Wilhelm-Wilhelm Mk2

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三島 ゴースト 川端

2008-02-26 | Weblog
私は三島由紀夫が好きではない。が、じゃあ嫌いかと言われたら、まあ文体や内容は嫌いなのだが、奇妙な親近感があったりする。親近感?はあ?何様?と思うだろうが、まあ先を・・・。思うに、人間の本質なぞは、結構生まれつきで9割が決まってしまうと思う。財力、容姿、胆力・・・先天的に「持つ」人を「持たない」人が超えることはなかなか難しい。その理想と現実とのギャップに苦しむのが人生の本質なのかもしれないが、だからこそ、本来虚弱で小心な三島が、必死で理想をめざして格好つけまくり(粋がり、悪ぶり、ボディビルしたり)、最後はその格好つけを完遂するべく、あのようなキチガイ演技で幕を下ろさざるを得なかったことに、なんとも奇妙な人間くささを感じてしまう。自分のナルな性分と向き合って理想へと猛進しまくった三島は人間くささのヒーローなのではないかとも思う。それは彼の望んだヒーロー像ではないかもしれないが。三島の精神構造は色々と分析されているが、実際は非常に単純な人だったのではないか?とも思ったりする。

 まだ読了してないが、三島由起夫を暴露的に書いた本がある。この本によると、三島の師匠でもある川端康成は、ノーベル賞受賞前にはすでに重度の睡眠薬中毒に陥っており、三島がゴーストライターをして助けていたらしい。ノーベル文学賞の枠がアジアに回って来たということで、三島は師匠を推薦する文をスウェーデンに送るのだが、さすがに自力で執筆が出来ない川端が候補を受けることはあるまいと考えていた。というのも、三島自身もノーベル賞を強力に欲していたからだ。(勿論、三島も候補に挙がっていた)。しかし、結果的に川端が候補に選ばれ、ノーベル賞を受賞してしまう(1968)。そして、この川端の受賞後から、三島は川端と絶縁状態となる(三島ー川端書簡集に詳しい)。それを三島の一方的な嫉妬だと解釈する向きが多いが、もしゴーストライターの件が真実なら三島が怒って当然だろう。三島自身の作品は出しても出してもどんどんと下る一方、自分がゴーストした川端は世界文壇の頂点に上り詰めてしまった。そして三島は狂った。築きあげてきた虚像を守るべく、殆ど自己催眠をかけるがごとくに偏狭な愛国心にのめり込み、最後の飛び上がりを演じた。三島の死は1970年の11/25。翌年の葬儀で川端は葬儀委員長をつとめた。川端の自殺はその翌年の1972年の春。これを自責の念にとらわれての行為と考えれば非常に納得がいく。