イエスキリストさんはただの人間でユダヤ教の改革者でしかなかったことを忘れてはいけない。自薦なのか他薦なのか神の子と称されているが教祖というものは自分を特別な存在だと宣うものです。これは仏陀しかり親鸞しかり日蓮しかりオウムの麻原しかり統一教会のエルカンターレもまたしかり、皆同じく解脱者だの預言者だのと吹聴してました。キリストもこれと同じ。なにも「特別な」エビデンスがないのだから。冷静に考えてみよう。なにをもって存在が不確かな過去の人間を今の我々が敬う必要があるのか。ヴォネガットはこう言っています「宗教的協議はあまりにも独断的で明白に発明されたたわごと」。我がORE教の教文にもこんなのがある「盲目的な尊敬は差別の裏返し」
その神の子キリストを殺した民族がユダヤ民族だからと西欧社会は2000年もの間ユダヤ人を迫害し続けてきた。キリスト自身がそもそもユダヤ人(ユダヤ教)なのに。そしてユダヤ人も全く特別な存在ではない。おなじ人間であり立場が変わればいじめられっ子からいじめっ子となって他者を迫害する。キリストさん、あなたの安易な説法のおかげで2000年後の人間も変わらずに憎しみあってますよ。人間はみな醜く平等ってことです。
その神の子キリストを殺した民族がユダヤ民族だからと西欧社会は2000年もの間ユダヤ人を迫害し続けてきた。キリスト自身がそもそもユダヤ人(ユダヤ教)なのに。そしてユダヤ人も全く特別な存在ではない。おなじ人間であり立場が変わればいじめられっ子からいじめっ子となって他者を迫害する。キリストさん、あなたの安易な説法のおかげで2000年後の人間も変わらずに憎しみあってますよ。人間はみな醜く平等ってことです。