通した。
中曾根康弘は逆の好戦改憲だが中曾根よりも
田中角栄にこそもっともっと長生きして欲しかった。
(池田大作へ)続く