Wilhelm-Wilhelm Mk2

B級SFからクラシック音楽まで何でもあり

アナロ熊!

2009-04-29 | Weblog
      ┼╂┼
    ∩_┃_∩
    | ノ      ヽ
   /  ●   ● |
   |    ( _●_)  ミ
  彡、   |∪|  、`\  
  / __ ヽノ /´,>  )   
 (___)   / (_/
  |       /
  |  /\ \    
  | /    )  )   
  ∪    (  \
        \_)  

民放連の「地デジカの二次利用は許さないニダ!」
ネットユーザーの怒りが爆発し、「アナロ熊」が登場!
おもしろ過ぎるぞ!


週末

2009-04-28 | Weblog
 締め切り地獄から抜けきれません。連休明けまでに長文を仕上げないとならない。どうせ休日に仕事なんか出来ないのだから連休前までに上げないといけない。

週末・・・。土曜日。家事(色々と整理)して子供と遊んで、夜は久しぶりに楽器をまじめに数時間弾いた。凍り付いているものと思ったが、予想以上によく鳴ってくれて楽しかった。弦楽器の生音は堪りません。日曜日、家族で遠くまでお呼ばれ。子供もベビーカーに慣れてきたようだ。ちなみに麻生さんに買っていただいたベビーカーは、犬も歩けば・・というくらいに日本で流行っている「マクラーレン(英国企業)」製。マクラーレンと言っても、セナやプロストとは全く関係のない企業だそうです。車輪ついているのにね。お招きにあずかったのは大先輩のお宅で、奥様がプロ級の料理でもてなしてくれました。感動するほど美味しかった。さらに新しく購入された超級スピーカーで色々と聞かせてもらいました。さすがにあのクラスになると(オーディオに疎い私でも知ってる)、音質・滑らかさ・切れ具合の全てが別格です。何時の日にか私も手に入れたい・・といっても、ヒストリカル・モノラル録音を主に聞く私には無用だという噂も。そもそも置き場所がないし、音量を上げられないし。最初は緊張していた子供も、慣れてくるとやり過ぎなくらいに愛想を振りまき、最後は異常なまでにハイテンションになってしまいました。こういう時は大体寝かしつけに苦労するので(実際苦労してました)、同期会への顔出しは見送り、そのまま直帰。

地デジカ:地デジ力(チカラ)とかけてるのか?やっつけ丸出しのキャラ。そもそもキャンペーンにマスコットは必須なんだろうか?マスコットを使ったときと使わなかった時の差を知りたいものだ。

もっと書きたいことはあるけど、また今度。


追加:恐らくオケ関係者の大半が見ているウィーンフィル奏者のブログですが、ウィーンフィルほどのトップオケでも「旅行係」を団員が担当するのですね。専属のマネージャーとかツアコンがいるものと思ってました(まあ実務をする係りはいるのでしょうが)。そういやこのブログを書いている方(Vn奏者)もライブラリアンとして譜面を集めるのに四苦八苦しているようだし。ウィーンフィルが楽譜調達に困るなんてちょっと信じられないけど事実のようです。独自運営にこだわるウィーンフィルならではなんですかね。

江頭2:50だけが草剛を救える

2009-04-23 | Weblog
 草(ほぼ同世代)・・・・いや、実はちょっと見直したぞ。薬物常習だったら大問題だけど、今回は酒に飲まれただけだろ。罪ではあるが、とりあえず傷害とか器物損壊とか痴漢ではなく、ただの「自爆」だからな。酔って裸になる人・・・身近にもいます。私も酔うとわけわからなくことがあるので、理解はできます。都心の公園で全裸で前転とかできないけど。捕まったとき「シンゴー!シンゴー!」って叫んでいたらしいけど、「さよなら山崎邦正」の「エンドー君!エンドー君!」を思い出してしましました。これから先細りになるであろうSMAPの中で、独自路線を開拓するきっかけになったりして。以前よりも愛されるキャラになるのではないでしょうか?そんなことはないか。

 当分謹慎だろうけど、彼を救えるのは盟友・江頭2:50さんだけだと思うぞ。
「つよし!なーにやってんだよ!俺を置いていくなよ!よーし俺も脱いじゃうぞー」とかやって欲しいものだ(絶対にやると思う)。

死刑です

2009-04-22 | Weblog
冤罪と騒いでいる人がいることに吃驚しました。決定的証拠が無いというが、この事件の決定的証拠って何だろうか?映像でもないと駄目なのか?ヒ素の不純物成分が一致という事実が決定的証拠なのでは?(科学に疎い人は、これがどのくらいピンポイントなのかわからないだろうが)。前髪にも高濃度のヒ素が検出されたようだし。そもそもヒ素なんてその辺に転がってるものでもないし。さらに動機不明って、動機と罪状は一切関係ないと思うぞ。キチガイの動機なんて推し量りようもない。無差別通り魔殺人も動機不明なら減刑にするのか?主な状況証拠は以下のとおり。

①成分の同じヒ素を大量に所持していた。
②事件後ヒ素を下水に流して処分している。
③過去に母親と従業員二人をヒ素で毒殺している(目下否認中)。
④鍋のそばで一人になった人間でヒ素を所有していたのは被告だけ。地域住民で他にヒ素を所有していた人間がいない。
⑤自分の子供には事前にカレーを食べるなと指示している。

ドス黒いですね。黒過ぎます。保険金詐欺は別件だけど、他人にかけてきた生命保険の保険料は年間2000万円とか。総額にすると18億円超!以下、保険金詐欺の経歴(コピペ)

1984年   3500万の家を新築で買う.
1985年11月 林健治容疑者の白蟻駆除会社の従業員が急死 保険金1250万を取得.
1987年   別の従業員半身不随 保険金6000万を取得.
1988年   林健治容疑者 (重度障害者保険?) 保険金2億円取得
1990年   林真須美容疑者 保険外交員になる 
1996年10月 母親の死亡保険1億4000万を取得

 さらに本人も調理中に両足を火傷したとして1種1級障害者手帳を取得している。入院費やら色々な補助が出る(合計して億単位)のだが、自転車も乗れるし(ホースで水まけるし)普通に生活してますよね。いやいや、とんでもない人間です。個人的には、カレー事件以前にこれだけで死刑にしてもいいと思うのですが。日本は甘いですね。

 弁護士の入れ知恵もあったのか、証拠不十分だから黙秘してれば死刑は免れると思っていたのだろうけど、ところがどっこい一審でいきなり死刑判決。慌ててアリバイ供述なんかを始めるのだけど、反省の色もないということでまた死刑判決。この反論も、本当にやっていない人間の反論とはとても思えない。本当に冤罪なら泣いてでも喚いてでも訴えるはずなんだが。胡散臭く、そして白々しい。この女の言い訳は(コピペ)、

「私がやった直接証拠があるの? 自白もないでしょ。やってたらやったってとっくに言うてるよ」
「今になって1審が大事だったってことは分かる。だって、死刑になるなんて思わないじゃない」
「証拠がこんなにも薄弱にもかかわらず、どうして死刑にならなければならないのでしょうか。」

法律の解釈、これまでの判例を楯に逃げを計ってるのがありあり。もし1審が無期懲役だったら控訴したのかね?またついている弁護団ってのが・・・いつものあの人。三浦和義の弁護団が流れてきたらしいですね。

死刑ですね。

ターリヒ

2009-04-14 | Weblog
今週も締め切りや決断すべき大きな事案が沢山あります。

なるべく短く
 ターリヒ:20世紀前半のチェコフィル監督。1884年生まれなので、フルヴェンより2歳年上ということですね。今、合奏でドヴォ八をやってるのだけど、古いチェコフィルってどういう演奏したのか聞いてみたく、naxosより音源を購入しました(1000円)。ターリヒは当時プラハ音楽院教授だったドヴォルザークから直々に推薦と援助を受けており、この曲のプラハ初演が1890年なので、もしかすると作曲者本人による演奏に触れたかもしれない。少なくとも、その時代のドヴォルザークの演奏スタイルを確実に知っている指揮者であるのは確かです。さてCDを聞いてみたところの正直な感想は・・・・・いい!テンポの緩急を微妙にいじり、血湧き肉躍る躍動感、3楽章はメロメロではないけど、ポルタメントを随所に利用してノスタルジック+ロマンチックを醸し出しています(ちょっと寂しいか?)、4楽章は結構落ちついたテンポで進行するのだけど、flの大ソロのあたりからじわじわ加速して、気がついたらハイテンションになっています。1935年の録音ということで音質を心配したのだが、naxosの好プロデュースもあってか、ヘッドホンで聴いてもノイズは殆ど気に掛からない(私がヒストリカル好きというせいもあるが)。残念ながらクーベリック・ベルリンフィルの燃焼には及ばないけど、ノイマンの演奏よりこちらの方が自然で好みですね。テンポの揺れに不自然さがなく、その揺れが見事に音楽に貢献している。この時代はテンポをいじることが許されていたというか、それが当然の演奏方法であり、ドヴォルザーク自身もそういったflexibleな演奏を想定したのだと思います。次の指示が出てくるまではインテンポを貫くなんていう石頭的で貧弱な観念はなかったのでしょう。だからこそ、この時代の指揮者はフルヴェンを筆頭に、テンポのゆらし方こそが指揮者としての力量を問われるところであって、ライブ、生演奏、一発勝負、一期一会に全霊を傾ける姿勢が、演奏にも如実に顕れています。そのあたりが、100年近くたっても今なお我々を引きつける要因なのではなかろうか。近年流行の「これが正しい」とか「昔はこうだったはず」のような、「頭でっかち」で「死人に口なし」を利用した権威押しつけで喰ってるような指揮者は、こういう作曲者に近い時代の生きた演奏を聴いてどう感じるのだろうか?自分には出来ないとわかっているから、理論武装に走っているだけにしか思えないのだが。
 ターリヒは、この当時は地方オケの1つでしかなかったチェコフィルを、世界クラスに押し上げた功労者なのだけど、ターリヒ自身は元々ヴァイオリニストで、ベルリンフィルのコンマスを努めたくらいの名手だったそうだ。そのときのベルリンフィルの監督が、伝説の指揮者アルトゥール・ニキシュで、彼から薫陶を受けて指揮に転向したらしい。伝えるところによると、ニキシュの指揮は魔法の様だったらしく、同時代の作曲家たち(チャイコフスキー、Rシュトラウス、マーラーなど)もニキシュの手で自分の作品が演奏されると神秘的な響きになることに驚嘆していたそうだ(ちなみにニキシュの録音は現存する。ベルリンフィルとの「運命」など)フルヴェンもニキシュを幼い頃から崇拝し目標としていたそうで、演奏会には足繁く通って勉強したらしい。ニキシュの側もフルヴェンの才能を見抜いていたようで、ニキシュ死後、ベルリンフィルとゲヴァントハウスの監督の座は、そのままフルヴェンに「禅譲」される形となるわけです。つまりニキシュ繋がりで、ターリヒとフルヴェンは同門ということになるのかな?(なんでもフルヴェン一家にするなと)実際、フルヴェンはターリヒのことを高く評価していたようです。ちなみに、ターリヒの次の監督がクーベリックなのだけど、もともとピアニスト志望だったクーベリックはフルヴェンの指揮に衝撃をうけて指揮者を目指したと言われてます。戦後、クーベリックはその才能をフルヴェンに認められ、シカゴ響の監督に推挙されるわけです。先日、久しぶりにクーベリック・チェコフィルの映像を鑑賞したのだけど、クーベリック・・本当にいい指揮者だよなあ・・としみじみ。あんな棒を振られたら絶対燃えるよなあ・・。まあこの話はまた別の機会に。

給付金

2009-04-12 | Weblog
 仕事を何とか持ち帰らず。
 週末は子供と遊んで過ごす。給付金でベビーカーを買った。麻生首相ありがとう!早速、親子2人で銀ブラ(奥さんは美容院)。数時間ほど、中央通りや並木通りをウロウロする。和光ーヤマハー博品館ーAppleなどなど。気分は「子連れ狼」。日曜日、午後遅くからカラヤン広場へ出かけて行き、オープンカフェでまったり。ホールではコバケンが幻想を振っていたらしい。やはりビールは屋外で飲むものだよなあ・・・あー欧州へ行きたい。

 久々にラザール・ベルマンの超絶技巧練習曲を聴いた。リストの曲は、クラシック音楽と思わず純粋に「曲芸」と思って聴くと楽しめることがわかってきた。楽しむためには思想の転換を、か。

 村上春樹の「沈黙」という短編を読んだ。

金婚式

2009-04-10 | Weblog
両陛下ご成婚50周年

「寄り添ってきてくれたことをうれしく思っています」。皇居・宮殿で記者会見に臨まれた天皇、皇后両陛下。時折見詰め合いながら、約40分間にわたり、結婚50年を振り返った。途中、天皇陛下が感極まって涙ぐみそうになる場面もあった。
 陛下は「多くの人々からお祝いの気持ちを示されていることを誠にうれしく深く感謝しています。ただ、厳しい経済情勢のさなかのことであり、祝っていただくことを心苦しくも感じています」と切り出した。

 おめでとうございます。両陛下からにじみ出る素朴な気品は、まさに日本的だと思います。国中を始終駆けめぐられ笑顔で公務にいそしんでいる両陛下を、意識はせずとも、どこかで心の拠り所にしている国民は多いのではないでしょうか。

「伝統」に関する皇后陛下のお言葉

「伝統があるために国や社会や家がどれだけ力強く、豊かになれているかということに気付かされることがあります」とする一方、「型のみで残った伝統が社会の進展を阻んだり、伝統という名のもとで古い慣習が人々を苦しめていることもあり、この言葉が安易に使われることは好ましく思いません」との考えを示された。


 「伝統」を軽々しく連発する業界は確かに多い(相撲とかね)。科学業界にもくだらない「伝統」が山ほど残っている。心して聞くべきだろう。皇后陛下は平民出身だったため、結婚当初は姑の前皇后や華族の残党から随分と虐められたようだ。その辺りのことを思い出されてこの話をされたのだろうか。結果的には、家柄などというものが全くの「虚」でしかないことを証明したわけで、反対派だった華族連中は未来永劫悪者としてWebに記載されることとなった。自業自得・ご愁傷様。

書く

2009-04-09 | Weblog
更新できません。
毎日何かの締め切りが待ってます。この締め切り戦争は、今後も永遠に続くであろうから、1回目の今年は敵状視察ということで、まずやり方を勉強しよう。締め切りに追われない打開策は、「何を書かなくてはいけないか」をしっかり把握しておくこと(今年の敗因。)そして「書きためをしておくこと」。何か少しでも出来上がったら、どんどん「パソコン」に書いておくこと(ノートに書くことは無意味)。後にコピペ処理。口述筆記で誰か書いてくれないかな。ネットなんかはできなくてもいいから、超薄型のパソコンをモバイル・タイプライターとして一台持ちたいかもって、どこにモバイルするんだよ・・。・・・「考える」ことから「書く」ことが仕事のメインになりつつあって非常に鬱だ。「考える」ことなら何時間でも出来るのだけどなあ(妄想癖あり)。

中途半端な「和風」は非常に見苦しい。

澁澤龍彦でさえ、備忘録を取っていた。

欲しい本が山ほどある。でも買うお金がない。

前から欲している廃版の中古画集が超高額になっている。2年前に買っておけばよかった。

これまでの自分のお金の使い方は全く後悔してないが、もう少し貯金しておけばよかったと思う。

日本人って、色遣いが世界で一番下手な民族なんじゃないかなと思う今日この頃。

IMSLP復活:高いスコアを買う人は負け組。

マイブームはモロッコ。

19世紀末の欧州に行ってみたい。

素敵な美術館に行きたい。(not 国立新)

子供が面白すぎる。ピアノを弾き始めた。

伝統やらスタイルやらの固定観念を振り払って、自分の好きなものだけを正直に抽出するのが本当のオレ流。これが実はなかなか難しい。

処理するという発想

2009-04-01 | Weblog
新年度。昨年度のことがまだまだ全然終わらん。報告書氏ね。

 治そう思っても治らないこの「ぎりぎりまでやらない」体質は、実は精神病の一種なんじゃないか?と思い始めた。ネットで検索すると、結構多くの人が同じ事を真面目に苦しんでいるようだ。本気でカウンセリングに行こうかな・・・。ネット上で見つけたカウンセラーの意見によると、「下手な成功体験があるから抜け出せない」そうだ。確かに。この「ギリギリ病」とそれに加えて「ながら病」は、小学校時代から周囲に散々指摘されてきたのだが、一応成果は出せてきた。しかし、これになろうとかあれになろうとかいう確固たる目標も持たず、期限がせまるたびに、適当に取り繕ってきただけなのだ。そして現在、吹きだまりに流れ着いて身動きとれなくなってしまった。まあ自業自得か。さらにカウンセラーは「やることに対して重要性を感じてないから後回しにする」とも書いてあった。その通りだ。本当に好きなことはいくらでも時間と労力が掛けられて、幾らでも没頭できる。つまり、現在後回しにしがちなこと(ずばり、仕事である)は、本心では「どうでもいいこと」なわけなのだ。でもここで発想の転換をして、この「どうでもいいこと」を最低限の時間と労力で「処理」して(「処理」という感覚が大事)、本当に自分が大切に思うことへの時間を増やすという目標でモチベーションをあげればよいのではないか?どうせ、給料変わらんし。これまで仕事(科学)には、崇高な使命感を併せ持たねばならぬとおもっていたのだが、実は自分個人にはどうでもいいことだったのかもしれない。もっと気楽に「処理」すれば実は楽なことなのかもしれない。処理・処理・処理。全部処理。

 Youtubeでハイフェッツの映像を見るのが好きだ。魔人!