Wilhelm-Wilhelm Mk2

B級SFからクラシック音楽まで何でもあり

ノーザンライト

2015-10-18 | Weblog
またまた放置してしまいました。月報みたいだ。

好き放題に徒然

・文科大臣に馳浩:馳大臣のムーブといえば「裏投げ連発」→「ノーザンライトスープレックス」だった。「ノーザン」はフィニッシュにはなりにくいけど実は説得力ある技なんだよなあ。両腕をロックするので「網打ち式」のような片腕で「腹打ち」の穴もないし、ブリッジワークが得意ないとできない技だし。いかにもレスリング的な良技で大好きな技でしたね。この技ではなかなか3カウントは奪えなかったけど。これは馳選手の立ち位置によるものであって、ジュニアとヘビーの中間的な体格の馳選手はヘビー級戦線では負け役の先鋒であった。でもこれは彼が「自分の役割」を理解しているわけで、集団行動にはなくてはならないバランス役であったに違いない。馳選手の思い出深い試合では蝶野のSTFを裏返して絞めた「裏STF(写真)」とムタとの大流血試合だろうか(最後はムタのドラゴン2発+月面水爆に沈む)。馳浩はレスリング日本代表としてオリンピックに参加し、またレスラー前は高校の教師でもあった。早稲田出身だが社会経験は私塾教師でだけで22歳から選挙生活を送っていた下村前大臣よりも、馳大臣のほうが人間として気合いも気骨もあるだろう・・・と個人的には期待したいるのですよ。
・文科省のアホ:「漢字の止め払いは多様性を許容」とのお達し!。文字の個人差は大きいと思うが、文科省は正しい字形を示し続ける義務があるだろうに。どうしてこういう発想になるのかなあ。文科官僚のアホさ加減には「ゆとり政策」以来、世界七大不思議だ。ここで馳大臣、最初の仕事としてこの愚作を鶴の一声で撤回していただきたい。元国語教師としてね。
・JM:有名なカルトSF映画を久しぶりに見る。最初にVHSで観たときは原作者のギブスンを知らなかったので酷い映画ぐらいにしか印象ないが、ギブスンフリークとなった今となってはギブスンの表現したかった世界に理解がもてる。冷静にみると展開は悪くないし脚本もよい(脚本はギブスン自身)。この映画を駄作しているのはとにかく演出と俳優だ。監督はこれ1作だけの一発屋とのことで、演出はC級テレビドラマレベル。キアヌもまだ駆け出しだし、たけしは(相変わらずの)棒読みの大ダイコンで日本語がわかる我々から見ると恥ずかしいレベル。見せ場はサイバー空間の場面だけかな。ネット内のヴァーチャルで地球の裏側のホテルのファックス記録を読み出し、送信先まで追跡するシーンはスピードがあって素晴らしい。それ以外にはドルフ・ラングレンが怪しい破戒僧の役で出ていたのが印象的。ギブスンの「記憶屋ジョニイ」を久しぶりに再読した。
・トスカニーニのHeldenleben:「英雄の生涯Heldenleben」は作曲者自身の録音が複数あるので、いわゆる「作曲者の意図」が判りやすい。それに照らす近年のティーレマンやヤンソンスの演奏は相当に「的外れ」もしくは「下手くそ」と言える。Youtubeで拝聴したトスカニーニのラジオ放送録音がなかなかに素晴らしいので中古naxosで購入した。カップリングの「魔笛序曲」はこれまでに聞いた中で一番の高速。もはや倍速。はっきりいって聞き苦しい。2曲目のハイドン99はどうでもいい演奏。最後のHeldenlebenは硬質な中に熱気を充填した熱演で作曲者自身の演奏を拡大したものであった。「作曲者の忠実&譜面に忠実」が近年のクラシック音楽の流れだが、どうも「死人に口なし」を盾に大昔の作曲家については色々と脚色しても、録音が残っている近代の作品(リヒャルト以降)は「無視」するか「触らない」のが学者指揮者のやり方であってどうも気に食わない。アーノンクールあたりに是非Heldenlebenを振ってもらいたいね。