ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

町で見つけたオモシロごはんbyFb…横浜某所の、こがしネギ醤油ラーメン

2013年01月08日 | ◆町で見つけたオモシロごはん

 子連れで初めてラーメン屋に行ったのは、子どもが何歳の頃だったろう。カウンターのみの店はもちろんテーブルがあっても、小さな子連れにとってラーメン屋は何だか敷居が高い。最近は紙エプロンやヘアバンドを用意した、女性に優しいラーメン屋が出てきたけれど、チャイルドシートやベビーカー置き場を備えた店は、さすがに聞いたことがない。

 最寄り駅の行きつけのラーメン屋は間取りにゆとりがあるせいか、割と家族連れのお客が多い。先日お昼時に訪れたら、行列に混じってベビーカーが2台。隣接するスーパーでの買い物帰りに昼ごはんらしく、幼児を抱いたお父さんお母さんが、落ち着かない様子で並んでいる。

 カウンター席が空いたが、テーブル席希望の先客に譲られてお先に。店の一番人気である、こがしネギ醤油ラーメンは、濃口のトンコツ醤油スープにネギ油の香味が鮮烈だ。麺にしっかり絡め、刻みネギと一緒にすすりつつ、隣りの客に目をやるとこちらも幼児とお母さん。子供用茶碗に分けてもらい、行儀よくすすっていて、店のおばちゃんがにこやかに見ているのが微笑ましい。

 譲ってくれた先客もテーブル席に付いていたが、丼が出された途端に子どもがむずかりはじめた。抱いてあやしていたが、結局数口食べたぐらいで店を出ることに。残して申し訳なさそうにしていたお客に、店の人が気にしないよう気遣う。

 結局のところ、子連れでのラーメン屋への入りやすさは、ハード面の整備や先入観云々ではなく、店の人の心配り次第なのだろう。子連れでもラーメンを気遣いなく食べたい時、ここはちょっと居心地いい店かも知れない。


町で見つけたオモシロごはんbyFb…横浜 『横濱家』の、ラーメン

2013年01月07日 | ◆町で見つけたオモシロごはん

 高校から大学生の頃、横浜駅西口の飲屋街にあるラーメン屋に、足繁く通っていたことがある。がっちり濃い醤油ベースのトンコツスープにはうっすら油が浮き、食べごたえある中太麺、そしてトッピングには角海苔添えに味玉と角煮がゴロゴロと、パンチ力とボリュームはバツグン。味の濃さに油の量、麺の固さが選べるのも当時は画期的で、「油多めの味濃いめ!」と気勢をあげていたものだった。

 当時のラーメンといえば味噌、醤油、塩の基本形に、白濁のトンコツがブームになり始めたあたり。「家系」というカテゴリーが生じるかなり前の話で、この「横濱家」が自分の家系の原体験、かつその後の物差しになっている。もっとも総本家の「杉田家」や派生の直系を食べた時、ずいぶん軽くあっさり感じたから、この店のおかげでちとハード方向に、基準が偏っているのかも知れない。

 腹ペコ学生時代にはドンピシャのインパクトも、社会人になると逆にノックアウトされる恐れがあり、最近は体調と空腹に万全を期した時ぐらいしか足が向かなくなってしまった。先日、久々に行ってみたが、そのキャラは昔のままだ。太麺にごってり濃厚なスープががっちり絡み、醤油味とトンコツだしと油のトリプルインパクトは健在。さらりと完食できたら、自信とともにあの頃のバイタリティもみなぎってくるような。

 当時はまだ携帯もネットも草生期で、グルメ情報は「ぴあ」系のムックか出初めの横浜ウォーカー程度。そんな中で見つけたこの店を「新時代のラーメンだ!」と友人に勧め、シンパを増やしたりしていた。今の情報過多な時代では、滑稽というかアナログというかだが、あの頃は「自分だけの店探し」を、足と経験で稼いでいた時代。そんな当時を懐かしく、ちょっとうらやましく思い出してしまうラーメンでもある。


ローカルミートでスタミナごはんbyFb…二戸 『短角亭』の、いわて短角和牛の焼肉

2013年01月06日 | ◆ローカルミートでスタミナごはん

 銘柄肉の定義で大きな基準となっているのが、肉質等級と歩留まり等級だ。よくA4とかA5とか言われるやつで、これに脂肪の込み具合の指標のBMSも合わせて、定義の基準となることが多い。日本人には霜降り人気が高いため、銘柄肉の基準イコール脂の入り具合がよい、になりがち。松坂、米沢、近江の「日本三大和牛」もそうで、赤身肉の銘柄がパッと思いつく人は、あまりいないのではないだろうか。

 調べてみると、土佐の赤牛や阿蘇の阿蘇王などが挙がり、元は役牛で放牧で飼われるなどの共通点がある。黒毛和種のいわて短角和牛も、元は役牛であった地元の南部牛がルーツで、子牛のうちは親子で山間に放牧されて育つ。役牛と放牧とのキーワードの通り、運動量が豊富で余計な脂肪がつかないヘルシーな赤身肉として、健康志向の中で評判を呼んでいる。

 二戸の焼肉店「短角亭」で味わったいわて短角牛は、ハラミやカルビに加え、赤身モモ肉が見事。脂のほとんどない厚切りの赤身肉は、ガシガシとかみごたえがあり、繊維が緻密なので食べ応えがどっしりしている。脂分が少ないので、ユッケやローストビーフにすると絶品、とご主人。店は精肉店の直営で、短角和牛は鉄分豊富だから体にいい、と勧めてくれる。

 短角和牛は岩手県の北東部が主な産地で、粗飼料には地元のワラ、配合飼料も地元の糠のほか、名産の南部せんべいの残ぱいを混ぜているのが、何ともローカル。地元の銘柄肉として売り出してはいるものの、赤身肉ならではの課題も多い。酸化が早く色の変化が出るのに加え、脂が少ないのも評価が分かれるところ。なので流通は周辺地域の飲食店が中心で、県内にはほか盛岡などに供する店がある。ローカルミートにしては珍しい、旅でこそ味わえるタイプのようである。

 脂がのったカルビに柔らかなハラミも、しっかりした赤身の味がジューシーさの下支えになっている。「短角和牛は、張りと締まりが肉の良し悪しを決める」など、短角和牛へのこだわりを語るご主人。粉雪が舞う二戸で喰らうご当地肉からは、等級云々とは別次元の、地産地消ならではのうまさが伝わってきた。


ローカル魚でとれたてごはんbyFb…釜石・呑兵衛横丁 『あすなろ』の、釜石の地魚いろいろ

2013年01月04日 | ◆ローカル魚でとれたてごはん

 以前に釜石を訪れたのは、新日鉄釜石がまだ健在で、名物の橋上市場もあった頃である。港の近くには「呑兵衛横丁」という飲屋街があり、夜の街は新日鉄釜石の従業員や地元の漁師で賑わっていた。間口の狭い店舗は何と、排水溝を塞ぐ板の上に建っていたとか。そのため津波の際には真下から水が揚がってきてしまい、店舗は全滅。鉄の町・漁業の町の憩いの場だっただけに、当時を思い出して非常に残念であった。

 それが昨年の12月に、釜石の駅前に設けられた仮設店舗に移転。釜石に泊まった夜に訪れてみたら、屋号が灯る行灯が連なる、昔ながらの横丁風景が懐かしく感じる。そのうちの1軒「あすなろ」の暖簾をくぐると、5人も座れば満席の狭いカウンターに、おばちゃんがひとり頑張っていた。

 ホワイトボードに釜石で揚がった魚介を使った肴が並び、オススメを聞くと「イカの一夜干し、サンみりん干しあたりかな」。イカはクキクキの歯ごたえで身は甘く、かなり塩が聞いている。釜石のサンマは三陸でも評判がいいそうで、みりんの味が強いのに脂がのった身の味が強い。サンマどころならではの、厚みのある食べ応えを感じる。

 気を良くしているとおばちゃんがさらに小鉢を勧めてくれる。生ガキはプリプリに粒が丸く、潮の香りが強烈。付近の沿岸ではカキの養殖が壊滅している中で、これは山田で養殖している希少な品だ。おまけの一皿・三陸名物のホヤの塩辛は、酒呑みにうれしい三陸ならではのアテ。オレンジ色の鮮やかさに、産地の新鮮さが感じられ、フルーツ甘い後にキリッと塩っぱさがついてくる。どちらも、まるで三陸の湾をそのまま食べているかのようで、改めてこの海の豊穣さを感じてしまう。

 店のおばちゃんは津波の際、高台から津波の様子を見たそうで、ぺしゃんこに潰れたクルマや家がそのまま流される様子が、心底怖かったと話す。呑兵衛横丁も店の数が減ってしまったが、「仮設のほうが前より、きれいになったかな」と笑う。どの店も狭いながら賑わっている様子で、その姿にかつての「ドブ板」上の飲屋街を、ちょっと懐かしく思い出した。