Wilhelm-Wilhelm Mk2

B級SFからクラシック音楽まで何でもあり

徒然

2009-09-30 | Weblog
たまには徒然

・「死と変容」:フルヴェン・ウィーンフィルの録音(EMI正規)。この曲はカラヤンのライブ映像で観ることが多くなってしまったが、久しぶりに聴くとまるで違った曲に感じるぐらいにフルヴェンの演奏は劇的である。冒頭の静かな場所は、カラヤン盤でははっきりいって退屈なのだが、フルヴェンの場合は心臓の鼓動を表すティンパニに深い響きがとにかく印象的だ。意図的に大きめに叩いているのか?低音好きのフルヴェンならありえる。直後、デモーニッシュに粘りまくる重低音の反復に続き、狂乱の高弦部と炸裂する管楽器によって聴くものを一気に激流の渦へと引き込んでいく。そしてそれを乗り越えた後にやってくる果てしなく澄み渡った浄化(変容)。フルヴェンらしさがこれでもかと満載された演奏である。音楽が音楽として存在する意義を考えさせてくれる演奏である。

・石田純一再婚:今度はうまくいくのではないだろうか?とロンブーの番組(惰性で観てしまった・・)を観ながら思いました。相手が芸能人でないというのがポイントかな。それにしても50代後半であの爽やかさはちょっと異常である。しかし、4歳下の男が「娘さんをください」なんて来たら・・・

・夫婦別姓:権利を主張する女って根本的に可愛くないよね。可愛さのない女って存在価値ないよね・・・暴論だけどみんなが思ってること。

・民主党団体:ニューハーフパブで会合で「政治活動費」計上。どんな打ち合わせをしたのか聴いてみたい。麻生首相のバー通いを散々叩いたマスコミは、きっちり全力で叩いてください。

2009-09-28 | Weblog
 独力でお茶を点ててみた。(一応父親に習った。父親も遙か昔にちょっとだけ習っただけだからほぼ素人なのだが) はっきりいって、非常に美味しかった。自画自賛で恐縮だが、これまで外で飲んできたものより格段に美味しかったような気がする。味を決めるパラメータは、お茶のグレード、お湯、点てる技術だけだと思う。茶道を「科学」的に解説している本はないのかと図書館で探し、京大理系出身の茶人が書いたものを読んだが・・・あまりにお粗末でがっかりした。他に良書はないのか現在探索中。自力で実験してやろうかとも思ったり。(茶成分の解析は、やっつけながら一度している。)ワインの化学分析なら幾らでも論文が見つかるのだが・・・。そこそこのランクのお茶を買ってきて、よい水(ミネラルウォーター)を適温で用いて、茶筅での拡散+空気の巻き込みを調整すれば、誰でも美味しい抹茶が点てられる(はずである)。40グラムで1000円くらいのものなら家庭で点てるお茶としては十分な等級らしい。一度に2グラム程度使用するので、一杯の価格は約50円となる。缶コーヒーよりも安い。抹茶=高価と思われているが、もっと庶民に普及してもよいものだ。

 
 思うに、日本の伝統文化というものは、無駄とはいわないが、ややこしい作法をくっつけることで格式を保っている傾向が強いと思う。これは敷居を高くすることで、安易に庶民に浸透することを妨げるための家元の作戦ではないかと思う。日本人は日本の伝統文化を誇りに思っているくせに、実践できるものが殆どないという不可思議さに気付いたほうがいい。

科学は本質的に宗教であり、政治なのだ

2009-09-25 | Weblog
 科学の中枢である学会も、それを立ち上げたり運営している一握りのグループの利権の場でしかないのです。まじめに科学を討議している場だなんていう幻想は持ってはいけません。特に「環境」という名前がつく学問は、相当にいい加減です。

地球温暖化詐欺(池田信夫)

「当初は科学者のボランティアによる会合にすぎなかったIPCCが、1990年以降、急に政治的に注目され、巨大化したのは偶然ではない。社会主義の崩壊で職を失った東欧の共産党員や、西側の社会主義を掲げていた反政府運動が、「地球を守れ」「資本主義を止めろ」というメッセージの象徴として、地球温暖化を選んだのだ。そして1990年を基準年とすることによって、莫大なCO2を排出していた東欧を統合した欧州は、何もしなくても大幅なCO2削減が可能で、その排出権を売ることもできる。日本政府がそのトリックに気づいたのは京都議定書に調印する直前で、もはや遅かった。」
「それでもイギリスでは、公共放送がこのように言論の多様性を守っているのは立派だ。日本では、朝日=岩波=NHKだけでなく、産経=文春=フジTVまで、この大規模な詐欺に加担する「翼賛体制」になっている。酸性雨やオゾンホールあるいは環境ホルモンやダイオキシンのように、全世界の政府が一致して騒ぎ、莫大な公費が浪費されてからでは遅いのだが・・・」


確かにダイオキシンによる被害はゼロです。

1歳

2009-09-24 | Weblog
 先日子供は無事1歳になりました。あれから1年・・・。予定日を過ぎても全然出てくる気配がないので入院となり、促進剤の点滴を受けながら26時間も格闘したあの日が遠く感じます。大きめに生まれたのだけど、今ではその倍以上の体重になっています。24時間付きっきりで面倒をみてくれている奥さんの頑張りに感謝です。誕生日パーティーは家族3人でこじんまりと挙行しました。といっても奥さんは料理がなかなか上手なので、色々と凝ったものが出てきました。ツブ貝のカルパッチョ風に始まりメインは好物の鴨でした。付け合わせに鴨のフォアグラ・・・(初めて食べた)。子供のためにも離乳食ながらデコレーションされた一皿を作ってくれました。まあこれはあっと言う間に子供に「握りつぶされて」しまいましたが・・。私が飲む赤ワインに日頃から興味津々な子供のために、濃厚な葡萄ジュースを用意したのだけど、食いつきはよくありませんでした。葡萄そのものは大好きなんだけどね。

 連休は子供とじゃれて終わりました。前半は実家に帰ったのだけど、「2階に上がる」という楽しみを覚えたようで、「上!」「下!」の手差しに従って何度も階段を往復させられました。考えたら抱っこのまま階段を上り下りする機会って意外に少ないかもしれない。外では大抵ベビーカーに乗せられているし。「かくれんぼ」ごっこもお気に入りで、ちょっとした蔭に身を伏せたり、布団に潜り込んだりすると、キャッキャ言いながら探しに来ます。「どれどれいるかな?」とぺろりと布団やタオルをめくる仕草が可愛いのなんのって。子供と遊んでいると「子供って純真だなああ・・・」とつくづく感じます。この純真さをできるだけ保たせてあげたい・・。下手な啓蒙書よりも教えられることが多いです。

 連休後半、奥さんが美容院へ行きたいというので、ついでにいつものお寿司屋さんへランチを食べに。子供が出来てからも通い続けている唯一行き付けのお店です。子供の「くれくれ」要求が激しくなってきたので、そろそろ迷惑かなと心配しているのだけど、外面が良いのか「お愛想」全開で、板前さんだけでなく周りのお客さんにもかまってもらい終始ご機嫌でした。そしてついにカウンターデビュー!板前さんのアイデアで小さな玉子焼きを出してもらいました。大人と同じものを食べることができたためか、えらくご満悦そうでした。お寿司屋さんの「玉」に慣れてしまったら、他の玉子焼きが食べれなくなるぞ・・。
 
 「休み」の過ごし方が少しだけ上手になってきたようにも思います。平日に溜め込んだ疲れを抜くためだけの休みにはしたくないいものです。 

新内閣

2009-09-18 | Weblog
 全員投入というか、これ以上持ち駒がないのか・・・でも自民の大臣よりは格段にましに見える。爆弾は極左翼の法相と福島瑞穂、そして私怨でかき回しそうな亀井か・・。前原さんがなぜ国交相?と思ったが、民主上層部は「ダム問題」「高速無料化問題」というブラックマニフェストをぶつけて潰す気なのだろう。乗り越えて力量をアピールできれば再登板への活路は開けるのか?ダム問題は後述するとして、高速無料化は「慎重に・・・」と随分マニフェストの勢いと温度差が出てきたし、子供手当の方も他党(瑞穂!)の担当にしたりしている。結局、財源に自信がないので、グズグズにして先延ばし、フェイドアウトにしてしまう腹づもりなんだろうか?いくら頭のよくない国民でも、この2つだけはしっかり意識している(というかこの2つしか知らない)ので、しっかりやらないと手の平返されるぞ。
 首相周辺のプライベートもどんどん掘り起こされて、きわどい噂が出回り始めている。実は妾の子だとか、笹川良一の子だとか・・。室蘭に愛人ありとか、奥さんの出自が不明とか。確かにファーストレディーになるはずの人なのに、旧姓やその両親のことが全く出てこないのは不思議だ。これは取材していないのではなく「書けない」というのが真相なんだろうか?過去や家族を徹底的に調査されるアメリカ大統領選に比べて日本の選挙の候補者の身辺調査はちょっと甘すぎるように思う。問題になっている風俗ライターだった過去をもつ女なんかも、別に職業に貴賤はないのだが(個人的には面白い職業だと思う)、国民の代表としてふさわしいかどうかを判断する選挙に、経歴を隠蔽して望むというのは明らかに問題だと思う。こういうことがまかり通るシステムに一番問題があると思う。
 それにしても、ダム問題・・。ダムの必要性はどこまで「科学的」に検証されているのだろうか?環境系学問はまだ学問として「科学」に到達していないと思うのだが(あまりにもパラメーターが多く、解釈する側の思想が色濃く反映されるため)、ここは「有識者」なんていう「一握りのお仲間集団」だけでなく、国中・外国の研究者を動員して検証・議論すべきだろう。ダムは作ってしまったらなかなか取り除けない建造物だし、もし崩壊でもしたらとてつもない災害を引き起こす爆弾でもあり維持費がかかる。振り回され続けた地元の住民や、関わる都道府県、建築業者の思いや利権等々は色々あると思うが、こういう時こそ「ぶれない」(はず)の科学的判断の説得力が求められると思うのだが・・。といっても、世には「御用学者」ってのが多く、得に有名国立大学(まあぶっちゃけ東大なんだが)にはこの手の研究者が多い。科学に限らずどの分野でもそうだろうが、世にインパクトを与えるような「独創的で闘う人」というものは基本的に在野から出てくるのだ。と偉そうにいう自分はどうなんだというと・・・肩書きは立派な「御用」になるのだろうが・・。
 自分を見失うことが多い最近、こんなのでいいのか?とよく自問します。

徒然ー吉行淳之介

2009-09-15 | Weblog
合奏活動・・・幼子を抱えていつまで続けられるのか?ちょっと不安になる。こういうとき、「同居っていいよなあ」とか思ってしまう。安易に言うものではないが。子供にも趣味を大事にする人生を歩んでもらいたいのに、親が挫折してどうする・・・とか勝手な言い分を考えてしまう。合奏も楽しいが、やはり楽器の音色そのものが麻薬なのである。
 その子供はますます「我が儘」になってきた。「取れ!くれ!」の手出し要求が激しすぎる。先日もパソコンに触らせろという要求が激しかったので、膝にのせていじらせていたら、ひょいとパソコンを傾けてしまい、その勢いでワイングラスを倒してポッキリ折られてしまった・・・。お祝いもののかなり良いボルドーが入っていたのに・・・グラスも一応リーデルだったのに。「あーあ」といいながら片付けている横で、子供は神妙な顔して座っていた。幼児なりに「やってしまった」感はあるのだろうか。
 勿論まだ喋れないが、「パパ」「ママ」を偶然とは思えないタイミングで発音したりするようにもなった。音の高低もついてきて、プギュルプギュルと四六時中何か喋っている。不満があるときは、ブーンブンブンブブブブブとバイクのような音を出す。これがたまらなく面白い。最近は「物をしまう」、いや「確保する」という技も身についてきたようだ。積み木(後輩からの頂き物)をまき散らした後、1つ1つ吟味しながら箱に戻している。どの形でも同じというわけではなく、やはり「球」が一番大事らしい。これだけはなかなか「ちょーだい」しても渡してくれない(貸してはくれるが)。


吉行淳之介:「闇の中の祝祭」を以前読んでその文体に衝撃を受けたが、若い頃の作品「驟雨」という短編を読んだ。(ちなみに本はブックオフで購入(105円))。驚異的な文章力だと思う・・・。娼婦とのやるせない恋愛関係を描いているのだが、男女の微細な心の動きをこれまた微細な言葉の変化で表現している。悪口になるが・・・三島由紀夫の香水臭いナルシスト文体とは正反対である。

リンク先追加

2009-09-14 | Weblog
週末は家事&子供の相手で終わりました。でも時間の合間をぬって一時間ずつ楽器の練習もしました。集中してやれば1時間でも十分なのですが、これが毎日できたらなあ・・。

前から読んでるブログをリンク先に追加。
労働とは何か?を考えさせてくれます。


Job is shit!

破戒

2009-09-10 | Weblog
 島崎藤村作:被差別に生まれた丑松は父の戒めに従い、身分を隠して小学校の教員を務めている。しかし、差別され蔑まされる同じ境遇の人を見るにつけ、いつの日にか自分の出生が暴露され社会から放逐されるのではないかと不安な日々を過ごす。そんな中、自分の出生を明らかにしながら、思想家として世に抗っている先輩の生き方と壮絶な死に様に接し、自らの出自を生徒達に告白する。

 子供の頃(中学生後半)に読んだはずなのだが、読み始めるまで内容を全く思い出せなかった(読む最中に記憶を回復できた)。中学生時代では、この作品が向かい合った差別問題を理解できなかったと思う。この作品をどう扱うか、作者も出版社も差別されている人々も苦しんだという。差別されている人は作中の差別表現があまりにも生々しすぎて最後まで読めなかったという。島崎藤村が一体どういうスタンスでこの作品を書いたのか?作中のクライマックスで主人公の丑松は告白の後、生徒達や教員仲間に対して土下座をして謝る。この行動をもって藤村自身が差別問題を克服していないという意見が多い。確かに丑松は誰に対しても謝る必要がない。謝るべきは差別している側であり、作品の中では丑松を真綿で締めるように追い詰め貶めた校長や同僚であるべきなのだ。が、ここで丑松が土下座をするということで、とてつもないリアリスティックな問題を投げかける。染みついた価値観や制度はそう簡単には変えられないのだ。もし丑松が力強く演説し、校長や同僚がそれに心を動かされ改心して謝罪し、全員で拍手をしたりする内容だったら(ハリウッド映画にありそうだ)、差別問題の本質から全く逸脱するものになっていただろう。差別問題はその差別という価値観が簡単に薄まらないから問題なのだ。

 差別は人間がもつ本能的な行動なんだと思う。相手を蹴落として自分が生き残る生物の生存本能の一形態なのかもしれない。世界の歴史を観て、差別がなかった時代、国が存在しただろうか?キリスト教徒はユダヤ人を、白人は黒人を差別する。今でもしている。もっと身近なところでは「いじめ」も差別に一種だろう。人間は良心という光の面と、差別を行う闇の面の両方を生まれつき持ち合わせている。そのギャップをどうやって埋めるか・・そこが教育であり教養でもあると思うのだが(学歴とかではない)。

徒然オゾン・さらし粉

2009-09-08 | Weblog
 「2005年に開発されたパーフェクトペリオは、人体への影響を最小限に抑えつつ、 虫歯菌や歯周病菌を溶菌する口腔機能水。 白血球と同じ殺菌成分である「次亜塩素酸」と「炭酸水素ナトリウム」が含まれた電解水により、 虫歯菌や歯周病菌の周囲にあるバイオフィルム(口腔内微生物によって膜状につくられる構造体) を破壊し、菌を破裂させる仕組みで、現在は約200の歯科医院で販売されている。」

次亜塩素酸・・・さらし粉(塩だけど)、炭酸水素ナトリウム・・・重曹。まあ確かに殺菌効果はあると思うよ(ありまくり)。どのくらいの濃度か知らないけど、人の組織を痛めないレベルで効果が期待できるのなら家庭に常備したらいい。歯医者が全滅するかもしれないけど。(そんなに旨い話があるわけない)


 そういや先日、「オゾン脱臭装置が危険だ」という記事をみたのだが、オゾンの酸化力を使って物質を破壊している身からすると、空気中にオゾンをまき散らすなんて発想自体があり得ないんだが。菌が死ぬ、虫が死ぬってのは、人間の細胞も危険なのだと認識すべき。特にこういった選択制のない化学反応はね。

「オゾンが空気と共に鼻から体内に取り込まれると,鼻から気管を経て肺に至るまでの相対湿度が100%に近い結果,通過するオゾンに曝される全ての粘膜が酸化する.これらの粘膜は枯草菌の細胞壁よりも遥かに脆弱で,オゾン濃度によっては,麻痺,肺水腫の症状が現れる」


 子供が引き出しを開けて中身をいじる(放り出す)ようになりました。こういうのも大切な経験なので、なるべくやりたいようにやらせているのだけど、電子機器などが入っている場所は100均で購入したバンドでロックしました。最近、「指差し」ではないのだけど。「あれ触らせろ!」と手を突き出す動作が増えてきて対応に追われます。これまでは大抵、携帯だったりリモコンだったりと小さな物体だったのだけど、昨日は「ステレオ」を要求されました。最初は何を欲しがってるのか全然わからず、周辺にあるものを与えたのですが、ポイポイと捨てられ、最終的に消去法でステレオと判明しました。抱っこして近づけると「おーー」と感動の声。恐る恐るボタンやジャック孔に触れて(撫でて)感触を確かめてました。そして慣れてくるとボリュームをぐいぐい回してました(やばい)。中途半端な高さにあるので長時間抱っこしていられず、3回くらいの接触で終了。満足しきれてないので非難の大絶叫でしたが。


 今年の夏は涼しかった。エアコンもピンポイントしか使わなかったし。地球温暖化万歳!

覚書

2009-09-07 | Weblog
ゴーギャンについて
・フランス人だが、生まれはペルー。
・画家に転向したのは35歳。それまでは株取引人だった。
・画だけでなく、版画や彫刻もできた。
・セザンヌを崇拝していたが、セザンヌからは忌み嫌われていた。
・マラルメと交流があった。
・「我々は・・」を描いた後、砒素で自殺を図るも失敗。
・最期を迎えた場所はタヒチよりもさらに辺境の島だった。


ゴーギャン

2009-09-05 | Weblog
 ゴーギャン展を観てきました。国立近代美術館は久しぶりです。夫婦別々に鑑賞せざるをえないことを覚悟していたのですが、子連れ狼のまま鑑賞させてくれました(子供もムスッと静かにしてました。)。100%ゴーギャンの展覧会でもうそれだけで及第点なのですが(メジャーな作品はごく一部であとは無名の作品ばかりという「誰それとその時代」という展覧会が最近多い)、ゴーギャン晩年の超大作「我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこへ行くのか」の実物を鑑賞できたのは、無理して見に行った甲斐がありました。この作品はボストン美術館の所蔵ですが、アメリカ国外で展示されたのは今回で3度目という非常にレアな作品(勿論、日本初公開)。ゴーギャンの人生観を全て塗り込めた作品だけあって(完成後に自殺未遂)、人間の奥底に浸透する危ないオーラを放出していました。はっきりいって他の作品群はこの大作ための序章でしかない。なかなか観ることができない秘画なので、是非今回観ることをお薦めします。他には、タヒチでの経験を記した「ノアノア」の挿絵版画が素晴らしかった。
 自分の中でゴーギャンは「月と6ペンス」(ゴーギャンをモデルにしたモームの長編小説)のイメージがついて回るのだけど、実際のゴーギャンはモームの作中の画家とは違い、もっと人間的に色々と彷徨って(愛人の年齢がどんどん下がっていく)苦しんだ人だったようです。これから購入してきた画集を眺めて勉強します。

ムーティ・チェリビダッケ・マゼール

2009-09-04 | Weblog
 ビデオテープに録画したテレビ放送をDVDに焼いています。3日かけてムーティ・スカラ座の「椿姫」をダビングしました。この作業をするまで知らなかったのだけど、スカラ座ではマリア・カラスに敬意を表して「椿姫」を数十年間封印していたそうで(天井桟敷の野次が酷いから)、それをムーティが再開させた記念碑的な演奏だそうです。あまり鑑賞してなかったせいか画像に傷がなく許容範囲でした。ムーティの指揮は流麗な中にピンと緊張が張り詰めていていいですね(「ボクサー」と称されてるのがわかります。)そのよどみのない音楽に引き込まれました。これは掘り出し物でした。

 続いて、チェリビダッケ・ミュンヘンフィルのブル6・・・。ミュンヘンのガスタイクホールでのライブ映像(NHK芸術劇場の放送録画)。これは冒頭の方だけ何回も観ましたが、全曲通してみた記憶がありません。ブルックナー長いし退屈だし・・・。ブル6はケント・ナガノ率いるDSOの来日公演で一度だけ真面目に聞いたことがあります。1楽章のアラビアのロレンスを思わせるテーマが印象に残ってるけど、それ以外はさっぱり・・・ブルックナーってどれも同じに聞こえるし。まあでもフルヴェンの4番、5番、8番、9番、あと7番の2楽章(テレフンケン盤)はたまに聞きます。・・・結構聞いてるほうか?ミュンヘンフィル、いかにもドイツなオケという雰囲気を漂わせて真面目にかつ一生懸命演奏してました。首席ホルンの髭オヤジが印象的。バスには日本人の方がいますね。チェリビダッケというと、椅子に座って(座ってました)のんびり振ってるイメージしかなかったのですが、フルヴェンの後釜をカラヤンと争ったというだけあり、ただ者ではない「あちら側」のオーラを存分に発散してました。高齢のせいもあって派手な棒ではないですが、音楽の重量感を保ったまま底からグーッと持ち上げていって決め所でバシッとまとめてみせるところには鳥肌が立ちました。信者がつくのも納得です。チェリビダッケの録音って持っていないと思うので、今度手に入れてみようかと思います。図書館にあるかな・・・。

 続いて、テープにはマゼール指揮のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートが入ってました。「アケマシテ、オメデト、ゴザマス」とマゼールが日本語で挨拶。この前の年も色々と世界で事件があったそうで、世界が音楽を通して平和になるようにとコメントしてました。こういうのを聞くと平和大使バレンボイムの台詞も陳腐に感じますね。時間がなかったので、最初の1曲しか見られませんでしたが、マゼールの指揮はクルクルと変幻自在でまさにオケを操縦している感じがありあり。いかんせん顔がマゼールなので、あれがクライバーみたいなイケメンだったらまた別の層のファンがついたことでしょう。マゼールはもともとどこかのオケのコンマスだったので、ヴァイオリンが達者で作曲もするというまさに「音楽家」なわけで、どこかバーンスタインの持っていた音楽に対する自由さを感じさせてくれます。ベルリンフィルがカラヤンの後任にマゼールでなくアバドを選んだのは間違いだったと思っています。まだマゼールを生で聞いたことないんですよね。もう結構高齢なので(79歳)、チャンスがあればコンサートに足を運ぶべきかもしれません。


 意外なタイミングで、3人の大指揮者の演奏を鑑賞することができました。ダビング作業はまだまだ続きます。

どんどん忘れる

2009-09-03 | Weblog
 21世紀に産まれただけあり、子供は電子ガジェットが大好きです。リモコン、携帯電話、iPod、そしてパソコン。見つけると全力で奪いにきます。テーブルでノートパソコンを開いていると、必ず足下にきて人の腿を支柱につかまり立ちし、背伸びまでして覗きに来ます。そして我慢しきれなくなると大絶叫・・・一体どこに息溜め込んでるのかしらと思うくらいのロングトーン炸裂。仕方がないので(弱)、膝の上にのせて触らせてあげるといきなり満面の笑みです。げんきんな生き物です。すでにキーボードは叩くものと認識しているようで、両手でバッチバッチ叩きます。光るスケルトンマウスも大好物で、きちんと片手で転がします・・よく観察してますよ。で、昨日はついにキーボードを壊されました。あまりに叩きまくるのでキーキャップが取れちゃいました。以前PowerBook(現在眠ってる)で壊れたときに、自力で直せず修理に出した経験があったのでちょっと焦りましたが、仕組みを想像しながら、できるだけ冷静かつ理論的に作業してどうにか戻すことが出来ました。降ろされた子供は足下で絶叫してましたが・・・。
 半年前は寝返りもうてず手足をじたばたすることしかできなかたったのに・・。すでにあの頃のことが遠い昔のように感じます。子育て経験者であるはずの親たちの赤ちゃんへの対応が全く素人になっていたのも理解できます。新しい記憶に塗りつぶされて、過去をどんどん忘れていってしまうのは寂しいものです。でもそれが前に進んでいることの証しなのでしょう。

金は金持ちから集める

2009-09-02 | Weblog
 福島みずほ大臣は勘弁してほしい。300議席もあるのになんで泡沫小党と連立して大臣職を与える必要があるのか?(自公連立もそれが一番嫌だったのだが)社民党は7議席しかないのだから身の程を知れといいたい。国民の大多数は社民党なぞ支持なんかしていない。

 財源、財源というが、冷静にこの国で誰が「余分」に金を抱え込んでいるかを考れば、それは「金持ち」ということになる。まあ当たり前だが。暴論であることは承知だが、遺産相続を禁止にしてはどうだろうか?相続税なんてものじゃなく、「禁止」にするのだ。個人が努力して儲けたお金は勿論その個人がその一生の間に自由に使う権利があるが、その子孫が何もしないままそれを受け継ぐというのはおかしいことだと思う。はっきりいって、この遺産相続が世襲貴族社会を作り上げてるわけである。鳩山首相(予定)には十何億もの個人資産があるらしいが、自分で稼いだわけじゃない。経団連の御手洗会長も、今の地位にあるのはキャノンの創業者の「甥」というだけであって、別に自分で汗流して創業したわけじゃあない。こういった人々が、社会のトップにたって政治や経済を動かしているから、いつまでたっても庶民の生活は改善しないのだと思う。「国民目線」なんて偉そうに言ってるが、御殿を持ってるような人が缶ジュース一本買うのでさえも安い販売機で買おうなんていう節約根性を理解できると思えない。遺産相続を禁止して、個人が死亡した段階で、その全ての個人資産を国が回収したら、とてつもない財源になるはずだ。消費税なんて必要なくなるかもしれないし、医療費ゼロ、教育費ゼロの完全に平等な世界になるのではないか?まあこれこそが「社会主義」なんだろうが。