東海の城探訪をしてきた。
新幹線からも見える掛川城。今川氏の重要な拠点として活躍後、山内一豊が入場して近世城郭とした。江戸時代は譜代が城主を務め、最後は太田道灌の系列の太田氏が治めた。天守は1850年頃の地震で倒壊したが、20世紀末に木造で復元(想像)された。山内一豊は掛川から土佐に移り、高知城を築城した。その際、天守は掛川に似せたそうなので、復元にあたっては高知城の天守を参考にしたそうだ。江戸時代の絵図面も参考にされた。(こういう考証に基づく再建は夢がある)。二の丸御殿も地震で倒壊したが再建され現存している。日本の現存4御殿の一つ。御殿から眺める天守は実にいい。
晴天のため大汗をかきながらの観覧となった。
券売所から眺める天守。ここから登城する。
木造階段はきちんと急勾配
天守から二の丸御殿を見下ろす。
石垣の崩壊を記録した絵。江戸時代の天守の姿を知るための貴重な資料
二の丸御殿から眺める天守。お殿様もこうやって見上げたのだろうか。
城主(太田氏、松平氏)の鎧。杉良太郎氏の所有だったもので、2つが同じ城の城主のものだと知り、保存も兼ねて寄贈されたとのこと。
竹の丸に残された財閥の和館から眺めた天守。
再建された大手門。本丸からは少し離れた町中にある。城の門としてはかなり大きい方だが復元だろうか?寺の山門って感じ。こういう建造物が日常の通りにある町って、いいね。
竹の丸に残された財閥の和館から眺めた天守。
再建された大手門。本丸からは少し離れた町中にある。城の門としてはかなり大きい方だが復元だろうか?寺の山門って感じ。こういう建造物が日常の通りにある町って、いいね。
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