Wilhelm-Wilhelm Mk2

B級SFからクラシック音楽まで何でもあり

城下町

2005-05-30 | Weblog
週末に出張である城下町に行ったのですが、やはり町の中心に大きな城があると景観にまとまりがでますねえ。ヨーロッパも町の中心には尖塔をもつ大きな教会と広場がありますしねえ。思えば殆どの日本の都市は城下町だったはずなのですが、火災やら戦災やら戦後の急速な近代化復興やらで随分とその面影が無くなってしまいました。正直なところ、今の日本の町は景観としては酷過ぎると思います。外人が観たい日本は「京都」であって「東京」ではないのです。
東京も江戸城の天守閣とか再建しないかなあ?とか昔から思ってたりするのですが(立派な「天守台」は残っているので)、そんなことに税金投入できるわけないか、今や皇居だしねえ。でも江戸城の天守閣は建造当時は結構高層で立派だったらしいから、再建したら東京の新しいシンボルになると思うのですけど。(写真は江戸城の本丸図)

ヒラリーハーン N響公演

2005-05-27 | Weblog
サントリーでの公演。プロコの1番を弾きました。流石の一言。場内も唖然としていました。完璧なテクニックを持ちながらそれを見せびらかすようなこともしないけど、それでいながら圧倒するという感じでした。あんなシニカルでちょっと捉え所のない曲なのに、オーケストラをぐいぐい引っ張って曲を見事に構築していました。またグロテスクな部分と正調との対比が明確で、随分と色々な音色が出るんだなと改めて感心。私がハーンの演奏が好きな理由の一つとして「雑音がない」ってのがあります。弦楽器だと音程以外にも摩擦音だのと色々な子音が出るのですが、これが殆どない。といってもなければいいってものでもなく、表情付け(特に現代曲とか)にこういった音は使われるのだけど、私はできるだけ無い方が好き。弦楽器の美音ってのを堪能し続けるならハーンですかね。アンコールのバッハ無伴奏がまた最高で、プロコの捻った感じの曲から一転して、真直ぐな曲を輝く美音で聴かせてくれました。彼女が弾き始めたとき何かホールの空気がさっと変わって照明が一瞬あがったような錯覚に見舞われました。ハーンの演奏スタイルはバッハと非常に相性がいいと思います。
メインはショスタコの5番でしたが、これも好い演奏でした。ヤルヴィという指揮者はいいですね。オーケストラはさすがN響という場面も多かったですが、低弦(バスとチェロ)が随分と気合いいれて頑張っているのに、ヴァイオリンはなんか職業的な惰性演奏に徹している感じがして不満でした。音量も全然無いですし、今日のヴァイオリンは2軍だったのかもしれません。ハーンの後だというのもありますが、コンマスのソロもちょっと頂けませんでした(はずしすぎ)。

フルトヴェングラーの「マーラー9番」

2005-05-24 | Weblog
一度は聴いてみたかったフルヴェンの「マラ9」、幻の録音と言われていたが(過去にプライベートSPが出ている)、今回オーストリア・フルトヴェングラー研究財団から当時の放送録音(継ぎ接ぎだらけだが)の修復焼き直しが行われ一般に販売された。このマーラーの最後にして最高の曲「9番」が完成されたのが1910年のことであり、ワルターによるウィーン初演が1912年であるが、この録音は1933年のウィーンにおける録音(恐らく公開放送?)である。その年にはナチス政権によるユダヤ人音楽禁止令がでるが、それを考えるとこれは直前のものであろう(詳細な日時は記されたいないが、2月とある)。録音技術の未熟さのため全楽章を滑らかに聴く事は至難、いや不可能だが、本局のエッセンスは雑音の向こうからでも十分に感じ取れる。1楽章冒頭の牧歌が響き、そしてそこから沸き上がる痛烈な叫びはまさにフルトヴェングラーならではのインパクトだ。2楽章はきわめて快調にすすむ(欠落多し)。3楽章のブルレスケはいたって慎重に始められるものの、弦楽器群の突入により一気に合奏が沸き立つ。最終局面に至ると本格的な「ブルレスケ」となり楽章は狂乱のうちに終結する。そして終楽章。大気を切り裂くようなヴィオリンから始めるこのAdagioだが、フルトヴェングラーの演奏は、決して一般的な「死」を予感させる演奏ではなく、飽くまで「生」への執着と喜びを管弦楽の側からしっかりと捉えているものとなっており、ただの情調というわけではない。これだけのマーラーを演奏できた彼がなぜ戦後にマーラーの交響曲の録音を一つも残さなかったのかは謎である。

本文はチェコ在住のフルトヴェングラー愛好家からの私信を直訳したものであるが、フルトヴェングラーがマーラー9番をウィーンで演奏したという記録は現在の公演記録集では確認できていない。

架空の書籍、例えば「民明書房刊」

2005-05-24 | Weblog
国書刊行が翻訳したレムの「完全な真空」を読み始める。凄い。この本は「架空の本」の書評を綴ったものだが、読んでいると何が現実か虚構がわからなくなってくる。後書きを読んでみるが、レムが本書を母国語のポーランド語で記した為に翻訳が遅れ、この本が本当に実在するのかさえ当初は疑問だったという下りには笑った。しかし、架空の書籍をさも実在するかのように解説宣伝したり、さらにはそれらのカタログを作るという風刺を超えた偏執狂的「書籍蒐集」の趣味は、西洋の過去においてはよく存在したらしい。さらには、こういった架空本の研究本までもがあるそうだが、その本も実際には架空かもしれない。(この本の内容は何も信じられない)
そういえば、先日読んだ稀覯書蒐集の話「デュマ倶楽部」の内容(三銃士の原稿等)もそれに準ずる所がある。また、近々折りをみて紹介しようと思っている「ラブクラフト」という古典怪奇小説家の作品では、実在しない古いアメリカ東部の町を執拗に小説の舞台とし、古めかしい伝説の寄書をさも実在するかのように登場させ(巻末にその説明補遺までつけて)、物語に現実味を帯びさせようとしている。こういった虚構の世界の構築は物書きの一つのテクニックなのだろうが、我々の世代の男性が子供のころに読んだ人気漫画にも、これを巧く活用したものがある。少年ジャンプで連載されていた格闘漫画「魁!男塾」における「民明書房刊」のことだ。作中の登場人物達が奇想天外な格闘技を繰り出すたびに、架空の書籍からの引用による詳細な説明が付け加えられ、その出典は全て「民明書房」であった。子供達は随分と長くこの出版社がこの世に実在するものとして信じていたはずだ(いや、私だけか?)。私もこういった知的な悪戯は結構好きなので、遊び半分に次の投稿では一つそれをやってみようかと思う。

クーベリックこそフルヴェンの後継者

2005-05-23 | Weblog
と私は思っています。残念ながらバレンボイム氏ではないです。クーベリック自身、フルトヴェングラーを見て指揮者を志し、フルトヴェングラーに認められてシカゴ響のポストを得たのです。(本当はフルトヴェングラーが就任するはずだったが、反対にあった)今クーベリックの「巨人」(DG、バイエルン放送響)を聴いてますが、テンポの伸縮が自然で熱くて好い演奏です。クーベリックがベルリンフィルと残したドヴォルザークの交響曲は、永遠に超えられることのない演奏だと思います。
最近のピリオド演奏の指揮者達には、古楽器奏法へのこだわりはそのまま追求しても構いませんから、演奏に息吹を吹き込むということを、フルヴェンを模範にするのが嫌なら、少なくともクーベリックの演奏を参考にしてもう少し何とかして欲しいです。

フルトヴェングラーのブルックナー8番

2005-05-23 | Weblog
ラーマさんやorooroさんが既にレビューされていますが、私も最近DG盤を中古で手に入れましたので、ちょっとその感想を。正直私はあまりブルックナーには詳しくないです。日頃は殆ど聴かないです。聴くのは自分が演奏するときか、演奏会に出かける前にちょっと予習するときだけですか。それでも一応4番から9番までは録音を数種持ってまして、5、7、9番は弾いたこともあります。
これまでの経験では、ブルオタが「フルヴェンのブルックナーは間違ってる」と散々に言うので、彼らご推薦のヴァントとかチェリを聴くのですが、私には正直「たるい」。ブルオタ達には、このたるさこそが「深淵」で「神秘的」なんでしょうが、すいません、私はまだそこまで宇宙を感じる器がないようです。そこで、フルヴェン録音を聴いてみる訳ですが、たちまちに稲妻に打たれるようなショックを受け、曲にのめり込んでしまう訳です。
今回のウィーンフィルとのブル8の演奏もまさにそれと同じでした。ブル8に関しては昔に朝比奈氏の生演奏を聴いた事もあるのですが、そのときは見事に「眠りました」。手持ちのチェリの映像も最後まで見通せない。しかし、今回の録音は「うーん凄いぞ」って感じですね。冒頭のいわゆるブルックナー刻みから湧き上がる低音がまるで地の底から声が響いてきます。ただ美しいだけとか、宇宙的な長さがあるとかでなく、曲全体にドラマがあって命があります。これを「フルヴェン劇場」と呼ぶのならそれでも結構。しかし聴くものを引きずり込むだけの説得力があるのだから、間違いなく稀代の名演奏といえるでしょう。
フルトヴェングラーは20歳時のデビューの際に、何と9番を振ってるんですよね。その後はブルックナー協会の総裁にもなっており、彼は当時におけるブルックナーの信奉者であり伝導師であったのです。(彼の自作交響曲もブルックナー風ですよね。)だからと言う訳ではないですが、フルトヴェングラーの楽譜研究の徹底とその読み取り力を考えると、実はフルヴェンのブルックナーが「正しい」のではないかと思ってします。実際ブルックナーが聴いたら、フルヴェンの演奏を褒めるんじゃないかな。
(ちなみに私はフルヴェンのブルックナーなら5番の演奏が一番好きです。この曲はかなり最後燃え上がるのですが、フルヴェンならではの燃焼力です。)

池松宏さん

2005-05-20 | Weblog
尊敬してやまないバシスト。巧い。バスとは思えない音程と機動力と歌唱力。この人はただ選んだ楽器がバスであっただけでどの楽器をやっても一流になったはずだと思う。(実際、当初は指揮者になりたくて副専攻的にバスを選んだそうだ。)
現在N響のトップだが、オケ活動以外でも様ざまなアンサンブル、そしてソロ活動を展開されている。2枚のソロアルバム(オーパとノーバ)は演奏の素晴らしさもさることながら、選曲が絶品だ。クラシック曲、つまりチェロ曲などを無理に引くのでなく、もっとモダンな作品やきちんとバスの為に書かれた曲を弾いている。近々3枚目のアルバムがでるそうだ。楽しみである。
写真は先日の国際フォーラムで行われた「マス」の写真(公式HPから持ってきましたが、まずいかな・・)ここでは楽器を垂直に立てて弾いておられが、座奏のときはチェロ並みに楽器を傾けて演奏されます。こういった何でも柔軟にできるってのも魅力です。このマスも朝一番なのに素晴らしい演奏でした。(他のメンバーも秀逸でした)
池松宏ファンサイト

夏目漱石と正岡子規の友情

2005-05-20 | Weblog
久しぶりに「サライ」を買ったら夏目漱石特集だった。その中に漱石と正岡子規の友情、特に手紙のやり取りがのっていたのだが、病気(結核)で日に弱って行く子規を異国(イギリス)から励ます漱石の手紙に胸をうたれた。結局漱石が帰国する前に子規は35歳という若さで世を去ってしまうのだが、自分の親友も数年前に異国で死んだ事を思い出す。彼の場合は仕事(研究調査)で東南アジアへ行った際に自己のバイク事故で命を落としたのだが、身近な友人が死んだのは始めてだったので人間とは何ともあっけなく死ぬのだなと驚いた。彼は随分と早熟で小学生の段階でグレングールドに心酔していたりしてそれを誇示したりしていたのだが、私はそれをただの評論家の受け売りだとつついては彼とよく喧嘩したものだ。しかし、この幼稚極まる喧嘩の中で実際に色々なことを覚えたし(彼の前では知っているふりをして帰宅して調べたりしてた。)、私がクラシックを好きになった土台は彼のお陰だといってもいい。感謝している。
話は戻るが、漱石が子規に厭世的な悩みを相談した際の子規の返事もまたいい。
「人間の最後も一時代の最期も世界の最期も同じく両極中の一点に過ぎざるべし。それを長いというは狭い了見也。短いというも小さい見識也。悟れ君。」
この「悟れ君」という表現。こういう風に言ってくれる人こそ友人だなと思う。

レム

2005-05-18 | Weblog
尊敬するポーランドのSF作家「スタニスワフ・レム」の選集が国書刊行会から出ている。欲しい。が高い。新譜のCDくらいか。演奏会のチケットやCDを買うときはこのぐらいのお金は何とも思わないが、本を買うときは何故か高いと思ってしまう。中古の文庫本を買うのに慣れてしまってるからか。(大体100-300円)。オークションとかも漁ってみたが、それほどに安くなってない。
レム・コレクション

澁澤龍彦「悪魔のいる文学史 神秘家と狂詩人」

2005-05-16 | Weblog
くたくたに疲れて帰って来たので、ヒーリングにブラームスのヴァイオリンソナタ「雨の歌」を。ヴァイオリンはパールマン、ピアノはバレンボイム。シカゴでの1989年のライブ。この1楽章が大好きです。

なのに紹介する本が「澁澤龍彦」。最近、ちょくちょく読んでます。全集が安く出ないかな。澁澤といえばいわずとしてれたサド侯爵を日本に紹介したフランス文学者。本書は19世紀から20世紀初期における「小ロマン派」といわれたフランスの過激小説家達の紹介です。悪魔学やら錬金術などの隠秘学に加えて、暴力主義や過激な共和主義を題材にし、その狂気と絶望に身を投じ破滅していった無名の小説家たちの人生が語られています。私としてはこういう人たちの作品を読んでみたいというよりは、彼等を歴史の闇から掘り起こした澁澤龍彦の行動力と半端じゃない知識量、それに加えて彼の冷徹な分析力と語り口に引き込まれました。澁澤文学といえば、サド侯爵研究もの以外にも「エロス的人間」とか「少女コレクション序説」とか題だけ眺めるとただの「倒錯」系のような作品がたくさんありますが、中身は至って冷静であくまで学問的な客観的な視点で書いています。ここが三島由紀夫とは反対のところ。澁澤の「三島由紀夫おぼえがき」はそんなクールな澁澤から観察した三島が書かれていて興味深い作品でした(2人は友人でしたが)。
ちなみに高校生の頃読んだ澁澤の「快楽主義の哲学」は私の人生に大きな影響を与えた一冊でした。

やはりフルトヴェングラーだけで十分です。

2005-05-15 | Weblog
ここ数日色々なベートーヴェンを聴いてみたのですが(7番に絞って)、やはり私はフルヴェンが一番感動します。うーんやっぱり圧倒的だなあ。特にこの7番は僕が初めて聴いたフルトヴェングラーなんですよね。中学生の頃、日曜の朝に吉田秀和氏の「ベートーヴェンを聴く」というNHK-FMの番組を毎週聴いていたのですが、7番の全曲はクライバーの録音を紹介して、残りの時間でこのフルヴェンによる2楽章を流したのです。そのときの電光に撃たれたような衝撃は忘れられません。その場で耳をこらして吉田氏が紹介するフルヴェンの名を書き取ったわけです。
一体何が違うのかなあ。まず音楽が全く弛緩しないってことかなあ。速度が変わっても、加速が加速と感じないうちにその音楽が一番生命力を帯びるテンポに成っているのですよね。全く細工や作為を感じさせない自然さ。あとはついてくるオーケストラの燃焼力の違いかなあ。楽団員はただの尊敬だけでなく「畏怖」をもってフルヴェンに付き従っていたわけですから。そういえばフルトヴェングラーは生前に、
「指揮者は英雄でなくてはいけない。それゆえ指揮台の上では笑ってはいけない。」
と言っていたそうで、現代のようにニコニコしているような指揮者は駄目だということらしいです。実は僕もこれには賛成です。オーケストラって軍隊みたいなもので、全権掌握している指揮者に部下のオーケストラが無条件について行くというスタイルが理想だと思っています。でもこれはもう民主的な現代ではもう望めないのでしょうね。アップした写真をみると、フルヴェンのボスとしての存在感が感じられませんか?(長身ですしね。)

フルニエとバックハウスによるデュオ

2005-05-15 | Weblog
ブラームスの残した2つのチェロソナタ。私はチェロ奏者の中ではこのピエール・フルニエ(1906-1986)がお気に入りです。バッハの無伴奏もフルニエの録音のものを愛聴しています。私の感想などよりも、このアルバムのライナーノーツにあるフルニエ評を紹介しようと思います。

「フルニエのチェロは、端正でなめらかで、それでいて浪々と響く美音に加えて、いかなる力奏時にも感情と知的な抑制のバランスを失わず、きわめてニュアンスに富んだ繊細無類の表現と、ヒューマニックでノーブルな気品を持っている。」

このフルニエにバックハウスのピアノが渋く絡む。2人の音質と音楽の方向性がすばらしいまでに一致しており、ブラームスという選曲もはまっていると思います。至高の名盤(写真は新しいエディションのジャケット)。

美しい宇宙船その4「エンタープライズ」

2005-05-15 | Weblog
私の教科書「スタートレック」からエンタープライズです。私は原理主義なので一番最初のシリーズしか興味はないのですが、エンタープライズ号は「スタートレック」そのものといえるので、新しいシリーズでも形を変えて登場し続けます。今日紹介したいのは、一番最初のエンタープライズ「USS NCC-1701」(写真左、右の小さいのは他の船)です。人類未踏の銀河へカーク船長と副長スポックのもと5年間の調査飛行を行いました。その後、大改修をうけデザインが随分と変わりますが(映画版)、最後は惑星ジェネシス軌道上で自爆してその長い航海を終えます。しかし、ほぼ同形のNCC-1701Aエンタープライズがすぐに建造され、その栄光の名はB、C、D、E型と次の世代へ受け継がれて行くのです。
このエンタープライズの名はもともとアメリカの空母からきていますが、SFファンにとっては思い入れのある名称であり、NASAのスペースシャトルのプロトタイプにもこの名が付けられてます。居住区とブリッジのある円盤部の下に機関部と格納庫である葉巻型の胴体がありそこから2つのワープエンジンが伸びています。本当に美しい形状です。この形は全てのスタートレックの宇宙船コンセプトの元になっています。

好い録音のベートーヴェン交響曲集が欲しい

2005-05-14 | Weblog
別にフルトヴェングラーの録音だけで十分なのですが、最近の音質の良い録音でもワンセット揃えたいと前々から思っています。(ステレオではベームは持ってますが)で、取りあえずデジタル録音で評判のものをバラで購入して当りを見ていたりしているのですが、なかなか好いものに出会いませんね。これまで試したものは、

ラトルVPO(5,7,8,9)、
アバドBPO(3)新録
アバドVPO(2,5)
ガーディナーORR(7,8)
バレンボイムBSK(9)
カラヤンBPO(3,8,9)

この中ではカラヤンが一番燃えましたかねえ(エロイカとか)。でもこれ20年前のものだしなあ。それに、よく考えたらこの最後のカラヤンBPO全集はテープで全部持ってました。アバドVPOにおるライブ録音。これは好い演奏でした。でもこれも80年代のもの。アバドのBPOとの新全集はちょっとイマイチ。僕は最近はやりの「ピリオド演奏」が苦手なんですねえ。ガーディナーはバッハとかの声楽で好きな指揮者なのですが、ベートーヴェンするにはせせこましすぎ。ラトルは全くもって理解不能、こんな下手なウィーンフィルは初めて聴いた。バレンボイムは期待はずれでした。
それにしても、なんで最近のベートーヴェンは小編成で機動力重視とかなのかなあ。そりゃ作曲当時は今みたいな大編成オーケストラは無かったし、倍管なんてありえないけど、現在はホールも大きいしそれに合わせて楽器編成を大きくするのは自然だと思うのだけど。ベートーヴェンの演奏で熱量の放射がなくて何がベートーヴェンなのかなあ。だってベートーヴェンって自分のパトロン(ロブコヴィッツ公だったはず)と喧嘩して、その帰りがけにそのパトロンの家の前で、アントニオ猪木よろしく
「ばかやろー!」
とか叫んでいたような人なんですよ。そんな人がそんな風のように通り過ぎるだけの「爽やか」な演奏に満足したかねえ。

クララ・ハスキル

2005-05-14 | Weblog
好きなピアニスト。音が素朴で繊細で優しく、演奏は小さな宝石がちりばめらていく様で、聴いていると何とも言えない安心感というかヒーリング感に浸らせてくれます。でもテンペストとかを聴くと内に燃えるような青白い炎のような熱量も感じます。本当にいいピアニストだと思います。彼女はルーマニアの生まれのユダヤ人なのですが、そのためにナチスに追われたり、さらに何度も大病を患って長い療養を送るなど大変な人生を歩んだそうです。
後年はスイスに定住したのですが、同じくスイスに移住していたバックハウス(写真右、左はリパッティ)とも親交があったのかな?バックハウスの立ち姿が何とも地味でいい人って感じですね。