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最近の温暖化懐疑論ニュース

2010-02-19 | Weblog
温暖化問題の話題には異様に敏感です。温暖化が人為的なものだというのはいまだ1つの説にしかすぎないとマスコミ関係者(特に報道)は認識したほうがいいですね。

国連の温暖化報告書、誤記や金銭問題浮上

「IPCCに関係する科学者5人は11日付の英科学誌ネイチャーで、組織の大規模改革を提言した。この中で、イーストアングリア大のマイク・ヒューム教授は「一つの委員会が、気候変動に関するすべての情報に総合的な評価を下すことは不可能だ」と強調した。 」


 昨年のデータ捏造疑惑事件あたりからボロボロになりつつあるIPCCの権威。世間一般の人は頭の良い科学者の国際会議が断を下しているのだから、温暖化現象は間違いないと思ってしまうだろうが、科学者といったって人間の集団です。研究費という人質で縛られている研究者に公平な判断なんてものは期待しちゃいけません。それでもこうやってネイチャーレベルの雑誌に疑問がでるようになってきたのは、よい方向なでしょうかね。
 もう1つ、ちょっと前の記事だけど、気温変動の要因が「水蒸気」によるものではないかという記事(記事は毎日、ネタ元はサイエンス)。(全文貼り付け)

水蒸気量:「気温に影響」温暖化対策議論に波紋
 
「今世紀に入って地球の気温上昇が鈍化した原因は上空の水蒸気が減少したためとする分析を、 米国とスイスの研究チームがまとめた。地球温暖化の原因と対策を考える上で論議を呼びそうだ。 28日付の米科学誌サイエンス電子版に発表した。
 国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」によると、20世紀後半の気温は10年当たり 0.13度上昇した。00年以降も温室効果ガスは増えているが、気温上昇はほぼ横ばい。このため「上昇は人間活動が原因である可能性が90%以上」とするIPCCの分析を疑問視する見解が出ている。 研究チームは二酸化炭素(CO2)と同じように温室効果を持つ水蒸気がかかわっていると考え、人工衛星と気球で上空の水蒸気濃度を調べた。 それによると、成層圏(約10~50キロ)の水蒸気が増え、1980年からの20年間の気温上昇率は30%増だった。だが、その後の10年間は水蒸気が10%減り、気温上昇率も25%減だった。本来0.14度高くなるところを0.10度に鈍化させる効果をもたらした。
 分析した米海洋大気局のスーザン・ソロモン博士(IPCC第1作業部会共同議長)は
「水蒸気は(太陽光をさえぎる)火山噴火と同様、気温の変化に影響を与える。 しかし、CO2などの排出増がなければ気温上昇は説明できず、IPCCの結論は変わらない」
と語った。」

 最後の説明があまりにも苦しすぎる。こういう世界の流れを無視して、必死にエコだ削減だ、友愛だといって自国産業の首を絞めようとする日本・・・・。

東大利一

2010-02-18 | Weblog
 ホリエモンのブログはなかなか読ませる。相変わらずだなと思うことも多いけど(最近のエントリーだと国母選手服装問題)、やはりただ者ではないと思わせることも多い。傑物ではあるのだろう。まあでもこいつに例えばマラ9を聞かせても絶対に感動しない(できない)だろうなと思う。彼の友人なのかどうかしらないがリンク先の「金融日記」もなかなか鋭くて面白い。新しいエントリーに東大理1を出て10年後(30台前半?)の収入分布が載っている。己は・・・「下の中の上」あたりだったろうか・・。負け組か。

最近心に残った言葉

「何でも一生懸命読まなきゃ駄目だ。詩でも小説でも作者は命懸けで書いているんだ。だから読む方だって命懸けで読まなきゃ失礼なんだ。そうでなければ字面ばかり追うだけで本当の宝物は作者は見せてくれないんだよ。」

俳優・成田三樹夫氏が奥さんに語った言葉。若いときに奥さんに読書を勧めたときに言った言葉。このとき薦めた作家がハンス・カロッサ・・・(凄いインテリ度)。成田三樹夫はヤクザ映画の悪役から時代劇(烏丸少将)、SF映画まで幅広い演技をこなした名優。本人はあまり語らなかったようだけど、東大理1に入学したという経歴を持つ。親戚には翻訳者や学者がいるらしい。成田氏の趣味は将棋と俳句だったようで、句集も残っているようだ(「鯨の目」)。もう一つ成田氏の心に残った言葉。

「いいものは言葉を拒絶するね。」

 成田三樹夫は市川雷蔵とも準主役として何度か共演している。1つは「眠狂四郎 無頼控 魔性の肌」(この映画は12作ある眠狂四郎シリーズ内ではそれほど出来がいいように思えない)。それと「ある殺し屋」。この作品は雷蔵の現代劇の中でもかなりの秀作らしいのだがまだ観ていない。現在公開中の「大雷蔵祭」でも初回に上映されてしまった。レンタルで探すか。

少子化問題

2010-02-17 | Weblog
・少子化問題に関する野田議員の発言:「今は理屈じゃなく、ありとあらゆる手立てを使って、1人でも子どもを増やす努力をしなければいけない。私は思い切って母体保護法に手をつける、つまり中絶禁止までコミットしてもいいぐらいの気持ちです。」
 
 無理矢理生まれてきた(生まされた)子供が、どういう一生を送るのかを考えてから発言してほしいものですね。産んでしまえば勝ちみたいな風潮は社会の崩壊ですよ。そもそもそこまで少子化が悪いことなのか、私には疑問ですね。現在のような経済体制を維持するのが難しくなるだけであって、一時的な苦労はあるかもしれないけど(まあ氷河期世代の我々が被りそうだが)、人口が減ればまた新しいシステムが回ると思いますよ。どうせこれからは¥中国やインドには勝てないのだから、日本は国土にあった小さくまとまった、その上で何か特別な付加価値(例えば、高度の医療技術とか精密産業)を持つ国を目指すべきだと思います。

・このまま少子化問題の話。先進国で進む少子化の原因は色々とあるだろうけど、女性が(男性も)「若い時点で子供を欲しがらなくなった」のが最大の原因でしょ。医学的には40歳くらいまでは大丈夫と言われてるけど、やはり20代前半が生殖能力の頂点になるように人間は設定されているわけで、そこで繁殖しようと思わなければ数を増やすのは到底無理。根本的に少子化を改善したいのならやはり教育の段階でね、生物というものはそういうものですよということをきちんと教えないといけないと思いますね。そして勿論、「子供は両親が揃って育てるべき」とも教えるべきですよ。。「シングルマザーでもOK」とか「今のウーマンは仕事と子育てを両立できてなんぼ」とか見当違いも甚だしいですね、まあ私的には上にも書いたけど、人口が減ることは問題だとあまり思ってないので、今の風潮でもいいのですが、人間には生物としてのプログラムが組み込まれているわけで、それに従って動くのが自然かと思います。

大久保利通

2010-02-16 | Weblog
 確定申告が始まり、ちょっとだけ収まりかけた脱税ネタでまた首相が叩かれてますね。思いっきり叩かれてください。ちょっとした疑問から大久保利通のWikiを読むことがありました。紀尾井で志士残党に襲われて命を落とした大久保利通ですが、実は子孫に残す私財が全くなく、それどころか莫大な借金があったそうです。国の予算ではまかなえない公共事業に私費を投じていたためとのこと。冷徹な策士のイメージの強い大久保利通ですが、国家に殉ずる覚悟で常に体をはっていたのですね。鳩山さんも国民の命が大事とかいうのなら、うなるほどある「労働無き富」を国民のために有効に使って欲しいものですね。

北海道の日教組の法外な偏向教育:国旗国歌=悪という風潮は私の小学校でもありました。あの先生たちが今どうしてるのか知らないけど、もし会うことがあったら思いっきり議論ふっかけてみようかと思ってます。

フルヴェン悲愴

2010-02-10 | Weblog
 フルヴェンは2つの悲愴の録音を残していますが、1つは戦前のスタジオ録音のもの、もう1つは戦後のカイロでのライブのもので、演奏はどちらもベルリンフィルです。とにかく・・・深遠です(いつも同じような語彙しか出てこないのが恥ずかしいですが)。他の指揮者と全く毛色の違う悲愴を体感できます。色々と聞きましたが「鳥肌」がたった悲愴はフルヴェンだけでしたね。1楽章の陰鬱な冒頭は地の底を這うような重低音に支えられた激しい緊張にみなぎっており、主題が顕れた時にはまるで1つの曲を聴き終わったような脱力感に襲われます(主題がでるときに鳥肌が立ちました)。アグレッシブな部はフルヴェン流の加速が随所にありつつも、安易な爆演に陥らないよう手綱はきちんと握られています。この時代のベルリンフィルは本当に巧いですね。細かい音の並びの正確さに驚かされます。白眉は4楽章ですね。まさにフルヴェン好みの楽章。冒頭のワンフレーズだけ聞いても他の指揮者の演奏とは桁違いです。響きはまるで「トリスタン」です。まあこれが褒め言葉なのかどうかしりませんが、とにかく大きく滑らかな曲線で地の底まで落ちていくような長いフレーズ感です。3楽章のマーチで徹底的に俗なものを吐きだしてしまい、残された純粋な精神力のみでドライブしている感です。こういったところこそがフルヴェンの真骨頂ですね。終結部におけるバスのpizzは、多くの演奏においては譜面どおりにdimして消えてゆくのですが、フルヴェンの演奏の場合はあまり音量は下がらず、まるで心臓の鼓動がゆっくりと停止するような感じに収められています。なんだか知らないうちに終わってしまったという演奏が多い中、フルヴェンの処理はかなり効果的ですね。使えるかもしれない。
 フルヴェンがチャイコフスキーに対してどういう感情を持っていたのかはよくわかりませんが、自身の交響曲にも「宿命」やら「彼岸」なんていう重々しい副題をつけようとしたぐらいですから、チャイコフスキーが己の人生を塗り込めた悲愴交響曲にはなにか共感するところがあったのではと思います。

2010-02-09 | Weblog
 どんなことにも表と裏がありますが、マスコミが報じる内容、世間で「当たり前」と認識されている事実には相当に濃い裏面が潜んでいると思って、最近ではほとんどの事件を額面通り受け取らない、受け取れなくなりました。

・朝青龍問題。ここの情報(まあここもあれですし・・どこまで信じれるかわかりませんが)では殴られた相手はいわゆる「一般人」ではない感じですね。(酒井法子事件の登場人物!?)これだけ大きなネタなのだから、もっとマスコミが状況の詳細を報じてもよさそうなものですが、全くといっていいほど何が起きたか伝わってきません。上の情報に有るとおり、本当に黒い組織が絡んでいたりするのでしょうかね。相撲取りには伝統的にタニマチという後援組織があるのですが、それはあちらの世界の方であることが多く、その力を借りて地方で興行したりすることもあったわけです。(これは相撲に限らず格闘技興業全般に言えますね。)もし今回の事件が深刻化・長期化して色々なことが明るみに出始めたら、そちらの方面へもスポットがあたってしまい、事態が有らぬ方へ広がりかねない。それを避けるためにも今回は協会側も強硬にクビを切りに行ったのでしょうかね。まあ世間一般的には「アスリートが一般人を殴るのは言語道断、だからクビ」という流れになっていますがね。それも正しい一面ですが、そんな簡単なものではないようですね、どうも。

悲愴

2010-02-09 | Weblog
 色々と聞いてきましたが、音質を考慮しなければメンゲルベルク・コンセルトヘボウの録音がトップですかね。メンゲルベルクらしいがっちりした伽藍のような構成力ときちんと制御されたロマン的芳香に圧倒されます。コンセルトヘボウの放つ重低音も凄いですね。今のベルリンフィルの低音の3倍くらいあろうかと思います。録音の音質を加味するとカラヤン。全盛期のベルリンフィルとの録音です。悲愴は曲そのものがよく出来ているので、「完全無欠」というカラヤンの演奏美学がよくはまります。カラヤンの悲愴の録音は沢山ありますが、私はEMIの録音(1971年)が気に入っています。しかし、もしかすると映像(ユニテル盤)がベストかもしれません。確かライブ映像をもとに作られた映像で、人工的すぎて悪名高い、いわゆる「カラヤン映像」とは違った趣になっています(同じようなものに、「運命」や「海」の映像があります。)。この映像、高校生の頃に録画したテレビ放送(テレ東)のものを今でも見続けています。いい加減テープもボロボロ(伸び伸び)だし、ビデオレコーダーもそろそろお蔵入りになりそうなので、正規のDVD盤を購入する時期かと思います。大分廉価になりましたし。この一連のチャイコフスキーの映像はカメラワークが本当に素晴らしく、ベルリンフィルを自在に「操縦する」カラヤンの姿に釘付けになります。映像を通してでもこれだけの力を感じさせるのですから、実物のカラヤンのオーラは想像を絶するものだったのでしょう。

 マラ9もそうですが、最後の交響曲だから、曲名が「悲愴」だからといって、深刻に掘り下げ過ぎると、逆に演出過多で鼻についてしまうように思います。昔聞いたバーンスタインの後期の録音(ニューヨークフィルだったと思う)がまさにそれでしたね。普通の演奏の倍近く時間がかかり音楽の流れが破綻していました。当時のレコード批評ではえらく褒め称えられていたので、随分無理して購入したのだけど、あまりのとんでもな演奏にがっかりした記憶があります。まあ、今聞いたらまた違った感想になるかもしれませんが・・・(売り払ったので手元にありません)。一昨年ぐらいかにテレビで観た「小澤征爾+ベルリンフィル」の演奏も同じような違和感を感じましたね。カラヤンイヤーの出し物で、弟子であった小澤征爾が師のカラヤンに捧げるというような意味合いがあったのかと思うけど、無駄に悲劇感を醸し出そうとした必死さが空回ちしていて白けましたね。演奏もベタベタのポスターカラーのいようで、小澤征爾にというより、ベルリンフィルに非常にがっかりした演奏でした。
 確かに悲愴はチャイコフスキー自身が命名した表題だし、複雑な彼の内面を反映させた作品だけれども、作曲者本人としては絶筆のつもりで書いたわけでもなく、完成後には自信をもって世に問うてるわけで、そのあたりのチャイコフスキーの意向も素直にくみ取ってあげて欲しいものですね。なんでも「最後の作品=死」へと結びつける安っぽい流れはどうかと思います。
 さて、フルトヴェングラーは悲愴の録音を2つ残しているのですが、この「恐るべき演奏」についてはまた次回に書きます。

朝青龍

2010-02-05 | Weblog
 別に辞める必要はなかったのではないですかね。朝青龍も最後なんだから言いたいことぶちまけてくれればよかったのに。あーでも退職金(億?)とかあるから無理か。でも一体どういう人を殴ったのですかね。それも夜中に。そのあたりも興味あります。彼を叩く題材として、いつも日本の伝統とか横綱としての品位とかがあげられるけど、不倫しまくっていた若乃花とか、優勝を一度もしないで暴力沙汰を起こして放逐になった双羽黒とか、拳銃密輸していた横綱、とか、これまでの日本の相撲の歴史に、自慢できるような品位やら道徳なんてあったんですかね?しょっちゅう話題になる八百長問題とか本当に白なんでしょうかね?弟子を殺した親方もいましたね。相撲はもともと「荒くれ者」が「闘う」のが原点であって、見る方は礼儀や生活態度より「こいつは強い!」と思わせる「強さ」を求めていると思うのですが?そもそも横綱審議会とかのメンツは人に説教たれるほどの立派な人達なんでしょうかね?先日の理事選のすったもんだをみても、今の相撲には日本の「伝統文化」の悪しき部分が凝縮されていると思いますよ。


セルカン問題

2010-02-05 | Weblog
セルカン問題:ついに建築系の雑誌に特集を組まれてしまいましたね。題名は「東大建築学科は大丈夫か?―アカデミズム再考―」です。この問題の一番まずいところは、セルカン氏が詐欺師だったということよりも、彼が東大で博士学位を取ってることにあると思います。彼の書いた博士論文なるものはここで読むことができますが、こんな文献調査のようなまとめ(実際、大半は他人の記述を貼り合わせたもの)で学位審査を突破できたことが非常に不思議です。建築学は芸術・文系・理系がごったになった奇妙な学問分野ですが、どんな分野であるにせよ「オリジナル」が根底にあるべきと思います。小学校の自由研究でも「本の丸写しはダメ」と言われているのに、博士論文がこれでは・・・。建築学科の博士論文って全部こんな感じなんですかね?

 それでもセルカン氏は私的な講演活動「セルカン・カレッジ」を続けているようです。凄い名前ですね。「SC」なんてロゴも造っちゃってます。宇宙飛行士が嘘で会ったことは本人も認めていることなのに、まだ潰れないところをみると、それなりに参加する人がいるのでしょうか(レポするために潜入している人もいるようですが)。もはや、カルトといってもいいかもしれません。しかし、これだけ壮大な詐称が実行できたことを考えると、彼にはやはり人を惹き付けるカリスマ性みたいなものがあるのでしょう。でも、そういう胡散臭い詐欺師を真っ先に見抜くのが大学に与えられたアカデミズムの役割でもあって、その最高峰(のはず)である東大が、学位を与えた上に教員として雇っていたというのは(おまけに自力で詐欺を見抜けなかった)、ちょっといただけないというか言語道断ですね。東大がこれからとういう判断をするのかわかりませんが、少なくとも、学位を与えた指導教官や主査は責任をとるべきではないかと思います。(まさか沈静化を待って彼だけフェードアウトなんてことを考えてるのではないでしょうね。それはあまりにも世の中を舐めてます。)

ラザレフ

2010-02-03 | Weblog
 NHKで日フィルの演奏会を放送してました。曲はマンフレッド交響曲やスパルタカスなど。実に熱い演奏で、流し見程度のつもりが見入ってしまいました。金管はN響より格段に上手な気がするのですが。指揮はアレクサンドル・ラザレフ。初めて観たのですが、的確かつメリハリのついた熱い指揮で、正直吃驚しました。あわてて経歴を検索したら、ソ連コンクール優勝、カラヤンコンクール優勝、ボリショイ劇場監督という輝かしい経歴を持つトップクラスの指揮者なんですね。楽器奏者からの転向組とはわけが違います。こういう実力者系指揮者を冠にすえた日フィルは今後躍進するかもしれません。リーダーの選択は非常に大切です。