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東海の城探訪 岡崎城(最終)

2024-09-01 | Weblog
東海の城探訪 岡崎城

西尾から岡崎に戻り、愛知環状鉄道で二駅乗り、中岡崎駅から徒歩で10分ほど。岡崎城の天守閣(復元)は大きいので、遠くからでも目立つ。
岡崎城は、家康の祖父清康の頃から松平家の居城であり、家康もここで生まれた。家康が幼少の頃、岡崎城は今川氏に接収されたが、桶狭間の後に家康が三河に復帰してからは家康の居城となる。家康が浜松城に移ると、嫡男の信康が城主となった(のちに切腹)。秀吉時代には田中吉政が入るが、江戸時代は譜代大名が城主を務め、本田氏のときに明治を迎える。廃城令のために建築物は取り壊されたが、古写真は複数残っている。昭和になって天守が復元された。

田中吉政の天守は地震で倒壊したが、その後、江戸時代の初期に本田氏が建てた天守閣が明治まで残った。現在の復元天守はそれをもとにしている。天守は3層3階で付櫓が接合する。大きな入母屋破風が堂々として大変見事な天守閣である。

正面の全景を写せるポイントが城内にないのが残念だった。
公園内に能舞台がある。

大手門も復元されている。
小さな隅櫓も復元されている。

取り壊し前の写真。これをみると復元天守はかなり正確に作られているのがわかる。

城郭模型。戦前にはもっと精緻なものがあったようだ。

本丸に龍神神社という神社が家康の時代からあるだが、現在はそれが拡大して大きな社屋や式場が本丸に立ち並び、折角の天守や付櫓を隠してしまっている。これには大変興を削がれた。また、昨年の大河のせいで、歴史的ではない置物も多数園内に散見された。由緒ある大きな城であるのに、安っぽい観光地化は非常に残念だ。






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