以前、バックハウス・ベームによるベートーヴェンの4番協奏曲の
DVDを購入して、その感想をここでも書いたが、先日図書館で、それと同じ映像を含めたベーム・ウィーン響によるベト7(リハ付き)/グレート/モーツァルト33番の
DVD(2枚組)を開架でみつけ借りてきた。バックハウスの部分に関しては、同じ映像だろうと思っていたのだが、なんと演奏の前にバックハウスの自宅(ザルツブルグ)でのインタビューが入っていたのである!話すバックハウスを視るのは初めてだったので驚喜した。
バックハウスの部屋には2台のピアノ(片方は確実にベーゼンドルファー)が並べられており、調度は古風にまとめられていたが、コーナーにはさらに古い時代のものと思われる大きな聖像が飾られていた。しかし、棚には小さな陶器の楽隊がたくさん並べられていて、この対比が面白い。バックハウスはモーツァルトのソナタを練習しながら登場する。1967年の映像なので、死の2年前、83歳である。背もまがり体も小さく、ピアノを弾いてないときは普通の老人である。音楽家特有のあの嫌なオーラがない。質問に対しては、饒舌ではないが、ゆっくりと誠実に答えている。バックハウスは、4番協奏曲をライプチヒの学生時代だった12歳のときに初めて弾いたそうだ。それ以来のお気に入りの曲で、ツアーで訪れた都市では必ず演奏したという。バックハウスの師匠であるダルベール(リストの高弟の1人)は、この曲を「神のように晴れやかで、かつ男性的な優雅さがある」と評し、「男性的だからこそ、女性が演奏するのは勧められない」と言ったそうだが、バックハウスは「ベートーヴェンは、そういう指示をどこにも書いてないし・・・」と師匠の言をやんわり否定していた。また、リヒターが評した「ギリシャ的旋風曲」という言葉を引用して、2楽章はオルフェウスと冥界王ハーデスの会話であり、妻の開放に対するハーデスの頑強な抵抗を、オルフェウスは自身の響きで解決し、そして3楽章のギリシャの春の明るい風景へと飛び出していくのだと語っている。なんとも詩的な表現だ。フルトヴェングラーもそうだが、やはり19世紀生まれで、欧州的ハイカルチャーを身につけた世代は、骨の髄から総合芸術家だと感じる。
そして冒頭のピアノソロに関して。バックハウスは理想を追い求めて、毎日かかさず練習を続けたそうだ。そして「時々それに近づけたのではないかと思うことがある」と語っている。さらに「上手に弾く責任がある」とも語っている。「なぜなら、私は年老いていくばかりで、いつか弾けなくなる。だから大勢の人の思い出になるように、コンサートに来た人が「美しい」と言ってくれるように責任を持って演奏しています。」
現在は、愛やら平和やらと、やたら大きな抽象的なことを口に出したり、自己満足的な解釈を一方通行的に披露したりする音楽家が多いが、「演奏会に来てくれた人の思い出になるように」と演奏している奏者がどのくらいいるのだろうか?