Wilhelm-Wilhelm Mk2

B級SFからクラシック音楽まで何でもあり

外来語

2019-02-25 | Weblog
久々に徒然2題

・トルストイ:晩年の作品を読む。「ろうそく」「二老人」「愛のあるところに神あり」など。原作は民俗話だが文豪の手を通して素晴らしい文学作品になっている。トルストイは晩年、原始的なキリスト教の教えに回帰したようで、非暴力による博愛がテーマとなっている。トルストイの妻と言えば悪妻で知られており、世界三大悪妻の一人に数え上げられている(他の2人はソクラテスとモーツァルト)トルストイはこの悪妻から逃げ出し冬のロシアを彷徨った上で肺炎のため駅舎で死亡している。80歳を超えた主人が逃げ出すほどの悪妻でどんな人かと思うが、晩年のトルストイは厭世的となり、資産を手放して外部での慈善活動ばかりで家庭を顧みなかったらしい。言い方を変えればカルトに入信して家庭を捨てたようなもので、責められるべきは妻ではなくトルストイの方かもしれない。世界に博愛や愛の重要性を説いておきながら、家庭という自分の持ち場でそれを発揮できなかったのは皮肉なことだ。

・原語の発音:日本人は語学勉強に無駄が多い。そろそろ通用しない発音で外来語を覚えさせるのはやめにしたほうがいいのではないか?(変わりつつはあるが)。りんごはアップルではなく最低でもアポーで覚えるべき。言語学者には「外来語も今は立派な日本語となっている!」なぞと主張する輩がいるのかもしれないが、外来語が流入してきたのは明治維新の150年前なので、今からでも十分に修正できると思うぞ。では何語で覚えるべきかと言えば、当然「米語」である。現在の世界はアメリカを中心としたグローバル社会なのだから、米語の発音を写し取るべき。だって「コーヒー」さえアメリカでは通じないのだから(コーヒーはオランダ語)。高校と大学で必死に覚えた化学や生化学用語も何一つアメリカでは使えなかった。「アルコール(アルコホール)」も「エーテル(イーサー)」も「リゾチーム(ライソザイム)」も全く通用しなかった。そうそう、音名もハ長調とかイ短調とかもうやめて、C majorかC-durで最初から勉強すればいいのではないだろうか?(音楽はドイツ語でもいいかも)

翻訳の大事さ

2019-02-18 | Weblog
フルトヴェングラーの有名な著作に「音と言葉」がある。新潮から古い訳書が出ており、私も長らくそれを読んでいた。最近、作曲家中村洋子氏のサイトで、新潮の訳には意訳誤訳があまたあり、フルトヴェングラーの意を正確に伝えてないと指摘しているのを発見した。
 新潮の訳者は芳賀檀(はがまゆみ)という戦中戦後のドイツ文学の権威者なのだが、音楽の専門家では全くなく、wikiを見ると人としてもなかなか問題がある方のようである。新潮の訳は正直いって読みにくい。何を言っているのかわからない支離滅裂な文が至るところにある。しかしそれはフルヴェンの哲学的思考の所以であり、それを理解できないのは自分の芸術への造詣が浅いことが原因と思っていた。しかし、実際のところフルトヴェングラーは簡潔に意見を述べていたのだ。偶像化して歪められた訳文を崇めていたとは・・・恥ずべきことだ。思うにこのような例は他にもたくさんある。カラマーゾフの新訳や村上春樹の訳が評価を受けているのもそのためだろう。古き悪訳に修正を加えず世間に垂れ流し続ける出版社は猛省すべきだ。伝わらない訳など著者に対しては罪であり、読者に対しては害悪でしかない。原文を読むのが一番だろうが、それは私も含めほとんどの人にはできない。「音と言葉」は中村さんに是非全訳して頂きたいところだが、白水社から別訳が出ているらしい。まずはそちらを読んでみることにしようと思う。

文人

2019-02-16 | Weblog
隠者、隠棲、隠逸という言葉をよく検索します。子供の頃から隠居するのが夢でした。その流れで最近「文人」という言葉に出会いました。単純に文化系の人のことと思うでしょうが、正確ではありません。文人とは中国における文化人の1形態であり、時代と共にその活動も変化するのですが、基本は「書斎の人」「学問を修め、文章を良くする人」だそうです。さらには、多芸多趣味・アマチュアリズム・反俗性・孤高性・養生・隠逸志向も挙げられるとか。いいですね。私も文人の端くれになりたい。