無意識日記
宇多田光 word:i_
 



暫く前からオフィに貼ってある新しいアイコン、第1印象は「クイーンのメイドインヘヴンのジャケみたい」だった。同じ様に足を広げて仁王立ち、片手を天高く突き上げている。が、もう一方の手の様子が違う。フレディはスタンドマイク(あの短いヤツね)を下げているが光はハンドマイクを顔に持ってってる。そしてフレディはコチラに背を向けていて、光はコチラを向いている(風にみえる)。もう人生を歌い終えた人と今歌ってる真っ最中の人の違いかな、なんて思うと切なくなるが、EXODUSのAnimatoに続きTiTOの曲でもフレディに言及しているらしい事を考えると、強ち僕の連想も的外れではないのかもしれない。

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来たのか。インタビューで光がEXODUSを"閉塞的"と表現していた。ヒカルとUtaDAでは曲の発表形態に大きな差異がある。シングルとして半分の収録曲を年月かけて1曲ずつリリースしていく日本と違いUtaDAでは全曲一挙公開なのだ。その為、作曲途上に外部(ファンやメディア)との相互作用が皆無なのである。EXODUSでは己の個性を貫いたと光は述べたが、寧ろ制作途上に大衆からの反応がない為"そうするしかなかった"面もあるのではないか。ソレを省みてTiTOではUSメインストリーム聴取層を"仮想リスナー"として意識的に設定し、日本で制作途上に得ている外部反応の代替としたのではなかろうか。

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