トリノ行き内定の4人の写真だが、安藤ミキティは痛過ぎる。これって報道(毎日)も絶対に意図的に流しているよな。もっと好い写りの写真があっただろうに。よく見ると何だか「小ガメラ」みたいだ。まあちょっと気の毒ではあるが、安藤選手、今はヒールな立場なんだよ。これは実力で跳ね返さない限りどうしようもない。取りあえず、オリンピックは「思い出」なんていう発言だけはしないように。でもなあ、スポンサーがロッテか。。。。
とつくづく思います。浮いている時間が半端じゃなかった印象が。ちらっと女子フィギュアを観たのですが、回転数があればいいみたいな意見ばかりで、なぜ回転飛びするのかという本質的なことが忘れられているような。強引でも何でも3-4回まわってしまえば「成功」なのか?やっぱり観ている側から「すげー」みたいな感動を引き出さないといけないのではないかと。そういう意味では浅田選手の回転は飛んでる時間も長くてシャープでかなり格好いい。先生は伊藤みどりさんの先生と同じなようですね。2chで叩かれまくりの安藤選手ですが、今の状態ではとても日本代表とは言えないのでは?累積点数では上位のようだけど、何だかなあ。メダル取れるのならいいですけどね、ただオリンピックに参加したいだけなら辞めて欲しいです。
右翼というのは言い過ぎだけど、米国産牛肉の輸入解禁に伴って、自国の食文化をしっかり見直すべきだと思います。自国の風土でとれた食材を旬に食べるという一番簡単で健康的なことが何故こうも疎かにされているのか。足りない部分は輸入に頼ってもいいが、過剰に頼るのはおかしい。そしてそれは食材や料理に対する興味や知識をどんどん失い、味覚オンチをつくるだけなのです。
全然知らないというか聞いた経験ないけど`、何だかデスメタルという言葉の響きに惹かれます。あーでも中学生のときの友人はヘヴィメタにはまってたから、ちょっとヘビメタ系は聴かされたことあるけど、あれのさらにヤバイやつかな。
wikipediaで調べると、もうツボにはまる文言だらけ。
「超重低音」を強調したチューニング。
「疾走」時には「爆風」のようなインパクト。
「ブラストビート」。その音はマシンガンの発射音にも似ていて、爆風をイメージさせ、人間が叩ける速さの限界に挑む。
「デスヴォイス」と呼ばれる、「死神」あるいは「魔獣」のように演出する歌唱法(限りなく低い声で唸り叫ぶ/歌詞を高速で叫ぶ)。
これって今の私の演奏に足りないものだな。
wikipediaで調べると、もうツボにはまる文言だらけ。
「超重低音」を強調したチューニング。
「疾走」時には「爆風」のようなインパクト。
「ブラストビート」。その音はマシンガンの発射音にも似ていて、爆風をイメージさせ、人間が叩ける速さの限界に挑む。
「デスヴォイス」と呼ばれる、「死神」あるいは「魔獣」のように演出する歌唱法(限りなく低い声で唸り叫ぶ/歌詞を高速で叫ぶ)。
これって今の私の演奏に足りないものだな。
去勢というものがありますが性欲は落ちないと効きます。幼児性愛なんていう変態性欲を完全に押さえ込む為には何か脳外科手術的な手段をするしかないのではないかと思います。性欲を司る脳中枢を遮断してしまうとか。あーでもこれって倫理的に駄目なのかなあ。犯人達も再犯を犯すかもしれない自分が怖いとか言ってますし、もうこれしか無いと思うのだけど。異常性衝動ってのは本能的だから理性だけでは押さえられないのですよ、恐らく。科学の力で何とかして欲しいものです。
さて今日から12月ですが、昨日はフルトヴェングラーの命日だったわけで、フルヴェン大祭として唯一残されているフルヴェンのカラー映像である1954年のドン・ジョバンニを観ました。(ザルツブルグ音楽祭)
凄い。。。
入場してくるなり鋭い目でじろりとオケを見渡し、客に対しても小さく一礼するだけでにこりとも笑わない。そして振り下ろされるタクト、響き渡る荘厳でデモーニッシュな和音。これだけで最敬礼です。フルトヴェングラーの指揮は一般的にはわかりにくいといわれてますが、棒はきちんと拍を分けてふっており、音の出と棒が同時で私的にはかなりわかりやすい(同時でない指揮者の代表=アバド)。右手は長めの指揮棒で拍を刻み、左手は常に表情付けでひらひらと動いている。メロディーをかなでるパートには体を向け指示をだし、強拍の振り下ろしは明確で力強い。早い八分音符の刻みも全部振ろうとしているのか棒が小刻みに動き続け、フルヴェンの音楽に特有な早回しの躍動感と推進力はこれか?と思いましたね。端的に言えば、音楽の表情と棒が「シンクロ」しているわけです。フルトヴェングラーは「変てこな指揮」をしたという評論ばかりが目につきますが、基本的にはスタンダードな指揮をしていたのではないでしょうか?(昂奮した時どうなったのかはわかりませんが)このドン・ジョバンニは初めての本格的なオペラ映画でもあり、本作品の演奏における伝説的な「デフォルト」なのですが、特に最後の地獄落ちは演出も含めてフルヴェンならではの重厚感と迫力で圧巻です。全体のカメラワークも素晴らしいですし、歌手もウィーンフィルも素晴らしいので是非観てもらいたい映像です。
凄い。。。
入場してくるなり鋭い目でじろりとオケを見渡し、客に対しても小さく一礼するだけでにこりとも笑わない。そして振り下ろされるタクト、響き渡る荘厳でデモーニッシュな和音。これだけで最敬礼です。フルトヴェングラーの指揮は一般的にはわかりにくいといわれてますが、棒はきちんと拍を分けてふっており、音の出と棒が同時で私的にはかなりわかりやすい(同時でない指揮者の代表=アバド)。右手は長めの指揮棒で拍を刻み、左手は常に表情付けでひらひらと動いている。メロディーをかなでるパートには体を向け指示をだし、強拍の振り下ろしは明確で力強い。早い八分音符の刻みも全部振ろうとしているのか棒が小刻みに動き続け、フルヴェンの音楽に特有な早回しの躍動感と推進力はこれか?と思いましたね。端的に言えば、音楽の表情と棒が「シンクロ」しているわけです。フルトヴェングラーは「変てこな指揮」をしたという評論ばかりが目につきますが、基本的にはスタンダードな指揮をしていたのではないでしょうか?(昂奮した時どうなったのかはわかりませんが)このドン・ジョバンニは初めての本格的なオペラ映画でもあり、本作品の演奏における伝説的な「デフォルト」なのですが、特に最後の地獄落ちは演出も含めてフルヴェンならではの重厚感と迫力で圧巻です。全体のカメラワークも素晴らしいですし、歌手もウィーンフィルも素晴らしいので是非観てもらいたい映像です。