Wilhelm-Wilhelm Mk2

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バンベルクを聴いてきました。

2006-05-31 | Weblog
サントリーホールでの公演。曲目は

武満徹:セレモニアル-An Autumn Ode
シューベルト :「未完成」
ベートーヴェン :交響曲第7番 

 指揮はイギリス出身のジョナサン・ノットという若い指揮者。常任指揮者らしい。オケの響きは、ドイツ的な堅牢さにチェコ的な渋さが混じったような感じ。バスは8本中6本が5弦でゴウゴウ鳴ってました。未完成もベートーヴェンも、5弦でしか弾けない箇所が多いので(未完成冒頭とか)、5弦バスは多ければ多いほど良いのです。一般的にバスは4弦が普通で5弦は特殊とされているのですが、大抵のオケ曲は5弦がないと完全に弾けないので(ブラームスとチャイコだけはきまじめに4弦で収まるように記譜してくれてますが)、オケでは5弦楽器をデフォルトにすべきだと思います。ちなみにベルリンフィルは全員が5弦です。
 肝心の演奏の感想ですが、武満は感動した。いや武満の曲にというよりは笙の響きに感動した。Wikiに書いてある「天から差し込む光を表す音色」というのはその通りだと思う。楽器の形も面白いだけど、結露を防ぐため温めてから吹かないといけないとか、季節を表す音階があるとか(4月の音とか)、微調整に蜜蝋と漆を使うとか、あちこちに東洋的な風情と繊細さがあっていい。ちなみに平安時代の武将、源義光(源義家の弟、武田家の源流)がこの笙の名手だったらしい。(学研の歴史漫画で見た記憶がある。あれが笙という楽器を認知した最初の瞬間だった。)
 シューベルトとベートーヴェンは普通。それ以上なし。ただ普通。鳥肌がたつ瞬間は全くなかったなあ。ベートーヴェンの1楽章の再現部に入るところで、オーボエがカデンツァみたいな短いソロを吹いたのは吃驚した。どこの楽譜だろうか?アンコールがリゲティのルーマニア何とかという曲で、指揮者は現音が得意らしくこちらのほうが説得力があった。(リゲティ的にどうなのかは判らないけど)
辛口に書いたけど、全体としてはオケの響きも素晴らしかったし満足できました。しかしバンベルク響といえば、カイルベルト、ヨッフム、シュタインといった正統派ドイツ指揮者を常任においていたオケなのに、ここもインターナショナル化していくのかなあ・・・ラトル=ベルリンフィルのようになってしまうのかなあ。時代の要請かもしれないけど、良い伝統はなるべく維持してもらいたいものです。

バドゥラ=スコダ演奏会

2006-05-22 | Weblog
 ドイツ正当派最後の巨匠と言われるパウル・バドゥラ=スコダの演奏会に行ってきました。グルダ、デームスと一緒に括られて「ウィーン三羽烏」とか言われてますが、そんなのは日本だけの評価でしょう。来年で80歳、この人若い頃はフルトヴェングラーとも共演をしていて録音も残っています(モーツァルトの2台協奏曲)。モーツァルトやベートーヴェンの楽譜校訂も沢山行っており、そちらの分野でも世界的な大家です。前から一度聴きに行きたいと思っていたのですが、なんだかんだでチャンスが無く、今回やっと聴くことができました。79歳という年齢を少し心配していたのですが、その振る舞いは年齢などを全く感じさせず、優雅なお辞儀と笑顔を振りまいてくれる気品溢れるお爺さんでした。
 さて演奏ですが、前半のモーツァルトのロンド2曲と幻想曲とベートーヴェンの悲愴ソナタは、モーツァルト時代の鍵盤楽器「フォルテピアノ」による演奏。音量は小さいけれどデリケートな音質で、特にモーツァルトの演奏が心地よかったです。ただベートーヴェンには迫力不足かな。フォルテのパワーが足りない。ベートーヴェンは生涯を通じて新しいピアノを渇望し続けて、その作品は常にその時代のピアノの能力を凌駕していたので、ベートーヴェンのパワーを解放するには現代のピアノの方がいいなと思いました。スコダ氏の演奏ですが、脱力に脱力を重ねて抜けきった感じの音で、バックハウスの晩年の演奏を思い起こさせました。私が一番好きなタイプのピアノの音色ですね。技術もモーツァルトは全然問題なし。しかし悲愴ソナタになると途端にミスタッチが目立って、後半のシューマン謝肉祭とか一体どうなることやらと不安になってしまいました。しかし、モーツァルトは本当に絶品。協奏曲ですがCDも買ってしまいました。前半のアンコールはモーツァルトの「トルコ行進曲」。
 後半はまずシューベルトの即興曲から4曲でしたが、これがプログラムの中で一番感動しました。後半からはスタインウェイのピアノを用いたのですが、現代のピアノは音量があって音色の変化が多彩。スコダ氏はシューベルト独特の古典風味とロマン風味の入れ替わりを、絶妙な音色の変化で区別して、これにはブラボーを叫びたいくらいに感動しました。突然フッと音色が暗くなったり、さっと光り輝いたり。私はこういうのが大好きなのです。心配していたミスタッチも殆ど無し。ベートーヴェンでの不調はフォルテピアノの鍵盤が軽いため逆に指がもつれたのではないかと思います。シューマンの謝肉祭も若い時のシューマンらしい溌剌としたロマン的な演奏。あんな長い曲(20曲)を全部スラスラと弾いた後にサッと立ち上がって、さらにアンコールも3曲(最後はショパンの練習曲エオリアンハープ!)、おまけにサイン会までしてくれて(勿論頂きました。ダンケシェーンが通じますた。)、この人のスタミナは一体?と思いました。お客さんもスコダ氏のことをよく知っている人ばかりだった感じで、その鳴り止まない拍手に応えるスコダ氏の笑顔が忘れられません。とにかく全てを通していい演奏会でした。久々に幸せな音楽会でしたよ。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番

2006-05-18 | Weblog
久しぶりに生演奏で聴いたので、手持ちの録音を聴いてみた。といってもここ10年くらい聴く録音は

リヒテル(p)ムラヴィンスキー指揮、レニングラードフィル(メロディア)

なのだが、古いCDなのでこれがいつの録音かも書いてない。恐らくライブ録音だろうと思うが、とにかく重厚、そして疾走。リヒテルとムラヴィンスキーの阿吽の呼吸が素晴らしい。ギレリスもそうだけど、リヒテルの音は体積が大きいという感じなんだよな。ただ音量がでかいという意味ではなくてね。もっとこう、音に空間的な大きさがあって、さらにそれにはきちんと密度がある、でもその密度も詰まり過ぎてなくて柔軟性があって、どこまで膨らんでも決して誰の邪魔もしない。

カップリングはザンデルリンクの指揮でラフマニノフの2番協奏曲。これも絶品で私の中の最右翼です。

都響演奏会@東京文化 

2006-05-17 | Weblog
 久しぶりに都響の演奏を聴いてきました。(5年ぶり?)文化会館でオケ演奏を聴くのも久しぶり。券は当日売りの最安席の1500円。席は4階のレフトバルコニーでした。文化会館のバルコニー席はオペラハウスのように垂直に配置されているのだけど、奥に座っても舞台全体をきちんと見ることができます。(この点、オペラシティのコンサートホールは本当に悲惨な設計だと思います。3階席のサイドに座ると舞台の半分が見えない上に、椅子が馬鹿正直に垂直に配置されているので、首を回して舞台を見なくてはならず非常に疲れます。設計した人は生涯をかけて恥じてください。)文化会館の音響の素晴らしさは今更言う必要もないでしょう。都内のホールの中では飛び抜けていると思います。古代神殿を思わせるようなホールの外観といい、これを設計した前川國男氏には本当に脱帽です。(先日行われた氏の業績の展覧会は非常に興味深かったです。)
 さて演奏ですが、今回の目的は2つ。まず一つめはニールセンに親しむこと。実は殆ど知らないのです。メイン曲の「不滅」でさえ、これまでまともに聴いた記憶がありません。ティンパニを2セット使うんだろ?くらいの知識です。ですから前プロの「仮面舞踏会」序曲なんて存在も知らない。2つ目の目的はルガンスキーというピアニスト。最近新聞や雑誌によく露出していて、チャイコ・コンクールの覇者だというので興味がありました。といっても最近のショパンおよびチャイコのコンクール覇者は?な感じなのでそれほど期待していたわけではなかったのですが・・・

 「仮面舞踏会」序曲は予想に反して非常におもしろかった。実はこれが一番よかったかも?もっと演奏されてもいいと思うくらいにオープニング向きの快活な曲です。この曲だけで一気にニールセン株が上がりました。弦楽器は早回しが多そうなのでちょっと難しいかもな。
 続くルガンスキー氏のチャイコ協奏曲ですが、点数をつけたら40点でした。可はあげられませんでした。なにしろ音が汚い。ペダルが下手なのか、常に音が濁っていて、音の美しさを感じることが全くなかった。後は曲の盛り上がり方が薄っぺらい。特に1楽章の最後。これは指揮者(後述)のへっぽこさもあるのだけど、なんだかもっさりして燃焼力に欠けてました。指は回るようで2楽章はよかったのだけど、それも目の覚めるような技巧派というわけでもなく、オクターブで駆け回るところは失速気味で萎えました。全体として目立ったミスもなく上手だとは思うのですが、それほど飛び抜けた奏者ではないなと言うのが本音です。経歴を詳しく見ると、どのコンクールでもいつも2位なのか。チャイコ・コンクールでも1位なしの2位。なんだか判るような気がしました。(ひどい書きようですが・・)
 さてメインの「不滅」ですが、この曲の解釈としてどうだったのかは初聴きなのでわからないけど、楽しめたというのが正直な感想です。まず演奏時間が適度だということ(40分弱)、各楽章の個性がしっかりしていて緩急があり飽きないということ、各所に弦楽や管楽だけのアンサンブルがあり、最後のティンパニの応酬も含めて楽器の使い方が面白かったこと。いまいち主題がわからなく、曲としてもう一度是非聴いてみたい!という衝動がわき上がるほどではなかったけど、ニールセンには興味が湧きました。この曲は聴くより弾くほうが楽しいかもしれない。ティンパニ以外の編成はそれほど大きくないので、チャレンジしたいものですね。それにしても、ヨゼフ・スウェッセンという指揮者。非常によろしくない。学生指揮者みたいにいつも同じ振り方しかできないんですよ。元々はヴァイオリン弾きらしいですが、そういった前の経歴で補強しているだけで、指揮自体の技量は???なのではなかろうか・・・・。都響は今後も彼を使う気なんでしょうか?もっと良い指揮者はたくさんいると思うのですが。
 最後に都響についてですが、非常に安定していて良いオケだと思いました。過去に聴きに行ったときは、吃驚するくらい管楽器がミスをしていたのですが、昨日に関してはそれはなかったように思います。バスセクションは昔と変わらずでブラボーです。弾き方に統一感があってパートとしてまとまりを感じるのですよね。「不滅」の4楽章での長い早回しは圧巻でした。それにしても相葉先生の手首のクネクネさは異常です・・・。財政難で運営が厳しいと言われてますが頑張ってほしいものです。選曲も面白いしチケット代も良心的だし。N響=NHKホールの当日券聴きと同様に、都響=文化会館もこれからもちょくちょく聴きに行こうかと思います。

ジョジョ7部 スティール・ボール・ラン

2006-05-12 | Weblog
 5部の後半くらいからマンネリ化になっていたジョジョでしたが、新しいシリーズになって俄然面白くなりました。やはり月刊誌に移って荒木先生も丁寧に描ける様になったのでしょうか。絵も劇画タッチになってきていい感じです。今回の主人公のジャイロ・ツェペリはシリーズ中で一番好きなキェラですね。これまでの主人公は少年漫画の主人公らしい「ヒーロー」ばかりでしたが、ジャイロは精神的に弱い(若い?)ところがあり、物語はその成長にも焦点があてられていて、またそのジャイロに語り部の副主人公として「ジョジョ」がつくという凝った設定も素晴らしいです。今回も基本的にはスタンド戦闘の設定ですが、主人公の技が「鉄球投げ」という物理的な手段なので、これまでとはひと味違う感じがあります。できればスタンドとは縁を切って欲しかったのですが・・・・。ジョジョシリーズで一番好きなのは第2部、スタンド編なら第4部です。


 アメリカ横断の競争といえば「キャノンボール」が思い出されますが、本作品は恐らくそれを叩き台にしているのでしょう。あと私が思い出したのは「素晴らしきヒコーキ野郎」という映画。これはロンドンーパリ間をプロペラ機で飛ぶレースを描いたドタバタコメディの映画なのですが、英米独仏伊日という色々な国の代表が参加して、各国民のお国柄と国民性が面白可笑しく描かれています。日本からは石原裕次郎が「ヤマモト」という名で出場してます。残念ながら悪徳イギリス伯爵の破壊工作でスタートと同時に墜落してしまいます。しかし、飛行機の性能は大会一番という前評判で、ヤマモトも礼儀正しいパイロットとして描かれてます。日本人としては悪い気はしません。ちなみにドイツ代表はかなり滑稽に描かれていて、まずパイロットは悪徳伯爵の下剤攻撃(!)で脱落、急遽その上官のデブッちょ(ホルスタイン少佐)が騎乗するのですが、この上官、

「ドイツ軍人に不可能はない!」(どこかで聴いた言葉だ!)

が口癖で、マニュアルを読みながら運転します(「その1、着席!」とか)。時代設定が1910年で、まだ世界大戦が起こってないということもあるけど、地上ではいがみあっていても空の上では助け合ったりと、なかなかほのぼのとした世界観で私は昔から好きな映画の一つです。

「不思議な少年」(岩波文庫)

2006-05-06 | Weblog
 トムソーヤを書いたマーク・トウェインの最後の作品。古本屋でこの本を見つけた時、モーニングに連載されている同名の漫画を思い出したが、間違いなくこれを元に描いていると思われる。
 舞台はまだ魔女狩りが横行していた頃のオーストリア。主人公の少年達の前に「サタン」と名乗る不思議な美少年が現れる。彼は自分を魔王サタンを叔父にもつ同じ名字の「天使」だといい、少年たちに数々の奇跡を見せる。同時にこの奇跡によって村人の生活や人生を変化させ、それによって態度を変える人々を少年達に見せつける。そして天使という超越した立場から淡々と「人間の本質」を話して聴かせる。時には時空までを超えて、いかに人間の歴史が戦争と不当な搾取で築かれたかをも少年達に説明する。「それなのに人間は「良心」を持っているという、一体どこにそんなものがあるのだ?」その語り口があまりにも超然としているので、作者自身が「サタン」ではないかと思われるほどだ。そして最後にサタンは、この世の全てを、「夢」=「虚構」であると言い切り、神の存在も何もかも(自分を含めて)が人間の想像の産物だといい消え去って行く。
 トムソーヤなどで一世を風味した作者だが、晩年は借金を背負ったりと苦労が耐えなかった事がこのようなペシミズムに溢れる作品を書かせたと言われている。キリスト教大国のアメリカでこのような作品が出版(作者の死後だが)できたのが不思議なくらい、キリスト教文化に対する嫌みと非難が書き綴られている(特に魔女狩りについて)。さすがはストーリーテラーのトウェインというべきか、ストーリーの展開が素晴らしく、きちんと表面上の物語としてもクライマックスを用意してくれている。私としては非常に共感した。こんなペシミズムの本に共感してどうかとも思うが、日頃何となく考えていることを見事に文字にしてくれている。久々にはまった本。この本に対するアメリカでの評判を調べてみたい。

 作品中のサタンの発言の一部。
「獣みたいだなんて、とんでもない言葉のはきちがいだな。獣のほうが侮辱だと怒るよ。あんなことは、獣はしやしない。」
「人間は嘘ばかりついて、ありもしない道徳をふりかざしたがる。そして、実際は本当に道徳をわきまえていない。」
「人間は良心を善悪を区別する働きだというけど、十中の九までは悪のほうを選んでるだけじゃないか。」
「人間は羊と同じなんだ。いつも少数者に支配される。多数に支配されることなんて、まずない。感情も信念も抑えて、とにかくいちばん声の大きな一握りの人間についていく。」
「君主制も、貴族政治も、宗教も、みんな君たち人間のもつ大きな性格上の欠陥、つまり、みんながその隣人を信頼せず、安全のためか、気休めのためか、それは知らんが、とにかく他人によく思われたいという欲望、それだけを根拠に成り立っているのだよ。」
「正気の人間に幸福なんてありえないよ、当世人生は現実なんだから。狂人だけが幸福になれる。」(幸福になると予言しておいた神父を狂人にしたことから。)
「あの世なんて存在しないよ。」(別れを告げるサタンに際し、主人公があの世で会えるか?という質問に対して。)

ブレーメンの音楽師;恐怖のグリム童話

2006-05-02 | Weblog
 中古でグリム童話集の文庫版を買いました。子供用でないので表現が凄いです。まあその描写は後日特集するとして、
 有名なブレーメンの音楽隊の話。主人に役立たずの烙印をおされた(これも酷い)ロバ、犬、ネコ、鶏の4匹は、ブレーメンで音楽隊になろうと旅にでます。そして旅の途中で有名な影絵を使って泥棒を家から追い出します。あれ、これってブレーメンでの話じゃないんだ、先はどうなるのかな?と思ってページを捲ると、

「4匹はその家が痛く気に入ったので、もう外には出ませんでした」

え?えー!ブレーメンには到着してない。おい、どこがブレーメンの音楽隊だよ!ブレーメンはこのネタで随分と観光資金を得てる筈だぞ!
かなり驚愕の事実でした。