Wilhelm-Wilhelm Mk2

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ラウンダーズ

2017-05-17 | Weblog
最近「ラウンダーズ」という映画を見た。もちろんレンタルで。20年ほど前の映画(今でも続編の有無がささやかれている)
おおざっぱに言えばポーカー賭博師の話なのだが、ポーカーは戦術も対人観察も含めて大変高度なゲームで世界選手権もあるくらい。主人公(マット・デイモン)は法学部の学生だが、ポーカーに稀有な才能をもっており世界選手権に出ることを夢をみているが、大学や彼女のことで踏み切れないままでいる。しかし、出所してきた悪友の勧誘とその後始末をすることでポーカープレーヤーとしての自分の道を模索していく・・・という話。中盤に主人公の指導教授が、主人公の才能に気づいて人生について遠回しながら示唆を与えるシーンがある(下の映像)。教授自身はユダヤ教の厳格な家庭に生まれ、家族からはラビ(聖職者)につくことを渇望されていたが、若くしてユダヤ教の限界(神の存在への疑問)に気づいてしまい、家族の希望を却下して法学へと転出した。家族はいまだに許してくれていないが、自分の人生の選択に間違いはなかったと主人公に伝えるのだ(人には人それぞれに道があり、それを自分で探して自分で進めということ)。この教授を演じたのは、マーティン・ランドー。デビューがヒッチコックの「北北西」で、最後に崖から落ちてしまう悪役であったが、その後に「スパイ大作戦」でブレークし、年を重ねるごとに演技に磨きをかけ、ついにはアカデミー助演賞を獲得している(「エドウッド」のべラ・ルゴシ役)。彼がラウンダーズに出ていることは知らなかったので、教授として登場したときは声をあげてしまった。エドウッドの時も大変感動したのだが、彼は演技だけでなく、人間としての深さを感じさせてくれる数少ない俳優である。映画の後半に、主人公が困り果てて金の無心にくるのだが、ランドー演じる教授は、動揺しながらも「昔自分が進路を変えたときに母はこっそりと援助してくれた、だから今私はそれを君にしたい」と小切手を切るのである。ストーリーとしては実に単純だが、ランドー氏のじわじわと心に染み込んでくる演技をみていると、自然に涙が出た。

Rounders

「ことば」とは「思想の衣装」

2017-05-11 | Weblog
 「ことば」とは「思想の衣装」
下のリンク先の記事に書かれていたイギリスの詩人ジョンソンの言葉である。

 家庭でも職場でも若い人に触れる毎日だが、現代の若者は間違いなく語彙が不足している。その原因は色々あるのだろうが、最大の原因が読書量の減少にあるのは明らかだ。刹那的なネット世界に依存し、日常の感情表現も全て「やばい」ですませてしまう・・・美味しくても「やばい」まずくても「やばい」成功して嬉しくても「やばい」失敗して落ち込んでもも「やばい」。自分の語彙力も正直なところ稚拙なのだが、幼少期の40年近く前を振り返ると、あの頃はPCもなく、ネットはなく、携帯もなく、テレビのビデオ録画さえもなかった(小学校にエアコンはなかった。夏は汗だくだった)。情報源は全て活字だった。本であり新聞でありチラシであり・・・知りたければ、友達に本を借り、本屋で立ち読みし、図書館の書架で本を探した。恐らく、我々の世代が活字世代の最後の一群だと思う。精神の形成期に活字に多く触れられた(触れざるをえなかった)のは幸いだったと思うが、今の子供たちの世代はどうしたらいいのか。ネットもテレビも遮断して読書だけにするのか・・しかし、デジタル依存の現実社会に対応するためには、そこまで徹底できない(PC音痴は就職できない世の中)。これからは、プログラミングなんてものも小学校で必修化されるらしい。ますますPCとネットに触れていくことになる。こんな状況で活字との両立なぞ不可能だ絶対に・・しかし、このままでは間違いなく人類は退行する。すでに退行現象はあちこちで視認できる。とりあえずは、目の前の自分の子供から何とかしたいのだが、正直どうしていいのかわからない・・・絶望感に襲われることもある。
 下記の記事を参照にして活路を見出したい・・語彙不足の進行は確実なようだ。しかし、ここに書かれている対処法も結局は受験用の手法であって、人格形成の根本解決ではないのだが。

難関中学の語彙問題・解く子は親が違う!