Wilhelm-Wilhelm Mk2

B級SFからクラシック音楽まで何でもあり

小粒

2013-03-27 | Weblog
シューマン4番といえば、フルヴェンのこの録音がいまだに最高峰の一つであることは間違いない・・・と思っていた。一昔前は周囲もそうだった。高校生以来、これが「正しい」シューマンとして聞き続けてきた。しかし21世紀の今では、驚いたことに、このフルヴェン演奏は、ちょっと変わった演奏、さらには旧時代のゲテモノ演奏とまで評されているようだ。学術的、時代考証的には、もっとテンポよくきびきびした演奏が「正しい」シューマンということらしい。必要に迫られていろいろな、特に最近のシューマンを聞いてみた。どれもパルプみたいな演奏だった。ファストフード的、それは言い過ぎとしても、スポーティー、縦線が揃ったメリハリに富んだスタイリッシュな演奏。鳥肌一つ立ちません。演奏会場で即物的な拍手はとれるだろうが、終演後まで余韻を与えられるとはとても思えない。「観衆は熱しやすく冷めやすい」。改めてフルヴェンの演奏を聴くと、確かに現代の演奏より一回りくらいテンポはゆったりしている。しかし「遅い」とも「とろい」とも感じない。音楽に隙がなく、演奏の集中力の密度が濃いか。25年以来聞いているフルヴェン演奏、いつ聞いても「悪寒か?」というぐらいに鳥肌が立つ。1楽章のコーダ前で、森から抜けて開けた草原に出るようなカタルシスを感じるのは自分だけでないと思う。こういった想像力を働かせるような演奏にはまったく出会わなかった。これはシューマンに限ったことであはない・・・現代の売れている指揮者の演奏はどれもそんな感じだ。先日の自分たちをヤングな棒振りもそういうやつだった。イギリス人がなぜ料理が下手かというと、生まれたときからまずいものしか食べてないから、もはや美味しさを認知する舌がないのだそうだ。舌と耳の感性は似ているとよく言われるが(東洋人は舌、西洋人は耳がよいとか)、デジタルの世界に生まれて、現代演奏にならされた人間には、もはやフルヴェン演奏を感動するハートはないのだろうか。時代の流れといえばそこまでだが、奏者も聴衆も人間として小粒化している現代では仕方がないのか。

新世界

2013-03-25 | Weblog
LAST GIG翌日、未使用のカーボンを売り払い、それを元手に中古エレキを購入。2.5万なり(これまでの楽器価格の価値感が崩れ去りました)。勢いではあるが長いつきあいにしたい。コンコルドヘッドに一目ぼれ。そう知る人ぞ知るあのタイプです(ヘッドに書いてありますね)。「なんだH袋かよ」と言われてもいい。これしか知らないし、これがマイブームだし、これが一番かっこよく見えた。さすがに縞模様はないが。アンプにつないで「ジャラーン」と音を出したとき、新たな世界が開きました。

LAST GIG

2013-03-20 | Weblog
BOØWYの最終公演「LAST GIGS(1988.4)」。涙はみせるまいとハイテンションのまま歌い続けるヒムロックの姿に感動します。

そして自分もLAST GIG。家族、仕事、そして自分の人生を大きく眺めて、楽しくないのに惰性で参加している状況に歯止めを。昔はどんなに忙しくても、練習に出ると楽しくてたまらなかったのだが、去年あたりからそれが一気に萎えていき・・・。オーバーワークのせいか、やりたい曲をやりつくしたせいか、指揮者がボロで練習が楽しくないためか・・・いずれにしろ、家族と過ごすべき週末を削ってまで参加する趣味が楽しくないというのは間違っている。ここでいちど見直すことにしました。楽器はもちろん続けますが、年齢的にもよいターニングポイントなので、この機会に他の趣味にも手を出したいと思います。

推薦入試

2013-03-13 | Weblog
・東大が推薦入試?:内申書で入学しても後々困るのは生徒だろうに・・・。東大がクリエイティブに欠けるとか官僚養成学校だという指摘は概ね正しいとして、それが推薦制度で改善されるとはとても思わない。というか、とりあえず処理能力が高い、知識と理屈は高スペックという最期の牙城も壊すことになりかねない。最近のAO入試が「All OK」とか「アホでもOK」と揶揄されているのに、なぜここで推薦を導入するか?秋入学制度もそうだが、ゆとり教育の時のような、なにか歪んだ教育理論を推し進めている勢力が上層部にいるようだ。
・安倍政権が原発収束を撤回:そりゃそうだろ。メルトダウンした燃料がどういう状態かまだわかってないし、4号機の燃料棒は階上のプールに放置だし。民主党は政権時代に地震に遭遇して気の毒?だったが、手柄よりもきちんと対応すべきだった。そのつけが今来ている。次の参院選で消滅だな。
・仏像問題:シャカは仏像を禁止していたんだが・・根本的になってない。
・北朝鮮が「無慈悲」連発:冷戦時代の共産主義の残渣ではあるが、このキチガイっぷりは民族ならではか?
・BOØWYがとまらない:ぎりぎりBOØWY世代である(解散は中学時代。騒ぎをよく覚えている)。メジャーな数曲しか知らなかったのだが、CASE of BOOWYの39曲、どれも素晴らしい・・・というか、おいおいこれ凄いぞ。バンドのライブってこんな感じなのか?それとも彼らが特別なのか?これ全部自分たちで作ったんでしょ?演奏も4人だけと思えないパワーだし、ステージングも昂奮させられる。種々の音源を集めて、びっくりするぐらいの新鮮な感動と新しい世界に浸っている半年。今年で解散(正確には最終公演)から25年。周回おくれどころじゃないレイトだが、不惑間近で出会えてよかったと思います。音楽の乗り(グルーヴ?)って本来こういうものなのかと再認識、そして色々と反省している。現在、趣味の合奏の方向性がいまいち(というか最悪)で・・自分がやりたい(信じてきた)方向性とまったく違ってきていて。時代の流れかもしれないけど、感動しない音楽って弾く方もたまらない。酔えない酒につき合わされているというべきか。料金も高い。