Wilhelm-Wilhelm Mk2

B級SFからクラシック音楽まで何でもあり

徒然:牛乳の闇

2021-12-21 | Weblog
久しぶりの高速徒然

・イチローが女子高校生選抜チームに対してピッチャーで登場。9回を投げ切って完封勝利。17奪三振・・・。女子高生相手とはいえ、引退した人がこの精度。イチローとは近い年齢なので彼の活躍にはこれまでも勇気づけられてきた。と同時に、生物の固体としての能力差をありありと見せつけられてもきた。
・腰痛:昔から長時間立っていると腰が痛くなる癖があった。原因は反り腰なんだろうけど、先日のレントゲンでは椎間板が少し狭くなっているとのこと。体幹を鍛えるといいらしいが、とりあえず気になる腹回りを落とすために砂糖水(チャイティーとか)や寝る前の至福チョコや朝おにぎりを止めてみた。あっという間に3キロくらい落ちた。
・石田三成の子孫:関ケ原で敗れた石田三成は享年41歳。天下分け目の勝負をしかけた男。うまく立ち回って生き残った東軍の武将たちよりも人生のドラマチックさとしては上だったのではないだろうか。面白いことに、三成の2人の子供は助命され、長男は僧籍に入り次男は津軽藩に仕えた。次男の息子は津軽藩で活躍して蝦夷地の探索や津軽忍者軍団の創設に貢献した。さらに子孫は近代まで津軽の地で活躍している。歴史の面白さ。
・ウクライナー台湾情勢:ロシアがウクライナに侵攻し、そのドタバタの裏で中国が台湾に侵攻・・なんていう怖いシナリオを思いついた。
・「余っている牛乳を飲んで」:いやたくさんできたら「安く売る」のが原則なのでは?野菜とかそうでしょ?なんで牛乳だけ特別扱いなのだろうか?ちなみにOREdiet(私専用のDiet)では、牛乳は「嗜好品」扱いであり、日常的に摂取する食材からは外されている。
参考:バターがなぜ品薄か?ホクレンの悪事「ホクレンの近藤好弘部長がドヤ顔で語る商売の秘訣


年齢

2021-12-14 | Weblog
最近よく自分の年齢のことを考える。現役として「まともに」働けるのはあと一周期というところだと考えている。老害を気にせずに働くのなら、その先も続けられるだろうが、それは自分の考えとは大きく違う。夏目漱石は49歳で亡くなった。ベートーヴェンがハンマークラヴィーアソナタを作曲し後期に突入した年も同じくらいである。バラクオバマが大統領に就任したのが48歳、ビッグボス新庄は49歳、民主党の新しい代表である泉氏は47歳。やはりこのあたりが一つの人生の極でもあるのだろう。さした取り柄もない凡人としては、このあたりで自分の人生をよく俯瞰して、残された時間で何をすべきかを考える時期なんだろうと思う。

怪情報?理事長の妻と学長の妻は・・

2021-12-12 | Weblog
日大関係者からまた聞きしたことだが、理事長の妻(ちゃんこやの女将)と学長の奥さんは姉妹という怪情報。ネットではほとんど見つからないが、同じ情報はあることはあった。もし本当なら「永遠に決別」なんて不可能だろう、なにせ親戚なんだから。そもそもこの加藤学長はアメフト事件のときにアメフト部の部長だったわけだし、事件のあとの逆風のなか学長に据えられた人。どうみても田中理事長の延命のために担がれた神輿にしかみえない。さらに、学長は他大出身でなく学生時代からずっと日大の人(偏差値・・・)。事件が起きたときの学長なんだから、道筋をつけたら責任とって即退任ぐらいの気概と誠意をみせないとね。

大学に限らず同族や同窓会に支配された組織ってのはたくさんあり、多かれ少なかれ同じようなことが起きているのだと思う。

日大は相当にやばい

2021-12-02 | Weblog
理事長の逮捕という前代未聞の事態なのに、日大内部からの動きが全くない。せめて学長の記者会見があってもよさそうなものだが、HPに定型の謝罪文がでているだけである。それもそのはず、現在の学長は、日大上がりで史学がご専門の教授で、なんとあのアメフト部の「部長」だった人。それもタックル事件のときにも部長だったお方らしい。つまり、事務方だけでなく教員も「相撲」と「アメフト」で固めてしまっているという鉄壁さである。大学の要職を子分で固めてしまっているのだから、そりゃ親分を批判するような発言ができるわけない。さらにネットで読んだ記事では、日大体育会系は警察にも沢山就職しているようで、警察にも日大派閥というものは大きなものらしい。こういうのは捜査にも影響があるのかもしれない。
日大の外で大学の元副学長だった人(東大卒・弁護士)を中心に「新しい日本大学を作る会」という団体が動いているようだが、内部組織ではないのでどこまで影響をもたせられるのか。是非とも頑張っていただき、日本最大の大学の膿をすべて吐き出していただきたいものである。

以下ネットの記事(NEWSポストセブン)より抜粋(かなり生々しい)
「保健体育審議会事務局の課長に過ぎなかった田中氏が出世するのは、1996年に始まる瀬在幸安総長の時代。総長選の頃から瀬在氏に接近した田中氏は、その後6年という短期間で、常務理事にのし上がる。“3段跳び”という見たこともない異例のスピード昇格でした。この時に田中氏は、34部ある体育会を権力獲得のツールとして利用するためか、将来の学部長になり得る教員を、運動部の“部長ポスト”にスカウトして取り込むことを繰り返したのです。医学部長だった瀬在氏も、競技経験ゼロなのに相撲部長に迎え、結果として後の総長との接点を作ることに成功した。今のアメフト部の加藤直人部長(副学長・文理学部長)も、アメフトの競技経験はありません