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B級SFからクラシック音楽まで何でもあり

美しい宇宙船その3「Xウィング・スターファイター」

2005-05-13 | Weblog
今日は時間があるのでもう一つ。前に紹介したファルコンと同じく、スターウォーズ旧3部作の代表機「「Xウィング・スターファイター」。スターウォーズをあまり知らない人でもこの宇宙船(宇宙戦闘機)はどこかで見た事があると思います。とにかく「格好いい」!!なんというバランス感覚!、長く突き出した船首といい、戦闘速度の際に展開するX字可変翼といい、その翼の先に取り付けられた銛のようなレーザーガンといい、これデザインした人は正真正銘「神」です。安価ながらも加速性能は抜群で、ハイパードライブ航法(いわゆるワープ)もできる万能機です。さらに一機に一台ずつロボットが搭載される設計で、パイロットはこのロボットと会話しながら、機体の制御や修理をすることができます。うーん何と素晴らしい設定だ。
私が思うに、新3部作がいつもイマイチなのは、ファルコンやこのXウィングに匹敵するような新しい宇宙船が一隻たりとも出てこないからなんですよね。変に滑らかだったり、鈍臭かったり全然萌える船がありません。デザイナーを変えるべきだな。といってももう遅いか。この夏公開の新作の宇宙戦闘シーンをちらっと見ましたが、Xウィングの出来そこないみたいなものが見えました。まあ歴史考証的にはプロトタイプもあっていいと思うのですが、なんだか安易だなあと。

美しい宇宙船その2「ミレニアム・ファルコン」

2005-05-13 | Weblog
スターウォーズの主役機「ミレニアム・ファルコン」号です。旧3部作の最初から最後まで主人公達を乗せて銀河を飛び回りました。船そのものは普通の貨物船(コレリアン・エンジニアリング社製YT-1300貨物艇)なのですが、この船の代々の所有者達が改造に改造を施し、銀河でもトップクラスの速度を誇る船となっています。この改造という設定には燃えますね(萌えでなく)。市販の本体に手を加えて最大限までパワーを絞りだすというのは男のロマン?があります。楽器にも結構通じます。(あ、楽器の場合はまず腕か)さらに私が感心するのはこの斬新なデザイン。普通、宇宙船のコックピットは「真ん中」にあるものですが、ファルコンの場合は円盤部の左端に突き出ているのです。それゆえシルエット的には非対称となるんですが、これが何とも「どこかの別の銀河」の宇宙船という感じを醸しだしていていいです。でも操縦しにくくないかな?
このファルコン号はXウィング(後述)と並んでスターウォーズ旧3部作の代名詞的宇宙船なので、安易に新作には出して欲しくはないと思っています。(今の所出て来てませんが)

美しい宇宙船その1「ディスカバリー号」

2005-05-13 | SF
宇宙を舞台としたSFなら、主役はやはり宇宙船。その中でも芸術の域まで達しているデザインのものもあります。私の好みで幾つか紹介。今日は「2001年宇宙の旅」のディスカバリー号。アメリカが建造した宇宙船で、木星への探査航行中に人工知能HAL9000の叛乱(錯乱)で乗組員は全員死亡(1人行方不明)、そのまま機能停止で木星付近を漂ってました。10年後、ソ連の宇宙船レオーノフ(これもいつか紹介します)によって機能回復させられるも、木星の太陽化爆発の際にレオーノフのブースターとして使われ消滅してしまいます。
全長120メートルの魚の骨のような全体像を持ち、先端の丸い所が居住区で細長い後部は通信と推進用です。これほど機能的に洗練され、かつ繊細な宇宙船のデザインは無いでしょう。この船が深宇宙を無音で進むシーンだけで、もう宇宙の広大さと人類の存在のちっぽけさが表現されてしまいました。誰のデザインかはわかりませんが、クラークの原作にも大体同じような設定のものが書かれています。

シューマン「ヴァイオリンとピアノの為のソナタ 第1番、第2番」

2005-05-12 | Weblog
クレーメルとアルゲリッチの録音。シューマンが死ぬ5年ほど前の作品である。シューマンは最後の2年間は精神衰弱で寝たきりだったので、これは最晩年の作品の一つといえる。シューマンの中にある誰かに自分を理解してもらいたいという衝動と、逆にそれを押し込めて平静を装いたいという相反する感情が次々と交互に顔を出し、聴いているものはその波動に巻き込まれていく。このCDは私の愛聴番の一つなのだが、最後まで聴き通すと嘆息が出てしまいます。(シューマンが気の毒で)真面目すぎる人だったんだろうな。
クレーメルの神経質だがうねりながら歌い上げる感情的なヴァイオリンに、アルゲリッチの躍動的なピアノがお互いを高め合うように絡む。この2人のデュオの演奏はどれをとっても秀逸だが、この録音はその中でも一際群を抜いていると思う。

トンデモ架空戦記本「第七の空母」シリーズ、読みたい!

2005-05-11 | Weblog
ニューズウィークの「外国人作家が愛した日本」という特集で紹介されていたトンデモ架空戦記SF「第七の空母」シリーズ。以下NW誌より抜粋。(括弧内は私の声。)

「1983年、氷河に42年間も閉じ込められていた(えぇ!!)大日本帝国海軍の空母「米賀」(どこの地名?)が、地球温暖化の影響で出撃可能になるのだ。(あーはは!)年老いた軍勢は、当初の目的地であるハワイの真珠湾に向かい、攻撃をしかける。かろうじて救出されたアメリカの退役軍人は精神病院にほうりこまれだような気がすると言う。」

NW誌「読んでいるこっちだって、頭が変になりそうだ。」(大爆笑)

「第七の空母」はシリーズ化され全9巻も出版された。「地中海進撃作戦」では米賀がリビア海軍から世界を救う。(お腹痛い。許して。)

あー絶対に読みたい。架空戦記ものって嫌いなジャンルなんですが、これだけは読みたい。誰かこれ映画化しないかなあ。しっかしこんな荒唐無稽で香ばしい話がシリーズ化されるなんてアメリカは自由の国ですなあ。

ヒラリー・ハーン演奏会 美音に酔う

2005-05-11 | Weblog
行ってきました。あーもう何も言うことないです。巧すぎ、音美しすぎ。あんなに真直ぐで真摯な演奏をずっと浴びてると、こちらの心も浄化されてきますね。楽器を変えたのかな?前回のときより音に厚みが増したような気がします。プログラムの中ではバッハの無伴奏が圧倒的な存在感でした。ステージで一人スポットを浴びて大フーガを弾いている時、そのあまりに高貴な音色と立ち姿に見入ってしまい、ハーンの背中に羽が生えてくる幻覚が。
終演後はサイン会が。舞台では結構堂々として大きく見えたのですが、近くで見ると華奢で可愛い。凄い大行列でしたが一人一人に日本語でアリガトウと言ってました。出来すぎです。26日のN響も楽しみです。(今回のハーン様のアジアツアーの日程。26日まで元気でありますように)
May 6 Vietnam Hanoi
May 8 Thailand Bangkok
May 10 Japan Tokyo
May 12 Taiwan Taipei
May 15 China Shanghai
May 20 Singapore Singapore
May 21 Singapore Singapore
May 25 Japan Tokyo
May 26 Japan Tokyo

メタモルフォーゼン

2005-05-10 | Weblog
Rシュトラウスの晩年の作品。23の独奏弦楽器のための習作。ちなみにはバスは3本。私の究極の夢の曲である。芸術家というよりも作曲職人として生きたリヒャルトが、晩年になってようやく達した境地。フルトヴェングラーの録音も素晴らしいが、ここではカラヤンBPOの演奏(DVD)を推薦。ちなみにフルトヴェングラーはリヒャルトの作品群のうち、前期の交響詩群(ドンファン、死と変容、ティル)とこの「メタモルフォーゼン」、そして同じく最晩年の「4つの最後の歌」だけを評価していたらしい。(アルペン、ヘルデンレーベンなぞは論外ということ)

挿絵の力

2005-05-09 | Weblog
何気なく谷崎の「人魚の嘆き、魔術師」(中公文庫)を購入して読んだが、谷崎お得意の美文調には圧倒されるものの(人魚の描写など)若い頃の作品であることもあり、ストーリーの展開としてはそれほど印象に残るものはない。ただ、表紙(写真)も飾っているが、単行本の発刊時に掲載されたという挿絵装画が素晴らしい。描いたのは水島爾保布(におう)という人ということ。大正時代の日本画家、挿絵画家、小説家、漫画家であったらしい。あまりもの美しさにテキストよりも絵のほうにばかりに神経がいってしまった。画集でもあればいつか手にとってじっくりと見てみたい。私はこういった頽廃美というか、世紀末的を感じさせる芸術は結構(かなり)好きである。

「蜂蜜」に思う事

2005-05-09 | Weblog
朝食に出た「蜂蜜」がちょっと違った味がしたので、銘柄をみると輸入ものだった。「蜂蜜」は変わった食べ物だと思う。ミツバチが花の蜜を吸い、体内の消化酵素で蜜の多糖分が小さく切断され、それが持ち帰られた巣の中での貯蔵の際に、水分が失われ濃厚な「蜜」となるのです。うーん何とも感動だ。虫が一生懸命加工したものを人間様がいただいているわけです。ま、食べ物というものは大概自然からお裾分けでもらうものなのだが、ここまで純粋に他の生物に加工を頼っている食べ物って他にあるかな。(菌による発酵は別にして)そういえば、シャーロックホームズは引退した後、養蜂の研究をしたという設定になっていた。(そして本も出したらしい)

私の勉強の専門は「天然物の化学」というもので、実際に生物が作る化学成分の勉強なのだが、こういった生物の力や特性を利用したものに自分は子供の頃から妙に魅きつけられていたと思う。「十五少年漂流記」内で少年達が捉えたアザラシの肉から油を精製したりするシーンや、昔のSPレコードはカイガラムシの分泌液で出来ているとか、シルクとか真珠とか。そういえばヴァイオリンを初め弦楽器も完全に有機物で出来ている。本体は厳選された木材だし、ニスもニカワも松脂も弓の毛も弦(ガットなら)も全部生物からいただいたものだ。だから弦楽器の音には電子楽器には絶対に真似できない柔らかさと個性と浸透力がある。
話が全然それてしまったが、産業の発展は安価大量生産を可能にし、それに伴う特定の生物種の絶滅を回避させることができたが、同時にそれはものの「温かさ」を感じる感性を失うことでもあったのではと思う。

雑感

2005-05-07 | Weblog
人間は肉体という容器に精神が埋め込まれて成り立っているが、悲しいかなどちらも生まれた時から自分だけの所有物なのにも関わらず、決して殆ど自己の思いのままにならない。

柳生十兵衛は千葉真一でしょう

2005-05-06 | Weblog
帰宅してテレビをつけると、NHKで柳生十兵衛のドラマをしていた。十兵衛役は村上弘明が演じていたが、ちょっと格好良過ぎて駄目ですね。やっぱ柳生十兵衛は千葉真一しか考えられません。それにこのドラマは演出も殺陣も酷く、正直見ていて辛かったです。実は私「時代劇」オタでもあるのですが、柳生一族系の話なら、小説では五味康祐の「柳生武芸帳」(写真)が一押し。これは未完の遺作なのですが、登場人物の人間関係が複雑怪奇で誰が敵で誰が味方かもわかりにくい、さらに肝心の武芸帳の設定も謎だらけで読めば読むほど引き込まれる。(で、結局、この謎はわからず仕舞いに終わる。)
映画なら深作監督で、萬屋錦之介、千葉真一、松方弘樹、西郷輝彦、丹波哲郎、三船敏郎という超豪華キャストによる史実無視しまくりの大スペクタクル「柳生一族の陰謀」が最高に面白い。全編がヤクザ映画のような雰囲気の中、何故か一人古語と巻き舌を使い、浮きまくり気炎あげまくりのヨロキン。クライマックスの「これは夢でゴザール」の一人芝居は鳥肌ものです。いやあヨロキンは最高だ。この人の「子連れ狼」も最高だった。差別用語連発ですが、何とかDVDによる全話発売を希望します。(原作は全巻もってますが)

「宇宙のランデブー」を読んだ

2005-05-05 | SF
巨匠アーサー・C・クラークの名作「宇宙のランデブー」を呼んだ。久しぶりに右脳をフルに使って読書したという感じだ。やはりクラークの展開する世界は品があって面白い。醜悪なエイリアンが出る訳でなく、光線銃の撃ちあいがあるわけでなく、誰かが死ぬ訳でもなく、大宇宙の神秘と人間の関わり。SF作家にはずっと憧れていた。今でも成りたい。

バックハウスを聴く、その「粋」さに感動する

2005-05-04 | Weblog
昼間に学校でバックハウスのカーネギーリサイタル(1954)をずっと聴いていたが、やはりバックハウスは最高だ。これは何度も書くが、本当に音色の移り変わりが絶妙で、まるで人間国宝の伝統職人の手技を見ているようだ。テンポはかなり目まぐるしく変わるものの、それを意識させないほど滑らかで自然で、曲が心底から体に染み付いているという感じだ。世間的にはバックハウスは無骨で即物的な奏者のように紹介されがちだが、私は古き良き時代のロマン主義(舞台演奏家としても)をしっかりと引き継いでいるピアニストだと思っている。絶妙なルバートに加えて、和音をさらりと分散に変えてみたりと名人芸の粋さがあちこちに感じられる。テンペストではあれだけ熱く奏したのに、25番では何とも可愛らしくまとめ、最後の32番では果てしない深淵さ演出する。信じられん。バックハウスも信じられんが、これだけの曲を次々に書いたベートーヴェンも信じられん。そう、演奏を聴いてその奏者にだけでなく、作曲者についてもここまで感動させてくれるのはバックハウスだけだなあ。そしてアンコールがまた粋な選択だ。ここでベートーヴェンの時とは全く違う音、表現するのが難しいがロマン派のショーピース用の音にがらっと変わるのがまた驚きだ。シューベルトの即興曲(絶品。これは後にバックハウスの最後の演奏の曲となる。)、シューマンの愛らしい幻想小曲「何故に」、リスト編曲のシューベルトのウィーンの夜会(なんという粋さ!)、そして最後はブラームスの間奏曲で決めてくる。うーんたまりません。こんな演奏会を生で体験出来た当時の人々は幸せでした。

言わせてもらおう、フルトヴェングラー協会の迷走!

2005-05-03 | Weblog
今日は時間があるので、前々から怒り心頭だった事を書かせてもらう。このブログを読む人なぞは大して存在しないだろうが、これは組織腐敗という人類の歴史における永遠のテーマに対するささやかな抵抗である。
世界には幾つものフルトヴェングラー協会がある。フランス、イギリス、アメリカ、そして日本。これらがインターナショナル的に連合団体なのかどうかは知らないが、どの団体もフルトヴェングラー未亡人を名誉会長として一般には市販されないフルトヴェングラーの録音をプレスして会員に配っている。その中には世界初出のもの時にはあり、世界のフルヴェンマニアには垂涎のものも多かった。
さて、私は中学の段階ですでにフルヴェンに目覚めていた訳だが、高校時に同じくフルヴェン好きの音楽の教師に紹介されて日本フルヴェン協会に入会させてもらいそれ以来の会員である。前会長さんのお宅に緊張しながらお電話をさしあげ、入会を申し込んだことは忘れられない思い出の一つである。私が入会した頃は、半年に一度ほど、裏表一枚にびっしりに次回頒布の録音に関する内容やら近況やらを書きつめた会報と注文したCDが送られてきた。その梱包も新聞紙やら広告を利用した「手製」のもので、頒布される録音以上にその協会の質素で素朴で非営利な態度が嬉しく、これぞ「フルヴェンの会」だと自分が会員であることに誇りをもっていたのものだ。
そして時がながれ、前会長さんが亡くなられ新しい会長が選出された。この流れは一般会員には知る由もなく、代替わりのことはまったく気にもしなかった。しかし、まず会報ががらっと変わった。センスのない冊子と妙な権威付けが多くなり、何が一番吃驚したかと言うとフルトヴェングラー以外の録音販売も斡旋し始めたのだ。それと同じ頃、私は新しく立ち上げられた別のフルトヴェングラー愛好会からの入会勧誘も受けた。内部でもめ事があって分離別派ができたことは一目瞭然だった。恐らく原因の一端はこれであろう、フルヴェン以外の指揮者の斡旋を指示する会長の発言に関するHP をご覧ください。会長自ら堂々と宇宿氏という指揮者を協会を通して応援すると言っている。宇宿氏が一体どういう指揮者なのかは知らないが(いや噂はよく聴くが)、別にこれがカラヤンでもバーンスタインであっても話は同じだ、会長さんが何に感動されようとそれは自由です。別に宇宿氏を超一流のレベルの指揮者と尊敬してもいいし、フルヴェンから近衛氏(初代会長)を通して同じ考えをもつ指揮者だと妄想してもいい、それは全く個人の自由だ。しかし、それを自分が会の責任者(あくまで責任者だあってボスではない)であることを利用して、フルヴェン協会を通してバックアップしようなぞと公言するのは言語道断。会報で紹介しようと別に欲しくない奴は買わなきゃいいと言われるかもしれないが、それでは会の趣旨と違う。フルヴェン協会の目的は、クラッシック愛好家が自分の好みを持ち寄って紹介しあう場ではなく、フルトヴェングラーの埋もれた録音を掘り出して、愛好家同士で愛でようという会のはずだ。少なくとも私はそう思っていた。だから非常に失望したし、大事なものを汚された気さえした。現在の協会内部の状況がどうなのか知らないが(会報は送られてくるが)、現在の日本協会にはかなりの不信感がある。だから現在海外の協会に入っている。
しかし大きくみると、組織、特に宗教団体なぞはこういう感じでもともとの趣旨から逸脱してくのだなと痛感した。

ショックだ・・・デンボの声が変わってる

2005-05-03 | Weblog
「おじゃる丸」を久しぶりにテレビで見たら、お気に入りだったデンボ(伝書ホタル)の声が全く変わっていた。あの頭の先から抜けるような高音がすきだったのに。そして私の物真似のレパートリーでもあったのに。ショックだ。そういえば、サザエさんのワカメちゃんの声も全く変わってしまっていた。あれもショックだった。