Wilhelm-Wilhelm Mk2

B級SFからクラシック音楽まで何でもあり

バイロイト偽装(最終回)

2007-12-30 | Weblog
 聴きましたOrfeo社のバイエルン放送音源・バイロイト第9。冒頭はなんだか音がぶれて聞こえ、まとまりのない録音だと思っていたのだが、だんだんとクリアさが増してきて、2楽章ではEMI盤と全く違う前倒し感で推進します。3楽章の最後はEMI盤とおなじようですね。この楽章のフィナーレは感動的です。4楽章、主題の変奏が異様に熱い。これには鳥肌がたちました。コーダのプレストの駆け足はフルヴェンにしては遅いほうだけど、EMI盤よりは突っ走ってます。他の年代のライブ感に非常に近いですね。全体を通して弦楽器の音のかませかたが何とも力強い。なんというか、本番舞台だからこその燃焼というものを感じます。録音は、EMI盤がこもってまろやかな感じなのに対して、バイエルン盤は音がくっきりとして、立ち上がりが良く奥行きを感じる残響感があります。このあたりはリマスタリングによるところも大きいので、実際のところ何ともいえませんが。ただ、ヘッドフォンでよく聴くと、バイエルン盤はノイズが入ったり入らなかったりするところが明確に区別できて、もしかするとこれもつないでるのか?とか思ってしまいました。
 いずれにせよ、自分としては、今回のバイエルン放送音源のほうがEMI盤より感動しました。今後はこちらをよく聴くと思います。これまでもやもやしてきたことが、少しだけ晴れました。私はバイエルン盤が本番だと思います。

バイロイト偽装(2)

2007-12-27 | Weblog
 バイエルン盤はまだ届かないので、とりあえず、手持ちのEMIバイロイト盤、1942ベルリンライブ盤を聴き比べてみた。デフォルメのパターンはよく似ているが、彫りの深さは圧倒的にベルリン盤である。加速の突き抜け方や弦楽器が高音にあてにいくときの思い切りのよさ等、圧倒的にベルリン版のほうがフルヴェン・ライブ的なハイテンションに溢れている。続いて1953/5/30のウィーンフィルとのライブも聴いてみた(協会盤)。この録音の数ヶ月前の演奏会の際に、フルトヴェングラーは3楽章の途中で衰弱に襲われ演奏会を休止させてしまった。本録音の演奏会はそのやり直しの公演である。そのせいか、全体に力が入りまくっている。4楽章のコーダの疾走ぶりは狂気の沙汰だ。打楽器とピッコロぐらいしか生き残らない。打ちのめされた聴衆の無言の間。拍手が始まるまで3秒はかかる。
 これらに比べると、バイロイト盤は「普通」なのである。名演奏であることは間違いないのだが、フルトヴェングラーらしさが薄く、安全運転に感じてしまう。(その平凡さが受け入れやすさなのかもしれないが。)初めてEMIの録音を聴いたとき、数々の煽り文句ほどには感動を覚えなかったのを記憶している、あれは中学時代の後半だったか。その後も何度も聴いてきたが、一定の感動はありつつも、他のフルトヴェングラーの録音に感ずるような脳みそが裏返って目が泳ぐような感覚は得られていない。
 フルトヴェングラーの著作にもあるように、フルトヴェングラーは聴衆と奏者の双方による相乗効果で音楽が成立すると考えていた。だから、フルトヴェングラーは奏者だけで行われるスタジオ録音に対し、生涯に渡って否定的な態度を示している。もし従来のEMI盤の音源がリハーサルだとしたら、それはフルトヴェングラーが目指した音楽とは相容れない音楽である。リハーサルはあくまでリハーサルであり、本番はそれとは全く別物であることは、舞台に立つ経験のある人ならわかると思う。フルトヴェングラーは、リハーサルが録音されていて、後世で市販化されるなぞ考えもしなかったことであろう。さらに、都合のよいところを貼り合わせて、最後に拍手を挿入して疑似ライブにするなどという行為には、あの世で激怒しているに違いない。実際にフルトヴェングラーは生前中にバイロイト盤の発売を許可せず、EMIが市販化したのはフルヴェンの没後のことである。これが翌年の1955年と随分に素早い。準備は裏で進んでいたのかもしれない。死人に口なしということなのか。

バイロイト偽装(1)

2007-12-26 | Weblog
今年は象徴する漢字に「偽」が選ばれるほど様々な偽装に涌いた年だったが、、フルヴェン業界にもとんでもない「偽装」疑惑が発覚した年だった。これまで「最高の第9」として神格化されていた、1951/7/29のバイロイトにおける第9ライブが、どうやらリハーサル録音を多用して製作された偽物であることが判明したのだ。これまで、バイロイト再開という歴史的意義に絡めたフルヴェン入魂のライブとして、数え切れないヴァージョンのCDが市販化されてきたが、その精神的支柱が折られる結果となったわけだ。どうして明るみに出たかというと、なんとバイエルン放送局が当日のライブ録音を保管していて、それをフルトヴェングラーセンター(日本協会からの分派)がCD化して会員向けに頒布してしまったことによる。あちこちのフルヴェンサイトはこの話で持ちきりであり、秒単位レベルで違いを検証したりしている恐るべきファンサイトもある。結論からして、EMIの録音とバイエルン放送局の録音は別物(同じ所も少しある)ということらしい。そして、先週ついにORFEOから市販品が発売された。フルヴェン歴20年の自分としても、未聴の第9は是非聴いてみたいところであるので、現在注文中である。(到着は2日後)。本サイトの年末を飾るお題として調度よいので、じわじわとバイロイト盤について思うところを書いてみようと思う。
ちなみに、私はバイロイト第9は、フルヴェンの演奏にしては凡演だと思い続けてきた。周囲のクラシックファンは大抵同意見なのだが・・・どうして、こうも神格化されてきたのか?その辺りのいきさつや、マーケティング、評論家のあり方なども書いてみたい。

精神崩壊曲カールマイヤー

2007-12-26 | Weblog
「暗い日曜日」に続き、精神崩壊曲「カールマイヤー」というのも聴きました。作者は不明ということで、ナチスがユダヤ人の精神崩壊のために創ったとか、その逆とか、ある曲の逆回転だとか色々な説が飛び交っています。(実は作曲者のHPがあります)「暗い日曜日」がきちんとした曲(かなり美しい)のに対し、カールマイヤーは奇声の集合という感じですか。全編にわたりマントラのような呪文をバックに女性のけらけら笑いと絶叫が入っています。こういうのに弱い人は冒頭から聞くに堪えないでしょう。中間部でちょっと女性の声のハーモニーらしいものがあるのですが、それが不協和音に崩壊した途端にデスメタルのような爆音が轟きわたります(これが吃驚する)。女性のような声が本当の声なのか、テープを早回ししてサンプリングした人工音なのかわかりませんが、息継ぎみたいなものを聴けるので、本当の生声なのかもしれません。高性能ヘッドホーンで大音量にして聴くと結構刺激的です。
聴きたい人はここで聴けます。

第9

2007-12-25 | Weblog
 I氏(検索回避のため伏せ字)の演奏を観たいというだけでチケットを取って聴いてきた。退団した人がトラで出る際は、どの位置で弾くのかな・・・とか色々なことに興味があったのだが、3表で弾いていた。N響バスはダイヤモンド編隊が普通なので、3表はその中央に位置することになる。身長と巨大楽器のせいで、どうみても司令塔だった。演奏は・・・圧倒的である・・・。観ているだけでリズムやフレーズ感が伝わる華麗な弓捌きに、精密機械のようにかくかく動き廻る左手、体全体をつかったアクション・・・。80分間釘付けであった。上手い人は全てが上手く、そして美しい。先日のソロ演奏会に続き、感動しぱなしである。
 全体の演奏は、どうでもいいぐらいにつまらない演奏だった。バリトンの音程が首をすくめたくなるくらいに高かったのが印象的。オーボエがソロを何度もとちったが、N響の普通の姿なので特段に驚かず。お客さんにはクラシックをあまり聴いたことがない人が多かったようで、楽章間だけでなく、音楽の切れ目のたびに拍手をしている人もいた。一度フライングしたら次ぎからは用心するというのが普通だが、あれだけ続けてやると言うことは、精神がおかしい人だったのだろう。

クリスマスイブでも悲惨な事件は起きます。キリストさんは説明をお願いします。

2007-12-25 | Weblog
キリストさんが天から世界を見ているのなら、こんな悲惨な事故を自分の誕生日には起こさないでください。お願いしますよ、万物の神なら。罪のない人の命を奪わないでください。罪を犯した人の命をまっさきに奪ってください。
「地球の皆さん、目を覚ましてください!」小川直也

 クリスマス!とかいって、騒いでいる人間(日本人だけでない)は、正直なところ「アホ」だと思います。電飾つけて蝋燭つけて、何とかセックスしてそれだけという感じです。クリスマスそのものについて、キリスト教圏の人間はアホだということです。それに踊らされている有色人種もアホです。日本人はかなりアホです。神を信じているのなら、原爆落として20万人もの人を一瞬に虐殺したり、枯葉剤森林に撒いたりしたころを思いだしてください。奴隷制度をつくって世界の民族を滅茶苦茶にかき回したことを真摯に思い出してください。他の民族を迫害して、釘切りしたり、人間の皮をはいで見せ物にしたことを恥じてください。日本にキリスト教を布教した裏側で、武器商人や奴隷商人を送り込んだ背景を、ローマ教会はもっと明らかにしてs謝罪してください。豊臣政権時代に、バテレンの手引きで日本人奴隷が多く輸出されたことを日本の教科書は明記すべきです(知らないでしょ、普通の人は)。これと同じく、宣教といいつつ他国を「征服」したことを恥て下さい。そのくせ、言葉も通じない鯨やイルカを、友達とかいわないでください。野牛や野鳥を絶滅するまで捕獲したくせに、環境問題で大きな顔をしないでください。料理が下手で舌の感覚も無いのに、適当に動物を殺さないんでください。醜く太ってからダイエットに励むのなら、その前に動物の肉やチーズを食べないでください。

ソーカ学会は宇宙から消えてください。

選挙は民意を反映なんかしない

2007-12-23 | Weblog
選挙で選んだ代議士が決めたことは、国民の多数意見である。

誰もそんなこと信じてもないし、感じてもない。

政党が何をするかしないかなんて、今の政治は複雑すぎて国民には短時間で判定不能。最新の機械のマニュアルがややこしすぎて、読む気がしないのと一緒である。だからこそ、国民の空気を直接読める為政者が望まれるのだが・・・福田さん、かなり読めない。予想はしていたが、温室育ちレベルは安倍さん以上かもしれない。この総理、春先まで持たない予感。すでに支持率は安倍さんの末期にせまりつつある。小さなことではあるが、先日の銃乱射に対しても、国民の感情を優先するなら「許せん、厳しく規制すべし!」と断固とした口調で第一声をあげるべきなのに、ふにゃふにゃな対応で「日本の規制は世界一なのに・・・」とか言っちゃって、あーあという感じだ。国民を守るのが最高の至上命令なのだから、国民のボスたる総理は、真っ先に憤って切れないと。そして今日の北朝鮮軽水炉の借金の肩代わりで、もう崖っぷちだな。総理の決断というよりは外務省の決断なんだろうが、朝鮮銀行の件でいい加減にしろと思っていたのに、この情勢で何やってんだか。拉致問題も解決してないし、北部朝鮮は事実上の敵対国なんですが?その国のために、年間国民一人あたり500円の税金を投入しろと?肩代わりって返済する国ではなかろうに。

というわけで、共産主義に続き、民主主義も失敗して、いずれ世界の政治形態は「絶対王政」に戻っていくと思う。ファシズムで一度転覆してしまうのもいいかもしれない。

最近読んだもの聴いたもの

2007-12-18 | Weblog
夢野久作:少女地獄
題名だけ見ると、どこの変態小説かと思うが、まったくそういう本では無い。女性のもつ理知的には説明つかない洞穴のように奥深い恐ろしさを題材にした短編集。最近映画化された話もあるが、冒頭の「虚言癖」をもつ少女の話が一番面白かった。何かの目的のために嘘をつくのでなく、人生がつまらないから嘘をついて刺激をつくるという少女の話。昨日全集(7巻)が届いた。

澁澤龍彦:秘密結社の手帳
どうしてこの人はこんなに博学で、そしてこうも読ませるのか?

メンゲルベルク指揮「悲愴」(ナクソス)
どぎもを抜かれる改造演奏。インテンポなんてものは全く存在しない。なのに感動する!これだけ感動させてくれるのだから、これは価値ある演奏だ。戦前は、こういったデフォルメのきつい演奏が主流だった。その中でフルトヴェングラーは非常にまともなのだと思った。実はメンゲルの第九も凄いことで有名。

ハイフエッツのクロイツェル・ソナタ(ナクソス)
初めて聴いた演奏がこれだったので、今でもデフォルトです。やっと手に入れた。これに慣れてしまうと他の演奏はスローすぎて聴けない。実は伴奏のモイセイビッチも凄い演奏をしている。ピアノを弾く人しか知らないかもしれないけど、超絶技巧と詩情を併せ持った凄いピアニスト。

ヴェルヌ:カルパチアの城
ヴェルヌには珍しい怪奇小説。廃刊なので競売で買った。この中の一部は種村氏の編集した吸血鬼小説集に入っていた。過去にそれを読んで以来、是非通して読みたかった本。目下精読中(本日中に読了予定)。ヴェルヌらしい歴史や地理に対する詳細な記述が浪漫を掻き立てます。トランシルヴァニアは是非訪れてみたい土地。

ワルター:主題と変奏
ワルターの自伝小説。分厚く文字量も半端じゃないが、ぱらぱらめくると、古の名演奏家がたくさん登場してくる。読み通す時間はあるのかな・・・。たまに買い集めている大音楽家の伝奇小説の1つ。これまで読んだ中では、フルヴェン以外では、クナッパーツブッシュの伝記が非常に面白かった。
 

合奏

2007-12-18 | Weblog
 来年初頭の本番へ向けて、合奏練習が開始された。土曜日は賛助として参加する小編成の楽団、日曜日は所属している大編成楽団で練習した。どちらも初期の練習とは思えない上手さで感銘を受けた(全体の演奏にではなく個人的なもの。社会人なのによく弾くよなあといった感動)。賛助出演の方では、久しぶりに同門でない人(年齢的には一回りくらい上の人)と一緒に弾かせてもらったのだが、素晴らしい名手だったので合わせていて楽しかったし勉強になった。ここ数年、賛助依頼は殆ど断ってきた。というのも、楽器の特性からか、音楽的に弾かないことをよしとしている奏者が巷には結構いて、そういう人に出くわすとストレスになるからだ(人のことは言えないが)。これは、メロディーを担当することがない楽器特有の弊害だと思うのだが、腕の善し悪し以前に、綺麗に弾こうという意識が無い限り、良い合奏にならないと思う。あとは人間関係というか、結局合奏するのは人間同士なわけで、出来る限り友人や信頼できる人同士だけで演奏したい。無関心や敵意が媒介するときは良い演奏なんて出来るわけないし。さらには同じようなバックグラウンドを共有しているほうが、言いたいことも気持ちも伝わって有意義な時間が過ごせると思う。(折角の週末なのに、理解不能な人とつきあって疲れたく無いし。)
 それにしてもやはり低音の響きはたまらない。うまく音程が揃って艶のある音が出せたときは、芳香が匂い立つ果実味豊かで濃厚なフルボディの赤ワインを飲んだ時の快感に近いものがある。(意味不明だけどそんな感じ)

こんにちわ

2007-12-14 | Weblog
最近の日本で売れてる小説や映画は、難病とか死別とかを扱ったものばかりな気がする。確かにそういう内容は涙を誘うし感動を呼ぶのかもしれないけど、料理に味の素を大量に入れて美味しいといわせているだけのように思う。

先日あるメールで「こんにちわ」という挨拶を見た。面識の無い人から複数宛へのメールだったが、最初に思い浮かんだのが「のび太」だった。ドラえもんの初期の話の中で、のび太がジャイアンの歌を聴きたくないために、ドラえもんに音のない世界というものを創ってもらうという話がある。会話はすべて筆談になるのだが、先生への挨拶でのび太は「こんにちわ」と書いてしまい、その場で添削されて0点をもらってしまうのだ。(実際は、「今目わ」だったと思う。今も書き間違えていた。)つまり、この話が書かれた時代(30年前)は、「こんにちわ」はのび太級の恥ずかしい間違いだったのだ。しかし現在、周囲の若者に質問してみると、驚いたことにほぼ全員が「こんにちわ」と回答した。言語というものは、時代にそって変化していくものだし、現実問題「こんにちわ」でも困るわけではないので、それでもいいのかもしれない。しかし、伝承されるべきものが伝承されていない事態に、先日も話したが日本の教育というものがまともに機能してないことを痛感した。

完売でも

2007-12-13 | Weblog
サントリーでの公演。チケットは完売だったので競売で競り落とした(定価)。席は最安の人民席。下野氏のN響定期初登場に加え、Rainer Küchl氏が協奏曲を弾くという興味深い公演であった。プログラムは、前プロとメイン(最後)にフンパーデインク「ヘンゼルとグレーテル」からの序曲と抜粋曲、他にプフィッツナーのVn協奏曲、シュトラウスの「死と変容」という構成であった。下野氏の指揮はもう何度もお目にかかっているが、本日も的確な棒捌きと合図が音楽と見事にシンクロしていて爽快であった。ただ、出てくる音にぐっとくるものがあるかというと、それほどでもなく、普通に良い仕事をする指揮者という感じだ。まあ、ぐっとくる演奏をする指揮者なんてなかなかお目にかかれないのだが・・・。
 プフィッツナーの協奏曲は初めて聴いたのだが、全体としてまとまりにかける正直つまらない曲だった。(フルヴェンの指揮した交響曲は聴いたことがある。結構悪くない)Küchl氏の演奏は、音程が曖昧な箇所が多く、早弾きの箇所になると、随分と崩れていたように聞こえた。曲そのもののつまらさとの相乗効果で楽しむことはできなかった。背筋が伸びて綺麗だなあとか、年明け早々また日本で演奏会あるのに、何度も往復して大変だなあとか、もしかすると日本で年越ししたりするのか?とか音楽と違うことをぼんやりと考えながら聴いていた。オケコンマスのソリストとしての力量というものは、どの程度が妥当なのか知らないが、CDで聴いた故Gerhart Hetzel氏のバルトークは鳥肌ものの凄演だった。まあKüchl氏の演奏は、これまでにも室内楽などで沢山聴いてきており、今回の出来は想定の範囲内であったので特段に驚かず。アンコールはバッハの無伴奏。このほうが聞けたけど、同じくアンコールでバッハを演奏した先日のFrank Peter Zimmermannは上手かったなあとか別の感動に浸ってた・・・。後半の「死と変容」は凡庸な演奏だった。カラヤンDVDのライブ演奏に慣れてしまっていると、もう何を聞いてもこの曲は感動しないかも。冒頭のオーボエのソロがいつものごとくペラペラでがっかり。そろそろ何とかして欲しい。コンマスはブタペスト祝祭管のコンマスがゲストで弾いており、ソロが綺麗で良かった。弓捌きも格好よく、リードも良いように見えたのだが、後ろのtutti陣がこれまたいつものごとくやる気が感じられない。あれではまるで地蔵だ。いつも以上に若い奏者が多かったような気がするが、エキストラが沢山いるのか?一番大事なサントリーでの定期演奏会なのだから、一プルトはダブルキャスト、フォアシュピーラーも全員参加で気合い入れてやって欲しい。音楽監督が振るときはダブルキャストと決まっていたはずだが、監督を置かないことにした今ではそういうことはもう無いのか?メロディを司る楽器の1stVnとObがへたれでは、どうしようもない。チケットは完売の割に、空席が目立った。全体で7割くらいの入りだったか。N響も海外オケのように、チケットの払い戻しシステムを導入してほしい。空席の殆どは定期会員のものだろうが、来られなくなった会員のチケットを半額ほどで引き取り、当日券で売れば客席はもっと埋まって収入も増えると思う。逆に収入減になるという可能性もあるが、料金を頂いたら後は関知しないという態度は文化事業としてどうかと思う。特にN響は資金のバックアップが大きいのだから試して欲しいものだ。
今年最後のサントリー参りだったので、帰りに見つけた近くの小さな欧風料理店に入り、ワインとジビエを楽しんで帰りました。

カモ・アヒル・ガン・ガチョウ

2007-12-12 | Weblog
明確に区別ができないので、勉強しました。鳥の知識は皆無に近いです。ちなみに鴨肉は好物です。(深夜にこんなことやってるなんて)

カモ亜科
マガモ(真鴨):繁殖期の雄は頭が緑色、嘴は周年で黄色。雌は褐色
アヒル(家鴨):マガモを家禽化したもの。普通は白色、アオクビはマガモの形質が出ているもの。カモより大きく、飛べない。北京ダック
アイガモ(合鴨):マガモとアヒルの雑種。マガモより脂身多く、大抵の鴨肉はアイガモ。合鴨農法
カルガモ(軽鴨):雌雄ともに灰褐色、嘴の先が黄色。皇居。
オナガガモ:雄は長い尾羽.。雌はまだら。どこにでも大量にいる。

ガン亜科
がん・かり(雁):野生。灰色ー褐色。カモより大きいが白鳥より小さい。
ガチョウ(鵞鳥):雁を家禽化したもの。白色、飛べない。「ニルス」のモルテン。フォアグラ。

ムートン

2007-12-11 | Weblog
帰宅途中にぶらりとワインショップに寄ったのだが、Chムートンの2005が出ていた。ムートンのエチケットは独特で、毎年画家を変えてデザインされる。2005にはGiuseppe Penoneという彫刻家の作品が用いられていた。自然の材料を使用した作風で有名なフランスの教授らしく、葡萄の絞り汁による人の手形を用いたデザインが飾られている。(ちなみに2004はチャールズ皇太子の水彩画だった。)それにしても、値段が95,000円!2000年以来の大当たり年だったという2005年は、やはり売り出しの段階から別格だ。飲み頃には一体いくらの値がつくのか・・・。私のような庶民には、たとえ一桁下がったとしても普通には買うことができない。人生が終わるまでに、5大シャトーを一通り飲みたいと願っているのだが、まだ一口も舐めていない・・・。というわけで、庶民は庶民らしく分相応のものを買って帰りました。ボルドー・サンテステフ産の2005です。寝かしておく場所もないので、週内に消費してしまうでしょう・・・。

ドグマグ

2007-12-10 | Weblog

夢野久作「ドグラマグラ」:日本三大奇書の1つといわれ、読み通したものは発狂するといわれる本。・・・・発狂はしなかった。もうすでに狂ってるから免疫なのかしら?でも、この売り文句は納得させられます。精神病棟で目覚めた主人公は一体誰なのか?書かれている内容のどの話が現実でどれが白昼夢なのか?登場人物の誰が真実を語っているのか?作者の夢野久作はこの作品の構想に10年も費やし、完成後急死しました。それだけに作者の全ての試みと思想が塗り込められています。先日読んだ三大奇書の1つである小栗虫太郎の「黒死館殺人事件」は、作者の膨大な(意味不明の)知識量に圧倒されはするものの、探偵小説としては見るべきところが少なかった。しかし、このドグラマグラは、小説として完全無欠なまでの完成度を誇っています。そう、この本は「完璧」なのです。話に出口が無い。初めと終わりの「ブーン」で永遠に回帰しつづける話になっています。読み通すのが大変だという書評をよくみるけど、前半の「キチガイ地獄外道祭文」の辺りが最大の難関だと思います。精神科教授が書いた精神病院での患者の悲哀を歌ったスチャラカ音頭なのですが、そのあまりにの電波さに読み抜けるのに苦労します。(実はここは殆どストーリーには関わらないのだけど)しかし、その後は大学内の政争や、中国の伝説、日本の剣戟、オカルト話がどんどんと畳みかけてくるので飽きさせません。恐るべき量の伏線の編み目に絡め取られて、頭の整理がつかなくなったところで、最後の最後に種明かし的な話が挿入されるのですが、伏線を事前に読み砕いていないと、何が何だかわからないうちに「お父さーん、お母さーん!」となり、「お兄様ー!」が始まって、「ブーーーン・・・・」となって終わってしまいます。恐るべき本です。文庫の表紙絵も凄いことになっています。
今はもう1冊、同作者の作品で簡単に手に入る文庫「少女地獄」に取り組んでいます。標題の話はまだ読んでないけど、併録されている「女坑主」などを読みました。大正ー昭和初期の頽廃にして耽美な世界に没入させられます。他の作品も面白そうなので、夢野久作全集(40年前のもの)を古本屋で注文してしまいました。当分の間楽しめそうです。