Wilhelm-Wilhelm Mk2

B級SFからクラシック音楽まで何でもあり

宇宙が鳴り響く様

2008-04-29 | Weblog
 インバル監督就任コンサート。はじめてマラ8を通して聴いた。席は4階テラス奥。オークションで手に入れた席。東京文化は奥の席でも舞台がよくみえるので安心だ。(オペラシティとは大違い)。
 男性、女性、児童の各100名ほどの合唱に、8人のソリスト。弦楽器は8-7-6-5-4に管楽器が沢山。入場だけで結構圧巻。インバルは元気だった。昨年のアルペンでも元気だったが、今日のほうが活気があるか?手を大きく振り回し、楽器にばしばし指示をあたえる姿が実に壮観だ。バンダの金管群(4階センター)へ振り向いて指示与えるときは、ホール全部を手中に収めたような図になり、音楽のクライマックスと重なって凄いカタルシス感を与えていた。ちなみにインバルは来年からチェコフィルの首席指揮者に就任するらしい。実力が十分にありながら、微妙にポジションに恵まれなかった指揮者・・・というイメージがインバルにはあるのだが、これで名実共にトップクラスの指揮者となったわけである。そんな指揮者を監督として迎えることのできた都響、これからもっと刺激的な演奏会が増えるだろう。
 曲だが、オルガンとバスのペダルから始まる冒頭からバスの響きがすごい。都響のバスは雑音がなく、音程だけで強くかつ柔らかく響くので素晴らしい。演奏全体を通して、バスの積極的に責める演奏に始終どきどきした。チャンスはおそらくないだろうが、これはぜひ弾いてみたい曲だ。全体通して90分ほどだが、長さを感じさせない盛り上がりで演奏会として大満足だった。曲として「グッ」とくるかといえば、昂奮した原因は音量と音圧のせいかもしれないが、これはこれで良い音楽興業だと思う。思うにマーラーはこの曲で世俗の垢や脂っ気をすべて落として、続く「大地の歌」、9番がかけたのだと思う。リヒャルトのアルペンとこのマラ8は、西洋音楽の到達した一つの極致だと思う。(マラ9、メタモルフォーゼンが精神的な最高峰だと思うが)
 それにていも都響、数年前は財政不足で瀕死だったのに、よくここまで立ち直ったものだ。今回の3連続公演はあっというまに売り切れたそうだ。今日もお客は満員。空席はほとんど見あたらなかった。団員の方々は色々と大変だったろうが、この勢いで是非頑張って欲しい。同じように地方自治体の補助に頼っている大阪センチュリー交響楽団の存続が問題になっている。補助金はある程度必要だと思うが、都響の例を研究して、是非お客さんが殺到するようなオケになってほしいものだ。舞台をよくながめると、ヴィオラに先輩が乗っていたり、客席にも知人や親友がいたりした。結局終演後、親友と旧交を温めた。

2008-04-28 | Weblog
 お休みを前倒しでいただき、京都へ行ってきた。今回のテーマは「茶室・庭」。「へうげもの」に感化されて以来、茶道・芸事を通して歴史をみる楽しさを知り、現在日本史を再勉強中である。今回は数日の滞在で、特別拝観中である大きな寺院の塔頭を中心に、20カ所くらいを巡った。食事も坪庭をそなえた町屋を選ぶという徹底ぶり。色々な庭をみたが、直線的にせまって来るもの、じわじわと攻めてくるもの、心への響き方の違いを楽しませてもらった(写真は龍吟庵・東庭. from wiki)。
 茶室も随分たくさん観せて貰った。専門的なことはわからないが、狭い空間に盛り込まれた様々な工夫に驚嘆させられた。空間のとりかた、見せ方、明かり取りの窓の開け方等々、どれもが自分のつぼをついてきてたまらなかった。狭小空間に注ぐ愛情にかけては、日本人にまさる民族は世界にいないのではないか?さらに、これら全てが、不均質な「天然素材」を巧く利用してつくられていることも私の心を掴んだ。均質なポリマーやステンレスやらに囲まれて生活している現代人は、「微妙な差違」に対する感受性が絶対に鈍っていると思う。思うのだが・・日本の文化の特性は「微妙」を楽しむことにあるのではないか。
 そして、自分の植物に対する知識の無さを、改めて痛感させられた旅でもあった。綺麗な花をみても名前がわからないのだ・・。これは食事で、食べているものがわからないのと同じくらいに悲しいこと。幸運にも連れ合いが結構詳しいので「これなに?」「あれなに?」と安易に訊きほじることができるのだが、改めて今年の課題「花の名前を覚えよう」を心に誓った。

死刑

2008-04-23 | Weblog
 大きな事件の判決がくだったが、量刑は当然だと思う。「これまでの判例に反する」とかいう輩もいるが、これまでが軽すぎだったのである。死刑には犯罪抑止力などないので廃止せよという意見もよく聞く。しかし「悪いことをすると地獄に堕ちる」とか「そういうことをすると罰が当たる」など、行為に対して報復が下るという価値観をすり込まれている日本民族にその意見は愚の骨頂だ。被告の複雑な生育環境から生じた精神年齢の低さについてだが、それでは同じような環境に育ったら、全員が殺人者になるのか?子供の成育に環境が最重要という意見は正しいが、人間が生を受け、自我をもった以上は、自分の心の責任は(不可抗力の力が多く働いても)自分にあると思う。今回の犯人が、弁護団の主張のとおりに「人恋しさ」とやらでたまたま殺人に至ったにしても(あり得ないが)、結果として無関係の人間を2人も殺めているわけで、それだけで十分に死刑にあたいすると私は思う。この被告が人格・精神的に異常なのはわかる。異常でなければこんな犯罪はおこさないし、凶悪犯罪者というのは基本的にどこか精神に異常があるから犯罪をおかすのだ。心理学者がそこをプロファイリングし、弁護士がそれを被告の弁護のためにつかうのは勝手だが、そんなところは争点では全くない。裁きは行為に対してのみ下されるべきである。被告は反省しているというかもしれないが、本当に良心にめざめ反省しているのなら、人として生きていられないだろう。「生きて反省したい」という言葉そのものが反省していないことを告げている。
 それにしても、今回の弁護団の「胡散臭さ」はどうだ。「類は友を呼ぶ」ではないが、ずらっと並んだ弁護団の顔をみると、ナチュラルボーンKYな様相に薄ら寒ささえ覚える。以前に菊田という弁護士(明治大学名誉教授)が、「法律を知らない癖に!」と今回の遺族を面前で恫喝していたが、こういった歪んだ特権意識にとんだ自己中心的な「専門職」はこれから積極的に排除していくべきだと思う。インターネットによって発言する機会をえた本当の世論によって、これまで偏った「識者」によるやりたい放題だった世論誘導を阻止する戦いがこれからもっと活発になっていくに違いない。

まとまらないので

2008-04-22 | Weblog
書きたいことは沢山あるのだけど、なかなかまとまらなくて。
とりあえず、最近観たもの聴いたもの読んだもの

1)プロコ「ロミジュリ」組曲/ショルティ・シカゴ響(CD)
2)歌劇カルメン/メト・レヴァイン(DVD)
3)ローマ三部作/ムーティ・フィラデルフィア管(CD)
4)「メリーウィドウ」/ガーディナー・ウィーンフィル(CD)
5)澁澤龍彦「妖人奇人館」
6)澁澤龍彦「幸福は永遠に女だけのものだ」
7)ラヴェル管弦楽集/クリュイタンス・パリ管(CD)
8)アルプス交響曲/カラヤン・ベルリンフィル(CD)
9)R.Strauss自作自演集「日本皇紀2600年祝典序曲」(CD)
10)「ドンキホーテ」カラヤン・メネセス(DVD)
11)「へうげもの」第6巻
12)映画「神に選ばれし無敵の男」(DVD)
13)映画「無防備都市」ロベルト・ロッセリーニ監督(DVD)
14)ヘンデル「メサイア」/アーノンクール・ウィーンコンツェルトムジクス(CD)

鉄道模型

2008-04-19 | Weblog
 教育テレビで鉄道模型の番組をやっている。自分の周りにも、鉄道模型オタクはけっこう多いように思う。それも社会的地位が高い人や、一見硬派に見える人が、密かに熱を入れていたりして吃驚する。自分も鉄道旅行は大好きだが、車両や模型には興味がない。でも、はまってしまう人の気持ちは何となくわかるな。

カラヤン第九

2008-04-18 | Weblog
 1977年のジルベスターコンサートのライブ。昔(高校生のころ)に、テレビ放送でみたことがあるのだが、非常に感動しいつか絶対に手に入れようと熱望していた映像。なかなかDVD化されなかったが、このたびユニテルから廉価で市販された。若々しい、といっても70歳!のカラヤンと、黄金時代のベルリンフィルによる透徹した美学をみせつける名演。とにかく美しく、そして上手い。まったくぶれないアンサンブル、弛緩しないテンポ、途切れない緊張感。楽しそうに弾いている奏者など一人もいない。全員が鷹のような目つきで全身全霊で弾いている。カラヤンも汗だくになりながら魔神のように腕をふる。この時代のカラヤン・ベルリンフィルの映像の多くは、作為的に編集されたものばかりなのだが、今回のライブ映像をみると改めて70年代のベルリンフィルがいかに素晴らしいかを実感できる。カラヤンファンなら必見。

ブル7

2008-04-14 | Weblog
 録画してあったN響アワーを観た。先月あたりに演奏されたチョン・ミュンフン指揮のブル7だった(2楽章から)。前々回の放送で、同じ月に公演されたマラ9の録画をみたが、全く感動しなかったので、今回は流し観程度の気持ちだったのだが、なかなか良い演奏ではないか・・・。いや、演奏以前に、なにこの大編成?バス12人なんだけど。録画放送なので、実際にどのくらいの音量があったのかはわからないが、会場では聴き応えがあったのではなかろうか。
 ブルックナーはそれほど、いやかなり興味がないので、演奏にどうあるべきかとか、自分の好み、こだわりがないのだが、ブル7は一度演奏したことがあるし、2楽章には特別な深みが感じられる。フルヴェンが戦時中に遺した唯一のスタジオ録音であるテレフンケンレコードにこの2楽章の録音がある。以前にもここで書いたかもしれないが、これは超絶的な名演である。

満員電車

2008-04-14 | Weblog
口が寂しくなると、すぐに珈琲を飲む癖がついている。ドリップバッグが手元にたくさんあるためなのだが、がぶ飲みした後はどうも心も体も調子が悪くなる。カフェイン中毒何だろうか?本質的に、単独の化学物質を大量に摂取し続けて体に良いわけがない。

平城遷都1300年祭のキャラ問題。かわいくないとか仏様に失礼とかいうより「やっつけ仕事」っぽくて萎える。

朝、いつもより1時間ほど早く家を出たが、酷い満員電車に遭遇。どうやらあの時間帯は最凶な混み具合らしい。本気で命の心配をした。「先行列車が次の駅で止まっています。発車までしばらくお待ちください。」のアナウンスで電車が途中で止まったときの車内の妙な静けさがたまらない。体をねじることもできず、妙に息苦しい。このまま続いたら確実に発狂だな・・・と思った。こういうのは閉所恐怖症、パニック障害というのかもしれない。しかし職場で周りの人にきいたら、結構みな同じ気持ちをあじわっているようだ。自転車で通勤したいが、億ションでも買わない限り無理だ。職場が良いところにありすぎるのも困ったものだ。

語学

2008-04-12 | Weblog
朝起きてテレビをつけたら、日本に来ている外国人へのインタビューをやっていた。

「日本にきて、これは変だと思ったことはなんですか?」
「飲み放題。アメリカではありえない」 

確かになあ。飲み放題、食べ放題って日本だけの特殊なシステムかも。
 しかし、日本語を喋る外人には親しみを感じる。うまくなくても日本語を一生懸命喋ろうとする外国人には好意を感じる。これは逆も同じだろう。聖書によれば、神は人が団結することを阻止するために、様々な言葉を人に与えてたとあるけど、外国人と仲良くなるにはやはり「言語」だなあと。でも現在、外国語を勉強する気はあまりなし。どちらかというと日本語の勉強したい・・・。

もうひとつ
「日本にきて、これは変だと思ったことはなんですか?」
「ベンツとか外車から降りてくる人の服装が、ジャージとかパジャマ。」

確かに。日本人は小金が入ると、真っ先に時計や車にお金をかけるよなあ。そして、これは田舎にいくほど強い傾向にあるように思う。ものが自分に似合っているか、上手く使えているのかではなく、ただ「所有している」という段階で満足してしまっているのだろうな。

 人生というのは自分との対話だと思う時がある。結局自分は何をしたいのか?何をすると楽しいと感じるのか?これまでも少なからずそういう自問をしてきて、とりあえず今は自分の好きな分野の職にいるが、じゃあそこでどえらい仕事をして、肩書きの大きな地位を目指したいのか?と言われたら「まったくない」と心は答える。これまで自分の人生で、その肩書きを持っている人で尊敬に値する人物に出会ったことがないし、それにこだわるあまり、その人の良かったところが、ごっそり落ちてしまう例を、5年10年のスパンでつきあいながらいくつも見てきた。といっても、自分もこのままずるずると年をとったら、お給料や見栄えのために、そういうことを考えざるをえくなるのはわかってるのだが、そうやって流されていって、疲弊して人生終わっていくのかな?と思うとぞっとするときがある。

早期退職して・・・

魂を漁る女

2008-04-10 | Weblog
 レーオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホ男爵、ドイツ生まれのオーストリアの作家(1836-1895)の作品。マゾッホといえば、いわずとしれた「マゾ=M」の元祖の人である。といっても、対するS=サドの元ネタであるフランスのマルキ・ド・サド侯爵とは100年ほど時代がずれており、面識はまったくない。サド侯爵が徹底的なアナーキストで人生の大半を牢獄ですごした放蕩者であった反面、ザッハーマゾッホ自身は、変態小説・暗黒小説を主に書いていたわけではなく、歴史、哲学、宗教をおりまぜた人間の奥底を冷徹に掘り返すような真面目な作品を書いていた。しかし、東欧ユダヤ文化に肩入れしたり、批評家を罵倒したり、プロイセン王を非難したりなどして、ドイツ国内では非常に嫌われていたらしい。同時代のフランスでは好んで読まれていたようだ。
 マゾの代名詞とされてしまったのは、超大作「カインの遺産」中の一編「毛皮のヴィーナス」という作品に肉体的倒錯をたくさん織り交ぜたためであり、本人は純文学、哲学作品として書いていたものなのに、変態小説家の烙印を押されてしまい落胆したらしい。
本作、「魂を漁る女」はマゾッホの最高傑作の一つとされている。2部からなる長編で、文庫版で550ページほどである。読む人がそうはいると思えないので、内容をネタバレで書いてしまうと、舞台はウクライナ・キエフを中心に起こる。主人公の貴公子ツェジムの幼なじみ「ドラゴミラ」(凄い名前!)は氷のような美貌を備えた長身の絶世の美女であるが、キリスト教のカルト教団に属していた。その団体は、堕落した人、もしくは団体に敵対する人間を、拷問のうえ殺害することで魂を救うという(オウムのポア思想に似た)狂信的集団であり、ドラゴミラはその実行部隊「魂を漁る女」であった。ドラゴミラはキエフの放蕩伯爵ソルテュクの殺害を目指すが、女としての純粋な愛をツェジムにも感じ、そして暗黒的な愛情、似たもの通し相愛としてソルテュクにも惹かれる。しかし、ドラゴミラは教団に徹底的に身を捧げており、ソルテュク伯爵を拉致したうえ結婚し、数日間の悦楽を楽しんだうえで、自ら伯爵を生け贄として殺してしまう(このあたりがクライマックス)。最後は、ドラゴミラの正体に気づいたツェジムと、彼を心から愛する聖少女アニッタによって追い詰められ、アニッタに射殺されて話は終わる。ドラゴミラの美貌の描写が細かく、マゾッホの「毛皮」「スウェード」好きがくどいほどに描かれている。このドラゴミラの個性が強烈で、決して男性に媚びず、自分の美貌と気高さのみで男を手玉にとる。それでいて、ツェジムと相愛のアニッタに嫉妬し、そのことで自分の気持ちを知ったりと普通の女性っぽい面もある。いわゆるツンデレなのだ。しかし自分の立ち位置はあくまで「女王様」であり、それを崩すことなく最後をむかえるのがなんとも潔い。人間には誰にも表と裏の2面があり、臆することなくそれを描きこんでみせたマゾッホは現代社会でもっと評価されてもいいと思う。サド文学はあまりにも痛すぎて、読んでいて疲れるのだが、自分にはこちらのほうが趣味にあっている(Mというわけではない)。日本で手に入るザッハー=マゾッホの文庫は少ないようだが、集めてみたい。

王理恵3度目の離婚

2008-04-08 | Weblog
 近くの図書館に登録した。揃えられているCDのラインナップはなかなか。いきなり買うには躊躇うようなものを試聴するのによい。とりあえず、マリア・カラスのオペラを3点借りた。DVDも少しだけだが置いてあった。フルヴェン映画が2つもあったのには驚いたが・・。

加護あい復帰:ブログがあるから、事務所に所属してなくても色々と発信できるしな。そのブログに固定客がつけば、どこかの事務所が拾うかも。結局は商品価値がどのくらいあるかが問題なわけで・・・。そういえば先日、夜桜を観に靖国へいったのだが、最寄りの駅に、ピンクずくめで、いかにもオタクなやつらが涌いていた。年齢不詳、リュック、縮れ毛、若禿げ、メタボ、首タオル・・・もう男捨てすぎな奴らばかり。帰宅して調べたら、声優の武道館コンサート?だったらしい。オタクには理解あるほうだけど(自分もちょっとその気あるから)、リアルオタを観ると、さすがに引くね。

日銀総裁人事:総裁いなくても困らない。そのうえ、副総裁なんて必要なのか?そんなどうでもいいような人事に、あーだこーだやってる政治家共・・・。どいつもこいつも2世3世で無能だ。小沢一郎ってのはコンプの固まりらしい。2浪するも東大に入れず、そして目指していた弁護士にもなれず。そして父親も政治家。日本のことなんて真面目に考えてない。考えてると本人は自己暗示をかけてるのかもしれないが。

聖火:聖火リレーが初めて行われたのはベルリンオリンピック、ナチス=ヒトラーの肝いりの大会のときから。聖火リレーに伝統なんかないと知れ。妨害、反対、いいじゃない。日本も派手にやることを望みます。IOCも北京も望まれている大会ではないことをかみしめろ。中国人は、どれだけ嫌われているか思い知れ。
 今回もどれだけドーピング違反がでるか楽しみだ。そう、どうせならドーピングやりたい放題で大会を開催してみたら?泡ふいて倒れる選手、突然切れて暴走する選手、インタビューで支離滅裂な会話する選手、暴行殺人あたりまえの選手村、見応えありまくり。
 

たましい

2008-04-08 | Weblog
 人間の本質とは何だろうか?肉体は魂の容れものであるという意見は容易に納得できる。お腹の調子一つも自由にコントロールできないから。じゃあ人間を人間せしてめているものは「魂=心」なのか?というと、実は心の調子も自由にコントロールできない。機嫌、不機嫌、躁、鬱、前向き、破滅的、冷静、なげやり、思いやり、残酷、優越感、劣等感・・・自分で自分の心を自由にデザインすることは困難だ。苦しいときの自分、その苦しさは自分の体や心から発生しているのに自分でどうすることもできない。やっかいなものだ。

お花見

2008-04-07 | Weblog
 週末はお花見に費やした。今年の桜は特別に綺麗だったように思う。お花見しているときの日本人が一番日本人らしい。クリスマスなどの輸入フェスタで騒ぐ前に、自国の季節の行事をきちんと味わうべきだ。今年は色々と花の名前を覚えよう。

 10年ぶりに音楽の友を買った。ウィーンフィルの特集が組まれており、各コンマスのインタビューが面白かった。どのコンマスも、最近の若手の指揮者は自分を売り出すために他人と変わったことをしたがり、すぐにレパートリーがつきて消えていくと言っていた。そして、キュッヒル氏のラトル嫌いは相変わらず。それにしても、正団員は月に17公演もオペラに出る規定とは・・・ウィーンフィルの演奏会も含めると、団員は月に数回しか休みがないらしい。ほとんど毎日、同じメンバーで楽器を弾き詰めということか。しかし、だからこそ、あの独特の響きが生まれるんだろうな。古い伝統を伝える世界唯一のオーケストラとして、今後もこのままのスタイルで続けて欲しい。

 ラトルのハイドンを聴いた(ベルリンフィル)。速い、そして汚い。ただの曲芸披露でしかない。さらに、その曲芸がイマイチだった。あのテンポではベルリンフィルでも美しさを保って演奏はできないようだ。これを聴いた後にベーム盤を聴くと、倍ほどにゆっくりに聞こえるが、早回しから受ける昂奮はこちらのほうが上というのが面白い。

 最近ギリシア文化に興味がわいてきている。人間という生物のデフォルトの美的感性がストレートに表現されていると思う。古いから現在より劣っているとか、近代だから古典より進化しているなぞという考え方は間違っている。人間の感性は、この数千年間なにも進歩していない。逆に、宗教やアカデミズムの誘導のせいで、目を曇らされているように感じる。

早弾き

2008-04-04 | Weblog
 桜に対する感動が、歳を重ねるごとに大きくなっているような気がする。週末まで綺麗に保ちそうだ。今晩あたりの上野公園は修羅場?

ハイドン
 生没年を確認すると1732-1809。モーツァルトが1756-1791,ベートーヴェンが1770-1827である。あの時代にしてはずいぶんと長命であり、モーツァルトの生涯をすっぽりおさめ、ベートーヴェンが「運命」「田園」を初演した際(1808)も、同じウィーンで存命だった。ベートーヴェンやモーツァルトに比べてドラマティックな逸話に乏しく、人格的につかみ所が少ない。モーツァルトとはお互いに作品を見せ合ったりと良好な関係を築いたそうだが、教えを請いにきたベートーヴェンとはうまくいかなかったようだ。まあベートーヴェンのほうに問題があったのだろうが。(ベートーヴェンが楽譜を出版する際に「ハイドンの教え子」と書き添えてほしいと(ハイドンから)依頼され、「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねた。」wikiより。)
 ハイドンといえば、とにかく「早弾き」である。ヴァイオリンと同じ音型の早弾きを低弦にも平気で強いてくる。もっと工夫しろよといいたくなる。古典における低弦(特にバス)の早回しというものは、超絶技巧としての性格をもっており、音楽としてというよりも、「見せ物」として重要なわけなのだ。ハイドンの作品は、言っちゃあ悪いが天才的な展開に乏しいので、この早弾きが曲の重要なアクセントだったりするので気が抜けない。さて、今度の曲の早弾きをどうやって克服するか・・・まずは譜面を覚え、実演のテンポで口ずさめるようになることからはじめないと。

箇条書き

2008-04-01 | Weblog
最近観たもの聴いたもの読んだもの

夜桜
ベニスに死す(ヴィスコンティ)
ベルク:ヴァイオリン協奏曲
ドンキホーテ
多田智満子「花の神話学」
塩野七生「イタリア遺聞」
タルホ=コスモロジー
マゾッホ「魂を漁る女」
ナウシカ全巻
ラフマニノフ自作自演:協奏曲2&3番