Wilhelm-Wilhelm Mk2

B級SFからクラシック音楽まで何でもあり

無意味

2019-06-29 | Weblog
下の小文字の文面は誰も読むまい。貼っておけば注意喚起したことになるという怠慢。


バカの貧困(引用)

2019-06-27 | Weblog
バカの貧困 純丘曜彰(2016)

同感。一部を掲載。

「自分自身の境遇がみじめであればあるほど、他人のものごとを追いかけ、身の回りはわけのわかないブランド品、スポーツファングッズ、アイドルグッズ、アニメグッズが溢れかえる。そして、生活費の中で突出した通信費。次から次へと新機種に乗り換える。」

「一刻を争うビジネスの現場にいるわけでもないのに、年がら年じゅうスマホをいじり、ツイッターやフェイスブックで自慢話ばかりしていて、仕事が留守では、生活が向上するわけがない。まして、プロスポーツやアイドル、マンガやアニメなど、自分自身の現実の生活ではない。」

「子供にまで、どうでもいいポケモンのインチキ名前を暗記させ、一銭の価値も無いカードやメダルを数限りなく買い集めさせ、いよいよバカを量産。」

「追記:読解力の無いやつがステレオタイプにサブカル批判と勘違いしているが、源氏物語でも、ヘーゲルでも同じこと。文系オーバードクターなんて、そんなのだらけ。中毒のように限りなく他人のことばかりを追っかけているから、自分がどんどん貧しくなる。スポーツなら、自分で実際にやればいい。物語なら、自分が現実に生きればいい。カネが少ない者なら、なおさら自分自身のために使うべきだ。そうしないと、モノや情報が溢れていながら、自分自身の人生は空っぽ、という最悪の絶望、最低の貧困に陥る。」


ORE教 update

2019-06-24 | Weblog
私の信じるORE教(Own Religious Empire)。俺が教祖にして唯一の信者。
教義のupdate

・神や霊の存在は不可知
・儀式の否定
・シンボルの否定
・プロトコルの否定
・呪文の否定
・お布施の否定
・偶像の否定
・信者は自分のみ
・「何か」への感謝と祈り

☆倉庫☆
眠狂四朗:「ありもしない神を信じるからこのざまだ!」
身軽でないとチャレンジできない
サタニズムにおける9の罪
・愚鈍さ
・虚栄
・唯我主義
・自己欺瞞
・群れに従うこと
・見通しの欠如
・過去の正統の忘却
・非生産的なプライド
・美意識の欠如




最近読んだもの観たもの

2019-06-22 | Weblog
最近読んだり観たりしたもの
・ソイレント・グリーン:1973年作。雰囲気もあってデストピアSF映画の佳作。動物も植物も超希少という世界観はブレードランナー(電気羊)に通じる。実際に「ソイレント」と名付けられた完全食を謳ったパウダーやバーが存在するが、若いときからこんなのありがたがるなんて胃婁(いろう)の志願者かよ。
・太宰治「古典風」:いいね太宰は大好きだよ。
・武田泰淳「わが子キリスト」:ネタばれすると、ローマ軍のしがない兵隊がキリストの実の父親である(ゆきずりにマリアを犯した)。この兵隊はイエスとマリアをローマの指令でスケープゴートとすべく遠くから見守る(監視している)うちに2人に取り込まれていき、最後はイエスとよく似た彼が復活の証となる・・・。すごいプロットだ。とても映画にはできないだろうな。

・フルトヴェングラー「ウィーンコンサート」:久しぶりにフルヴェンの新譜を買う(マタイ1954完全版など)。やっぱ震えるわ・・

正論おじさんのこと

2019-06-20 | Weblog
路上の看板やのぼりに過剰にクレームするおじさん(お爺さん)の事件がありました(三重県)。週刊新潮の論評のなかでこのお爺さんの行動を「支配要求の高い老人」「さびしい老人」と断じて最後には「頑固老人のクレームには毅然と対応し、MRI受信を勧めよ」としている。これはあんまりだ。確かにこの手のメンドクサイ年寄はいる。観方によっては「老害」の1種ともいえる。しかし、今回の元凶は法律違反である(それに近い)路上看板を取り締まらない警察(国家)の怠慢にあるのは確か。路上看板なんて歩行の邪魔であり、障害者にとって危険極まりないものであり、そして景観の破壊行為である。擦り切れたのぼりで客にアピールなんてできないだろう。そもそも、のぼり看板なんて「周りが出しているからうちも出さないと目立たないわ」程度の意識でしかないと思う。であるから、一斉に禁止にすれば差もつかないし、光熱費や維持費がかからなくなるので店側にも喜ばしいことなのではないか。芸能人のニュース番組でもこのおじさんは袋叩きで「日本の商店街はごちゃごちゃしているのが魅力」とかまで言ってる。以前の記事で紹介したが、日本の町の景観の悪さは看板とのぼりにある。日本中でのぼり看板を禁止にすれば景観が一期にアップするに違いない。正論お爺さんの対応は面倒くさいが、この事件の本質はそこではないだろ?ということでした。

小料理屋の電光看板は好きです(こんなの)

松本城

2019-06-19 | Weblog
最後の大物であった松本城を見学。歴史的にこの城はこれといった出番はなかったのだが、そのお陰もあって立派な外観が残されている。黒光りの壁に2つの櫓との連結が良いのだが、月見櫓の赤い欄干だけは安っぽくて興ざめだった(後から塗ったのだろうか?)中に入ると急勾配の階段をひたすら登るだけの苦行だった。大柄な(太った)外人の後ろを登るのは少し怖かったよ「この人が落ちてきたら確実に死ぬな・・・」。これだけ多くの観光客が四六時中登り降りしたら痛むだろうなあと心配になった。このあたりの地盤は大変緩く明治初期の天守は大きく傾いていたらしい(解体修理した)。
これで国宝五城(姫路城、犬山城、彦根城、松本城、松江城)は制覇となり、現存天守の未制覇は残り3つとなった(弘前城、丸岡城、宇和島城)。



中年の危機

2019-06-17 | Weblog
中年の危機なる言葉を知る。英語でMidlife crisisといい、中高年が陥る鬱や不安障害のことを言う。なぜ中年で発症するかというと、加齢による身体の変化、職場での立ち位置の変化、家族構成の再確認が40代半ばごろに次々と起こるからだ。心理的には「自己の限界の自覚」が大きいらしい。私はとっくの昔に自分の限界をわきまえており、「自分ならもっとできるはず」なんて考えたこともない。小さい器を小器用にメンテしそれでどこまでやれるか楽しめるかに主眼を置いて生きてきた。だがそんな小物の私でもここ1年くらい残りの人生をどう生きるべきか頻繁に考えるようになった。頻繁どころではなく四六時中考えていると言ってもいい。行きつく結論は毎度「ルーティンを死ぬまで続けるのは御免だ」となり、どんな些細なことでも新しい変化を求めるようになった。突然酒を止めたのも今思えばその一環だろうし、突然ひげを生やしてみたり、楽器を改造したり、プラモを作ったり、昆虫を育てたり、標本作ったり、城めぐりをしたり、プチ園芸したり・・。なんだ、子供時代にやり残したことばかりではないか。まあ周囲は迷惑かもしれんが限られた財布と時間のなかで、この小さな「第二青春期」を楽しんでいきたいと思います。

ORE diet 4:断酒の効果(3か月)

2019-06-14 | Weblog
酒をやめて3か月。会食や接待ではちびちびと飲むので完全な断酒とは言えないが、晩酌やどうでもいい飲み会は完全にゼロとなりました。この3か月で体重は2kg近く落ち、健康診断では腹回りが昨年より3cmほど減っていました。体調も精神も共に安定して快調。さらに良いことは、酔い疲れで寝てしまうことや二日酔いによる朝寝が消えたので一日が長くなる。その結果・・・まず積み上がっていたガンプラを1つ作り上げたよ!寝る前と朝起きてすぐの時間、ニッパーとやすりを駆使して(?)、初心者なりに丁寧に組み上げてみました。酒に浸っていたら進まなかっただろうな。というわけで、酒をやめると時間が増えて色々と新しいことができるという話でした。

文科省という亡国装置①:大学入学共通テスト

2019-06-13 | Weblog
もはや「亡国装置」と呼んでいい文部科学省。センター試験に替って21年度より「大学入学共通テスト」が施行されることになったが、この仕様と迷走ぶりがまた酷いことになっている。

・国語と数学に記述を導入:50万人分の答案をどうやって採点するんだろうか?内容の正否だけではなく、文字の判別、誤字、句読点など、あらゆるところに基準を設けないといけない。採点者の個人差は当然大きく出るだろうし、個人差以前に誤った評価もでるに違いない。ダブルチェック・トリプルチェックするのか?誰が?まさか大学教員が?どうやらベネッセの赤ペン添削部隊がやるのではとの情報(すでにアドバイザーとなっている)。
・英語は複数の民間テストを導入。期間までに2回受けた結果が提出されるとのことだが、少しでも良い点とるために学生は何度も繰り返し有料の試験を受けるに違いない。儲かるのはまてしても民間テスト業者。間違いなく裏で文科省と癒着しているはず。

東京大学は国語と数学は合格判定に含めるが、英語については出願要件(民間の業者でも高校の証明でもよい)としている。

あずさ

2019-06-05 | Weblog
特急あずさに乗っているので「あずさ」について調べる。漢字で「梓」。木編に辛いと書くが、辛は尖っているという意味らしい。中国では古来より百木の長「木王」とされ、版木に使用されてきた。そこから転じて、印刷出版されることを上梓(じょうし)という。上梓は作家の経歴でよく使われる言葉だが、私にとって読み方が長い間いまいちだった(自信がなかった)。日本には梓弓という梓から造られる弓があるらしいが、これは中国の梓とは別の種類らしい。

牛乳は「飲まなきゃいけない」ものなのか?

2019-06-03 | Weblog
牛乳について昔から考えている。私は牛乳はそれほど好きではない。小学校給食のごはん+ミルクのまずさが身に染みているからだ。様々な牛乳有害説が巷にあふれているが、科学的な視点からみると思いこみや感情的なものが大半だ。しかし、その中にも「本当のところはどうなんだ?」と思うものも幾つかある。それは「カルシウム不足説」だ。
牛乳会社や促進協会は「日本人はカルシウムが不足しているから、もっととるべき」と主張する(国の推奨値に摂食量が達していないから)。牛乳がカルシウム源として優れていることはまあ了解するとして、「なぜカルシウム源が牛乳だけでないといけないのか?」という疑問がまず生じる。豆腐や野菜、小魚も同程度にカルシウムが豊富だ。牛乳が日本の食卓に常備されたのは戦後である。アメリカの影響である。それ以前の日本人は牛乳や乳製品を日常的にとるという生活はしていない。では、例えば江戸時代の武士はカルシウム不足でぼきぼきと骨折していたのか?それはないだろう。逆に重いものを持ち歩いていたので今より骨太だったと思う。つまり「牛乳は摂らなくてもやっていけるはず」という点だ。我々は知らず知らずのうちに「牛乳は飲まなくてはならない」という観念が植えつけられていないか?まるで「法事をしないと先祖が苦しむぞ」という仏教の脅迫ように。学校給食の飲みものが「牛乳一択」なのは異常ではないか?なぜ麦茶やオレンジジュースがないのか?栄養バランス的に牛乳が最も優れているというが、本当なのか?他の選択肢はないのか?給食での牛乳販売は乳業会社にとっては死活にかかわる生命線と聞く。
もう一つの疑問は、カルシウムは本当に不足しているのか?という疑問。つまり骨粗鬆症の原因はカルシウム摂取不足からくるのではないのでは?という疑問である。興味深い疫学調査がある。日本人よりも数倍牛乳を摂取しているフィンランドやスウェーデンのような北欧諸国は、牛乳から十分にカルシウムを摂っているはずなのに骨粗鬆症の割合が日本に比べてはるかに高いのだ。つまりこの結果だけから鑑みると、「牛乳は骨粗鬆症の予防には約立ってない」といえる。これに対してJ-milkなる団体が「うわさ話」への対応として答えているが、ここでうまく答えをはぐらかしている。こちらの疑問は「牛乳は骨粗鬆症の予防にはなっていないのでは?」なのだが、J-milkは「牛乳を摂りすぎることが骨粗鬆症を引き起こすわけではない」と頓珍漢な回答している。牛乳を飲んだから骨粗鬆症になっているというのではなく、「牛乳を多量摂取は骨粗鬆症を低減していない。カルシウム不足と関係ないのでは?」ということを聞きたいのだ。ネットを検索するとどうもこのあたりは業界も困っているようで、ブラックボックスなのではないかと思う。

ここで考えることは

乳業会社は消費者に牛乳を大量消費させるためにカルシウム不足を煽っているのでは?

牛乳は別に毒じゃないし美味しいのだから、好きに飲み食いすればいいじゃない・・というかもしれない。まあそれもそうだが、先日書いた「乳牛の一生」を思い出す。摂っても摂らなくてもよい牛乳のために、生まれて死ぬまで狭いブースに閉じ込められて搾乳と妊娠(子供に会えない)を繰り返される乳牛の存在。なにセンチなことを、お前はいつからアニマルライツに乗り換えたのか?と言われるかもしれないが、自分がもし牛に生まれ変わったことを考えてみるといい。ぞっとしないか?閉所恐怖症の自分には恐ろしいことだ。もし我々が牛乳の消費を少なくすれば、哀れな乳牛の存在も確実に減るはずである。まあ乳業会社は潰れるかもしれないが。(続く)