Wilhelm-Wilhelm Mk2

B級SFからクラシック音楽まで何でもあり

パストラル

2007-07-25 | Weblog
 初めて田園を弾いた。田園は恐らく人生で最初に聴いたベートーヴェンだと思う。あれは4歳か5歳のときで、ベーム指揮のウィーンフィルのLPだった。今でもミミズがはったような字で「でんえん」「うんめい」と書かれたカセットテープが実家にある。思えば長い道のりであった(運命はデビューの曲だった)。ベートーヴェンが田園を作曲した場所というウィーン郊外のハイリゲンシュタットには2度訪れたことがある。今は住宅街となっており、2楽章に登場する小川は半分どぶ川のようになっていたが、沢山の鳥が囀る自然豊かな田舎町である。この4月に訪れたときは、住宅街の向こうの丘一面が菜種畑で黄色く染まっており、澄み切った広い青空に映えて目をひいた。作曲は1807あたりというから、ちょうど今から200年前か。熱情ー運命ー田園。この時期のベートーヴェンの創作力は神懸かり的である。
バスにとっては4楽章が勝負といえる。演奏不能な楽章として有名だが、演奏できるところもある。突風が駆け抜ける場面の重低音早回しはバスにしか表現できない。このあたりは田園という雰囲気とは全く違うが、デスメタルのブラストビートを意識してやってみたい。

第1楽章「田舎に到着して晴れ晴れとした気分がよみがえる」
第2楽章「小川のほとりの情景」
第3楽章「農民達の楽しい集い」
第4楽章「雷雨、嵐」
第5楽章「牧人の歌−嵐の後の喜ばしく感謝に満ちた気分」

芳醇なヴィオラ

2007-07-23 | Weblog
 紀尾井で清水直子さんのヴィオラを聴きました。初めて清水さんを観たのは5年以上前に現地で聴いたベルリンフィルコンサート。前のほうで熱い演奏をするアジア女性のヴィオラ奏者にひかれ、すぐに名前を調べてしまいました。昨年あたりに彼女を特集したテレビ番組が放映されたことで、ぐっと知名度があがった感じがしますが、私は自分の眼力で発見したので、自分にとって少々特別な演奏家なのです。
 今回はヒンデミットの「白鳥を焼く男」というヴィオラ協奏曲を披露してくれました。ヴァイオリンとヴィオラを抜かした小編成オケが伴奏で、古い伝説や民話をもとにした3楽章の曲。ヒンデミットらしい怪しい曲でしたが、清水さんの安定したテクニックとホール隅々まで響き渡るヴィオラらしい暖かい響きに前のめりになって聴き入ってしまいました。音楽がストレートに体に染みいってくる感じですね。フルボディでかつ滑らかな赤ワインが、喉を通っていくときの満足感に似たものがあります。しかし、あれだけの輝かしい経歴をもっているのに、全ての所作が控えめで偉そうな雰囲気が全くなく、幾分はにかみながら礼をされるところが、日本人的な美というか。その反面、楽器を構えた時の集中力は並大抵ではなく、大きく息を吸う音や体全体を使った演奏は、聴いている側にも音楽に没入させる力を持っています。現時点でソロCDを2枚リリースしていますが、アルペジョーネやシューマンのロマン派から超絶技巧の現代曲まで堪能出来ます。来年はトルコ人の旦那さんの伴奏でソロ演奏会をしてくれるそうです。

ハンス・ロット

2007-07-19 | Weblog
なんだか爛れてきたので基本に戻ろうと思い、過去の書き込みを整理しました。日々出会う感動の備忘録としてやっていきたいと思います。心機一転ということで、題名にMk2をつけてみました。

最近聴いたCD:ハンス・ロットの交響曲。この作曲家の存在は全く知りませんでした。オーストリア人で、25才の若さで夭逝。残された曲はこの交響曲1番といくつかの序曲と室内楽のみ。Wikipediaに詳しく書かれていますが、簡単にまとめると

ウィーン音楽院で作曲を学ぶ。
ブルックナーに認められていた。
マーラーと少しだけ同居したことがある。
自作の交響曲をブラームスに見せて手酷く貶される。
そのため鬱病になる
汽車の中で「ブラームスが爆弾を仕掛けた!」と発狂。
自殺を何度も企てた末、結核で他界、享年25歳。

と、気の毒な方で、最近まで全く無視された存在でした。しかし、ある音楽学者がマーラー研究の際に「発見」し、その作品はいくつかのオーケストラが演奏し録音もされています。私が購入したのは輸入ディスクの1枚(777円)。
同時期の大家であったワーグナーや師匠のブルックナーを思わせる響きがありますが、とにかくマーラーに似ています。3楽章などは、「巨人」の2楽章そのものだし、よく聴くと、「復活」の3楽章のリズムも出てきます。マーラー自身、ロットの曲からインスパイアされたと語ったそうですが、ここまでやると「盗んだ」と言われても仕方がないでしょう。そのくらい似ているのです。全体としては冗長ではあるけど、二十歳の段階でこれだけ書けたのだから、長生きしていたらどう大成していたことか。それにしても、なぜブルックナーの弟子が、ブルックナーと対立していたブラームスに作品を見せに行ったのか?

ちょっとここで「アマデウス」的なサスペンスを考えました。「ウィーン音楽院の仲間同士だったマーラーはロットの才能を早くから見抜いており、将来自分の出世の障害になるであろうと予感していた。自作の交響曲を何とか世に出したいロットに対し、マーラーはブラームスに相談しろと助言する。しかし、これは師匠のブルックナーを裏切らせるためであり、その上で空いた弟子の席にマーラーが入り込むつもりだった(実際マーラーはブルックナーの弟子になった)。そして予想通り、ロットはブラームスに酷評されて精神を病んでしまう。ロットがウィーンを去る際に、ロットは自分の作品をマーラーに預ける(そして発狂してしまう)。マーラーはロットの作品は失われたと嘘をつき(ロットは多作だったらしいが、現在殆ど残っていない)、後の自分の作品の糧とした・・・・。」妄想

N響公演

2007-07-01 | Weblog

アシュケナージ=N響を聴いた。
先週のラフ3ーマンフレッドのプログラムは、ラフ3マニアの私としては、清水和音がどのくらい弾くのか聴いてみたかったとこころ。またマンフレッド交響曲はよくチャイコフスキーの伝記には登場するものの、音源が手元に全くなかったので、昔から聴いてみたかった(世間的に、音源の少ない作品は、大抵・・・な曲なのだが)。さて、清水氏のラフ3は、テクニック的には上のレベル。あのテンポで最後まで大きな間違いもなく弾ききるのは素晴らしいことだ。だが、なにせ音楽が平淡すぎる、ポスターカラー(それもくすんだ)のような演奏で、ラフマニノフ的な浪漫を全く感じさせず退屈だった。マンフレッドは予想どおり駄作だった。霊感に乏しい時にチャイコフスキーが多用する「スケール」だらけの曲で、メロディーにも変奏にも目立ったものがなく、いきあたりばったりの展開で、ただ金管がバリバリやるだけ。先輩のバラキレフに委嘱されての作曲らしいが、作曲者本人も相当に苦労したとのこと。とても4番と5番の間の作品とは思えない。この作品を「屑」と切り捨てたバーンスタインの評価に一票を投じたい。
 この演奏会で、アシュケナージが音楽監督を6月で降りることを知る。これほどはじめから期待もされず、その前評判通りだった人もそうはいない。本人も、そして選んだ周りも立つ瀬がないのだろうか。2009年からシドニーでのポジションが待っているらしいが、晩年にむけて地位も評価も下がっていくのは何とも気の毒だ。ピアニスト一本で頑張っていれば・・・
 そして、翌週(昨日)の最後の定期公演も聴きに行った。曲はベートーヴェンの6番と7番という挑戦的なプロ。のだめ効果(笑)もあってか、最近ベト7をやるとチケットは必ず完売になるらしく、この日も珍しく当日券販売がなしだった。さて、演奏の出来は最悪の一言につきた。これほど悲惨なN響も久しぶりだ。まずオケの機能がまったくといっていいほど崩壊状態。オーボエ以下木管は音程が合わず総崩れの上に、たまに吠えるホルン・ラッパはビリビリと割れまくりですべてを台無しにする(湿気という点を考慮にいれても酷すぎた)。弦楽器は特に一番ヴァイオリンが壊滅的な出来で縦線がゆらゆら。コンマス(堀氏)の問題か?あの弦楽器群の出来が今のN響の真の実力だとしたら、根本的なシステムの改変を考える必要があると強く思う(メンバーの刷新など)。さらにアシュケナージの「伸び上がり健康ダンス」指揮に、最後まで失笑を禁じ得ず。アシュケナージがベートーヴェンに向いてないのはピアノでも明らかなのに(ロシアものが向いている。)、なぜこんなプロを用意したのか?本人は好きなのかもしれないが、誰か止めてやれよ。とにかくダウン棒がすべて万歳なのは一体なにを意図しているんだ?言葉でいうと「さあ元気いっぱいに、のびのび弾け!」なのか?あまりにもの消化不良だったので、帰ってから、同じNHKホールで行われたベーム・ウィーンフィルの来日公演のDVDを観賞して耳直しをした。
 両公演とも、私は2000円以下で聴いたが、とくに昨日の演奏に大金を払った人は、気の毒だが「負け組」としかいいようがない。