Wilhelm-Wilhelm Mk2

B級SFからクラシック音楽まで何でもあり

全ての国立公園に高級リゾートホテルを誘致することに決めた「増税メガネ」の岸田首相

2024-07-19 | Weblog
この人、もはや病的に空気読めないんだなと思う。心底バカなんだと思う
「地方を訪れる外国人観光客を増やすため、政府は2031年までに全国に35カ所ある全ての国立公園で、高級リゾートホテルを誘致する事業を実施する方針を固めた。岸田総理大臣が19日に開かれる政府の「観光立国推進閣僚会議」で表明する見通し。」

儲かるのは外資だけで日本人にはいったいどういうメリットが?今の日本、仕事は余っており人が足りないのだが?建築業界は人も建材も不足しているのにどうやって?移民が作るのか?外国人観光客が増えて地元を潤わすのか?誘致して完成する頃には海外のバブルがはじけて外国人客も来れなくなりゴースト化するのでは?自然そのものを残しているから国立公園として保全されているのに、そこにビルディング建てるのか?外国人が勝手に登山してゴミだらけ汚物だらけの富士山みたいにしたいのか?補助するならば、現在営業している現地のホテルや旅館だろう。

こういう政策はあってもいいが、それは今ではないだろう。今こんな政策を打ち出したら国民からの支持率はさらに下がるのは目に見えている。ものにはタイミングってのがあるんだよ。そういう機微を見抜けないから、長男を秘書官にしたり、家族を首相官邸で飲み会させたり、「開成高校出身なのに東大に3回も落ちて早稲田」なんだよ。

そろそろ辞任だろうな。次は菅さんが再登板か河野さんあたりだろうか?

トランプ銃撃、無敵の人の怖さ、そして木っ端論者

2024-07-17 | Weblog
今回の銃撃犯は自分を隠すことは全く考えていなかった。ライフルを手に、人のいる前で屋根の上にのぼって這いつくばり、周りが騒ぐなかで射撃した(映像が撮られている)。そして到着したSPかスナイパーによって射殺された。この行動からわかることは「犯人は自分が助かろうという意図が全くなかった」ということである。本当に「決死」の行動だったわけだ。こういう「失うものがない人」を「無敵の人」と呼ぶ場合がある。無敵の人は長生きしないが、その行動の瞬間は「無敵」である。今回は紙一重で目標にあたらなかったが、もし命中していたら今後のアメリカの歴史を変えただろう。日本の安倍首相の銃撃も同様だった。

高速徒然:フォルトナー、タシュナ-

2024-07-11 | Weblog
高速徒然
・N響を久しぶりに生で聞く:N響というよりI・ファウストを聞きにいったがシェーンベルクが難しくて疲れた。奏者が高い技量とセンスを持つ人であることはうわさ通りだった。シューベルトの5番は好きな人も多いようだが、私には何度聞いても(弾いても)心に響かない曲の一つ。要はつまらないということ。演奏もいまいちだった。
・蝉丸:坊主めくりの坊主ってだけでよくは知らなかった。出生も不詳(皇子だとも乞食だとも)で確実な作品も数作。有名なのは逢坂の関のもの(百人一首)
・中島敦:青空文庫で読んでいる。今のブーム。中央アジアを舞台とした「狐憑」は恐ろしい話だった。中島敦は食人の話が多い。「悟浄出世」は名作だと思った。三蔵法師に出合う前の沙悟浄がブッダのごとく多くの修行者や先生に教えを乞い、そのためにさらに悩むというもの。登場人物(修行者)も魅力的でこれはもう一度精読したい。今は「盈虚(えいきょ)」を読んでいる。春秋戦国時代のある王の栄枯盛衰の話。古代らしい話。旧字が多いのでそのあたりの復習(思い出し)にもなっている。
・フォルトナ―のヴァイオリン協奏曲:フォルトナ―は20世紀前半のドイツの作曲家で、フルトヴェングラーがゲルハルト・タシュナーをソリストにヴァイオリン協奏曲をライブ録音している。この録音は、いわゆる「ソ連からの返還テープ」によって存在が発覚した録音で、今となっては何種類も市販されている。このマイナーな録音を久しぶりに「真面目」に聞いたが、いやはや想像以上に面白い曲だ。ストラヴィンスキーとヒンデミットとバルトークを混ぜだような感じか(失礼な言い回しだが)。歌いまわすところにギュルギュルな早回しもありと高度なテクニックを要求するように聞こえる。弾いたタシュナ-は19歳にてフルヴェンがベルリンフィルのコンマスにスカウトした天才で、英語版のWikiにはシベリウス自身にシベコンのテンポについて意見したり、カラヤンと喧嘩したりと、かなり自我が強い人だったようだ。そのタシュナ-に献呈された本曲だが、ざっと調べてもタシュナ-以外の録音が見つからない(タシュナ-は数種の録音を残している)。本曲は現在のバイオリン奏者のレパートリーに入っていてもおかしくないレベルの曲だと思うのだが、タシュナー以外の誰も弾かないのはなぜだろうか?私の探し方のせいかもしれないが・・・。

フォルトナ―とは別にゲアハルト・タシュナーを知れたのも良かった。他の演奏録音も買ってみよう。最近、再び「古代の凄腕奏者」に興味が向いている。タシュナーはフバイとフーベルマンに師事し、10歳にしてワインガルトナー指揮でメンコンを弾き、19歳でフルヴェンに見出されてベルリンフィルのコンマスとなる、戦後は西ドイツで活動したが、早くに体を痛めて指導者になった。妻がピアニストで夫婦での録音もある。ギーゼキングとの録音も多い。正直、同時代のメニューインなどと対等にわたりあえる技量と音楽性をもつ奏者だと思った。

こちらはヨッフムとの録音、フルヴェン版よりこちらのほうがクリア(当たり前か)
Fortner "Violin Concerto" Gerhard Taschner


徒然:都知事選とか新札デザインとか

2024-07-09 | Weblog
都知事選:結果は予想通りでした。小池氏の三選はまあ仕方ないと思う。東京都民の私は小池都政に大きな不満はないのだが、最近少し嫌なことをされたので、彼女には投票はしませんでした。なので石丸君に入れました。石丸君は2位まで食い込んだということで、浮動票がいかに新しい風を欲しているかが露わになった選挙だったと思います。やはり若くてやる気があるってだけで可能性を感じさせるし、彼は話せる(演説が)し、学歴も経歴もあるしで「看板」は十分。一番大事な「大きな行政を動かせるのか?」の点は、まだ(大きな)疑問符が付くところだけど、まあそれは彼の今後の活動でわかるでしょう。蓮舫さんは「いつも悪口言ってる人」という基礎イメージに加えて、「民主党の党首で失敗した人」「村田さんという旦那と熟年離婚した人」「元クラリオンガール」という過去の人だし、そして「共産党と疑問もなく手をつなぐ」今の立憲民主党の人ということで、全く当選する気配が感じられなかったですね。もし蓮舫が本当に勝ちたかったのならば、立憲とも共産党とも手を完全に切り(表向きでも)、アンチ小池の浮動票を全て取り込むつもりで戦わなければいけなかったのに、形だけ離党はしたけど立憲だけでなく共産の手まで借りての選挙活動をするのだから、一定の組織票は獲れても勝ちには繋がらない。そういう「喧嘩の読み」ができるかできないか?ってのは政治家(指揮官)にとって絶対に必要な能力だと思うのだけど、蓮舫に限らず野党にも与党にもそういう人物がいなくなってきたように思います。

新札:まだ出会ってません。周囲でもいないので実物を見るのはまだまだ先かも。ネットでデザインがまるで東南アジアのお金と騒がれていり。特に数字が・・・。どうやら「ユニバーサルデザイン」だそうですが。「1万円の人物の顔が間抜けすぎる。発展途上国の政治家のようだ。そもそも誰?」という個人的な感想は置いておくとして、こうやって現行のデザインと比べると、アラビア数字のフォントと配置が絶望的に悪い、のがわかる。また上部の「日本銀行券」が右にずれていて下部の模様と中心線が外れて安定を削ぐ。英国の新札(チャールズ国王)も載せてみたが、さすが英国だけあって落ち着いたデザインだ。その下に聖徳太子の旧万札も置いてみた。このときはアラビア数字が真ん中に来ているが、フォントが太く位置も中心なのでしっくりくる。偽造防止のために真似できないような工夫もあるのだろうが、それを超えて誰もが「いいね!」と叫ぶようなデザインにするのがプロの仕事だろうに(オリンピックの偽コンペ事件あたりから日本のプロのデザイン感性は、恐ろしく鈍麻しているように思う)




武田信玄(1988)を観終わる

2024-07-06 | Weblog
武田信玄(大河ドラマ)を観終わる。DVDレンタルで13巻、ようやく最終話に到達した。ドラマの初期に追い払った父の信虎が病床の信玄のもとに現れ、過去と同様に「小心者めが!なぜ寝ている、京へ軍勢すすめよ!」と恫喝する(創作だろうが信虎はかなり長生きした)。この横暴な父の煽りに信玄は死力をつくして立ち上がり、咳き込む老齢の父を見下ろす。この作品の隠れたクライマックスである。信玄が京都に固執したのも実は父親を超えるためであったことを思い出させ、ここで憑き物が落ちたのか武田軍は退却する。信玄死後の後日談が長い。勝頼が力量として信玄に遠く及ばないところを垣間見せ、重臣たちも信玄への尊敬が深いために燃え尽き症候群に陥ってしまう(ほとんどは2年後の長篠の戦で戦死する)。謙信が正義に固執するあまりイタコとなり(衝撃)、信長を破ることで、信玄の無念を謙信がはらしたという形で終わる。
大河ドラマの歴史の中で最も高視聴率だった作品(4割越え)。とにかく脚本が素晴らしく、登場する俳優は綺羅星のごとし、多くの騎馬を動員した合戦シーンや豪華なセットなど、今では望みようのない高水準の大ドラマであった。こういうドラマを思春期にテレビで見て過ごせたことは幸運だったと改めて思う。

武田信玄:中井貴一
上杉謙信;柴田恭平
北条氏康:杉良太郎
今川義元;中村勘九郎
三条の方:紺野美沙子
湖衣姫:南野陽子
八重:小川真由美
里美:大地真央
恵里:池上季実子
山本勘助:西田敏行
板垣信方:菅原文太
真田幸隆:橋爪功
鬼美濃:宍戸錠
甘利虎泰:本郷幸次郎
飯富兵部:児玉清
山県昌景:篠田三郎
高坂弾正:村上弘明
平三:渡辺正行
寿桂尼:岸田今日子
徳川家康:中村橋之助
織田信長:石橋凌
諏訪頼重:坂東八十助
武田義信:堤真一
武田信繁:若松武
武田信虎:平幹次郎
信玄の母(ナレーター):若尾文子

ユダヤ教の超正統派はイスラエルを認めすパレスチナを擁護する

2024-07-03 | Weblog
・ユダヤ教の超正統派:黒いフロックコートに黒いシルクハットを被り、もみ上げが長い人たちである。超正統派、つまり原理主義だから、イスラエル=ユダヤ教では最右翼の人たちかと思ったら、その中には「イスラエルの建国を認めていない反シオニズム」の派閥もあるとのことである。彼らは「ユダヤ人が国を失って諸国を放浪し差別や迫害を受けているのは、過去の罪を神がいまだ許していないからだ」との解釈であり、本当のイスラエルを建国するときはメシアが現れたときに神の手で行われると信じている。なのでシオニズムで建国された今のイスラエルはまがい物であり、認められないので解体すべきという立ち位置なのだ。これには驚いた。なぜこれを知ったかと思うと、ニューヨークの超正統派がパレスチナの旗をもってパレスチナ擁護のデモの先頭に立っていたからである。そしてそれに食って掛かるイスラエルからの旅行者の動画もあった。超正統派にとってパレスチナ人はよき隣人であり、シオニズムによって強引に建国したイスラエルこそが間違っているとの考えなのである。

下の写真は超正統派ナートーレー=カルター(wikipedeiaより)
パレスチナの旗をもち「パレスチナを飢えさせるな」「シオニズムとユダヤ教は正反対」と主張している。


こういった超正統派の人はイスラエル国外に多いのかと思ったら、イスラエル建国以前からエルサレムにたくさん居住しており、これまでは宗教従事者ということで徴兵義務がなかったが、今回の内線で一般の国民から不満が噴出し、ついにネタニヤフ政権は超正統派にも徴兵義務を課したとのこと。もともと超正統派の人々は、宗教的戒律により男性は殆ど働かず妻だけが働くという生活スタイルのため貧しい世帯が殆どで、さらには避妊を否定するので、子だくさん(5~10人はざら)なのである。すでにイスラエル国民の10数パーセント、このままだと30~40%にも達するという。近い将来、イスラエルの国の在り方を左右する存在になるとの議論も出ている。こういうことを全く知らなかったので、驚きと同時にイスラエル、ユダヤ教が抱える複雑な問題を垣間みた。

そしてここで我がORE教の格言である。
ありもしない神を信じるからこのざまだ」by 眠狂四郎


ダンバインHG(リニューアル版)

2024-07-02 | Weblog
昨年プレミアムバンダイから発売された新造形のダンバインHGに挑んでます。スタイリッシュな体型で細かく色分けもされているので、素組みでも十分に鑑賞に堪えうるキットですが、やはり最新のプラモということで関節の高可動とモデル体型のコンセプトの弊害があちこち出ています。
一番気になっているのは、肩と背中上部にアーマーがないこと。このあたり、設定画やアニメを見てもよくわからないのだけど、鎧を考えたら肩に装甲がないのは非常におかしい。


バンダイから出ているギガンティックダンバイン(完成フィギュア)なんかはこのあたり綺麗に収めてます。





ひな壇芸人を見ていられない

2024-07-02 | Weblog
最近はひな壇芸人をみると「次は自分の番だ、噛まないように滑らないようにしなくては」という緊張感が垣間見えて、共感性羞恥なのか見ていられなくなる。当然ですがクイズ番組やバラエティー番組には綿密な脚本があり、誰がどこで正解をだすとか、誰がどこで間違えて滑るとか、誰が落ちを言うとか、全てが細かく決まってます。さらに編集もされているのです。

ティール アンド オレンジ

2024-06-29 | Weblog
気になっていたことが、一つ解決。映画「ブレードランナー2049」の画質に全くのれなかった理由が判明した。まあこの「続編」は内容も噴飯ものだったが。
最近の映画(特にハリウッド)は、画質のトーンが妙に夕方みたいにオレンジがかっていたり、逆に曇天のような青みの灰色がかっているものが多い。個人的にたいへん違和感のある画質で、あからさまに「作り物」を見させられているような感じとなり、最近は宣伝を見るだけで嫌悪するようになってきた。ブレードランナー2049のポスターが以下のもの。見事にオレンジと青灰色だ。

どうせCGをうまく実写に溶けこますための加工なんだろうと思っていたが、「原作ブレードランナー」のディレクターズカット版1992とファイナルカット版2007を丁寧に比較したyoutubeがあり、そこの書き込みに「ファイナルカットのteal gradeが気に食わない」というものがあった。最初は意味がとれなかったが、これは画質のトーンのことでは?と思い、検索するとTeal and Orange gradeという単語がでてきた。tealとはちょっと暗めの青緑で「鴨の羽色」という色らしい。ちょうどオレンジとは補色の関係にあるようで、この二色を両極にコントラストつけると、人の肌が浮かんでくっきりし、青みがかったtealよりの影でそれっぽい奥行きが出るらしい。どうやらここ20年くらい流行っている定番の技法のようだ Why Every Movie Looks Sort of Orange and Blue
 しかしこれを嫌悪する人、つまり私の同族もたくさん世界にいるようで、英語で検索すると豊富にヒットする。その一つが以下のものである。その一部を転載させて頂いた。この内容には心より同意である。心のモヤモヤが取れたのと同時に、世界には同じことを感じる人がいてくれてホッとした。残念ながら日本語の検索ではティールオレンジの嫌悪感はヒットしなかった、逆に映画を真似てティールオレンジで貴方の写真を加工しよう!みたいなサイトばかりだった。

Am I the only one who hates the blue and orange or 'teal' and orange look in modern films?

I'm just a bit sick to death that nearly every film made these days has got this god awful teal/orange look to it. It's not only films, it's been happening in tv dramas for a while now.
I looked into this and found it's about skin colour. Everybody's skin colour no matter what it is appears very close to each other on the colour wheel which is orange. The colour directly opposite orange on the colour wheel is blue so because they're contrasting colours if you mix them together you apparently get some visually wonderful end product - BUT, this is where the problem starts.
The trouble with the teal/orange look is that it seems to dilute all the other colours. Although they're there and you can see them they appear somehow diluted and I think its because when you change the look to teal and orange it creates a blue-ish or orange dull tinge so if you happen to see something that's say green or red you're looking at it through a blue/orange/dull tinge.
Films made in the 80s or 70s didn't suffer from this teal/orange look and nobody's skin colour looked wrong so I don't buy the skin colour argument at all. Films made in those days were visually brighter and you could see every colour as it's supposed to be seen.

太宰と三島の邂逅のドラマ宣伝が酷すぎる

2024-06-24 | Weblog
最近少し三島由紀夫のこと調べてたら即座にYoutubeが反応して(怖いねえ)、下のような動画を紹介してきた。太宰のドラマみたいで三島由紀夫と飲み会で出会う「有名な」シーンだ。太宰が小栗旬という100%真逆の人間(マッチョ)が演じているだけで激しくゲンナリだし、叫んでいる三島由紀夫も視野の狭い堅物青年にしか描かれていない。三島由紀夫って美輪明宏とかとつるんでいたんだぜ。
三島が太宰に「私はあなたの文学嫌いです」と放ち、それに対して太宰が「とはいってもここに来てるんだから好きなんだろ(または、嫌いなら来なけりゃいいじゃないか)」と応えたというのは、もはや伝説の域で本当のところはわからないが、三島由紀夫自身の回顧録では「昭和22年1月ごろ(正確には前年の12月14日らしい)にうなぎ屋の二階の12畳ほどの座敷に暗い電灯のなか大勢の人が居並んでいた」とある。周囲の人たちの回想でもこれに似たことを言っている。そういう情報では三島は太宰の前に座っていたらしい。個人的な想像なのだが、太宰を中心とした飲み会に三島はそれなりに期待して参加したのだが(三島由紀夫は紹介状を大事にするなど、なかなか根回し上手な人)、不器用でおべんちゃら的なことはうまく言えない三島は、先にした質問(森鴎外について)を太宰にはぐらかされたので、イラッとして口をついて「お前嫌い」を言ってしまったのだと思います。太宰と三島って金持ちという出自も同じだし、戦争に行かなかったというコンプレックスも抱えていて同属なんですよ(三島自身、後になって太宰は似ているから嫌い、似ているから怖いと明言しているぐらい、そして才能はたいへん認めている)
2人の邂逅についてこういったイメージを持っていた私には、戦後とは思えないハイカラなワイン居酒屋みたいなところで、テーブルに座って女を侍らせてガヤガヤ飲んでる太宰や(太宰は編集者にタカって飲んでいたのは有名だが)、後ろの方の席から突然立ち上がって演説みたいに「あなたが嫌いです!」と叫ぶ三島の演出はが全くの想像外でゲンナリしたのですよ。TVドラマだから正確に再現する必要はないのだが、いちおう時代の雰囲気とかもあるんだよ。さらには、「本当に人の前で死ぬ覚悟はあるのですか!」と三島が太宰につめよって、太宰が自分で自分の頸を締めて死んで見せようとするところとか、もう原作レイプならず偉人レイプだよ。太宰がそんな大仰な真似するかよ。演出や役者は「太宰」というテーマで文芸っぽいことやってるつもりなんだろうけど、もう少し何とかして欲しいと思いました。個人的な感想です。

小栗旬・高良健吾 - 太宰治を批判する若手作家 三島由紀夫 | 人間失格 太宰治と3人の女たち | Netflix Japan




ギャン完成

2024-06-20 | Weblog
シールドと剣を塗装して終了しました。シールドの外周部は、赤サフの上に焼きレンガ色を薄く塗り、アルミでドライブラシ、中心部の真鍮は、グレーサフの上に山吹色を叩いて、エメラルドグリーンとアルミでドライブラシです。剣の鍔と柄はテレビ設定は黄色なんだけど、安彦さんのORIGIN彩色画では青みがかったグレーにも見えたので、黄色、エメラルドグリーンなどを重ねてみました。

プラモを一つ完成させるといつも想うことですが、模型造りの醍醐味とは、作業ももちろんですが、一つのデザインにじっくり向き合うことにあると思います。40年以上前に出会ったマ・クベの専用ギャンですが、数ヶ月間、造形物を毎日手に取りながら、いろいろな資料を見聞して、そのデザインの合理性と独自性と先進性に感銘を受けていました。もう十分です。これにてギャン卒業です。

ギャンHGリヴァイブ
両肩の稼働溝を埋め立て
首を数ミリ延長
コックピット周辺部を平坦に埋め立て
可動のために痩せ細った腹回りを、プラ板で可能な限り膨らます。
股間のユニットをオリジン風に延長
腰アーマー全周をオリジン風に1センチほど延長
前腕部の袖折り返しを削ぎ落とし、手首との隙間が埋まるよう数ミリ延長。
細かいモールドを全て埋め立て。
膝部アーマーの前部と後部を一体化
剣の鍔はオリジン風にパテで半球に盛り上げて、プラパイプにて延長。
サフは水性、塗装はファレホ筆塗り








ギャン本体の塗装

2024-06-16 | Weblog
ギャン(HGリヴァイブ改ORIGIN風味)の本体の塗装を終えました。全てファレホの筆塗りです。胸や腰アーマーの紺色の調整にウロウロと迷い、二度も気に入らなくてマジックリンで剥がしてやり直しました。最終的にパープル系でまとめることにし、手足頭の淡い藤色はホワイトにバイオレットを微量混色、胸と腰のアーマーはバイオレットの下地にダークプルシアンブルーを叩き塗りです。しかし、そのままだとファレホの発色が良すぎてパステル基調の玩具みたいなので(いやガンプラは玩具なのだが)、初めての汚し表現に挑戦しましたよ。アーマーの紺色にはホワイトのドライブラシを、手足の藤色にはサンドグレーとブラウンのドライブラシを施しました。やりすぎると煩くなるので、どこで止めるかの加減が難しい。最後にアルミニウムというメタル色のドライブラシで全体を覆いました。なんとかそれっぽく収まったのでホッとしてます。関節と背部ロケットはガンメタルです。あとはシールドと剣です。

ファレホの発色が良すぎてパステルみたいに。


ドライブラシで整えました。





ギャン続き

2024-06-09 | Weblog
そろそろ色塗りに入れそう。「オリジン風だけど原作みたいなギャン」を目指しました。「線を減らす」ことに拘って、HG特有のモールドを徹底的に埋め立ててます。個人的にはこのぐらいツルッとしているほうが本物(アニメの中)らしくて好きです。シールドと剣を持たせたらよりギャンらしくなると思います。

右腕は後ハメ加工です。左腕もそうだったのけど、思わずはめてしまった(もう外せない)。膝頭も後ハメ。

いじり倒しているときのギャン。直垂を伸ばして、全身のモールドを黒瞬着で埋め立てています。


前後に分割された膝まわりのアーマーは、なかなかに上手な解釈なのだが、やはり原作どおりに一体化させました。









N響アワー

2024-06-03 | Weblog
家庭環境の変化でクラシックを聴く機会が10倍くらいに増えた。長くため込んでいたCDが再び可動し、コンサートチケットも再び漁り始めた。NHK録画放送もよく聞いており、昨日のN響アワーも鑑賞したのだが、久しぶりに辛口感想を。
プログラムはドイツの職人指揮者ヤノフスキによるシューベルト4番とブラームス1番だったのだが、前半のシューベルトは恐ろしいほどにつまらなかった。楽団員もただ淡々と黙々と演奏しているだけにしか見えなかった。きちんと弾くことだけを狙ったかのような無感動的な演奏。こういうスタイルなのか?時間の無駄にしか感じない。後半のブラ1もまるで早回し再生のようにサクサクと進んでいく。最後のコーダでやっと少し熱が入ったが、そのせいでか、オケが最後の最後で一瞬崩壊しかけた。指揮者が連れてきたゲストコンマス(ドレスデンフィルのコンマスらしい)が、あまりコンマス的な働きをしていないようで、2楽章のソロもいまいちだった(オーボエは上手だった)。1.5流の海外オケのコンマスって意外にこういうのが多い(ミュンヘンフィルのコンマスの室内楽も非常にがっかりした思い出あり)。過去のN響のゲストコンマスで、凄いな!と記憶しているのは、シュターツカペレのミリング教授だな。ブラ1の後にはブラボーも飛び交っていたが、現場ではそんなに立派な演奏に聞こえたのだろうか?日本人って高額で買ったチケットには文句言わずに拍手を惜しまない癖があるように思う(本当は逆で、高いチケットほど批判的に聞くべき)。ドイツ正統派でワーグナーもまとめられるとかでN響には大事な指揮者だろうが、もう1度聞きたいほどの演奏ではなかったな、というのが正直な感想です。ビオラは目立つ首席に引っ張られてザクザクと頑張っていたのが印象的

ギャン

2024-05-31 | Weblog
HGギャンを組み立てたのだが、モデル体型のフォルムがどうしても気に入らず改造している。とにかく最近のガンプラは可動が最優先なので、あちこちに隙間がある。気持ち悪いほどに腰が細すぎる。手首の隙間が大きく不自然。どうせ改造するならオリジン版のギャンに近づけてみようかと、腰アーマーの大幅な延長、ギャンの特徴である股間部の「流体パルスアクセラレーター」の延長、前腕の延長(手首の隙間をなくす)、首の延長、そしてHG特有の段落ちやらのモールドを埋め立てている。サーベルも作り替えた。完成までにはまだ時間が必要。