これは何度も書いてるが「逆襲のシャア」という映画が
死ぬほど嫌いだ。初めて見たときは(期待も高かったので)あまりの酷さに眩暈がした。何度も繰り返し見て克服を試みたが見れば見るほど嫌いになった。なぜ嫌いなのかを以下に書いてみた。
意味不明のタイトル:シャアは一体何に対して逆襲しているのか?地球に残っている人に対して?はあ?逆襲するならハマーンに対してだろう?(もう死んでいないけど)
ストーリーのチープさ:Zガンダムで同じ側にたったアムロとシャアが再び「安っぽく」戦うことになる。そうでないと映画館にお客が入らないからだろう(Zガンダムでは設定の複雑さに凡庸な子供達がついていけなかったから)。ガンダムとZガンダムでのあの濃密な100話は何であったのか?
シャアの別人化:Zガンダムでは葛藤が残るも成長した大人の男として描かれ、将来は連邦大統領?みたいな路線も出されていたのに、逆襲では「安いカルトの王様」に成り下がっている。キャラデザインから生みの親の安彦氏が外れたので、見た目からキャラ変している。あの力のない小さな目からしてシャアに見えない。オールバックにブランデーグラスとか・・勘弁してくれ。
「道化だよ」の自嘲の一言ではすまされない。
結局この映画はシャアというキャラを「色々と葛藤したけどジオンの王子というプライドが捨てられず一番居心地のよい猿山のボスの地位に収まってその自分のアイデンティティを押し通すために地球に石ころ落としてしまうという成長のみられないダメな人間」に落とし込めたということです。
シャアの変遷
ガンダム第2話
ZガンダムOP
逆シャー
隕石おとしの設定:ガンダム初回から地球に何かを落とすのは絶対悪であり(当然)、シャアもそれに同調したことはない。なのにシャアがこういう作戦を立案して、それに心底こだわるというキャラ変の設定が理解不能。「地球には少し眠ってもらうだけ」とか「寒冷期が~」とか言ってるけど矛盾をわかってるのか?
脚本の駄目さ:これが最大の悪。
脚本は原作者の富野由悠季。ガンダムって富野氏の原作だからそれが普通なのでは?と思うかもしれないが、ガンダムでもΖガンダムでも実際の脚本は全て別の実働部隊の人たちが書いていて、
富野氏は総合的に見て手を入れたかもしれんが実際の脚本を書いていない(小説は書いたが)。つまりこの映画はプロが脚本を書いていない・・とは言いすぎだが富野氏の独り相撲になっている感が強い。ジョージ・ルーカスが久しぶりにSWを監督したら酷いものになったのと同じ。正直いって富野氏に台詞回しのセンスはない。小説でもそうだが、思わせぶりな台詞を文学チックに並べるだけ(聞いていて恥ずかしい、支離滅裂)。だから「そのキャラはそんなこと言わないだろう」みたいな台詞を平気で喋らせる。ブライトは絶対に「皆の命をくれ!」なんて安っぽい台詞を言わない。シャアとアムロのかけあいなどは「共感性羞恥」を発症するレベル。
キャラクターデザインも最悪:安彦氏がZガンダムで降りてしまったため、この映画のキャラは北爪氏が描いた。その結果、ガンダムの世界観とまったく違うフェイスになった。アムロからいじけたアムロらしさが取れ(成長ということで誤魔化している)ただ強いだけのキラーになり、シャアは「粛正する!」とか演説する安いカルト教祖。比較的再現しやすいブライトさえ全く似てない。新キャラも全て痛い。煩い小娘キャラはこれも「共感性羞恥」を催すレベル。富野氏自身も後にこのように発言している「
なんでオリジナル(『機動戦士ガンダム』)のスタッフでできなかったんだろうかと後悔している部分は今でもしっかりあります。フィルムで見ると
『逆シャア』のシャアってすごく無機質に見えるんだけども、本当のシャアはあんなに無機質なキャラクターではなかった。そういう意味では、安彦(良和)くんの描く線は特別で、ナナイやクェスと絡みの時にシャアがもっと優しく見えただろうから「これなら女性も好きになるな」と思えたかもしれない。この映画のシャアを見ても、女性が惚れるとは思えないですよね。」
相変わらず女が男を庇って死ぬ:ワンパターンにも程がある。Zガンダムもそうだが。
ニューガンダムの最悪さ 多数決で決まったような凡庸さ。Zガンダムのあとの時代にあのデザインはない。
サザビー:私が
この世で一番嫌いなMSといえる。ライトなファンの心を掴もうと徹底的に媚びた合体超獣デザイン。名前からしてオークションレベル。出渕氏の色が濃すぎで初見は「
パトレイバー風リックディアス」
宇宙戦艦:Z時代のアーガマ、アレキサンドリア、グワダン、エンドラから見事に退化してる。沢山砲塔つけて凡庸の極致。
ファンネル:ファンネルは
ニュータイプ能力悪用の象徴かつ
女性的な兵器なのに、下っ端の男キャラにも使わせてしまう。そして元来ファンネルなぞ使えない「ニュータイプのなり損ないレベル」のシャアまでもが軽々と使えてしまう。アムロは拒否すべき武器だろうに、これまた平気で使う。サイコフレームとかバカにしてんのか?
ララア:ララアの件はZガンダムで消化して卒業しただろうに。引っ張り過ぎ。
ハマーンがまったく語られない:シャアにとってはハマーンは避けて通れないのに(なにせ昔の彼女?で、こっぴどくやられてるし)、自分とは全く関係のないことのようにしている(ZZをなしにしたいから)。
超能力描写 ミサイルの中から核ミサイルだけを見抜く・・・。これまでニュータイプ能力は人間同士の精神的な観応の範囲でおさえられていたのに、ついには無機物にまで観応するようになっている。もうそれなら照準も索敵も超能力でやればいい。そして繰り返しになるが、それを「ニュータイプのなりそこない」のシャアがさらっとやってしまう。いつからシャアはそんなニュータイプ猛者になったの?アムロにはダブルスコアで届かないだろうに。
二人を安く殺した:氷室京介の言葉を借りれば「こんなことするために映画作ったのかよ」
他:ビームの弾道が実弾。打ち上げ花火みたいで萎えまくり。ビームは直線なんだよ。爆発描写が大気中の爆発のようにみえる。無重力での爆発は雰囲気を出すためにも真円で描け。
リガズィ:まあこのデザインは少し褒めていい。背中の飛行機は全くいらないが。