Wilhelm-Wilhelm Mk2

B級SFからクラシック音楽まで何でもあり

高資料

2008-02-28 | Weblog
 調べてみると、川端康成には複数のゴーストライターがいたそうだ。文藝春秋をたちあげた菊池寛なんかにもいたそうである。この二人が戦後文壇の巨頭としてしきっていたのだから・・・まあどの世界にも同じような話はあります。で、調べていると、川端のゴーストライターの件をどうどうと糾弾した人物がいることを知った。その名を「龍胆寺 雄」(1901~1992)。Wikiの説明では、慶応医学部中退で作家に転身、谷崎らに絶賛され、反プロレタリア文学としても活動。しかし、「M・子への遺書」で、文壇を徹底的に批判し、さらに川端の代筆を指摘。そのため文壇から追放・抹殺されるも、趣味の「サボテン」の研究で世界的な権威となる。この経歴だけで非常に興味がわいたので、文庫を購入(書店で簡単に手にはいるのはこの1冊だけであった)。まず例の糾弾文から読んでみた・・・。・・凄いよ、皮肉とかそういうレベルじゃない。自爆的な激しさがある。伏せ字など何一つない。でてくる人間・団体、全部実名。文藝春秋や新潮における文士たちの奇妙な階層社会、菊池寛のフィクサー的な黒い側面、そして川端康成の代筆が以下のように糾弾されている。

・・・内田憲太郎の代作である「空の片仮名」を本人にいわせると加筆らしい加筆も大してせず、中央公論にせんだって発表して、一方では、最も冷厳辛辣をもって名だたる、まじめな文芸評論のペンをとる。・・・ただこの人には、ひとにはちょっとのぞけない性格のしんぞこに、悪魔じみた恐ろしい冷たい、聡明な政治意識がひそんでいる。・・・・うっかりこの人に慣れ親しんでい思い上がると、ひやりと俺を突き放して、その間へ寒い風を流れさす。この人は悪魔だ、人間じゃない。

「人間じゃない!」文壇の親玉にこのいいざま。すごいよ。漢だ。尊敬する。この龍胆寺氏、幼いころから、相当に頭がよかったそうで、中学の時にニュートンの第二法則に疑問をもち、来日していたアインシュタインを押しかけ、その疑問をぶつけたという。趣味のサボテンについても、自分で学会まで立ち上げたというのだから、この人の根本は科学者・探求者だったのだろう。代筆させておいて、しらっと自分だけは良いこぶり、ノーベル賞をいただいてしまうような輩は許せなかったに違いない。
 さらに!この龍胆寺氏にはもう一つ紹介したい一面がある。なんと偽名をつかい大量の地下小説、いわゆるエロ小説を書いたというのだ。世には「高資料」なる珍奇なエロ小説群があるという。これは「高伴作」なるものが、あちこちのエロネタを蒐集して、記録という形でまとめたものということになっている。が、この高伴作こそ龍胆寺氏なのだそうだ。この件について、本人はのらりくらりとかわして肯定しなかったそうだが、今では「高伴作=龍胆寺」でほぼ間違いなしということになっているそうだ。おもしろい、おもしろすぎるよ、龍胆寺 雄。故人になった今でも主流の文壇からは抹殺されているので、簡単に作品を入手して読むことはできないが、全集もあるそうなのでじわじわと揃えたいと思っている。(高資料も・・?)この高資料について調べていたら、さらに面白こと(地下文学世界)を知ったのでそれは次回書きたい。

三島 ゴースト 川端

2008-02-26 | Weblog
私は三島由紀夫が好きではない。が、じゃあ嫌いかと言われたら、まあ文体や内容は嫌いなのだが、奇妙な親近感があったりする。親近感?はあ?何様?と思うだろうが、まあ先を・・・。思うに、人間の本質なぞは、結構生まれつきで9割が決まってしまうと思う。財力、容姿、胆力・・・先天的に「持つ」人を「持たない」人が超えることはなかなか難しい。その理想と現実とのギャップに苦しむのが人生の本質なのかもしれないが、だからこそ、本来虚弱で小心な三島が、必死で理想をめざして格好つけまくり(粋がり、悪ぶり、ボディビルしたり)、最後はその格好つけを完遂するべく、あのようなキチガイ演技で幕を下ろさざるを得なかったことに、なんとも奇妙な人間くささを感じてしまう。自分のナルな性分と向き合って理想へと猛進しまくった三島は人間くささのヒーローなのではないかとも思う。それは彼の望んだヒーロー像ではないかもしれないが。三島の精神構造は色々と分析されているが、実際は非常に単純な人だったのではないか?とも思ったりする。

 まだ読了してないが、三島由起夫を暴露的に書いた本がある。この本によると、三島の師匠でもある川端康成は、ノーベル賞受賞前にはすでに重度の睡眠薬中毒に陥っており、三島がゴーストライターをして助けていたらしい。ノーベル文学賞の枠がアジアに回って来たということで、三島は師匠を推薦する文をスウェーデンに送るのだが、さすがに自力で執筆が出来ない川端が候補を受けることはあるまいと考えていた。というのも、三島自身もノーベル賞を強力に欲していたからだ。(勿論、三島も候補に挙がっていた)。しかし、結果的に川端が候補に選ばれ、ノーベル賞を受賞してしまう(1968)。そして、この川端の受賞後から、三島は川端と絶縁状態となる(三島ー川端書簡集に詳しい)。それを三島の一方的な嫉妬だと解釈する向きが多いが、もしゴーストライターの件が真実なら三島が怒って当然だろう。三島自身の作品は出しても出してもどんどんと下る一方、自分がゴーストした川端は世界文壇の頂点に上り詰めてしまった。そして三島は狂った。築きあげてきた虚像を守るべく、殆ど自己催眠をかけるがごとくに偏狭な愛国心にのめり込み、最後の飛び上がりを演じた。三島の死は1970年の11/25。翌年の葬儀で川端は葬儀委員長をつとめた。川端の自殺はその翌年の1972年の春。これを自責の念にとらわれての行為と考えれば非常に納得がいく。

ワグナー

2008-02-25 | Weblog
週末:たいしたことをしてないのに体調が悪い。久しぶりに飲んだから?といってもワイン半ボトル@家。晩酌をしなくなって早1年。あれだけ飲みまくっていた時代が嘘のようだ。さらに日曜の夜にはなんだか急性的に心の調子も悪くなった。合奏の練習も注意散漫でイマイチだったし。先週の本番でちょっと燃え尽き症候群かもしれない。

ヒトラーの描いたというディズニーキャラの絵が見つかる。どれも巧い。素人の域ではないのは人目でわかる。以前に風景画も観たことがあるのだが、あれも素人レベルではなかった。ヒトラーは女性を尊敬し、禁酒・禁煙・菜食主義と禁欲的な生活を心掛け、読書、芸術、建築、音楽を愛した。いわゆる暴君特有の酒池肉林とは縁遠い人間だった。そのあたりがヒトラーの怪しい魅力でもあったりする。ヒトラーといえばワーグナーであるが、私はワーグナーにいまだに共感がもてない。まあ嫌いといってもいいかもしれない。ワーグナーの音楽を聴くと、果汁30%のジュースを鼻からサイフォンでだらだらと注ぎ入れられているような感じにある。音楽作品には作曲者の感情や心の襞というものが投影されると思うのだが、そういうものを感じ得ない。ワーグナー自身の苦難やら葛藤を感じない。題材にはそういうものが含まれており、それに合わせた音楽がつけられているが、非常に薄っぺらいものを感じる。神話という題材もまた安っぽい。スターウォーズと何が違う?ワーグナーは人格的に褒められるところは皆無だったらしいが(確かに良い逸話を何一つ聞かない)、そういう間さも音楽に表されているのだろう。てか表れないはずがない。
ワグネリアンの方々申し訳ない。といっても何でも好きになる必要はないわけで。

ゴジラvsヘドラ

2008-02-22 | Weblog
ゴジラシリーズ中最大の怪作・奇作。前々から是非観たいと思っていたのだが、レンタルビデオ店の「キッズコーナー」で発見。「水銀、コバルト、カドミウム~」と始まるテーマ曲「返せ、太陽を!」、背景には泡だらけの河川に浮かぶ半壊したマネキンと、なんともデカダンスな冒頭。公害から生まれた怪獣ヘドラの造形のすさまじさに加え(縦に割れて開く紅蓮の目、女性性器をモチーフにしたとか)、全編を通して子供映画とは考えられない残酷描写と衝撃映像のオンパレード。ヘドラの通り道に居合わせた人間は白骨化し、鉄骨は飴のように溶け曲がる。ヘドラが飛行すると、まき散らされた硫酸ミストで、市民がバタバタと倒れる。富士山麓で環境問題をネタに馬鹿騒ぎするモラトリアムな学生たちが、ヘドラのヘドロ弾攻撃で全滅したりなど皮肉もたっぷり。また、完全に乾かさない限り何度でも復活するというヘドラの設定にも感心しきり。「乾燥に弱い」だなんて、一見単純な弱点だけれども、数十メートルもある巨大なヘドロをどうやって乾かせよう・・・。外側は乾燥させられるものの、湿っている内側が脱皮のように飛び出しては再生してしまう。これは強い、強すぎる。ゴジラさえもヘドラの硫酸攻撃で片目を潰され、片手の先は骨を露出させられます。最後はぶち切れたゴジラが、ヘドラの体を千切っては投げ、千切っては投げでズタズタに切り裂き(ちょっと狂気じみている)、火炎放射で丹念に乾かしてエンド。もともとは水爆実験へのアンチテーゼで生まれたゴジラ映画、お子様向けのヒーロー怪獣に堕してしまいましたが、この「ヘドラ」はそれを原点回帰させたわけで、真の意味でのゴジラ映画だと思います。

比類なき響き

2008-02-20 | Weblog
バーンスタイン・ウィーンフィルによるモーツァルトの後期交響曲全集が届いたので聴き通した。予想通りどれも素晴らしい。これで決まりかな。もう今後新たにモーツァルトの交響曲を買わなくてもいいだろう。モーツァルトを楽しむだけでなく、ウィーンフィルの音色と響きを堪能するのにも最高のセットだと思う。まさに「比類無き響き」。

モーツァルトって、どの交響曲も半月くらいで書いている。最後の3つの交響曲は同時並行で一ヶ月、リンツにいたってはたったの5日で仕上げたという(これには異論があるらしいが)。本当に天才だ。神だね。モーツァルトって、早死にはしたけど、多くの人から愛されて、幸せに人生を謳歌した人だと思っている。だから、悪い意味でなく「重くない」のがモーツァルトの本質だと思う。無駄に深読みをして音楽をいびつなものにするよりは、本心から音楽を楽しんで脳髄の赴くままに一筆書きで演奏することが最も本質のモーツァルトなのではないかと思う。そういう意味で、バーンスタインの天真爛漫な指揮はモーツァルトに最もマッチしているのではなかろうか?


ウィーンフィルのモーツァルト、映像でも揃えたいという物欲がわいてきた。ベーム・ウィーンフィルで3枚組のDVDボックスが出ている。主要交響曲だけでなく、ベーム得意の34番とか1番なんていうレアな曲も入ってる。幾つかは録画で持っているのだが、この際勢いで購入してしまうべきだろうか(7000円)実はバーンスタイン・ウィーンフィルのブラームス全集(全交響曲、管弦楽曲、全協奏曲のライブ映像集)も狙ってるんだよなあ・・。同じコンビのマーラー全集が素晴らしい出来だったので、是非揃えたいと思っているのだが・・どうする?しめて20000円くらいか。

コンダクター

2008-02-19 | Weblog
2007-2008シーズンにウィーンフィルに登場する指揮者と、以前によく登場した指揮者を並べてみた。(アバド、レヴァインはもう共演することはないだろう。)ヤンソンスってもっと若いかと思ったがラトルより一回り上なんだな。マゼール、メータ、ムーティあたりの常連組(バレンボイムは認めない)の下の世代では、ゲルギエフ、ラトル、ティーレマン、ウェルザー・メストか。再来年から国立歌劇場の監督になるウェルザーメストってもう50近いのか。昔から名前はよく聞くが、いまいち露出が少ないので実力がわからない。イヴァン・フィッシャーはベルリンフィルで聴いたが実力者なんだろう。ノットはバンベルク響で聴いた。ハーディング、若いし、イケメンだし、ラトル・マーク2の道をばく進中?マラ10の新譜(ウィーンフィル)が出ていたが、買おうか迷ってる。30代でマラ10ってありえるのか?企画としては面白いが狙いすぎ。ウィーンフィルって、老境に入った職人系指揮者との共演が最高な気がする。そういう意味で、昨年聴いたマッケラスや、今年のニューイヤーのプレートルは本当に素晴らしかった。

Georges Prêtre(84)
Sir Charles Mackerras(83)
[Pierre Boulez(83)]
Nikolaus Harnoncourt(79)
[André Previn (79)]
Lorin Maazel(78)
[Claudio Abbado (75)]
[小澤 征爾(73)]
Zubin Mehta (72)
Riccardo Muti (67)
Daniel Barenboim(66)
Mariss Jansons (65)
[James Levine(65)]
Ivan Fischer (57)
Valery Gergiev (55)
Sir Simon Rattle (53)
Ingo Metzmacher (51)
[Christian Thielemann (49)]
Franz Welser-Möst(48)
Daniele Gatti (47)
Jonathan Nott (46)
Daniel Harding (33)

バーンスタインによるモーツァルト

2008-02-18 | Weblog
 実はモーツァルトの(後期)交響曲全集を持っていない。モーツァルトの演奏には、なぜだか「こうあって欲しい」というこだわりが強く、同じ理由でピアノソナタ全集も未だに揃えていない。単品では色々と買ってはいるのだが、これまで全集で揃えたいと思うものには出会えなかった(局所的に感動するものはある。例えばクレンペラーの40番とか、ピアノならバックハウス。しかし全集なし)。先日書いたベーム・ウィーンフィルのライブ(34番)が、自分の思い描くモーツァルト像にマッチしており、またモーツァルトはウィーンフィルに限るとも前々から思っていたので、ここはベーム・ウィーンにするか・・と思ったのだが、実はベーム・ウィーンフィルによるモーツァルト交響曲の録音は意外に多くない。ベームにはベルリンフィルとの全集があるのだが(決定版と言われる)、昔ちらっと聴いた限りこれは重厚感に溢れており、今求めているイメージのものとは違う。そこで閃いたのが「バーンスタイン・ウィーンフィル」。ねちこいバーンスタインによるモーツァルトなんて考えられない組み合わせだったが、先日読んだ本によれば、バーンスタインはウィーンフィルに「モーツァルトはよくわからないので、皆さん教えてください」と語って指揮したらしい。ベームもそうだが、ウィーンフィルは指揮者に引きずられずに自主的な演奏をするときに最大の成果を出す場合が多い。これは意外といい演奏かもよと考え、25.29.ハフナーが入った廉価DG版を購入(800円)。これが予想をはるかに上回って大当たり!テンポはいたって快速。音楽に停滞がなく、下手な小細工もなく、完全にウィーンフィルの音だ。3曲ともライブ録音で(デジタル録音・音質もよい)その前向きな演奏がよい。やはり高い音に伸び上がった時の弦楽器の音の輝きはウィーンフィルだけのものだ。2曲目で十分に及第点だったのだが、驚いたのがハフナーの4楽章。速い!それも無茶に煽り立てられているような速さではなく、10速まで可能だけど8速でドライブでいるような安定した速さ。これだけの速度でも、全く崩れず、さらに音楽をしているウィーンフィルはさすがだ。バーンスタインは最初のテンポだけ示して後は指揮台で飛び跳ねてニコニコしていたんだろう。まさに予想があたった名盤だった。初めて求めていた演奏にCDで出会ったように思う。最後期の交響曲群も同じコンビで録音があるので、早速注文してしまった。ジュピターはメータ・ウィーンフィルによる1991年のライブ映像が一番の好みなのだが(これもウィーンフィルがノリノリの演奏)、それに迫るか、超す演奏であってくれればと思う。(ジャケットのWien Philharmonikerの綴りが間違えて、Philharmoninerなのが玉に傷)

フルトヴェングラーの下積み

2008-02-17 | Weblog

1886考古学者(のちミュンヘン大教授)アドルフ・フルトヴェングラーの長男としてベルリンで誕生
1893(7)ピアノ小品作曲
1898?(12)学校を辞め、家庭教師に教育をうける。
 考古学者クルティウス
 音楽家:リーツラー
 作曲家:ラインベルガー
 作曲家:シリングス
 ピアノ:コンラート・アンゾルゲ
1901(15)父についてギリシアへ発掘遠征
ギリシア、ローマの古典文化、ミケランジェロ、シェイクスピア、ゲーテ、クライスト、カント、ニーチェ等に親しむ。
1904(18)交響曲ニ長調作曲
1905(19)ブレースラウ市立劇場のコレペティトーア~1906
1906(20)ミュンヘンの私的オケ・カイム管を振る。コリオラン、自作交響曲アダージョ、ブル9
1906(20)チューリヒ市立歌劇場のコレペティトーア~1907:オペレッタ等を指揮するが解任される。
1907(21)ミュンヘン宮廷歌劇場のコレペテイトーア。ボスはフェリックス・モットル~1909
1909(23)シュトラースブルグ歌劇場の第三指揮者。ボスはハンス・プフィッツナー~1911
1911(25)リューベック交響楽団の首席指揮者~1915
1915(29)マンハイム宮廷楽長~1920
1917(31)ベルリンフィルに客演
1920(34)ベルリン・シュターツカペレの首席指揮者
1922(35)ベルリンフィル、ゲヴァントハウスの首席指揮者・音楽監督

ヨロキン

2008-02-16 | Weblog
 本番だったわけだが、午前中のリハ中に胸焼けと吐き気に襲われ、これは本番は無理かもとおもうほどの体調不良だった。昼ご飯をぬき、ベンチで休んだお陰で本番はなんとか普通に演奏することができた。ブラ4は丁寧に透明に弾こうとつとめたが、1楽章の途中から指揮者があからさまに煽り始めたので、それについていったら、結局学生の時と同じような演奏で終わってしまった。といっても、あちこちで基本的な合奏や和音が綻び、臨界ギリギリだったので、勢いで突っ走らないと少々痛い演奏になったかもしれない。お客さんは喜んでいたようなので、全体としては良い感じで終わった演奏会だと思った。ただ、正団員が少なく、人数的に賛助に大きく頼っている現状には少々疑問を感じた。実際の団員数はどのぐらいなのだろうか?同じような疑問をもったエキストラはたくさんいたようだ。体調が芳しくなかったので、打ち上げでは一滴も飲めず、楽器をかついで電車で帰宅。
 夜、昼間の反動?なのか、非常に日本的な、特に日本人の俳優を観たくなったので、深作監督・ヨロキン(萬屋錦之介)主演の「赤穂城断絶」を観る。千葉真一の殺陣とヨロキンの独特の口上に釘付け。なんとなく胸につかえていたものが抜けてすっきり。

小澤征爾 日本人と西洋音楽

2008-02-15 | Weblog
 ブックオフで見つけたので購入した(105円)。全編にわたり小澤征爾に対する擁護が一辺倒に書かれている。筆者・遠藤浩一は、アンチ小澤派の本質を、権威に盲目的に傾倒した視野のせまい日本人による嫉妬とし、小澤の音楽が「軽い」と言われる所以は、良い習慣もないが悪い習慣も植え付けられてない日本人だからこそできる「透明」な演奏のゆえと解釈している。このあたりは笑いなくてしては読めない。また小澤をトスカニーニと重ねたいらしく、精神主義的指揮者のフルトヴェングラー(これも勘違い甚だしいのだが)のトスカニーニ対する意見を「独善的」だとこきおろしている。さらには偽書として名高い「ショスタコーヴィチの証言」をしつこく引用し、ムラヴィンスキーをして「無理解な演奏者」としている(この本は2004年出版、極めて最近である)。そして次のような文で小澤を激賞している。

・・・彼の音楽から声高に「日本」は響いてこない。むしろ欧米のどのオーケストラや指揮者よりも純粋なベートーヴェンやブラームスが響いてくる。あるいはロシアのオーケストラよりも真摯なショスタコーヴィッチを聴くことが出来る。それが小澤の音楽である。

 作者の経歴(民社党広報部長)もちょっと???であり、なかなか興味深い「トンデモ本」であった。個人的に小澤征爾の音楽は生でも録音でも何度も聴いたが、これまで一度たりとも感動させてもらえたことがない。ゆえに私はアンチ小澤である。そしてサイトウキネンのサウンドも、まるでゼリーのプールで泳がされているような気分になって嫌いである。

休暇

2008-02-14 | Weblog
朝から大事な用があったので休暇をもらったのだが、用事はすぐに終わったので一日を有効に使う。週末の本番へむけ、午前中は楽器の解凍を行い、昼は久しぶりになじみの寿司屋へ顔を出す。ここだけは誰にも秘密にしたい店(いつも満員だし)。今年初だが、一口目からのけぞるほどに感動する。やはり寿司文化は日本の国宝である。特別に出して貰ったキンメの腹身が極上に美味しい。それにホッキとサヨリが素晴らしかった。竹の子も出ていたので焼いて貰った。初物堪能。

夜、久しぶりにボルドーを空ける。これもなじみのワイン店のソムリエに選んで貰ったもの。最初はフラットだったがじわじわと果実味(無花果)が渦を巻いて濃くなってくる。ワインはいいものだ。手製のローストビーフとあわせて堪能。

ブラ4を聴く。指揮はもちろんフルトヴェングラーだ。1948年のベルリンフィルとのライブ録音である。この録音何十回も聴いているが、いつ聴いても昂奮しそして深淵な感動に浸れる。フルヴェンが復帰したのがちょうど前年で、そしてベルリンフィルもやっと軌道に乗り始めたころの演奏会の実況である。ベルリンフィルもフルヴェン指揮のブラ4ということで、もう毛穴も瞳孔も開くような昂奮で演奏しているのがわかる。止まらない音楽、底なしに彫り下がる深遠さ、天国のような開放感。堪らない。この感動を自分の右手、演奏に一厘でも生かせれば。

調:備忘録

2008-02-13 | Weblog
各調のイメージをぱっと思い出すために、自分の中での代表曲を書いてみる。(間違え発見した。)

C-dur ジュピター交響曲

G-dur ゴルトベルク変奏曲
D-dur ブラ2
A-dur 鱒
E-dur 四季「春」
H-dur ブラ2・2楽章

F-dur 田園
B-dur ハイドンバリエーション 
Es-dur エロイカ、皇帝
As-dur フィンランディア
Des-dur マラ9・4楽章
Ges-dur 猫ふんじゃった

a-moll アルペジョーネ
e-moll ブラ4
h-moll 未完成
fis-moll ??
cis-moll 月光
gis-moll ??

d-moll  第9
g-moll 40番交響曲
c-moll 運命
f-moll エグモント
b-moll 変ロ短調ソナタ(ショパン)

バレンタイン

2008-02-13 | Weblog
バレンタインって何者?と思いwikiを読む。西暦250年あたりのローマの聖人で、遠征する兵士の婚姻を密かに祝福していたため逮捕され2/14に殉死したらしい。しかし実際は、ローマ教会が民衆の祭事を禁止するために、キリスト教的な「伝説」をもって塗り替えた可能性が高いとか。まあ、それが正しいのだろうな。異教徒、異文化を殲滅することがカトリック教会の仕事だしね。今でもそうだ。チョコレートを贈る習慣は、1936年に神戸モロゾフが始めたらしい。日本お得意の仕組まれた文化ってことですか。韓国にはさらに14日縛りの行事が続くらしい。笑えるのが独り者が黒服着てラーメンを食べる4/14のブラックデーと、黄色い服を着て(ブルース・リー!)カレーを食べる5/14イエローデー。極めつけは、恋人のためにお金を使う12/14マネーデー・・・・節操という価値観がないのか朝鮮人には。

1月14日 ダイアリーデー 手帳をプレゼントする日。
2月14日 バレンタインデー
3月14日 ホワイトデー
4月14日 ブラックデー バレンタインデーとホワイトデーに縁のなかった人が、お互いを慰め合う日。この日は黒い服装に身を包み、真っ黒な食べ物であるチャジャンミョンを食べる。
5月14日 イエローデー ブラックデーまでに恋人ができなかった人が、この日に黄色い服を着てカレーライスを食べないと、独身を逃れられないという日。
6月14日 キスデー
7月14日 シルバーデー 銀製品をプレゼントする日
8月14日 グリーンデー 森林浴をする日。その一方で、まだ恋人がいない人たちが「グリーン」という名前の焼酎を飲みながら互いを慰め合う日
9月14日 ミュージックデー 
10月14日 レッドデー ワインを飲む日。
11月14日 オレンジデー&ムービーデー 映画を見て、オレンジジュースを飲む日。
12月14日 ハグデー&マネーデー 抱き合って寒い冬を暖かく過ごす日。彼女のために彼氏がお金を使う日。

建国記念日って

2008-02-12 | Weblog
 建国記念日の定義は、神武天皇が即位した日ということだが、神武天皇(BC600!)が存在したかはかなり眉唾で、日付の設定も時々の政府の思惑も混じって色々と紆余曲折したらしい(当初は旧正月だった)。結局、1873年に暦学者が再「算出」して2月11日と決定したそうだが、その算出法は明らかではない・・・。まあ祝日は歓迎です。
3連休初日。2週間ぶりに楽器を弾く。朝から3時間くらい触ったが、ほとんど解凍作業という感じだった。体も楽器も自由になってきたのは最後の30分くらいか。ブラ4ばかりさらったのだが、スルメのように噛み締めがいのある曲だ。ブラ4についてはまだ後日書きたい。帰りがけに携帯ショップを覗いたところ、目をつけていた機種が0円になっていたので、機種変更をした。携帯のデザインはできるだけシンプルでソリッドなのが好みなのだが、一番気にするポイントは、展開したときの音。これが安っぽい音(プラスチック系)だと幻滅する。新機種はそれも含め、キータッチも滑らかで文字変換も優秀と今のところ満足している。ワンセグ初体験となったのだが、受信感度、映像の鮮明さにたまげる。デジタル家電の進化は恐ろしく速い。レトロ好きとはいえ、有る程度は時代の流れについていかないと一気に老けてしまいそうだ(説明書の分厚さに目眩が)。午後は引きこもって家事など。柑橘類が大量に届く。田舎や親戚が柑橘を作っているので、様々な種類の柑橘にに触れる機会が多いのだが、なかなか体系的に覚えられない。柑橘類に含まれるflavonoidは仕事にも関係するので、柑橘類についてwikiで勉強してみる。

オレンジ類 :バレンシアオレンジ、ネーブルオレンジ
カラタチ類 :カラタチ
キンカン類 :キンカン
グレープフルーツ類 :グレープフルーツ
香酸柑橘類 :ユズ、ダイダイ、カボス、スダチ、レモン、シークヮーサー、ライム
雑柑類 :ナツミカン、ハッサク、デコポン
タンゴール類 :イヨカン、清見、はるみ
タンゼロ類 :セミノール
ブンタン類 :ブンタン、晩白柚
ミカン類 :マンダリンオレンジ、ウンシュウミカン、ポンカン、タチバナ、紀州ミカン

・・・こんなに沢山あるのか。なぜだか無性に感動的である・・・。多様性万歳。私の好物はイヨカンだが、柚胡椒を愛用しているのでユズにも愛着がある。金柑(砂糖煮する)、ハッサク セミノール狩りは年末の楽しみの一つ。

日曜は夜練習。飽和点に近づいてきたのか、そろそろ歌手とあわせてみたいと皆が思うようになってきた。団体としても、人が増えてきて(帰ってきて)充実してきたように思う。オレオレ弾きは速攻で排除されてしまう団体なのだが、週末の趣味とはいえ、ストレス発散のための弾き散らしでなく、きちんと合奏を追求しようという姿勢は素晴らしいことだと思う(惰性でも)。また、これまでに色々な曲をやってきたせいかもしれないが、選曲はなんでもいいと思うようになった。綺麗に響いて気持ちいいかを求めるようになってきたように思う。一つの癒しといえるのか。

祝日:夕方からGP。電車を3回乗り換えて遠征した。片道90分。楽器(家具)を抱えているので、座ることができないので疲労する。指揮者がたまらなく面白い。身振りを交えた比喩表現が絶妙で、右脳から筋肉へとダイレクトに訴える言い回しが素晴らしい。そういえば、カラヤンやクライバーもこの手の表現力がずば抜けていたとか。京大からいわゆる「芸転」した人なのだが、根本的な頭の回転のよさを感じて好きだ。合奏の出来は、やっとこさ通るようになったかという感じだ。あと数回練習があれば、もっと指揮者の意向を伝えられる演奏になると思うのだが・・・やはり指令系統がしっかりしていないと、簡単な箇所さえも綻んでまとまらない。バスに関しては、絶対的なリーダー以下、名手揃いで非常に楽しい。再び楽器を担いでの帰り道、疲れのためか緩い頭痛がおこる。週末の本番の場所も結構遠い。雪など降らないように祈る。

失言とか

2008-02-11 | Weblog
倖田來未問題:もともと、お馬鹿キャラで売っている(実際、馬鹿なんだろうが)のだから、マスコミもスポンサーもちょっと騒ぎすぎではないかと思うのだが、これって、雅子様や紀子様に対する不敬になるわけだから、いい加減には済まされないという裏事情があるのでは?と陰謀論好きの私は勘ぐってます。

練習:思うのだが、人が常に多い(そして練習出席率が高い)というのは合奏では一番重要なことだと思う。固定メンバーのフルオケできちんと練習できる今の環境は、非常に恵まれている。結局、寄せ集めは寄せ集めでしかないんだよなあ・・・。

読んだ本、聴いた曲
野上弥生子「笛」:哀しい話。価値観がドラスティックに変わり続ける現代の日本での親と子のありかたを考えさせられる。人ごとではないなあ。

ウィーンフィル・ライブ集:ウィーンフィルが監修した様々な指揮者によるライブ集。昨年、欧州旅行をした際に、往路の機内で聴いたベーム・ウィーンフィルの演奏が非常に感動的だったのだが、楽友協会併設のグッズ屋で、その音源がライブ集の一つとして売り出されていたので記念に購入して帰った。収録されている曲は、モーツァルトの34番ハ長調、ドンファン、ハイドンバリエーション。どれも70年代後半の楽友協会ホールにおけるライブ録音。音質は素晴らしく良い。ベームが指揮するウィーンフィルは、特別な響きを持つということで人気だが、先日読んだ本によると、ベームの指揮がわかりにくいので、奏者はアンサンブルを保つためにお互いを聴き会わなくてはいけなくなり、室内楽的な響きになるのだとか。つまり裏を返せば、ベーム指揮のウィーンフィルというのは、限りなくウィーンフィルの自主的な演奏ともいえるわけだ。反面教師のような話だが、オーケストラから良い音を引き出すのが指揮者の役割なのだから、ベームは偉大な指揮者なのだろう。このCDの中では、モーツァルトが素晴らしい。止まらない音楽、絹糸のように滑らかで、かつブリリアントな弦楽器・・・。
このライブ録音集は、これまでウィーンフィルの公式サイトからしか買うことができなかったが、今月からHMV等からでも購入できるようになる。クレメンス・クラウスによる第1回目のニューイヤーから、カラヤン、ショルティ、ワルター、バレンボイム、メータ、マゼール等の指揮者による一人一枚の企画で12枚組セット。残念ながら、値段が結構はるのだ。一枚あたり2000円くらいか・・・。実はモーツァルトの録音が必ず入っており、交響曲が綺麗に揃うのだが・・・。どうする?
 最近、自分の中でウィーンフィルが飛び抜けて好きなオケになっており、是非欲しいのだが・・・(最近のベルリンフィルに辟易したとも言える。)