Wilhelm-Wilhelm Mk2

B級SFからクラシック音楽まで何でもあり

ウィーンとベルリン

2008-03-28 | Weblog
 暖かくなってきので久しぶりに名曲喫茶を訪問する。ちょうど定時コンサートの時間で、マラ2が流れていた。1楽章の終わり辺りから。・・ぬ・・・寸詰まりのような息苦しさ、天井が身長ぐらいしかないような部屋に押し込められた圧迫感・・・音色の変化に乏しく、ラーメンでわんこそば食べさせられてるような気分・・・ゼリーの海で泳がされているようないやな甘ったるさ(決してマーラーの音楽のせいではない)・・・これはまさか・・・サイトーキネンwith世界のOZAWAでした。耐えられなくなったので、珈琲を飲み干してすぐに撤退。運悪し。
 HMVへ行くとラトル・マラ9が発売されていた。1楽章冒頭の4分間だけ試聴。(ここで全てが決まる!)。予想通りに?作為的。ラッパが長いのばしをした後の大平原が開くようなカタルシス感が好きなのだが、驚くほど何も感じさせなかった。好みの差になるのだろうが、速いとか遅いではなく、速度がどう変化させても、自然に音楽が流れるのが好きだ(自然だと感じさせること)。その微妙さをコントロール(無意識でも)できる人が大家なんだと思う。バックハウス、フルヴェン、古の名演奏家の演奏などを聴くと常に思う。どんな解釈をしてもいいが、盛り上がりに冷水を浴びせるような作為さを感じさせる演奏は耐えられない。
 最近のベルリンフィル、もはや自分が大好きだったベルリンフィルではなくなったと痛感する。「気高さ」や「厳しさ」がなくなって、安っぽくなったように思う。先日BSでベルリンフィルの特集番組が放送されていた。フルヴェンからラトルまでの様々な指揮者の映像が流されたが、ラトルの展覧会(昨年末)と小澤の悲愴(今年1月のカラヤン追悼公演)だけが第一印象から「何だこりゃ」という感じだった。否定しがたいイマイチ感。同じ意見を周囲でもきくことが多い。
 昨年コンサート巡りをしたのだが、今現在振り返ってみて、いくらお金払ってでもいいから是非もう一度聴きたいと思える演奏会はウィーンフィルだけだった。定期だけを聴きに、ウィーンへ弾丸ツアーするか・・なんていうキチガイじみた発想さえ起こる。ベルリンフィルは、ベルリンを訪れる機会があれば必ず聞きに行くと思うが、ベルリンフィルを聴くためにベルリン旅行を計画することは無いだろう。そのぐらいウィーンフィルとベルリンフィルでは受けた感銘がまったく別物だった。ベルリンフィルは「世界一の楽団」、ウィーンフィルは「比類無き響き」、褒め言葉でも方向性の差が一目瞭然である。

砲丸

2008-03-26 | Weblog
 桜が咲き始めて春めいてきた。これで花粉症さえなければ・・

埼玉の世界一砲丸職人、北京オリンピックをボイコット:砲丸そのものにそこまでの差があるとは知らなかった。この埼玉の職人さんの砲丸は、飛距離で1~2メートル伸びるのだとか。経験と勘を頼りに汎用旋盤で作っているらしい。凄いものだ。

 なんでも数値化して、均質化して、量産化して、それでよしとしてしまう現代社会。安価で性能がそこそこ良いものが手に入る世界に住めるというのは恵まれてはいるけど、そこに安住していると感性がどんどん鈍磨していくのだと思う。良いものは幾らでも身近にあるのだが、氾濫する情報に振り回されず探し出すのが難しい。とりあえず、古本屋で名著を購入して読むことがてっとりばやく、かつコストパフォーマンス的にもよい。

ひねくれて世界を見る

2008-03-24 | Weblog
1)朝青龍:白鳳があえて廻しを取らずに、自ら飛んだようにみえた。
2)高橋尚子のお礼走り:スポンサーと二人三脚で最後まで稼ぐよ。
3)中田さん:そろそろ元日本代表という肩書きを、プロ旅人に変えて。
4)広末離婚:元旦那さんって、数日前に新宿で夜中に撲殺された韓国人の親友なんだってね。さらに「篤姫」の旦那も親友なんだそうだ。怖い世界だ、芸能界。
5)土浦事件:逃げ隠れしていると思われた犯人が、まさかヒットアンドウェイで襲ってくるとは・・・。犠牲者を防げなかったとしても、交番まで占拠されるとは・・・。
6)ソフトバンク:在日優待枠というのがあるらしい(週刊新潮)。まあ社長が在日だし。
7)ホワイトCM:犬と日本の代表的な女優から、黒人と日本の若手女優が生まれたという設定に、韓国人はニヤニヤがとまらないらしい。

授業料ゼロとか

2008-03-22 | Weblog
慶応大学が入学金をゼロに:東大もこういう動きを強めているようだが、手付け金、入学金、授業料共に、大金を払わされていた我々の世代はいったい何だったのかと。中央と地方の大学の格差になるなど問題もあるが、長いスパンで考えれば、存在価値のない大学の殲滅、必要のない教員の削除、学費の軽減になるのだろうが、人が多いときにこそこういう制度を真剣に考えて欲しかったものだ。人集めに苦労してから、激安商戦に出るとは・・・。


クラーク

2008-03-19 | Weblog
徒然に

花粉症:瘴気が濃すぎてマスクなしでは生きていけません。花粉症の原因は、アスファルトで地面を覆ったせいなので、ナウシカの世界同様、人間のエゴに対する自然の制裁ともとれる。

アーサー・C・クラーク死去:晩年は仏教に帰依してスリランカに住んでいた。「2001年宇宙の旅」、原作より映画のほうが好きなのだけど、SF史上最高の傑作だと思う。合掌。

クエと偽りタラを販売:この魚は「アブラボウズ」という深海魚なんだけど、ギンダラ科に分類される魚で、タラときいて真っ先に想像する真鱈や介党鱈(共にタラ科)とは全然違う魚なんだよね・・・。インパクトを出すために「タラ」にしたのかもしれないけど、まったくもって正しいことを伝えてない。自分が少々知っている分野なので、反応してしまったわけだが、日頃はいい加減な記事を鵜呑みにしていることが多いのだろうな。

フランスの旧石器時代後期のレリーフが公開される:これが1万年以上前の作品だとすると、人間の感性は何も進歩してないな。というか、鈍磨してると思う。

ドラキュラ

2008-03-18 | Weblog
「吸血鬼ドラキュラ」(1958)を観る(レンタル)。以前にテレビでいくつか類似作品をみていたのだが、やはりこれも既に観賞済みであった。ドラキュラ伯爵にクリストファー・リー、ヘルシング教授にピーター・カッシングという定番を固定させたドラキュラ映画の原点である。(ベラ・ルゴシは古典?)はっきりいえば、映画としてはD級レベルなのだが(ハマーフィルムだしね)、古き良き時代的の、のんびりさとおおざっぱさが良い。
 ちなみに、ピーター・カッシングはスターウォーズ第1作で、ダース・ベイダーの上司モス・ターキン総督を演じた。SW全話を通して、敵方で「唯一」まともな古典的演技をした俳優だと思う。シェークスピア劇で鍛えた演技力を活かした、冷徹で神経質な帝国軍司令官の役割は適役だった思う。そしてドラキュラ役のクリストファー・リーは、ロードオブザリングで魔法使いを演じ、スターウォーズの新シリーズにおいて、最強の敵役ダース・ティラヌス=ドゥークー伯爵を演じた。残念ながらリーは高齢だったので、チャンバラは全て代役が演じた。さらに、演出の低レベルさとカメラワークの稚拙さからか、暗黒の伯爵というドラキュラを彷彿させる適役にもかかわらず、演技も単調だったように思う。

合唱

2008-03-17 | Weblog
 週末、遠方より来客あり。日曜に弦楽合奏の伴奏による小編成合唱の演奏会に伺う。前半は西洋の古い歌で睡魔に襲われたが、後半の日本人の作品には引き込まれた。歌詞が聞き取れるのと聞き取れないのでは、脳内への音楽の浸透度が明らかに違う。裏返して考えると、我々日本人は(少なくとも自分は)、歌詞が聞き取れないオペラやミサ曲の持つ真実のポテンシャルを体験してないんだろうなあと思った。そして、悲しいことだが、このまま一生体験できずに終わるのだろう。合唱団の団員は基本的にアマチュアらしいが、活動はほとんどプロである。この合唱団、ハモる性能は国内でもトップクラスだと言われるだけあって、響きが素晴らしかった。団員の年齢も背の高さもまちまちだが、全員が指揮者を食い入るように見つめ、全身全霊で歌っている姿は感動的だった。一生懸命にやる姿はなににおいても感動的である。

相変わらず

2008-03-14 | Weblog
 先日、HMVでポリーニのモーツァルト協奏曲の新譜を試聴してきた(2500円もする新譜をいきなり買ったりはしない)。曲目は12番と24番で、ウィーンフィルとのライブ。ジャケット写真をみると、ポリーニも良い感じに老けてきたので、そろそろ渋い演奏でも聴かせてくれるかもなどと、ちょっと(実はかなり)期待したのだが、あーあ、結局ポリーニはポリーニである。相変わらず、硬質で無機質なキンコンした音だ。この人には、ぬくもりやら奥行きやら、人間をしっとり、ほんのり、ほんわかさせる感情表現が存在しない。ポリーニは日本文化に興味があるとwikiに書いてあるが、それなら谷崎でも読めといいたい。まあ、もう手遅れだが。演奏内容では、モーツァルトの見せ場でもある駆け上りで、いつもなぜか微妙にもたついた上に、ペダルで音が濁ってジ・エンド。伴奏のウィーンフィルは音質もクリアで良いドライブをしている。ポリーニが弾き振りしたのだが、弾き振りの指揮なぞあってないようなもので、自分たちでアンサンブルをしたのだろう。

 思うに、ポリーニ・三島由紀夫・ワーグナーは結構かぶるものがあると思う。この3つを同時に好きな人の例をいくつか知っている。

徒然

2008-03-12 | Weblog
最近、読んだモノ聴いたモノ箇条書き
1)龍胆寺雄:「放浪時代」、昭和初期の街、生活、風俗の描写が素晴らしい。村上春樹の原型。
2)同:「アパアトの女たちと僕」
3)同:「人生遊技派」、1冊通して、川端への愛憎と文壇の腐敗が徹底的に書きつづられている。
4)立花隆:「ぼくはこんな本を読んできた」、中学生時代の書評がすごい。でもこの人の知識は奥行きも毒もなくてつまらない。結局ジャーナリストでしかなく、「知の巨人」とか笑わせる。
5)澁澤龍彦:「私のプリニウス」初版で手に入れた。プリニウスと澁澤、古代と現代の驚異の博物家の融合。理系の人は是非読むべき。
6)バタイユ:「マダム・エトワルダ」、目玉のほうが好き。バタイユ最高
7)生田耕作:「黒い文学」、暗黒文学界における西の頭領。戦闘的批評家。大学の先生だったので、他人が気になるようだ。澁澤龍彦とは路線が全く違う(昔は共闘していたが、後に決裂したらしい)

8)クラウディオ・アラウ。ショパン「ノクターン集」ついにアラウの良さがわかる年齢になった。感涙。そしてショパン。やはり自分にとってはなくてはならない音楽。
9)ベーム:ハイドン88~90:たるい。ウィーンフィルの音もスタジオ録音なのかくすんで暗い。

聴き手

2008-03-10 | Weblog
 大きな本番だったわけだが・・・何とも言えぬ虚しさが残った演奏会だった。客観的には成功した演奏会だと思うし、内輪で良かった良かった大成功!といい合うのは当然のこと。しかし、何か自分には引っかかったものがあり、悶々としていた。本来はもっと感動すべき大曲なのに、あんなものでいいのか?しかし、聴きに来てくれた友人の手厳しい評を聞いて、ちょっと救われた気になった。酷評を聞いてほっとするというのは変な話だが、自分が感じていたことは聴き手も感じていたらしい。

バイブル

2008-03-09 | Weblog
 現在、龍胆寺氏の初期作「放浪時代」を読んでいる。まだ読了はしていないが、非常に才気を感じる。これは・・・やはりただものではない。読了したら感想を書きたい。
 先日、氏が「高伴作」という偽名で、多くの官能小説を書いていた可能性が高いということを調べた際(これについて追求した書籍を購入して今読んでいる。)、もう一つ奇異な性の研究会を発見した。その名を「相対会」。東大哲学科に在籍した が立ち上げたきわめて真面目な会であり、会員には教授、将校など地位の高いメンバーに加え、坪内逍遙や芥川龍之介も参加していたとのこと。この「相対会」の頒布資料(いわゆる官能小説だより)は復刻されており、現在でも入手は可能である(かなり高価だが)。実は芥川が書いた作品もあるらしいが、どうやらそれはデマらしい。この時代の学問に対する自由さと、学生の覇気にちょっと憧れる。別に性研究会でなくてもいいのだが、学生が放課後に集まって議論するような茶話会に憧れて入学したものだが、私の時代には、もはやそういうものはもう存在しなかった。中高生時代に、次郎物語を愛読していたので、学ランをきた学生が政治や文芸や人生を先生のお宅で語り合い、先生の(優しい)奥さんがお茶菓子を出してくれるという勉強会に憧れたりしていたのだが・・。


 トーマス教会withゲヴァントハウスのマタイ公演を聴いてきた。少年合唱団が非常に可愛い(断っておくがそういう趣味はない)。日本の子供合唱団なら、待ち時間は身じろぎせず不動にせよ、と指導されるだろうが、トーマスの子供たち(中高校生くらいの年上団員さえも)歌わないときはきょろきょろしていて落ち着きがない。でもそのあたりが、子供らしくて微笑ましい。演奏はもうさすがの一言。この曲を歌いまくっている、弾きまくってるだけあって、アンサンブルも完璧だ。バス(2つのオケに1本ずつ)の響きも痺れた。手堅い。そして暖かい。
 はじめてマタイを全曲通して聴いたのだが、字幕歌詞を読んでいると妙な気分になった。歌詞は聖書のマタイ伝をもとにしており、キリストがユダに裏切られて捕縛されて、磔になるまでが述べられているのだが、このマタイ受難曲はユダヤ人にとっては演奏したくも聴きたくもないであろう。結局、聖書の中ではユダヤ人は最大の悪人として描かれているわけである(解釈によってはそんあ彼らも許されているのかもしれないが)。思うに、理想を目指した人物が、世の流れに押し流されて殉死するという話は、世界のどの場所、どの時代にもあると思う。キリストの話は(本当の話として)、イスラエルという狭い地域における、ユダヤ民族の内輪の話でしかないのだが、聖書なるものに仰々しく記述され、今に至るまで、毎週日曜日に教会で繰り返し朗読され、音楽にもされ、地球の裏側のアジア人にまで通達されている。人類の歴史上にわたる壮大な虐めの構図である。いくらなんでも、そこまでする必要はないだろうと。キリスト教が全世界民族の融和を目指すのなら、まず聖書を否定すべきではないだろうか?ユダヤ人が西洋社会でキリスト殺しをした民族としてさげすまされてきた原因は聖書にあるのだとつくづく確信した。(続く)

現代建築

2008-03-06 | Weblog
毎日やることがてんこ盛りでアップアップです。毒吐きを以下に。

1)液晶テレビ:ついに購入した。15年ぶりにテレビをチェンジ。率直な感想・・・「画質悪い!」。現在の技術ではブラウン管のもつ応答速度、画質、表現力には勝てないとは聞いていたが・・予想以上だ。国内でのブラウン管の販売は終了しているから、液晶かプラズマを買うしかないのだが、薄さ、大きさだけのために根本的な「美しさ」を捨てても良いのだろうか?購入したものは、一応倍速応答で、新しいソースはそれなりに綺麗だが、やはり古いソースのものは粗がめだつ。「慣れれば問題なし」とか「普通に見る分には許容範囲」といった擁護発言もあるが、技術に対して人間の感性があわせなくてはいけないなんて、もう人間やめろということか?(便利なところも多々あるのも確かだが・・)同じ意味で、LP>CDがいまだに言われており、LPリスナーがじわじわと回復してきているともきく。CGもそうだが、結局デジタル信号マンセーだけでは人間のもつ感性を満足させることは出来ないようである。

2)アラン・プロストの発言:「今のF-1は、良いマシンにさえ乗れば誰でも勝てる。昔は純然たる強いドライバーがいた。」最近、全然F-1をみないが、確かにセナやプロストの速さは素人がみても明らかだった。これもテクノロジーに人間が合わせるようになった結果か。

3)現代建築。全く持って理解不能だと改めて宣言したい。これまでは、一見意味不明でも何かを感じ取らなきゃいけないという強迫観念みたいなものもあったが、正直に自分の心の内側を精査した結果、まったくもって美しいとも住んでみたいとも感じていないという結論に至った。先日丸善へ行った際、モダン建築の巨大な図版集が飾られていて、ぱらぱらと結構なページ数を見たのだが、うん、こいつら全部ぶっ壊してもいいなと本心から思った。業界内で評判がいいとか、批評家が褒めているとか、コンペを勝ち抜いただとか、賞をとっただとか、巨匠の作品だとか、そんなの「池田大作が、何とか大学の名誉博士になりました」という話と同じレベルである。コンセプトやらが、言い訳のようにくっついている場合があるが、料理において「不味いかもしれませんが、それにはこれこれこういう調理人の意図がありまして・・・」っていえば客は納得するのか?どれも、鉄骨、ガラス張り、コンクリ打ちっ放しのバカの1つ覚え。人間の感性を舐めているとしか思えない。そういえば、不忍池の景観を破壊していたソフィテル東京が取り壊されたらしい。喜ばしい事だ。同じ人物(菊竹某)が設計した両国の江戸東京博物館も消去してほしいものだ。

待ち伏せ:ヨロキン最高

2008-03-04 | Weblog
週末は、ほぼ合宿状態で脳みそ溶けました。久しぶりにお気に入りのイタリアンに出向いて、プロの味を堪能。

「待ち伏せ」:昔レンタルで借りて観て以来、もう一度みたいと思っていた5大名優競演の時代劇。峠の茶屋で繰り広げられる複雑な人間模様。だれが善でだれが悪か?出てくる俳優がどれも凄い演技で見入ってしまう。「演技」ってのはこういうことをいうのだ。こういう作品を観ちゃうと、テレビドラマの歌手崩れやジャニーズの勘違いとかの演技なんて観るに堪えなくて。登場する五大俳優とは、

三船敏郎
石原裕次郎
浅丘ルリ子
勝新太郎
中村錦之助

勝新のドスのきいた演技や裕次郎の快活な滑舌、三船得意の「浪人」演技も凄いが、やはりヨロキン(中村錦之介)演じる、堅物で小心者の役人の演技が飛び抜けている。ヨロキンは柳生但馬やら宮本武蔵、子連れ狼など無敵剣豪のイメージが強いが、こういうチャンバラをしない小役人の役でも完全に他を喰ってるのがすごいところ。さすがだよヨロキン。スカパー!の時代劇チャネルにいっぱいヨロキン番組があるんだよな・・・破れシリーズとか是非みたいものだ。
最後に、浅丘ルリ子が美人すぎてびっくりする。