寝違えた背筋が、猛烈に痛くなったので早退。
帰りがけに購入した「バレンボイム/サイード 音楽と社会」を読む。
イスラエル人の指揮者バレンボイムとパレスチナ人の評論家サイードの対談集だが、中東問題から、音楽と文学の相似と差異、ベートーヴェン、フルトヴェングラー論までとかなり深い問答集。バレンボイムの語る譜面のアプローチ法やオーケストラ論に非常に共感。例えば、
「特定の用語を使った連想には限界がある。たとえば救済、栄光、革命、こういう言葉が持ち込む危険は、音楽を観念の説明に使ってしまうことだ。絶対音楽の真の表現は、音の世界で、音そのものの関係に見いだされるべきだと思う。」
あとはゲーテの話も。
「ゲーテにとって芸術とは、「他者」へ向かう探検であって、自己に専心するものでなかった。現代はアイデンティの確認、ルーツの必要性、自分の文化の価値観や帰属意識に目が向けられている。自己を外に投影してより広い見識をもとうとすることはきわめてまれだ。」
書中でよく引き合いに出されているのに刺激されて、これからフルヴェンの「トリスタン」を聴いて寝るとします。
帰りがけに購入した「バレンボイム/サイード 音楽と社会」を読む。
イスラエル人の指揮者バレンボイムとパレスチナ人の評論家サイードの対談集だが、中東問題から、音楽と文学の相似と差異、ベートーヴェン、フルトヴェングラー論までとかなり深い問答集。バレンボイムの語る譜面のアプローチ法やオーケストラ論に非常に共感。例えば、
「特定の用語を使った連想には限界がある。たとえば救済、栄光、革命、こういう言葉が持ち込む危険は、音楽を観念の説明に使ってしまうことだ。絶対音楽の真の表現は、音の世界で、音そのものの関係に見いだされるべきだと思う。」
あとはゲーテの話も。
「ゲーテにとって芸術とは、「他者」へ向かう探検であって、自己に専心するものでなかった。現代はアイデンティの確認、ルーツの必要性、自分の文化の価値観や帰属意識に目が向けられている。自己を外に投影してより広い見識をもとうとすることはきわめてまれだ。」
書中でよく引き合いに出されているのに刺激されて、これからフルヴェンの「トリスタン」を聴いて寝るとします。