Wilhelm-Wilhelm Mk2

B級SFからクラシック音楽まで何でもあり

朝の電車内

2008-05-27 | Weblog
更新滞りました。覗いてくれてる人には申し訳ない。

日本人の活字離れが加速しているといいながらも、電車の仲では意外に多くの人が本を読んでいる。で、今朝の通勤電車内、周りの人全員が熱心に本を読んでいたので、失礼と思いつつも何を読んでいるのかちらりと確認してみた。すると・・・

横のお姉さん:男に好かれるには・・みたいな啓発系。
横のサラリーマン:上司に好かれる云々・・会社系のマニュアル本。
座席のおばさん:対話集らしく、「江原」という太文字が見えた。恐らくスピリチュアル系。
斜め後ろのサラリーマン:聖教新聞(創価学会)
真上の中吊り広告:「池田先生がxxx名誉xx賞を受賞」創価学会

日本狂ってるね。


日系2世俳優G・タケイが同性結婚へ

2008-05-21 | Weblog
日系2世俳優G・タケイが同性結婚へ=米加州の禁止違憲判決受け

 ジョージ・タケイ氏。スタートレック(宇宙大作戦)で、ヒカル・スールー役を演じた。日本語版では「ミスター・カトウ」(なぜだ!)。スールーはエンタープライズ号の操舵手で、武道やフェンシングに習熟した若き熱血漢役だった。Takei氏の父親は日本人、そして母親は日系二世とWikiに書いてあるが、両親とも日本人だったと認識していたのだが・・。氏のカミングアウトはスタートレックファンの感情論も巻きこんで、一時大きく騒がれたのだが、まさか結婚申請までして裁判中だったとは知らなかった。この人の自伝をもっているのだけど、その中ではまだカミングアウトしていなかった・・と思う(英語だからしっかり読んでない)。ロスの日系社会のまとめ役などもしており、日本でも褒章をうけている。見た目のとおり、誠実で明るい人柄らしい。今回の結果で、世界中の同性愛者がカリフォルニアに集まってくるかもね。
 もちろん、私は同性愛者ではないが、別に同性愛者が結婚してもいいと思う。というか、なにが問題なのだろうか?宗教的価値観の問題なのか?それ以前に、結婚ってそもそもどういう定義なのか?Wikipedeiaには広辞苑からの例として「夫婦間の継続的な性的結合を基礎とした社会的経済的結合で、その間に生まれた子が嫡出子として認められる関係」とある。「継続的な性的結合」って生々しいな。まあ結局は、なにかあったときに、財産とか権利とかをきちんと分割できるための契約でしかないと思うのだが・・。欧州では事実婚が増えているらしい。日本もこれからそうなるかもしれない。
 

国土崩壊

2008-05-21 | Weblog
 自分が生きているうちに日本が立ち直ることはないのだと確信しつつある。食料崩壊、医療崩壊、教育崩壊、最後に地震がきて国土崩壊で、ジエンドというシナリオだな。平均寿命どころか、停年までたどり着けるのか?国をこんなにして、これから老後をエンジョイしようとしている世代はいいねえ、年金もしっかりもらえて。我々はこれから消費税もどんどんとられて、年金はどんどん減額されて、給料もあがらず、退職金も減らされて、いやいや、我々は一生氷河期の様相です。
 30代前半の世代がマンションを全然買わないのでマンションの値段が下がっているらしい。どうやったら買えるかと?だいたい、土地ならともかく、マンションってどうなんだ?キャッシュがすぐにでてくる2世3世の金持ちはいいとして、庶民は後半生全てをつかって、ローンをくまないといけない。30年のローンを必死に払いきるころには、マンションなぞ資産価値ゼロになると思うのだが。築30年のマンションなんて普通買わないだろう?それに東京に大地震がくる確立は30年以内に70%だという。どんなに計算上は安全といっても、高層ビルが大地震で無事であるとは思えないのだが。倒壊することはないにしても、どこかに亀裂でも入れば、居住不可となり退去にしないといけなくなる。悪いけど、パソコンでのシュミレーションとか全く信用してない。感覚的に納得できないものは信用しないことにしている。
 

俺は堅苦しいことが嫌いなのだ。

2008-05-20 | Weblog
 ネタは色々とあるのだけど、二つだけ。

1)ホーネックの弾き振りを紀尾井シンフォニエッタで聴いた。ウィーンフィルのコンマスの実力は別格だった。背筋痛めるのではないかと思われるほどに大きく瞬発力のあるザッツ。スケールが違いすぎる。猛者ぞろいの紀尾井のメンバーが素人集団のように見えてしまった。プログラムはシューベルトプロで、Vnと管弦楽のためのポロネーズ・ロンドではソロを披露してくれたのだが、洗練され洒脱のきいたソロに比べて、伴奏があまりにも「芋」で、紀尾井の方々が気の毒になるほど。ただただ、ひたすら格の違いをみせつけられた演奏会だった。

2)モーニング「へうげもの」:先週号は私の大好きな織田長益の話だった。信長の末弟で、利休の高弟とされる武将。漫画中では、バタ臭い顔で、女好きにして世渡り上手(本能寺の変でも一人脱出した。実話)な「くせ者」として描かれているが、数寄や茶にそそぐ情熱は織部に引けを取らない。キリシタン大名だったとも言われている。これまで、信長のもとでは南蛮趣味を、秀吉のもとでは侘び茶を嗜むことを強いられてきたが、為政者の好みで、型にはめられることに疲れ果て、自由に茶道を追求するため、剃髪して有楽斎となった。「俺は堅苦しいことが嫌いなのだと悟った」。といっても、完全な隠居は秀吉から認められず、関ヶ原合戦、大阪の陣にも関わってくる。その後、京都に隠居し、趣味人として75歳まで生きた。茶道「有楽流」を興し、残した茶室「如庵」は国宝である。有楽流は彼の末裔によって現在まで伝えられている。


ウィーン歌劇場にコンミス

2008-05-15 | Weblog
 今年で退団のヴェルナー・ヒンクの後任として、ブルガリア人の女性が選ばれた模様。先月の「音楽の友」には、「団員の男性と外部の女性が首席の座を争ったが見送られた。」と書かれていたのだが・・。歌劇場の首席ということで、さらに2年間の試用期間を通らないと正式な団員にはなれないので、ウィーンフィルで姿をみるのは先になると思う。個人的に女性に率いられるウィーンフィルは想像したくないのだが、ウィーンといえばマリア・テレジア女帝であり、もともと女性上位の街であることも考えれば、これはこれで何も不思議ではない人選なのかもしれない。(マリア・テレジアは若いころはとても美人だった。画像はwikiより)

同期会

2008-05-12 | Weblog
 高校の同期会に出席してきた。2割弱くらいしか集まらなかったが、働き盛りだったり、子育て真っ最中の年齢であることを考えると、このくらいが限界かもしれない。それにしても、自分の友人は結構出席していたうように思うのだが・・・それは似たもの同士だからか。さすがに皆しっかりした職についており、名刺も立派になっていた。全体をながめて、極端に体型が変わったり、イメチェンしたような人はいなかったように見えた。同窓会での定番「変わってないね」を連発したが、実は同窓会には変わってない人が積極的に集まってくるのかもしれない。個人的には、担任でもない先生に、結構覚えられていたのが驚きだった(理由は色々と思いつくが)。お世話になった化学の先生が、化学教育のエキスパートみたいになっていた。確かにこの先生の授業は極端に面白くてわかりやすかったな。最後に校歌の指揮をさせられたのだが、後半の節回しを覚えてなかったので、始まる前にこっそり合唱部の子に歌ってもらい確認した。伝統校のくせに、式典行事を極端に軽視する校風だったので、現役時代はろくに歌わなかったのだ。3番まであったなんて・・・。
 最近は便利なもので、同窓会請負ビジネスというものがあり、案内状からHP作製までやってくれるようだ。次回の幹事もきまったりと、どうやら軌道にのせるらしい。自分にとって、母校とは高校のことだと思っているので、是非つづけてほしいものだ。

人並みの幸福を追い求めるのはやめよう

2008-05-08 | Weblog
連休も終わり、5月病の季節に突入しました。今年の連休は充実しすぎて、休みという感じではまったくなかった。

「おにいちゃん」という本を図書館で借りて読んだ。もちろん変なたぐいの本ではない。作者は矢川澄子さん。渋澤龍彦の最初の奥さんだった人である。矢川さんは有名な翻訳家であり小説家でもあるだが、澁澤龍彦の年譜を読むまで、恥ずかしながら私は知らなかった。矢川さんは澁澤龍彦のことを「おにいちゃん」と呼んでいたそうで、この本には渋澤龍彦の回想が集められている。といっても、そんなに単純に美しい思い出話ばかりではない。詳しいことは書かないが、後書きで矢川さんは「この本をだすことで、長らくつづいた離婚後遺症から、ぬけだせれば・・・」と書いている。この本が出版された時、矢川さんはすでに還暦をすぎていた。二十代半ばで澁澤龍彦と知り合い結婚し、38歳で離婚。その後は独身だった。離婚の表面的な原因は矢川さんのほうにあったようだが、この本の最後のエッセイに、澁澤龍彦が「人並みの幸福を追い求めるのはやめよう」と何度も矢川さんに中絶させていたことが書かれている。もちろん恨み辛みなどではない。しかし、本の最後にこの話がおかれていることは重要なのだと思う。疎遠になっていた二人だが、喉頭ガンで声を失った澁澤を、その死の5日前に矢川さんが見舞っている。会話(澁澤は筆談)は弾み、帰る矢川さんを澁澤はみずから点滴のスタンドをおしてエレベータまで送ったさそうだ。別れ際に握手をしたとある。澁澤龍彦がこの世を去ったのは1985年。この本の出版は1995年。矢川さんは、2002年に自宅でみずから命を絶つ。

カプリコン1

2008-05-02 | Weblog
 長い間、この作品はホラー映画だと思い違いをしていた。おそらく「カプリコン」という5文字の響きが、80年代に多く作られたホラー映画のタイトルに似ていたからだろう(「エイリアン」「サスペリア」「サンゲリア」「バタリアン」等々・・・)。「カプリコン1」は30年前の映画だが、扱ったテーマが特異なので、今でも異色SF映画として異彩をはなっている。あらすじはwikipediaに記載されているので、ここでは書かないが、非常によくできた筋になっている。アポロ月面探査も、都市伝説にいわれるとおり捏造なのでは?とさえ思ってしまう。カメラワークがなかなか秀逸で、ブレーキを壊された車が町中を暴走するシーンや、複葉機が渓谷を急降下するときは、椅子を握りたくなるほどの臨場感を出していた(劇場なら握っていただろう)。監督はどういう人だろうと調べたら、ピーター・ハイアムズという人で、のちに「2010」を監督した人だ。奇異をてらわず、面取りしたような丁寧さを感じさせる作品作りは両作品に共通するので納得である。

ヒトラー最後の12日間

2008-05-01 | Weblog
 陥落直前のベルリン、総統官邸の地下につくられた防空壕における、ヒトラーと側近達の最後を秘書の証言をもとに描いた映画。ドイツ人の手による初のヒトラー映画ということで話題になった。映画というよりはドキュメンタリーという感じであり、あまりに多くの人物を登場させたため、知識がない人には最後まで誰がどういう人物なのか把握できなかったのではないか?ヒトラーを演じた役者(ブルーノ・ガンツ)は、ヒトラーの2面性を熱演していたが、個人的には手塚治虫の「アドルフに告ぐ」のヒトラーの狂気ぶりには至ってなかったと思う(漫画と実写を比べるのはどうかと思うが)。気になったのは、主人公である秘書の常にばっちりなメイクアップ。確かに地下壕にはヒトラーの愛人も住んでいたし、相当量の物資を貯蔵していたので、厚生施設はしっかりしていたと思うが、地下壕で暮らすにしては、あまりに血色がよすぎて健康的すぎた。この秘書が少年とともに敗戦下のベルリンを脱出し、自転車で故郷(バイエルン)へと向かうところで映画(本筋)は終わるのだが、この中途半端にハッピーで予定調和っぽいエンディングが折角の作品をチープにしていた。どこまでが実話なのかわからないが、もう少し他の演出があったと思う。
 追い詰められた少年兵達がお互いを銃で撃ち合って自決したり(白虎隊を思わせる)、戦争の悲惨さを子供達を説いていた上記の少年の父親が、治安維持の赤狩りにあって殺されてしまうところなど、ショックなシーンはいくつもあるが、戦争映画にしては全体的に「綺麗」に作られている。最後に主人公がベルリンを脱出する際、士官から「ロシア兵と絶対に目を合わすな」といわれるのだが、どういう意味かをしりたければ(よほどの子供でなければわかると思うが)この本を読むとわかる。占領下のベルリン、および各地ドイツでの地獄絵図が書かれている。しかし、ロシア軍だけが悪いのではなく、同様のことをドイツ軍もロシアやポーランドでやってきた。日本もアメリカもイギリスも多かれ少なかれ同じことをやってきた。というより、歴史が始まって以来、戦争で敗北する、占領されるということは、一体どういうことかということを改めて認識させてくれる。「無防備都市宣言」などという脳天気なことをいう活動家は、一度読むといいだろう。もちろん、戦争なぞしないことが一番であるが、戦争というものはやる以上は、なにがなんでも勝たなければいけないと思わされる。「勝負は時の運」という感覚でやる戦争などはありえない。