Wilhelm-Wilhelm Mk2

B級SFからクラシック音楽まで何でもあり

ピノキオ

2008-08-31 | Weblog
 ディズニーアニメの「ピノキオ」を観た。1940年、つまり60年前の作品である。とにかく絵が芸術的。多層セルを使い、焦点を微妙のずらしながらアップするなどして遠近感を出したり、複数の時計とオルゴールが同時に複雑な動きをするなど、今の技術ではとても再現ができない驚異の手法が持ち込まれた傑作である。人間の手仕事の素晴らしさと可能性を徹底的に感じさせてくれる。ツタヤのキッズコーナーから、当日返却で180円(半額期間なら90円!)で借りられるので、是非一度観ていただきたい。内容も感涙間違いなし。
 ああ、人間は愚かだ、こんな素晴らしい技術を捨ててしまうなんて。こんな作品を観てしまった後では、CGで作画された昨今のアニメ映画など、とても正視に耐えない。

大森隆男選手がプロレスを休業

2008-08-30 | Weblog
 読書家にして紳士という大森選手は、一風変わったレスラーとしてネット層からも「大森さん」と「さん」付けで呼ばれるという独特な支持を得ていた。全日本ーノアーWJ-ゼロワンと各種団体を渡り歩いてきたが、現在の所属団体の経営に暗雲がさしてきたためか、このたび休業ということになった。豹柄のパンツをはいていた若手時代、高山とのノーフィアー時代、アックスボンバー連発(ワイルドエクスプレス)で秋山を秒殺した試合、鬼小橋に流血KOされた試合、橋本に「豚はノアの箱船に乗れないんだよ!」との挑発・・。思い出は尽きません。ゼロワンに移ってからは、地上波放送がなくなったため、お目にかかることが少なくなったけど、鶴田も巻いたAWA王座の獲得など、団体のエースとして頑張っていたようだ。こんな試合もしていたようだ。

「AWA王座から陥落した大森に対し、14日、空港で待ち構えていたディーノがGAYベルト(世界アナル級)をかけた対戦を要求。」

 GAYベルト(世界アナル級)・・・・獲得したベルトは即返上したらしい。ちなみに大森さんの奥さんは、金沢の老舗旅館の女将。今回の休業はそこで手伝うためという噂も・・・。恵まれた体格とマスク、ここでやめてしまうのはもったいない。これまでの過程や契約上の問題で難しいかもしれないが、是非ノアに戻って、秋山や若手陣とやってもらいたいものだ。

 大森さんの人の良さを示している大学の後輩へのメッセージを張っておきます。

純国産

2008-08-30 | Weblog
次期哨戒機は純国産。川崎重工から試作機が納入される

純国産。この響きに感動する。アメリカの横やりでF-2の純国産計画を頓挫させられて以来、日本の航空業界は湿っぽくなっていたが、この勢いで現在選定にもめている次期主力戦闘機も、純国産で作ってしまえ!ってアメリカのF-22やロシアのSu-27にそう簡単に追いつけるとは思えないが、防衛研と三菱重工は、2011年ごろまでに技術確認のレベルで「心神」という純国産第5世代戦闘機の試作機を飛行させる予定らしい。国を国たる形にするのは国境であり、それを防衛する戦闘機を、国産でなく輸入でまかなっているなんて悲しいことです。日本は世界に誇る技術立国なのだから、なおさら最先端を行く戦闘機を作っていただきたい。

稲妻は「稲の妻」が語源

2008-08-30 | Weblog
8月下旬ー9月上旬に雷雨が降ると稲の実りが良いかららしい。日本の文化はほんとうに面白い。うむ、今年は豊作だな。

開高健は作家
高関健は指揮者

 図書館で未知の曲を借りてくることが趣味になっている。最近では、ヘンデルのオラトリオ「復活」がなかなか面白かった。

 オイゲン・ヨッフム指揮ウィーンフィルのブラ2(ライブ)も借りて聴いたのだけど、至って普通。それ以上の感想はなし。直後にフルトヴェングラーのブラ2を久々に聴く。亡命前夜のウィーンフィルとのライブ。もう心臓がどきどきしぱなっしで、首からほっぺにかけて鳥肌が立ちまくり。音楽の推進力が違う。常に前傾なのだ。太鼓の迫力が半端じゃない(フルヴェンの特徴の一つは打楽器の使い方にあると思う)。これこそが「聴きに来た人の人生感を変える演奏」である。ウィーンフィルやベルリンフィルのような世界最高の楽団から、本当の「全力」を引き出せるのがフルトヴェングラー。こういう演奏を、あざ笑うかのように「巨匠テンポ」とか「前時代的」とか「過った解釈」など揶揄するものがいるが、出来るものならやってみろと言いたい。

 ラトル・ベルリンの幻想を視聴した(最終楽章)。スタジオ録音とは思えない糞音質。EMIがなぜメジャーレーベルなのか甚だ疑問だ。そしてそんな愚社から、コンセプトもなく、ぽいぽい新譜を放出するラトルの節奏のなさにあきれる。締まりのない、がちゃがちゃした、平坦な演奏。敢えて言おう。カスであると。(世間でも相当に叩かれているようだ。そろそろ皆目を覚ましたか)

護送船団

2008-08-28 | Weblog
 早起き出社を継続中だが・・・家に帰る時間は変わらないので、「ただ働き」を増やしただけのような気もする。ドイツでは7時半出社-4時帰りで、夕飯は家族でというのが基本らしいが、これが人として当たり前だと思う。家族と過ごす時間が正で、会社は副なのだ。日本は逆である。仕事のすき間に「家族サービス」である。「成功するには、なにかを犠牲にしなくてはならない」という根性論をよく耳にするが、「なにも犠牲にせず成功せよ」こそが王道だと思う。

 WBC監督に星野監督をと、あちこちのお偉い人々が話してますが・・・、星野氏は政界・財界・マスコミに幅広く知人がいるようで、彼らが護送船団的に流れをつくっているですね。どの世界でも顔のきく人は得をします。星野氏のHPに敗戦の将としてどうたらと書いてるけど、「言いたい奴は言ってろ」「俺は悪くない」という本音が文章のそこかしこに感じられて不快。反省会はきちんとしたのだろうか?「バカは自分がバカであることを認識しないから永遠にバカなのである」という格言を思い出した。

オオアジ

2008-08-24 | Weblog
 ティーレマン指揮ウィーンフィルの「英雄の生涯」(ライブ録音)を図書館で借りて聴いた。正直、拍子抜けだった。音質もウィーンフィルの合奏も、どちらも最高レベルなのだが、演奏そのものはまるでプロセスチーズ(決してナチュラルではない)を、てんこ盛りに食べさせられてるような大味感で、まったく感動しなかった。高潔とか、至高とか、そういった精神的な高さへの追求が感じられず、ただオケを鳴らして、自己主張のデフォルメの強調しただけで、かなり幻滅した。耳直しにカラヤン・ベルリンフィルの名演を聴いたわけだが、はっきいって月とスッポンである。音楽というのは時間芸術であって、どこか一部が良くても、全体の流れてとして、聴き手にシラケ感を与えたり、集中力をとぎれさせるような演奏は、失敗なんだと思う。いわゆる名演といわれる演奏は、そういった「むら」「傷」がないものを言うのだと思う。そしてそれを高確率で引き出せる指揮者が、本当に偉大な指揮者なのだろう。

 最近の指揮者の演奏は、どれも今回のティーレマンに感じたような感じなんだが、それは我々も含めて、「苦労知らず」の世代だからかもしれない。もちろん、戦争時代のような苦しい時代が来ないことを祈りたいが、芸術というものが、理不尽な力や壁への抵抗から生み出されたものだという側面を考えると、今のぬるま湯の世界では、芸術は終わったのかもしれない。

五輪で五厘

2008-08-23 | Weblog
 オリンピックもそろそろ終わりだが、思った以上にまともに進行して、少々驚いている。一生懸命やる姿は、結果はどうであっても感動的だ。福田首相は「せいぜい頑張ってください」みたいなニュアンスで選手団を送りだしたらしいが、これは正解だと思う。今のマスコミは「何とかジャパン」だの「なんとか王子」とか勝手に商標つけて、実力以上に選手を持ち上げ、プレッシャーをかけているだけの害悪でしかない。新体操の「フェアリージャパン」とか吹いてしまったのだが(結果は予選落ち)。フェアリーというのは、こういうのを言うべき。ロシアのカナエワ選手。彼女なんかをみていると、日本人は容姿では、まちがいなく劣等だと思う。
 しかし、高い年俸を受け取っているプロを集めた野球だけは、もう少し何とかならないのかと思う。「決意の丸坊主」とか、そういうパフォーマンスはいいから、きちんと結果を出してほしいものだ。プロ野球の暗黒時代はこれからも当分続くだろう。
 今回はドーピングがあまり出てこないようにも思う。と思ったら、中国の体操選手に年齢詐欺疑惑か。中国ならではの詐欺だな。記録管理が杜撰そうだから、いくらでも改ざんできるのだろう。

 印象に残った言葉:柔道の石井選手「自分は柔道をスポーツではなく闘いだと思っています。」

電話勧誘

2008-08-21 | Weblog
 職場にマンション経営の勧誘電話がかかってきた。
学生時代、教授への取り次ぎで、よく応対したものだが(そして、電話の横のボードに、悪徳業者を記録していく。)、今の職場で自分を名指しで勧誘してきたのは初めてだ。まあ経験はいくらかあるので、相手の出方はだいたいわかっており、今回もまさに定番。とにかく、応対の鉄則は、

「相手と会話をしてはいけない。」

 相手はプロであり、もともと話が通じるようなまともな人種じゃあない。新聞の勧誘員と同じレベルの人種と考えた方がよい。向こうは、まじめに商品を説明する気などはなく、相手の精神的ストレスを高めるのを第一目標としている。一方的にぺらぺら話しまくり、こちらに「面倒くさいな」と思わせ、「じゃあ、ちょっとだけ話を聞きますよ」と折れるのを待っているのだ。相手の最大目標は「直接会うアポをとる」ことなのである。であるから、とにかく「興味ありません」「いりません」「答える義務はありません」「今後一切、電話してこないでください」だけを繰り返し、プチっと切る。質問にもいっさい回答しない。たとえば「どうしてご興味ないのですか?」とか訊かれたら、「答える義務はありません」と言う。「いつならお時間ありますか」と訊かれても「答える義務はありません」もしくは「永遠に忙しい」という。あとは「是非、一度ご挨拶に伺わせてください」もよくある言葉。これも「いいえ会いたくありません」で答える。とにかく全て「negative」で押し通す。そしてこちらから強制的に切る。ただし、応対はすべて「ですます」で答える。こちらの逆ギレを煽り、被害者面して「謝罪と賠償」を要求してくることもあるからである。ネットで見つけた以下のコピペにも同様のことが書かれている。

③入手した内部資料について元営業マンが語る。
 元営業マン「気の弱い人,電話が切れない人に営業しろと言われている。」
 元営業マン「向こうが罪の意識を感じるように持っていかなければならない。」


 この企業をネットで検索してみうrと、やはりかなりの悪徳勧誘業者として非難を浴びている。この掲示板では、各会社ごとに、かかってきた電話番号(担当者の名前までも!)を公開しあっているので、着信拒否設定に用いることができる。ネットならではの情報源である。

徒然ジンマン

2008-08-20 | Weblog
 仕事がどか雪のように振ってきそうなのだ、何かの間違いだと思いたい。野球の松井の言葉だったと思うが、「習慣を変えれば、人格が変わり、人生が変わる」という格言がある(本当はもっと長いはず)。己の怠惰さを強制するために、一念発起して朝型へと生活を変えてみる。2時間早い通勤はなかなか新鮮だ。とにかく電車が混んでいない。午前中に沢山仕事をすると、一日の充実感が違うようにも思う。もともと朝型のほうなので、これが定着すればいいのだが・・・。

 新譜を購入した。素晴らしい。もういったい何の楽器で弾いてるのかわからなくなる。高音域での歌い上げ方はやはり池松さんならではの熱さだ。ただ、曲がやや(かなり)地味で、ホールでの録音のためか、ピアノとのバランスが悪く、もう少し前に出てくるセッティングにして欲しかった。

 ジンマン・トーンハレの第9を(借りて)聴く。発売した当初は、ベーレンライター版に遵守した決定版として話題になったが(安いという理由もある)、評価は時間とともに名盤から奇盤へと変わった。用いられた奏法は「ベートーヴェンの時代にそった奏法」、つまり古楽奏法なのだが、それがあまりにも即物的で短絡的で意図的で、CG感さえ漂う。譜面や楽器の「歴史」を勉強するのもよろしいが、もう少しベートーヴェンの伝記なり手紙なりゴシップ譚なりを読み、ベートーヴェンを生身の人間として見つめた方がよい。これでは聖書マンセーの「キリスト教原理主義」と同レベルである。これは奇盤などではない、愚盤といえよう。


 最近、プロの音楽家のブログをたくさん見かける。アマチュアでは知りようのない現場の話など色々と興味深いのだが、プロが仲間同士でお互いの演奏会を褒め合う(褒めちぎるというべきか)を読むにつれ、そんなに凄い演奏ばかりなのか?と疑問に思う。はっきりいって、お金を出して聴きにいく演奏会の半分は、「損した」と感じさせられている。もちろん、名演なんてのものは、そう簡単にでるものではなく、色々な条件が重なるのだろうが、こちらが不満な演奏会を、奏者側が自分たちで絶賛していたりすると、不思議な気持ちになる。内輪で褒めあい、内輪で仕事を廻しあう。批評家も、否定的な意見ばかり書くと仕事を回してもらえないので、耳障りのよいことばかり書く。日本の客はおとなしいから尚更そういうことが蔓延するのかしら?演奏家はあくまで料理人であり、美味しいか不味いかを判定するのは客である我々。高額のチケット代をはらったから、何が何でも感動をしなければという義務感に縛られて演奏会を聴いてる人が多いかもしれない。それは逆だと思う。身銭をきったのはこちらなのだから、気にくわなければ、正直に「気にくわない」という態度を示すのも文化を高めるための受け手の義務だと思う。といっても、西洋のようにブーイングしたり野次るほどの度胸はないのだが・・・。(せいぜい、拍手しないか、早期退場程度。)

インタビュー ウィズ バックハウス

2008-08-19 | Weblog
 以前、バックハウス・ベームによるベートーヴェンの4番協奏曲のDVDを購入して、その感想をここでも書いたが、先日図書館で、それと同じ映像を含めたベーム・ウィーン響によるベト7(リハ付き)/グレート/モーツァルト33番のDVD(2枚組)を開架でみつけ借りてきた。バックハウスの部分に関しては、同じ映像だろうと思っていたのだが、なんと演奏の前にバックハウスの自宅(ザルツブルグ)でのインタビューが入っていたのである!話すバックハウスを視るのは初めてだったので驚喜した。
 バックハウスの部屋には2台のピアノ(片方は確実にベーゼンドルファー)が並べられており、調度は古風にまとめられていたが、コーナーにはさらに古い時代のものと思われる大きな聖像が飾られていた。しかし、棚には小さな陶器の楽隊がたくさん並べられていて、この対比が面白い。バックハウスはモーツァルトのソナタを練習しながら登場する。1967年の映像なので、死の2年前、83歳である。背もまがり体も小さく、ピアノを弾いてないときは普通の老人である。音楽家特有のあの嫌なオーラがない。質問に対しては、饒舌ではないが、ゆっくりと誠実に答えている。バックハウスは、4番協奏曲をライプチヒの学生時代だった12歳のときに初めて弾いたそうだ。それ以来のお気に入りの曲で、ツアーで訪れた都市では必ず演奏したという。バックハウスの師匠であるダルベール(リストの高弟の1人)は、この曲を「神のように晴れやかで、かつ男性的な優雅さがある」と評し、「男性的だからこそ、女性が演奏するのは勧められない」と言ったそうだが、バックハウスは「ベートーヴェンは、そういう指示をどこにも書いてないし・・・」と師匠の言をやんわり否定していた。また、リヒターが評した「ギリシャ的旋風曲」という言葉を引用して、2楽章はオルフェウスと冥界王ハーデスの会話であり、妻の開放に対するハーデスの頑強な抵抗を、オルフェウスは自身の響きで解決し、そして3楽章のギリシャの春の明るい風景へと飛び出していくのだと語っている。なんとも詩的な表現だ。フルトヴェングラーもそうだが、やはり19世紀生まれで、欧州的ハイカルチャーを身につけた世代は、骨の髄から総合芸術家だと感じる。

 そして冒頭のピアノソロに関して。バックハウスは理想を追い求めて、毎日かかさず練習を続けたそうだ。そして「時々それに近づけたのではないかと思うことがある」と語っている。さらに「上手に弾く責任がある」とも語っている。「なぜなら、私は年老いていくばかりで、いつか弾けなくなる。だから大勢の人の思い出になるように、コンサートに来た人が「美しい」と言ってくれるように責任を持って演奏しています。」

 現在は、愛やら平和やらと、やたら大きな抽象的なことを口に出したり、自己満足的な解釈を一方通行的に披露したりする音楽家が多いが、「演奏会に来てくれた人の思い出になるように」と演奏している奏者がどのくらいいるのだろうか?

熟年夫婦

2008-08-12 | Weblog
 ツクツクボウシの鳴き声を聴いた。もう夏も後半ってことか。すでに亡くなっている蝉を道路でみかけたりもするのだが、蝉の寿命ってどうやってくるのだろう?たいていの生物は、寿命を迎えるときは、年老いたり消耗しきったりで、ボロボロになっているのだが、蝉は外見からはそれがわからない。体内時計みたいなものがあって、突然スイッチが切れたりするのだろうか?それとも暑さのせい?もしかすると鳴き疲れか?「俺、異性にあまり興味ないから、鳴かずにのんびりと木の汁吸うことにする」とかいう厭世蝉いないのかな?地中で7年(アブラゼミの場合)も生きているので、虫としてはそれほど短命ではないと思うけど、そのあたりの仕組みってどうなっているのかな?地上にでる=死ぬだから、「俺はここでもう少し粘る。」とかいう反抗的な蝉もいたりしないのかな?まあ体が勝手に大人になっちゃうから、外に出て行かざるをえないのだろうけど。

 職場にキジバトのつがいがいる。繁殖期ではないせいか、ベタベタはしていないが、同じ電線にとまったり、草むらでエサを漁っているときも同じ敷地内で行動したりと、その微妙な距離のとり方が熟年夫婦のような感じで妙に微笑ましい。

猛爆

2008-08-11 | Weblog
 家具を抱えて遠征してきました。「端正な演奏を心がけてきたのに本番は爆演」という、前回と同じ結末になりました・・。音程や縦線のふぞろいは本番でいきなり直すことができるものではなく、勢いで激走してしまうのはアマチュアとして、しかたないことだけど、機能的に上手になる余裕はいくらでもあると思う(怒られると突然うまくなるのだし)。前回も感じたけど、本番直前あたりで光が見えだして、「あー、このままもう少し練習したいな」と思ってしまうのはもったいない。個人的には、ホールでのリハが殆どできず、本番舞台にでてみると、手元かさかさ、遠方お風呂場という劣悪な環境で自分がどんな音で貢献しているのかわからないまま終了してしまい残念。二人の猛爆名手に挟まれて闘魂棒を注入されまくったが、その割にあの曲で最後まで音が出せた(音を出している感が持続した)のはまあ進歩したということか・・・(昔は力みすぎで滑っていた)。打ち上げには参加できなかったけど、たくさんの人と知り合いになれたし、話もできたので、いい演奏会でした。

楽器

2008-08-08 | Weblog
熱っいぜ、熱くて死ぬぜ。(わかってくれた人、ありがとう)
書きたいことは沢山思いつくのだが、ひとつだけ短く。

 池松氏新譜発売:「ラフマニノフ・チェロソナタ」。突然の情報に驚喜。この演奏は今年の始めに生で聴きましたが、とにかく昂奮しました。チェロでもなかなかあのようには弾けないと思うほどの完成度と、あふれでる熱量に圧倒されました。公演の際に結構しっかりしたマイクがたっていたので、もしや?とは思っていたのだけど、あの演奏を再度味わえるのは嬉しい限りです。ただ、カップリングに同日に演奏したアルペジョーネをつけて欲しかったな。古典曲と浪漫曲の対比が見事だったのです。
 これだけの名手なのだから、さぞや凄いオールド楽器を使っているのではなかろうか?と思ってしまうが、池松さんがソロで愛用しているのは日本人の新作楽器(日本で唯一のマイスターと言われる人のもの、もう引退されましたが。)。池松さんのこういう感覚が非常に粋で、格好よく、そして惚れさせます。(もちろん楽器の性能がよいから使っているのだろうけど)どんなオールド名器にも、新作・出来たての時代があったわけで、新作=ゴミ、オールド=神という短絡的な思考はいただけない。オールドな楽器や弓を集めるコレクターというものが世にいるけど、名器はこの世に数少ないのだから、できるだけ演奏家、それも名手の手元に名器はあってほしいものだと思う。科学の話だけど、「卒業論文の分厚さと、その内容は反比例する」という法則を思い出した。私の先生の格言「下手ほど道具にうるさい」。

 話はアマチュアのレベルにおちるけど、私の楽器はもともと参加していた団の所有楽器で、10年くらい腐れ縁で使っていたのだが、かなりなじんでいたので、休団の際に買い取って自分のものにしました。(まるで、お女郎屋の身請け話みたいだね。)楽器そのものは、どこでも手にはいるドイツの量産楽器なのだけど、周りの人もよく聞こえると褒めてくれるし、自分で弾いていても気持ちいいので、心から愛して気に入っている。そりゃお金を積めばもっと性能のよい楽器は山ほどあるのだけど、資金もないし、そもそも買い換える気がさらさらない。このままきちんと使い続ければ、木も乾いてもっともっと鳴って、性能もあがっていくだろうし、「使い込む」感覚というのを大事にしたい。人生をひとつの楽器とともに歩んでいくのもいいのではないだろうか。

親切

2008-08-06 | Weblog
 大学時代、打楽器のトレーナーで着てくださっていた先生の書かれたエッセイ集を読んだ。先生は桐朋の一期生で、卒業後にウィーン音大で学び、そのままウィーン放送響で職を得て、帰国するまで30年近く現地で活躍された凄い人。男勝りの気っ風のよいしゃべり口調が、本のなかでも再現されていて、会話ではいったいどっちが男でどっちが先生なのかわからなくなることが多々あった。そんな先生でも、留学当初はアジア人ということで差別をされ、そのためドイツ語を必死で勉強したりと色々と苦労したそうだ。先生の師匠はウィーンフィルの首席奏者だったそうだが、その師匠は「叩くのではなく演奏しろ」と繰り返しいっていたという。なんとも含蓄にとんだ哲学的な言葉だと思う。驚きの逸話は、ウィーンフィルを振りに来た晩年のクレンペラーのもとで短期間ではあるが写譜(クレンペラーの作曲した作品の清書)のアルバイトをしたということ。クレンペラーは伝えられているとおり偏屈で風変わりな老人だったようだが、素朴な温かさに溢れており、先生とのコミカルな会話が非常に笑えた。クレンペラーは先生に「できるだけ多くの親切な人に出会え」と強調したらしい。これって良い人生かそうでないかの分かれ道みたいなところだよなあ・・・。

空飛ぶ円盤:インディ・ジョーンズ

2008-08-05 | Weblog
 非常に興味深い本を入手して今夢中に読んでいるので、そちらの感想をかけばいいのだが、まあそれは後日にまわして悪口のほうを書いておこう。親戚のおつきあいでインディ・ジョーンズを見てきたわけである。いわゆる引率者というやつである。まあ宇宙人オチだったわけなのだが、それは最後のどんでん返しだけかと思いきや、冒頭から宇宙人の遺体を争奪しあったりで、Xファイル全開なのである。もうひたすら非現実的な路線をつっぱしるわけで、まったく緊張感のないアクションをだらだら見せ続けられる2時間であった。主人公の無敵度合いも今回は桁外れで、もちろん銃弾なんて一発もかすりもしないし、ナイアガラみたいな滝から3回落ちても怪我ひとつしないし(普通は即死)、ソビエト軍人をたこ殴りしまくりで、皇帝ヒョードルも真っ青の強さである。ひどいのは、原爆実験を冷蔵庫に隠れてしのいでおり、日本人としては正直笑えない。最後は、宇宙人が登場して、UFOが飛び立って、それを見送るインディ家族という構図である。なんなんですか?前作もそうだったけど、敵とのドンパチさえ派手にやれば、最後は付け足しですか?ジョージルーカス(KY)が元凶なのか、スピルバーグがもう限界なのか。正直、「ナショナル・トレジャー」のほうが面白かったかもしれない。今年のラジー賞獲得は確実だろう。