失われた良きもの③「学研まんが」近日アップ
プリンタが壊れたので新しいものを物色したら、手ごろな値段で評判のよいものがあった。購入しようとしたのが、大手量販店のネット通販は全て売り切れていた。しかし、Amazonや小さなネットショップでは売られており、値段は定価よりも1~1.5万高い。これは一体どういうことなのか?と調べら、人気のあるプリンターは転売屋に買い占められるのが日常茶飯事らしい。価格comのコメント欄にも多数の苦情コメントがあり、みな欲しいのに定価で手に入らない!と憤っている。物の対価というものは、原材料、製造、宣伝、流通にかかるコストの総合だと思うが、転売のどこに対価に含まれるべきコストがあるのか。買い占める作業が労働なぞと誰が考えようか。ネットで「転売 プリンタ」で検索すると、プリンタは需要が多く利益率が高いので転売にねらい目であるとあちこちで喧伝されている。売り買いは自由とは言え、例えば八百屋の商品を朝のうちに全部買い占めて、近くの別店舗で全て100円値上げして売っていたら、大暴動になるだろう。転売は反社会行為といっても過言ではないのだ。
最近は、量販店も買い占められないように色々と手段を講じているようだが、そろそろ国が法律でもっと縛りつけるべきだろう(チケット転売が禁止されたように)。思いつきレベルだが、例えば購入してから数年間は購入以上の価格をつけて売ってはいけないとか。そうであれば、電化製品のようにバージョンアップの早いものは買い占めが減るのではないか?
結局、プリンタは早く欲しかったが、転売屋には1円たりとも払いたくなかったので、大手量販店の入荷待ち対応で注文した。発注時は届くまでに1月以上かかるとの連絡があったが、すぐに入荷できたようで1週間で手に入った(定価かつポイント還元あり)。消費者も転売者に負けないように情報を入手し、早く欲しくとも転売屋に利することを絶対に避ける気概が必要と考える。
最近は、量販店も買い占められないように色々と手段を講じているようだが、そろそろ国が法律でもっと縛りつけるべきだろう(チケット転売が禁止されたように)。思いつきレベルだが、例えば購入してから数年間は購入以上の価格をつけて売ってはいけないとか。そうであれば、電化製品のようにバージョンアップの早いものは買い占めが減るのではないか?
結局、プリンタは早く欲しかったが、転売屋には1円たりとも払いたくなかったので、大手量販店の入荷待ち対応で注文した。発注時は届くまでに1月以上かかるとの連絡があったが、すぐに入荷できたようで1週間で手に入った(定価かつポイント還元あり)。消費者も転売者に負けないように情報を入手し、早く欲しくとも転売屋に利することを絶対に避ける気概が必要と考える。
狂ったとしか思えない情報ばかりなので三猿になりたいときがある。
ディズニーのエントランスアナウンス「Ladies and Gentlemen, Boys and Girls」を中性の人への配慮として流すことを辞めるそうだ。いやもう「男女」という言葉もなくしてしまえばいい。当然「Lady First」も無しだよね。そんな差別よりも「生まれ持っての貧富の差」のほうがよっぽど根源的な差別だと思うのだが。
結構好きなアイクぬわらの「Ladies and Gentlemen, Boys and Girls」↓
アイクぬわら 細かすぎて伝わらないものまね選手権 東京ディズニーシーの入り口のアナウンスww
ディズニーのエントランスアナウンス「Ladies and Gentlemen, Boys and Girls」を中性の人への配慮として流すことを辞めるそうだ。いやもう「男女」という言葉もなくしてしまえばいい。当然「Lady First」も無しだよね。そんな差別よりも「生まれ持っての貧富の差」のほうがよっぽど根源的な差別だと思うのだが。
結構好きなアイクぬわらの「Ladies and Gentlemen, Boys and Girls」↓
アイクぬわら 細かすぎて伝わらないものまね選手権 東京ディズニーシーの入り口のアナウンスww
210318Thr
やっと春かな。冬は本当の嫌いだ。
政治家・芸能人・Youtuberのように、メディアに積極的に顔を晒す人間は、基本的に「頭のおかしい異常人」と思って観察することをお勧めする。「こいつら頭がおかしいんだな~」と動物園にいる珍獣のように眺めるのだ。
ユダヤ人の格言というものを見つけたのだが、自分がこれまでの人生経験で考え出し自分の訓戒にしていることがほとんど書かれていて、ああ俺はユダヤ人になればよかったのかも・・と思った。ORE教に加えていこう。以下は抜粋。
賢人になる七つの条件
自分より賢い人がいるときは沈黙。
人の話の腰を折らない。
常に的を射た質問をし、筋道だった答えをする。
まずしなければならないことから手を付け、後回しにできるものは最後にする。
自分が知らないときはそれを認める。
真実を認める。
勉強について
人はどん欲に学ばなければならない。
学んだことを復習するのは、覚えるためではない。何回も復習するうちに、新しい発見があるからだ。
自分の肩書きを人に教えようとする人間は、すでに自分の人格を傷つけている。
知者が間違うときは、恐ろしいほど根本的に間違う。
教育について
子供は幼いときは厳しくしかり、大きくなったらしかるな。
豊かな人とは自分の持っているもので、満足できる人のことである。
人を賞賛できる人こそ、本当に誉れ高き人である。
ヤギには前から近づかない。馬には後から近づかない。愚か者にはどの角度からも近づかない事だ。
書籍について
本のない家は,魂を欠いた体のようなものだ。
克己について
失敗を恐れる方が、失敗を犯すよりも悪い。
金について
金は、本質以外のモノなら何でも買える。
すべて金で買うことができるが、知性だけは買うことができない。
その他
貧乏人と病人の忠告にはいつも真意がある。
利害関係ができたときにはじめて、友人かどうかが分かる。
人は仕事がないと政治に関わり始める。
やっと春かな。冬は本当の嫌いだ。
政治家・芸能人・Youtuberのように、メディアに積極的に顔を晒す人間は、基本的に「頭のおかしい異常人」と思って観察することをお勧めする。「こいつら頭がおかしいんだな~」と動物園にいる珍獣のように眺めるのだ。
ユダヤ人の格言というものを見つけたのだが、自分がこれまでの人生経験で考え出し自分の訓戒にしていることがほとんど書かれていて、ああ俺はユダヤ人になればよかったのかも・・と思った。ORE教に加えていこう。以下は抜粋。
賢人になる七つの条件
自分より賢い人がいるときは沈黙。
人の話の腰を折らない。
常に的を射た質問をし、筋道だった答えをする。
まずしなければならないことから手を付け、後回しにできるものは最後にする。
自分が知らないときはそれを認める。
真実を認める。
勉強について
人はどん欲に学ばなければならない。
学んだことを復習するのは、覚えるためではない。何回も復習するうちに、新しい発見があるからだ。
自分の肩書きを人に教えようとする人間は、すでに自分の人格を傷つけている。
知者が間違うときは、恐ろしいほど根本的に間違う。
教育について
子供は幼いときは厳しくしかり、大きくなったらしかるな。
豊かな人とは自分の持っているもので、満足できる人のことである。
人を賞賛できる人こそ、本当に誉れ高き人である。
ヤギには前から近づかない。馬には後から近づかない。愚か者にはどの角度からも近づかない事だ。
書籍について
本のない家は,魂を欠いた体のようなものだ。
克己について
失敗を恐れる方が、失敗を犯すよりも悪い。
金について
金は、本質以外のモノなら何でも買える。
すべて金で買うことができるが、知性だけは買うことができない。
その他
貧乏人と病人の忠告にはいつも真意がある。
利害関係ができたときにはじめて、友人かどうかが分かる。
人は仕事がないと政治に関わり始める。
電通のプロデューサーが、女性の体形蔑視発言でオリンピック閉会式責任者を辞任。野村萬斎のままにしておけばよかったのにな。本人は軽い冗談だったのだと思う。この電通の人は、お父さんを犬にしたり、渋い系の外国俳優を宇宙人やドラえもんにしたりと、配役の意外性な置き換えでCMを作ってきたらしいから、デブキャラで売っている渡辺直美をブタにしたら面白かろう(本人も乗ってくるだろう)と軽く思いついたのだろう。私としては体型の蔑視問題よりも、古代ギリシャの都市オリンピアを語源にもつオリンピックを豚のピッグで置き換える下品な発想の方が問題に感じる。古代オリンピックに対する敬意のかけらもない。わかりきったことではあるが、電通とはこういう下図な輩の集団なのである。
一連の問題発言は昨年3月のもので、韓国で全て記録されているというLINE上のものらしい。おそらくだが、彼を快く思わない人が、通話記録を文春に売り渡したのだろう。記録に残る媒体経由での駄洒落や下品な物言いは危険だな。SNSには触らないことだ。もう森(元)も消えたのだから、ここは野村萬斎に土下座して戻ってきてもらうしかなかろう。
一連の問題発言は昨年3月のもので、韓国で全て記録されているというLINE上のものらしい。おそらくだが、彼を快く思わない人が、通話記録を文春に売り渡したのだろう。記録に残る媒体経由での駄洒落や下品な物言いは危険だな。SNSには触らないことだ。もう森(元)も消えたのだから、ここは野村萬斎に土下座して戻ってきてもらうしかなかろう。
久しぶりに東京国立博物館(常設)に行ってきた。目と心の保養のためである。上野駅(公園口)がすっかり変わっており、出口が公園の大通りと接続して上野動物園へと一直線になっていた。建物もモダンになった(褒めていない)。一番驚いたのは、駅前の通りが南北に通り抜けられなくなったことだ。上野の坂を上っても駅前のロータリーでUターンするというわけである。
常設展では、日本の歴史を古代から見ていく流れになるのだが、埴輪がAD5世紀というのはなかなか衝撃だ。始皇帝の兵馬俑がBC3世紀である。日本が大陸の中国に比べてどれだけ遅れていたかがわかる。結局のところ日本の文化は中国の文化の輸入で始まったわけであり、独自の文化なんてものは、もともと殆どないと思った方がいい。日本人が心のよりどころにしている法隆寺(700年ごろ)にしたって、「現存」する木造建築として世界最古なわけであって、古代中国には法隆寺に匹敵する寺や建築は幾らでもあったわけである。展示を順番に観ていくと、日本独自の文化の形が見えだすのは鎌倉~南北朝にように思えた。桃山・江戸になってしまうと、焦点が細部の技術に傾いていき、もはや大陸のものと極端な差はわからなくなる。そういう意味で「中世」の日本は興味深い。
この日、一番心に響いたのは、浄瑠璃寺にあったと言われる十二神将像である。12躰全てが残っているが、子神、丑神、寅神、卯神、午神、酉神、亥神の7体が静嘉堂にあり、辰神、巳神、未神、申神、戌神の5体が東京国立博物館の所蔵である。昨日は3体だけが展示されていた。薬師十二神将は、私を仏像好きに引き込んだ題材で、中学の図書室にあった「魅惑の仏像」の十二神将の巻を繰返し借り出して観ていたのを覚えている。こんな躍動的な立像が12種も揃っているということが惚れた理由だろう。四天王や八部衆が好きなのも同様である。浄瑠璃寺の十二神将は、国宝である新薬師寺の十二神将、興福寺の十二神将に匹敵すると思うのだが、なぜか重要文化財どまりである。まあ、国宝の松江城もつい最近まで長らく重文だったから、浄瑠璃寺十二神将もいずれ国宝になったりするかもしれない。
浄瑠璃寺十二神将(鎌倉時代)
新薬師寺十二神将(奈良時代)
興福寺十二神将(鎌倉時代)
常設展では、日本の歴史を古代から見ていく流れになるのだが、埴輪がAD5世紀というのはなかなか衝撃だ。始皇帝の兵馬俑がBC3世紀である。日本が大陸の中国に比べてどれだけ遅れていたかがわかる。結局のところ日本の文化は中国の文化の輸入で始まったわけであり、独自の文化なんてものは、もともと殆どないと思った方がいい。日本人が心のよりどころにしている法隆寺(700年ごろ)にしたって、「現存」する木造建築として世界最古なわけであって、古代中国には法隆寺に匹敵する寺や建築は幾らでもあったわけである。展示を順番に観ていくと、日本独自の文化の形が見えだすのは鎌倉~南北朝にように思えた。桃山・江戸になってしまうと、焦点が細部の技術に傾いていき、もはや大陸のものと極端な差はわからなくなる。そういう意味で「中世」の日本は興味深い。
この日、一番心に響いたのは、浄瑠璃寺にあったと言われる十二神将像である。12躰全てが残っているが、子神、丑神、寅神、卯神、午神、酉神、亥神の7体が静嘉堂にあり、辰神、巳神、未神、申神、戌神の5体が東京国立博物館の所蔵である。昨日は3体だけが展示されていた。薬師十二神将は、私を仏像好きに引き込んだ題材で、中学の図書室にあった「魅惑の仏像」の十二神将の巻を繰返し借り出して観ていたのを覚えている。こんな躍動的な立像が12種も揃っているということが惚れた理由だろう。四天王や八部衆が好きなのも同様である。浄瑠璃寺の十二神将は、国宝である新薬師寺の十二神将、興福寺の十二神将に匹敵すると思うのだが、なぜか重要文化財どまりである。まあ、国宝の松江城もつい最近まで長らく重文だったから、浄瑠璃寺十二神将もいずれ国宝になったりするかもしれない。
浄瑠璃寺十二神将(鎌倉時代)
新薬師寺十二神将(奈良時代)
興福寺十二神将(鎌倉時代)
210315Mon
民主党が政権をもう一度欲しいなら、①蓮舫をクビにして、②党首を枝野さんからもっと見栄えの良い人(細身で長身)に変えて、そして③自民党の政策をなるべく賛成する(気持ち悪いくらいに)。これで1年くらい頑張れば、軽く自民党に並ぶと思いますがね。
映像
映画「クラッシャー・ジョウ」サンライズ公式の48時間限定youtubeで観た。30年以上ぶりだろうか。絵が素晴らしいね。こういうアニメ映画ってもうできないんだろうな。最近はとかく深刻なものとかサイコなものばかりが題材になっているけど(そういうものが芸術的と思っている節がある)、要は完成度の高い娯楽性のある作品を作ればいいんだよ。簡単なことで。
美術
久しぶりに美術館に行った。コンスタブルという英国の風景画家の展覧会。三菱美術館。コンスタブルだけでなく、ライバルのターナーの作品も対比で幾つか飾られていた。会場のライティングが少し暗かったように思う。ターナーのほうが好きかな。それよりも彼らのもう少し前の世代のカズンズAlexander Cozensという画家の小品が最も印象深かった。Alexander Cozens (1717–1786)は、ロシア出身でイギリスで活躍した画家で教師である。深い奥行きと墨絵のような筆使い惹かれた。
肝心のコンスタブルは、コンスタブルの監修のもと彼の原画をもとに版画にした「イギリス風景画集」が素晴らしかった。西洋の版画って好きなんだよな。
民主党が政権をもう一度欲しいなら、①蓮舫をクビにして、②党首を枝野さんからもっと見栄えの良い人(細身で長身)に変えて、そして③自民党の政策をなるべく賛成する(気持ち悪いくらいに)。これで1年くらい頑張れば、軽く自民党に並ぶと思いますがね。
映像
映画「クラッシャー・ジョウ」サンライズ公式の48時間限定youtubeで観た。30年以上ぶりだろうか。絵が素晴らしいね。こういうアニメ映画ってもうできないんだろうな。最近はとかく深刻なものとかサイコなものばかりが題材になっているけど(そういうものが芸術的と思っている節がある)、要は完成度の高い娯楽性のある作品を作ればいいんだよ。簡単なことで。
美術
久しぶりに美術館に行った。コンスタブルという英国の風景画家の展覧会。三菱美術館。コンスタブルだけでなく、ライバルのターナーの作品も対比で幾つか飾られていた。会場のライティングが少し暗かったように思う。ターナーのほうが好きかな。それよりも彼らのもう少し前の世代のカズンズAlexander Cozensという画家の小品が最も印象深かった。Alexander Cozens (1717–1786)は、ロシア出身でイギリスで活躍した画家で教師である。深い奥行きと墨絵のような筆使い惹かれた。
肝心のコンスタブルは、コンスタブルの監修のもと彼の原画をもとに版画にした「イギリス風景画集」が素晴らしかった。西洋の版画って好きなんだよな。
ふとしたことで、ラジカセ(新品パナソニック)を買う。色々と驚くべきことを知る
中学生~高校生時代、ほとんどの音楽をカセットウォークマンで聞いていた。ステレオは居間にあり音量を上げられなかったので、あえてCDからテープへとダビングし(!)、ラジオのエアチェックも含めてカセットを自室に持ち帰ってウォークマンで聞いていた。就寝時、部屋を真っ暗にして大音量でウォークマンを聞く。頭の中心、脳髄で鳴るフルトヴェングラーの響きに涙を流しながら浸っていた(洗脳されていた)。だから高校生の頃は本当にたくさんのカセットテープを買っていた。少ない小遣いをもって高校の近くの量販店に通い、特価のテープを買い漁っていた。大学に入る頃にはカセットからMDの時代になったが、MDには手を出さなかった。ウォークマンがいつ故障して捨てたのかは覚えていないが(多分20代半ば)、ポータブルCDプレーヤーに乗り換えた。しかしこれは音飛びが酷くて持ち歩くのには不適だったが、アメリカ時代でも使っていた。アメリカのいるときにiPodが盛り上がってきた。後に妻から大容量のiPodをプレゼントしてもらった。このiPodはつい先日まで現役だったが、ついに起動しなくなってしまった(どうしよう)。長々とポータブル音源の遍歴を書いたが、結局のところ、カセットウォークマンで聞いたときのあの脳髄に響く感覚がいまだ再現できていないのだ。あの圧倒的な感動は一体なんだったのだろうか?初体験だったからというのも大きいと思う。初めて食べてものや聞いたものは美化されやすく、時間と共に肥大化するものだ。しかし、今現在、CDやiPodをどんなに大音量で聞いても、あのときの感動は得られない。具体的にどう違うかは明確に言えないが、あの頭の中心で響く感じがないのだ。音が薄いというか平面的というか。雑音も少なくクリアであることが逆に薄く感じさせてしまうのかもしれない。ネットで検索すると同じような感想や意見があふれていた。カセットは「音が太い」「音がやわらかい」「迫力がある」などなど。全て同意である。
なんとかあの感覚を再現できぬものかと、一昨年壊れたウォークマンをジャンクで手に入れて分解して洗浄して修理した。完璧には修理できなかったが、一通り再生できるようにはなった。中古のテープ(大地の歌:クレンペラー)を購入して聞いたところ、分厚いオケや艶やかな歌声を十分に楽しめた。しかし持ち歩くほどの完成度には至らず、それ以はいじらずにお蔵入りとなっていた(最近改めてクリーニングしたら、かなりましになった)。しかし、その後もカセットに対する憧憬はやむことなく、新品のカセットプレーヤーを模索していた。驚いたことは、ソニーはカセットウォークマンを完全に撤退しており、他の日本の主力メーカーにおいても当時の性能でカセット―プレーヤーを作っている会社はゼロということだ。さらには、当時は当たり前だった「オートリバース」はもはや作ることができないということである。部品を作る会社がなくなってしまったのだとか。テープにもハイポジやらメタルやら高音質対応があったのだが、それらも一切新造されていない。あるのはノーマルだけだ。ハイポジやメタルが欲しければ、オークションで高額で手に入れるしかないのである。つまり、この30年程度でカセットは「ロストテクノロジー」化していたのだ。エルガイムの世界である・・・。そのなか「ラジカセ」だけはカラオケ好きの老人にでも需要があるのか、細々と発売されている。Panasonicのラジカセが非常に良い(ラジオも含めて)という評判だったのでアマゾンで購入してみた。ただし、これも2年前に製造停止で後継機はまだないとのこと。再生はノーマルカセットのみ対応、オートリバースなし、ドルビーなしという悲しい仕様だが、これで聞いたカセットの大地の歌は「これだ!」という感覚に非常に近いものがあった。やはりカセットからは、MP3音源とは絶対的に何か違うものが出ているのだ。じゃあこれからどうするのか?まさかCDをテープに落とし直すわけにもいくまい(そんな時間はない)。職場の近く中古テープを多く扱っている店があるので、そこで500円程度なら中古ソフトを買ってもいいが、テープ自体が摩耗しているのでそれも無駄な投資だろう。そんな私が今目論んでいるのは「エアチェック」である。アンテナで受信するラジオ放送はいまだアナログであり、市販化されない海外のライブ演奏が沢山流れている。それらをテープに落としてアナログに楽しんでみようか・・と考えている。高音質なんてものにはそもそも拘っていない、雑音は気にならない。欲しいのは感動の原体験・・なのである。
中学生~高校生時代、ほとんどの音楽をカセットウォークマンで聞いていた。ステレオは居間にあり音量を上げられなかったので、あえてCDからテープへとダビングし(!)、ラジオのエアチェックも含めてカセットを自室に持ち帰ってウォークマンで聞いていた。就寝時、部屋を真っ暗にして大音量でウォークマンを聞く。頭の中心、脳髄で鳴るフルトヴェングラーの響きに涙を流しながら浸っていた(洗脳されていた)。だから高校生の頃は本当にたくさんのカセットテープを買っていた。少ない小遣いをもって高校の近くの量販店に通い、特価のテープを買い漁っていた。大学に入る頃にはカセットからMDの時代になったが、MDには手を出さなかった。ウォークマンがいつ故障して捨てたのかは覚えていないが(多分20代半ば)、ポータブルCDプレーヤーに乗り換えた。しかしこれは音飛びが酷くて持ち歩くのには不適だったが、アメリカ時代でも使っていた。アメリカのいるときにiPodが盛り上がってきた。後に妻から大容量のiPodをプレゼントしてもらった。このiPodはつい先日まで現役だったが、ついに起動しなくなってしまった(どうしよう)。長々とポータブル音源の遍歴を書いたが、結局のところ、カセットウォークマンで聞いたときのあの脳髄に響く感覚がいまだ再現できていないのだ。あの圧倒的な感動は一体なんだったのだろうか?初体験だったからというのも大きいと思う。初めて食べてものや聞いたものは美化されやすく、時間と共に肥大化するものだ。しかし、今現在、CDやiPodをどんなに大音量で聞いても、あのときの感動は得られない。具体的にどう違うかは明確に言えないが、あの頭の中心で響く感じがないのだ。音が薄いというか平面的というか。雑音も少なくクリアであることが逆に薄く感じさせてしまうのかもしれない。ネットで検索すると同じような感想や意見があふれていた。カセットは「音が太い」「音がやわらかい」「迫力がある」などなど。全て同意である。
なんとかあの感覚を再現できぬものかと、一昨年壊れたウォークマンをジャンクで手に入れて分解して洗浄して修理した。完璧には修理できなかったが、一通り再生できるようにはなった。中古のテープ(大地の歌:クレンペラー)を購入して聞いたところ、分厚いオケや艶やかな歌声を十分に楽しめた。しかし持ち歩くほどの完成度には至らず、それ以はいじらずにお蔵入りとなっていた(最近改めてクリーニングしたら、かなりましになった)。しかし、その後もカセットに対する憧憬はやむことなく、新品のカセットプレーヤーを模索していた。驚いたことは、ソニーはカセットウォークマンを完全に撤退しており、他の日本の主力メーカーにおいても当時の性能でカセット―プレーヤーを作っている会社はゼロということだ。さらには、当時は当たり前だった「オートリバース」はもはや作ることができないということである。部品を作る会社がなくなってしまったのだとか。テープにもハイポジやらメタルやら高音質対応があったのだが、それらも一切新造されていない。あるのはノーマルだけだ。ハイポジやメタルが欲しければ、オークションで高額で手に入れるしかないのである。つまり、この30年程度でカセットは「ロストテクノロジー」化していたのだ。エルガイムの世界である・・・。そのなか「ラジカセ」だけはカラオケ好きの老人にでも需要があるのか、細々と発売されている。Panasonicのラジカセが非常に良い(ラジオも含めて)という評判だったのでアマゾンで購入してみた。ただし、これも2年前に製造停止で後継機はまだないとのこと。再生はノーマルカセットのみ対応、オートリバースなし、ドルビーなしという悲しい仕様だが、これで聞いたカセットの大地の歌は「これだ!」という感覚に非常に近いものがあった。やはりカセットからは、MP3音源とは絶対的に何か違うものが出ているのだ。じゃあこれからどうするのか?まさかCDをテープに落とし直すわけにもいくまい(そんな時間はない)。職場の近く中古テープを多く扱っている店があるので、そこで500円程度なら中古ソフトを買ってもいいが、テープ自体が摩耗しているのでそれも無駄な投資だろう。そんな私が今目論んでいるのは「エアチェック」である。アンテナで受信するラジオ放送はいまだアナログであり、市販化されない海外のライブ演奏が沢山流れている。それらをテープに落としてアナログに楽しんでみようか・・と考えている。高音質なんてものにはそもそも拘っていない、雑音は気にならない。欲しいのは感動の原体験・・なのである。